☆こんにゃくゼリー問題☆

  自主規制から法規制へというだけの話情報と実感の違いこんにゃくゼリー問題に関する自民党法整備の件こんにゃくゼリー問題に関する自民党法整備の件 2こんにゃくゼリー問題に関する自民党法整備の件 3こんにゃくゼリー問題に関する自民党法整備の件 4

平成20年10月14日

 自主規制から法規制へというだけの話

 この話題は、ニュースが上がった直後にあまおちさんがmixiの方で記事引用の形で言及していたのですが、こっちでも取り上げるろと言われて、やえもちょっと勉強しました。
 こんにゃくゼリーの件です。
 
 まずはこの件を考える際、決して感情論にならないように注意しなければなりません。
 固定概念から、政府が悪い自民党が悪い政治家が悪いと頭から決めつけていては、問題の本質は見えてこないでしょう。
 どんな問題でもそうですが、冷静に客観的に問題を考えてみてほしいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 こんにゃくゼリーに関する記事はいくつか出ているのですが、まずはよーくその記事を読んでいただきたいと思います。

 <こんにゃくゼリー>法規制を検討…形状、マークの表示など
 
 自民党の消費者問題調査会(会長・岸田文雄前消費者行政担当相)は10日午前の会合で、窒息死亡事故が相次ぐこんにゃくゼリーについて、形状などを規制する議員立法の策定に向け検討に入った。のどに詰まりやすい形状のほか、子供や高齢者が食べないよう警告する外袋のマークの表示方法などについて規制する方針。
 同ゼリーをめぐっては、兵庫県内で1歳10カ月の男児が9月に死亡していたことが明らかになり、窒息死事故は95年以来、計17件に上る。厚生労働、農林水産の両省は業界団体などに形状と警告表示の改善を指導しているが、規制する法律はなく業界団体やメーカーの自主規制に任されているのが実情だ。
 こんにゃく加工品メーカー「マンナンライフ」(本社・群馬県)は7日、男児の窒息死事故を受け、ミニカップ入りこんにゃくゼリー「蒟蒻(こんにゃく)畑」の製造中止を決めたが、他メーカーにはこうした動きは広がっていない。

 まず、多くの人が誤解しているようなのですが、この自民党の動きというのは、製造禁止や流通禁止の立法化では無いというところに注意してください。
 「法規制」なんて記事のタイトルに書いているので、それだけを読んで「規制=販売禁止」だと思ってしまっている人が、これが本当に多かったとあまおちさんも言っていましたけど、実際は「形を規定する」法案です。
 記事にもちゃんとこう書いてありますよね。
 
 『形状などを規制する議員立法』
 『子供や高齢者が食べないよう警告する外袋のマークの表示方法などについて規制』
 
 ですから、この法案が立法化されたら蒟蒻畑等のこんにゃくゼリーが食べられなくなると言っている人がけっこういますが、これは逆でしょう。
 むしろこの法案は、形を法によって規定するコトによって、こんにゃくゼリーを市場に復活させようという方向に向かっている法案だと言えるのです。
 なぜなら、「立法化された規定をクリアすれば問題なく売っても良いよ」という法律になるワケだからです。
 法律というモノを性質をちゃんと考えれば、法律が出来た後、その法律に沿う形状や表示をして製造すればこんにゃくゼリーは売れるように、当然なるワケですからね。
 よってこれは、ゼリーバッシングでも、業界叩きでも、マンナンライフ社いじめでもない、こんにゃくゼリーが食べられなくなる立法化の動きではなく、むしろ逆に、キチンとルールを定めて適切に市場に出しましょうという立法化の動きなのです。
 あるコトないコト陰謀論まで色々とメチャクチャ言っている人がけっこういますが、それらはかなり的外れな批判であり、むしろ中傷だと言わざるを得ない意見が多く、記事の書き方が確かにちょっとアレかなぁと思わなくもないですけど、まずはキチンと記事を読んで、また固定概念にとらわれずに、冷静に考えてほしいと思います。
 
 この問題が議論されると、いつも「モチはどうなんだ」という話が出てきます。
 おモチをのどに詰まらせて亡くなってしまう方は、特にお正月時期に合わせて、年間かなりの方が亡くなってしまっているそうなので、「のどに詰まる」というくくりで問題を考えると、こんにゃくゼリーとおモチとを比較したくなるかもしれません。
 でもここもちょっと冷静に考えてもらいたいのです。
 おモチと今回のこんにゃくゼリーと、そもそも「のどに詰まる原因」がまず違います。
 おモチはおそらくあのねばねばした粘着性が主な原因なのでしょうけど、こんにゃくゼリーの場合は、まずは形が問題視されているワケです。
 自民党の立法化の話も、成分云々ではなく、形状を問題にしていますよね。
 しかしおモチは形状のせいでのどに詰まってしまうワケではありません。
 ですから、ここでまず、今回の動きでこんにゃくゼリーとおモチとを、単純に比較するコトはちょっとできないワケなのです。
 
 こんにゃくゼリーが最初に問題になった時というのは、こんにゃくゼリーそのものの形と、手のひらサイズの大きさだったというコトがあって、カップを指でつまんで口元に添えて、ツルンッと直接口の中に飛ばすように食べるコトが出来てしまったために、そのままのどに詰まって死亡してしまったというのが事件の発端だったと記憶しています。
 こう書くと、そんな食べ方しなければいいのにとは思いますが、しかしそれはあくまで結果論です。
 確かに、何かをしながらとか、妙にテンションが高い時とかなら、その場のノリでそんな食べ方してしまうかもしれませんし、そもそもあまり物事を深く考えない小さな子供なら、面白い楽しいという理由だけでそんな食べ方してしまうかもしれません。
 それにお菓子なんて、よく普通ではない食べ方をなぜか考えてしまうワケで、例えばポッキーをチョコだけ削いで食べるとか、とんがりコーンを指にはめて食べるとか、昔ポップコーンなどを手のひらにおいて腕を叩いて口に飛ばして食べるなんて食べ方も流行ったりしましたよね。
 ですから、いくら想定していなかった食べ方だったと言ったとしても、それでももし人の命に直結するようなコトでしたら、お菓子の形状を見直すというコトは必要なコトと言えるのではないでしょうか。
 
 こういう視点からも、おモチとは今回の件では別問題なワケです。
 もし新商品で、おモチのお菓子みたいなのがあって、さらにのどに詰まりやすいような形で販売されていたら、それはそれで新たに形などを規定する必要があるのでしょうけど、それは今回とは別件です。
 もちろん別件ですから、もし世論が「おモチにもデカデカと注意事項を記載するよう法規定すべきだ」と言うのでしたら、やえはそれでもいいと思います。
 その方向に政府や与党が動いても、やえはそれを問題とは思いません。
 ただ、それは、今回の件とは別問題というところだけは注意しなければなりません。
 モチの規定をしなければこんにゃくゼリーの規定をしてはならないというコトにはなりませんし、逆もそうです。
 この両者の問題は、単純に比較できる問題ではないのです。
 
 中には、「立法化」という動きそのものに忌避感を持っている人がいるようですが、これは改めなければならないでしょう。
 そもそも日本の中で、物品が商品化され市場に流通して消費者が買えるコトの出来るという商品の多くは、様々な理由によって法規制がかかっています。
 パッと思いつくだけでも、食品であれば成分などを規制する食品安全法ですとか、表示に関する法律ですとか、工業品でも、例えば自動車なんて「必ずクラクションはつけなければならない」とか様々な法規制がかかっていますよね。
 パソコンにもネットにも様々な法規制があって、そしてまだまだこの分野は法整備が遅れているとよく言われているところです。
 このように法律の網をかけるコトそれ自体は、決して悪い行為とは言えません。
 法律の中身を議論するコトは大切なコトですが、立法化そのものを悪とは絶対に言えないのです。
 
