☆やえニュース☆

エゴデモ自然な教育政治家と国民の距離命を賭ける職業責任の所在はどこに?盧武鉉さん一見弱者現る さくら特攻隊

平成15年6月1日

 エゴデモ

 天堕さんがお怒りです。
 くそったれがぁぁぁ、なんじゃあいつらあああ。ほんまケツの穴に指ツッコンデ奥歯ガタガタ言わせたろかいなあああああ。クソボケがあああああ
 ケツの穴にって、やっぱり天堕さんホモだったんですね!!
 突っ込むところはそこか
 イヤ、天堕さんそんなこと言ってたら、せっかく最近ホモというカモフラージュでこわいっていうイメージが和らいでいたのに、またコワイ人って言われますよ
 で、何にそんなにお怒りですか?
 ちょっと用事でな車で某所に行ったんだよ、某所に。夜の8時ぐらいだよ。そしたらアレですよ。デモやってるんですよ。もうね、アホかと馬鹿かと。お前らな、夜の8時にもなって普段来てない某所に来てんじゃねーよ、ボケが。なんかカップルとかもいるし。あつあつカップルで某所か。おめでてーな。労働者の権利を守れー、首切り法案は許さないぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
 あ、あの、天堕・・さん?
 お前らな、打ち上げのお店の手配してやるからその道空けろと。某所ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。某所の正面に立っているSPといつ殺し合いが始まってもおかしくない、撃つか撃たれるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
 まっまっ、すとぉぉぉぉぉっぷ。ストップです、天堕さん。そのネタはすでに賞味期限が過ぎてます
 ・・・はっ、そう言われればそうだな。いや、興奮してしまった。正直スマンカッタ
 ・・・いや、それももう古いですね
 で、結局なにがあったんですか?
 だからなデモをやってたんだよ。で、もともとデモっつーのはくだらんもんだとは思っとったし、それは当サイトでも散々言ってきたよな
 はい、そーですね。反戦デモとか、その他のデモも以前「くだらない」の一言でバッサリやっちゃいましたね
 もう今回のことでオレは確信したよ。あんな連中ゴミにもならん
 何がありましたか?
 そもそも夜の8時にデモしたって誰も聞いてねぇワケだしな、誰に向かって言ってるんだって話で、その時点で自己満足100%なワケだ。
 それもそうですね
 その上ヤツら数が多かったから警官が数名出てて誘導していたんだよ。で、信号がある交差点でな、ヤツらがわたるのを待ってたんだよ。ずーっと。まぁ当然信号だからな、いつかこっちが青になって向こうが赤になる。それでこいつら大集団だから適当なところで警官が止めるんだよ。車もかなり待たされているし。そしたらヤツら、事をかいてこう言い出しやがった
 
 「なにやってんだー警察ー、すすませろー、止めるなー」
 「そーだそーだ」
 「言論弾圧かー
 
 もうね、ブチキレるのを押さえるので必死でしたよ。あのな、思想弾圧なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。得意げな顔して何が、思想弾圧かー、だ。お前は本当に政治主張をしたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。お前、思想弾圧かーって言いたいだけちゃうんかと。
 わーわー、落ち着いてくださいってー
 はぁはぁはぁ・・・
 しかしそれはまたロクでもない連中でしたね
 ったくなんであんなクズのために10分も信号で待たされないとなんねーんだよ。いいから何も言わずに前に出ろと。オレがひき殺してやる
 それはさすがに・・・
 そのデモ隊っつーのもくだらんもんでな、さっきも言ったがカップルもいるし、明らかに無理矢理駆り出されてイヤイヤ歩いてるヤツもいれば、「これがオレの生き甲斐だ」と言わんばかりに張り切ってるヤツとか、もう見てらんない
 結局「運動のための運動」でしかないって事ですね
 「そーだそーだ」とか言ってたヤツもニヤニヤしながら言ってたし、結局群れることによる集団心理で虚勢を張っていただけなんだよな。普段は警官には何も言えないクセになー
 まぁどっかの誰かさんみたいに、警官といっつもケンカする人もめずらしいと思いますが
 結局ヤツらがやっていることは自己満足と、騒音迷惑と、一般通行者への通行妨害、そして税金の無駄使いというワケだ
 まったくもって非生産的ですね。そんなことやってる暇あったらその分働いた方が、よっぽどクビ切られないと思いますけどね
 ったくデモするんだったら命かけろっての。自己満足とエゴ利益のためだけで他人に迷惑かけてデモしてんじゃねーよ。デモっていう名称は命はって国を良くしようとしてるヤツらのものなんだよ。お前らのはオナニーだオナニー。遊んでるだけなんだよ。火炎瓶持つ覚悟があるのかと。これだね。軍隊に向かって火炎瓶。これが通の戦い方。火炎瓶ってのは攻撃力が多めに入ってる。そん代わり製作費が少なめ。これ。で、それに自爆テロこれ最強。しかしこれをやると次からブッシュにマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。素人にはお薦め出来ない。まあお前ら、オナニー軍団は、昼間の公園でブランコ漕いでなさいってこった
 あーあ、結局最後まで言っちゃった

