男女には差がある事実は認めろ

 今日はこちらのニュースです。
 

 松島氏「赤いストール」で参院本会議出席 猪木氏の「闘魂マフラー」は不許可なのに…
 
 2日午前の参院議院運営委員会理事会で、松島みどり法相が本会議場で赤いストールを着用したとして与野党の議論が紛糾し、同日午前の参院本会議の開会が約20分遅れるハプニングがあった。次世代の党のアントニオ猪木参院議員は、参院規則でトレードマークの赤いマフラーの着用を断念した経緯があり、野党側は「猪木氏のマフラーは駄目で法相のストールならいいのか」と追及した。

 
 この問題って、一見したらくだらないお話のように思えます。
 まぁ確かにマフラーとかストールで審議が止まるなんて時間の無駄すぎてくだらないお話とは思いますが、今回はもうちょっと踏み込んでこの問題を考えてもらいたいんですね。
 というのも、この言い分がやえは気になるんです。
 
 「猪木氏のマフラーは駄目で法相のストールならいいのか」
 
 なにがおかしいって、結局男女の間には何をどうやっても変わらない「差」というモノがあるワケじゃないですか。
 それって様々な場面でそういうコトがあると思うんですが、この場面で言えば、ドレスコードもやっぱり男女では違うワケですよね。
 簡単なお話、スカートは女ではOKですが、男の人がスカートを履いて正式な場に出れば、それは大変に失礼なコトにしかならないでしょう。
 しかしそれをもって「法相のスカートはいいのに、猪木氏のはダメなのか」と言いますか?
 男女の差はあるべきではないと言い始めてもうだいぶ時間が経つところですが、しかしどこまでいっても男女には生物的な差がある以上、その差すら見て見ぬ振りをするっていうのは、むしろ現実無視にしかなっていないと思うのです。
 
 引用していない部分に「参院規則では本会議場で「襟巻き」の着用は認められておらず」とありますので、参議院規則に対してどうなのか、また写真のような服にストールというのが正式な場におけるドレスコードとして適切なのかどうかっていう部分については、それはまた別の議論です。
 ドレスコードというのは決してくだらない規則なのではなく、人間が社会生活を営む上で生み出してきた文化であるワケで必要なモノですから、ここは場面場面で考える必要があるでしょう。
 一言「正式な場」と言っても、その中においても色々な「ランク」もありますしね。
 
 でも、その問題と「男女間の性差」の問題は別です。
 なぜ野党はわざわざ猪木議員のマフラーなんかを引き合いに出してしまったのでしょうか。
 少なくとも男性のスーツに赤いマフラーっていうのは、一般的に猪木議員しかする人を見たコトがないような「一般的な服装」ではないのですから、ドレスコードから外れていると言われて当然の格好です。
 逆に言えば猪木議員は「他人がやらないような奇抜な格好だからこそ」トレードマークにしているのでしょうから、正式な場におけるドレスコードの引き合いに出すのは分が悪すぎるんですね。
 ですから最初から普通に参議院規則やドレスコードの問題にしていればいいのに、この手は悪手としか言いようがありません。
 安倍内閣に責め手がないとは言え、野党は焦りすぎでしょう。
 
 この問題、もうちょっと社会全体の問題として考えてもらいたいのです。
 いま、なんでもかんでも男女間に差が存在するコトすら悪だと言わんばかりの風潮になりつつありますが、しかし現実的に男女には生物として差があるのですから、それすら無視するのは愚かな行為です。
 特に衣服というモノは古今東西男女で違うのがほとんどの国や地域での文化じゃないですか。
 日本だってそうです。
 そういう中で、ドレスコードについて「女は良くて男はダメだ」って言ってしまうのは、ちょっとズレてるとしか言いようがありません。
 野党はおそらくここまで考えて猪木氏を引き合いに出したのではなくて、むしろ何も考えてないのでしょうけど、でもせめて受け取る側はこの辺をちょっと注意深く考えてもらいたいのです。
 男女には明確に性差があるのですから。