まずですね、論点を明確にしておきたいと思います。
こんにゃくゼリー問題と言うと、これはかなり大きな問題で様々な論点があると思うのですが、その中でも今回やえが扱うのは、この前の記事引用でも示しましたように、自民党の形状等に関する法整備の件のみを扱います。
例えば、野田聖子大臣や政府の立場からの様々な発言ですとか、消費者団体の様々な発言ですとか、消費者庁の設立そのものに関する考え方ですとかは、基本的に別問題ですから、場合によっては関連として軽く触れるコトはあるかもしれませんが、やえの主文そのものとは問題は別ですので、そこのところをごっちゃにしないで冷静に読んでいただければ幸いです。
今回やえが主張したい主文は、
この自民党の案は、あくまでこんにゃくゼリーの形状並びに表示に関する問題であり、その法整備である。
自民党が形状等の法整備を行えば、こんにゃくゼリーはまた市場に復活するコトが出来る。
ここです。
前にも言いましたように、「法規制=製造禁止」ととってしまう人が多いようですが、前回も含めたやえが今回扱う問題というのは、規制と表現するよりは、法整備であり、規定であるというところは、まず理解してください。
では、御意見板でいただいたご意見のうち、けっこうネットで一般的に言われているような意見について、取り扱っていきたいと思います。
ご意見下さった方、ありがとーございまーす。
まずここから行きましょうか。
652 名前:名無しサン:08/10/15 19:22 ID:kJeNtIwVso
>話を戻しますが、さすがに3歳の子供におモチを与える親はいないと思います。
いや、いるかもしれないだろw
所々で、こういう強引な論調を使うよね、やえさんてw
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正直、もしこの一文だけでそうおっしゃっているのであれば、前の文脈を汲み取ってから、読んでから、意見していただきたいなぁと思います。
やえは、なぜ3歳の子供のおモチを与える親はいないと言ったのか、確かにこの問題は主観の問題であるというコトは否めませんが、しかしその主観の論拠を積み重ねてそう思ったと言っていますので、そこも判断基準に含めてほしいなとは思います。
確かに、繰り返しますがこの問題は、どこまで行っても主観の問題であるというのは否めません。
しかし、主観ですがだからこそ、これは法整備が必要なのではないでしょうか。
これは前にも言ったと思うのですが、自民党が主体となって議員立法か何かで法案をあげ、それが法律として成立した場合、それでマンナンライフ社をはじめとしてこんにゃくゼリー業者は、それでまたこんにゃくゼリーを製造し、市場に売り出すコトが出来るようになります。
「こういう形にすれば売っても良いよ」というのが今回取り扱っている法律(案)なのですからね。
というか、そうなると思われるからこそのやえの考えであり、はじめから販売禁止ありきであれば、最近の一連の更新は全て無意味となってしまいます。
一方、今までマンナンライフ社などは特に自主規制によって形状等を定めていたワケですが、言うなればこれは主観ですよね。
科学的根拠ももちろんあるのでしょうけど、やっぱりどうしても「一企業の主観による規制」というのが自主規制なのですから、最後には主観であるとしか言いようがありません。
しかし法律は違います。
法律は全国民が尊重する義務を有する公的な決まり事です。
変な言い方ですが、根拠が主観から始まっていたとしてもそれが法律になればやはり公的な基準となります。
ですから、結局ネットでもどこでも、この問題というのは主観から抜け出すコトは出来ないワケで、だからこそ法整備をする必要性があるのではないかと、やえはそう思うワケです。
本来的な意味で言えば、やえは、マンナンライフ社の最初の死亡事故があったとき、すぐに法整備をすべきだったのではないかと思っています。
この前「やえは立法化するコトもしないコトには賛成でも反対でもない」と言いましたが、本来なら最初の事故の時に速やかに法整備をすべきだったでしょう。
