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バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳

民主党には消費税を上げる資格はない


 余計なコトを言うコトに関しては定評のある岡田副総理がまた余計なコトを言ったせいで、にわかに民主党・自民党による大連立のお話が囁かれるようになりました。
 結局自民党の谷垣総裁も各大臣もあり得ないと言ってますのでいまは落ち着いてきましたが、本当に岡田副総理は何を考えてこんなコトを口にするんでしょうね。
 政治家なら、実際に交渉をしてもそれを言わない、言ったらどんな騒ぎになるのかぐらい想像してからしゃべるモノですが、まぁ「どんなコトになるのか」っていう想像力を民主党議員に期待する方が間違いなのかもしれません。
 鳩山元総理も、総理時代何も考えてなかったと自ら認めていますしね……。
 
 ところでこの大連立ですが、なんのためかと言いますと、多くの理由は消費税増税のためです。
 国民にはウケの悪い政策であるだけに、民主党としては自民党に抱きつくコトで、ダメージを最小限に抑えようという狙いがあるワケです。
 ですから3党協議とか大連立とか言って、なんとか自民党にしがみつこうとしているワケなんですね。
 
 しかしこれはもう何度も言ってますように、民主党には消費税を増税する資格だけでなく、消費税を語る資格すらありません。
 なぜなら、民主党自身が先の衆議院選挙の時に「消費税は任期中に議論すらしない」と明言していたからです。
 「増税しない」ではありません。
 「議論しない」です。
 つまり、増税するしないに関わらず、いま現在の状態ですら現在進行形で民主党は自らの言葉を破って国民に嘘を付き続けているのです。
 いまの民主党には消費税を語る資格はないのです。
 
 しかしこれはなにも民主党がダメっていうだけの理由ではありません。
 民主党の批判だけの意味ではないのです。
 むしろですね、この問題というのは国民の政治に対する姿勢についての問題であり、最終的には民主主義の問題になります。
 なぜなら、結局このような公約違反、約束破りを堂々とされ、それを国民が許すようなコトになってしまえば、それは選挙というモノが形骸化し、まったく意味を成さないモノになってしまうからです。
 それは最終的には国民の不利益になります。
 選挙とは、国民の意思を反映するモノですが、政治家が選挙の際の言葉をあっさりと翻すのであれば、国民が誰を選んでも政治の結果は国民の意思とは違うモノになるのですから、選挙そのものが無意味になるからです。
 国民が「こうしてほしい」という意志を反映できない選挙に、一切の価値など有りはしません。
 
 そしてこの「選挙の価値」を守るのも国民なのです。
 国民こそが「選挙の価値」を守らなければならないのです。
 すなわち、選挙の際の言葉を約束をあっさりと破るような政治家や政党は、政策を語る資格すら一切無いと国民自らがその意思を突き付けなければならないのです。
 
 本来なら政治家自らが約束を守ろうとするのが本筋でしょう。
 それはそうです。
 でもですよ、国民の方から約束を破ってもいいんだなんて態度を取れば、そんなの政治家はあっさりと約束破りますよ。
 だって楽なんですもの。
 楽ですし、その方が票が取れます。
 それで許されるなら、票が取れるなら、いくらでも政治家は約束を破るでしょう。
 こんなの政治に限らないですよね。
 「破ってもいいよ」と言って結ぶ約束に何の意味があるというのでしょうか。
 いまの状態というのは、民主党が一方的に約束を破っているのではなく、国民の方も「破ってもいいですよ」と言ってしまっている状態なのです。
 
 だから国民こそが「約束破りは認めない」とハッキリ言わないといけないのです。
 政策の中身が云々なのではなく、「そもそも民主主義の根幹として約束破りをするような政党には政策を語る資格すらない」と言わなければならないのです。
 そうしなければ、国民自身の利益を損なうコトにしかならないからです。
 それなのになんでしょうかね。
 いまマスコミも一部国民も、民主党の約束破りを堂々と認めるかのようにお話を進めようとしています。
 あの時の民主党の言葉を忘れたかのように触れないだけでなく、しっかりと筋を通している自民党に抱きついて「同じように消費税増税を言っているだろ」「どっちもどっち」と言ってしまっています。
 民主主義的に自民党と民主党を同じステージに上げるコトすらしてはならないコトなのに、確信犯なのか無自覚なのか、「どっちもどっち論」で抱き合わせようとしています。
 こんなコトをしていると、結局そのツケは国民自身、自分自身に跳ね返ってくるのにも関わらずです。
 
