国会の構成を決めたのは国民

 一票の格差問題で最近気になるのが「国会の責任」という言い方です。
 もちろん間違いではありません。
 立法行為に関する行為は大きな意味で国会の行為ですから、その行為に対する責任についてを「国会の責任」と表現するのは確かに間違ってはいません。
 しかしこれは大きなまやかしを孕んだ表現です。
 なぜなら、国会の責任と言ったとしても、その中身をシッカリと見れば様々な事情がハッキリと見えてくるからです。
 
 最高裁がハッキリと是正しろと言い、一票の格差問題を是正しなければならなかった期間の国会は民主党が与党だった時のお話ですが、ではその民主党に与党たる議席を与えたのは果たして誰だったでしょうか。
 そうです、国民ですね。
 こんなのもう説明するまでもありませんが、法律を通すための一番の責任は与党にあります。
 なぜなら、衆議院で過半数以上を持っている(連立)政党が与党になる以上、法律を通す力を持っているのが与党になるからです。
 そしてその与党を与党たらしめたのが国民自身です。
 つまり本来の責任という意味を考えるのであれば、国民から切り離されたかのような物言いでの「国会」と言ってしまうのは甚だ不適切です。
 むしろそういう国民の責任を誤魔化して、むしろ国民の責任から目を逸らす行為にしかならず、甚だ無責任な物言いだと言わざるを得ないのではないでしょうか。
 
 国会議員を選び、与党を選んで、さらに国会議論を注視して必要なら批判してこそ、主権者たる国民の責任です。
 「国会の責任を果たせ」と中身のない空虚な言葉を吐き出すだけではなく、その国会の中で何が起こったのか、どうして法案が成立しなかったのか、なぜそれが起きたのかキチンと理解してこそ、国民の責任と言うべきでしょう。
 決して国会は「他人事」ではありません。
 外からの目線で結果だけを語って「なにやっている」は、主権者のとる態度ではありません。
 これが他国のコトなら「○○国はなにやってんだ」で済みますが、日本の国会のお話であれば当然主権者は日本国民自身であり、自分のコトとして考えなければならないコトです。
 他人の家の中のコトではなく、自分の家で起こったコトです。
 ですから「国会はなにやってるんだ」ではなく、「自分自身のコトとしてどうすべきだったのか」と言わなければなりません。
 
 では当時国会では何が起こっていたでしょうか。
 これについては当時当サイトでも散々取り上げました。
 当時与党の民主党は、一票の格差問題とは一切関係の無い議員定数削減(むしろ削減は格差を広げかねない行為なのは連日指摘している通りです)と比例の連用制という民主主義を破壊しかねない制度をセットにしなければ法案を成立させないとごねていました。
 明らかに与党としての態度ではありません。
 普通与党であれば、仮に定数削減を実行したいと思っていたとしても、まずは一票の格差問題をなんとかするために全力を尽くすコトでしょう。
 本来一票の格差問題と定数削減問題は別次元の問題なのですからね。
 しかしあの時行われたのは、むしろ野党の自民党がそれを主張し、与党の民主党がセットにこだわって、一票の格差問題の是正に抵抗するという有様でした。
 一票の格差問題に関係しない定数是正問題は、連用制の危険性も含めて、これは時間をかけて熟議を重ねて結論を得なければならない問題です。
 しかし一票の格差問題はそうではありません。
 昨日言いましたように裁判所の主張には大きな疑問がありますが、それでも公的システムの中で正式に出された判決を無視するワケにはいきません。
 一票の格差をとりあえず2倍以下にするコトは、これは議論の挟む余地のないコトであって、方法だけを速やかに立法化させる必要があったのです。
 それなのに、別の要素を混ぜ込んで政局化させたのは、他でもない与党である民主党だったのです。
 民主党が今日までの状況を作り出したのです。
 
 もう一度言います。
 民主党を与党にしたのは果たして誰だったでしょうか。
 民主党に騙されたと言う人もいます。
 しかし当時この問題に対しては国民はどう反応していたでしょうか。
 むしろ定数削減ばかりをマスコミは取り上げ、一票の格差問題とは別問題というコトすら誤魔化して、政局ガー政局ガージミンガーと言ってましたよね。
 その上でさらに今になってから「国会の責任」と他人事のように言うのでしょうか。
 
 国会の責任と言うべきではなく、国民の責任と言うべきでしょう。
 もちろん政局化した民主党の責任は重いですが、そもそもその民主党を与党にしたのは誰かというコトはシッカリと自覚しなければなりません。
 いまの段階で過去のコトを言っても仕方ないと言えば仕方ないですが、しかしだからこそ、この過去の反省を活かしていまならどうすべきかを考えなければなりません。
 それは当然、速やかに「0増5減」を実現するコトです。
 繰り返しますが、ここに議論が挟む余地はありません。
 とりあえずは2倍以下です。
 なぜならそれは最高裁判決だからです。
 1.9倍でもけしからんと言うのは、それは主張としては自由ですが、そんなのは後から議論すればいいだけのお話です。
 2倍以下にした後にゆっくりすればよろしいのです。
 まして定数削減はさらにです。
 「0増5減」を実行したら(法律は通ってますが区分けがまだです)もっと倍率を下げるコトが出来なくなる、定数削減も出来なくなるというのでしたらお話は別ですが、実際はそんなコトはありません。
 「0増5減」を実行した後でも、さらに倍率を下げる法律や定数削減を実行する法律を作るコトは出来ます。
 だからこそ今はとりあえず時間がないのですから、「0増5減の実行」を、議論ではなく作業として淡々と速やかに実行しなければならないのです。
 これを進めるのが国会と国民の責任です。
 もしこれを阻害しようとする者がいるとしたら、国民は国民の責任のもとに批判すべきでしょう。
 
 国民が「国会の責任」と他人事のように言って批判するのは、ただの責任放棄です。
 もちろんそれを煽動しているマスコミは言語道断です。
 結局マスコミこそがこの問題も政局にして安倍政権叩きに使いたいだけなのでしょう。
 しかしそれは無責任にもほどがあるというコトを指摘しておきたいと思います。
 特にこの問題はマスコミのミスリードが激しいです。
 騙されないように注意したいところです。