いままで食品の形状に関する法律が無かったというコトだけでも、ちょっと立法の不作為だと言わざるを得ないですから、本来ならあの時にすぐに立法化しておけばよかったんじゃないかと思います。
そういう意味で、あの時の事故を二度と起こさないために立法機関が責任を持って立法化するというのは根拠として十分だと思います。
ちょっと話はズレるんですが、「3歳の子供のおモチを与える親はいない」と言いましたけど、これは何が言いたいのかと言いますと、「さすがにおモチとこんにゃくゼリーが同じレベルで危険だと認知されていた」とはさすがにいい好きだろう言い過ぎなんじゃないですかってコトがまず言いたかったのです。
というかそのように書いたつもりです。
また詳しく書くと長くなるので前回の更新を読んでいただきたいのですが、ネットの常識と一般の常識は、まだまだ差があります。
また、ネット上で「袋に警告が書いてあったよ」という情報を読んだとしても、それが実感にイコールで繋がるとも言い切れません。
ネット上で意見を言う人は、やはりそれなりにネットに精通している人と言えるのでしょうけど、そうでない人も一般にはまだまだ多いというコトは、特に全国民に関わる法律の問題を扱う際には、忘れてはならない事実でしょう。
その上でもし具体的事案があったら教えて欲しいのですが、幼児に親がおモチを与えて死んでしまったという話をやえは聞いたコトがありません。
お年寄りがノドに詰まらせたというのでしたらよく聞くんですが、3歳ぐらいの子供がっていうのは、ちょっと聞いたコトがないんですね。
もちろんやえが聞いたコトないだけかもしれませんが、しかしこんにゃくゼリーの場合は、事実として与えてしまった親がいるワケです。
ここはやっぱり大きな違い、それは「一般人としてのその食品に対する危険度の認識の違い」というモノが表れていると言えるのではないでしょうか。
決してやえは、こんにゃくゼリーが子供やお年寄りに危険だと認知されていないとは言いません。
ある程度の層に対しては、他の食品よりも注意すべき食品であると認知されているというのは、その通りだと思います。
ここを否定するつもりはありません。
ただ、そのレベルの度合いが、国民食であるおモチと同等であるというような意見や、それに基づいた批判は、これは違うんじゃないかと言っているワケなのです。
あと、ここはあまり言われていないところですが、こんにゃくゼリーに限らない「ゼリー」という食品に対する認識というモノも、これは結構事故に影響を与えているような気がします。
ゼリーって子供に与え易い食品のひとつですよね。
それから、ゼリーって凍らせたら美味しいっていう認識も、けっこう一般的にありますよね。
歯や胃腸系が弱いお年寄りに対しても、ゼリーというモノは、一般の食事やお菓子よりも「食べやすい」という認識があるのではないでしょうか。
こんにゃくゼリーと一般のゼリーは違うと言っても、なかなかその認識というのは実感として深く浸透するのは難しいですし、時間がかかるでしょう。
例えばお母さんが、自分が産後のダイエットとかで普通のゼリーよりもダイエット効果が高そうなこんにゃくゼリーを常用していて家にいっぱいストックしていたとして、ついでに硬いモノが食べにくい子供やお年寄りにゼリー感覚で与えてしまったという場合も多々あるんじゃないかと思います。
こういう感覚というのは、やはり事情としてはおモチとは違うと言えるでしょう。
そもそも「ゼリー」という、むしろ食べやすいと認識されている食品があるという下地があるワケですからね。
ですから、この辺もキチンと実態を理解して議論しなければならないのではないでしょうか。
言葉や文字だけの感覚と、実際の感覚とは、やっぱり違う場合というのは多々あります。
この問題は、最初にも言いましたように主観が大きくからんでくる問題でもありますので、それだけに感覚というところを冷静に現実的に分析する必要があります。
一番大切なのは、これから二度と同様の事故が起きないようにするコトであり、誰が悪いかという責任論ではありません。
誰が悪いからこの問題は考える必要はない、責任を取らせればそれでいい、では、問題は解決しないでしょう。