 マスコミですとかそういう人たちって、もしかしたら確信犯なんですかね。
 日本の政治をダメにしようと、国民にとにかく痛みを押しつけようと、そういう意図でこんなコトを言っている、民主党のウソを黙認しようとしているのかもしれません。
 日本を良くしたいと思っている人にとっては本当に腹立たしいコトでしょう。
 やえも怒りを覚えます。
 
 そしてですね、コト消費税に関しては、自民党はちゃんと筋を通しているのです。
 自民党には消費税を上げる資格はあるのです。
 
 
 (つづく)



よく分からない記事


 というワケで、これ月曜日に書いたモノです。
 今日はこちらの記事について簡単にコメントしたいと思います。
 

 「維新」比例近畿トップ24%…民・自ショック
 
 読売新聞社は16~18日、近畿2府4県の有権者を対象に世論調査を行い、国政進出を目指す地域政党「大阪維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)が近畿圏全域に浸透する勢いを見せていることが分かった。
 次期衆院選の比例近畿ブロックでの投票先を聞いたところ、維新に投票すると答えた人は24%とトップを占めた。近畿圏で有権者の既成政党離れが鮮明となったことは、民主、自民の2大政党に危機感を募らせ、両党の解散戦略にも大きな影響を与えそうだ。
 比例選近畿ブロックの投票先では、2位が自民党の18%。これに民主党10%、公明党5%、みんなの党と共産党各3%と続いた。
 府県別でみると、維新は地元の大阪で31%の支持を集め、2位の自民党(14%)を大きく引き離したのを始め、和歌山、滋賀、奈良でもトップに立った。京都は自民党25%、維新13%、兵庫は自民党20%、維新18%と、自民党の支持の方が多かった。民主党は2府4県すべてで維新や自民党を下回り、3位に低迷した。

 
 まさにマスコミらしい記事と言える記事です。
 やえがまずこの記事を全部読んで思ったコトは、「大阪ですら31%しかないんですか」という感想です。
 そう思いません?
 いまの世の中、維新の会以外の政党なんてあり得ないみたいな報道をしているくせに、蓋を開けてみればたった31%ですよ?
 単純な比較はまぁできませんが、内閣支持率が31%であれば風前の灯火レベルの数ですよ。
 50を超えていればおおって感じなのかもしれませんが、30台ですよ、40より29の方が近いんですよ。
 そう考えれば、この数字を目の当たりにした時の分析としては「案外大阪の人も冷めているんじゃないか」という分析なのではないでしょうか。
 
 それなのにこの記事のタイトルは「民・自ショック」ですよ。
 意味が分かりません。
 民主党はまだしも、自民党なんて記事にもありますように京都と兵庫では維新すら押さえてトップですよ。
 しかもしかも京都なんて「自民党25%、維新13%」ですよ?
 京都の民主の支持率が知りたいところですが、ここまで大差を付けているというのは、むしろ自民党は自信を持っていい数字と言えるのではないのでしょうか。
 
 このマスコミの姑息なやり方というかですね、いくらデータがあったとしても、それを一切無視して記事を作り、そして一番目立つタイトルで印象操作しようとしているワケです。
 しかも記事の中に円グラフを使っていますが、こちらは「どこに投票しますか」のグラフではなく、期待するかしないかの二択のグラフです。
 こんな適当な質問をする意味も分からないワケですし、投票先の数を差し置いて大きく載せる意味も分からないワケですし、まったくもって印象操作だけの意味しかないと言わざるを得ません。
 この記者も多分思ったより維新の会の支持率が低くて焦ったんでしょうね。
 こうやって世論をなんとか操作しようとしているワケです。
 本当に卑怯です。
 
