それは本当に「裏切り」と呼ぶべき行為なのか?

 さて、総裁選も終わったコトですし、もうちょっと突っ込んでお話をしていきたいと思います。
 
 しかしまず今回のお話については先に言っておきたいコトがあります。
 政治を見る場合、どうしても人単位で見てしまいがちですが、今回のお話は「この事実に対してその結論はおかしいというお話である」というコトを間違えないでほしいと思います。
 いつも言ってます、論拠に対する結論のお話です。
 人や政党をどう評価するってお話ではありません。
 いつもこういうお話をすると、「ではこの人のこの件についてはどうなんだ」っていうコトを言ってくる人がいるのですが、そんなのは今回のお話には全然関係ないコトをまずもって言っておきます。
 よろしくお願いします。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 石原さんが「裏切り者」とか「平成の明智光秀」とか言われた件です。
 なぜこのようなコトを言われたのかと言えば、谷垣さんが立候補すると言っていた時に石原さんも立候補するって言ったからです。
 おそらくこれだけですよね、「裏切り者」という結論に対する論拠は。
 ですから、この論拠に対して「裏切り者」という結論が適切かどうかを再検討します。
 
 事実を積み上げます。
 そもそもなぜ谷垣さんは立候補しなかったのか、立候補出来なかった理由を探します。
 いくつか記事があります。
 

 谷垣氏、勝算なく撤退=推薦人集め難航-自民総裁選
 
 「谷垣氏は(不出馬を表明する)ぎりぎりまで推薦人集めのお願いをしていたそうだ」。谷垣氏の出身派閥の古賀派の中堅議員は、谷垣氏の戦線離脱の理由についてこう語った。谷垣氏周辺は20人の推薦人を「確保した」としていたが、一部が離反したもようだ。額賀派のある議員は「谷垣氏側から推薦人を5人ほど貸してくれとの話があったが断った」と打ち明けた。

 

 森元首相、総裁選5候補を講評
 
 石原氏の出馬で谷垣総裁が立候補を断念したとの見方には「谷垣氏は推薦人が集まらなかっただけだ」と反論した。

 

 古賀派分裂へ…谷垣氏不支持に反発の約10人
 
 総裁選で古賀氏が谷垣氏を支持せず、谷垣氏が不出馬に追い込まれたことに反発したものだ。川崎氏らは、既に同派に戻らない考えを表明している谷垣氏を中心に、新たな政策研究会を発足させる構えだ。

 
 これだけではありませんが、様々な情報を総合すると、結局谷垣さんは総裁選に立候補するための最低要件の「推薦人20人」を集められなかったというのが、立候補できなかった理由だと判断出来ます。
 特に最後の記事を読んでいただきたいのですが、つまりは「宏池会(古賀派)が支持しなかったから立候補できなかった」という意味ですから、つまり逆に言えば「谷垣さん個人の力や魅力だけでは20人集めるコトが出来なかった」というコトになります。
 まして一番上の記事では、他の派閥から人を借りようとしていたというコトすらしているワケで、やっぱりここはもう推薦人20人集まらなかったから立候補しなかった、いや「出来なかった」と言うべき事実なワケです。
 