 そもそも形状等を規定するという意味においては、今までも業界団体が自主規制をしていたワケです。
 ここから、マンナンライフ社は努力しているし、立法化は必要ないという意見もあるようですが、もちろんそれを否定する気はありませんけど、しかしだからといって立法化がダメだという意見にもならないハズです。
 むしろ、業界団体だけの自主規制よりも、キチンと開かれた国会という場で審議された法律で規定する方が、民主的である=民主主義国家においては正義である、と言えるワケですから、自主規制があるから立法化は必要ないとは言えないでしょう。
 もちろん自主規制も法律も、現状にあわせて見直していく必要はあります。
 そういう中で、まずキッチリと法律によって規定するコトによって、むしろこんにゃくゼリー業界にお墨付きを与えるという意味も、この立法化の動きには含まれているとも言えるのではないでしょうか。
 「立法化の動き=それは悪いコトだ」と思い込んで騒いでいる人も少なくないみたいですが、決して立法化そのものは悪いコトとは言えないのです。
 
 やえは今回の自民党の法規定の話は、立法化してもしなくても、どっちでもいいと思っています。
 が、少なくともこの件に対して、こういう中身を見ないまま、もしくは勘違いしたままワーワー騒ぐのは、これは完全に勇み足ですし、政治に対する責任ある国民の姿勢ではありません。
 こういう姿勢というのは、肝炎訴訟の問題でワーワー騒いでいた人とか、後期高齢者医療制度でワーワー騒いでいる人とか、人権擁護法案でワーワー騒いでいる人とかと同じく、中身を見ずに印象だけで固定概念だけで、そして誰かのデマに踊らされているだけの姿勢でしかないと言えるでしょう。
 まだまだこの問題はどういう方向に進むのか、むしろ国会があまり正常に動いていない状況ですので、どうなっていくのか全く見通しが付かない状況ですからなんとも言えませんが、少なくとも今は、ちゃんと物事を冷静に受け止めて分析するコトが大切なのではないでしょうか。
 少なくともワーワー騒いでいるだけではその結果国民にどういう利益がもたらせるのか疑問でなりません。
 どうすれば国民に最も利益が生まれるのか、そこをキチンと考えなければならないのでしょう。
 
 
 この件に関して、ちょっと別の視点からも次回語ってみたいと思います。
 

平成20年10月15日

 情報と実感の違い

 ちょっとこれは、形状の法規定のお話とはまた別のお話なのですが、こんにゃくゼリーに関するというコトで、簡単に触れておきたいと思います。
 
 この問題でよく出てくる主張として、「国民の意識としてはおモチとこんにゃくゼリーとどれぐらい詰まりやすいと認識されているのか?」という話がよく聞かれるところです。
 そしてネットの上では、おモチもこんにゃくゼリーもどっちも変わらないし、蒟蒻畑のパッケージにはちゃんと注意書きが書いてあったじゃないか、という意見がよく書かれているところです。
 
 でもやえはふと思うのですが、果たしてそれは本当に「国民の中の常識」と言えるぐらいのモノなのでしょうか。
 蒟蒻畑を小さな子供が食べたら危険だというコトがそんなに国民の大部分に対して浸透していたのかと、冷静に考えた時に、そこまで常識が形成されていたのかはやえにはちょっと疑問なのです。
 
 というのも、ネットというのは情報の行き来がとてつもなく早いですから、一度ワッと話題になれば、それが昔からの常識だったかのように感じてしまうコトが多々あったりします。
 まぁこれはネットだけに関わらず一般的にも、例えば拉致問題のように昔の空気をコロッと忘れてしまうコトはよくあるコトですが、ネットは情報のスピードがとてつもなく速いだけに、それがもっと顕著に表れたりします。
 そして蒟蒻畑のパッケージの件も、なにかいつの間にやら常識的な話のように、冷静に考えたら、語られている気がしてならないのです。
 
 情報としては確かにここ数ヶ月から一年の間で、こんにゃくゼリーは子供やお年寄りによって危険なモノだと、少なくともネットの上では共有されてきました。
 そして蒟蒻畑のパッケージには注意書きが書いてあったというコトもネット上では常識になっています。
 しかしそういうコトを知っている人の中には、実は「ネットにそう書いてあったからそうなんだろう」と考えている人も少なくないんじゃないでしょうか。
 このような情報はネット上ではとんでもなく早いスピードで行き来しているので、蒟蒻畑には昔から注意書きがあってこんにゃくゼリーを子供やお年寄りが食べると危険だと多くの人間に昔から認識されているんだと、はじめは情報の中の話だけだったのに、いつの間にか全体の常識になっていると錯覚してしまっている部分というのはけっこうあるコトだと思います。
 もちろんその事実は間違いではありませんし、もちろん他人から仕入れた情報でも、それが生きれば言うコトはないでしょう。
 でもそれはやっぱり「情報」でしかないのです。
 情報と実感は違います。
 パソコンの前に座れば情報は常識かもしれませんが、パソコンから離れれば、情報はただのマメ知識程度になってしまいます。
 それでは、実感として常識としては、“何気ない日常”の中で役に立たないコトの方が多いワケです。
 そもそも消費量の絶対量からして違うワケで、おモチを食べたコトが無いという人は多分そうはいないと思いますが、蒟蒻畑を食べたコトが無いという人はそれなりにいるでしょうから、「情報」ではともかく、「実感」としては、果たして事故が起きて立法化されるまでの大問題になる以前にはどうだったかというのは、議論が残るところなのではないでしょうか。
 
 ちょっと話はズレますが、この問題には、絶対的にデータが不足しているとやえは思っています。
 おモチとこんにゃくゼリーを比較する話題がよく出ますが、もし本当にこの両者を比較するのであれば、キチンと科学的にデータをとらなければなりません。
 例えば、さっきも言いましたように、そもそもおモチとこんにゃくゼリーの消費量の絶対量が違います。
 絶対量が違う以上は、事故発生率は当然変わってきます。
 また、消費量だけでなく、消費者人数もかなり違うのではないでしょうか。
 つまり、おモチはもう国民食ですから全国民が食べていると言っても過言ではないワケですが、こんにゃくゼリーの場合はワリとターゲットがしぼられる食品ですので、人数割合を見ても、結構消費者分布は変わってくる気がします。
 また、のどに詰まってしまった状況も分析する必要があるでしょう。
 どういう食べ方をしたのか、どれぐらいの大きさで食べたのか、何をつけて食べたのか、別の食品を食べながら(食事中に)食べたのか、むせた時は食品が詰まってむせたのか、それとも別の原因でむせてその結果として食品が詰まってしまったのか等々、集めなければならないデータはたくさんあるハズです。
 でも、今はそれらのデータが全く集まっていないワケで、ここが一番問題なんじゃないかとやえは思っています。
 
 やえは、これらの作業をするためにも、消費者庁という役所は必要じゃないかなとは思います。
 今の段階で消費者庁がこのようなデータ集めをする役所なのかどうかはちょっとやえには分からないのですが、どうせ作るのであれば、こういうコトもする役所にしてほしい、するべきだと思っています。
 そしてこういうデータをキッチリ公表して、国民は冷静に議論をするというのが、本来あるべき姿なのではないでしょうか。
 
 話を戻しますが、さすがに3歳の子供におモチを与える親はいないと思います。
 でも、3歳の子供にゼリーを食べさせる親ならいるかもしれません。
 それがこんにゃくゼリーなのかどうかはともかくとしてもですね、ですから、こういう下地があるワケですから、ちょっと「おモチと同じぐらい子供に与えるのは危険だと認識されている」と言ってしまうのは、やえにはどうしても違和感を覚えてしまいます。
 確かにこんにゃくゼリーの事件はそれなりに報道されましたし、パッケージに注意書きがあったのは事実ですから、他の食品よりもそれなりに多くの人が危険だと認識していたというのは確かでしょう。
 でも「おモチと同じくらい」というレベルはちょっと言い過ぎだと思うのです。
 ネット上では常識だったとしても、それが一般レベルでも常識と呼べるほどなのかどうかというのは、議論が残るところでしょう。
 
 その上で、これらを周知徹底するという意味からも、形状や表示に関する問題を、単に業界団体の自主規制ではなく、国会審議を経た立法化するというのは、決して間違いではない動きなのではないでしょうか。
 
 
 さて、このお話は、もうちょっとトコトンやってみようと思っていますので、これからも引き続き取り扱っていきたいと思います。
 昨日からずいぶん多くのご意見を御意見板にいただいてうれしい限りですが、今度はそちらのご意見を引用する形でも更新したいと思っていますので、どうぞもっとバシバシとご意見を頂ければうれしいです。
 