 さらに言いたいコトが2点あります。
 まず1点目は、この調査は近畿地方だけの調査というコトですが、都道府県別の有効回答者数はちゃんと一律で揃っているかどうかという点が明らかになっていないというコトです。
 いつも支持率の記事になるとその調査方法に疑問を持たざるを得ないところなのですが、特にですね、例えば今回のこの調査では、大阪での回答数が多ければ当然全体として維新の数字が大きくなるのは当然ですよね。
 だから実は都道府県別でキッチリと有効回答数を揃えれば、全体としての維新の会の31%という支持率も実際はもっと低くい可能性だってあるワケです。
 そもそもどういう方法で何人に聞いたのかすら載っていない記事ですが、本当にこんなモノが公的な性格を持つ新聞紙に載って一定の影響力が出てしまうという点で、様々な意味でデタラメだと言うしかないのではないでしょうか。
 
 もう1点は、民主党の支持率が10%しかないという結果ですが、これは全国のいつもの支持率調査からして低すぎると言えるでしょう。
 なかなか10%っていうのは見たコトないですよ。
 でもこれって多分、生の数字だと思うんですね。
 例えば選挙の際の出口調査の時は「実際に投票先を聞いた結果に、取材によって得られた情勢を加味した結果」とキチンと言うのですが、このようにマスコミの調査結果とは、そのマスコミの独自の評価が加えられているんですね。
 よくこれを「下駄を履かせる」なんて言います。
 だから普段の支持率調査も下駄を履かせていると思われるワケですが、今回のこの調査はそれが無い、生の数字なんだろうと予想されます。
 じゃないと10%なんて数字は出てきませんよ。
 実際のところはこんな程度でしょう。
 民主に対する支持率も、そして維新の会に対する支持率も、実際はこのぐらいのモノではないでしょうか。
 やえが肌で感じる感覚でも、これぐらいな気がしますね。
 
 そもそもですよ、維新の会は候補者すらまだ全然決まっていないのに、政党の名前だけで比べるっていう行為がどうかと思うんですよね。
 政治家は人ですよ。
 政治は人そのものです。
 政策はもちろん大切ですが、しかしそれも「誰が言うのか」こそが大切であり、それは日本国民は痛い目を見て身をもって学んだハズです。
 いまさら鳩山由紀夫元総理が「沖縄米軍基地問題を解決する」と言ったとしてもそれを信用できますか?
 こういうコトです。
 
 というワケで、マスコミの印象操作にはひっかからないようにしましょうといういつも通りのまとめです。



原発事故と地震津波


 ごめんなさい、ひさしぶりにやっちゃいました。
 更新文章を入れたメモリを忘れちゃいましたぁぁぁ。
 ああん。
 こう休み明けに更新がとぎれるのはちょっとアレですよね。
 せっかく来てくださった方には申し訳ないです。
 
 というワケで、放射能のお話は先週で一区切りつけようと思っていたのですが、ちょっと簡単にひとこと言っておこうと思います。
 と言っても、これも震災直後に言ったコトではあるんですが。
 
 というのもですね、結局お金も時間も有限なワケですから、どうしても優先順位って決めないといけないワケです。
 特にお金が無限にあるのであれば、全世帯の屋根にソーラーパネルを付け、全ての川に水力発電所を建て、天然ガスを買いまくって火力発電所を作り、原子力に頼らない発電を目指せばいいのでしょう。
 でもそうはいかないから、現実的な対応を考えなければならないワケです。
 そしてそれと同じようにですね、今回2万人もの死者・行方不明者を出し、40万人以上の避難者と、800万戸以上の停電世帯、180万戸以上の断水世帯を出した未曾有の地震と津波の被害があったのですから、それはかなり高い優先順位でその対策をしなければならないと言えるのではないのでしょうか。
 
