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国民の責任 Archive

主権者の責任


 さて、今年最後の更新となりますが、最後は民主主義における主権者たる国民の責任についてお話ししたいと思います。
 とりあげるのはこちらのニュースです。
 

 慰安婦合意の変更、河野外相「断じて受け入れられない」
 
 日本政府は27日、従軍慰安婦問題に関する2015年末の日韓合意を巡り、元慰安婦の意見集約が不十分だったと結論付けた韓国政府作業部会の検証結果を受け、警戒を強めた。河野太郎外相は談話を発表し、合意の変更は「断じて受け入れられない」と表明。韓国に合意の着実な実施を求めた。日本政府関係者は「日本の立場は微動だにしない」と強調した。

 
 中身について言うコトはありません。
 これは当たり前のコトです。
 では何についてのお話なのかと言えば、これに対する反応についてです。
 とあるまとめサイトでこんなコメントを見かけました。
 

 岸田だったらやばかったな

 
 もちろんこれをもって国民全体がこういう論調だと言うつもりは毛頭ありません。
 こんなコト思うわけないじゃんっていう人は、今日はもう読んでいただかなくても大丈夫です。
 その上で、こういう国民もいて、そしてこういう国民こそが民主主義と日本を壊す存在だと批判しておきたいと思います。
 
 日韓合意を結んだのは岸田文雄外務大臣です。
 もちろん総理大臣は安倍さんですから、安倍さんの功績もありますが、直接韓国に乗り込んで細かい文言の調整をして合意をさせたのは岸田さんです。
 まずこの合意について評価すべきは岸田さんであって、政治は結果責任だとやえもここでよく言っているところですが、つまりそれは結果を出したのであればちゃんと評価してこそであるワケでして、それなのにこういった明確な結果や功績を出しているのにも関わらず、なんとなくのふわっとした印象だけで政治家を評価するというは、これはまさに衆愚政治そのものだと言わざるを得ないでしょう。
 責任だなんだと言っているくせに、それを単に批判の材料にしかしていない人というのは、まさに政治を悪くしている原因そのものです。
 
 河野太郎外務大臣の「受け入れられない」は当然の反応です。
 政府としての合意なのですから、当時の当事者でなくても政府の立場として合意を守るというのは、評価するしないの次元の問題ではなく、至極当然、政府というか組織という存在そのものの根幹に関わる当たり前のコトでしかありません。
 やえは河野外務大臣は嫌いではありませんが、この件に関しては、特にプラス評価になるようなコトはなんらしていないと判断するしかありません。
 当然のコトを言っているだけだからです。
 
 例えを出すまでもないかもしれませんが、例えば河野洋平官房長官談話だって安倍総理は一貫して「踏襲している」と国会の場で言い続けています。
 これも、河野洋平さん個人の励んではなく「政府としての発言」だったのですから、政府としては当然の発言なのです。
 よってこれも評価の対象にはなり得ない、当たりの前の行為だと言うしかないんですね。
 評価するなら、まさに実際の行動した内容や行動した人をすべきなのです。
 
 今回のこのコトで一番強く言いたかったのは、まさに「反省しない国民」の最たる例だからです。
 
 あの日韓合意とは何だったのかと言えば、韓国に対して「日本は約束を守った。韓国はどうなんだ」と国際社会に主張するコトによってデタラメな主張を封じ込め、また同時に日本国内においても右から左まで広い範囲まで無用な論争を終わらせる一打になったという、かなり広く強い“くさび”だったんですね。
 これほど効果的な政治的決定は近年なかなかありません。
 だって結局いまですら「韓国は合意を守れ」と、たったこれだけで日本の主張は堂々と国際社会に向かって正当性を訴えるコトができているワケですし、合意をする前は韓国の主張に同調していた日本国内の左翼関係の人達も、日韓合意によってもはや主張するコト自体が難しくなってしまっています。
 韓国自身も、合意が自らを縛る鎖となっているからこそ今大混乱をしているワケですよね。
 合意を結ぶ手法も、テレビの前で生中継をするコトで全世界を証人にするコトで、もはやごまかしの効かない二国間の合意になったのです。
 日韓合意前と後とでは国際社会も日本国内も明らかに雰囲気が変わりました。
 これはまさに政治家の行動によって、結果によってもたらされたコトです。
 岸田さんは「宏池会の伝統は自由や多様性を重視する勢力であり、徹底した現実主義を貫く立場です」とおっしゃっていますが、一部だけの人間に打撃を与えるのではなく、広範囲に理性的に納得させる方法によって政治的決定をもたらした、まさに宏池会らしい岸田さんらしい歴史に残る合意だったと言えるのではないのでしょうか。
 
 でも、日韓合意が結ばれた直後の評価は二分されていた、いえ、日本政府や岸田外相への批判の方が圧倒的に多かったというのが事実です。
 やえは直後に日韓合意についての文章をここに発表し評価する旨を表明しましたが、だからこそよく覚えています。
 直後は圧倒的な批判の数であり、またもはや罵倒としか言いようのない言葉もかなり多く見受けられました。
 
