リベラルとは何か~保守本流「宏池会」を見る~ 2

(つづき)

 そもそも安倍さん自身にしても、一回目の総理の時は、小泉時代に断絶していた日中間を修復するために、まずは中国とのコンタクトをとるというのが最初の仕事になっていましたよね。
 また二回目の時は、民主党政権に時に必要以上にへりくだった対中対韓政策だったために、むしろ何も気にするコトなく強気な対応をとるコトができているワケです。
 このように同じ人物でさえ、そのときの状況や立場によって、特に現実問題を直接動かす政治というモノにおいては、個人的思想よりも行動の方が重視され、対応の仕方が変わってくるワケです。
 
 「軽武装・経済重視」という考え方からの中国や韓国に対する接し方の違い、というのはあるでしょう。
 清和会的なタカ派系は、国粋的な部分から実質論より理想論を優先させる方(それが悪いという意味では一切ありません)なので、経済を多少害してでも日本に敵対的な思想を国民に植え付けている中国や韓国とは距離を置こうとしますけど、ハト派は経済の充実こそが日本国民の幸福だという立場から、より経済的な利益を重視する立場を取ろうとします。
 これは考え方の違いであって、どちらが正しいとかを決めるコトはできないでしょう。
 「経済よりも国民感情だ」という考え方も間違いとは言いませんし正しい場合もあるでしょう、同時に「いくら溜飲が下がっても経済がボロボロになればそれに何の意味があるのだ」という主張も決して否定はできないと思います。
 個人的にはこっちの方が正しいと主張するのは自由ですが、なかなか白黒どっちが正しいかを断ずるコトは難しいかいお話です。
 
 要は、日本の国益と日本国民の幸福をどこに置くのか、というところなんですね。
 ネット上では「アカ=左翼=リベラル=売国」のように、短絡的にも程があるような浅はかな考え方を持っている人が案外少なくないワケですが、これらは全て別々の問題であって、イコールにして断じる方がよっぽど国益を失う考え方です。
 逆ベクトルで言っても、行き過ぎた国粋主義に陥り、アメリカなどの欧米諸国とさえ敵対的な態度をとってしまえば、それは溜飲が下がったとしても経済の失墜に他ならず、果たしてそれが本当に未来の日本も含めた国益であり幸福なのかという部分については大いに疑問です。
 それの行き着く先は北朝鮮なワケですし。
 つまりどこまでも程度の問題ではありますが、経済重視の姿勢はあくまで方法論の違いでしかなく、それをイコールで売国とレッテルを貼るのは間違いだというコトはハッキリしています。
 
 靖国神社参拝問題でひとつ例をとってみましょう。
 前から言ってますようにやえは総理大臣には靖国神社に参拝してもらいたいと思っていますし、そもそも少なくとも自民党の大部分の議員さんは、「先人達の労苦に対して礼儀を尽くす」というコトについては反対する人はほとんどいないと思っています。
 宏池会の前会長だった古賀誠さんなんて遺族会の会長だったワケで、靖国神社に限る限らないというお話は別にしても、「先人達の労苦に対して礼儀を尽くす」というコトについては一切の妥協はありませんでした。
 基本が「保守」である自民党という政党は、基本が労組という革新系の民主党や社民党、政党名からして唯物論である共産党などとは、ここの基本が違うんですね。
 ただ方法論が違うワケです。
 ちょっと探したのですが記事が出てこなくて申し訳ないのですけど、安倍総理の年末の参拝については、ギリギリまで菅官房長官と岸田外務大臣は慎重論を唱えていたらしいんですね。
 その上での安倍さんの参拝だったワケですが、では実際問題、日本国内は安倍総理の参拝で溜飲は下がったかもしれませんが、それまでわがまま言い過ぎで日本に同情論が出始めていた中国も韓国に対する国際世論の視点は、安倍さんの参拝でかなり吹き飛んでしまった感はあります。
 日本国内においては「これは国内問題であって外交は関係ない」と言いますし、原則論ではその通りではあるんですが、しかし実際に諸外国がどうその行動を受け取るのかというのは原則論とは全く別問題であり、どこまでも実利論・実質論で考えるのであれば、安倍さんの参拝は確かにマイナスもあったと言わなければ、それは現実が見えていないと言わざるを得ないでしょう。
 だからここの点において、どちらに重きを置くのか、なんですね。
 精神論や論理的原則論を比較的尊重する清和会系の考え方と、実利実質的な面を比較的尊重する宏池会系の考え方と、です。
 
