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議論は対案を示すのではなく論拠を交わすこと


 最近よく耳にするので、かなり気になっているコトがあります。
 それは、「反対するなら対案出せ」という言葉です。
 よく聞きますよね。
 これを政治家に言うのでしたらあながち間違いではないのですが、そうでない人に言う、むしろ政治家の案に対して非政治家に向かって対案を出せと、場合によっては政治家本人が非政治家に向かって「文句があるなら具体的な対案を出せ」と言う場面もたまに見かけ、それにはかなり違和感を覚えざるを得ません。
 
 もちろんケースバイケースではあります。
 とにかく反対反対と言って、揚げ足取りにすらならないような言葉の上だけでとにかく反対だと言うような人に対しては、やっぱり「対案を出せ」と言いたくなる気持ちも分かります。
 また、提案を全否定するかのような言い方をすれば、「それなら対案出せ」と言わざるを得ないでしょう。
 そういうコトもないとは言いません。
 しかしでもですね、これって本来議論においては「反論」としては適切ではない言葉なのです。
 この「対案を出せ」っていうのは、一見するとまともで、反対者も反論しづらく、なにより最初に案を出した方としては断然有利になる言葉ですからよく使われるのでしょうけど、でも議論の場においては、それは議論する上では適切ではない、むしろ議論を阻害する発言でしかないのです。
 
 なぜか。
 議論とは、論拠をお互いに交わすコトを指し示す言葉だからです。
 例えば、二者がお互いに提案をしている、つまり対案も出されている議論だったとしても、でも議論の内容そのものは対案の文面を読み合うだけでは全く噛み合いませんよね。
 だってそんなコトしても、自分の主張だけを一方的に言っているだけで、まったくお互いの意見が噛み合わないからです。
 どちらの主張が「より多くの人に賛成して貰えるか」という選挙みたいな場であればそれでもいいのですが、議論とは論者で意見を交わし合わすコトですから、これとは違うワケです。
 つまり、例え案や対案が出ているとしても議論の場であれば、一番のキモはそれぞれの論拠であって、ここの意見を交わし合ってこそ議論と呼べる状態になるのです。
 
 例えばですね、ある案に対して「その案には○○という点で欠陥がある」という指摘に対しては、どう答えるべきでしょうか。
 正しくは、「○○という点は××という意味でセーフティネットを張っている」とか「○○の観点は気付かなかった。その穴が無くなるよう練り直す」とか、○○という論拠に対する答えです。
 これが議論です。
 決して「そんなコト言うなら対案出せ」と回答するのが議論ではありません。
 むしそこんなのは逃げですよね。
 キチンとその案には実はそのような欠陥があると指摘されるのであれば、それを塞ぐコトはやはり提案者としての責務と言えるでしょう。
 そしてそのを指摘した人も、それは国に対する案であれば国を良くしようという思いからであり、議論を深めるコトがそれに繋がるという思いのもとでの指摘と言えるワケです。
 
 与党と野党の役割とは、むしろこういう役割分担なワケです。
 最近すぐに「野党は対案を出せ」とか言う人、「自民党は反対しか言わない」とか言う人がいますが、これは「議論」というモノを理解していない人の言葉としか言いようがありません。
 与党は最初に提案をするのが責務です。
 ですから、まず野党から出せとか言う人は政治を全く理解していない人としか言いようがないのですが、その与党案に対して野党が「○○という部分は不適切だ」と指摘するコトは、これは議論なのです。
 批判するコト自体を批判する人が最近多いワケですが、しかしそれは議論をするという行為であって、咎められる理由など一つもありません。
 国会は議論の場です。
 選挙の場ではありません。
 ですから、案に対して問題があればそれを指摘するコトは、むしろ対案を出すよりも国会の場としては相応しいとさえ言えるのです。
 
 もちろんここは論拠こそが大切です。
 論拠も示さず「それはダメだ」と言っても、そんなのは足を引っぱっていると表現されるべき行為です。
 しかし、論拠があって批判をしている行為に対して「足を引っぱっている」と表現するコトは、むしろそれこそ適切な議論を不当に阻害する足を引っぱる行為、ひいては日本の国益の足を引っぱる行為としか言いようがありません。
 以前の野党時代の民主党は、論拠もなく反対のための反対をしていました。
 自ら提案した法案に反対するというウルトラCまで出して反対のための反対をしていました。
 これこそ「足を引っぱっている」という行為でありましたが、しかし自民党の反対はどうでしょうか。
 確かにいまの自民党は、与党時代に比べれば自らの提案は減っています。
 当然です。
 だって野党なのですから、手足となる官僚がいないワケで、ですから具体的な法案提出は減って当然です。
 しかしそれだけをもって「足を引っぱっている」とか「反対しかしていない」とか言ってしまうのは、それは完全に間違いです。
 野党の大切な職責の中には、政府の案に穴がないかどうかをチェックする役割があり、自民党は具体的な論拠を持ってそれを実行しているのです。
 自民党の批判は、これは国会をマスコミフィルターを通さずに見ていただければ一目瞭然ですが、キチンと理路整然と論拠を持って批判しています。
 この行為を否定するであれば、もはや「議論」というモノは誰にも出来なくなってしまうコトでしょう。
 
