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2017-12

主権者の責任


 さて、今年最後の更新となりますが、最後は民主主義における主権者たる国民の責任についてお話ししたいと思います。
 とりあげるのはこちらのニュースです。
 

 慰安婦合意の変更、河野外相「断じて受け入れられない」
 
 日本政府は27日、従軍慰安婦問題に関する2015年末の日韓合意を巡り、元慰安婦の意見集約が不十分だったと結論付けた韓国政府作業部会の検証結果を受け、警戒を強めた。河野太郎外相は談話を発表し、合意の変更は「断じて受け入れられない」と表明。韓国に合意の着実な実施を求めた。日本政府関係者は「日本の立場は微動だにしない」と強調した。

 
 中身について言うコトはありません。
 これは当たり前のコトです。
 では何についてのお話なのかと言えば、これに対する反応についてです。
 とあるまとめサイトでこんなコメントを見かけました。
 

 岸田だったらやばかったな

 
 もちろんこれをもって国民全体がこういう論調だと言うつもりは毛頭ありません。
 こんなコト思うわけないじゃんっていう人は、今日はもう読んでいただかなくても大丈夫です。
 その上で、こういう国民もいて、そしてこういう国民こそが民主主義と日本を壊す存在だと批判しておきたいと思います。
 
 日韓合意を結んだのは岸田文雄外務大臣です。
 もちろん総理大臣は安倍さんですから、安倍さんの功績もありますが、直接韓国に乗り込んで細かい文言の調整をして合意をさせたのは岸田さんです。
 まずこの合意について評価すべきは岸田さんであって、政治は結果責任だとやえもここでよく言っているところですが、つまりそれは結果を出したのであればちゃんと評価してこそであるワケでして、それなのにこういった明確な結果や功績を出しているのにも関わらず、なんとなくのふわっとした印象だけで政治家を評価するというは、これはまさに衆愚政治そのものだと言わざるを得ないでしょう。
 責任だなんだと言っているくせに、それを単に批判の材料にしかしていない人というのは、まさに政治を悪くしている原因そのものです。
 
 河野太郎外務大臣の「受け入れられない」は当然の反応です。
 政府としての合意なのですから、当時の当事者でなくても政府の立場として合意を守るというのは、評価するしないの次元の問題ではなく、至極当然、政府というか組織という存在そのものの根幹に関わる当たり前のコトでしかありません。
 やえは河野外務大臣は嫌いではありませんが、この件に関しては、特にプラス評価になるようなコトはなんらしていないと判断するしかありません。
 当然のコトを言っているだけだからです。
 
 例えを出すまでもないかもしれませんが、例えば河野洋平官房長官談話だって安倍総理は一貫して「踏襲している」と国会の場で言い続けています。
 これも、河野洋平さん個人の励んではなく「政府としての発言」だったのですから、政府としては当然の発言なのです。
 よってこれも評価の対象にはなり得ない、当たりの前の行為だと言うしかないんですね。
 評価するなら、まさに実際の行動した内容や行動した人をすべきなのです。
 
 今回のこのコトで一番強く言いたかったのは、まさに「反省しない国民」の最たる例だからです。
 
 あの日韓合意とは何だったのかと言えば、韓国に対して「日本は約束を守った。韓国はどうなんだ」と国際社会に主張するコトによってデタラメな主張を封じ込め、また同時に日本国内においても右から左まで広い範囲まで無用な論争を終わらせる一打になったという、かなり広く強い“くさび”だったんですね。
 これほど効果的な政治的決定は近年なかなかありません。
 だって結局いまですら「韓国は合意を守れ」と、たったこれだけで日本の主張は堂々と国際社会に向かって正当性を訴えるコトができているワケですし、合意をする前は韓国の主張に同調していた日本国内の左翼関係の人達も、日韓合意によってもはや主張するコト自体が難しくなってしまっています。
 韓国自身も、合意が自らを縛る鎖となっているからこそ今大混乱をしているワケですよね。
 合意を結ぶ手法も、テレビの前で生中継をするコトで全世界を証人にするコトで、もはやごまかしの効かない二国間の合意になったのです。
 日韓合意前と後とでは国際社会も日本国内も明らかに雰囲気が変わりました。
 これはまさに政治家の行動によって、結果によってもたらされたコトです。
 岸田さんは「宏池会の伝統は自由や多様性を重視する勢力であり、徹底した現実主義を貫く立場です」とおっしゃっていますが、一部だけの人間に打撃を与えるのではなく、広範囲に理性的に納得させる方法によって政治的決定をもたらした、まさに宏池会らしい岸田さんらしい歴史に残る合意だったと言えるのではないのでしょうか。
 
 でも、日韓合意が結ばれた直後の評価は二分されていた、いえ、日本政府や岸田外相への批判の方が圧倒的に多かったというのが事実です。
 やえは直後に日韓合意についての文章をここに発表し評価する旨を表明しましたが、だからこそよく覚えています。
 直後は圧倒的な批判の数であり、またもはや罵倒としか言いようのない言葉もかなり多く見受けられました。
 
 もちろんですが、合意直後と今とでその内容は全く変わっていません。
 内容が変われば評価が変わってもおかしくありませんが、内容が変わっていないのに評価が変わるというのは変なお話です。
 あの時あれだけ岸田外務大臣を罵倒していた人達はいったいぜんたいどこに行ってしまったのでしょうか?
 いま日本が「合意を守れ」と言うだけで自らの立場を国際社会に堂々と明確に単純に主張できているのはこの合意があってこそであり、日本にとって大きな利益になっているワケですが、あの時これを批判し罵倒していた人達は、その時の行動をどう考えているのでしょうか。
 明らかに比率からして「当時は日本と岸田外務大臣を批判していたけど、いまは合意を盾に韓国だけを批判している(結果的に合意があって良かったと思っている)人」がいると思いますが、それは無責任そのものの行動なのではないのでしょうか?
 
