「政治的に正しい」とは?

 ひさしぶりにコメントレスをしたいと思います。
 コメントくださっている方には全てレスができていないコトをお詫びし、全てに目は通しているコトをお伝えして、感謝に変えさせていただきたいと思います。
 で、今回のレスはこちらのコメントについてです。
 

 非常に興味深い観点からの記事だと思います。
 確かに、地方自治を理由に基地問題を語るのはずれていると思います。
 
>沖縄の米軍基地問題は、外交問題であり国防問題でもある、完全に国が担当すべき課題です。
 
 その通りだと思います。
 地方自治と国のあり方の基本です。
 ただし、そのご意見は当然『国が間違っていない』ということが前提だとおもいます。
 もしもやえさんが、国(=現在与党である自公政権)が間違っていることはありえないと無条件で信じているいうご意見なのであれば、それはもう何も言うことはないのですが、これまでのログをよんで、まさかそんなことをおっしゃられる方ではないと信じているので、話を進めます。

 
 これは「こんなコトでは地方分権は達成できない-沖縄米軍基地移転問題-」の記事に対してのコメントです。
 スペースの関係上全文引用できていませんが、コメントは記事に行けば載ってますのでご覧ください。
 
 さてまずですね、やえのその回の文章の主題について、ちょっと認識の差があると思いますので、そこを指摘したいと思います。
 その回のやえの文章は、すごく端折って言ってしまうと「外交・安全保障の問題を地方が口を出すな」という一言に集約されてしまいます。
 実際のところは「地方分権が正しいなら」という前提条件付きですが、まぁ今回はそこを言い出すとややこしくなるので、とにかくその回の主題はこれというコトでお話をすすめます。
 つまりですね、国地と方公共団体がそれぞれ別の行政を行う上においては、完全に役割分担しているのであれば、地方が米軍基地問題に「口を出すコト自体が間違い」だという内容になるワケです。
 
 よって、地政学上どうこうっていうお話は、この主題については特に関係がないんですね。
 仮に地政学上間違いだった場合でも、しかしそれは国の問題として考えるべき問題であって、どちらにしても地方が口出しする筋合いの問題じゃないのであり、少なくとも「地方が口出しするな」という主張には一切影響を与えません。
 やえのその回の主張はここにあります。
 「地方分権が絶対正義なら、外交・安全保障の問題を沖縄という地方が口出すのはおかしいですよね?」と、そう言っている、ここを主題としているのです。
 別の言い方をするのであれば、移転の是非そのものについては、はじめから論点にはしていないのです。
 
 もうひとつ考えてもらいたい点があります。
 今回の問題で言えば「地政学上正しいのかどうか」という問題、すなわち「政治的に正しい」とする判断はどこにあるのかという点です。
 ちょっとここがこんがらがる場合が多いので、よくよく注意してひとつずつゆっくりと考えて貰いたいのですが、国民が国でも地方でも、その政策について疑問に思い意見や批判をするというのは正しい行為です。
 ですから、「その政府の意見には異論がある」と主張するコトは正しい行為です。
 しかし、「その政府の意見は間違っている。自分の意見が正しくて、それ以外に答えはない」と言ってしまうコトはできません。
 ここをよく間違えてしまう人が多いんですね。
 例えば集団的自衛権の問題についても、「自分は憲法違反だと思うから憲法違反なんだ。政府はいますぐ撤回しろ」なんてコトを臆面もなく言ってしまう人が結構いるワケですが、この主張の仕方というのは自分が絶対正義だと定義づけられた時だけに通用する主張です。
 でも現実にはそんなコトはあり得ないワケですよね。
 他の人の意見だって正しい可能性は常にあり、特に政治の場においては多くの人の意見の集合体こそが政策として実現される以上、「多くの人が支持する政策」はあったとしても、そもそも絶対正義なんていうモノは存在しないのです。
 