 また、突き詰めたらこの問題は中韓だけでなく、アメリカやフランスなども決してどこまでも味方だとは言い切れない問題だというのも、キチンと認識しておく必要があるお話です。
 先の大戦については、アメリカなどの戦勝国はいまの価値観を崩されると困るワケで、いつまても戦勝国でいたいでしょうからね。
 ですから、日本が余計なコトをして「秩序」を乱されたくないとは思っているかもしれません。
 もちろん日本としては時間をかけてもそれを崩していく努力が必要なワケですが、しかしその時間をかけるコトと天秤にかける形で国民の溜飲を下げるコトは、果たして長期的な国益という視点においてはどうするのが正しかったのかというのは、議論の余地のあるところだと思っています。
 「対話のドアは常にオープンにしている」と言っている中で、世界中から悪者になった上でしぶしぶ対話のテーブルに着かせるという外交的勝利を目指した「靖国神社慎重論」は、果たしてそれを「親中親韓派だ」と言うべきなのか、まして「売国的だ」と言えるモノなのか、もしかしたら「靖国神社慎重論」の方が真に国益を得るための方策だったという可能性は、どこまでも考える必要はあるでしょう。
 
 様々な見方は当然あるべきです。
 たぶんあのタイミングっていうのは、中韓と国内のマスコミを視点にした上での参拝としては、かなりいいタイミングでの参拝だったとは思います。
 ただし、それだけでない方向も実はこの問題は内在してしまっているワケで、ここはキチンと冷静に考えて整理する必要があるでしょう。
 言い出したらキリがないんですよ、アメリカだって「失望発言」は、オバマ大統領の外交下手がますます露呈しただけで、もはや無かったコトにしてほしいぐらいの勢いな感じですし、そう考えたら、オバマ大統領でなければもっといい方向に向かっていたかもしれません。
 ただ、政治は結果だという結果論から言えば、やはり参拝前の「中韓がわがまますぎる」という雰囲気がかなり薄れて、また一からやり直し的なところまで戻ってしまったというのは、どうしても現実論としては否めないところでしょう。
 
 靖国神社のお話はこの辺にしまして、さっきチラッと言ったのですが、リベラルという立ち位置は「中道左派」であって、それはどちらかと言えば「相対的なモノ」だというコトは言えるでしょう。
 個人個人の、例えば岸田会長を初めとした宏池会所属の議員さん一人ひとりの考え方は、それは議員さんによって違うワケで、それはむしろ言葉にするまでもなく当然のコトだと思うのですが、ただなぜか宏池会という派閥は、時代と共に上手く「中道左派」を貫くような立場を取り続けているんじゃないかなぁとは思っています。
 例えば岸田外務大臣と河野官房長官との考え方を比べたらけっこう考え方の違いはあると思うのですが、ただ相対的な立ち位置を見てみると、どちらも「中道左派」という宏池会らしい立ち位置をとっているのではないかと思うのです。
 
