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放射能問題 Archive

事実でないものをより集めて印象操作するのはもはや捏造


 先日の「問題の本質は「嘘を載せる自由はあるのか?」にある」の更新について次のようなコメントを頂きました。
 

 たぶんですが、原作者にとっては漫画の内容は真実なのだと思います。なので、ウソを描いているつもりはないのではないかと。そして福島の復興を願っているのも本心なようです。これはこれで厄介なんですけどね……。

 
 本来物事というのは、論拠があって結論があるんですよ。
 例えば「学校に行く」っていう事象一つとっても、決して「学校に行かせる」という結果が先にあって、その結果を達成するために理由をいろいろ考えるワケではありません。
 学校に通うというコトは、幼い頃からキチンとした教育を受けさせるコトによって本人の将来ために、また国家の繁栄のために必要なコトという理由がまずあって、その理由を達成させるために、学校制度を整備したり、だからこそ学校に通わせて、その結果を得ようとしているワケです。
 理由が先なんですよ。
 その理由があるからこそ、その理由が正しいと思うからこそ、結果を求めていくのです。
 
 しかし今回の『美味しんぼ』は、まさに「結果ありき」なんですよね。
 
 そもそも今回の、というか、この手の一番の論点は何かと言えば、「いまの福島の放射線量によって健康被害が起こるかどうか」なのです。
 「鼻血が出る」とか「身体がだるい」とかは、ハッキリ言ってしまえばどうでもいいんですよ。
 なぜなら、鼻血も身体がだるいも、人体にとってそう珍しくない事象だからです。
 これは「自分自分に感覚的に頻繁にある」という意味ではありません。
 よく「普段鼻血なんて出ないのに福島に行ったら急に出た」とか言うセリフをよく聞くのですが、そういう意味ではなくてですね、詳しく言えば、「鼻血が出る」も「身体がだるい」もそれだけの症状をもって大病だと判定する要因にはならない、というコトなのです。
 もちろんこれらが大病の予兆の場合もあります。
 それはそうです。
 しかしその場合でも、鼻血だけを理由に大病を断定するのではなく、その後の精密検査などを経てから大病の判定になりますよね。
 つまり鼻血だけをもって病気を判断するコトなんて出来ないワケで、何にも無いのに鼻血が出るコトもあるワケで、生まれてこの方鼻血を出したコトがない、身体がだるかったコトのない人間なんていないワケですから、鼻血が出たっていうだけでは何も結論は得られない、それだけでは何らの論拠にはなりはしないのです。
 ですから、この手の主題は「いまの福島の放射線量によって健康被害が起こるかどうか」であって、もし「起こる」と言うのであれば、鼻血とかだるいとか言うんじゃなくて、キチッと医学的に大病であると、健康被害が出ていると証明してこそ「主題に対する答え」になるのです。
 この手の問題の場合は、鼻血鼻血と叫ぶのではなく、もっと他に証明すべきコトがあるんですね。
 鼻血が出たかどうかは、「本来の主題」に対する答えにはなっていないのです。
 
 こういう中においてですね、キチッと主題に対する答え、その論拠が提示されていないのに、さも他の事象を寄せ集めて「らしく」表現するコトによって印象操作をしているのが、今回の『美味しんぼ』の連載だったワケです。
 そしてこれはウソを付くテクニックなのですが、今回の『美味しんぼ』も、ウソの中には本当も織り交ぜて、なんとなく信憑性を高めようとしているワケです。
 例えば「鼻血が出た」とかいうのは、まぁそれは本当のコトなのかもしれません。
 福島に実際に行ったとか、研究家の人が言ったとか、その辺は本当なのかもしれません。
 これらひとつひとつをピックアップして検証しても決して「本来の主題に答え」にはたどり着かないのですが、しかしそれらを寄せ集めて組み合わせるコトによって、なんとなく「主題の答え」に近づいていそうな雰囲気を出すコトは可能なんですね。
 特に印象の部分が強いマンガっていうジャンルはその傾向は強いです。
 そういうテクニックを利用するコトによって、本来は必要な根拠がなくても、原作者が求める結論のために「論拠らしいモノ」を列挙するコトで、無理やりにでも自然な風を装って根拠にしようとしているワケです。
 そしてこれはある程度成功してしまっているんですね。
 