 原子力が放射能がって言うのもいいんですが、もし未来の危険のために原子力発電所を作るなって言うなら、それと同じぐらい、いえそれ以上の大きな声を持って「いますぐ20mの堤防を作ろう」とか「海辺に住むのはやめよう」と言うべきなのではないでしょうか。
 
 じゃないと矛盾じゃないですか?
 今回は日本海側の東北地方で大津波が発生しましたが、これは地震の震源地によって場所が変わるだけであって、明日にでも西日本でも関東でもどこでだったあの大きさの津波が明日にでも来るかもしれないのです。
 それなら、なぜ「今すぐ海岸線や川の近くに住んでいる人は今すぐ引っ越ししろ」と言わないのでしょうか。
 
 それとも、2万人の死者・行方不明者というのはそこまで大きくない被害とでも言うのでしょうか。
 
 やえにはこの優先順位の付け方がよく分かりません。
 前回まで言いましたように、放射能の被害はまだまだ研究や検討する余地のある問題です。
 下手をすれば、今回の事故ぐらいでは「不安を覚えた」以外の影響は全くない事故である可能性もあります。
 もちろん可能性で言えばもっと大事故になっていた可能性もあるワケですが、しかしそれで言うなら、もっと大きな地震・津波がくる可能性だって誰にも否定できませんよね。
 明日東京のど真ん中で、マグニチュード9の直下型地震が来る可能性もあるワケで、よって可能性合戦しても無意味なんですから、それなら今回のコトをまず教訓にしてどうするのかというコトを考える方がよっぽど建設的です。
 まして、確か50年以内に首都直下型地震が起こる可能性は70%とか言われているんですよね、それと今回以上の原発事故が起こる可能性ってどっちが高いかと比べれば、そりゃ70%の方じゃないですかねと、2万人の死者・行方不明者と、いまのところ放射能だけが原因での一般人の死者は0なのと、どっちが優先順位が高いのかと言えば、やっぱり2万人じゃないですかと、そう言えませんでしょうか。
 
 まぁ何が重要なのかっていうの人によって違うとは言えるでしょうけど、ただですね、2万人の死者・行方不明者という数字を目の前に、それには一切触れずに他のモノばかり言うっていうのは、どうしても違和感があるワケです。
 2万人が一度に津波に飲まれてしまったんですよ。
 こんな大惨事、他には無いですよ。
 
 事故に備える、人の命を大切にする、国土を守ろうとする気持ちは尊い気持ちです。
 でもそれは放射能だけではないのです。
 優先度を付ける中で、沿岸対策を全く言わないというのは、果たしてどうなんだろうと、やえはとても疑問に思うのです。



同調圧力に屈せず冷静に科学的な議論を (下)


 (つづき)
 
 もう1つ例を挙げます。
 先程日本の自然放射線量と世界平均の自然放射線量は違うというお話をしました。
 日本では1.48ミリシーベルトですが、世界平均は2.4ミリというほぼ倍の数値です。
 つまり自然放射線量は地域によって違うというコトになるワケですが、となれば平均値よりも高い地域も当然あるというコトになりますよね。
 でなければ「平均」という言葉は出てきませんし、日本と世界の差も生まれません。
 
 こちらをご覧下さい
 これちょっと注意なんですが、この表の単位は「(mGy/年)」となっていまして、シーベルトではないので数値の比較はちょっと出来ないのですけど、この表の中だけは単位は揃っていますから、その差だけを考えてみてください。
 イランのラムサールという地域の自然放射線量は、世界平均のなんと20倍です。
 すごいですね。
 しかし、となれば日本を基準にすればもっと高くなるワケで、ますますこれはすごいですよね。
 ブラジルのガラパリでさえ10倍ですし、日本平均から見ると、香港を比べても5~6割増しぐらいなワケです。
 シーベルトで換算して考えみれば、日本の平均は1.48ミリシーベルト/年でしたから、その5割増だとしても、香港ですら2.22ミリシーベルト/年です。
 香港に行けば、それだけで日本よりもこんなにも高い放射線を浴びてしまうコトになるワケなんですね。
 
