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言論の自由なんだから「批判への批判」があって当然


 今日はこちらのニュースです。
 

 「政権批判の自粛、社会に広がっている」1200人声明
 
 「イスラム国」人質事件後、政権批判の自粛が社会に広がっている――。フリージャーナリストや学者らが9日、会見を開き、「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」を発表した。インターネットなどを通じ、映画監督森達也さん、社会学者の宮台真司さん、作家平野啓一郎さんや中島岳志さんら表現に携わる1200人が賛同し、NHKのディレクターや新聞記者も名を連ねた。
 
 「政府が主権者やメディアに監視、検証され、批判されることは当然のこと。批判を控えることは戦前の翼賛体制につながりかねない」。そう指摘するのはジャーナリストの今井一さん。今月2~4日、衆・参院予算委の人質事件に関する野党議員の質疑とNHK・民放のニュース番組の放送時間を検証。2日は4分以上報じる民放がある一方、多くが1分以内。約20秒の番組もあった。「メディアは『自粛』しているという自覚がない。非常に危険だ」
 
 元経済産業官僚の古賀茂明さんは「いまは相当危機的な状況に至っている」。1月下旬、コメンテーターとして出演するテレビ朝日の番組で人質事件に絡み「アイ・アム・ノット・アベ」と話したところ、ネット上で「政権批判をするな」などの非難が殺到。神奈川県警から自宅周辺の警備強化を打診されたという。声明では、「物言えぬ空気」が70年前の戦争による破滅へ向かった、と指摘している。

 
 マスコミの勘違いなのか、それとも自分たちの身を守るために敢えて気付かないフリをしているのかは分かりませんが、論点ズラしも甚だしい主張の仕方です。
 
 いまマスコミに求められているのは「適切な指摘」であって、決して「なりふり構わぬ攻撃」ではありません。
 マスコミからよく「メディアは政治を監視する義務がある」とか「政治はマスコミに批判されて当然だ」という言葉が聞かれますが、まぁそれはいいでしょう。
 民主主義ですから国民が政治の情報を得る必要がありますから、マスコミがその橋渡しとしての役割を果たすコトは必須ですし、時に届きにくい国民の声を政治の場に伝えるっていう役割も必要でしょう。
 ここを否定する人は、常識を持っている国民であれば、いないでしょう。
 しかしいまの国民から見たマスメディアへの視線というモノは、そこではないんですね。
 国民は決して「メディアが本来の役割である監視機能を捨て去れ」なんて言っているワケではなく、「批判の存在すら許さない」と言っているワケでもなく、ただ単に「筋の通った批判をしろ」と言っているだけなのです。
 「批判するのはいい、でもするならキチンと筋の通った、批判のための批判ではない、国家国民の利益になるための批判をしろ」と、そういま国民はマスコミに「批判」をしているワケなのです。
 そんなに難しいお話でも、無茶難題なお話でもありませんよね。
 
 特に今回の人質事件については、国民の意識とマスコミの意識の乖離が激しかった問題と言えるでしょう。
 結局安倍内閣の支持率が上がったコトからも分かるように、国民の多くは人質になってしまった人には多少の同情も含みつつも大部分の感情としては「自己責任・自業自得」と、少なくとも決して政府に全ての責任があるかのように思っていた人は少なかったワケです。
 でもこれがマスコミというくくりの中だけでは違っていましたよね。
 もちろん程度の差はありましたが、どれもこれも最後は政府に非があると言わんばかりの報道の仕方を続けていました。
 基本的な国民意識とは完全に切り離された、真裏の報道の仕方をしていたと言えるでしょう。
 
 ここに国民はマスコミに対する大きな不信感を抱いているワケです。
 
 果たしてこの記事で言う「政権批判の自粛」とは何なのでしょうか。
 おそらくマスコミは「政治への批判という権利」を、「常に批判し続けるコトの権利」と勘違いしているからこその国民の意識との乖離なのでしょう。
 言ってしまえばいまの日本のマスコミというのは、「何はなくとも政治とは批判するモノだ」「批判されるのが政治のデフォルトの状態だ」「公正中立とは批判してこそだ」と、多分こうやって言葉にして突き付けると否定するのかもしれませんが、実際はこういう行動原理で動いているワケなんですよね。
 仮に違うと言ったとしても、少なくとも国民から見れば、いまのマスコミの行動はそうにしか見えないのです。
 そしてその意識の乖離から来る失望感と、なにより「いい加減にしろ」という気持ちが、いま国民の側からによるマスコミ批判に繋がっているワケなのです。
 
 マスコミの大きな勘違いは、「政治への批判」は絶対不可侵な権利なんて風に思っている点です。
 批判自体は構わないんですよ。
 でもその批判も、同時に他者からの批判の対象だという視点を忘れてはいけません。
 「政治への批判」は誰しもに認められる権利ですが、しかしそれは「批判されない権利」では決してありません。
 ここを日本のマスコミは勘違いしているんですね。
 自分たちが「批判」されると、それを弾圧かのように考えて主張し、それはワザとなのか何なのか分かりませんが、自分たちの身を守ろうとするのです。
 この態度というのは、完全な論点のスリ換えであり、的外れであり、なにより卑怯な態度でしかないでしょう。
 
 マスコミに対する批判があっても、言論の自由なんですから当然でしょう。
 それを弾圧かのように言う方が、よっぽどか言論の自由に対する弾圧です。
 そしてマスコミがこのような思考回路を持ち続ける限り、こういう国民からの突き上げは激しくなる一方でしょう。
 いま一番自助努力が必要な組織はマスコミなのです。
 



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