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政治家批判とは?


 やえも皆さんのコメントのレスで、一言「政治家批判」という言葉を使ってしまっているので、様々な意味で混同してしまい、誤解を生みやすくなってしまっていてちょっと失敗したかなと思っている部分もあるんですが、やえが言いたいのは「政治家に直接向けた主張なのか」それとも「政治家を評価し、それを国民に向けて主張するのか」では全く意味合いが違うワケなのです。
 
 政治における結果と過程、そして主張するってコトについては、2つの点において、2つの視点が必要なんだと思うんですね。
 まず「政治家に直接向ける主張なのか」それとも「政治家の行動への評価を国民に向ける主張なのか」という点。
 そして次に、そもそもとしてその主題に対しては政治家はどういう行動を行うのが正しいと主張者が判断するか、です。
 
 「男系を優先するために、最終的には法改正すべきだ」という結論が同じだったとしても、この2つと2つの点において、その主張方法は大きく変わります。
 この皇統問題で言えば、やえは「政治家に直接向ける主張なのか」についてはすべきではないと思っていますが、その前に、そもそもとしてこの件は本来は国民の側から動くべき問題であるという前提があります。
 特に「天皇皇族と政治家(権力者)との距離という非常にデリケートな問題」は、日本という常に天皇を戴いた上で悠久の歴史をはぐくんできた国家としては、本当によくよく考えなければならない問題です。
 その上で本来なら、国民の側からキチンと道筋を立てた上で、権力者にはただの実務者として動いて貰うっていうのが、この皇統問題で言えばベストでしょう。
 一方最も悪いのは、一部の国民の声だけに押されて動くような事態です。
 これだけは絶対に避けねばなりません。
 ですから、「政治家に直接向ける主張」はすべきではないと思っています。
 
 ところでやえはこれまで、政治家の評価、政党の評価という意味では、過去に色々と文章を上げてきました。
 例えば、民主党政権の時代は、今ではなかなか考えられない、記憶が薄れている人も多いかもしれませんけど、特に前期は民主党政権こそが正しくて批判する人間は悪だと単純なレッテルが貼られるぐらい、強い民主党への追い風がネット上でも吹いていましたが、やえは以前の主張通り、あの政党が行う政策の多くの部分について具体的に指摘をして間違った政策だと、かなり強く批判をしていました。
 でも間違って欲しくないのは、これらは全て「国民に向けた文章」なんですね。
 これって過去何度か説明しているんですよね、実は。
 つまり「政治家を直接批判して政治家の行動を変えてやろう」とした文章なのではなく、「政治家の間違った行動を国民に向けて説明するコトによって、国民の意識に訴えよう」という意味での文章なワケです。
 似てるように思うかもしれませんが、これ、全然違うワケです。
 
 お話を皇統問題に戻すと、何度も言ってますように、やえはいまの動きについて政府与党の動きが間違っているとは思っていません。
 もし間違っているとやえが判断するなら、「安倍政権はこんな風に曲がっているんですよ」と国民に向けて文章をアップしていたかもしれませんが、しかしこの件に関しては、安倍政権も与党も間違っているとは判断していません。
 となければ、「政治家の行動への評価を国民に向ける主張」においても、政治家を主題とする文章というモノは出てこないんですね。
 
 短絡的に考えれば、確かに「男系を優先するために、最終的には法改正すべきだ」という結論を得るためには「政治家が動けば良い」という方法を採るコトが簡単ではありますから、そのルートをとるのであれば政治家批判になるような主張になってしまうのかもしれません。
 本来は「政治家は政治家としてどう行動すべきか」という理由を考え、その評価を冷静に下さなければならないのですが、結論を早く得たいがためにその中身の評価が出来ず、短絡的に「行動しないから悪い」という結論を出してしまうのでしょう。
 しかしそれは、「政治家は政治家としてどう行動すべきか」がないままの政治家批判であり、結局のところは「政治家に直接向ける主張」になってしまっているんですね。
 「政治家が動けば最良の結論が得られて解決するんだ」と、理屈抜きの結果ありきの主張にしかなっていないからです。
 この理屈は大変に危険な理屈なんですよね。
 
 やえは皇統問題を今の段階で政治家が具体案を出すべきではないと思っています。
 1つは、未だ国民の理解が低いので、男系優先の具体案を政治家が提示しても、むしろ反発されてマイナスにしかならないだろうと予想しているから。
 もう1つは、天皇皇室と政治家(権力者)との距離のバランスの問題からです。
 