 こちらの公益財団法人体質研究会っていうサイトには次のような記述があります。
 

 3. 高自然放射線地域における疫学研究 
 放射線の影響はわずかな量であっても悪いと信じる人の数は多いのですが、このような高自然放射線地域には多くの人びとが何世代にもわたって暮らしています。放射線は微量でも健康に影響があるのなら、このようなところに住んでいる人の健康に異常は生じていないのでしょうか?高自然放射線地域の人々にがんを発症あるいは死亡する割合が高く現れているのだろうか。その疑問に答えるため、このような地域の自然放射線の量と健康状態を調べる大規模な調査研究が行われています。
 中国衛生部工業衛生実験所(現 National Institute for Radiological Protection)のWei Luxin博士を中心とした中国の研究グループは1972年以降、放射線レベルの測定のみならず、住民への健康影響も調査し、その結果をまとめ1980年にサイエンス誌に発表し、世界的の注目を受けるところとなりました。彼等の調査によると、がん死亡は増加しておらず、むしろ対照地域に比べ少し低いということです。遺伝病の増加は見られませんでしたが、ダウン症は例外で、高自然放射線地域で高値でした。しかし、高自然放射線地域と対照地域で母親の出産時年齢に違いがあるなどの方法論的な問題点が指摘され、その後の調査ではこれらの問題点を考慮した検討が行われましたが、ダウン症の増加は確認されませんでした。1980年代には米国がん研究所との中・米共同研究が行われ、女性の甲状腺結節の有病率などが検討されましたが、増加は認められませんでした(Wangら JNCI 1990年)。

 
 いろいろ書いてますが、健康被害は疫学上見あたりませんでしたという内容です。
 まぁ常識的に考えれば、その地域の人たちだけ異様に平均寿命が短かったり、遺伝的な疾患が特に多く見られたりしていれば、原発事故以前からもっとそのコトは広く知られていたコトでしょう。
 そもそも広島原爆にしても、被爆者の子供であるいわゆる被爆二世に対してでも今のところ一切の特別な影響は出ていないと日米共同機関放射線影響研究所研究結果が出ています(PDFファイル)(記事ベース)から、高自然放射線地域でも納得できる結果なのではないでしょうか。
 
 さてこれをどう考えるべきなのでしょうか。
 繰り返しますが、やえは専門家でも科学者でも学者でもないですから、断言は出来ません。
 しません。
 ただ、ちょっとネットを調べるだけでこれだけの事実が出てくるワケですから、そんなやえでも問題提起は出来るワケです。
 
 ちょっと考えてみてください。
 本来は、学者や行政がですね、こういうコトも調べた上でキチッと説明をすべきなのではないでしょうか。
 特にですね、「万が一事故が起きた時に処理しきれない」というコトを考えるのであれば、まずは科学的検証がなければ、処理できるのか、それとも処理しきれなくなってしまうのかというのは分からないハズなのですから、まずは科学的検証が必要ですよね。
 だからこの問題はもっとキチンと考えるべきのハズです。
 世界にはもっともっと高放射線を日常的に浴びている人がいて、その人達の健康には全く影響が出ていないという事実があるのですから、ここをキチッと精査して、この非常事態の線引きの基準を考えなければならないのではないでしょうか。
 感情論はともかくとしても、ここの科学的な線引きを考えておくというのは大切なコトだと思います。
 
 いま一番の問題はですね、こういうコトが堂々と言えない空気に日本がなってしまっているコトです。
 放射能問題で今回やえが言ったようなコトを言うと、すぐに「御用学者だ」とか「太鼓持ちだ」とか「可能性はゼロと言いきれるのか」とか「子持ちのお母さんの気持ちを考えたコトがあるのか」とか、そういうレッテルとか感情論だけの、論拠のない言葉だけで意見が封じ込まれてしまいます。
 特に選挙のある政治家なんて、感情論と言えども一票は一票ですから、ますます「感情論の数」に負けてしまいます。
 学者も、「ママの感情論」なんていう、もしかしたらこの世の中で一番怖いモノには、やっぱり触れないでおこうとか思ってしまうのでしょう。
 好き好んでやぶに手を突っ込もうという人もいないでしょう。
 これこそ「同調圧力」ですよね。
 いま何を言っても、仮に科学的見地に冷静に立っての意見だったとしても、それはあっさりと叩きつぶされてしまい、下手をすれば自分の立場まで危うく成りかねないという雰囲気を醸し出しているのがいまの日本ですよね。
 まさに同調圧力です。
 こんなの、このまま許してもいいのでしょうか。
 