平成20年10月20日

 こんにゃくゼリー問題に関する自民党法整備の件

 まずですね、論点を明確にしておきたいと思います。
 こんにゃくゼリー問題と言うと、これはかなり大きな問題で様々な論点があると思うのですが、その中でも今回やえが扱うのは、この前の記事引用でも示しましたように、自民党の形状等に関する法整備の件のみを扱います。
 例えば、野田聖子大臣や政府の立場からの様々な発言ですとか、消費者団体の様々な発言ですとか、消費者庁の設立そのものに関する考え方ですとかは、基本的に別問題ですから、場合によっては関連として軽く触れるコトはあるかもしれませんが、やえの主文そのものとは問題は別ですので、そこのところをごっちゃにしないで冷静に読んでいただければ幸いです。
 今回やえが主張したい主文は、
 
 この自民党の案は、あくまでこんにゃくゼリーの形状並びに表示に関する問題であり、その法整備である。
 自民党が形状等の法整備を行えば、こんにゃくゼリーはまた市場に復活するコトが出来る。
 
 ここです。
 前にも言いましたように、「法規制=製造禁止」ととってしまう人が多いようですが、前回も含めたやえが今回扱う問題というのは、規制と表現するよりは、法整備であり、規定であるというところは、まず理解してください。
 
 では、御意見板でいただいたご意見のうち、けっこうネットで一般的に言われているような意見について、取り扱っていきたいと思います。
 ご意見下さった方、ありがとーございまーす。
 
 まずここから行きましょうか。

 652 名前:名無しサン:08/10/15 19:22 ID:kJeNtIwVso
 >話を戻しますが、さすがに3歳の子供におモチを与える親はいないと思います。
 いや、いるかもしれないだろw
 所々で、こういう強引な論調を使うよね、やえさんてw

 正直、もしこの一文だけでそうおっしゃっているのであれば、前の文脈を汲み取ってから、読んでから、意見していただきたいなぁと思います。
 やえは、なぜ3歳の子供のおモチを与える親はいないと言ったのか、確かにこの問題は主観の問題であるというコトは否めませんが、しかしその主観の論拠を積み重ねてそう思ったと言っていますので、そこも判断基準に含めてほしいなとは思います。
 確かに、繰り返しますがこの問題は、どこまで行っても主観の問題であるというのは否めません。
 しかし、主観ですがだからこそ、これは法整備が必要なのではないでしょうか。
 
 これは前にも言ったと思うのですが、自民党が主体となって議員立法か何かで法案をあげ、それが法律として成立した場合、それでマンナンライフ社をはじめとしてこんにゃくゼリー業者は、それでまたこんにゃくゼリーを製造し、市場に売り出すコトが出来るようになります。
 「こういう形にすれば売っても良いよ」というのが今回取り扱っている法律(案)なのですからね。
 というか、そうなると思われるからこそのやえの考えであり、はじめから販売禁止ありきであれば、最近の一連の更新は全て無意味となってしまいます。
 
 一方、今までマンナンライフ社などは特に自主規制によって形状等を定めていたワケですが、言うなればこれは主観ですよね。
 科学的根拠ももちろんあるのでしょうけど、やっぱりどうしても「一企業の主観による規制」というのが自主規制なのですから、最後には主観であるとしか言いようがありません。
 しかし法律は違います。
 法律は全国民が尊重する義務を有する公的な決まり事です。
 変な言い方ですが、根拠が主観から始まっていたとしてもそれが法律になればやはり公的な基準となります。
 ですから、結局ネットでもどこでも、この問題というのは主観から抜け出すコトは出来ないワケで、だからこそ法整備をする必要性があるのではないかと、やえはそう思うワケです。
 
 本来的な意味で言えば、やえは、マンナンライフ社の最初の死亡事故があったとき、すぐに法整備をすべきだったのではないかと思っています。
 この前「やえは立法化するコトもしないコトには賛成でも反対でもない」と言いましたが、本来なら最初の事故の時に速やかに法整備をすべきだったでしょう。
 いままで食品の形状に関する法律が無かったというコトだけでも、ちょっと立法の不作為だと言わざるを得ないですから、本来ならあの時にすぐに立法化しておけばよかったんじゃないかと思います。
 そういう意味で、あの時の事故を二度と起こさないために立法機関が責任を持って立法化するというのは根拠として十分だと思います。
 
 ちょっと話はズレるんですが、「3歳の子供のおモチを与える親はいない」と言いましたけど、これは何が言いたいのかと言いますと、「さすがにおモチとこんにゃくゼリーが同じレベルで危険だと認知されていた」とはさすがにいい好きだろう言い過ぎなんじゃないですかってコトがまず言いたかったのです。
 というかそのように書いたつもりです。
 また詳しく書くと長くなるので前回の更新を読んでいただきたいのですが、ネットの常識と一般の常識は、まだまだ差があります。
 また、ネット上で「袋に警告が書いてあったよ」という情報を読んだとしても、それが実感にイコールで繋がるとも言い切れません。
 ネット上で意見を言う人は、やはりそれなりにネットに精通している人と言えるのでしょうけど、そうでない人も一般にはまだまだ多いというコトは、特に全国民に関わる法律の問題を扱う際には、忘れてはならない事実でしょう。
 
 その上でもし具体的事案があったら教えて欲しいのですが、幼児に親がおモチを与えて死んでしまったという話をやえは聞いたコトがありません。
 お年寄りがノドに詰まらせたというのでしたらよく聞くんですが、3歳ぐらいの子供がっていうのは、ちょっと聞いたコトがないんですね。
 もちろんやえが聞いたコトないだけかもしれませんが、しかしこんにゃくゼリーの場合は、事実として与えてしまった親がいるワケです。
 ここはやっぱり大きな違い、それは「一般人としてのその食品に対する危険度の認識の違い」というモノが表れていると言えるのではないでしょうか。
 決してやえは、こんにゃくゼリーが子供やお年寄りに危険だと認知されていないとは言いません。
 ある程度の層に対しては、他の食品よりも注意すべき食品であると認知されているというのは、その通りだと思います。
 ここを否定するつもりはありません。
 ただ、そのレベルの度合いが、国民食であるおモチと同等であるというような意見や、それに基づいた批判は、これは違うんじゃないかと言っているワケなのです。
 
 あと、ここはあまり言われていないところですが、こんにゃくゼリーに限らない「ゼリー」という食品に対する認識というモノも、これは結構事故に影響を与えているような気がします。
 ゼリーって子供に与え易い食品のひとつですよね。
 それから、ゼリーって凍らせたら美味しいっていう認識も、けっこう一般的にありますよね。
 歯や胃腸系が弱いお年寄りに対しても、ゼリーというモノは、一般の食事やお菓子よりも「食べやすい」という認識があるのではないでしょうか。
 こんにゃくゼリーと一般のゼリーは違うと言っても、なかなかその認識というのは実感として深く浸透するのは難しいですし、時間がかかるでしょう。
 例えばお母さんが、自分が産後のダイエットとかで普通のゼリーよりもダイエット効果が高そうなこんにゃくゼリーを常用していて家にいっぱいストックしていたとして、ついでに硬いモノが食べにくい子供やお年寄りにゼリー感覚で与えてしまったという場合も多々あるんじゃないかと思います。
 こういう感覚というのは、やはり事情としてはおモチとは違うと言えるでしょう。
 そもそも「ゼリー」という、むしろ食べやすいと認識されている食品があるという下地があるワケですからね。
 ですから、この辺もキチンと実態を理解して議論しなければならないのではないでしょうか。
 
 言葉や文字だけの感覚と、実際の感覚とは、やっぱり違う場合というのは多々あります。
 この問題は、最初にも言いましたように主観が大きくからんでくる問題でもありますので、それだけに感覚というところを冷静に現実的に分析する必要があります。
 一番大切なのは、これから二度と同様の事故が起きないようにするコトであり、誰が悪いかという責任論ではありません。
 誰が悪いからこの問題は考える必要はない、責任を取らせればそれでいい、では、問題は解決しないでしょう。
 実際にどういう事情があってこうなってしまった、だからここは変えていこうとしなければならない、としていく問題のハズなのです。
 ですから極端的な結論に走るのではなく、実際の現実的感覚としてはどの辺の主観が一番近かったのか、自分だけの主観ではなく一般的な主観を様々な観点から想像しながら、実際の原因と、それに対する対応策を考えていくコトが最も大切なコトだと思います。
 
