国民が国民としてできるコト、やえがやってるコト

 ネットが発達して、これまで縁遠かったモノが近く感じられるようになったからかもしれませんが、最近、結果が伴わなければ全て無意味だと、しかもそれは最後の最終目的だけが1か0かの1しか認められないんだ、あとは全て0なんだと言わんばかりの考え方が横行してしまっているような気がします。
 そしてさらに悪いコトに、「どうせ0なんだから何か行動するのは無意味だ」「むしろ行動しない方がいい」という極論を正しいと思い込んでしまう人も増えてしまっている気がします。
 もしくは「1のためには過程なんてどうでもいい、手段もどうでもいい、1を達成するだけが正義だ」と思い込んでいる人ですね。
 これって思想の左右や内容に関わらずこういう人がいるワケですが、しかしこれ、ハッキリ言って大変に危険な考え方なんですね。
 
 やえがなぜこのようなサイトを続けているのか。
 それは、端的に言えば、「他の人に影響を与えたい」からです。
 やえの考え方を提示し、それを知ってもらうコトで、それがどういう方向にかというコトはともかく、何らかの影響を与えられると信じて、もう長年こういうサイトを続けているのです。
 例えば同調してもらう、議論や考えるキッカケにしてもらう、時には反論や反発もあるでしょう、でもそれも含めてそれは「他人に影響を与えている」ワケです。
 やえの文章があるからこそ、これまでとは違う考え方が新たに生まれているのです。
 これがやえの目的です。
 
 他人に影響を与えるってすごいコトだと思うんですよ。
 いまはもう色々あって更新が週に一回になってしまっているので、だいぶアクセスも減ってしまっていますが、一時期は1日に2000アクセスぐらいあって、いまでもまぁ150~300アクセスぐらい、トータルでどうですかね300~500人ぐらいの人は読んで頂いているんじゃないかと思っていますが、それだけの方に「やえの考え方を伝えられている」「他人の思考に刺激を与えている」「新たな反応を生んでいる」ワケです。
 やえはこれを無意味だとは思いません。
 もちろんもっと多くの人に読んでもらい、もっと多くの人に影響を与えたいとは思っていますし、そうなっていないコトについて努力不足を指摘されるのであればその通りですとしか言えないんですが、ただ現状が全て無意味かと言われると、それは否定します。
 少なくとも、「他人に(その人に)影響を与えている」という結果は出ているワケですしね。
 
 そしてそれは民主主義の精神に合致します。
 デモの時に散々言ってますが、デモという少数者によって直接政治家の考え方を変させるという行為は、民主主義ではありません。
 繰り返しますが、デモというのは少数者ですからね、いくら1万人集めたとしても、1万人なんて有権者からしたら少数者でしかありません。
 よってシールズとかそういう人達のやっているコトは、民主主義にとってはかけ離れたコトでしかないんですね、国会を取り囲むコトで、その場だけの見た目の数の力、すなわちその場の威圧感という暴力で政治の結果を変えようとしているのですから。
 つまりやってるコトはテロリズムとそうは変わりません。
 もし恐怖に訴えていないというなら、デモではなく署名を集めなさいと言うしかないワケで、これと同じように、もしやえに「直接的に政治家を動かしていないだから、全く無意味だ」と言うのであれば、それはやえに対してテロリストになれと言っているのと同義だ捉えざるを得なくなってしまうワケです。
 
 もし国会前でずっとやってるデモの人達をもって「行動している」、それ以外での媒体での言論活動は「行動していない」と言っている人に言いたいです。
 むしろ国会前で政治家に向かって罵声をどなりちらしている人達こそ、何も行動なんてしていない人達ですと。
 あの人達は、「国民に理解される努力」から逃げているだけでしかありません。
 楽な方向に楽な方向に逃げ、そして結果的にテロリストと同じ思考になってしまっているのです。
 彼らは何も行動なんてしていません。
 