 今回やえの文章を読んでいただいた方に聞きたいですが、これを読めば、科学的な検証は必要だと思いませんか?
 感情論ではなく、キチッとした科学的根拠に基づく線引きが必要だと思いませんか?
 今回のやえが出したデータが全て正しいとは断言しません。
 何度も言いますように、やえにはそんなコトを断言する資格はないからです。
 でも1つだけ言わせて貰いますと、おそらく日本国内の年間自然放射線量は正しいデータだと思いますから、それと比べてより少ない数字を持ち出して土の入れ替え作業をしなければならないとするのは、ちょっと考え直すべきモノではないかと思います。
 さらに言えば、放射性物質は時間と共に飛んでいったり拡散して時間と共に減っていきますからね、現状で影響がなければ、あとはほっとけば自然と以前の状態に戻るだけのお話です。
 広島もいまはもう放射線量は他の地域と変わらないレベルに戻っています。
 ですからそういう事実、まぁこれもやえは科学者でないですから断言はできないのですが、事実としてある以上は、それを検証して科学的に分析した上で結論を出せば、果たしていま急いでお金をかけてまで土の入れ替え作業をするのが妥当かどうかが見えてくるのではないでしょうか。
 
 いま一番の問題は同調圧力です。
 いまはこういうコトを言うだけで、論拠のない誹謗が投げかけられてしまいます。
 それは本来許してはならないハズです。
 本来は科学的見地で検証した上で、政治的な判断や結論を出すべきです。
 政治判断に感情論は一切含めるなとは言いませんが、その前に科学的な検証は絶対に必要なハズです。
 科学者には、感情論など一切関係なく科学的に検証して意見を言う権利がある、いえ義務があると言えるでしょう。
 いまそれが正しく行われているかどうかという点で、やえは非常に疑問に思わざるを得ないのです。
 
 積み重ねなんですよ。
 「万が一事故が起きた時に処理しきれないから原発反対」とひとこと言っても、どの程度の規模なら処理しきれなくなるのか、そういう検証は必要ですよね。
 「事故が起きました、即処理しきれなくなります」、とはならないです。
 事故の規模にもよりますし、これは何度も言ってますが、今回の東日本大震災でも福島原発以上に揺れたと言われる女川原発は無事だったワケですから、やりようはあったハズです。
 もちろん今後あの時以上の地震が起こる可能性はありますから、さらなる対策とか、それによって女川原発だって事故してしまう事態に陥るコトも想定していかなければならない、それを否定するつもりは全くないワケです。
 むしろそれも含めて1つ1つの具体的な検証が必要なのです。
 事故が起きた大変だわーだけだと、むしろなにもならないじゃないですか。
 「地震が起きました→事故が起きました→北斗の拳の世界になりました」では、あまりにもお粗末だと思いませんか。
 今回のコトだって、こうやって1つ1つ具体的に考えて積み上げていくコトこそが、次に繋がる結果になるハズなのです。
 
 まずは立ち止まって、冷静に考えてみてください。
 世の中には1つの視点だけではなく、様々な視点で見るべき問題はたくさんあるのですから。



同調圧力に屈せず冷静に科学的な議論を (上)


 「万が一事故が起きた時に処理しきれない」から原発反対と主張してるのでは?