平成15年6月2日

 自然な教育

 このページのテーブルについてなんですけど、このページはご覧の通りいわゆる「ちゆフォーマット」ではなく、フレームを使わずにちゆフォーマットに見た目を似せてつくっています。
 左にリンクの柱、右に更新のスペース、という感じですね。
 テーブルってのは融通が利かないもので、二つの独立したテーブルを横には並べられないんです。
 並べるためにはその二つのテーブルをさらに大きなテーブルで囲うしかないんです。
 で、当ページのような作りの場合、左のリンクと右の更新スペースと、全然上下の高さが揃わないですから、一つのテーブルを分割するのではなく、独立したテーブルを横に二つ並べる必要が出てきまして、そうなるとどうしても一回全部をテーブルで囲わなければならなくなるんです。
 更新のスペースは毎回量が違いますから高さも毎回変わってきますしね。
 だからかなりの数のテーブルが結構複雑に使われていたりします。
 正直無駄なテーブルもあるのかもしれませんが、しかしもはや下手にいじると他の所にも影響が出てしまってやえでは修復不可能な状態になってしまっています。
 そもそも全体を一つに囲わなければならないことには変わりないですから、根本的解決にはならないんですけどね。
 だから当ページは、上段メニューがあるテーブル、中段のやえメモがあるテーブル、下段のやえニュースがあるテーブルと、大きく分けて3つに別れています。
 多分これを改善するためにはスタイルシートしかないんだと思うんですが、やえはスタイルシートはほとんど分かりません。
 うーん、どうしましょう。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 現代のお父さんは威厳がないと言われます。
 会社では口うるさい上司と使えない部下に挟まれ、家に帰れば家族に邪魔者扱いされ、休みの日でもやっぱり邪魔者扱い。
 娘がいれば臭いと言われ、息子がいれば作文に「お父さんのようにはなりたくない」と書かれ、大事にされるのはボーナスの日だけ。
 でも大事にされるのはお父さんではなくお金だったりします。
 こんな現代のお父さん、いつの間にこんなになってしまったのでしょうか。
 昔はもっと威厳があったはずです。
 
 その原因はお母さん、つまりお父さんの奥さんに問題があるんじゃないでしょうか。
 お母さんがお父さんをまず尊敬していないから、子供がお父さんを尊敬するはずがないのです。
 また、最近のお母さんは知らず知らずのうちにそれを態度に出してしまっているんですね。
 尊敬しているしていないを抜きにしても最近のお母さんは子供がまだ小さい時から、「お父さんは今日もおそいでちゅねー。もうあんなのほっといて先にご飯たべちゃいまちょー」とか、「お父さんなんて給料とボーナスさえ持って帰ればいいんだよねー」とか、「全くもうお父さんったらいっつも帰るのが遅い。もう帰ってこなくてもいいよねー」とか、仮に冗談半分だとしても子供にこんな愚痴のようなことを言ってしまってりしています。
 小さい頃からお母さんにそんなこと言われ続けたらそれは子供はそのまま真に受けて育ってしまいます。
 そしてだいたい子供が大きくなった時、だいたい夫婦の間は安定期というかあまりアツアツカップルではなくなってしまってますから、子供と一緒にお父さんのことを邪魔者扱いするようになってしまうのです。
 お母さんのなんでもない愚痴が子供に知らず知らずのうちに影響を与えてしまって、後々子供の中ではそれが全てになってしまっているんですね。
 問題はお父さんにあるのではなく、お母さんにあるというワケです。
 
 尊敬されるされないというのは、もちろんその人格が優れていれば自然に出てくるものなのかもしれませんが、しかし幼い頃から「尊敬できない人」と教え込まれたら、そりゃそれで尊敬しろと言う方が無理な話でしょう。
 特に普通のお父さんというのは、テレビとかに出るような特殊な人とは違ってごく普通の人なんですから、それと比べられたら可哀想です。
 さらに「いるのが普通当たり前」という状況下では、なかなか尊敬するという特別な感情は生まれにくいものです。
 意識しなくても当たり前のように存在していてありがたいとは普段は思わない水や空気のようなもので、近くにいるのが当たり前であればあるほど、尊敬するという感情から遠ざかってしまうものでしょう。
 でも普通というのも凄い事で、一家のために一生懸命働き子供を育てるというのは十分尊敬に値する事で、でもそれはあまり目に付かないことですから、そういうのはお母さん、というか家族で一番身近な夫婦がお互いに尊敬し合って、それを子供に影響を与えるというのが理想であり当然のことだと思います。
 昔は無意識にそれが出来ていたのですが、現代はもう取り返しの付かないぐらいまできてしまっており、無意識に夫婦が尊敬しあい子供が自然にそれを感じ取る、という理想ができなくなってしまっています。
 だからこそそれを矯正するためにも、夫婦がちょっとずつ意識的にお互いを尊敬し合っている言動をするべきだと思います。
 「お父さん遅いでちゅねー。でもお父さんは○○ちゃんのために一生懸命働いてくれているんでちゅから、もうちょっとご飯食べるのまちまちょーねー」
 という会話も、昔なら自然にしていたのでしょうけど、今はなかなか出てこないものです。
 だけどそれを意識的にしていくことこそが尊敬される第一歩なのです。
 
