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2012-03

電力自由化の難しさ


 いま東京電力が上から目線で企業に対して料金の値上げを迫っています。
 

 東電、値上げ請求拒否後に再契約した大口顧客に4月の値上げよりさらに高く料金設定
 
 東京電力の4月から始まる企業など大口向けへの平均17%の値上げをめぐり、また新たな波紋が広がっている。
 街の人は、「ひどいですよね。何か上から目線で」、「とんでもない話。何様だと思ってる」などと語った。
 東京電力は、27日の会見で「新しい契約料金に賛同できないと、契約が成り立たないので、電気をお届けすることが難しい」と語った。
 東京電力は、値上げを拒否した場合、電力の供給を止める可能性を示唆した。
 
 東京電力は、値上げを拒否したまま契約の更新を迎えた場合、すぐには電気を止めず、PPS(特定規模電気事業者)を紹介するという。
 しかし、あるPPSは「東京電力の値上げ発表以降、2~3倍の問い合わせが来ていますが、現状の客で電気の供給は、いっぱいいっぱいです」とコメントした。
 そのうえで、もしPPSとの契約ができず、結局、再び東京電力と契約する場合、驚きの契約内容が明らかになった。
 東京電力は会見で「今より、2割高い料金で設定しています。最後のご判断は、お客様(契約者)にしていただきます」と語った。
 平均17%の値上げよりもさらに高い、およそ2割高の料金を払う可能性があると、東京電力は主張している。
 東京都の猪瀬副知事は「結局、自分たち(東京電力)がいなければ、あんたがた困るでしょ? っていう、独占にあぐらをかいた意識がずっと残っている」と語った。

 
 やえはこういう態度は本当にダメだと思っています。
 東京電力は倒産させるワケにはいきません。
 そうしてしまうと賠償が出来なくなってしまうからです。
 賠償が税金だけで賄われてしまうコトになるからです。
 ですから、最低でも賠償が終わるまでは、東京電力とその社員たちには賠償金のために汗を流して働いてお金を稼がせなければならなりません。
 だから多少東京電力に税金が注入されたとしても、最後まで責任を持たせるという意味で倒産させてはならないと思っています。
 でもですね、この態度はダメですよ。
 「規約外の値上げをするけど、イヤならそっちから連絡してこい。連絡がないなら合意したと見なすからな」なんてのは、乱暴と表現する以外なんと言えばいいのでしょうか。
 規約外のコトをしているのは東京電力なのに、その態度はいったいなんなんでしょうかと言いたくなります。
 こんな態度はダメです。
 
 やえは本当は東京電力は国営化、半国営化と言った方がいいかもしれませんが、そうすべきだと思っています。
 東電は生かさず殺さずの状態にして、赤字でもいいからしばらくはそのまま経営させ、さっき言いましたように賠償金のために働いてもらうっていう形をとるべきだと思っています。
 どうせ賠償などが終わって一段落したら絶対に黒字になる企業なのですからね、いま赤字でもいいじゃないかと、まして原子力損害賠償支援機構を通じて税金が注入させているのですからね、そのままいまはやらせるべきだと思うのです。
 またこの半国営化には別の意味もあります。
 今回のような、ほとんど強制的な値上げなどをさせないためです。
 
 説明するまでもありませんが、電力会社はほぼ独占体制になっています。
 東京電力管内で東電以外から電力を買うコトはかなり難しいです。 
 実際東京都が、中部電力でしたかね、に電力が買えないかと聞いたところ、むずかしいという返事を得たというニュースが一ヶ月ぐらい前に流れていました。
 このように、東電関内の企業などが東電以外からの電力を買うのは事実上不可能と言っていいワケです。
 ですから、このように安易値上げなんてというコトはしてはならないハズなんです。
 