 うう、やっぱり長くなっちゃいましたね。
 今回1つのご意見しか取り扱ってないのに、ごめんなさい。
 これからも引き続き取り扱ってきますので許してください。
 
 では今日は、最後のひとつだけ付け加えて終わりにしたいと思います。
 正直こういうコトをいちいち言うのはあまり好きじゃないんですが、よく誤解されるので念のため言っておきます。
 例えばですね、以前も、イスラム社会に対する批判をしたところ、「キリスト教の方がひどい」とかなぜかそういう批判をもらったコトがあるんですけど、この時別にやえはキリスト教のコトなんて言及もしてないですし、キリスト教の方が素晴らしいなんてコトも言っていなかったのに、なぜかキリスト教の話を持ち出されたのです。
 おそらくイスラム教とキリスト教を対比させて勝手にやえの思惑を予想したのでしょうけど、やえはその時は、単にイスラムのこういうところはダメだと言っていただけでしかなく、それでもって他の宗教までをどうこう言うつもりは全くありませんでした。
 なにが言いたいかと言いますと、今回のこんにゃくゼリーの件で、やえは自民党の立法化はこんにゃくゼリーファンにとっても良い方向に行くのではないかと言っているところですが、それを以てやえは、消費者には責任は全くないと言っているワケでも無いというコトを、敢えて明言しておきます。
 
 製造者と消費者、その割合に対しては議論の余地はありますが、かと言って消費者の責任が全く0というのは考えられません。
 消費者も、自立した存在として、自らの責任を考えなければならない時代に来ていると言えるでしょう。
 話はちょっとズレるのでしょうけど、例えば中国産の食品の例で言えば、なかなか国家としては中国産を全て一律でシャットアウトとは出来ませんが、しかし消費者が自主的に買わないというのはアリなワケです。
 これから消費者は、主体性を持った存在にならなければならないでしょう。
 
 ですから、消費者が主体的に食品に対する安全も自ら考えて行動しなければならないというのは、その通りです。
 特に子供やお年寄りなど、特に食べ物に気をつけなければならない人に対しては、自分だけの常識ではなく、もっと用心深くしなければならないというのは言うまでもないコトでしょう。
 何が何でも消費者は絶対の存在だと言うつもりは毛頭ありませんし、時には消費者としての責任が問われるコトになる場合だってあるとは思います。
 やえは、自民党の今回の動きに対して、世間、特にネット上の主張とは違う方向での主張をしているところですが、だからといって消費者の責任が0と言うつもりはありません。
 ここを誤解しないで頂きたいと思います。
 
 ただ、ひとつの事実として、こんにゃくゼリーの死亡事故において平成19年に起こされた企業に対する訴訟で、平成20年に謝罪や賠償他が盛り込まれた和解が成立していたりもしています。
 ほぼ原告(消費者側)が勝訴したと言える内容の和解です。
 ネット上ではいろいろと消費者への責任も言われているところですが、司法の場においてはこういう結論も出されているというのも、また事実です。
 これをどう考えるかはそれぞれ意見があるとは思いますが、少なくとも司法の場でこういう判断が下されている以上は、立法府や行政府としてはこれを無視できないでしょう。
 そして、こういうコトをキチンと整理し、一定の基準を作るコトは、立法府の責任とも言えるのではないでしょうか。
 また逆に、立法化されるコトによって、消費者の責任というモノも考えさせられるコトになるのではとやえは思っています。
 
 主観で人を裁くなというのはその通りですが、しかしだからこそ、今ここでこの問題に対して一定の法整備が必要なのではないでしょうか。
 

平成20年10月21日

 こんにゃくゼリー問題に関する自民党法整備の件 2

 なんだかちょっぴりコメントを期待されている気がしないコトもないですので、急遽今日はこちらのニュースを取り上げようと思います。

 男児パンを詰まらせ死亡 千葉・船橋
 
 千葉県船橋市宮本の市立峰台小学校(末永啓二校長)で6年生の男児(12)が給食のパンをのどに詰まらせ、窒息死していたことが21日、分かった。
 同小などによると、男児は給食の時間の17日午後0時45分ごろ、直径約10センチの丸いパンを食べてのどに詰まらせた。ちぎって一口を食べた後、残りを2つに割って一度に口に入れたという。
 気付いた担任の女性教諭がやめるよう注意。周りにいた児童がスープを飲ませるなどして廊下の手洗い場ではき出させたが取り除けず、男児が「苦しい」と訴え始めたため、教諭が廊下に寝かせて救急措置を施し、119番通報。救急車で病院に搬送されたが、同日夕に死亡した。

 やえはですね、こういうコトもあり得るのでもうちょっと詳細な情報収集をしなければならないと言っているんです。
 こんにゃくゼリーやおモチや他の食品がのどに詰まって死んでしまった事故に関して、全体としての消費量や消費者分布(日本全体での消費量がおモチの方が絶対的に多いのですから、発生率で言えば、どっちが多いかというのは計算してみないと分からないですからね)、またどのような状況でのどに詰まらせてしまったのか等、この手の問題を真摯に考えるのであれば、いま出ている情報では足りないとやえは思っています。
 昨日の更新で、なんとおモチを幼児に与えてしまって亡くなった例が一件あったと情報をいただきまして、うーんなかなか日本も広いですねぇと思ったのですが、それらのデータも、このニュースの記事のような例もおそらく含まれての死亡件数になっているのでしょうから、検討するにはもっと詳細なデータが欲しいところです。
 
 さて。
 このニュースを見て、ちょっとあまおちさんにmixiの反応を見させてもらったのですが、まぁなんでしょうか、予想通り過ぎて頭がクラクラしちゃいました。
 もうこの手の件については、「食品」「のどに詰まる」「死亡」という文字だけに反応してしまい、これらの文字があれば大騒ぎするっていうパブロフの犬状態でわーきゃー言っているようにしか見えません。
 言葉狩りと言いましょうか、いや言葉遊びと言った方が近いかもしれません。
 文字だけの世界で、いかに文字を繋げて批判に繋げていくか、その程度の思考でこの現実的問題を考えている人が多すぎる気がしてならないのです。
 
 記事にもありますように、亡くなってしまった少年は、通常では考えられない食べ方をしています。
 それは、担任の先生が注意しているコトからも分かると思います。
 10センチのパンをほぼ丸のみしているのですから、これはちょっと異常ですよね。
 想像ですが、おそらくこの少年は、その場のノリでクラスメートを楽しませるためにそのような食べ方をしてしまったのでしょう。
 となれば、これは通常の食事とはちょっと表現しにくいでしょう。
 どっちかと言えば、パフォーマンスと言った方がいいかもしれません。
 
 となれば、これは、食品の形状の問題とは全く別の問題です。
 今回の事故は、パンだからという理由ですらありません。
 口を塞げば死んでしまう、という理屈と同じぐらいの理由で亡くなってしまったと言わざるを得ないワケです。
 子供っていうのは、特に男の子は、時に命に直結する遊びをしてしまうコトがあります。
 例えばビニール袋を頭からかぶってみたり、お風呂に入る時になぜか湯船に入りつつ自分でお風呂の蓋をしてみたりと、ある程度成長すればとんでもなく危険だと分かる行為も、軽い気持ちで遊びでやってしまうコトがあります。
 ですから大人がしっかりと監視をしたり、教育をしたりしなければならないワケで、今回の件はどこに責任論がいくのか分かりませんが、学校か親かはともかく、そういう方面からは検討し直す必要はあるかもしれません。
 やえはその件には特にコメントしようとは思いませんけど、しかし、食品の形状の問題とは全くの別問題だというコトは認識しなければならないでしょう。
 
