「相手に付けいるスキを与えたから悪い」と批判する害悪
先日、安倍内閣が戦後70年談話を発表しました。
全文はこちらにありますので、ご覧になってみてください。
今日はこの談話の中身についてのお話ではなく、ちょっと別の角度から別の問題を語ってみたいと思います。
この談話、色々なところで論評されているワケですが、どちらかと言えば保守系には評価が良く、左翼系には評判が悪いような感じで語られているイメージです。
もちろん評価なんて人それぞれですから、それはそれでいいんですが、ただ中国や韓国のメディアも含めて、どんなモノだって批判しようと思えばいくらでもできるモノだという、これはひとつの証左とも言えるでしょう。
それは思想の左右を問いません。
自民党の稲田政調会長も「おわび」という文言が張ったコトに否定的なコメントを出しているようですし、やえも思想的に言えば、先の大戦の世界状況というのは植民地支配と植民地経営は合法だったのですから、大げさに言えばほんの僅かな後ろ向きな発言も必要はない、ぐらいには思っていたりします。
戦い方には賛否両論、いえ否定的な意見の方が多いでしょうけど、戦ったコト自体はなるべくしてなった、避けては通れない道であって、それを否定的に捉えるべきではないと思っています。
しかし思想的にはそうですが、政治的にはそれをキッパリと一刀両断できるモノではありません。
結局、おそらく高度成長期後の日本の総理としては最も保守思想寄りの安倍総理をもってしても、未だ日本が行ったのは侵略戦争であり、日本軍によって様々な人に苦痛を与えたという公式見解を否定できていません。
たぶん安倍総理の個人的な見解はまた違うのでしょうけど、しかし日本の内閣総理大臣というのは歴代内閣を全て背負った歴史の積み重ねの上にある以上、それを無視するコトはできないワケで、ですからそこも含めた公式見解を出さざるを得ないワケです。
過去の内閣だって国民の選択の上に成り立っているモノなのですから、それを無視するワケにはいかないのです。
そうした上で、今回の談話もこのような内容になっているワケですよね。
そうなれば、自然とバランスがとられるコトとなり、そしてバランスがとられるというコトは、左右の端の方から見れば見るほど距離が開くというコトに繋がりますから、その結果「付けいるスキが生まれる」というコトになるワケです。
もちろんこのように論理的に批判するならいいんですよ。
稲田政調会長にしてもキチンと「戦争の終結は(サンフランシスコ)講和条約がすべて。世界にあった日本の財産はすべて没収され、過酷とも言うべき賠償も払い、日本は国際社会に復帰した」と論拠を述べておられますから、正当な批判でしょう。
むしろこのような冷静な批判によって議論が積み重ねられて、果たして本当に日本が公式的に取るべき態度とはどのようなモノなのかという理解が深まっていくワケです。
でも世の中には、イチャモンでしかないような批判というか誹謗に近いモノもあります。
どうしても中身が気に入り気に入らないというコトだけで自らの態度を決める人もいて、どんな内容でも「安倍だから」とか「韓国が絡むから」とかいう理由だけでバッシングを始める人が、やっぱり世の中にはそれなりの人数いたりします。
その手の人たちにとっては、なんでもいいワケですよ。
とにかく相手がしゃべればどんな理屈であっても、それがこじつけであっても、正しくなくても、中身を読まず精査もしないままに批判をするワケです。
本来この手の誹謗でしかないような発言は、その存在自体を否定されなければならないのですが、残念ながら特に政治問題だと思想の左右を問わず、ただ「気に入らないから」という理由だけで、どちらもこの手の論法を使うので、なかなか無くなりません。
何度も指摘しているところですが、先日の世界遺産の件でも、日本政府の発言の中身をキチッと読まず精査せずに、韓国が絡むからという印象だけで大バッシングが起きましたが、そこでよく聞かれた理由が「相手に付けいるスキを与えたから」というモノでした。
意味が分かりません。
今回の70年談話だって韓国や中国のメディアは批判的な内容の記事を出していますが、そりゃ何にだって噛み付こうとする人間は、何をやっても噛み付きますよ。
だったら噛み付いたという事実だけを論拠にして批判して、それが何になるっていうのでしょうか。
むしろそんな「相手の付けいるスキを与えるから悪い」と言って批判する行為は、結局はその相手の尻馬に乗って、その相手と同じ立場に立つコトにしかなっていないんですね。
なぜこの矛盾に気がつかないのでしょうか。
なにより、その愚かな行為によってほくそ笑んでいるのは、何よりその相手でしょう。
批判するな、とは言いません。
批判するなら中身をもって批判すべきなのです。
しかし「相手に付けいるスキを与えたから悪い」というのは、全く内容を見ていないんですね。
見たくないのか、理解する能力が欠如しているのかは分かりませんが、「嫌いな相手が反応しているから反応した」という、全く理屈にならない批判にしかなっていないのです。
こんなの批判というか誹謗中傷ですね。
どんな内容であったとしても噛み付く人間がいる以上は、噛み付いたという事実だけをもって反応しても全く無意味なのに、内容がない噛み付きにさらに内容のない同調を加えて、いったい何が生まれるというのでしょうか。
談話を出すにしても、コメントを出すにしても、原発を再稼働させる、法案を成立させる、なにするにしても批判は付きものですし、その中には内容も何もないただの噛み付きでしかないモノも多数あります。
しかしそんなモノにいちいち付き合っていてはキリがありません。
そして何より一番問題なのは、そういう行為に萎縮して何も出来なくなるコトなのではないのでしょうか。
問題を解決するためにはどう行動しなにを発言すべきか、冷静に考えて貰いたいところです。
ディスカッション
コメント一覧
>>匿名*3
話が全く通じてない・・・すげえw
↑なら集団的自衛権が行使できるようになったら
真っ先に責任取って自衛隊に志願してね
当然やえたんも
S.S 様へ
当時の世論が少なからず参拝反対に傾ていた世相でしたからねぇ・・・
江沢民元主席の謝罪要求騒動や日韓WCの韓国の蛮行を経験していたからこそ
小泉政権時代では「靖国問題なんてどっちだって良いや」って意見が多くなったけど
あの頃は「日本が他国に配慮するのが当たり前」って空気が少なからず存在しましたからね
恐らく当時の空気感で靖国参拝しろって言ったら極右扱いされるでしょうね
まぁ自分も政治的な決断として世論を無視してでも参拝を続けるのが正しかったと思ってます
さらに言えば政治は結果責任なので問題が深刻化した責任は当然とるべきだと思います
ただやえちゃんがいつも言ってるように国民も当然責任を取るべきだと思いますね
まぁ非自民党政権の反省もまともにせず民主党政権を誕生させた辺り責任を取らせるのは難しいと思いますが
とはいえ、例えば中曽根氏が靖国参拝を政治的に取りやめたことはどうなのでしょうかと思う次第です。
あれとて朝日新聞の「御注進」に屈しさえしなければ神社一つで国民的議論にならずに済んだ(済んだかもしれない)ものを、所謂特定アジアやサヨクに付け入る隙を与えたから今のような有様に、と考えるのは不肖だけではないかと。