 逆に言えば、これらがクリアされれば、どんどん議論を前進させて法改正まで持って行くべきだと思っています。
 ですから、もっと国民が男系男子優先こそを最優先に考えるべきだと意識を持ち(やえは側室制度すら復活には賛成です。もちろんこれは理解されるかどうかの問題は度外視しています。やえの個人的な意見です)、その上で天皇と権力者の距離の問題をうまく整理できれば、後は法改正が必要なのですから政治家がリーダーシップをとるべきでしょう。
 こういう意味において、もしこの段階まで来たのにも関わらず政治家が動かなければ、それはその時に「キチンと動かない安倍総理はおかしい」と国民に向かってやえは主張するでしょう。
 そして残念ながら、あらゆる意味でいまの日本においては、足りていないモノばかりだと言わざるを得ないのが正直な現状だと思うのです。
 
 結論も主観でいいんですが、ただその結論を達成するために安易に「政治家が動けば達成される」→「政治家が動かないから達成できないんだ」→「この政治家は悪だ」と思考してしまうのは、ちょっと短絡的すぎるのではないのでしょうか。
 なぜ動かないのか、本来はどう動くべきなのか、他に理由や足りないモノがあるのではないのか。
 様々なモノを考えるべきなのです。
 「とにかく政治家が動いて法改正をすればそれで終わる」とは、結果だけ見ればその通りなのかもしれませんが、それは大変危険な考え方だと指摘するしかありません。
 
 以前よく使っていたフレーズなのですが、「政治家や国家は国民の安楽装置ではありません」。
 少なくともこの問題について言えば、現状、男系最優先論が未だ国民の中で受け入れられていない以上は、国民以外の言葉で表現される主体に責任を転嫁させるようなコトはできないのではないでしょうかと思っているのです。
 
 さて、何度もこのようなお話を繰り返してもアレですから、次回はまた皇統問題の中身について書いていきましょう。
 次回は「神武天皇家が続く意味」を説明してみようと思います。
 

皇室問題に対する世論の現状認識と、国民が主体的に政治に参加するための意識のお話


 今日の文章は、先日コメントくださいました.さんにレスする形での文章となりますが、内容的には一般論として書いてますので、多くの方に読んで頂ければと思います。
 皇室問題とその現状、そしてやえの姿勢に関するコトです。
 
 まずですが、たぶん2つの点において現状に対する認識がやえとはちがうんじゃないかと思います。
 1つは、やえは決して現状において「男系継続優先論」が今の国民の間で主論にはなっていないと思っている、という点。
 もう1つは、政治家にどういう形で伝えるべきか、という認識の点です。
 
 まず1点目ですが、もしかしたら.さんは、政治家が男系継承のための方策について具体的に案を提示すれば国民のほとんどがすぐに納得する、というように認識しておられるのではないかと、これまでの一連のコメントを拝見して感じているところですが、しかしやえはむしろ現状は真逆だと思います。
 確かに「男系で繋いでいくべき」という一言であれば、確かに多くの国民は理解するでしょう。
 しかし具体的方策、例えば旧宮家の復帰や、当サイトでは女性皇族の方に旧宮家の男性の方とご成婚してくださり、その際に宮家に復帰して頂き、皇位継承権はその子供から、という主張をしているところですが、こうした具体的な方法を今の国民に提示したら、おそらく多くの国民は反発するのではないのでしょうか。
 少なくともやえはそう認識しています。
 するとどうでしょうか。
 いま政治家が具体案を提示するのは、むしろ反発を招くだけで、男系継続への道が難しくなるだけのような気がしてなりません。
 
 よって、具体的に提示しない政治家が悪い、とは言えないと思っていますし、同時に政治家の方達も同様な感想を持っているのではないかと、やえは想像しています。
 政治家や、特に政府と自民党がどのような具体案を持っているのかはやえには分かりませんが、しかし少なくとも「宮家を増やす」「女性皇族の身分に関する現状を変更する」という部分についてはマストだと思いますので、ここについての具体案をいま提示するのは、むしろ男系継続にはマイナスになってしまうのではないでしょうか。
 それは当サイトにいただくコメントを見ても、ある程度見えてくるコトではないでしょうか。
 「男系ってなに?」
 「天皇を継承するために、なぜそんなコトまでしなければならないのか?」
 今の国民の認識というのは、こういう感想の方が圧倒的に多い気がしてなりません。
 