 と言うと、多分「こんにゃくゼリーを凍らせるのは異常な食べ方じゃないか」と言う人が出てくると思うのですが、この辺こそをよくよく現実的に考えてもらいたいのです。
 10センチの食べ物を丸のみするという食べ方と、ゼリーを凍らせるという食べ方を、そもそも比べる方がちょっとナンセンスなのです。
 なぜなら、「凍らせて食べる」という食べ方は、他の食品でもよく見られる食べ方だからからです。
 前回も言いましたように、特に(こんにゃくに限らない)ゼリーについては、むしろ凍らせた方が美味しくなる食べ方であるという認識がけっこうあります。
 この辺がこんにゃくゼリー事故の難しさでもあるワケですが、どちらにしても「食品を凍らせて食べる」という方法自体は普通に存在する食べ方であるというのは確かと言えるでしょう。
 しかし、10センチのパンを丸のみするという食べ方は、これは正確には食べ方・食事方法と呼べるシロモノではありません。
 確かにこんにゃくゼリーの場合は袋に注意事項があったというコトはありますが、しかし「美味しく食べられる」という下地がある上でのたった数年での注意書きと、そもそも人間が生物として存在している時から認識しているような口への無茶な物質の詰め込みとを一緒にするのは、やっばりちょっと無茶な話でしょう。
 ここの認識の差というのは、絶対に無視できない見方です。
 
 念のため言っておきますが、前回の話と全く同じなのですけど、だからと言ってやえは消費者の責任が0だと言っているワケではありません。
 いまのネット上の議論は、親が悪いに決まっているとか、そういう1か0かという言い方になってしまっていますが、この問題はそれぞれの立場で考えなければならない点がある問題で、むしろ法整備はその辺を整理する上でも必要なのではないかと思っています。
 「注意書きがあった/なかった」「おモチも死亡事故がある/ない」といった、1か0だけの議論では、なかなか本質的な議論は出来ないでしょう。
 
 同じ「のどに詰まる」と言っても、状況によって考え方は全然違います。
 この辺が「言葉遊び」ではないかと思ってしまう部分なのです。
 パンをむやみやたらに口に頬張って詰め込むような食べ方と、ゼリーをぷるんと食べる食べ方とは、責任のあり方が一緒だとは到底思えません。
 ちょっと自分で自分を想定して想像してみてください。
 仮に凍らせる食べ方でも、それは美味しそうだからと大人が試すコトはあるかもしれませんが(御意見板にも試した方がいらっしゃいましたね)、でもパンの一気飲みを試そうとは思いませんよね。
 そもそもパンの一気飲みなんて、美味しい等のメリットがないのですから、やっぱりこんにゃくゼリーとは決して一緒にはできない問題なのです。
 結局「こんにゃくゼリーを規制するなら同様にパンも規制しろ」などと言っている言説というのは、「10センチのパンを丸のみする」という行為は「死亡事故に繋がるとは想定できない一般的な食べ方だ」と言っいるコトになってしまっているワケであり、これはちょっとかなり無茶がある言い方なんじゃないかと思わざるを得ないのです。
 
 やえは、もしこんにゃくゼリーの形状が法整備されてまた販売され始めるようになったとして、しかし子供が4つも5つもいっぱい同時に頬ばってしまって結果的に亡くなってしまったという事件がもし起きたとしても、それをもって法改正をすべきなんてコトは絶対に言わないでしょう。
 こんにゃくゼリーのお話も、「のどに詰まって死亡したから」という一文だけの話で立法化までの大騒ぎになっているのではありません。
 こんにゃくゼリー問題は、そもそもは正常な食べ方をしただけなのに死亡してしまったという問題からはじまったワケで、だからこそ食品そのモノの成分とかが問題なのではなく、製品もしくはカップの形状が問題になっているのです。
 これがもし、そのパンを一口大程度にちぎって食べてたにの関わらず、例えば牛乳と一緒に飲んだら急にふくらんだとかでのどに詰まってしまって死亡してしまったというのでしたら、何らかの検討はしなければならないでしょう。
 その場合どっちかと言えば、形状よりも成分なのでしょうけど、これなら何らかの整備を検討しなければならないと思います。
 でも今回はそういうモノではないワケです。
 この辺は「のどに詰まった」という言葉に過剰反応するのではなく、冷静に考えてもらいたいと思います。
 
 繰り返しますが、こんにゃくゼリーの話になると必ず、おモチはどうなんだとか、ご飯はどうなんだとか、出てきますけど、やえは本来ならばまず、正確なデータを収集するコトが何よりも先決なのではないかと思っています。
 おモチやご飯やパンの方が死亡している件数は多いじゃないかとよく言われているところですが、それらの中にはかなりの数、今回の件のような「食事方法とは呼べない食べ方をしてしまったせい」で亡くなってしまった人が含まれているのではないでしょうか。
 それらと、普通の食べ方をして亡くなってしまった件や、食品としてはそれほど食べ方として間違っていない、むしろその方が美味しく食べられると認識されているような食べ方をして亡くなっている件とを同等に考えるのは無理があるでしょう。
 それから、御意見板でもいただきましたように、幼児とお年寄りの事故はやっぱり一緒には考えられない事情もあると思いますので、その辺をまずはキチッとデータとして収集して欲しいと思います。
 データの件については、現実的には難しいというコトを承知で言いますが、農水省や厚労省、また警察庁や消防庁などキチンと連携をとってデータを出してほしい、それらが出来ていない現状は国民のための役所の適切なあり方ではないんじゃないかと思います。
 
 最期にこれも繰り返しになりますが、念のためにここでも言っておきます。
 やえがここ最近取り扱っている問題というのは、あくまで形状等に関する法規制のお話です。
 やえは、こんにゃくゼリーを販売禁止にしろという意見には与しません。
 今日は、タイムリーすぎる話題であり、なんか期待されてるっぽい……あら、一行の方で書き込みがあったみたいですね、ですし、さらにやっぱりこんにゃくゼリーとは全く事情が違うのに同列に語ろうとする言説が多かったので、今日敢えて取り上げたのですが、本来は今回の事故とこんにゃくゼリーの件は全く別問題ですから、むしろごっちゃになってしまうかもしれないというコトを考えるなら、取り扱うべきではなかったかもしれません。
 もしこれが「販売禁止」に関する問題だったのであればまだ関連性はあったかもしれませんが、形状等の法規制で考えるなら、このパンの問題とこんにゃくゼリーの問題とは全然別問題なのです。
 パンがのどに詰まった原因は、パンの形にあるワケではないですからね。
 ですからこれは一言で「別問題です」でも終わる問題であるのです。
 
 議論する場合は、この辺をしっかりと冷静に分けて考えてもらいたいと思います。
 

平成20年10月22日

 こんにゃくゼリー問題に関する自民党法整備の件 3

 今日はちょっと時間があまりありませんので、手短にです。
 
 どうしても「常識」という言葉を使うコトを嫌う人がいて、これは今回のコトに限らず、こういうサイトをずっとやっていたらどんな問題でも似たようなコトは何度も言われ続けているのですけど、でもやっぱり「常識」という概念は決して無視できる概念ではないのも事実です。
 人間社会というのは常識の上で成り立っているワケですし、法律だって常識のもとに作られているモノです。
 また司法の世界でも常識は時に一定の基準になり得ます。
 例えばこれはあまおちさんの専門なのですが、お部屋を借りるときの敷金とかのお話なんですけど、東京では基本的には「2年契約、その後更新料を払って2年契約更新」という契約の形が多いワケですが、この更新料という制度は地方によっては存在しないところもあります。
 実は広島にはないんですね。
 この更新料、別になんらかの法に基づいて存在しているワケではないので、この更新料が不当だと裁判に訴えた人がいるらしいのですが、しかし裁判所は「その土地の風習や常識は正当な理由となる」という理由もあって、訴えを退けています。
 また他にも、常識や風土や習慣などが裁判の場で一定の効力を持つコトはよくあるコトです。
 このように、司法の世界においても、決して常識は無視できない存在だと言えるのです。
 
