Home > コメントレス

コメントレス Archive

国会に立法権があり、政府に法案提出件があり、ただの憲法学者には立法権限がないのはシステム上の話


 このお話、前回にも言いましたように極めてシステマチックなお話ですから、ちょうどよいコメントを頂きましたので、レスする形で補足したいと思います。
 
 まず「私感」という言葉の響きに引っかかっている方もいるようで前置きしておきたいのですけど、最近のこの話題での文脈における「私感」が「何の決定権も持たない私事にすぎない考え」程度の意味ではない、というコトを冒頭に申し上げておきます。
 「日本国家の最終決定ではない」というぐらいの意味にとっていただければと思います。
 正直やえとしては文脈的にそうとれるように書いているつもりでしたので、もしそう読めなかったら申し訳ないです。
 あ、でも、確かに、「私感」よりも「私見」の方が言葉としては意図に近いかもしれませんね。
 

となると、昨日の「与党が呼んだ参考人が政府の発案を否定するという異常な事態となり……」(産経)が気になるところです。
正式に憲法違反かどうかは別にしても、「長谷部よ、お前の『違憲んだ!』はお前の私見に過ぎない。以上!」などと突き放す事もありな訳で、それでは、憲法学者も何もないと思いますが。
 とはいえ、報道を見る限り、お三人何れも「第〇条がマズイ」といった主張はないようなので、やはり彼らも為にする議論であると判断できる、というのがやえさんのご意見でしょうか。

 
 というワケで本題ですが、「正式に憲法違反かどうかは別にしても、「長谷部よ、お前の『違憲んだ!』はお前の私見に過ぎない。以上!」などと突き放す事もありな訳で、それでは、憲法学者も何もないと思いますが。」との部分については、最終的な結論の部分についてだけ極めてドライに言えば、その通りです。
 この部分については、公権力的な意味で憲法学者の主張を義務として取り入れなければならないという法は、日本には存在しません。
 もちろんですよ、安倍内閣もしくは与党が自主的に取り入れて法案を取り下げるっていうのでしたら、それはまた別のお話になりますが、少なくとも、いかに国会内での正式な委員会での発言だとしても憲法学者の主張には国会議員を縛る強制力は存在しません。
 ですから極めてドライに言えば、これを無視するコトも日本のシステム的には何ら問題ないワケです。
 
 仮にもしこの憲法学者の主張を取り入れなければならないという強制力が働くとなるのであれば、では果たして「選挙とは何か」という民主主義の根幹に関わる問題に当たってしまいます。
 すなわち、憲法に定められた立法権を持つ国会の構成員たる国会議員は選挙で選ぶコトになっているのに、その国会の決定よりも、選挙を経ていない憲法学者の主張を上位に置くのであれば、何のための選挙という制度なのか、そしてなぜ国会が憲法によって「唯一の立法機関」と定め「国権の最高機関」と定義しているのかと、これらを全て覆してしまうコトになってしまうのです。
 これは憲法規定です。
 そういう観点からも、やっぱり憲法学者の主張はあくまで「私見」なのです。
 
 その法律が違憲かどうかの判断は憲法によって裁判所にのみ決定権があるというお話は何度も何度もしていましたが、よってそういう意味で国会議員の主張も安倍内閣の主張も、あくまで「私見」だというコトを言ってきました。
 ただし、それとは別に立法府には立法権が、行政府には法案提出権が憲法によって認められています。
 どちらの府も違憲判断は私見しか持ち得ませんが、立法行為については明確な権利権限を持っています。
 表現の問題で齟齬が出そうですが、それをおそれず言えば、行政府は提出法案の憲法解釈を私見のまま(法制局は司法府の機関ではありません)で国会に提出するコトができるのです。
 そして先日も言いましたように、むしろ日本の中の成立法の大部分は違憲審査なんて受けていないモノばかりなコトからも、それが窺い知れるでしょう。
 裁判所による違憲審査を受けていない法律は無効だと言うのでしたら、日本のほぼ全ての法律は無効になってしまいます。
 