 でもこれって、例えば政治家とかに対する言葉狩りと構図は全く同じなワケですよ。
 この前取り上げました、古賀誠元議員の発言の取り上げ方が最たるモノです。
 

 「いずれ宏池会を主軸とする保守本流の政権を再現するため努力を重ねる」
 出席者の一人は「2人の関係は険悪なのがよくわかった」と振り返る。

 
 産経新聞は古賀元議員の発言をこう切り取って取り上げましたが、しかし事実はこうです。
 

 安倍政権に批判的な古賀誠名誉会長もあいさつし、「いずれ宏池会を主軸とする保守本流の政権を再現するため努力する。それまでは、安倍政権を支えるのが保守本流の王道だ」と語った。

 
 確かに古賀議員が「いずれ宏池会を主軸とする保守本流の政権を再現するため努力する」と言ったのは事実でしょう。
 しかし古賀議員が即安倍政権を打倒すると言ったかのように伝えるのは、完全に「ウソ」なんですね。
 だって「それまでは、安倍政権を支えるのが保守本流の王道だ」と続けて発言しているのですから。
 つまりこれは、「一部の事実を利用するコトで、ウソの結論を得ようとしている」という最たる例なのです。
 いくら事実を一部使ったとしても、結論として全く真逆の印象を与えるような書き方っていうのは、もはや詐欺とか捏造とかウソとかとしか言いようがありませんよね。
 
 ですから「原作者にとっては漫画の内容は真実」であっても、それは真実であったとしても、だからといって事実でない結論を誘導するようなコトを言ってはダメなんですよ。
 それをウソっていうワケです。
 ウソや捏造の中に1つだけでも事実が入っていればその表現は許されるって言うのであれば、世の中ウソだらけになってしまいますよ。
 前にも例えを出しましたよね。
 「美味しんぼの原作者の雁屋哲氏が福島に愛人が10人いて、取材と称して経費を使って毎日ホテルでこもりっきりだった」と書くのは許されるコトなのでしょうか。
 雁屋哲氏が福島に行ったコト、ホテルを利用したコトが事実だとすれば、その点だけをもってこの表現は正当化されると言うのでしょうか。
 さらに例えばキチンと検証もしていないのに「ガンの特効薬」と書いて売るコトは薬事法などで禁止されているワケですが、それに対して「ガンに効く成分が0.1%含まれているコトは事実だ」と言えばそれで許されるでしょうか。
 こんなバカなお話はないですよね。
 
 「古賀元議員が倒閣運動を主導している」「雁屋哲氏に愛人がいてそのために経費を使った」「その薬を飲めばガンに効く」そして「いまの福島の放射線量によって健康被害が起こる」という、この全体としての主題を証明してこそ、その表現は許されるようになるのです。
 
 文章やマンガなど、そこに書かれている一部のコトが本当なのかウソなのかっていう点ではなく、全体としての結論が事実なのかどうか、その論拠や証拠はあるのか、ここをキチンと見なければなりません。
 そうでなければ捏造とウソだらけの世界になってしまうコトでしょう。
 
 騙した者勝ちの世界なんてやえは認めません。
 

問題の本質は「嘘を載せる自由はあるのか?」にある


 『美味しんぼ』の問題について一言言っておきたいと思います。
 
 問題の発端を簡単に説明しますと、人気漫画『美味しんぼ』において登場人物達が福島に行った際に鼻血が出たとか身体がだるいとか言い、それを暗に放射能が原因によるモノだと描いたコトにはじまります。
 美味しんぼはアニメになっていただけでなく、その知名度はとんでもなく高いため、福島の地元の町長さんを初めとして環境大臣まで苦言を呈するまでの大騒ぎになりました。
 さらにそのせいで、どこかの宿泊がキャンセルされたとかというお話も出てきて、実害まで出てきているような大騒ぎになってしまっています。
 
 この問題、いろいろな面で語られていて、特に原作者や出版社側からは「表現の自由」とか「原発議論のために」とかいう言葉でもって正当性を得ようとしているようですが、もしくは「鼻血は本当に出るんだ」とか言ってティッシュに血が付いている汚い写真をアップした元町長とかいたみたいですが、問題の本質はそんなところにはないんですよね。
 要は「科学的に証明されていないコト=ウソを、さも本当かのように語るコト」が、果たして表現の自由の範疇かどうかっていうのが、この問題の本質なんですよ。
 いくら本当に鼻血が出たとしても、今回の問題は鼻血が出たかどうかではなく、様々なマイナスイメージをそれが放射能が原因によるモノだと暗に誘導しているところが問題なワケです。
 逆に言えば、それが放射能によるモノではなく、ただの殴り合いのケンカで出た鼻血だった誰もこんなの問題にしなかったワケで、つまり放射能によって鼻血が出たと捉えるしかないような表現をしたからこその今回の問題なんですね。
 少量の放射能を浴びても鼻血は出ないのに、放射能に浴びたから鼻血が出たと「ウソ」を言ったコト、ウソを表現するコトは果たして表現の自由に含めていいのかどうか、これが今回の美味しんぼ問題の本質なのです。
 