 常識と言うと形がキチッと決まっていなくてあやふやだから、という理由で忌避する人もいるのかと思いますが、しかし常識は長年の社会生活を営んできた人間の英知ですから、決して無視は出来ないでしょう。
 もちろん常識絶対主義になれとは言いません。
 さっきの敷金などのお話にしてみても、最近はまた考え方が変わってきましたから、これからは敷金や礼金、更新料などは不当な請求金だと多くの人が思うようになるかもしれませんし、そうなれば裁判所の判決も変わってくるコトでしょう。
 敷金については、あまおちさんが取り組んだ時よりもかなり良い方向に進んでいると聞いています。
 このように常識とはこういうあやふやなモノでありますが、一方で人間が今を生きるための英知であるというコトも忘れてはならないコトだと思います。
 
 さらに、前にも言いましたように、実際こんにゃくゼリーの件に絡む訴訟においては、形状などの法律が無いにも関わらず、消費者側のほぼ勝利という形での和解が成立しています。
 この辺は目をそらさずにキチッと考えなければならない問題でしょう。
 
 前置きが長くなりました。
 何が言いたいかと言いますとですね、まずはこの問題を考えるとき、もう何度も言っていますように、別問題は別問題としてキチッと分けて考えてもらいたいというコトなのです。
 まず、「おモチとこんにゃくゼリーの危険度の認識は同じだった」という言説は、これは無茶があります。
 どう無茶なのかは今まで散々説明してきましたので、以前までの更新を読んでいただければと思いますが、むしろ同じだと言ってしまっているのは、その方こそ常識の拡大解釈と言わざるを得ません。
 つまりそれは「こんにゃくゼリーが国民食並みの理解度があった」という意味であり、それはさすがに空想的常識を作りだしているのではないかと、やえにはそう思えてならないのです。
 こんにゃくゼリーがどれぐらい危険なモノで、どれぐらいそれが認識されていたのかという部分は議論の余地があると思いますが、少なくとも「おモチと同レベルだ」と言ってしまうのは言いすぎだと言いたいのです。
 
 変な例えですが、おモチを食べるという行為は、多くの人から「海を泳ぐ」レベルの話だと認識されていると言えるでしょう。
 泳ぐぐらいは基本的には誰でも出来ますが、長時間泳いだりすればおぼれますし、おぼれると死亡してしまう可能性も低くないワケで、みんな泳ぐという行為をする場合はおぼれる可能性を頭に入れておきながらおぼれないように注意して泳ぐワケです。
 しかしこんにゃくゼリーの場合は、決して全員が全員「海を泳ぐ」というレベル並の行為だとは認識していなかったワケなのです。
 人によっては普通に歩くという程度の認識しか持っていませんでした。
 特に一番最初に起きた事故などはその通りです。
 普通に売ってるモノを普通に食べたら死んでた、というのが実感であり、海水浴をしていて目を離したらおぼれてた、というレベルではないのです。
 さすがにそれは理不尽じゃないかというところからこんにゃくゼリーの問題ははじまったワケで、それを是正するための表示義務や形状の規制であるワケです。
 昨日のパンの事故は、マラソンの距離を50m走で走るスピードで走り続けたのが原因と例えればいいでしょうか。
 やっぱりこれらをごっちゃまぜにして考えるべき問題ではないのです。
 
 表示の問題のみで考えるなら、もし本当にこんにゃくゼリーがおモチ並みの国民食だと言えると確信できるなら、ある程度は両者を比較するでしょうし、形状規制はともかく、表示に関してはとやかく言わなかったと思います。
 でも何度も言ってますように、それは無茶な話でしかありません。
 ですから「その行為は海を泳ぐぐらいのレベルですからキチンと準備してください」と警告するコトは必要なコトだとは思いますが、水着に着替えて海を泳ごうとしている人に向かって「準備体操をする義務がありますよ」と法律で決めるかどうかというのは、ちょっと考え物だと思います。
 法律で義務化してももちろん問題はないと思いますが、いま吃緊にしなければならないかどうかは別問題ですし、こんにゃくゼリーをするなら同時におモチもという、両者を比較させ並列に考えるのはこれは違うんじゃないですかと言いたいワケなのです。
 
 もうひとつ。
 これも何度も言ってますが、こんにゃくゼリーとおモチは、のどに詰まる原因が違います。
 昨日扱いましたパンも、原因は全く別のところにありました。
 そして他の食品もおそらく違うでしょう。
 ここのところは、どういう食品がどういう理由でのどにつまって死亡したのか詳細に調べてもらわないと分からない部分ですが、少なくとも、こんにゃくゼリーとおモチと昨日のパンの事故は、原因が全く違うのです。
 となれば、これはもう別問題です。
 こんにゃくゼリーについては、これは形が問題であるワケですから、どのような形が一番事故が起こりにくいか考えましょう、というのが自民党の流れであり、やえが扱っている案件です。
 形が問題だから形を考えているのです。
 昨日の犯の事故の件は、問題はむしろ教育の方にありそうですよね。
 でもこれは、こんにゃくゼリーの形状規制の話では全くありませんから、やえは今のところ扱うつもりはありません。
 基本的にはたったこれだけの話であり、しかしそれなのに、他の問題を無理矢理ごちゃ混ぜにして議論を難しくしようとするのは、いただけない議論の仕方だと言わざるを得ません。
 
 法の公平性というお話が出ているようですが、以上のコトから、これは全く公平性とは別問題であるというコトが言えます。
 こんにゃくゼリーはなぜのどに詰まるかと言えば、形が問題です。
 これは多くの人が納得するところでしょうし、マンナンライフ社も理解しているところです。
 だからマンナンライフ社は自主的に形状を何度か改良してきたワケで、つまりこれは、こんにゃくゼリーという食べ物は、必ず形状を規制しなければならない、形を規制しなければ危ないという意味であって、こんにゃくゼリーという存在は独自の事情が内在している食べ物だとというコトを認めているというコトなのです。
 すなわちこれはこんにゃくゼリーの独自問題です。
 となれば、公平性という問題は発生しません。
 なぜなら、公平という概念は、他者が存在して初めて発生する概念だからです。
 他者と比べるコトによって、「あっちよりはこっちの方が」という差が生まれるからこそ、それを直そうという公平性という概念が生まれるワケで、ですから、こんにゃくゼリーは他者とは比べられない独自の事情があるのですから、公平性という観念では考えられないのです。
 
 おモチとこんにゃくゼリーが同じような理由で規制しなければならないのであれば、法の公平性という問題も発生するでしょう。
 しかし何度も何度も言っていますように、これらは全て別問題ですから、一緒に考えるかのような公平性の問題とはならないのです。
 もちろん、別問題ですから、別でおモチなどの法規制を考えてもいいとは思います。
 思いますが、それらはなんらこんにゃくゼリー問題の議論を阻害するモノではなく、影響を与えるモノではなく、そしてそれは当然逆も然りであって、全く別問題なのです。
 おモチを規制しろとお考えの方がいらっしゃいましたら、それはこんにゃくゼリーの話とは全く別で議論すればよいかと思います。
 
 最初にも言いましたように、常識とはどうやってもあやふやな問題であるというのはその通りです。
 やえはそこを否定するつもりはありません。
 そして、時に常識は、時や場合や人それぞれ違ってくるコトもままあります。
 特に最近はネットの常習者とそうでない人の間で認識の差が、けっこう出てしまうコトもよくあったりします。
 人権擁護法案にかかる議論の時などは、これほど感覚の差があるモノなのかと驚きと落胆を感じたコトもありませんでした。
 ですから今回も、心底「おモチとこんにゃくゼリーと危険認識度は同じだった」と思っている人もいるかもしれませんし、一方そう思わなかった人もいるワケです。
 ここのところは全体を議論する上でシッカリと認識しなくてはならないところではありますが、責任論においてはどうしても常識が基準となってあやふやになってしまうと言わざるを得ません。
 
 しかし、だからこその立法化なのではないのでしょうか。
 
 法律化してしまえば、それが常識だろうがなんだろうが、法律に書いてあるのですから、それに従う義務が全国民に発生します。
 立法化してしまえば。「そんな常識はない」とは言えるかもしれませんが、「そんな法律は知らなかった」とは言えません。
 ですから、全国民が明確な基準を立法化するコトによって得られるワケなのです。
 すなわち、基準が人によってそれぞれであやふやだからこそ、立法化は必要なのではないのでしょうか。
 