 つまり、違憲判断については安倍政権も憲法学者も私見を述べ合っているに過ぎないというのは同じですが、ただし法案提出権については安倍政権にはあるけど憲法学者にはないので、ここで目に見える行動として大きく違うように見えるのです。
 この部分なんでしょうね、「じゃあ憲法学者の発言は無意味じゃないか」と感じてしまう違和感は。
 でもそんなコトを言ったところで、それって別に安倍政権のせいでも、自民党や与党のせいではないんですね。
 これは極めてシステマチックなお話だと冒頭に言いましたように、これはあくまで憲法が規定しているそれぞれの権利の違いでしかないのです。
 国会には立法権があり、行政には法案提出権があり、(その裁判に関わっていない)憲法学者には立法に携わる権限が無い、ただこれだけの違いなのです。
 違憲判断の決定権を持ってないのは安倍内閣も与党も憲法学者も同じですが、立法に関する権限が違うので、そこに「目に見える結果」として差があるように見える、というコトなんでしょう。
 さらに言えばこれは、いま湧き上がってきた新しい問題なのではなく、もともと日本のシステム上の、もっと言えば憲法規定そのままの差でしかないのです。
 
 言い方は冷たく見えてしまうワケですが、「長谷部よ、お前の『違憲んだ!』はお前の私見に過ぎない。以上!」と与党や安倍内閣が言ったとしても、それは憲法規定に従った普通の行為だと言うしかありません。
 立法権もしくは法案提出権を、憲法規定のままに淡々とこなした結果でしかないのです。
 繰り返しますが、安倍内閣が自主的に法案を撤回するなら、それは安倍内閣の権限のもとでの行為ですから、それもシステム的にあり得るお話ですが、少なくとも憲法学者には主張を安倍内閣に履行させる強制権や権限は存在しないっていうシステムのお話です。
 
 繰り返しますが、これは極めてシステマチックなお話です。
 決してやえの考えでも私感でもありません。
 ましてやえが安保法制が違憲かどうかの考え方なんて全く関係がありません。
 憲法学者の発言は一切の無意味だとは言いませんし、憲法学者さんはご自身の経験と見地で違憲だと述べられているのでしょうし、だからこそ「反対のための反対」をしたのではないともやえは想像していますが、しかしそれでも、少なくとも憲法学者さんたちには「立法の場における決定権は何も持ち合わせていない」というのは、これはどこまでもシステム上のお話として知っておく必要のあるコトだと思います。
 

違憲の「決定」は誰がするのか


 今日は、前回の更新にいただいたコメントにレスをしようと思います。
 「憲法違反だから」という理由では反対論は成り立たないというお話でした。
 まずはレスを引用します。
 

法案審議中は裁判所に訴えられないよ。まだ成立してないんだから
立法府は憲法に従った法案を策定する必要があるんだが
立憲主義を否定するの?
それとも立憲主義習わなかったの?

 

立憲政治の神髄は権力の乱用の防止を権力者の自制に頼るのではなく、憲法によって縛ることにある。
安部が「Aだ」と言った場合Aは国の判断あるいは方針となる。
これに対して、立法府である野党議員が「Aは憲法違反だ」と言うのは至極まっとうだ。
これが許されないと言うならば、首相は違憲判断が司法府から下されるまでの数年間、
極論を言えばフリーハンドの全権を手に入れることができる。
これは三権分立の崩壊を意味する。
 
政府はフリーハンドの権力を信託された訳ではない。
権力者が憲法を踏みにじるようなことが有れば、それに対してアメリカやドイツでは抵抗権が明文化されている。
政府の行動が憲法の枠内に収まっているか否か。
これを問う事は反権力の勢力からすれば当然の権利と言える。

 
 まずですね、やえは「それは憲法違反だ」と主張してはならないとは言っていません。
 もしそのように受け取ってしまわれた方は、申し訳ないですが前回の更新をよく読んでほしいと思うのですが、何が立法府や行政府や国民では出来ないのかと言えば、それは「決定」ができないと言っているのです。
 違憲だと確定するコトは裁判所にしかできないからこそ、その決定が前提でなければ成り立たない形になる論拠というモノには使えない、っていうお話を前回しているのです。
 「安保法制は憲法違反だから反対」という言い方は、憲法違反が確定事項でないと成り立たない論ですからね、こういう言い方はできないと言っているワケで、ただし「安保法制は憲法違反だ」という主張を行うコト自体は自由ですから、それまでダメだとは言いません。
 意見を言うコト自体は誰にでも認められている権利であり自由な行為です。
 