 
 というコメントを頂いたのですが、これこそですね、キチンと科学的に冷静に議論しなければならない問題なのではないのでしょうか。
 「処理」とひとことで言っても、色々な行為がありますよね。
 例えば、現在も行われています学校の校庭の除染作業です。
 結局除染と言っても、やっているコトは土の入れ替えですから、けっこう大規模な工事をしなければならず、お金もたくさんかかってしまいます。
 
 今日はこの「除染のための土の入れ替え作業」を題材にして、ちょっとひとつ立ち止まって、冷静に考えてみたいのです。
 
 現在文部科学省が定めている校庭の除染作業、つまり土の入れ替え作業ですが、これの基準については以下のように定めています
 

 「原子力被災者への対応に関する当面の取組方針」を踏まえ,更なる安心確保のため,文部科学省または福島県による調査結果に基づき,校庭・園庭における土壌に関して児童生徒等の受ける線量の低減策を講じる設置者に対し,学校施設の災害復旧事業の枠組みで財政的支援を行うこととする。対象は,土壌に関する線量低減策が効果的となる校庭・園庭の空間線量率が毎時1マイクロシーベルト以上の学校とし,設置者の希望に応じて財政的支援を実施する。

 
 簡単に書けば、「毎時1マイクロシーベルト以上」の作業について財政支援しますよってコトです。
 この放射線の問題は単位がよく変わるので注意して読んで貰いたいのですが、まずここは「毎時マイクロ」です。
 で、しかしなんですが、文科省はこれで基準を定めていますが、実際のところ地方自治体は別の基準で作業しているようなんですね。
 

 首都圏でも、学校や公園の砂や土を入れ替え、側溝を清掃する動きが広がっている。東京電力福島第一原発の事故による放射性物質を除染しようという取り組みだ。政府が除染方針を示したのは8月末で、各自治体はそれに先駆けて独自の対応をとってきた。
 東京都内では足立や葛飾、練馬の各区などが砂場の除染を進めている。足立区は8月10日から小学校や幼稚園、公園などの砂場593カ所のうち、毎時0・25マイクロシーベルト以上が出た35カ所で砂を入れ替えるなどした。原発事故による被曝を年間1ミリシーベルト以下とする国際放射線防護委員会の目標値を参考に、毎時0・25マイクロシーベルト以上の場所は年1ミリシーベルトを超えると計算した。葛飾区も同じ基準で20カ所の砂揚で砂を入れ替える。

 
 文科省が基準を出す前に、東京都内の区(これは他の県の市町村に相当する行政区分です)が独自に「国際放射線防護委員会の目標値を参考」にして、「年間1ミリシーベルト以下≒毎時0.25マイクロシーベルト(単位に注意!)」という基準で入れ替え作業をしたと、この記事では伝えています。
 さらに同じ記事に、似たような事例も出されています。
 

 茨城県守谷市は8月22日から、市内の公立小学校や保育所11カ所でグラウンドの土を入れ替えた。文部科学省が主に福島県内の学校向けに示した除染基準の毎時1マイクロシーベルトを超える地点はなく、当初、本格的な除染はしてこなかった。しかし6月、市民ら1千人余から文科省基準より低い放射線量でも対応するよう、「子供の被曝を年間1ミリシーベルトに近づける」ことを求める請願が出され、市議会が採択した。橋本孝夫副市長は「少しでも放射線量を下げてほしいと思う親たちが安心してくれるのであればと考え、方針転換した」。土の入れ替えの費用は私立幼稚園などへの補助も含め約6千万円かかったという。

 
 こちらは市民の要望によって、文科省の「毎時1マイクロシーベルト」ではなく、「毎時0.25マイクロシーベルト」を基準にして除染作業をやれというコトになったワケです。
 どうも地方自治体の、実際の除染作業をする現場判断の場においては、「年間1ミリシーベルト」を基準にしているようです。
 ちょっと引用記事が多くなって、数字も色々出てきてゴチャゴチャになってしまっているかもしれませんが、まとめますとですね、
 
 1.文科省の基準は「毎時1マイクロシーベルト」
 2.でも地方自治体によっては「毎時0.25マイクロシーベルト」で除染作業する
 
 と、こういうコトになっているワケです。
 だいぶ離れてしまっていますから、これはちょっと考えちゃいますよね。
 文科省は「毎時1マイクロシーベルト」でいいと言っているのに、さらに基準を厳しくして公金を使って作業をしている自治体があるのです。
 その間は4倍もの開きがあるんですよ。
 やえは科学者ではないのでどちらが正しいとは断定しませんが、仮に文科省の方が正しいのであれば、これはやっぱり無駄な作業、無駄なお金が使われているのではないかと思ってしまうワケです。
 