 これもデモ批判の時に言ってますが、国民に向かってのデモなら、まだ意味はありますし、民主的です。
 どうしてもデモになると「見た目の数の多さによる圧迫感や恐怖感」というモノが付きまといますので、やえはデモ自体を肯定的には捉えられないのですが、それでも国民に向かって訴えかけるのであれば、それは政治活動や思想言論活動として認められるモノでしょう。
 国民が国民に訴えるコトによって、国民の主体的な意志によって政治を変えていくという、民主主義の精神に合致しているからです。
 そしてそれは古今東西様々な媒体によって行われてきました。
 デモもまぁそうでしょう。
 街頭演説や新聞雑誌などを通じての言論活動、テレビやラジオなども有効な手段ですし、明治や大正、昭和初期にはいわゆる同人誌も重要な言論の媒体だったワケですし、サロンとかで意見を交わし合うのも言論活動の一環と言えるでしょう。
 また口コミやミニ集会など、世間ではあまり注目されない媒体でも、立派な言論活動です。
 政治とは、こういう様々な「国民の意見」を積み上げたモノの結果であり、もしこれらの1つでも「直接動かせないから無意味だ」と言うのであれば、もはや「民主主義は無意味だ」と言っているコトにしかならない言えるでしょう。
 選挙だって結局は、国民一人ひとりの一票一票の積み重ねなんですからね。
 
 そしてネットとは、その媒体を誰でも手に入れるコトができる、素晴らしいツールなのです。
 
 テレビも新聞も雑誌も同人誌も街頭演説もそしてネットも、やっているコトの本質は何ら変わりません。
 すなわち、他人が他人に、国民が国民に影響を与えるってコトです。
 言わば結果的に見ている人が多いか少ないかの違いでしかなく、しかしテレビも新聞も法律で見るコトを義務づけられていないモノでしかなく、事実新聞も部数低下が、テレビは視聴率低下が近年顕著のように、見ている人が見るコトを主体的に選択している以上は、どれも本質はどれも全く変わらないんですね。
 テレビも新聞もネットも、誰かに強制されて読んでいるんじゃなくて、自分の意志で読んでいるのですから。
 ネットをよく使っている人こそが、この素晴らしいツールを信じなくてどうするんでしょうか。
 ネットがなければやえは他人に影響を与えるなんて活動をするコトはできませんでした。
 ネットがあるからできるんですし、それはやえに限らず全ての人ができるのです。
 それをネットを活用する人が否定してどうするのでしょうか。
 
 例えば今回の皇室典範のお話にしても、もしやえの主張が受け入れられるモノであれば、それをさらにそのまま自分のブログでもTwitterでもいいですので広めて貰えれば、やえもアナタも目的が合致するワケです。
 もちろん反論があれば行って貰って構いません。
 しかし、「政治家を動かせないから無意味だ」と言うのは、それこそ全く無意味だと断じざるを得ません。
 そんなコトして、いったいぜんたい何になるのですか?
 あるとしたら、やえの言葉を遮って男系断絶に持って行こうとする方向にでしょうか。
 もし本当に男系断絶に危機感を覚えている方でしたら、未だこれだけのアクセスしかない力不足甚だしい当サイトだけにするのでなく、アナタの力も併せて、もっと多くの人にこの考え方を広めていってほしいと思うのです。
 もちろんそれは、ご自身の考えとして昇華して頂き、ご自身の意見として文章にしてもらっても構いません。
 やえの意見を提示し、その人が考えるキッカケとなって、さらにそれをネットなどの公の場に提示するコトで、さらに多くの人が男系断絶に危機感を覚えたのであれば、それはやえの本意です。
 そしてなにより、政治はそうやって動かすべきモノなのです。
 
 やえは「国民が悪い」とは言いませんが、「国民の責任だ」とは言っています。
 民主主義とは、「みんなで決めて、みんなで責任を負う」という制度ですから、政治の結論の責任を負うのは国民です。
 例えば民主党政権の誕生と、それに伴う様々な失敗も、その痛手を負うのは国民であり、これは当然の帰結だと言うしかありません。
 民主主義の制度によって生まれた結果なんですからね。
 そしてその結果は、国民全体で負わなければなりません。
 