 ただし、ただしですよ、ここが重要なんですが、「その主張はあくまで“私感”でしかない」のです。
 
 この問題、ここが重要です。
 それは「決定事項」なのか、それとも「私感」なのか、ここが今回のお話の一番のポイントです。
 「立法府は憲法に従った法案を策定する必要がある」
 その通りです。
 これに異論はありませんし、実際そうです。
 だからこそ、安倍内閣としては安保法制が違憲なんて露とも思っていないでしょう。
 もしかしたらコメントしてくださった方は違憲と思っているのかもしれませんが、しかし残念ながらそれがこの世の中全ての人の総意ではありませんし、少なくとも安倍内閣はそうは思っていません。
 思ってないからこそ、法案を提出しているワケです。
 
 だからですね、結局どこまで言っても「私感」なんですよ。
 言わば安倍内閣の「違憲とは露程も思っていない」も私感なワケです。
 もしコメントをしてくださった方が安保法制は違憲だと思っているのであっても、それはその方の私感です。
 全部私感です。
 「立法府は憲法に従った法案を策定する必要があるんだが」
 その通りです。
 でも、「立憲主義を否定するの?」と、なぜそうなるのですか?
 まだ成立していませんが、仮にこれが成立したとしても、それは立法府が立憲主義に従った上で法案を成立させたまでです。
 安倍内閣の考えも、与党の考えも、もちろん私感です。
 裁判所の決定以外は全て私感です。
 その上で、日本の法制度上は内閣に法案提出権を与えていて、立法府に立法権を与えているワケで、その権限をそれぞれの立場で淡々と行使しているだけなのです。
 特別なコトは何もしていません。
 
 「フリーハンドを与えているワケではない」と言う人は多いですが、しかし少なくとも内閣の憲法解釈によって法案を提出するっていう行為は、これはシステム上認められている権利です。
 決して「裁判所が合憲だと判断しない限り法律は効力を持たない」とはなりません。
 日本の国内に何本の法律があるか、数百はあると思いますが、実際違憲審査を受けた法律なんてごくごく僅かです。
 大部分の法律は、法案提出者も立法府も決定権の無い中における「私感」の上で合憲だと判断しただけで、実際には運用されているのです。
 それが日本のシステムであり、安保法制も同じ扱いをしているに過ぎません。
 
 「違憲だ」という意見、これを考える時に、「それは誰が発しているモノか」を考えてください。
 安倍総理ですか?
 自民党や与党ですか?
 民主党や野党ですか?
 共産党ですか?
 与党支持者の一般国民ですか?
 野党支持者の一般国民ですか?
 裁判に関わっていない立場の弁護士という職業の一般国民ですか?
 やえですか?
 アナタ自身の言葉ですか?
 それとも「正式な裁判所の決定」ですか?
 

やえたんもtagも、自分の書いてることが理解できてないようだね
これが成立するなら、どっかの政党が「もう選挙しない法案」を提出して成立したら、それが憲法違反として認められるまで選挙は行われない。
 
民主党政権時代にこういう法案が出されても「裁判所が判断するまで待ちましょう」と?

 
 極論に対しては極論のお答えになるのですが、極めてシステム的に答えれば、その通りです。
 むしろ聞きたいのは、その法案が違憲だと、だれが決定するのですか?
 やえは「違憲だ」と主張するコトはできますが、決定権は持っていません。
 もしそんな法案が提出されたら、当サイトにおいて連日のように「それは違憲だ」という主張をしまくると思いますが、ただし「やえの主張をもって違憲だと公的に決定された」なんてたいそうなコトは決して言わないでしょう。
 というか言えませんよ、そんなコト。
 それともこのレスを書いてくださった方には、それが違憲だと公的に決定できる権限を持っていると言うのでしょうか?
 それはどういう根拠ですか?
 少なくとも日本においては、それは裁判所しか持っていないハズです。
 
 その極論は感情に訴えるだけで、システム論を冷静に判断できなくなるので、あまりよくない言い方です。
 だからお話を安保法制に戻します。
 安保法制、色々と議論が分かれるところで、憲法違反だという主張も確かにあります。
 でも、では、その意見があるから立法化させてはならないと、そう言うのでしょうか?
 ちょっとキツめに言います。
 その意見があるから立法化はダメだと言うなら、その人の意見はなんなのでしょうか、他の国民の意思を超える超越的な存在なのですか?
 何様ですか?
 日本は法治国家であり三権分立を採っている国家であり、だからこそその決定権は裁判所にしかないのです。
 国民も、ここを弁える必要があります。
 