 行動し結果を出す人間を適当な印象だけで評価すれば、結局残るのは口先だけの政治家だけになります。
 そしてこれって日本国民はすでに身をもって体験しているハズです。
 民主党政権です。
 民主党政権を誕生させたのは、誰でもない、国民自身の手によってです。
 これについては絶対に他人のせいにしてはいけません、主権者たる国民こそがこれを反省しなければならないコトです。
 日韓合意だって、当時散々罵倒や批判した人が多かったコトをキチンと反省しなければ、また同じ過ちを繰り返してしまうコトになりかねませんし、またそれは、政治と政治家の質の悪化を国民の手によって招いているコトにしかならず、それは日本の破壊に繋がっていると言わざるを得ません。
 国民は主権者だからこそ、反省しなければなりません。
 有能な政治家をつぶし、口先だけの無能な政治家だけらになったとしても、それは国民自身の手によって生み出した状況だと言わざるを得ません。
 
 繰り返しますが、岸田さんに対してこんな風には全く思っていないという人には関係のないお話でしたが、ただこんな短絡的な人間も実際にいて、こういう人間こそが政治と日本を悪くしているというコトを理解してもらいたくて、今年最後の更新となりました。
 民主主義政治は国民によって作られているモノです。
 国民こそがそれを自覚しなければならないと、やえはそう思っています。
 
 今年も一年お世話になりました。
 来年もどうぞよろしくお願い致します。
 

議席数に応じた割合が“基本”


 ごめんなさい、ちょっと色々忙しくて空けてしまいました。
 でも多分今後ものんびりとやっていくコトになると思いますので、のんびりとお付き合い頂ければと思います。
 
 今回は、前回のコトについて、ちょっと捕捉しておこうと思います。 
 というのも、色々とコメント頂いているところなんですが、そもそも前提が間違っているワケなんですよね。
 
 ではなにが基本かと言えば、国会の場においては議席数が基本なんですね。
 議決は最後は多数決で決定されるというのはもちろんのコト、委員会の理事や委員数も議席割合によって決められるワケですし、国会の中の政党(正確には会派ですが)に割り振りされる部屋の数も議席数に応じて当てはめられるコトになっています。
 過去を振り返ればこんな記事が見つかります。
 

 国会控室も争奪戦 民主「正面側明け渡せ」、自民は抵抗
 
 衆参両院の控室は、各会派の議員数で割り当てられる。総選挙結果を単純計算すると、衆院では自民党が4割に激減。民主党は2.6倍に拡大する。民主党は2階裏側から正面に移ったうえで、3階の自民党控室のほとんどを得ることを描いている。

 
 記事の本題は数ではなく場所の問題なので今回は関係ないにしても、引用した最後の部分で触れている通り、国会の中でのコトについては議席数が全ての基本になっているワケなのです。
 なぜなら、それが国民の選択であり判断であり意志だからです。
 議席数は偶然そうなったのではなく、国民の意思によってその数になったのです。
 それなのに、質問時間だけは与党が少なくていいというのは理屈として理に適わないんですね。
 
 前回やえはこのように言っています。
 

 本来は議席数に応じた質問時間があるべきところを、色々な事情で野党に貸していただけであって、それを与党が戻そうと言ったら野党はそれに反対する理由はないハズです。

 
 基本は「議席数に応じた質問時間」なのです。
 これが大前提で、その上でここ数年野党の方が時間が多かったのは、単に「与党が野党に“貸していた”」だけと言えるワケです。
 なので、「野党の方が質問時間を多く与えるべきだ」という意見は、「貸してあげるべきだ」という運用の問題としては意見として成り立ちますが、制度論として「そもそも野党の方が多いのが当然だ」という意味合いで言うのであれば、これは完全に間違いなんですね。
 
 もっと言うと、「与党の方が多い」というのが当然の状態であって、その上で「野党に時間を貸してあげて増やしてあげている」状態というのは、与党に余裕がある状態、もしくは余裕がなくて譲歩せざるを得ない状態なんですねという感想になります。
 端的に言えば、与党の方が多いのは評価としては通常ですからプラスマイナス0で、野党に余裕で貸してあげているのであればプラス評価、野党に譲歩せざるを得ない状態だったらマイナス評価だと言えるでしょう。
 他にも事情があるのかもしれませんが、それはその時々の評価であり、例えばよく言われる民主党政権時の野党自民党の時にこの審議時間配分が決まったんだというのも、それはその時々の事情や背景があってそうなったのであり、それをどう評価するのは人それぞれだと思います。
 
 でも繰り返しますが、議席数に応じた時間が基本です。
 よって今の自民党が審議時間をせめて5分5分にして欲しいと主張しても、それは普通の主張だと思います。
 だって「貸していただけ」なのですから。
 それなのに、それを批判するというのは、まさに「軒を貸して母屋を取られる」以外何者でもないでしょう。
 
 今の野党が「審議時間をもっと欲しい」と主張するのは構わないと思います。
 でも、その方が原則として正しいという言い方や、それを求める安倍内閣は驕っているという言い方は、それは違うと言うしかないんですね。
 だって「普通のコト」ですから。
 安倍内閣に余裕がなくなったのかなと言うのは人それぞれの感じ方ですが、さも数の力で制度をねじ曲げで無理矢理押し通そうとしているかのように言うのは間違っています。
 
 この問題、まずは「議席数に応じた形が普通」というコトを前提にして議論すべきなんですね。
 

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