 民間会社だから赤字経営しろとか言うのは無理だし、値上げするというのも自由だろっていう意見もあるようですが、しかし電力会社は他の民間会社とは比べられません。
 法的に認められた独占企業だからというのが一番大きな理由ですし、また現在は税金が注入されている、特別に保護されている存在だからです。
 普通民間会社が値上げをするっていう場合は、それは倒産という最悪の事態との天秤にかけての決定です。
 値上げをすれば下手をすれば顧客が減って会社が持たなくなって倒産してしまうかもしれない、こういう事態を天秤にかけて、それでも値上げするしかないと思えば値上げし、そうでないなら値上げしないのです。
 でも東電は違いますよね。
 いくら値上げしても、東電は倒産しません。
 顧客が離れようがないワケですし、そしていまは国策として東電は倒産させないよう保護しているからです。
 こんな状態で他の民間会社と一緒に比べたらダメですよ。
 絶対に倒産しないと分かり切っての値上げなんて、こんなのは卑怯ですよ。
 まして他の選択肢がないのを分かってて「他から買え」なんて、どこのヤクザの脅しですかと。
 だからここは本当は、政府がシッカリと舵取りをしなければならない場面なハズなのです。
 
 ただ、国民もひとつ冷静に考えるべき部分はあります。
 例えばこの独占体制があるから東電が天狗になるんだ、電力は自由化すべきだと言う意見をよく聞きますが、しかしいまの段階では自由化なんて出来ないですよ。
 いまの段階とは、いまの発電施設のコトを言います。
 つまり、仮にシステム的にどこの電力会社からも電力が買えるようになっていたとしても、いま東電関内の企業が一斉に他の電力会社から電力を買おうというコトになったら、とてもじゃないですけど発電量が足りません。
 そもそもそういう理由で東京都は中部電力に断られたんですからね。
 ですからですね、この「電力を自由化しろ」という論は、日本中で発電する量を、無駄が出ても多量に発電させておく、それぐらいの発言が出来る設備を整えておくという前提が必要なワケなのです。
 
 例えばいまの日本ではどこにいても食べ物は買えるコトが出来ます。
 コンビニに行けばまず必ずおにぎりがありますよね。
 しかしこれは、需要量よりもかなり多くの供給をしている、つまりとてつもない廃棄量という裏側があってこそ成り立っているコトなのです。
 あまってもいいからいつでも食べ物を買えるように整えておく、これがいまの日本の「どこでも食料が帰る」という状況です。
 
 電力も一緒です。
 もしどこからでも買えるように、いつでも電力会社を選べるようにするためには、その電力会社は今の発電量よりもかなり多く作っておく必要があります。
 そうしなければ結局「ウチでは売れません」というコトになって、自由化とは呼べない状況になってしまうでしょう。
 しかしここで考えなければならないコトは、いまは原子力発電が悪という風潮になってしまって、なおさら電力供給量が日本全体で減ってしまっているという現実です。
 もはやこの夏は危ないとすら言われているワケで、この矛盾というのはシッカリと国民が考えなければならないのではないでしょうか。
 
 原子力を作るな、でも電力は自由化しろっていうのは、大きな矛盾をはらんだ問題なのです。
 この問題は他にもいろいろと視点がありますが、ここはひとつひとつ冷静に考えていかなければなりませんし、優先順位を定めていくべき問題だと思います。
 やえの中では、いまのところは「東電は生かさず殺さず赤字経営させろ」っていうところですかね、優先順位は。
 ですから、とりあえず自分の思うとおりに好き放題わーっと言うのではなく、一長一短あるコトを認めて、その中で整理して考えていかなければならないと思います。
 原発やめろ、東電つぶせ、値上げはするな、でも自由化はしろ、電気は好きなだけ使わせろ、っていうのは、ちょっと我が儘になってしまってはいませんでしょうか。
 

コメントレス


 今日はひさしぶりにコメントレスをしようと思います。
 最近してなかったですから、かなり前のコメントもレスしたいと思いますので、話題があっちいったりこっちいったりするかもしれませんがご了承下さい。
 
 

 まあなんだ、テロの否定は原理主義的すぎるかなぁ、とは思う。主張の正しさと手段の正しさは別だし。主張が正しくとも手段が正しくないから総合的に認められない、と、主張が正しくとも手段が正しくないから主張の正しさそのものを認められない。これは別。

 
 橋下大阪市長の院政批判に対するコメントです。
 ちょっとここは頭の整理が必要なのですが、やえは決して「首相公選制」という論自体がもうこれでダメだっと言っているワケじゃないんですね。
 あくまで「橋本徹が主張する首相公選制」は論ずるに値しないと言っているのです。
 ですから、別の方がそれを主張するのであれば、それは議論の対象です。
 