 もちろん気持ちというか感情面で不安だと思ってしまうのは、それは一定の理解は出来ます。
 最終的には様々なコトを総合的に検討すべきですが、でもその前にはやはり科学的に冷静に考える必要もあるワケで、むしろ総合的に考えるためにもその1つの材料として科学的見地や冷静な状況分析も、絶対に必要なハズですよね。
 特に「原発が事故を起こした時に処理しきれるのだろうか」という部分を考えるのであれば、まずは感情の面をひとまずおいておいて、科学的に考える必要が絶対にあるでしょう。
 処理できるかどうかというのは、どこもでも現実的科学的問題だからです。
 ここに人の気持ちというモノは関係がありません。
 ですから、ここの場面においては、その「毎時1マイクロシーベルト」と「毎時0.25マイクロシーベルト」という数字を果たしてどう評価すべきなのかというコトが、一番のポイントになると言えるでしょう。
 
 この問題は調べれば調べるほど色々な事実が分かってくるのですが、論点を絞るために具体的なモノでの数字の評価にいってみたいと思います。
 
 文科省ではなく地方自治体が基準として使っている「年間1ミリシーベルト」ですが、茨城県教育委員会のサイトではこのような記載があります
 

 Q2  「一般公衆の線量限度」である、年間1ミリシーベルトを守るべきではないか?
 
 「一般公衆の線量限度」は平常時、一般公衆の無用の被ばくを可能な限り減らすことを目的とし、原子力発電所の通常運転等による放射線の影響等をできるだけ低く抑えるために定められた基準です。
 今後できる限り、児童生徒の受ける線量を減らしていくことを目指していることには変わりありません。
  
参考:日本の一人あたりの自然界からの放射線(年間・全国平均)…1.48ミリシーベルト
   世界の一人あたりの自然界からの放射線(年間・世界平均)…2.4 ミリシーベルト

 
 つまり、「年間1ミリシーベルト」という数値は、原発事故が起こる前に日本人が普通の生活をしている際に浴びていた量よりも少ない数値なんですね。
 世界平均で言えば半分以下です。
 こう考えれば、この「年間1ミリシーベルト」というのは、かなり厳しい基準なのではないでしょうか。
 敢えて「事故前並」と表現したとしても、それを「土の入れ替えをしなければならない基準」としては適切かどうかというのは考える余地のあるところだと思います。
 
 ここで重要なのは、「年間1ミリシーベルト」という数値はあくまで「普通の生活を送っている場合」の数値であるというコトです。
 例えば、病院でレントゲンを撮るなどの行為は含まれていません。
 こちらのページに表が載っていまして、これ新聞の表ですかね、ちょっと引用させて貰いますと

 

 こうでして、よく見てくださいね、胃のX線検査をすると“一回”で0.6ミリシーベルトを浴びるコトになります。
 胸部だと6.9ミリシーベルト/1回です。
 ですから、仮に年に一回胸部のレントゲン検査をするとすると、「6.9ミリシーベルト+約1ミリシーベルト(自然放射)」で「約8ミリシーベルト/年」の放射線を浴びる計算になるのです。
 半年に一回だと、合計「15ミリシーベルト/年」ですよ。
 
 では、胸部のレントゲン検査を受けた人で、放射線が原因で重大な病気になった人って果たしているでしょうか?
 
 これは1つの例です。
 やえは科学者でも専門家でもないですから、断定はしません。
 ただ調べた結果、こういう科学的な数値が出ているのですから、それに対する疑問を発し問題提起をするというのは、これは誰にも批判されるコトではありませんし、むしろ社会にとっては必要なコトではないのでしょうか。
 
 もう1つ例を挙げます。
 
 
 (つづく)
 



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