原爆忌と核禁止条約

 8月6日には広島に編まれた身としては忘れられない、原爆が投下された日です。
 原爆によって犠牲になった全ての人に哀悼の誠とお見舞いを申し上げます。
 
 今年は、やはりというかなんというか、核禁止条約についてがピックアップされました。
 詳しくは説明しませんが、先日100カ国以上の国々で締結された核兵器を禁止する条約について、日本はこれに参加しなかったコトに対する反応です。
 これについてはやえは何度もここで取り上げてきました。
 一言で言えば、今のところの枠組みでのこの条約は「自己満足」にしかなっていません。
 なぜなら、核兵器を持っていない国だけで禁止条約を結んだところで、締結国は核兵器を持っていないのですから、現実的に何ら変わらないからです。
 ましてその上、この条約ができたコトで、一番肝心な核保有国が態度を硬化してしまっているという悪影響まで出てしまっています。
 この条約によって「核なき世界」がむしろ一歩遠のいた、というのが現実だと言えるでしょう。
 
 この問題、あまりにも是か非かの単純比較だけでの感想の垂れ流しだけになってしまってはいないでしょうか。
 もし単純に「核禁止条約を締結すべきだったか」という聞き方をすれば、そうすべきだと答える人の方が多いとは思いますが、それは締結した時のデメリットを全く考えていないから、いえ、デメリットが存在するコト自体を知らないからだからと言えるんだと思うんですね。
 例えば「米国におもねった結果だ」と言う人がいますが、では憲法と自衛隊の装備からして日本は他国の軍隊に比べて遙かに手足を縛られている状態になっているのに、その現実を無視して米国を無視した進め方をして本当にそれでいんですかっていうのは、現実問題として考えなければなりません。
 「米国に配慮すべきか」と聞かれれば、する必要がないと答える人の方が多いとは思いますが、それもやっぱり、デメリットを現実的に考えていないからの答えでしかないでしょう。
 米国の意見は聞かなくていい、米国に不利益を被ってもいい、他の核保有国の態度を硬化させてもいい、非保有国だけでの形だけの条約になるけど、それでも締結すべきだった、と本当に言えるのかどうか、この問題はキチンと現実的に考える必要がある問題なのです。
 
 この件について、マスコミは相変わらずですが、卑怯な態度を取り続けています。
 日本が上記のような理由で参加しなかったコトを政府はずっと説明し続けているのに、マスコミはただただ被爆者団体などの感想を垂れ流しているだけです。
 例えばこんな記事です。
 

 被爆者「満腔の怒りで抗議」 核禁止条約に首相触れず
 
 核兵器禁止条約の歴史的採択から初めて迎えた、広島原爆の日。しかし安倍晋三首相は6日の平和記念式典で、条約には一切触れなかった。唯一の戦争被爆国として、核廃絶で世界をリードする覚悟と戦略は日本政府にあるのか。平均年齢が81歳を超えた被爆者は、不信と怒りを募らせる。

 
 善し悪しじゃないんですよね。
 被爆者が何を言ったか、だけなんですよね。
 もちろん被爆者の方が何を言うかというのは自由なんですが、結局マスコミ紙上はその垂れ流しに終止しているんですよ、この件は。
 そうじゃなくて、マスコミなら検証してくださいよと言いたいのです。
 この条約ができたら世界はどうなるのか、日本が参加していたらどうなっていたのか、参加しなかったらどうなったのか、そういう検証を行い、それを広く伝えるのがマスコミの役割なんじゃないんでしょうか。
 国民はその上で政治に対して判断を下すのですから。
 
 まして、ましてですよ、決して被爆者団体の意見が広島市民全員の声を代弁しているワケではありません。
 むしろこの手の団体の常で、それなりに一般人からは乖離していると言ってもいいぐらいです。
 それなのにさも広島の代表、国民の代表かのように扱い、彼らの主張だけが正義だと言い張るような報道は、果たしてマスコミとして本来あるべき姿なのかどうか、大変に疑問に思うところです。
 
 結局この問題すら、倒閣運動・自民党批判の材料としか思っていないんじゃないかと感じるしかありませんし、もしそうであれば、広島で生まれた身としては、こんな腹立たしいコトはないと言うしかありません。