自称「イスラム国」とやらに対する基本的な認識 (3)

2015年2月5日

 責任というモノは表裏一体でどちらも切っても切れない関係ではありません。
 一方に責任があるのと同時に、別の方にも責任があるという場合がほとんどです。
 
 これは『「喧嘩両成敗」「先に手を出した方が悪い」という悪習』で書いたコトにも繋がるのですが、「誰々に責任があるんだから、こっちには責任はない」と考えてしまうのは短絡的であり、むしろそれは一方の責任をうやむやにしてしまうコトにしか成りませんし、同時にその議論に対しても視野を狭くしてしまい、本来の意味や責任すら見えづらくしてしまう悪習でしかないのです。
 
 以前イラクで捕まった3バカトリオのコトを当サイトではかなり取り上げたのですが、あの時も、そしていまも、「自己責任」という言葉に強く忌避感を持つ人が少なくありません。
 それはおそらく「自分の都合で危険な場所に行ったとは言え、政府には国民の身の安全を守る責任があるんだから、それを投げ出すかのように言う自己責任論は間違っている」という感じの感情からきているのだと思われます。
 または、ただの個人に責任の全てをなすりつけるかのような言い方をしていると感じ、それに単純な忌避感を覚えているのだと思われます。
 
 しかしこれこそが、責任というモノを単純に二元論化してしまっている、間違った考え方なんですね。
 
 無謀にも危険地域に行ってしまったのは、それは本人の責任を追及されても致し方ないでしょう。
 そもそも外国に行くコト自体が外国の法律に従うという意味になり、日本国家の法律が適用されないコトを承認するコトになるのですから、その時点で「海外に出る」という責任はその個人に確実にあります。
 その上、無政府状態になっている、当然日本政府と国交すらない地域に行くと自ら決めた時点で、その責任は決して免れられないでしょう。
 
 しかしそれと、政府が行うべき義務のお話とは、また別のお話です。
 政府が国民の生命に対して全力を尽くすというのは、まぁ当たり前と言えば当たり前ですね。
 もし政府が「政府が勧告した以上のコトを勝手にやったのだから、そんなヤツのコトは知らない」と言ってしまって投げ出して何もしない、なんてコトをもししてしまったのであれば、それはあまりにも無責任でしょう。
 それはあってはならないコトですし、責任問題だと思います。
 ですから、今回の件についても、日本政府が出来るコトにおいて全力を尽くす“義務”があるのは当然ですし、だからこそ日本政府は出来るだけのコトはすべきだと思います。
 
 だけど、日本政府の責任というのはここまでです。
 日本政府の義務はあくまで「救出行動を行うコト」であって、結果に対して責任を負うモノではありません。
 まして日本政府の権限が及ばない地域での犯罪行為のその結果まで、なぜ日本政府の責任にならなければならないのでしょうか。
 国内の犯罪においても、全ての犯罪に対して「日本政府の責任だ」なんて言いますか?
 少なくとも、爪楊枝逃亡犯が存在したのは日本政府の責任だなんて言説はやえは耳にしたコトがありませんし、そしてそんな論はバカバカしすぎて論としてすら認めてもらえないでしょう。
 
 でも今回のお話って、それと構図は一緒なんですよ。
 いえ、日本政府の権限外で起きたコトという意味においては、国内犯罪よりさらに日本政府の結果に対する責任は薄いと言うしかありません。
 「日本人が殺害されたのは政府の責任だ」と言う人は、「異物混入や万引きが行われたのは政府の責任だ」と言っているのと同じ、いえそれ以上のトンデモ論でしかないのです。
 
 繰り返しますが、国内犯罪においては日本政府が“対応すべき義務”というモノは存在します。
 警察を用いての捜査や逮捕、そして公正な裁判を通じての罰を与えるという義務です。
 もちろんそれは当たり前として存在しますが、しかしその義務に対する責任という面と、結果に対する負うべきだとする責任は、全くクロスしない別次元の問題でしかありません。
 政府が取るべき“義務に対する責任”と、個人の行動における責任の問題はまったく別の問題です。
 
 今回のイスラム国とやらに捕まった人達は、まずは何よりそんな犯罪を犯す犯罪集団にその罪の全てはあるワケですが、その一方強く警告されていた地域に無謀にも赴いてしまったその行為に対しても責任は当然あるでしょう。
 そして日本政府にも、それに全力で対応する義務も同時にあるワケです。
 「犯罪集団の犯罪に対する罪」
 「渡航自粛地域に自らの意思で赴いた責任」
 「国民の身を守るための行うべき措置に対する責任」
 これらは全て別次元の問題であり、決してお互いが影響し合って大小するモノでは決して無く、それぞれ別の責任として存在します。
 ですから、もしその責任が非難されるモノであるのであれば、それは別々に議論されるべきモノであり、非難されるモノであるのです。
 
 以前のイラクの時や今回の問題における「自己責任」とは、その無謀な行動に対する責任論のお話のハズです。
 それなのにそこに政府の責任などをごちゃ混ぜにして、どっちかだけへの攻撃材料とするのは、それは恣意的な論点のスリ替えなのではないのでしょうか。
 責任の論点はキチンとそれぞれ別で考え議論すべきモノです。