 この観点からしたら、「もしもやえさんが、国(=現在与党である自公政権)が間違っていることはありえないと無条件で信じているいうご意見なのであれば、それはもう何も言うことはないのですが」というのは、「政治的に正しい」というコトをちょっと間違えていると言わざるを得ないのです。
 この回のやえの主張は「外交安全保障の問題は国だけが判断すべき問題だ」というモノでした。
 この主題においては、「(基地移転の是非についての)国が出した結論」に対する、やえの個人的意見は全く必要のないモノです。
 そうでしょう、だってやえが基地に賛成だとしても、仮に反対だったとしても、「沖縄の選挙だけで基地問題が決定されるような言い方は間違っている」という主張にはなんら関係も影響も与えないのですから。
 もしやえが基地は最低でも県外と思っていたとしても、でも「地方が口を出す問題じゃない」という意見は、普通に並列的に成り立ちます。
 むしろ「やえは基地は反対だから、本来は沖縄が口を出すべきじゃないけど、目的の達成のために論拠を曲げてしまいましょう」なんて考えては、これはもうやえが普段から一番嫌悪している「目的のために間違った手段をとる」という手法に成り下がってしまいます。
 ですから、この「外交安全保障の問題は国だけが判断すべき問題だ」という主題においては、ひとまず国の方針については「政治的に正しい」と言える選挙の結果を反映した政府の決定を是とした上で、「外交安全保障を担当する国が決定しているのだから地方は口を出すな」という主張をやえはしているワケです。
 逆に言えば今回の問題が、地方分権が絶対正義の場合で、沖縄県に権限のある問題を国が口出すような問題だったのであれば、「(やえの個人的意見は沖縄県と真逆だけど)地方自治体が判断すべき問題だから、国は口を出すな」という主張になっていたコトでしょう。
 
 「政治的に正しい」と、「絶対的に正しい」は、イコールで結ばれません。
 なぜなら「絶対的に正しい」と全ての人間が結論づけられるモノは、神ならざる人間の身であれば絶対に判断できないからです。
 「自分が正しいと思う」のと「絶対的に正しい」は違うワケですよ。
 例えば日本が負けた大東亜戦争なんか、後年になってから神の座視にいるかのような視点で全体的に全ての情報を得た上で判断するのであれば、おそらく日本がアメリカに対して戦争に突入したのは間違いだったのでしょう。
 しかしそれはあくまで、歴史を見る目で見た時のお話です。
 当時その時その場にいた人間は、そんな視点では見れなかったワケです。
 いくら全体主義帝国主義だったとしても、それでも政府に関わる人間は何万人といたワケですし、その全ての人が全ての情報を同じレベルで共有していたなんてコトはあり得ないのであって、またそれぞれの立場の違いによって考え方は変わり、まして当時は国民世論もそれでも無視できないのが日本という国であって、そういうコトが積み重なった上でのああいう結論だったのではないのでしょうか。
 それを簡単には否定できません。
 いま我々が歴史を見る目で見れば確かにあの戦争は無謀な戦闘であり「絶対的に間違っていた」と言えるのかもしれません。
 しかしそれは「政治的に間違っていた」と単純に言えてしまうモノなのでしょうか。
 政治とは、その場に生きる人たちの総意によって動きます。
 資料や文字だけでは伝わらない、あの日あの時の熱や感情も政治には関わってくるのです。
 もっと簡単に言えば、「民主党政権は絶対的に間違っていた」のですが、「政治的には正しかった」のです。
 合法選挙で選ばれたのですからね。
 ここの違いはまず付けておく必要があるワケです。
 
 ですから、「外交安全保障の問題は国だけが判断すべき問題だ」という主張においては、「国(=現在与党である自公政権)が間違っていることはありえないと無条件で信じている」という問いかけは、ちょっと的外れなんですね。
 もしいまの安倍政権が非合法的に成り立っているのでしたらアレですが、そうでない以上は、国が正式に決定している以上、それは「政治的に正しい」のであって、であるなら「地方が口を出す余地はない」というお話になるのです。
 ここに、絶対的な正義を語る余地はありません。
 
 勘違いして欲しくないのは、国民として「その国の施策は本当に正しいのか」という部分に意見を言ってはならないとやえが言っているワケではないというコトです。
 それは「政治的に正しい」とは別の範疇のお話であって、「地政学的に正しいのか」という問いかけや議論は、それはどんどんやるべきだと思います。
 今回はそれが主題ではないですから、混ざらないようにやえは今回それについて触れませんが、それについて意見を言うというのは素晴らしいコトだと思います。
 ただし、その主張や議論は「外交安全保障の問題は国だけが判断すべき問題だ」という問題には、一切の影響を与えないというコトなのです。