 また、特にこの件は単なる法律改正の問題ではなく、皇族のあり方を考えるモノです。
 もちろん技術的には法律改正にはなりますが、しかしいまの日本の憲法法律のあり方を考えれば、「政治家が一方的に皇族のあり方を変えてしまう」という形になってしまいます。
 これって本来大変に危険なんですよね。
 これは象徴天皇という現憲法の規定だけの問題だけでは無く、古来より日本政治の一番の課題となってきた天皇の政治利用のお話にまでなってしまう問題なのです。
 だからこそ、これは普段の法律の問題以上に、国民の側から声を上げるべき問題だと思うのです。
 
 理想を言えば、政治家の側からではなく、国民の側から、こういう形での継承をすべきだとコンセンサスがとれる方向が最もいいと思っています。
 少なくとも、「じゃあ具体的な手続きは政治家に任せますので、男系継続を最優先にしましょう」と多くの国民が理解できるところまでは必要なのではないでしょうか。
 
 もう1点。
 例えばやえがここで「政治家は具体案を出さない。けしからん」っていう趣旨の更新をアップしたとしましょう。
 しかしそれって、結局やえが普段やっているコトと同じですよね。
 まぁ万が一当サイトを国会議員の方が読んでくださっていたら全く無意味とは言いませんが、正直やえはその自信は持てません。
 また、どう考えてももし読んでくださっていたとしても、その国会議員さんの数よりも、読んでくださっている一般国民の方が、人数は多いですよね。
 それならやっぱり国民に向けた文章を書いた方がいいじゃないですかと。
 
 もちろんそれは、前回お話をしましたように、政治は国民こそから広めていくべきだという基本を守るというコトでもありますし、さらに言えば、ここで政治家批判をしたところで、政治家本人には届かない上に、国民が「そうだそうだ政治家が悪いんだ。政治家が動かないからダメなんだ」と自分は外側にいるような感覚になってしまいガチになってしまい、やえはこれが一番マズいコトだと思っています。
 だって主権者は国民なんですから。
 この姿勢っていうのは、いつまでたっても当事者意識が持てない日本の野党のような思考に凝り固まってしまう危険な考え方なのではないでしょうか。
 政治家批判は、耳当たりはいいですが、当事者意識を奪ってしまう方法だと思っています。
 
 ネットというのは、個人が主体的に動かなければ何も得られない点が良いところなんですね。
 国会を取り囲むデモは暴力的であり非民主的だと前回申し上げましたが、国民や政治家が個人として主体的にネットの文章を読みに行くというのは、自らの意志での行動であり、国民自らの主体的な行動です。
 だからやえはここに大きな可能性を信じているのです。
 以前にも言われたコトがあるのですが、やえは運動家や扇動家になるつもりはありません。
 ネット思想アイドルとして、ここでやえの考えを表明し主張するコトがやえの活動です。
 もしもっと違う形での活動を期待してくださるのでしたら大変光栄でありがとうございますなのですが、やえはこれらの意味で、いまのところは今の形をずっと続けていきたいと思っています。
 
 ネットが無い時代は、テレビと新聞が世論形成には大きな力となっていました。
 それはもう説明するまでもないですよね。
 でもいまネットが発達して、いよいよその旧態依然の体制から脱却できる時が来たのです。
 でもそれなのに、結局テレビなどと同じ手法によって世論を誘導しては、そんなの意味はありません。
 そして残念ながら、一部サイトにはそのようなキライが見えるところもあります。
 テレビや新聞の「発言切り貼り」は批判しておいて、自分たちはもっとひどい切り貼りや、趣旨とは180度も違うようなタイトルをつけてアクセスを得ようとするサイトですね。
 確かに多くの人からの注目を集め、また意見を1つの方向に(それが捏造まがいであっても)向かわせるという目的には、その手法の方が効果的なのかもしれませんが、やえは絶対にそんなコトしたくないのです。
 政治とは、民主主義とは、国民一人ひとりが自らの意志によって政治の方向性を決定づけてこそだと思っています。
 
