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2016-07-27

自分の主張と相手の主張と論拠


 今日はごく普通の、当たり前のお話をしたいと思います。
 
 やえはサイトやブログで様々な主張をしています。
 例えば「憲法は改正すべきです」と主張しているとしましょう。
 
 それに対し、やえ以外の別の人が「自分は憲法改正に反対です」と、自分のブログなどで主張するのは、これは普通の行動ですよね。
 誰にも咎められる行為ではありません。
 またその際、もしやえの文章を引用して反論されているのであれば、それに対しやえも再反論をするコトもあるでしょう。
 そしてさらにそのやえの再反論に、さらに反論するコトだってできます。
 議論とはこうあるべきですね。
 これらは誰にも咎められる行為ではありません。
 
 しかしこういう言い方は違います。
 
 「やえ十四歳は改憲意見を主張してはならない」
 
 ハッキリ言って、こんな言い方されても、どういう根拠でそんなコト言わなきゃいけないのですかと、改憲論以前の問題として言わざるを得なくなります。
 もっときつい言い方するなら、「アナタにそんなコト言われる筋合いはありません」となります。
 
 これがもし「14歳はブログを書くことを禁止する」という法律があれば別です。
 すなわち「14歳禁止法により、やえ十四歳は意見をブログで主張してはならないコトになっている。よって改憲意見を主張してはならない」という論立てでしたら、筋は通りますし、主張としてもわりと正当なモノとなるでしょう。
 つまりこの場合は、「法律がある」という論拠があるからこそ、「主張してはならない」という論が成り立つんですね。
 そもそものお話として、どんな論や意見や主張だとしても、一番大切なのは「論拠」なのです。
 
 お話を現実世界に戻すと、つまり「14歳禁止法」なんて存在しない世界のお話に戻しますと、少なくともやえに対して「自分の意見を書くな」とか「改憲論を主張するな」と他人が言える論拠はありません。
 それはいくら自分が憲法改正に反対という意見であったとしても、「主張するな」という意見の論拠にはなり得ず、まったくその主張に正当性はありません。
 それこそ「アナタにそんなコト言われる筋合いはありません」であり、さらに第三者から「他人の口を塞ぐようなコトを言うな」と批判されても仕方ないでしょう。
 
 「やえは改憲論を主張するな」という主張は、それは実際は「憲法論議」なのではなく、「やえの行動に対する口出し」なんですよね。
 「やえは改憲論を主張するな」という主張の主論は「やえの行動に対する口出し」なんです。
 よって、この主張の論拠はあくまで「やえの行動に口出しできる理由があるかどうか」なのであり、憲法に対する意見というモノは実は一切関係がないのです。
 ここを間違えてはいけません。
 全ての意見は、その主論と論拠の関係が適切に成り立ってこそ、初めて論として成り立つのです。
 これが成り立たない意見は、それは意見ではなくただの罵詈雑言、つまり悪口でしかありません。
 
 まぁ当たり前のお話です。
 当たり前のお話ですから、もちろんここの登場人物がやえではなく国会議員だってこれに当てはまります。
 いえ、国会議員の方がより明確だと言えるでしょう。
 
 なぜなら、国会議員ひとりひとりの意志とは、明確に採決という形で目に見えるからです。
 つまり仮に改憲に賛成か反対かで採決が行われれば、全ての国会議員は国会において賛否を明らかにして投票が行われるワケで、この「国会議員1人につき1票」を投じる投票の行動については、誰にも咎めるコトのできない、いや本来は咎めてはならない行為ですよね。
 だって民主主義の根幹じゃないですか、国民の代表たる国会議員の投票なんですから。
 ですから、いくらその議員がどんな思想を持っていたとしても、他の議員の行動を縛るような言い方をしてはなりません。
 
 「自分は改憲に反対だから、お前は改憲を検討してはならない」
 
 どれだけ独善的な発言なのでしょうか。
 よく他人をヒトラーに例える人がいますが、この発言こそ独裁者の発想だと言わざるを得ません。
 
 国会議員には憲法や法律などにより、その権限が明確に定められています。
 国会内でどのようなコトが出来るのか、それは全て憲法や法律などが根拠となって、その権限が与えられています。
 それは憲法改正でも同様です。
 今さら説明しませんが、憲法法律などにより国会議員は憲法を改正する発議を行うコトが許されていると明記されている以上、国会議員のその行動を咎めるコトができる人間はこの世にはいないのです。
 もちろん成否は別ですよ。
 改憲できるかどうかは、これも憲法法律などによって定められていますから、その方法に乗っ取って、改正発議に是となれば発議は成功ですし、非となれば失敗となります。
 ですから是か非かどちらに投票するかは国会議員の自らの判断ですが、それと同じように、「発議にかける」という行動そのものもについても、それを咎めるコトなんて誰にも出来ません。
 憲法改正の発議の手続きを進めるコトと、その結論を出すコトは、それらは別々の行動であり、それぞれについて憲法法律によって定められている方法で進めるべきであって、そしてそれらも別々に、行動に対してそれを咎める権利は誰にもありはしないのです。
 
 もちろんですが、「むこうは改憲へ動いているが、我々は憲法改正には反対だ」と主張するだけならいいんですよ。
 そして投票の際に反対票を投じるのも、当然の権利でしょう。
 しかし、他人の行動を縛るような言い方をするのは、全くもって正当性のない言動です。
 それは決して「憲法改正論議」ではなく、「他人の行動を縛る」という主張でしかありません。
 そしてその主張に論拠は無いんですね。
 ここをごちゃ混ぜにしてはいけません。
 「自分は改憲に反対だ」という主張と、「改憲に動くコトは許されない」という主張は、これは全く別の主張なのです。
 ここをごちゃ混ぜにしてはいけないのです。
 
 論とは結論の部分ではなく、論拠こそが核心です。
 論拠があれば結論に説得力が生まれ、論拠がなければいくら結論がシッカリしていても論とは呼べません。
 落書きです。
 こんなコトは、本来は言うまでもない当たり前のコトなのですけどね。
 

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