 もちろんですが、合意直後と今とでその内容は全く変わっていません。
 内容が変われば評価が変わってもおかしくありませんが、内容が変わっていないのに評価が変わるというのは変なお話です。
 あの時あれだけ岸田外務大臣を罵倒していた人達はいったいぜんたいどこに行ってしまったのでしょうか?
 いま日本が「合意を守れ」と言うだけで自らの立場を国際社会に堂々と明確に単純に主張できているのはこの合意があってこそであり、日本にとって大きな利益になっているワケですが、あの時これを批判し罵倒していた人達は、その時の行動をどう考えているのでしょうか。
 明らかに比率からして「当時は日本と岸田外務大臣を批判していたけど、いまは合意を盾に韓国だけを批判している(結果的に合意があって良かったと思っている)人」がいると思いますが、それは無責任そのものの行動なのではないのでしょうか?
 
 行動し結果を出す人間を適当な印象だけで評価すれば、結局残るのは口先だけの政治家だけになります。
 そしてこれって日本国民はすでに身をもって体験しているハズです。
 民主党政権です。
 民主党政権を誕生させたのは、誰でもない、国民自身の手によってです。
 これについては絶対に他人のせいにしてはいけません、主権者たる国民こそがこれを反省しなければならないコトです。
 日韓合意だって、当時散々罵倒や批判した人が多かったコトをキチンと反省しなければ、また同じ過ちを繰り返してしまうコトになりかねませんし、またそれは、政治と政治家の質の悪化を国民の手によって招いているコトにしかならず、それは日本の破壊に繋がっていると言わざるを得ません。
 国民は主権者だからこそ、反省しなければなりません。
 有能な政治家をつぶし、口先だけの無能な政治家だけらになったとしても、それは国民自身の手によって生み出した状況だと言わざるを得ません。
 
 繰り返しますが、岸田さんに対してこんな風には全く思っていないという人には関係のないお話でしたが、ただこんな短絡的な人間も実際にいて、こういう人間こそが政治と日本を悪くしているというコトを理解してもらいたくて、今年最後の更新となりました。
 民主主義政治は国民によって作られているモノです。
 国民こそがそれを自覚しなければならないと、やえはそう思っています。
 
 今年も一年お世話になりました。
 来年もどうぞよろしくお願い致します。
 

政策は議席数に応じた割合の意見を反映させるべき


 今日はこちらのニュースです。
 

 衆院予算委「1人当たり与党21分、野党256分」 質問時間配分めぐり自民が調査結果公表
 
 自民党は7日、衆院での質問時間の配分が野党に大きく偏重しているとする調査結果を公表した。平成26年12月の衆院選以降、予算委員会での委員1人あたりの平均質問時間は与党21分、野党4時間16分で、12倍の開きがあった。
 
一方、希望の党の大島敦幹事長は7日、産経新聞の取材に「与党は法案提出前に部会で議論できる。情報量が圧倒的に違うのだから、野党の質疑時間は今より多くてもいい」と述べ、反論した。

 
 やえは、国会の場での議論や政策決定は、議席数に応じた割合の意見を反映させるべきだと思っていますし、それはこれまでよく言ってきたところです。
 政府与党が出してきた法律案に対して、議席の2割を占める政党からは法案全体の2割ぐらいを修正する、1割を占める政党の主張は1割ぐらいを修正する、とした上で、全政党からの意見をそれぞれの議席数に応じた割合で修正案を入れていけば、形上は全国民の意見を反映させた法案ができるからです。
 もちろんそのような形にもっていけない案件もあるでしょう。
 例えば「とある新税を導入するか否か」という○か×かを問うような場合は、どちらかを決めなければなりませんから、最終的には多数決を取るコトになるでしょう。
 それはそれで仕方ありません、それも選挙の結果です。
 しかしそうでない場合は、極力割合ごとに意見を反映させていくとするのが、選挙の結果を十二分に反映させた、つまりは民意に添った政策であり政治が実行されている形になるんだと、やえは思っています。
 
 ですから、国家の場において議席数に応じた質問時間が与えられてるというのは、ごくごく当然のコトだと思います。
 これ、テレビの討論番組とかでも思うんですよね、1政党ごとの時間を平等に与えていたら、結局野党の方が時間が長くなっているワケですよね。
 200人の政党と5人しかいない政党とで発言時間が同じというのは、これはむしろ不平等ですし、結局テレビを見ていたら小政党ばかりの野党側がワーワー言っているだけになっていますから、これ本当に面白くないんですよね。
 まして公式の場である国会において、なぜ質問時間が議席数に応じて割り振りましょうという提案に対して反対できてしまうのか、理解に苦しみます。
 選挙の結果としてその議席数があるのですから、その割合に応じて意見を言うというコトこそが選挙の結果ではないのでしょうか。
 
 もちろんこれは与党側の判断で野党に多く時間を配分するというのでしたら、それはそれでアリなのでしょう。
 それも与党の判断なのですからね。
 でもそれを義務かのように思ってしまうのは、勘違いと言うしかありません。
 本来は議席数に応じた質問時間があるべきところを、色々な事情で野党に貸していただけであって、それを与党が戻そうと言ったら野党はそれに反対する理由はないハズです。
 今までがイレギュラーなのであって、それを当然の権利かのように言うのは間違いです。
 言っちゃ悪いですが、こういうのって「庇を貸して母屋を取られる」ですよね。
 
