自分の意見は正しいと言うのは構わないが、自分の意見が多数派だと言うのは傲慢

 自分の意見は正しい、と言うのは構わないんですよ。
 構わないというのか、何らかの形で公の場で意見を主張するのであれば、むしろどこかしらそういう気持ちを持ってもらわないと困ります。
 だって、正しいと思っているからこそ、その意見を他人に聞かせようと思ったんでしょう?
 正しくないと思っているのであれば、いちいち他人にそれを聞かせる必要はありません。
 むしろそれは主張ではなく疑問ですよね。
 自分で自分の意見が正しいと思うからこそ、他人にそれを問うて、賛同者をひとりでも多く得ようとする行為が主張です。
 ですからやえも常に自分の意見は正しいと思って主張しています。
 もちろん、自分の意見が正しいと思っていても、他人の意見の存在を認めないというワケではありません。
 もし自分の意見と他人の意見が相反したとき、自分の方が間違っていたと感じるのであれば、それを聞き入れる態度も必要です。
 要は、その意見を発している時に正しいと信じられるかどうかなんですよ。
 そして同時に、他人の意見も受けいれる心づもりを常に持っておくというコトです。
 このふたつは矛盾しません。
 自分の信念を信じるのと、ただの頑固とは違いますからね。
 自分の意見は正しいと信じるからこそ、他人の意見が正しいと信じられれば、それを受け入れるというのも自分の意見は正しいと信じる姿勢なのです。
 
 さて、そういう姿勢はいいんですが、しかし「自分の意見は正しい」と信じる姿勢と、「自分の意見は多数派だ」と言ってしまう姿勢は、これは全く違うというところに気をつけなければなりません。
 「自分の意見は多数派だ」と言ってしまう姿勢は、それは傲慢以外何者でもありません。
 ハッキリ言って、そんなの誰が決めたんですか?誰が決められるんですか?ってお話です。
 それはただ単に、アナタの周りに同じ意見の人がたまたまちょっと多くいるってだけじゃないですかと。
 でもそれは全国民の内いったい何パーセントでしかないのですかと、そう言いたくなります。
 
 よくこういう主張する人って、選挙の投票率とかサイレントマジョリティーとかを好んで使いたがる傾向にありますが、「ものを言わぬ人達」の内心まで分かる人っていうのは、そんなのは魔法使いか超能力者か神様ぐらいなもんでしょう。
 いくら他人が他人の内心をあれこれ想像したところで、実際のところ日本には意見を言わない権利、権利って言葉はあまり使いたくないのですが、例えば投票に行かなくても罰則はない以上はその人達の行為はあくまで「無言」であって、それ以上を勝手に推測して自分たちの「陣営」に引き込む権利なんて誰にもないのです。
 「無言」は「無言」です。
 例えば「特定秘密保護法に賛成」という意見と、反対という意見があるのと同じように、無言という意見も賛成反対と同列に尊重しなければなりません。
 勝手に「無言」をどっちかの陣営に組み込むコトは、それは無言の人達の権利を侵害していると言えるでしょう。
 そして選挙の際の無言とは、憲法法令で定められている手続きに則って決められるのであれば、政治に一切口を出さない、全てのお任せします、委任しますっていう態度表明です。
 この態度はそれはそれで尊重しなければならない態度です。
 自由主義社会なのですからね。
 
 だから、そういう人達をも勝手に引き込むかのような主張である「自分の意見は多数派だ」という言い方は、あまりにも傲慢すぎるのです。
 もっとハッキリ言ってしまえば、そう思うなら、自分が選挙に出ればいいのです。
 日本国において唯一公的な意見集約行為は公職選挙である以上、ただの私企業が勝手に何の根拠を得てやっているか分からないのような世論調査とかアンケートなんかでわーわー言うのではなく、本当に「自分が多数派」だと言い張るのであれば、それを公的に証明するために選挙に出ればいいのです。
 ついでに政党を作り、全国に自分の「同士」を立候補させればいいのです。
 だって「多数派」なんですから、それで勝てるハズですよね。
 選挙で一定数得票すれば供託金も帰ってきますし、「自分は多数派」なのですから選挙運動の資金もそんなにかからないでしょう。
 ぜひやるべきです。
 勝てば、堂々と「多数派だ」と言って構わないでしょう。
 「自分の意見は多数派」だと信じて疑わないのであれば、それが出来るハズですよね。
 
 どこまでいっても「多数派」なんて明確な根拠を持ち出すコトはできないのです。
 ただいまたまたま自分の周りに人が多いからとか、デモが何人いるとか、投票率とかサイレントなんとかとか言われても、そんなのはどこまでいっても「特殊な一部の人達の集まり」でしかありません。
 全国民の意見を集約しているコトには一切なりません。
 そしてそれが唯一できるのは、公職選挙なのです。
 選挙を経ずして「自分は多数派」なんて言えないのです。
 
 「自分は多数派だ」なんて言う人達は、「何万人何十万人の期待と意思を背負って活動している人」の責任の重さを背負ってから言ってください。
 それをしないままに言うのは、所詮「自称」でしかありません。
 「自分は多数派」は、言ってみれば、根拠もなく他人の意見を勝手に自分の都合の良いように言い換える行為でしかないのです。
 それって果てしなくどこまでも傲慢じゃないでしょうか。
 よくよく考えてもらいたいです。