 1億人以上いる国家の政治を考えて動かそうとするのですから、その1/1億でしかない個人でできるコトなんてそんな大きくありません。
 むしろそれは当然でしょう。
 やえはそれを自覚した上で、これからもやえの考えをここでアップしていきたいと思っています。
 もし、あんなコトもしてほしい、こういう方法もあるんじゃないか、というコトがあれば是非コメントして頂ければと思います。
 

国民が国民としてできるコト、やえがやってるコト


 ネットが発達して、これまで縁遠かったモノが近く感じられるようになったからかもしれませんが、最近、結果が伴わなければ全て無意味だと、しかもそれは最後の最終目的だけが1か0かの1しか認められないんだ、あとは全て0なんだと言わんばかりの考え方が横行してしまっているような気がします。
 そしてさらに悪いコトに、「どうせ0なんだから何か行動するのは無意味だ」「むしろ行動しない方がいい」という極論を正しいと思い込んでしまう人も増えてしまっている気がします。
 もしくは「1のためには過程なんてどうでもいい、手段もどうでもいい、1を達成するだけが正義だ」と思い込んでいる人ですね。
 これって思想の左右や内容に関わらずこういう人がいるワケですが、しかしこれ、ハッキリ言って大変に危険な考え方なんですね。
 
 やえがなぜこのようなサイトを続けているのか。
 それは、端的に言えば、「他の人に影響を与えたい」からです。
 やえの考え方を提示し、それを知ってもらうコトで、それがどういう方向にかというコトはともかく、何らかの影響を与えられると信じて、もう長年こういうサイトを続けているのです。
 例えば同調してもらう、議論や考えるキッカケにしてもらう、時には反論や反発もあるでしょう、でもそれも含めてそれは「他人に影響を与えている」ワケです。
 やえの文章があるからこそ、これまでとは違う考え方が新たに生まれているのです。
 これがやえの目的です。
 
 他人に影響を与えるってすごいコトだと思うんですよ。
 いまはもう色々あって更新が週に一回になってしまっているので、だいぶアクセスも減ってしまっていますが、一時期は1日に2000アクセスぐらいあって、いまでもまぁ150~300アクセスぐらい、トータルでどうですかね300~500人ぐらいの人は読んで頂いているんじゃないかと思っていますが、それだけの方に「やえの考え方を伝えられている」「他人の思考に刺激を与えている」「新たな反応を生んでいる」ワケです。
 やえはこれを無意味だとは思いません。
 もちろんもっと多くの人に読んでもらい、もっと多くの人に影響を与えたいとは思っていますし、そうなっていないコトについて努力不足を指摘されるのであればその通りですとしか言えないんですが、ただ現状が全て無意味かと言われると、それは否定します。
 少なくとも、「他人に(その人に)影響を与えている」という結果は出ているワケですしね。
 
 そしてそれは民主主義の精神に合致します。
 デモの時に散々言ってますが、デモという少数者によって直接政治家の考え方を変させるという行為は、民主主義ではありません。
 繰り返しますが、デモというのは少数者ですからね、いくら1万人集めたとしても、1万人なんて有権者からしたら少数者でしかありません。
 よってシールズとかそういう人達のやっているコトは、民主主義にとってはかけ離れたコトでしかないんですね、国会を取り囲むコトで、その場だけの見た目の数の力、すなわちその場の威圧感という暴力で政治の結果を変えようとしているのですから。
 つまりやってるコトはテロリズムとそうは変わりません。
 もし恐怖に訴えていないというなら、デモではなく署名を集めなさいと言うしかないワケで、これと同じように、もしやえに「直接的に政治家を動かしていないだから、全く無意味だ」と言うのであれば、それはやえに対してテロリストになれと言っているのと同義だ捉えざるを得なくなってしまうワケです。
 
 もし国会前でずっとやってるデモの人達をもって「行動している」、それ以外での媒体での言論活動は「行動していない」と言っている人に言いたいです。
 むしろ国会前で政治家に向かって罵声をどなりちらしている人達こそ、何も行動なんてしていない人達ですと。
 あの人達は、「国民に理解される努力」から逃げているだけでしかありません。
 楽な方向に楽な方向に逃げ、そして結果的にテロリストと同じ思考になってしまっているのです。
 彼らは何も行動なんてしていません。
 