 「誰が言ったのか」、ここはハッキリさせておかないと大変なコトになります。
 「主張の正しさ」が免罪符になってしまうからです。
 「自分達は正しいコトをやっている言っているから何をしてもいいんだ」と、そう勘違いしてしまう輩がどうしても出てくるからです。
 これはもう歴史が証明している以前の問題で、とっても身近な問題としてあるハズです。
 これ前も言った気がするんですが、体罰なんて問題はまさにこれでしょう。
 「叱るコトは正しい」というのは、それは主張としては正しいですし、中身によっては叱るべき場面というのは教育においては絶対にあるコトです。
 しかしだからといって、無制限に殴って蹴って大けがをさせてはいけませんよね。
 体罰は程度の問題であって、時に痛みを知らしめる必要はあると思いますが、しかしそれを免罪符として滅茶苦茶する教師がいたコトは事実としてあります。
 だからこそ、「主張の正しさ」は免罪符にならないというコトを、常に明確にしておかなければならないのです。
 
 政治にしてもそれ以外の主張などにしても、その中身の大切さは当然としても、さらに「誰が言ったか」というのもやはり大切なコトです。
 増税するという主張だけとっても、「任期中は議論すらしない」と公言していた民主党議員が言うのと、堂々と「日本経済は全治3年。その後増税させていただく」と言った麻生総理とでは、同じ「増税」でも説得力や納得しやすさは全然違います。
 また、当サイトにいつもお越し下さっている方というのは、ある程度やえの言っているコトに信頼を置いてくださっている方だと思うのですが、これがもしやえが常に嘘を付きまくっているようなブログだったとしたら、多分こんなにも多くの方に起こしくださるブログにはなっていなかったでしょう。
 最初はニュートラルの気持ちで意見を聞くという姿勢は大切だと思いますが、しかし言葉を積み重ねていく中での信頼性というモノもやっぱり大切で、むしろそれこそが説得力の重要なファクターになるワケで、特に政治家なんてそうですよね、ここは絶対に無視できないのです。
 この問題はここについて考えてもらいたいワケなんですね。
 院政を敷いて責任逃れしたまま実権を握ろうとしている人間に、どのぐらい説得力があるのかというのは、やえは大変に疑問に思わざるを得ないのです。
 
 

 毎日消えた年金消えた年金とかニュースでやってますが、民主党が選挙前に言ってた消えた年金問題はどこへ行っちゃったんでしょうね

 
 そういえばそんな言葉もありましたね。
 確かこれ当時やえも言った記憶があるのですが、あれって「消えた」ではなく「重複しているために分からなくなっている年金記録」なんですよね。
 決してお金が消えてしまったワケではないワケで、そもそもこれは世界どこでもそうなのですが、役所というのは申請主義なのですから、あの問題のそもそもの原因は、年金の種類が変わった時にキチンと手続きをしなかった国民が悪いのです。
 次に、まともに仕事をしようとしなかった公務員労組のせいもありますね。
 だからああいう風に政府の責任かのように言うのはかなり的外れで、結局、これはいまの総スルーの雰囲気を見ても、「自民党を叩くための道具」でしかなかったと言うしかないでしょう。
 
 というかこういうモノっていっぱいありますよね。
 「後期高齢者医療制度」とか「任命責任」とか「庶民感覚」とか「閣内不一致」とか、もうなんかいい加減にしろって感じです。
 少なくともマスコミは、自民党時代の言葉を民主党政権に言わない限りは、公平公正な立場ではないと、民主党に肩入れしているとしか言いようがないでしょう。
 マスコミは政治活動をしているのです。
 
 

 あまり関係ないですが、総統の国会実況楽しんでみてます!

