憲法と憲法解釈と立法行為 (1)

 では今日は、集団的自衛権の議論にからむ、憲法や法律や立法行為や憲法解釈などについて整理していきたいと思います。
 この問題は「三権分立」に非常に密接に関わる問題です。
 当サイトではよく三権分立については言及しているところですが、民主主義の根幹に関わるところですから、じっくりと考えて理解して頂ければと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 この前書き、かなりひさしぶりです(笑)
 
 さて、まずはこの図をご覧ください。
 
 集団的自衛権の図01
 
 憲法と法律と国民(社会)の関係を表した図です。
 まぁこれはこう書くと分かりやすいですよね。
 日本国家とは憲法によって形作られ、その範囲内で法律で様々な規則を作って国民はその中で生活しています。
 
 では次に、この中において「立法・行政・司法」の三権がどう存在しているかを見ます。
 立法府はその法律と憲法を作る権限を持っている(厳密には憲法改正は国民が行うコトになっていますが、憲法改正の発議は国会が行わなければならないので便宜上国会というコトにします)機関であり、いわば枠組みの建設屋さんと言えるでしょう。
 よって図では便宜上憲法と法律の間の範囲に国会を置きました。
 これには2つの面があります。
 国会は「憲法法律を作るコトしかできない(他はできない)」という面と、国会は「行政と司法の動きを法律で縛るコトが出来る」という面です。
 すなわち、国会は枠組みの建設しか出来ません(国民・社会には直接手を出せない。例:法律違反は行政機関たる警察が取り締まる)が、枠組みを作るというコトはイコール全てを縛るコトが出来るというコトでもあります。
 行政も司法も、立法府が作った枠組みの中でしか行動・判断はできませんし、全ては立法府の範囲内でしか存在出来ないのであって、立法府こそが唯一「無から有を作るコトが出来る」機関なのです。
 ただそのその代わり、立法府はあくまで枠組みをつくるだけであって、実行機関は持たないし、現実的な案件に対して裁くコトもできないのです。
 この二面性が、「国会は国家の最高機関」という最高の権威付けと、そのわりには権限が少ないという、一見矛盾した国民からの見方になっていると言えるでしょう。
 
 行政は、「法律の範囲内で自由に動く権利」をもっています。
 イメージとして三権の中で唯一「自ら行動出来る機関」と言え、よってその行動範囲を法律の内側全てと描いてみました。
 ここでのポイントは、行政は自らの手で現実問題に対して実行権利を揮うコトができる一方、あくまで法律の範囲内でしか行動ができない、という点です。
 「法律に縛れる」という点を言い換えれば、「立法府が定めた範囲内だけの行為である」、もっと言えば「国会は行政の動きを縛るコトができる」という言い方もできます。
 しかし逆に言えば、三権の中で唯一実行権を持っている機関であり、よってそのイメージ的行動範囲は他の二権に比べて遥に広く、そして実行力が強く見えるワケです。
 ここが権限の強さを物語っているワケで、よって行政の長たる総理大臣が「日本の顔」と言われる所以でしょう。
 
 最後に司法府ですが、これはイメージ的に憲法や法律のライン上に存在する機関であり、つまり出番というのは「このライン(憲法/法律)を超えているかどうかを判断するだけ」の機関と言えます。
 もちろん現実的には裁判所の仕事はもっと多いワケですが、基本はこうです。
 すなわち「その案件が法律の範囲内かどうか、もしくは憲法の範囲内かどうか」というコトを判断するのが司法府なんですね。
 そしてここが重要で、司法府は「その判断の最終決定者」であるというコトです。
 つまり、行政であっても国会であっても憲法/法律というラインを超えているかどうかの判断は、司法府の判断を塗り替えるコトはできないのです。
 極端に言えば、原則的に司法府の最終決定は、立法府の国会決議や行政府の閣議決定よりも「上」なのです。
 司法府の決定が「日本国家の決定」となるのです。
 
 しかし2つほど司法府の特徴があります。
 1つは、「司法府は自ら動けない」という面です。
 つまり「その案件が憲法/法律のラインギリギリだな」と思われる案件があるとしても、司法府から積極的にその案件に手を付けて、誰も訴えてないのに「その案件は憲法違反だ」と言うコトはない、ないというか、出来ないコトになっています。
 厳密にはちょっと違うんですが、これを「付随的違憲審査制」と言います。
 もう1つは、現行法の中における最終判断は司法府だけど、そもそも立法府がその枠組み自体を変えてしまえば司法判断も超えるコトが出来る、という点です。
 簡単に言えば、その案件はいまの憲法/法律なら違憲だと裁判所が判断すればその直後から違憲となるのですが、その後にその案件に関する憲法/法律を国会が変えてしまえば、その案件を合憲とさせるコトは可能なんですね。
 こう書けば立法府ってすごい権限を持っているように思えるのですが、そうです、立法府はこれだけ大きな権限を持っているんですよ。
 「枠組み自体を作るコトが出来る」のですから、これは大きな権限です。
 だからこそ国権の最高機関であり、だからこそ何百人もの国会議員という権限者を設定するコトによって権力の分散を図っているのです。
 あくまで司法は「立法府が作った枠組みに対する判断のみ」を行う機関だというところがポイントです。
 
 さて「三権の行動範囲」は、この説明で理解できましたでしょうか。
 立法府は、枠組みを作る建設屋さん。
 行政府は、その枠組みの中であれば自由に行動出来る実行部隊。
 司法府は、立法府が作った枠組みに現実問題が合致するかどうか、頼まれれば出てくるジャッジメントですの!
 
 では、今回の集団的自衛権のお話に絡んでの、特殊な部分について考えてみたいと思います。
 すなわち「憲法解釈」とは何か、という部分です。
 
 ハッキリ言って、「憲法解釈」なるモノの法的な定義は出来ません。
 存在しませんから。
 しかし、これは近代法治国家においては避けては通れない問題でして、なぜなら、憲法に限らず法律や、もっと言えば文章なんていうモノは、どうしてもある程度の受け取り方の幅が出てきてしまうからです。
 
 
(つづく)