 やえは谷垣さんは立候補すべきだったと思うんですよ。
 石原さんが出ようが何しようが、自分の3年間を肯定するのであれば、自分自身がまずそれを肯定する意味で立候補しなければならなかったと思います。
 その結果として負けたのであれば、それは党員の意志ですから仕方ありませんよね。
 でも立候補しないコトで、なにか谷垣さんが現職の議員であるにも関わらず神聖不可侵な感じになってしまい、批判を許さない雰囲気になってしまって、議論すらできずに、結局「谷垣自民党の3年間」を総括するコトができなくなってしまいました。
 これはやっぱりダメですよ。
 国会議員は議論するのがお仕事なのですから、議員が神聖不可侵になってはいけません。
 ですからそこをハッキリさせるためにも、そしてまずは自分でそれを胸を張って自信を持って3年間を肯定するために、谷垣さんは立候補すべきだったのです。
 この点については他人のせいにしたらダメです。
 立候補しなかった、できなかったはともかく、この部分に関しては100%本人の責任です。
 これはどんな選挙でも言えますが、立候補する/しないはどこからどこまでいっても本人だけの責任の下での結論であり、むしろそこを全て負ってこその候補者です。
 もしこの部分を他人のせいにするのでしたら、もはやその時点で立候補者としての資格がないとすら言えるでしょう。
 ですから、谷垣さん本人だって立候補断念については「自分が決断した」と言われたのですし、その意思を尊重するためにも、そして公平公正な選挙を担保し尊重するという意味においても、ここは絶対に他人のせいにしてはならないコトなのです。
 
 では、石原さんを「裏切り者」と呼ぶその根拠はどこにあるのでしょうか。
 仮にですよ、石原さんがすごい力の持ち主で、谷垣さんの推薦者になろうとしていた人に対して強力な圧力をかけてことごとく潰していったというのであれば、まぁそう呼ぶコトも分からなくもないとは思います。
 でも違いますよね。
 だって石原さんにそんな力があれば、総裁選に負けるワケはない、そもそも他の立候補者が出ないままに石原さんひとり立候補の無投票信任で終わっていたコトでしょう。
 そもそもそんなバカなお話は現実的に考えればあり得ないコトです。
 だいたいにして推薦者にも推薦者の意志があります。
 結局谷垣さんは推薦者20人を集められなかったというコトは、つまり周りの議員の信頼を集めるコトが出来なかったという裏返しです。
 それは谷垣さん本人の責任ですよ。
 推薦者本人は、自分の意志で誰を推薦するかなんていうのは自由なんですからね。
 周りの20人以上の議員に「よし推薦者になろう」と思わせられなかったのは、どこまでも候補者本人の責任ですよ。
 もし仮にですよ、これで「総裁なんだから自分の言うコトを聞け」と言うのでしたら、それは権力を笠に着た強権による圧力であって、選挙の際に最もやっはならないコトになっちゃいますよね。
 いわゆる「派閥政治」の悪の部分と言われる「領袖の鶴の一声で全てが決まってしまう」という点を、さらに実権を持って押さえつけるという行為なのですから、これはもはや最悪と言うしかありません。
 まして新しい総裁を決めようという時に、総裁の権力を使うっていうのは、あまりにも不公平なお話にしかなりませんから、これはダメです。
 ですからここはもう素直に、谷垣さんには個人の力が無かったと認めるしかないでしょう。
 
 その上で「石原さんが出なかったら」という枕は無責任だと思います。
 さっきも言いましたように、推薦者にも自分の意志があるのですから、石原さんが出なければその人達は必ず谷垣さんの推薦人になるという確証はないからです。
 それともなんでしょうか。
 谷垣総裁が出るからには、石原幹事長支持者は必ず総裁の支援に回らなければならないと、やっぱり強権を振りかざせというコトなのでしょうか。
 違いますよね。
 もし谷垣さんに力があるのでしたら、石原さんが出ると言っても自分の方が支持を集めればいいだけのお話でしかなく、「石原さんが出なかったら自分が出れた」と言ってしまうのは、あまりにも無責任だと言うしかないでしょう。
 
 なぜ谷垣さんより石原さんへの議員さんの支持が集まったのかは分かりません。
 それは直接顔をつきあわせて仕事をしてらっしゃる議員さん同士のお付き合いの中での関係でしょうから、自民党の国会議員ではないやえには想像しか出来ません。
 敢えて想像するなら「谷垣さんより石原さんの方が上役としては仕事がしやすかった」と思っている議員さんが多かったのではないかというモノです。
 まぁ実際のところは分かりませんが、外から見た時の印象と内側から見た時の印象が違うっていうコトは往々にして良くあるコトですから、外から見ただけで一概に決めてはならないでしょう。
 結局事実としては議員票はトップをとった石原さんと、20人集めるコトが出来なかった谷垣さんという対比で外の人間としては想像するしかないワケです。
 