 
 あ、どうも(笑)
 
 

 論拠の話は大変共感しました。なぜそのような結論になったのかという道筋(論拠)がわかると議論できますよね。相手がどのように考えているのかというのがわかります。論拠がわかると結論が自分の結論と違っていてもある種の共感というかわかりあえることができると思います。「あの人はこう考えているんだな」って。結論だけで話し合うのは、時間の短縮になっているようでその実は遠回りしていると思います。論拠を積み重ねていったものが結論だと思うので、面倒でも時間をかければ話し合えしわかりあえると思っています。結論というか言いたいことをいいあうのは議論じゃないなと思います。長くなって申し訳ありませんが、論拠の大切さって論文の学生だけの次元の話ではなく、話し合いの基本なんだなぁということです。

 
 結論だけでは本来議論にはならないハズなんですよ。
 例えば「増税すべきだ」と「増税はすべきではない」のこのふたつ、これだけの結論だけでは、これ以上どうやったって先には進みませんよね。
 よくて多数決が出来るぐらいで、でももし同数だったとすれば、ますますこれ以上は進みません。
 
 だからこそ、議論する場合は、論拠が必要なワケです。
 「なぜ現状ではダメなのですか。増税しなければならない理由を教えてください」と論拠を問い、そして答える方も「現状ではこの通りお金が足りないからです」と論拠で返します。
 ここでもし「なぜ増税が必要なのか」という問いに対して、「増税が必要だからだ」と結論で返すと議論になりませんよね。
 でも実はこういう言い方してしまう人はけっこう多いのです。
 ちゃんと論拠で返せば次に進めるのに、結論しか言えないっていう人いるんですよね。
 本来は「しかしここの部分は不必要な支出ではないのですか」とか「あなたはそもそも増税しないと言って国会議員になれたのですから、増税するのであればもう一度国民に信を問い直すべきではないのですか」と理由と根拠を言わなければならないのであって、こうやって論拠を交わすコトによって議論は深まっていくのです。
 
 ここにも脱線してしまう可能性があるコトに注意です。
 例えば「信を問い直すべきだ」という発言にしても、それはあくまで「あなたはそもそも増税しないと言って国会議員になれたのですから」という論拠があるからこその主張であり、結論であるワケです。
 ですからここをさらに反論するのであれば、「解散なんてしねぇよ」という「信を問い直すべきだ」について言うのではなく、「増税しないと言ってたじゃないか」という論拠の部分に反論しなければならないのです。
 
 議論ってそうやって深めていくモノなんですよね。
 こらえ性がない人もいて、「多数決が民主主義のルールだ」と言って、すぐに結論に対して多数決で決着を付けようとする人がいますが、それはちょっと乱暴というか、勘違いと言うしかありません。
 多数決の民主主義のルールとは、最後に手がない時にどうするのかというルールであって、当然のようにその前段階として議論があってしかるべきです。
 時にその議論が多数決を越えるコトにだって成り得ます。
 例えば少数や弱者の権利を擁護しましょうというモノは、決して多数決だけでは決められないコトですよね。
 そういうモノは、結論に対する多数決だけで決まったモノではなく、議論を詰め重ねて得られたモノですよね。
 多数決は1つの紛争解決ルールではありますが、絶対正義ではないのです。
 
 議論によって必ずしも結論が得られるワケではありませんが、しかし議論するコトで問題点が明らかになるコトも多々ありますから、それだけでも議論する必要性というモノはあるハズです。
 分かり合えるかどうかはともかくとしても、問題を解決したいと本当に思うのであれば、すぐに多数決に逃げるのではなく、議論する必要があるのです。
 それによって、第三の道が拓けるコトだってあるのですから、
 
 自分が勝つコトだけを考えるなら多数決もいいでしょう。
 しかし問題を真に解決したいと思うのであれば、議論は必要不可欠だと言えるのです。
 
 
 ごめんなさい、結局web拍手でいただいたコメントだけになってしまいましたが、なんだか長くなってしまいましたので、今日はこの辺で。
 これからもぜひぜひ御意見くださいね~。
 

政治に対する無いものねだり


 無いものねだりってついついしちゃいますよね。
 いまが幸福にも、また幸運にも大変に恵まれているのにもかかわらず、さらにその上を望んでしまうワケです。
 むしろいまが幸福、もしくは幸運であるからこそ、さらに上を望んでしまうとも言えるでしょう。
 もしいまの幸福や幸運が、大変な苦労をして手に入れたモノであれば今を大切にしようと思うのかもしれませんが、生まれながらにして幸福や幸運が最初から手の中にあれば、それは幸福とか幸運とかとすら思わず普通の状態であって、だからさらに上があるんじゃないかと上を希望してしまうワケです。
 それが無いものねだりですよね。
 