 この議論、いつまでたっても消費者が悪い、国が悪い、企業が悪いと、1か0の議論ばかりが横行していますが、本来はそうではないハズです。
 どんな事故だってそれぞれがそれぞれの立場で考えなければならない責任というモノは必ずあるでしょう。
 その中で、結局今は明確な基準がない上で、さらに裁判では消費者側に結果的には全面的な勝利に近い形での判決が出ているワケですが、もしこの問題で立法化され一律の基準が出来たら、この責任の割合というモノはまた変わってくるのではないでしょうか。
 いまネットでは、消費者こそに責任を求める言説がよく見られるところですが、しかし今の状況ではそれは司法判断でも難しです。
 しかしむしろ立法化された方が消費者に責任を求めやすくなるのではないのでしょうか。
 「法律で義務づけられていた方法で掲示をしていたのだから、キチンと読まなかった方が悪い」
 いまでも「読まない方が悪い」という意見はありますが、しかし立法化していた方が、その根拠・説得力としては断然強いと言えるでしょうし、当たり前すぎる話ですが、司法としても法律があればその法律を無視できるハズはないのですから。
 
 立法化はあやふやな根拠に対して一本明確な線を引く効果があります。
 そして、だからこそ、メーカーとしても、立法化した方がこんにゃくゼリーを復活させやすいのではないかとやえは思っているワケなのです。
 ネット上の意見を見ていて、結局こんにゃくゼリーをどうしたいのかよく分からないまま感情論をぶちまけているだけの人っていうのがたまにいますけど、自民党の法規制があるからこそこんにゃくゼリーが復活しやすくなるのではないでしょうか。
 前回も言いましたけど、やえは販売禁止措置にしろという意見には与しません。
 だれが100%悪いかという議論ではなく、国家の仕組みに従って、キチンとルール作りを整備して、それぞれ立場がそれぞれの責任のもとでシッカリと考えて行動するようになってほしいと思っているのです。
 
 ごめんなさい、時間がないと言いつつ、なんだかいつもより長くなってしまいました。
 まだまだ引き続きこの問題は取り扱っていきたいと思います。
 

平成20年10月24日

 こんにゃくゼリー問題に関する自民党法整備の件 4

 御意見板で活発な議論がされるコトはうれしいコトなのですが、どうも論点が堂々巡りしているように見受けられます。
 またまたこんにゃくゼリーの件ですが、当サイトにお越しになって下さっている方々の中で、やえの主張するコトをどれぐらいの方がご理解していただいているのかというのはよく分かりませんが、理解してくだされない方もいるというのは事実のようです。
 でも、ごめんなさい、正直、もうちょっとよく読んでいただきたいなぁと思う部分もけっこうあります。
 というワケで今日は、もう一度、多くの部分で繰り返しになるとは思いますが、初めて書く部分もあるコトも含めて、分かりやすくこの問題を整理してみたいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 まず最初に。
 この件は、立法の問題、法律の問題であり、つまり現実的政治のお話です。
 本文でも述べますが、今回扱っているのは
 
 こんにゃくゼリー問題全般
 
 のお話ではなく、
 
 自民党が検討すると表明した形状並びに表示に関する法律についてこれをどう考えるべきか
 
 という問題です。
 言ってみれば、人権擁護法案を取り扱った時のように、かなり厳密に現実的な政治のお話であり、思想的な話でもないワケです。
 思想的な話をするコトももちろん大切なコトだと思いますし、その辺もしなければならないコトなのでしょうけど、少なくとも今やえが扱っている件は政治のお話法律のお話ですから、ごちゃ混ぜにして考えてはならないというコトはまずもって言っておきたいと思います。
 
 
 ■取り扱っている件は、立法府である自民党から出される議員立法の件である
 
 やえが今回取り扱っている件は、あくまで、岸田文雄先生が会長でいらっしゃる自民党消費者問題調査会が、自民党として出した「議員立法を作ろう」という一定の結論に対してのお話についてです。
 これは、決して岸田先生が一議員としての立場として出てきた話なのではなく、自民党の党務として党を代表しての発言であり、すなわち立法府としての立場から発せられたメッセージです。
 ですから、行政府である野田大臣や閣僚並びに中央省庁から発せられた発言や動きというのは、自民党の議員立法の件とは別件であり、よってやえが取り扱う案件とも別問題です。
 関連として、ネタとして、政府や野田大臣の動きを教えていただくコトはもちろん構いませんが、野田大臣は目立つ方なので色々と取りざたされたりするコトもありますけど、これらは自民党の議員立法の件とは別問題であるというコトは、シッカリと認識して、シッカリと分けて考えてもらいたいと思います。
 
 ちなみにやえは、こんにゃくゼリーを製造禁止にするという意見には与しません。
 
 
 ■この議員立法は、形状並びに表示の規格を規定するモノである
 
 販売や製造を禁止するモノではありません。
 形や表示を義務づけるという法律(案)です。
 なぜ形状を規格化するのかと言うと、のどに詰まる原因が、こんにゃくゼリーそのもの並びにカップの形状にあるからです。
 そして、今まで食品の形状に関する法律は存在しなかったために、そもそもどの役所が担当するのかも未だに定かではなく、だからこそ議員立法という手法がとられようとしているのでしょう。
 
 こんにゃくゼリー全般の問題がなぜ難しくて複雑で、なかなかスッキリとまとまらないのかと言うと、この「どの役所が担当したらいいのか分からない」という部分も小さくありません。
 成分の問題でしたら農水省なのかもしれませんし、またその成分によっては厚労省の場合もあります。
 でもこんにゃくゼリーはそのどちらでもなく、形状というコトなら、経済産業省の担当ではないのかという議論もあったようです。
 でも経産省も、企業を指導する立場ではあっても、具体的に形などをどうこうしろと言えるほどの法的根拠を持っていないワケで、だからずっと足踏みが続いているというのが、このこんにゃくゼリーの問題の特殊性でもあります。
 
 もし役所が率先して法律を作ろうとしても、果たして農水省が形状に関する法律案を作っていいのかどうか、ちょっと判断に役所としては困るでしょう。
 それなりの役所間の議論もしなければならなくなると思います。
 おモチなら分かりやすいです。
 あのネバネバ感がのどに詰まる原因なのでしょうから、規制等するなら農水省の範疇なのは明かです。
 ただ実際にネバネバ感を規制する場合、法的にどう位置づけるか等いろいろと知恵を絞らなければならない部分も出で来るでしょうけど、ともかく、こういう意味からもそう簡単におモチなどと同列に語れない事情があります。
 役所の縦割り行政とはめんどくさいモノだなぁと思うかもしれませんが、いや実際やえもそう思うんですが、やっぱり人間が創り出す巨大組織というのは性格がそうなってしまうのでしょう。
 ある程度大きな企業でも、似たような縦割りはあるかと思います。
 まぁそれはともかく、こういう役所の重い腰に対して、ワリと身軽に動けるのが議員立法であり、今回も自民党は党としてその方が適切だと判断したのでしょう。
 時には党として役所に法律を作るよう言うコトもありますが、今回は議員立法として作るのがふさわしいと判断したのだと思われます。
 
 
 ■規格の規定はマンナンライフ社も必要だと認めている
 
 今は自主的に製造中止していますが、最近まで作られていたマンナンライフ社の蒟蒻畑は、会社独自の規格規制を作り、製造していました。
 これは一番最初に起きた死亡事故を教訓にして作られた規制です。
 つまり、マンナンライフ社も、こんにゃくゼリーという食べ物は、ある程度の形を規定しなければ危険な食べ物であると認めているコトになります。
 そしてこの辺は多くの人が認めるところでしょう。
 「マンナンライフ社は努力していたのに」と言う人は多いですが、そう言う人はつまり、努力の結果安全な食品に仕上がったと言っているワケで、自主規格規制をしていない時の状態は好ましくないと認めているコトなワケですからね。
 これはこんにゃくゼリーという食品の独自性を表しています。
 よって、こんにゃくゼリーという食品を製造し、市場に流通させて、一般的に販売するという行為を行うのであれば、必ず形状について規格の規制をしなければならないというコトなのです。
 