 結局は「論拠」なのです。
 論拠を示して批判するコトは正しい議論であり、もし論拠がないままに言うならただの足の引っぱりです。
 批判に対して「だったら対案出せ」はある意味言論封鎖の言葉です。
 もしこの言葉を言う人がいれば、その批判には論拠がキチンと明示されているかどうかに注目してみてください。
 論拠がキチンと示されているのに「対案出せ」と言っているのであれば、それはただの逃げです。
 議論から逃げている人だと指摘するしかありません。

論拠があってこそ結論が生まれる


 結論ってなんでしょうか。
 
 よく、ある議題を議論する時、「まず自分の立場を表明して主張するのが公平だ」みたいなコトを言う人がいますが、やえはこれに全然共感できません。
 「自分は○○に反対します。理由は~~」という言い方ですが、これは論文とか発言でもいいですけど「表現する手段」としては優れているので、そういう意味で使うのは間違いではありません。
 しかし、どんな主張をする時も、「立場を表明しなければ意見を言ってはならない」というような意味で使うのは間違いです。
 
 TPPのコトについて書いた時、「反対とは言わないけど内容的には反対だろ」みたいなコメントを頂きましたが、これも「なぜ立場をハッキリさせないのか」という意識が根底にあるんじゃないかと思います。
 人権擁護法案の時にも散々言われました。
 賛成なのか反対なのかまず言え、と。
 最近では、橋下さんに対する論評も、そのように思われているかもしれません。
 
 でも、それは意見を主張するという意味においては間違っています。
 だって、結論なんてモノは結局のところは後からついてくるおまけみたいなモノだからです。
 例えば、TPPについて考えたとします。
 TPPってなんだろうって考えた時、分からないコトがあれば色々と調べて、調べていく中で自分なりの意見とか、さらなる疑問とかがさらに生まれてきますよね。
 やえの場合、「こんな大切な政治決定なのに、なぜ野田総理はキチンと手続きを踏んで説明をしないのでしょうか」と、そういうモノです。
 そして本来は、それらが積み重なるコトによって疑問がひとつひとつ解かれていき、自分なりの意見の集約が出来て、最終的に反対だとか賛成だとか1つの結論が生まれるワケです。
 「○○という理由があるから、これは反対すべき案件だろう」と、こういう理論立てですね。
 つまりこれはあくまで、過程の積み重ねがあってこそ生まれる結論なワケなのです。。
 
 しかしそれに対して、TPPに興味を持った瞬間に「これは反対だ」と決めつけるコトなんていうのは出来ないハズです。
 なんで反対なんですかと、逆に聞きたくなります。
 理由もないのに賛成とか反対とか結論づけるコトなんでできませんよね。
 だから結論なんていうモノは、副産物的に勝手に生まれてくるモノでしかなく、能動的に自ら生まれ出てくるモノではないのです。
 
 よって、意見主張においては、立場の表明なんていうモノは必要ありません。
 議論とは、問題を考えて結論に至る前までの「過程の積み重ね」のコトです。
 特にやえは、この議論の部分をネットに表明するコトで「やえの意見」を読んで貰おうという行為をしているのであって、「意見」を読んで貰おうとしているのであって、結論を表明してそれに賛同してもらおうとしているワケではありません。
 後者のそれは運動家のやるコトです。
 やえは運動家の存在を否定するつもりはありませんが、少なくともやえが運動家になろうとは思いません。
 ですから、あくまでやえの言うコトは議論の部分であって、過程の積み重ねの部分をここに記しているワケなのです。
 
 その問題をどう考えるかが思想なんだと思っています。
 その問題の結論がどうなのか、ではないのです。
 
 世の中、そんな割り切れるコトばかりではありません。
 仮に選挙であれば白黒ハッキリさせないといけませんし、やえも選挙に投票できる年になったらその時には白黒ハッキリさせて投票すると思いますが、そうでない時には敢えて賛成か反対かなんて2つしかない選択肢に迫られる必要はないでしょう。
 むしろ立場をハッキリさせるというコトは、思考の硬直に繋がります。
 例えばこういう感じです。
 
 「自分は保守派だから人権擁護法案には反対する」
 
 立場を表明した後に意見を言うという形での、まったく間違えた主張の方法です。
 立場の表明はこういう思考の硬直に成りかねないので、やえはしないのです。
 
 というか必要ないんですね。
 ある問題を考える際においては、なぜそう考えるのかという過程が大切なだけであって、それを積み重ねれば自然に勝手に自動に結論は出てくるモノなのです。
 結論は表明しなくても、論拠を明らかにすれば、では結論をどうすべきかなんてコトは自然と明らかになるのです。
 必要なのは、論拠を生み出すコトです。
 なぜその問題をこう考えるのかという論拠です。
 問題を考える場合には、いそいで結論を得ようとするのではなく、論拠を出来るだけ大きく脹らませるコトを意識して思考すべきだと思います。
 
 やえはいつもそうしています。

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