 これもデモ批判の時に言ってますが、国民に向かってのデモなら、まだ意味はありますし、民主的です。
 どうしてもデモになると「見た目の数の多さによる圧迫感や恐怖感」というモノが付きまといますので、やえはデモ自体を肯定的には捉えられないのですが、それでも国民に向かって訴えかけるのであれば、それは政治活動や思想言論活動として認められるモノでしょう。
 国民が国民に訴えるコトによって、国民の主体的な意志によって政治を変えていくという、民主主義の精神に合致しているからです。
 そしてそれは古今東西様々な媒体によって行われてきました。
 デモもまぁそうでしょう。
 街頭演説や新聞雑誌などを通じての言論活動、テレビやラジオなども有効な手段ですし、明治や大正、昭和初期にはいわゆる同人誌も重要な言論の媒体だったワケですし、サロンとかで意見を交わし合うのも言論活動の一環と言えるでしょう。
 また口コミやミニ集会など、世間ではあまり注目されない媒体でも、立派な言論活動です。
 政治とは、こういう様々な「国民の意見」を積み上げたモノの結果であり、もしこれらの1つでも「直接動かせないから無意味だ」と言うのであれば、もはや「民主主義は無意味だ」と言っているコトにしかならない言えるでしょう。
 選挙だって結局は、国民一人ひとりの一票一票の積み重ねなんですからね。
 
 そしてネットとは、その媒体を誰でも手に入れるコトができる、素晴らしいツールなのです。
 
 テレビも新聞も雑誌も同人誌も街頭演説もそしてネットも、やっているコトの本質は何ら変わりません。
 すなわち、他人が他人に、国民が国民に影響を与えるってコトです。
 言わば結果的に見ている人が多いか少ないかの違いでしかなく、しかしテレビも新聞も法律で見るコトを義務づけられていないモノでしかなく、事実新聞も部数低下が、テレビは視聴率低下が近年顕著のように、見ている人が見るコトを主体的に選択している以上は、どれも本質はどれも全く変わらないんですね。
 テレビも新聞もネットも、誰かに強制されて読んでいるんじゃなくて、自分の意志で読んでいるのですから。
 ネットをよく使っている人こそが、この素晴らしいツールを信じなくてどうするんでしょうか。
 ネットがなければやえは他人に影響を与えるなんて活動をするコトはできませんでした。
 ネットがあるからできるんですし、それはやえに限らず全ての人ができるのです。
 それをネットを活用する人が否定してどうするのでしょうか。
 
 例えば今回の皇室典範のお話にしても、もしやえの主張が受け入れられるモノであれば、それをさらにそのまま自分のブログでもTwitterでもいいですので広めて貰えれば、やえもアナタも目的が合致するワケです。
 もちろん反論があれば行って貰って構いません。
 しかし、「政治家を動かせないから無意味だ」と言うのは、それこそ全く無意味だと断じざるを得ません。
 そんなコトして、いったいぜんたい何になるのですか?
 あるとしたら、やえの言葉を遮って男系断絶に持って行こうとする方向にでしょうか。
 もし本当に男系断絶に危機感を覚えている方でしたら、未だこれだけのアクセスしかない力不足甚だしい当サイトだけにするのでなく、アナタの力も併せて、もっと多くの人にこの考え方を広めていってほしいと思うのです。
 もちろんそれは、ご自身の考えとして昇華して頂き、ご自身の意見として文章にしてもらっても構いません。
 やえの意見を提示し、その人が考えるキッカケとなって、さらにそれをネットなどの公の場に提示するコトで、さらに多くの人が男系断絶に危機感を覚えたのであれば、それはやえの本意です。
 そしてなにより、政治はそうやって動かすべきモノなのです。
 
 やえは「国民が悪い」とは言いませんが、「国民の責任だ」とは言っています。
 民主主義とは、「みんなで決めて、みんなで責任を負う」という制度ですから、政治の結論の責任を負うのは国民です。
 例えば民主党政権の誕生と、それに伴う様々な失敗も、その痛手を負うのは国民であり、これは当然の帰結だと言うしかありません。
 民主主義の制度によって生まれた結果なんですからね。
 そしてその結果は、国民全体で負わなければなりません。
 