 例えば河野官房長官はどうも賠償も国費でもっとやるべきだという考え方のような気がしてならないのですが、一方岸田外務大臣はこの問題については法的に賠償問題はすでに決着済みだとハッキリと述べています。
 河野官房長官の時代は、この河野官房長官の談話の中身自体は中道左派だったワケなんですよ。
 もし岸田外務大臣の考え方を堂々と発表しようモノなら「右翼だ」と言われていたコトでしょう、当時は「韓国に対して(それが事実だとしても)都合の悪いコトを言う奴は右翼だ」というのがスタンダードな空気として存在していた、まして当時の「右翼」というレッテルは、今では考えられないぐらいの強い印象のあるレッテルだったワケですから、そんな中、つまり相対的には当時の中心軸はかなり左に寄っていたそんな世の中で出された河野談話という「ギリギリ賠償はしない」とした河野談話は、紛れもなく中道左派だったんです。
 一方岸田外務大臣の発表は、もし河野官房長官の時代であれば「右翼」というレッテルを貼られていたぐらいなワケですが、でも当時から中心軸がかなり右に寄った今では、もはや右翼でもなんでもなく、バランスのとれた発言だったと言えるでしょう。
 河野元議長と岸田外務大臣の間には、だいたい2世代ぐらいの政治的な世代間があります(年齢的にはもっとあります)ので、その時の世論の中心軸がまず違うので、個人的考え方に隔たりがあったとしても、相対的に「中道左派」になっているワケなのです。
 多分これ、敢えて「中道左派になるために考え方を変えよう」と思っているワケではない(職責の部分で個人の思想をある程度押さえるコトは当然ですが)とは思うのですが、右左なんてお話は時代と世代とリンクするお話であって、だって国民自身が思想の中心軸を変えてくるのですから(つまりいまは昔に比べればとんでもなく右傾化しているワケで)、その国民の代表者たる政治家の中においてもタカ派とハト派の中心軸が変わったとしても、それはむろし当然とすら言えるのではないのでしょうか。
 結局、それを意図しているのかどうかは分かりませんが、河野官房長官と岸田外務大臣の発表や考え方はかなり違いがあったとしても、その時代時代の雰囲気を鑑みれば、どちらもうまい感じに「中道左派」になっているのです。
 
 また国防や軍事に対する考え方も同様でしょう。
 55年体制下もしくはアメリカ・ソ連の二大大国からなる東西冷戦体制の中においては、日本はむしろ軍備のコトを考えない方が良かったというのは、正しい一面ではありました。
 戦後まもなくは軍備なんかにかまかけている場合ではなく、多少の手間や我慢があったとしてもアメリカという番犬を雇った方がコストパフォーマンスは良く、その分日本は経済に力を入れるコトができたらかこそ奇跡の高度成長が出来た、というのは真実だと思います。
 ですからその頃の中道とは、むしろ軍備を考えないとするのが中道だったと言えます。
 しかし今は違いますよね。
 55年体制も冷戦体制も崩壊したいま、日本は経済大国として世界大国としての立ち振る舞いが求められているワケで、もはや軍事は二の次三の次という時代は終わりを告げました。
 またそれは北朝鮮のミサイルだけに留まらず、未だ天井知らずの上げ幅を続けている中国の軍事費と海洋進出を前に、日本はどう対峙するのかというのは、喫緊の課題とも言えるでしょう。
 そんな中、外務大臣と防衛大臣がお互い揃って会談を持つという「2+2」は、安倍政権になってからというモノロシアとフランスと共に初めてこの枠組みを持つコトに成功しました。
 「軍事とは考えないコトが正義だ」「アメリカとだけ仲良くするのが正しい外交だ」としていた冷戦体制下では考えられない出来事です。
 つまりここでも思想的中心軸というモノは全く変わっているワケで、簡単に「軍事のコトを考えるのはタカ派だ」とか「軍事のコトを考えるのはリベラルらしくない」とか言ってしまうのは、時代が見えて無い旧世代の人間の戯言でしかないと言うしかありません。
 現在の防衛大臣である小野寺さんも宏池会所属の議員さんであり、宏池会らしさという部分についても、やはり旧世代の常識で考えるコトなんて出来ないのです。
 その「宏池会らしさ」も時代と共に変わるのですから。
 
 
(つづく)