 やえは、神武天皇家が存続できるあらゆる方策を採るべきだと思っています。
 新しい王朝は不要だと言いませんが、いまは神武天皇家の存続のコトだけを考えるべきだと思っています。
 しかし残念ながら、そう思わない国民も実のところ結構いるというのが実際のところでしょう。
 実際当サイトにもそういう方向に持って行きたいと思っている人がコメントしているっぽいですし。
 であるなら、残念ながら「国民の意識が全く低くない」と言ってしまうのは、なかなか実情とは違うのではないのかと判断せざるを得ません。
 いえ、意識自体は低くないのかもしれません。
 でもそれは「神武天皇家最優先論」が国民の多くに浸透しているとは全く言えない状況でしょう。
 こういう現状を目の当たりにした時、「政治家が動かないのは、国民との意識無視しているのであり、責任は政治家だけにある」とは決して言えないと思います。
 
 もし「神武天皇家の存続が最優先だ」という意見が大きな批判もなく受け入れられる状況になれば、必ず政治家はその方向に動くと思いますし、もしそれで動かなければ「国民との乖離」という意味で政治家を批判すべきでしょう。
 その際にはやえも批判すると思います、誰の政権であったとしても。
 でも今はそうじゃないんですね。
 実際やえが何回かここで問題提起しただけで、こんなにも反発がでる始末。
 もしいまが、「そうだそうだ、まずやれるコトをやってからにしろ」「神武天皇家と新しい天皇家は別モノだ」「なぜ出来ることがあるのに、それすら蔑ろにしようとする言説があるんだ」という言説ばかりのような状況であれば、政治の動きも全然違うコトになっていたと思いますよ。
 でも実際は全く違うじゃないですか。
 少なくとも、コメント欄でやえに反発しても「神武天皇家の存続」への後押しには1ミリたりともなりはしないですよ。
 
 皇統問題に限らず全ての政治問題は、結局は「国民一人ひとりがどう思うか」なのです。
 民主主義なんですから。
 手前味噌ですが、数年前の人権擁護法案の時は、当サイトはかなりの影響を発揮し、現実問題に対して大きな力となったとコトは、こういう活動をする上で自負を持っています。
 でもこれも、別にやえがこれまでの活動と違い何か特別なコトをしたワケだからじゃありません。
 裏で人を先導したり、動員をお願いしたり、どこかでお金を掛けて宣伝したとか、そんなのは全くしていません。
 ただあの時は色々なタイミングによって当サイトを「多くの人が読んでくれた」「多くの人が影響を受けてくれた」だけなんですね。
 ですから、この問題について「アクセスが少ないじゃないか」というご批判でしたら、やえの力不足というコトでごめんなさいです。
 ただし、「何もやっていない」と言うのでしたら、それは的外れですよと言うしかありませんし、「何も結果は出ていない」と言うのでしたら、それは違うと言うしかありません。
 もし内容に反論があるなら中身を持って反論をお願いします。
 そうでないなら、アナタこそ言うべき相手が違うのではないですかと言わざるを得ません。
 
 思想言論なのに、「身体を動かしているから動いている」「文字だけだから動いていない」というのは、まさに矛盾そのものでしょう。
 思想言論とは、「何を思うのか」「どう考えるのか」です。
 身体を動かす必要はありません。
 他人に「どう考えるのか」という部分に、何パーセントかでも影響を与えるコトができたら、それはやえがサイトで文章を書いたという行為に意味があったと、少なくともやえはそう信じています。
 それこそが思想言論活動のハズなんですから。
 
 人権法の時をはじめ、過去何度かネットが実際の政治に影響を与えたコトがあります。
 だたそれを「ネットというひとつの個体」が動いたという見方をしては本質を全く見誤ります。
 実際は、「ネットという媒体を通じて、国民個人個人がそれぞれ主張し合った結果」として、その声が政治を動かしたのです。
 どこか「国民」というモノを、得体の知れない一つの個として見てしまってはいませんか?
 しかし国民というのは、自分も含めた個と個でしかないのです。
 だからこそ、自分も含めたその個に責任を持たなければなりませんし、何か主張があれば、その個にどう影響を与えられるかを考えるべきなのです。
 この世の中は、悪の秘密結社があるような、たったひとつの意志で動くようなフィクションの世界ではないのです。
 特に民主主義は個の集まりによって形成されているのです。
 だからこそやえは、その個に対して訴えるコトによって、より良い世の中になればいいなと願いを込めているのです。
 
 ごめんなさい、なんだか長くなっちゃいましたね。