 やえは、神武天皇家が存続できるあらゆる方策を採るべきだと思っています。
 新しい王朝は不要だと言いませんが、いまは神武天皇家の存続のコトだけを考えるべきだと思っています。
 しかし残念ながら、そう思わない国民も実のところ結構いるというのが実際のところでしょう。
 実際当サイトにもそういう方向に持って行きたいと思っている人がコメントしているっぽいですし。
 であるなら、残念ながら「国民の意識が全く低くない」と言ってしまうのは、なかなか実情とは違うのではないのかと判断せざるを得ません。
 いえ、意識自体は低くないのかもしれません。
 でもそれは「神武天皇家最優先論」が国民の多くに浸透しているとは全く言えない状況でしょう。
 こういう現状を目の当たりにした時、「政治家が動かないのは、国民との意識無視しているのであり、責任は政治家だけにある」とは決して言えないと思います。
 
 もし「神武天皇家の存続が最優先だ」という意見が大きな批判もなく受け入れられる状況になれば、必ず政治家はその方向に動くと思いますし、もしそれで動かなければ「国民との乖離」という意味で政治家を批判すべきでしょう。
 その際にはやえも批判すると思います、誰の政権であったとしても。
 でも今はそうじゃないんですね。
 実際やえが何回かここで問題提起しただけで、こんなにも反発がでる始末。
 もしいまが、「そうだそうだ、まずやれるコトをやってからにしろ」「神武天皇家と新しい天皇家は別モノだ」「なぜ出来ることがあるのに、それすら蔑ろにしようとする言説があるんだ」という言説ばかりのような状況であれば、政治の動きも全然違うコトになっていたと思いますよ。
 でも実際は全く違うじゃないですか。
 少なくとも、コメント欄でやえに反発しても「神武天皇家の存続」への後押しには1ミリたりともなりはしないですよ。
 
 皇統問題に限らず全ての政治問題は、結局は「国民一人ひとりがどう思うか」なのです。
 民主主義なんですから。
 手前味噌ですが、数年前の人権擁護法案の時は、当サイトはかなりの影響を発揮し、現実問題に対して大きな力となったとコトは、こういう活動をする上で自負を持っています。
 でもこれも、別にやえがこれまでの活動と違い何か特別なコトをしたワケだからじゃありません。
 裏で人を先導したり、動員をお願いしたり、どこかでお金を掛けて宣伝したとか、そんなのは全くしていません。
 ただあの時は色々なタイミングによって当サイトを「多くの人が読んでくれた」「多くの人が影響を受けてくれた」だけなんですね。
 ですから、この問題について「アクセスが少ないじゃないか」というご批判でしたら、やえの力不足というコトでごめんなさいです。
 ただし、「何もやっていない」と言うのでしたら、それは的外れですよと言うしかありませんし、「何も結果は出ていない」と言うのでしたら、それは違うと言うしかありません。
 もし内容に反論があるなら中身を持って反論をお願いします。
 そうでないなら、アナタこそ言うべき相手が違うのではないですかと言わざるを得ません。
 
 思想言論なのに、「身体を動かしているから動いている」「文字だけだから動いていない」というのは、まさに矛盾そのものでしょう。
 思想言論とは、「何を思うのか」「どう考えるのか」です。
 身体を動かす必要はありません。
 他人に「どう考えるのか」という部分に、何パーセントかでも影響を与えるコトができたら、それはやえがサイトで文章を書いたという行為に意味があったと、少なくともやえはそう信じています。
 それこそが思想言論活動のハズなんですから。
 
 人権法の時をはじめ、過去何度かネットが実際の政治に影響を与えたコトがあります。
 だたそれを「ネットというひとつの個体」が動いたという見方をしては本質を全く見誤ります。
 実際は、「ネットという媒体を通じて、国民個人個人がそれぞれ主張し合った結果」として、その声が政治を動かしたのです。
 どこか「国民」というモノを、得体の知れない一つの個として見てしまってはいませんか?
 しかし国民というのは、自分も含めた個と個でしかないのです。
 だからこそ、自分も含めたその個に責任を持たなければなりませんし、何か主張があれば、その個にどう影響を与えられるかを考えるべきなのです。
 この世の中は、悪の秘密結社があるような、たったひとつの意志で動くようなフィクションの世界ではないのです。
 特に民主主義は個の集まりによって形成されているのです。
 だからこそやえは、その個に対して訴えるコトによって、より良い世の中になればいいなと願いを込めているのです。
 
 ごめんなさい、なんだか長くなっちゃいましたね。
 

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