マスコミは好き勝手問題提起するのに国会議員がそれをしてはダメという理屈は?

2012年5月30日

 お笑いタレントの河本準一氏の親族の生活保護不正受給問題ですが、その問題を大きくピックアップした自民党の片山さつき参議院議員に少なからぬ批判が巻き起こっています。
 気持ちは分からなくもありません。
 権力者が国民個人に対して直接名指しで問題を取り上げたワケですから、その権力の使い方という点で恐怖を覚えるというのは、まぁ理解出来る感情です。
 特に最近当サイトでもよく言ってますように、民主主義における権力とは抑制されるのが基本ですから、そういう意味からも今回、国民個人に直接権力者が介入したという点について反発してしまう気持ちというのはよくよく理解はできます。
 
 でも気持ちは分からなくもありませんが、しかし構図的におかしい・矛盾しているコトだらけな言い方がありふれている気がしてなりません。
 
 そもそもですよ、不正が明るみに出る前に取材と称してストーキングして、いかにもあくどいコトをしていますと言わんばかりの音楽を流したり編集をして「問題提起」するのはマスコミの十八番じゃないですか。
 それは国会議員だけが対象に留まらず、公職にはついていない一般国民に対しても同様です。
 例えばいまやテレビにとっては重要なスポンサー元になったので全く報道しなくなりましたが、一昔前は消費者金融なんて「サラ金」と呼んで、悪の権化かなんかのように「問題提起」していました。
 このようにマスコミは、それが法的に違法行為かどうかに関わらず数多くの「問題提起」をしていたワケです。
 
 それなのにマスコミ自身はそれを許して、では国会議員にはそれを許さないというのは、いったいぜんだいどういう理屈なのか説明してもらいたいです。
 
 むしろ問題提起するのであれば、マスコミに比べればむしろ国民の代表たる国会議員にこそ資格があると言えるのではないでしょうか。
 どちらにしてもただの一私企業でしかないテレビ局やマスコミなんかには、どのような理屈で「問題提起」する資格があると言うのでしょうか。
 結局マスコミ側というのは、いままで自分が資格もなしにやってきたコトを、いざ自分に向けられそうになってはじめて必死にそれを悪だと断罪しようとしているのです。
 こんな身勝手な我が侭な話があるでしょうか。
 現代の国会議員というのは権力者と言えども国民の代表です。
 国民を代表して不正があればそれに切り込み、もしそれが間違いであればその職を失う身分であるコトを考えれば、いくら自分達が間違いだったと証明されても数秒の訂正だけでコトを済ませて開き直るマスコミなんかに、どの口で片山議員を批判出来るのかと言いたくなってしまいます。
 
 まして今回のコトは、まず先にマスコミからの実名報道があってのコトです。
 時系列としては、マスコミがまず匿名報道をし、その後別のマスコミが実名報道をした後、片山議員が取り上げたというのが正しい時間列です。
 となければ、やっぱりマスコミがいつもの如く自分達だけの正義を自分勝手に振りかざしたワケであって、それなのに全く資格のない一私企業のその行為は容認して、国民の代表たる国会議員の同じ行為だけは批判するというのは、あまりにも矛盾しているとしか言いようが無いのです。
 さらに言うなら生活保護の問題は、河本問題が出る前から自民党の中で取り扱われ議論されていた問題であり、片山議員はその中心的役割を負っていたワケで、河本問題が出てきたから飛びついたワケでは無いのですから、政治問題・行政改革の一環としては普通の流れとさえ言えるのでは無いでしょうか。
 
 もう一点マスコミの矛盾を指摘しておきたいと思います。
 マツコ・デラックスという男性タレントが「仮にも彼女は国会議員なわけじゃない。別にこんなワイドショーの茶番的なことをやらせるために、彼女をわざわざワイドショーに呼んで発言させる事ってある意味国民への冒とく行為だと思うのよね」なんて言っているようなのですが、生活保護という全く生産的ではない、ただただ給付するためだけの給付金に対する不正を質すコトが、なぜ「ワイドショーの茶番的なこと」になっているのでしょうか。
 あれれ?
 最近のトレンドは「血税を無駄に使うな」「無駄を無くせ」「無駄撲滅」ではなかったのですか?
 散々マスコミはそう煽って、いったい何が無駄なのかという定義の議論もせずして、ただ国会議員が使うお金が無駄だと言わんばかりに今まで散々言ってきたくせに、国民の無駄を指摘したらどの口で「ワイドショーの茶番的なこと」ですか。
 矛盾にも程がありますよ。
 
 結局マスコミやタレントの今回の構図というのは、いままで自分達は政治家から批判されない安全な場所にいながら自分達は政治家に好き勝手暴言言い放題だったのに、その「安全地帯」が脅かされたので必死な抵抗をしているという風にしか見えません。
 よって今回片山議員への批判というのは、どうも理屈的にハッキリしないモノばかりというのが感想です。
 なぜ自分達がやるのは許されて、他人がやると急に批判するんですか?
 メチャクチャですよ、そんなの。
 だから今回の片山議員に対する批判は、基本的に感情論ばかりな気がしてなりません。
 「国会議員がすべきコトではない」という言い方が一番目に付くワケですが、でもその論拠が全然無いんですね。
 「なぜ国会議員が不正を明らかにしてはいけないのか」という点が、まるで明らかにされていないのです。
 「実名はやりすぎだ」というのもありますが、実名を明らかにしたのは片山議員ではないですしね。
 マスコミが今までやってきたコトを、そして今回もマスコミがやったコトを片山議員は政治家として政治問題として取り上げてきた中で取り上げただけで、ここを批判する理論的な理屈というモノを、どうもやえは今まで見たコトが無いのです。
 もしどうしても片山議員が許せないという人がいるのであれば、是非その理屈をキチンと論拠付きで教えてください。
 やえは論拠がキチンと通っていれば、すぐに考えを改める用意があります。