 でも現実はそんなに簡単ではありません。
 いまがとても幸福なところにあれば幸運なところにあれば、さらにその上なんていうモノは存在しないコトの方がほとんどでしょう。
 だからこそ、「無いものねだり」って言うのかもしれませんしね。
 
 でもこれ、政治にも同じコトが言えるのではないでしょうか。
 
 日本の過去の政治は、いまや悪いモノだと、古い政治は打破されるべきものだと言わんばかりの雰囲気ですが、果たして本当にそうなのでしょうか。
 例えば戦後の奇跡と呼ばれた高度成長も、政治が果たした役割っていうのは小さくないハズです。
 もちろん民間の活力や、国際的な状況や、様々な幸運もあってこそなのは否定しませんが、しかしあの時あの日本の政治体制や政治家でなければもしかしたらあの奇跡は無かった可能性だって誰にも否定できないワケです。
 そして事実としてあの奇跡が成ったのですから、それは全ての幸福と幸運とその時の人間の力を認める必要もあるでしょう。
 簡単な例えで言うと、あの時社会党政権だったら本当に高度成長が成ったかどうかは大変に疑問と言わざるを得ません。
 
 そもそもいくら望んでも望んでも、日本ほどの経済力を得るコトが出来ない国の方が多いのです。
 それは経済力だけではありません。
 世界一安全な国、女性が夜道を一人で歩いても平気な国、地震があっても暴動が起きない国、他人とも助け合える国、これらは政治だけで達成できたモノではありませんが、政治が果たした役割も絶対にあるワケです。
 過去の先人達の努力を知ろうとせず、あの時はたまたま運が良かっただけと言ってしまうのは簡単ですが、では果たしていまそれ以上のコトが出来るのかどうかは地に足を付けて考える必要があるでしょうし、そもそもいま現在そういう風に思えるコトこそが先人達の努力があってこそという部分も、シッカリと考える必要があるのではないでしょうか。
 結果とは、幸運と共にその時の人間の努力もあって出てくるモノなのですから。
 
 ところで、「やってみないと分からないから、試しに民主党にやらせてみよう」という、こういう考えで政権交代が起こりました。
 自民党政権での政治よりも良くなるという希望的観測で、このような雰囲気が蔓延してしまったのです。
 でも本当に自民党政治はダメだったのか、もしかしたら自民党政治こそがかなり優れた手法だった可能性はないだろうかという検証はなされませんでした。
 もしかしたら、自民党政治は世界的に見てもかなり優れた制度を構築しており、その上を目指すのは難しかったのではないだろうかと、ふと立ち止まって考えてみるコトも必要なのではないでしょうか。
 
 自民党だっていま、谷垣総裁に対して一方では押しが弱いという批判があり、一方では批判ばかりで無責任だという批判があったりしますが、しかし野党に転落した自民党をなんとか1つにまとめきって、むしろ両方から批判が出るぐらいのバランスで保ってここまで来て、政党支持率だってもはや民主党より上になっているのですから、これが最良だった可能性だってあるワケです。
 最悪分裂だってあり得たのですからね。
 一番政権に復帰したいと願い冷静に次を見据えなければならない自民党議員ですらこうなのですから、国民はもっとかもしれません。
 現状の幸福と幸運に気付いていないだけなのかもしれません。
 もしそうであれば、無いものねだりですね。
 
 だからやえは別に自民党政治が絶対正義であんなによかった時代は無かったなんて言うつもりはまったくありませんが、でも考える必要はあるでしょうと提示するのです。
 いまの民主党政権、いくらでも「自民党政権が正しかった証拠」というモノはたくさん出てきています。
 無いものねだりは仕方ありません。
 人間のサガと言えるモノですから、仕方ないです。
 でも、無いものねだりの結果失敗したとするのであれば、それは一旦過去を振り返って歴史に学ばなければならないハズです。
 間違っても、無いものねだりの失敗を、さらなる無いものねだりでかぶせてしまってはならないでしょう。
 そんなのはさらに大きな失敗を招くだけです。
 
 過去の政治は全てダメだ、古いモノは全て打破しなければならない。
 この考えは「無いものねだり」なのかもしれないのです。

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