実際にどういう事情があってこうなってしまった、だからここは変えていこうとしなければならない、としていく問題のハズなのです。
ですから極端的な結論に走るのではなく、実際の現実的感覚としてはどの辺の主観が一番近かったのか、自分だけの主観ではなく一般的な主観を様々な観点から想像しながら、実際の原因と、それに対する対応策を考えていくコトが最も大切なコトだと思います。
うう、やっぱり長くなっちゃいましたね。
今回1つのご意見しか取り扱ってないのに、ごめんなさい。
これからも引き続き取り扱ってきますので許してください。
では今日は、最後のひとつだけ付け加えて終わりにしたいと思います。
正直こういうコトをいちいち言うのはあまり好きじゃないんですが、よく誤解されるので念のため言っておきます。
例えばですね、以前も、イスラム社会に対する批判をしたところ、「キリスト教の方がひどい」とかなぜかそういう批判をもらったコトがあるんですけど、この時別にやえはキリスト教のコトなんて言及もしてないですし、キリスト教の方が素晴らしいなんてコトも言っていなかったのに、なぜかキリスト教の話を持ち出されたのです。
おそらくイスラム教とキリスト教を対比させて勝手にやえの思惑を予想したのでしょうけど、やえはその時は、単にイスラムのこういうところはダメだと言っていただけでしかなく、それでもって他の宗教までをどうこう言うつもりは全くありませんでした。
なにが言いたいかと言いますと、今回のこんにゃくゼリーの件で、やえは自民党の立法化はこんにゃくゼリーファンにとっても良い方向に行くのではないかと言っているところですが、それを以てやえは、消費者には責任は全くないと言っているワケでも無いというコトを、敢えて明言しておきます。
製造者と消費者、その割合に対しては議論の余地はありますが、かと言って消費者の責任が全く0というのは考えられません。
消費者も、自立した存在として、自らの責任を考えなければならない時代に来ていると言えるでしょう。
話はちょっとズレるのでしょうけど、例えば中国産の食品の例で言えば、なかなか国家としては中国産を全て一律でシャットアウトとは出来ませんが、しかし消費者が自主的に買わないというのはアリなワケです。
これから消費者は、主体性を持った存在にならなければならないでしょう。
ですから、消費者が主体的に食品に対する安全も自ら考えて行動しなければならないというのは、その通りです。
特に子供やお年寄りなど、特に食べ物に気をつけなければならない人に対しては、自分だけの常識ではなく、もっと用心深くしなければならないというのは言うまでもないコトでしょう。
何が何でも消費者は絶対の存在だと言うつもりは毛頭ありませんし、時には消費者としての責任が問われるコトになる場合だってあるとは思います。
やえは、自民党の今回の動きに対して、世間、特にネット上の主張とは違う方向での主張をしているところですが、だからといって消費者の責任が0と言うつもりはありません。
ここを誤解しないで頂きたいと思います。
ただ、ひとつの事実として、こんにゃくゼリーの死亡事故において平成19年に起こされた企業に対する訴訟で、平成20年に謝罪や賠償他が盛り込まれた和解が成立していたりもしています。
ほぼ原告(消費者側)が勝訴したと言える内容の和解です。
ネット上ではいろいろと消費者への責任も言われているところですが、司法の場においてはこういう結論も出されているというのも、また事実です。
これをどう考えるかはそれぞれ意見があるとは思いますが、少なくとも司法の場でこういう判断が下されている以上は、立法府や行政府としてはこれを無視できないでしょう。
そして、こういうコトをキチンと整理し、一定の基準を作るコトは、立法府の責任とも言えるのではないでしょうか。
また逆に、立法化されるコトによって、消費者の責任というモノも考えさせられるコトになるのではとやえは思っています。
主観で人を裁くなというのはその通りですが、しかしだからこそ、今ここでこの問題に対して一定の法整備が必要なのではないでしょうか。