オレンジさんの意見は憲法違反なのは明らかです。
よってオレンジさんの主張は無効となります

 
 オレンジさんとは「立憲政治の神髄は~」のレスを頂いた方ですが、つまりは、それを弁えなければこういうコトになってしまうのです。
 「オレンジさんの意見は憲法違反」って主張は、裁判所ではない私感ですよね、ですから「主張は無効」という主張は成り立ちません。
 もし仮に「そういう私感や主張の存在だけで決定がなされる」のであれば、オレンジさんの主張は無効になっちゃうワケですよ。
 オレンジさんの言い方を借りれば、「オレンジさんは自分の書いてることが理解できてないようですね、これが成立するならオレンジさんの主張は無効ですよ」となります。
 ここにコメントを書くコト自体がダメな行為になってしまいます。
 なぜ憲法違反(という主張がある)のに、憲法違反行為をしてしまったのですか?って言えてしまうコトになってしまいます。
 でも少なくとも日本においては、こんなのはあり得ないワケですよ。
 
 ですから勘違いしてほしくは、この際、やえの個人的意見は今回の主題にとってはどうでもいいんですね。
 やえが安保法制が違憲だと思っていても思っていなくても、決定権が裁判所にあるのは変えられない事実ですし、そして裁判所が仮に決定を下せばやえの個人的意見なんて関係なく、それが公的な決定となります。
 もし安保法制が合憲なら実際に効力を発揮するでしょうし、違憲なら法律は廃されます。
 ここにやえの個人的意見なんて関係ないんですね。
 「共産党は違憲団体だ」とか「オレンジさんの主張は憲法違反だ」も同じですよ。
 やえがどう思っているかなんていうのはどうでもなく、ただ裁判所の決定がないから違憲という決定を押しつけるコトはできないってコトなのです。
 前回と今回のやえのお話は、こういう極めてシステム的なお話をしているのです。
 
 今回の問題、次の2点について冷静によくよく考えてみてください。
 
・違憲だと言っているその主張は「誰が」行っているモノか。
・決定されていないモノを論拠で使うコトはできない。
 
 繰り返しますが、主張するコトは構いません。
 それは自由です。
 でもそれが裁判所以外である以上は、どこまでいっても私感でしかありません。
 そして私感である以上、それを論拠にするコトはできません。
 主張するコトと、論拠にするコトは、別の行為です。
 先ほどのレスで言えば、「オレンジさんの意見は憲法違反」という主張だけならいいんですよ。
 もちろん「なぜ憲法違反なのか」という論拠は付けるべきですが、そういう主張だけなら自由です。
 でも「よってオレンジさんの主張は無効」は成り立ちません。
 「オレンジさんの意見は憲法違反」が決定化されていないからですあり、すなわち論拠にならないからです。
 ここの違いをよくよく考えてみてください。
 
 国会では特に「違憲だから反対だ」っていう言い方は国会では共産党がよく言う言い回しですが、違憲が確定なのを前提としての「反対だ」は成り立たないのです。
 もしやるのであれば、「安保法案○○条は、憲法○○条に反するのではないか」という議論のハズなんですね。
 むしろこれをやってくださいと。
 憲法違反だと主張するなら、それを論拠とするのではなく、その前に「なぜ憲法違反なのか」という部分の論拠を主張しなければダメですよ。
 少なくとも共産党に違憲かどうかを決定する権限はないのですから、違憲だという主張を論拠にするコトはできないのです。
 
 繰り返します。
 その主張は誰が行っているのか、そして主張という私感を決定事項である前提としての論拠に使っていないかどうか。
 この辺をごちゃまぜにして議論をしてしまっても、それは議論としてすら成り立たなくなってしまうでしょう。
 

「政治的に正しい」とは?


