神武天皇家の価値は他に並ぶことない大きなモノ

 皇統問題について次のようなコメントをいただきました。
 

 男系の道を模索しながら女系も容認していくのがベターだと思ってます。
今のうちから容認していかないと女系の道も潰えますので。

 
 ハッキリ言って大反対です。
 なぜなら、それは神武天皇家と新しい天皇を並列に並べて等価値で考えている考え方だからです。
 男系の道を模索しながらと言いつつも、女系……と言いましょうか、別天皇家ですね、これの制度整備を進めるというのは、結局こっちでもいいんですよと言っているコトに他ならないのですから、これは結局は神武天皇家とそうでないモノを等価値に考えているとしか言いようのない愚行なのです。
 
 この考え方は「神武天皇家」という存在がどれだけ尊くて価値のあるモノなのかを理解していない証拠だと言わざるを得ません。
 これはコメントをしてくださった方という意味では無く、全てのいわゆる「女系容認論者」に言いたいです。
 そもそもこの「女系」という言葉がダメなんです。
 「女系」っていうと、系という文字が付くだけに系列かのように錯覚してしまいがちですが、実際は「新天皇家」です。
 女系というか男系ではないという天皇を新たに建てるコトは、それは「神武天皇家を捨て去る」という意味に他なりません。
 ここをまず前提条件の事実として踏まえなければならないのですが、ハッキリ言ってここをキチンと理解している人はかなり少ないというのが現実でしょう。
 
 女系の道を容認していくと主張するのはもちろん自由です。
 その考え方は否定しません。
 ただそう言うのであれば、事実もキチンと伝えなければなりません。
 それは「神武天皇家を捨て去る」という事実です。
 これを言わずして、さも神武天皇の系列かのように言いながら主張するのは、それは卑怯です。
 いまの女系容認論は「悠久の歴史を持ち125代続いた神武天皇家を捨て去る、ひいては古代よりずっと続いてきた日本という国を1から新しく建国する」という事実をハッキリと言うべきです。
 言う義務があります。
 これだけ大きな事実を隠して何を主張するのですかと、そう言いたいのです。
 
 この事実を踏まえれば、やえには「同時に模索」なんてあり得ないとしか言えません。
 「神武天皇家を捨て去り、今までの日本国を捨て去る算段をしながら、捨てない道を模索」なんて、ちょっと何言っているのか分からないレベルです。
 繰り返しますが、女系という言葉に隠されている意味は「神武天皇家を捨て去る」という意味です。
 ここをキチンと理解して下さい。
 だからこそやえは、具体的提案よりもまず先に、この事実の部分についてを正しく知らせるコトの方を重要視しているのです。
 この事実をあまりにも知らない人が多すぎる、また軽視している人が多すぎるからです。
 
 もしこの事実を理解した上で敢えて言わない人はもっと悪質だと思いますけどね。
 やえは小林よしりん先生なんかは、分かった上で言っている気がしてならないのですが。
 
 もうちょっと言いますと、いま女系を容認しないと女性皇族が全員降嫁してしまうという危惧もコメントいただきましたが、しかしそれは皇族復帰という方法にしたって早いにこしたコトは無いのですから、同時並行的に考える必要はありません。
 例えば急ぎに急いだとしても愛子内親王殿下が成人されるまでには10年はあるワケですから、10年は議論できますね。
 であるなら、女系という名の男系ではない神武天皇家を捨て去る方策を考えるのは一旦やめて、皇族復帰への道に100%注力すればいいじゃないですか。
 なんで女系という神武天皇家を捨て去る考え方を10年も同時並行的に考える必要があるのですか?
 この観点からしても、女系女系言う意義というモノはやえには一切見られません。
 唯一想像出来るコトは、日本を捨て去る目的だとしか思えないのです。
 
 まして悠仁親王殿下にも当然御子がなされるのでしょうから、女系の議論はますます急ぐ必要はありません。
 そう考えればむしろ女系論というのは、神武天皇家と今までの日本を捨て去るという目的が無ければ、今まで通りの日本を続けるという意志がシッカリとあるのであれば、主張するだけで邪魔な論としか言いようがありません。
 女系論なんてモノがあるからそ、男系継続の道が狭くなってるんじゃないですか。
 国論が皇族復帰に1つになれば、現実可能性は相当に高くなるでしょう。
 それなのになんで邪魔するんですか。
 なにか別の目的があるのですか?
 やえはそう言いたくなります。
 
 いまある女系論とは、いったいどういう意味を含んでいるのか、その事実をもう一度考えてもらいたいと思います。