 さてここまで考えた時に、石原さんを裏切り者呼ばわりする論拠がどこにあるというのか、やえにはよく分かりません。
 総裁の任期は、総裁選挙が行われる前から分かっているコトであり、その総裁の任期が終わるのがいつなのかははじめから決定されているコトです。
 今回の安倍新総裁で言えば任期は3年です
 ですから任期が切れる時期が分かっており、その上で立候補する資格を有しているのであれば、それはどんな人だってどんな立場だって立候補する権利があります。
 その権利は誰にだって害するコトはできません。
 誰にも批判されない権利です。
 これは総裁選に限らす全ての選挙においてですが、立候補する権利があるにも関わらずそれを害するような発言というのは絶対にしてはなりません。
 「立候補するな」と言うコトは、つまり民主主義を否定するコトになるからです。
 
 また中には「総裁を支える立場なのに」っていう人もいるようですが、しかしそれはそもそも全ての所属議員に言えるコトですよね。
 平議員であれば総裁を支えなくてもいいというワケでは決してありません。
 まして同じく立候補した林さんは政調会長代理っていうまごうことなき執行部ですが、しかし林さんには「裏切り者」っていう声は出ませんでしたよね。
 そもそもこんなコトを言い出したら誰しも立候補出来ない、というか選挙にならないのですから、これは理由になりません。
 選挙が終わった後の体制については全員で支えるのは当然であり、その上でそれぞれがそれぞれの立場で全力を尽くした上で、では全員に任期が決まっています(全ての党の役職は新総裁のもとに信任や再任されます)から、その後はみんな全員平等に新しい総裁を決めましょうというのが選挙なのです。
 立候補の時点で条件を付けるという考え方は間違いなのです。
 支えた上で選挙をする。
 これは全ての議員の公平な義務であり権利なのです。
 
 谷垣さんは立候補する前段階では派閥の力を頼ろうとしました。
 自分のところだけならまだしも、別の派閥に会長にお願いをして、その会長の鶴の一声で推薦人を借りようとすらしました。
 やえはべつにこの行為が悪いコトとは思いません。
 ただ、それが失敗して立候補断念に追いやられたからといって、決してそれを他人のせいにはできないというコトです。
 そしてなにより、谷垣さん本人は立候補断念を他人のせいにはしていません。
 もしこれらの事実を前にして、それでも石原さんを「裏切り者」呼ばわりするというのであれば、「谷垣さんが強権を持って石原さんや他の推薦者の自由意志を曲げようとした」=「自由意志を曲げて谷垣さんを支持しなかったから悪い」というコトになってしまいます。
 それは大変に谷垣さんに失礼です。
 谷垣さんの3年間を注視してきた身としましては、ここを多くの人にシッカリと理解して欲しいところです。
 
 事実をもとに考えたら、その結果として「裏切り者」と表現するに適当な論拠は存在しません。
 論拠なき批判はただのレッテルです。
 今回の総裁選、自民党支持者と言いながら自分が推す候補以外に対してはとても汚い言葉で罵ったり、マスコミの印象操作に乗っかかって誹謗したりと、そういう光景がたくさん見られました。
 これもおいおい指摘していこうと思うのですが、こういうコトをやっているといつまでたっても政治はよくなりません。
 自分が推し進める人や政党が政権を取ったら良い政治ってワケでは決して無いのです。
 国民ひとり一人が高い意識を持つコトこそが良い政治の第一歩なのですから、せめて論拠はシッカリと考えてほしいと思います。
 決して他人を罵倒するだけでは良い政治なんて訪れませんよ。