民主主義は手続きの制度

2012年4月15日

 民主主義というシステムにおいて、その最も基本となる思想とは何でしょうか。
 それは、「独裁者を作らない」という考え方と、「最終的に国民全員が責任を負う」という考え方です。
 この両者は突き詰めれば同じコトになるのですが、間違えてはいけないのが民主主義とは「より良い政治を実現するためのシステム」ではないというコトです。
 「良い政治」というモノを定義するコトも難しいワケなのですが、例えばドラスティックに変えていくとか、スピーディーな政治決定を得るとか、仮にそういうコトを「良い政治」と言うのであれば、それはむしろ民主主義の制度は対極にあると言えるでしょう。
 どんなシステムだって一長一短ではあるのですが、その中でどの思想を重視するかによってなんのシステムを採用するかが決まってくるワケで、そして現在の日本では「独裁者を作らない」という考え方と「最終的に国民全員が責任を負う」という考え方を重視した結果として、民主主義のシステムを採用しているというコトなのです。
 
 「独裁者を作らない」という思想を実現するために、民主主義のシステムの上では「権力を分散させる」という手法を使っています。
 民主主義の制度では全ての権限を1人に集中させないよう、三権分立によってそれぞれの権力が監視し合うような形をとっていますし、また「国権の最高機関」たる国会では、100人以上もいる国会議員の過半数を得なければ物事が決まらない仕組みになっています。
 総理大臣も、その権限はあくまで法律の中だけのモノであって、仮に国会が著しく総理大臣の権限を制限するような法律を作れば、総理大臣はそれに従わざるを得なくなりますし、さらに日本の場合は、そもそも三権の1つである行政府はあくまで内閣全体であって、総理大臣1人で行政を動かせる権限はありません。
 必ず合議制の会議(閣議)を経なければ、行政府としての決定とはならないワケです。
 このように、決定のプロセスに出来るだけ多くの人間を関わらせるシステムを作り上げるコトによって、権力の集中を防止し、独裁者を作らないようにしているのです。
 
 そしてこれは「手続きをキチンと踏む」という思想に繋がります。
 出来るだけ多くの人間を決定に関わらせるというコトは、その手続きのシステムを事前に作っておく必要があるワケですからね。
 政治でもなんでも、決定に至るまでに様々なプロセスや手続きを踏んで、それらを全て通すコトが出来ればはじめて決定するコトが出来るというのが、独裁者を作らない民主主義のシステムなのです。
 
 こういう民主主義のシステムを採用している以上、どんな場面であってもそれに従わなければなりません。
 例外を作れば、最初はこれだけと思っていても、そのわずかなほころびは前例となって結果的に全てを壊す大穴になってしまうからです。
 ですから、「いまは大変な時だから」とか「急を要するから」とか、そんな理由で民主主義のシステムを破ってはいけません。
 採用した以上は、最後まで貫き通す必要があります。
 
 時間がないからは理由になりません。
 時間がないのであれば、ではなぜもっと早い段階から準備しなかったのですかという批判になるだけです。
 そういう手続きがあるのが分かっているのに早い時期から準備しないのは、それはただの怠慢なだけのお話です。
 民主主義とは、重要であればあるほど、その手続きは厳正に行わなければなりません。
 なぜなら重要な案件だからこそ、多くの人が関わるべきだからです。
 よって、重要な案件こそ時間がかかるモノなのです。
 もしその手続きが面倒だからと準備すら怠るようでは、それは独裁の始まります。
 時間がないから手続きをすっ飛ばして1人の人間だけに全ての権限を与える、なんてコトをすれば、それが独裁者のはじまりになってしまいます。
 こんなのは人類はとうに経験済みのハズですよね。
 繰り返します。
 重要な案件だからこそ、時間をかけてより多くの人間が関わるようキチンと手続きを踏むコトが民主主義においては正義なのです。
 
 国民が心から独裁政治を願うのであれば別ですが、いまの日本人はそうではないハズですから、重要な案件ほど手続きを大切にしなければならないというコトは、シッカリと念頭に置いて政治を見なければならないでしょう。