 ですからもっと言えば、これは放射能問題に限ったお話ではないんですよ。
 単にウソを付いていいのかどうかっていう問題だからです。
 例えば、「美味しんぼの原作者の雁屋哲氏が福島に愛人が10人いて、取材と称して経費を使って毎日ホテルでこもりっきりだった」なんてコトを裏付けもなく描くコトに対して、果たして表現の自由なんだから一切問題ないと言い切っていいのでしょうか。
 そしてもし雁屋哲氏が「根も葉もないコトだ」と否定したとしても、それに対して「経費を使ったのは事実だろ」とか「ホテルに泊まったのは事実だろ」とか言ってホテルの領収証の写真をアップすれば、それは正当な反論だと認められるのでしょうか。
 反論にはならないですよね。
 この場合、「愛人と会うために経費でホテルに泊まった」という理由の部分の事実を明らかにしない以上は、それはただの妄想でしかないワケであって、反論するならここの証明をする必要があるワケです。
 それをしない以上はすべて「ウソ」としか言いようがありません。
 美味しんぼ問題で言えば、「放射能が原因で鼻血が出た」という、「放射能が原因」というここの因果関係を証明してこそ、証明してはじめてウソがウソでなくなるワケですよね。
 もちろん鼻血に限らず、美味しんぼでは放射能のせいで様々な問題が未だにあると主張しているようですが、本当にそれは放射能のせいなのかどうかっていう部分をキチンと検証して科学的に証明しなければならないんですよ。
 もう一度言いますが、こういう「ウソ」を描くコトが表現の自由として野放しにされていいのかどうか、ここを考えなければならないのです。
 
 この問題を放射能の問題だとするとわーわー言い出す人が出てきてお話がごちゃごちゃになるのですが、この美味しんぼ問題の問題の本質は至ってシンプルなんですね。
 「ウソを付いて良いのか」「表現の自由にはウソを描いて良い自由も含まれているのか」
 たったこれだけなのです。
 ですから結局、この「ウソを付く自由もある」と胸を張って言える人は美味しんぼの行為を肯定するコトはできるでしょうけど、そうでない人であれば否定しなければならない問題なのです。
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ウソは付いたらダメだと思います。
 

放射能を印象やインパクトで語らない


 放射能の問題は、極めて科学的な問題です。
 よって、それを印象やインパクトで語ってはなりません。
 放射能はお化けや妖怪や超常現象なのではなく、科学で解明できる現象なのであり、そしてそれは物理や化学だけではなく、数学や統計学などのこれまで人間が積み重ねて発展させてきた科学全体として、放射能はいま現在解明されている部分もある現象なのです。
 この現実はキチンと受け止めて、そしてそれを活用しなければなりません。
 それが人間の歴史であり英知であると言えると思うのですが、しかしそこから目を向けて非科学的な迷信ばかりを積極的に信じようとする姿というのは、例えばこういうのと全く同じなワケです。
 

 オスプレイ反対派、「安全であってもダメ」と無敵の持論を展開しもはや誰にも止められない

 
 この人はもはや何を言っているのか分からない、その姿は滑稽とすら言えてしまうワケですが、しかしもし「放射能は現代の科学では何も分かっていないんだから全部禁止だ」とか「1%でも危険ならダメだ」とか言ってしまうのであれば、それはこの反オスプレイな人を一切笑えなくなるでしょう。
 科学的な論拠を一切無視して結論を語るという行為は、もはやオカルトだと言うしかない愚かな行為なのです。
 
 「1%でも事故の可能性があるからダメだ」という言葉にも要注意です。
 こう聞くと、それは当然かのように聞こえてしまうのですが、しかしでは逆に問いたいです。
 この世の中に100%絶対だと言い切れるモノがあるのでしょうか、と。
 例えば自動車です。
 もはや現代においては無くてはならないモノですが、果たしてこの自動車という存在は「100%安全」で「1%たりとも危険は無い」と言い切れるモノなのでしょうか。
 違いますね。
 毎日のように事故が起き、交通事故による死者が出ない日は無いと言っていいぐらい、毎日毎日自動車による事故の犠牲者は耐えません。
 果たして自動車というモノが生み出されてから、何百万人の人が命を失ったのでしょうか。
 この現状を鑑みれば、どこに「100%安全」があるのか、口が裂けても言えませんよね。
 でもしかし「1%でも事故の可能性があるのであれば全面禁止にすべきだ」と言う人は、果たして自動車を使わないのでしょうか、自動車による恩恵を一切受けていないと断言できるのでしょうかと問いたいです。
 