 
 ■自主規定から法規定すれば、民主的であり、他社にも強制力を得られる
 
 規定の規制は必要だという話はしましたが、それをどの権限の元でやるのかという話が、むしろ今回の主題とも言えます。
 自主規定を法規定にするという意味をどう考えるか、です。
 
 まず、やはり本来であれば、一番最初に起きた死亡事故の段階で速やかに法規定するコトが一番スマートな形であったでしょう。
 こんにゃくゼリーという新しい食べ物の登場に際して問題点が出て、しかも死亡してしまうという最悪の結果を招いたのですから、その時点で法整備を考えるのが常識的だったと言えると思います。
 形が原因であるのでしょうから、その形についてキッチリと法規定すれば、消費者にとってもメーカーにとっても望まれる結果になるのですから、立法府はそこをシッカリと考えて行動すべきでした。
 ここは立法の不作為と言われても仕方ないところだと思います。
 
 また、自主規定から法規定になるというコトは、つまり一個人だけの話にとどまらず、より広く公に向けた民主的な手法になると言えます。
 国会で審議されて法律になるのですから、民主主義日本においてこれ以上公的な手法はないワケです。
 変な言い方ですが、民主主義国においては、結果的に見てうまくいったという行為よりも、民主的な手法で決まったコトの方が正しい行為と言えます。
 それを思想的にどう評価するかはともかく、法律に則って行動すべき立法府や行政府そして司法府においては、やはり「民主的=正義」という評価のもとで行動しなければなりません。
 そういう意味においては、一個人(法人)の自主規定よりも、法で定められた規定の方が民主的であり、すなわち自主規定よりも法規定の方が正義だとされるワケなのです。
 
 もう一点。
 マンナンライフ社の自主規定は、あくまで自社の中での規定です。
 ですから、他社がこの規定を守るかどうかは、完全に他社任せです。
 仮に危険な形状であったとしても、今のままなら守らなくてもいいワケです
 しかし法によって定めれば、マンナンライフ社であってもなくても、仮に新しい会社が参入してきたとしても、強制的に守らなければならない義務が発生します。
 よく「マンナンライフ社だけを狙い打ちにしてる」と言っている人がいますが、それは自民党の立法化のお話とは全然別のお話です。
 むしろ立法化の話は、このように公平性を担保する話でもあると言えるでしょう。
 実質的には、自主規定ではなく立法化する意味というのは、ここが一番大きいと言えるかもしれません。
 
 
 ■常識の問題から一方踏み出すコトにもなる
 
 危険度の認識がどうだったかという議論は、どこまでいっても常識論にしかなりません。
 こんにゃくゼリーの危険性は全く認知していなかったという論にネット上では大きな反発が出ていますが、しかしこんにゃくゼリーとおモチが同レベルの認識度だったと言うのも無茶な話だと思っています。
 ですが、どちらにしても、両方共にこれは常識論です。
 しかし法律を作れば、常識の問題から一方踏み出すコトになります。
 野田大臣や消費者団体の言い方や、それに対するネットでよく見られる議論では、結局は水掛け論にしかなりません。
 これらの議論では、こんにゃくゼリーの一体何が問題なのか、そしてそれをどう改善すればいいのか、この辺の議論が全くおざなりになってしまっているワケです。
 その中で、立法府がこの問題について一定の基準を規格化させるコトは、問題を整理し、客観的な規定を線引きして、問題に正面から取り組めるようになる措置だと言えるでしょう。
 
 
 ■司法の場においても、今までと違う判断が下されるのではないか
 
 法律が新しくできれば、司法も以前とは違う考え方をしなければなりません。
 ものすごく単純な例ですが、ネズミ講は今の日本では違法行為とされていますが、この法律は昭和53年に出来た法律であり、つまり昭和52年までは合法的手法とされていました。
 法律があるのと無いのとでは、時にこのように、全く違う判断を司法は下すコトになるワケです。
 
 ではこんにゃくゼリーの形状に関する法律が出来たら、どのように変わるでしょうか。
 
 どうもこの問題を議論する時、誰が悪いのか、むしろ誰だけが悪いのかという、1か0かの議論ばかり横行している気がしてなりません。
 食べさせた親が悪いんだ、メーカーが悪いんだ、行政が悪いんだ、こういう責任の全てをどこかに背負わせるような言い方です。
 でもこれはむしろ不自然な考え方でしょう。
 本来なら、それぞれがそれぞれの立場で考えなければならない問題のハズです。
 
 そしてこの問題は、その上で、裁判ではメーカー側にほぼ全面的に敗訴の形での和解が結ばれているという事実があります。
 
 よく「注意書きを読まなかったのが悪い」という言い方がありますが、やえはこれを全面的に否定するつもりはありません。
 やはり自立した消費者として、そういうモノに目を通しておかなければならないというのはその通りです。
 「おモチとこんにゃくゼリーを同レベルで考えるべきではない」とやえが言っているからと言って、消費者の責任が0であるなんてコトをやえが言っているワケでは全くありません
 ただ、責任の全てをそれだけに押しつけるような1か0かという言い方はいかがなモノかと思っているワケなのです。
 さっきも言いましたように、こんにゃくゼリーと国民食であるおモチとを同レベルで考えるコトには無理があります。
 ですから、これらの様々な事情をシッカリと認識して噛みしめて、バランスをとって考えなければならない問題であると言っているワケなのです。
 
 しかし裁判では、消費者側のほぼ全面勝利の和解が出ています。
 これをどうするかというコトを考えなければなりません。
 ではどうするか。
 やはりここは、明確に法律によって一定の基準を設けるという方法が、最も分かりやすく明確でスマートではないかと思うのです。
 
 形状規格の法律が出来たら今後裁判所の判決がどう変わるか、これはやえが明確に答えられるモノではありません。
 弁護士だって裁判所の判決がどうなるのか予想で断言は出来ないワケですし、立法行為によって司法判断を決定づけるような言い方は、三権分立の精神からも反します。
 ですから、どのようになるかは断言はできません。
 その上でやえが期待しているのは、この法律が出来れば、ある程度責任のバランスが今よりも変わってくるのではないかというコトです。
 メーカーは法律によって強制的な義務と責任を負い、消費者も法律を尊重する義務と責任を負います。
 行政も、どの役所が担当するコトになるのか今はまだ分かりませんが、この法律に基づいてメーカーに指導する義務と責任を負うコトになります。
 そして立法府も、当然ですが法律に対する責任はあるワケです。
 立法後にもし事故が起きてしまった場合、のどに詰まった状況によって当然責任などは変わってきますが、もし裁判所が法に不備があると認めれば、国に責任を負わせる判決を下すコトもあり得るでしょう。
 それはそれで、問題の原因はどこにあったのかが明確になり、今よりも遙かに前進していると言えるのではないでしょうか。
 
 このように立法化するというコトは、様々な観点から一本線を引き、問題に明確さを与え、それぞれがそれぞれの立場でどう責任を考えるかの基準となるのではないかと思っています。
 やえはそれを期待しています。
 
 
 ■よって立法化するコトが最もこんにゃくゼリーを製造し、また消費できるようになる近道である
 
 以上のコトを考えると、やはり立法化するコトがこんにゃくゼリーの復活の一番の近道じゃないかとやえは考えています。
 こんにゃくゼリーの議論を見ていると、そのほとんどが「法規制=悪の行為」という前提で話を進めてしまっています。
 法規制をするコトは自由を制限するコトであり、重い責任を押しつけて、責め立てるコトに他ならない。
 こういう前提の元で、法規制というモノを考えてしまっているのではないでしょうか。
 しかし決してそればかりではないコトは認識してほしいなと思います。
 繰り返しますが、やえはこんにゃくゼリーを製造販売禁止する方向での意見には与しません。
 そうではない方向に向かえると期待して、やえはこの自民党の立法化をこのように分析しているのです。
 
 
 長くなってしまいました。
 他にも語るべき部分があるかもしれませんが、その辺はおいおい、また御意見板にでも書き込みをしていただければと思います。
 どうすれば一番国民のためになるのか、そこを一番に念頭に置いて考えていきたいですね。