 ひさしぶりにコメントレスをしたいと思います。
 コメントくださっている方には全てレスができていないコトをお詫びし、全てに目は通しているコトをお伝えして、感謝に変えさせていただきたいと思います。
 で、今回のレスはこちらのコメントについてです。
 

 非常に興味深い観点からの記事だと思います。
 確かに、地方自治を理由に基地問題を語るのはずれていると思います。
 
>沖縄の米軍基地問題は、外交問題であり国防問題でもある、完全に国が担当すべき課題です。
 
 その通りだと思います。
 地方自治と国のあり方の基本です。
 ただし、そのご意見は当然『国が間違っていない』ということが前提だとおもいます。
 もしもやえさんが、国(=現在与党である自公政権)が間違っていることはありえないと無条件で信じているいうご意見なのであれば、それはもう何も言うことはないのですが、これまでのログをよんで、まさかそんなことをおっしゃられる方ではないと信じているので、話を進めます。

 
 これは「こんなコトでは地方分権は達成できない-沖縄米軍基地移転問題-」の記事に対してのコメントです。
 スペースの関係上全文引用できていませんが、コメントは記事に行けば載ってますのでご覧ください。
 
 さてまずですね、やえのその回の文章の主題について、ちょっと認識の差があると思いますので、そこを指摘したいと思います。
 その回のやえの文章は、すごく端折って言ってしまうと「外交・安全保障の問題を地方が口を出すな」という一言に集約されてしまいます。
 実際のところは「地方分権が正しいなら」という前提条件付きですが、まぁ今回はそこを言い出すとややこしくなるので、とにかくその回の主題はこれというコトでお話をすすめます。
 つまりですね、国地と方公共団体がそれぞれ別の行政を行う上においては、完全に役割分担しているのであれば、地方が米軍基地問題に「口を出すコト自体が間違い」だという内容になるワケです。
 
 よって、地政学上どうこうっていうお話は、この主題については特に関係がないんですね。
 仮に地政学上間違いだった場合でも、しかしそれは国の問題として考えるべき問題であって、どちらにしても地方が口出しする筋合いの問題じゃないのであり、少なくとも「地方が口出しするな」という主張には一切影響を与えません。
 やえのその回の主張はここにあります。
 「地方分権が絶対正義なら、外交・安全保障の問題を沖縄という地方が口出すのはおかしいですよね?」と、そう言っている、ここを主題としているのです。
 別の言い方をするのであれば、移転の是非そのものについては、はじめから論点にはしていないのです。
 
 もうひとつ考えてもらいたい点があります。
 今回の問題で言えば「地政学上正しいのかどうか」という問題、すなわち「政治的に正しい」とする判断はどこにあるのかという点です。
 ちょっとここがこんがらがる場合が多いので、よくよく注意してひとつずつゆっくりと考えて貰いたいのですが、国民が国でも地方でも、その政策について疑問に思い意見や批判をするというのは正しい行為です。
 ですから、「その政府の意見には異論がある」と主張するコトは正しい行為です。
 しかし、「その政府の意見は間違っている。自分の意見が正しくて、それ以外に答えはない」と言ってしまうコトはできません。
 ここをよく間違えてしまう人が多いんですね。
 例えば集団的自衛権の問題についても、「自分は憲法違反だと思うから憲法違反なんだ。政府はいますぐ撤回しろ」なんてコトを臆面もなく言ってしまう人が結構いるワケですが、この主張の仕方というのは自分が絶対正義だと定義づけられた時だけに通用する主張です。
 でも現実にはそんなコトはあり得ないワケですよね。
 他の人の意見だって正しい可能性は常にあり、特に政治の場においては多くの人の意見の集合体こそが政策として実現される以上、「多くの人が支持する政策」はあったとしても、そもそも絶対正義なんていうモノは存在しないのです。
 
 この観点からしたら、「もしもやえさんが、国(=現在与党である自公政権)が間違っていることはありえないと無条件で信じているいうご意見なのであれば、それはもう何も言うことはないのですが」というのは、「政治的に正しい」というコトをちょっと間違えていると言わざるを得ないのです。
 この回のやえの主張は「外交安全保障の問題は国だけが判断すべき問題だ」というモノでした。
 この主題においては、「(基地移転の是非についての)国が出した結論」に対する、やえの個人的意見は全く必要のないモノです。
 そうでしょう、だってやえが基地に賛成だとしても、仮に反対だったとしても、「沖縄の選挙だけで基地問題が決定されるような言い方は間違っている」という主張にはなんら関係も影響も与えないのですから。
 もしやえが基地は最低でも県外と思っていたとしても、でも「地方が口を出す問題じゃない」という意見は、普通に並列的に成り立ちます。
 むしろ「やえは基地は反対だから、本来は沖縄が口を出すべきじゃないけど、目的の達成のために論拠を曲げてしまいましょう」なんて考えては、これはもうやえが普段から一番嫌悪している「目的のために間違った手段をとる」という手法に成り下がってしまいます。
 ですから、この「外交安全保障の問題は国だけが判断すべき問題だ」という主題においては、ひとまず国の方針については「政治的に正しい」と言える選挙の結果を反映した政府の決定を是とした上で、「外交安全保障を担当する国が決定しているのだから地方は口を出すな」という主張をやえはしているワケです。
 逆に言えば今回の問題が、地方分権が絶対正義の場合で、沖縄県に権限のある問題を国が口出すような問題だったのであれば、「(やえの個人的意見は沖縄県と真逆だけど)地方自治体が判断すべき問題だから、国は口を出すな」という主張になっていたコトでしょう。
 
