男系の系統は不断の努力で繋がれてきた

 さて、前回太字で書きました皇統の基本について、「1.女性天皇の例はあっても、女系天皇の例はなし。一度たりとも例外は存在しない。」については、もう調べれば事実かどうか分かると思いますので、解説は不要でしょう。
 初代神武天皇から125代今上天皇までにおいては、女性天皇は8人10代(つまり2人は2度目の即位をされています。これを重祚(ちょうそ)と言います)いらっしゃいますが、女系天皇は一人として存在しません。
 これは誰にも変えられない事実です。
 
 よって今日は、「2.男系の系統はたまたま繋がってきたのではなく、当時の人々の不断の努力で繋がれてきた。」について解説しようと思います。
 
 たまにある誤解で、昔は側室制度などもあったために、そう難しくなく男系を紡げてきた、つまりたまたま男系で受け継がれてきただけであって、男系でなければならない理由は無かったと言う人がいるのですが、これは大変に誤解です。
 最も分かりやすい例が継体天皇でしょうか。
 第26代天皇の継体天皇は、先代第25代武烈天皇から見て、血筋はかなり遠い人です。
 こちらの図を見て頂けると分かると思いますが、継体天皇は「応神天皇5世の孫」であり、もちろん天皇の血筋ではありますが、先代の25代と26代の間にはもう一言では間柄を表現する言葉が無いくらい遠い関係での天皇の継承が行われました。
 そもそも今でも議論があるように、継体天皇の「応神天皇5世の孫」というコト自体に疑問があるぐらいの微妙な継承だったようですが、その議論は端に置いておくとしても、この事例で少なくとも確実に言えるコトは、「男系は簡単だから受け継がれてた」という事実です。
 むしろ「確かに近親者」よりも「不確かだけど男系の血筋」に継承が行われたという事実こそを重く見るべきです。
 
 つまり「男系でなければならなかった」と言えるワケです。
 だってもし「男系でなくてもいい」という認識が当時の天皇や朝廷・貴族、また一般国民の間にあったとしたら、こんな遠くの血筋の人を天皇に即位させる必要なんてなく、例えば武烈天皇の姉妹(姉妹は男系ですから問題ありますが、おそらく次が続かなかったのでしょう)とかに継がせてもよかったのではないのでしょうか。
 でもそうせず、もはや他人と呼べるような間柄の人(5代前に分かれた親戚の人と付き合いのある人って果たしてどれだけいるでしょうか)をわざわざ後継として天皇を継承したというのは、もはや「男系が絶対のルール」として存在していなければ説明が付かないワケです。
 
 そしてこれは継体天皇の1例だけではありません。
 
 こちらの図をご覧ください
 そして46代孝謙天皇と47代淳仁天皇の間柄を見てみてください。
 こちらも一言では続柄を表現できない遠い遠い親戚関係です。
 さらに48代称徳天皇(46代孝謙天皇と同一人物です)と49代光仁天皇の間からも、異母姉妹の夫という以外、血筋という意味では全くかけ離れた親戚関係の間で継承が行われています。
 むしろ異母姉妹とのご成婚は、この継承を円滑に進めるためのモノだったと言うのが実際のところでしょう。
 この「強引な継承」も、全ては「男系こそが絶対のルール」だからこそ行われたモノなのです。
 そう言わなければ他に説明は付かないのです。
 このように、これまでの天皇は何度も「継承の危機」を迎えつつも、絶対に男系継承だけは守りながらなんとかかんとか現代まで紡がれてきたのです。
 
 女性天皇は存在した上で、しかし継承は100%男系のみで受け継がれてきた、そしてそれは決して安易な道のりでは無かったという「事実」を見た時に、それでも「男系というルールなんて存在しない」と言ってしまう方があまりにも現実離れした考え方だと言わざるを得ません。
 合理的理由は一切ないのです。
 事実は、古代の時代から天皇とは「神武天皇の男系の血筋でなければならない」と明確な意志を持って継承されてきたし、だからこそ明治になってからの“憲法・法律の時代”になった際に改めて明文化されただけに過ぎない、と表現するのが適切なのです。
 
 
(つづく)