 「安倍総理は傲慢だ」と野党はよく言ってますが、少なくともこの件で民意を無視して傲慢な態度を取っているのは、野党でしょう。
 

2017年衆議院総選挙への所感


 というワケで、衆議院総選挙は自民党の圧勝という形で幕を閉じました。
 選挙ってなぜか勝敗ラインが人によって異なるようなのですが、しかし国民から見れば選挙というモノは、すべての立候補者は等しく立候補者であって、前職や与党の政党の方が事前に票が入っているなんてコトはないのですから、結局は過半数かどうかがすべての政党において勝敗ラインであり、さらにもうちょっと言えば、委員長を独占できる絶対安定多数を取れば大勝と表現するべきラインなんじゃないかなってやえは思っています。
 全員が0から始まって、その積み上げの結果によって国会での勢力が決まるんですからね。
 選挙前がどうであったとしても、全ての政党にとっての勝敗ラインは「過半数」であり、「絶対安定多数」なのではないのでしょうか。
 
 それは「今回は野党が割れたから自民党を利しただけだ」という負け惜しみに近い放言に対しても言えます。
 選挙とは国民の自由な意志によって誰に入れるのかを決めるコトができるのですから、その結果を別の要因に求めるというのは、それは民主主義と国民の意志を蔑ろにする、バカにする行為でしかありません。
 繰り返しますが、選挙というのは国民から見ればすべてイーブンな行為です。
 国民の意志によって誰を当選させるか決めるコトができるワケですし、どこを政権党にさせるかを決めるコトができるモノです。
 民主党政権がまさにそうだったじゃないですか。
 あの時だって政党は自民党が民主党しかなかったワケでありません。
 公明党や国民新党や社民党や共産党やみんなの党などがあった中で民主党が大勝し、中心となって与党を形成したのです。
 ましてあの時は民主党単独で300議席超えという、今回の自民党よりも遥かに多い議席を獲得したワケです。
 これが選挙なのであって、国民の意志だったワケで、これを忘れたとは言わせませんし、これを否定するコトもできません。
 
 またこれは、本来最も重要視しなければならない政策面についても同じコトが言えます。
 「野党で票が割れた」と言われている希望の党と立憲民主党ですが、政策的には全く違う政党です。
 希望の党は自民党に近い政策を掲げていた一方、立憲民主党は思想的にはかつての社会党に近い政策の政党です。
 立憲民主党は民主党や民進党のときのような反自民だけで固まっていて思想的にはよくわからないような政党ではなく、そこから左派的な思想の人たちだけが集まった、むしろ純粋左派政党と言える政党に生まれ変わった、分かりやすい政党になったワケです。
 つまり希望と立憲民主、政策や思想は真逆の政党です。
 よってこの2つの政党を同じ土俵で扱うのは、そもそもすべてが間違っていると言うしかありません。
 
 それなのにこの2つの政党を同じ土俵に上げて、「分裂していなかったら」とか、まして「この2つの党に入った票を合算すれば自民党に勝っていた」とか言ってしまうのは、政治をバカにしている行為でしかないでしょう。
 政治も選挙も勝ち負けゲームではありません。
 政策を如何に実現するかという真剣な場です。
 数字のやり取りだけしか頭にないゲーム感覚しか持てない人は、政治に口出して欲しくないとすら言いたくなってしまいます。
 
 やえとしたら、立憲民主党という政党はこれでよかったんだと思っています。
 政策や思想がハッキリとした政党であり、今回これだけの議席を伸ばしたというコトは、つりは日本国内には労働組合などを中心とする思想的左派の人たちがこれだけは存在するってコトを明らかにしたのですから、それはそれで大きな意味があるでしょう。
 これはやえはいつも言っているのですが、最も良い政治の形とは、すべての政党が自らの議席数に応じた大きさの意見を反映させた法律や政策をすすめるという形なのであって、つまり思想と左派の人がこれだけ存在するというコトがハッキリしたのですから、それらの人たちの比率は、国政においては反映させつ政策を進めていくというのが、もっとも理想的な政治のハズなんですね。
 もちろん真反対から対立するような案件では、最後は多数決で決められるべきですが、少なくとも「思想的左派が国内にこれだけの勢力はいるんだ」というコトか、ごった煮政党民進党が瓦解し、思想的純粋培養となった立憲民主党の成立によって明らかになったというのは、それなりに意義のあるコトだと思っています。
 こういう人達も国民であり有権者なのですから、政治に声を反映させる必要は必ずあるのです。
 
 当たり前のお話なのですが、マスコミやコメンテーターとかいう人達がいろいろなコトを勝手に言っているワケですが、どんな数字を持ち出したとしても、どんな理屈をこねくり回したとしても、選挙という18歳以上のすべての国民が出した結論が最も重いというコトは自覚すべきでしょう。
 それを否定すれば「自分は国民より偉い」と言っているワケで、つまりは民主主義の否定にしかなりませんから。
 

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