 「政治的に正しい」と、「絶対的に正しい」は、イコールで結ばれません。
 なぜなら「絶対的に正しい」と全ての人間が結論づけられるモノは、神ならざる人間の身であれば絶対に判断できないからです。
 「自分が正しいと思う」のと「絶対的に正しい」は違うワケですよ。
 例えば日本が負けた大東亜戦争なんか、後年になってから神の座視にいるかのような視点で全体的に全ての情報を得た上で判断するのであれば、おそらく日本がアメリカに対して戦争に突入したのは間違いだったのでしょう。
 しかしそれはあくまで、歴史を見る目で見た時のお話です。
 当時その時その場にいた人間は、そんな視点では見れなかったワケです。
 いくら全体主義帝国主義だったとしても、それでも政府に関わる人間は何万人といたワケですし、その全ての人が全ての情報を同じレベルで共有していたなんてコトはあり得ないのであって、またそれぞれの立場の違いによって考え方は変わり、まして当時は国民世論もそれでも無視できないのが日本という国であって、そういうコトが積み重なった上でのああいう結論だったのではないのでしょうか。
 それを簡単には否定できません。
 いま我々が歴史を見る目で見れば確かにあの戦争は無謀な戦闘であり「絶対的に間違っていた」と言えるのかもしれません。
 しかしそれは「政治的に間違っていた」と単純に言えてしまうモノなのでしょうか。
 政治とは、その場に生きる人たちの総意によって動きます。
 資料や文字だけでは伝わらない、あの日あの時の熱や感情も政治には関わってくるのです。
 もっと簡単に言えば、「民主党政権は絶対的に間違っていた」のですが、「政治的には正しかった」のです。
 合法選挙で選ばれたのですからね。
 ここの違いはまず付けておく必要があるワケです。
 
 ですから、「外交安全保障の問題は国だけが判断すべき問題だ」という主張においては、「国(=現在与党である自公政権)が間違っていることはありえないと無条件で信じている」という問いかけは、ちょっと的外れなんですね。
 もしいまの安倍政権が非合法的に成り立っているのでしたらアレですが、そうでない以上は、国が正式に決定している以上、それは「政治的に正しい」のであって、であるなら「地方が口を出す余地はない」というお話になるのです。
 ここに、絶対的な正義を語る余地はありません。
 
 勘違いして欲しくないのは、国民として「その国の施策は本当に正しいのか」という部分に意見を言ってはならないとやえが言っているワケではないというコトです。
 それは「政治的に正しい」とは別の範疇のお話であって、「地政学的に正しいのか」という問いかけや議論は、それはどんどんやるべきだと思います。
 今回はそれが主題ではないですから、混ざらないようにやえは今回それについて触れませんが、それについて意見を言うというのは素晴らしいコトだと思います。
 ただし、その主張や議論は「外交安全保障の問題は国だけが判断すべき問題だ」という問題には、一切の影響を与えないというコトなのです。
 

ホーム > コメントレス

最新の更新
web拍手

面白かったらぜひ拍手ボタンを!
メッセージを送るコトも出来ます。
ブログランキング

政治 ブログランキングへ

幅を広げるために参加しました。
良かったらクリックしてください。
カレンダー
« 2017 年 11月 »
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
月別記事一覧
カテゴリー
最近のコメント(レスをツイッターでやってます)
最近のトラックバック
RSS
箱入りやえちゃん
 
過去ろーぐ!

平成23年10月以前過去ログ
平成14年から続いているんですよ!

Return to page top