 リスク管理や危機管理というモノは、100%の安全を目指すモノだけではありません。
 むしろ、「事故が起きた時にどう対処するか」「事故が起きても、その規模をどれだけ小さくするのか」というコトをマネージメントしてこそ、全体としてのリスクヘッジと言えるワケなのです。
 よく安全神話とか言われるワケですが、もちろん事故前の「絶対安全だ」と言うようなコトが本当に言われていたのであれば、それはそれで問題ですが、同時に「1%でも事故の可能性があればダメだ」と言ってしまうのも、それもある種の「安全神話に取り憑かれている」と言えてしまうでしょう。
 どんなコトでも100か0かではなく、事故が起きた時にどう対処するのか、普段から事故にどう備えるのか、というコトを考えるこそこそがいま求められているのです。
 
 放射能の問題というのは、一般人では分からない部分が多い、それは義務教育や高校までで教えられるコトがほとんどないという部分から来ているのでしょうけど、「知らない」からこそ恐怖を覚えるという部分はあるんだろうと思います。
 日本で言えば軍事なんかもそうですね。
 知らないからこそ極度に恐怖する人がいて、それがアレルギーとして存在してしまっているのです。
 これを打開するためには、やはり「正しい知識を持つ」というコトが一番でしょう。
 つまり、教育の場においてキチンと教えるコトが大切なのです。
 「危険だから」「恐ろしから」と全てを破棄して記憶からも消去しましょうというのは、本当に愚かしい行為です。
 本来は、「危険だからこそよく知る」のです。
 危ないから遠ざける、では、人間は未だ火の使い方も知らない動物並みの生活を強いられていたコトでしょう。
 そうではなく、こわいからこそ積極的に知るコトによって、人間はそれをうまく活用してきたのです。
 こうやって人間は進化してきたのですから、もっともっと放射能についても知っていくべきではないのでしょうか。
 
 最後に、繰り返しますが印象やインパクトだけで判断する行為だけは気をつけて下さい。
 特にマスメディアが発達した現代では、それがより容易になっています。
 いわゆる汚染水問題ですが、あれもテレビなどからは、果たして漏れ出した結果周辺の海にはどれぐらいの放射線が出てしまっているのか、具体的な数値をやえは聞いたコトがありません。
 やえが普段テレビを見ないからかもしれませんが、しかしただただ「汚染水」とか「流出」とかいう言葉だけを使い、さも一大事だという全体でこのお話は進められていますよね。
 でも本来は、これだけの説明ではこれが本当に危険なのかどうかというのは判断できないんですよ。
 何を基準に危険だと言っているのか、論拠が無いのにそれを語るコトができる人なんていないハズなのですから。
 
 勘違いしてほしくないのは、東電の姿勢は問題ないと言っているワケではないコトです。
 当然、本来流出してはならないモノだからこそ汚染水を別の形で保存していたのでしょうから、それが漏れ出してしまったコトそのものは、当然の重大な過失です。
 ここはどんな言い訳をしても許されるコトではありません。
 しかし、東電の責任の問題と、現実的に安全か危険かという判断基準は、これは全く別だというコトも冷静に考えなければなりません。
 さっきも言いましたようにやえは汚染水が漏れた後の近隣の海の放射線量の数字を知りませんので仮のお話になりますが、漏らしたコト自体は東電は大きな罪ではありますが、もし放射線量がイランにラムサール以下であれば、少なくとも人体には一切影響はないワケです。
 だからといって東電の罪が消えるワケでは決してありませんが、安全かどうかの判断基準はまた同時に東電の罪とは一切関係ないところで判断しなければならないコトです。
 ここをごっちゃにしてはいけません。
 
 言葉はあくまで言葉です。
 「汚染水」も「流出」も、それ以上の言葉を持たずに、それだけでもって「人体に悪影響を与えるモノ」というコトを断定する論拠にはなり得ません。
 そして放射能の問題は難しいからこそ、根拠をシッカリと確認するコトによって判断を下さなければならないでしょう。
 難しいかもしれませんが、決して不可能ではないのですから。
 

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