マスコミの「報道」とは?

2013年11月2日

 TBSの朝の番組「朝ズバ!」でキャスターを務めていたみのもんた氏が、自身の息子が犯罪を犯した件で番組を降板するっていうニュース、すでにご存じの方も多いかと思います。
 この件については色んな人が色んなコトを言っています。
 やえも、おそらくここ1、2年の間では、いわゆるタレントという枠組みに置かれる人達の中では、みのもんた氏に対してが一番多く批判してきた気がしますので、この際やえも言及しておこうと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 この件については、みのもんた氏の長男はすでに成人しているのだからみのもんた氏が責任を取る必要なんてない、という声もあります。
 まぁそれはそうでしょう。
 いつまでも子の罪を親が背負っていては、世の中犯罪者が何倍になるんですかってお話になっちゃいます。
 ので、今回はそういうお話ではありません。
 
 やえが気になったのは、みのもんた氏が、特に「朝ズバ」を辞めた理由です。
 みのもんた氏はこんなコトを言ってるんですね。
 

 みのもんた「夢にまで見た報道番組」降板は「断腸の思い」
 
 降板した「みのもんたの朝ズバッ!」(月~金曜前5・30)「みのもんたのサタデーずばッと」(土曜前5・45)は「公平中立、公明正大な発言をしなきゃいけない。日頃から私はダメなものはダメだ、いいものはいい、そういう気持ちで番組を進めていました」

 
 びっくりしたのは、みのもんた氏の自身の番組や自身の言葉などを「公平中立、公明正大」だと思っていたコトです。
 いや、ホントびっくりです。
 「朝ズバ」やみのもんた氏がいままでどれだけデタラメで偏った発言を繰り返してきたのかというのは、これまでかなり取り上げてきましたのでここでは言いませんが、よもや本心からあれを「公平中立、公明正大」と思っていたとは、ちょっと信じられませんという言葉しか浮かびませんまん。
 みのもんた氏は常に「みのもんたの意見」を言っていたじゃないですか。
 「みのもんたの意見」とは、つまり主観ですよ。
 別にテレビで主観を言ってはいけないとは言いませんよ。
 言いませんけど、でも主観はあくまでその人個人の意見でしかなく、そこに「公平中立、公明正大」なんてモノはないワケですよ。
「公平中立、公明正大」であれば、主観は排さなければなりません。
 それをあれだけ主観丸出しで毎日毎日ご高説をぶっていたのに、よくもまぁこんなコト言えるもんだと逆に感心してしまいます。
 
 ましてこの発言もおかしいですよね。
 

「日頃から私はダメなものはダメだ、いいものはいい、そういう気持ちで番組を進めていました」

 
 これ、主観宣言ですよね。
 「公平中立、公明正大な発言をしなきゃいけない」と言った直後に主観宣言とは、いったいぜんたいどういう思考回路をしているのでしょうか。
 みのもんた氏がそれを個人的に「いいモノはいい」と思うのは勝手ですが、しかしそれでもって全ての人がそう思うワケでも、全ての人に当てはまるモノでもありません。
 あくまでそれはみのもんた氏の中だけの基準で決められた主観でしかありません。
 それともなんでしょうか、みのもんた氏は自分を「自分が思うコトは100%他人も従うだろう」と神様にでもなっていたつもりだったのでしょうか。
 それもと「公平中立、公明正大」という日本語を理解していないのでしょうか?
 
 そしてなにより、この辺についてを誰も指摘し批判していないところが、テレビや他の既存メディアの一番腐っているところなのではないでしょうか。
 メインキャスターが主観を言っている以上、それは「報道番組」ではありませんし、「公平中立」でも「公明正大」でもありません。
 でもそれを指摘する人が皆無なのが、テレビ界や日本のマスメディアの一番の問題です。
 みのもんた氏の長男の問題や、番組を降りるっていうコトそのものについては長い時間掛けて記者会見したそうですが、ついぞ「みのもんた氏の発言は本当に公平だったのか」というコトについては誰も指摘しませんでした。
 結局いまの日本のマスメディアに生きている人の中は、「主観と公平中立」「報道と個人的意見」の区別がついている人はいないのでしょうか。
 
 「朝ズバ!」を報道番組だと堂々と言い、それにツッコむ人がいないという時点でアレなんですが、既存マスメディアはこうやって「公平だ」という顔をしながら、自らの利益のために個人的意見を押しつけ洗脳しようとしているのです。
 これはもはや法規制しか無いのではないのかとやえは思っています。