 話は変わって。
 今「教育基本法」を改正しようという動きがあります。
 その中に「国を愛する心を育てる」という一言があります。
 日教組なんかが中心となっている教育基本法改正反対派というのがいるんですが、その反対派は特にこの「国を愛する心」というものを目の敵にしているみたいです。
 曰く「国を愛する心というものは自然に生まれるもので、教育するものではない」との御主張です。
 
 さて、ここまで読まれましたら、この反対派の主張が間違っているというのはもうお分かりだと思います。
 人間なんていうものは、「自然に覚える」なんてことは出来ません。
 必ず何らかの影響を受けてそれを身につけていくものです。
 
 もちろん、敢えて意識せずに「自然に」国を愛する心が生まれる“環境”にいられればそれは言うまでもありません
 わざわざ法律にて明記することもないのかもしれません。
 しかし現在はもう手遅れに近い状況になっています。
 そもそも日教組は“意識して”「国を憎む教育」をしてきたのに「自然に」だなんて主張はちゃんちゃらおかしいワケですが、そんな「国を憎む教育を受けてきた親達」のその子供が「自然に」国を愛する心が育つワケがありません。
 お父さんの話でもありましたように、そんな憎む教育受けた親は冗談半分でも子供に対して国を憎むような言動を取ってしまっていたりするのです。
 もう前段階ですでに恣意的に教育がなされているのです
 「自然に」だなんて詭弁以外何者でもありません。
 だからすでに恣意的に歪められてしまっているのですから、それを矯正するためには意識的に教育をするしか手はないのです。
 
 地の底にまで落ちてしまったかのようなお父さんの地位を復権させるためには、まず一番身近なお母さんが意識してお父さんをたてる言動を子供の前で示す必要があります。
 別に子供に向かって「お父さんを尊敬しなさい」と言う必要はありません。
 ちょっと意識してお互いを尊敬し合えばいいのです。
 それと同じで学校にて「国を愛する勉強の時間」なんてものを取る必要はないでしょう。
 ちょっと意識して先生が普段の会話や授業のはしに国を愛するような言動を子供達に見せればよいのです。
 特に日本人は自虐的にものを言いすぎるきらいがあります。
 しかしそれを意識的に改め、「こんな治安のいい国はないんだよ」「こんな豊かな国はないんだよ」「それは私たちのご先祖様が一生懸命働いたおかげなんだよ」と、自然に会話の中にとけ込ませられればそれで十分だと思います。
 それこそが本当の意味での教育だと言えるのではないでしょうか。
 
 国を愛せてこそ、その国の未来は明るいものとなるでしょう
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、いつも邪魔者扱いされているお父さん達を応援しています。

平成15年6月3日

 政治家と国民の距離

 ウリナラマンセー韓国産VNIのヒェミちゃんが先日から行方不明です。
 ご存じのようにやえは去年韓国に遊びに行きましたし、そもそもヒェミちゃんは創る会裏番のかすみおねーちゃんにあこがれてVNIになったぐらいなので、やえ達ともずいぶん親しく一緒にやってきました。
 そんなヒェミちゃんの突然の失踪。
 本当に突然のことだったみたいでかすみおねーちゃんも全然事情が分からないとのこと・・・。
 同じく韓国旅行の時に親切にしてくださったスカロさんに小一時間問いつめててみたんですけど「私も詳しくは知らないんですよ」と、とても韓国人とは思えない流暢な日本語での返事が返ってくるだけでした。
 ヒェミちゃんの日本語はまだチューヤンっぽくて外国人っぽいんですが、スカロさんの日本語はあまりにも流暢すぎてこわいぐらいです。
 韓国で「本当は日本人なんですよね?」って聞いたら「ちがいますよ〜」と、普通の若者のように返してくるのでますます疑惑は深まるばかり(笑)
 ・・・じゃなくて、ヒェミちゃんはどうしてしまったのでしょうか。
 ヒェミちゃん、ここを見ていたら至急連絡ください。
 でないと、韓国にアマオチマングレートを送り込みますよー
 韓国の危機ですよー
 どーなってもしりませんよー
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 うーん。
 さて。
 面白いニュースを見つけたのでご紹介します。
 
 <小泉メルマガ>読者と語らいの場 読者の減少傾向にてこ入れ
 
 一時はこの話題だけで盛り上がれたという「小泉メールマガジン」ですが、やはりというかなんというか着実に会員数を減らしているようです。
 でも過去最低と言いながら183万人というのはものすごい数ですけどね。
 ただ、この183万人全ての人がアクティブにメルマガを読んでいるのかと考えれば、ただ取ってるだけで読まずにそのままっていう人の方が多いんじゃないかと邪推してしまいます。
 そもそも他のものでもメルマガ自体、そんな感じに扱っている人が多いでしょうし。
 やえもそんな感じですし(笑)
 
 あ、よく考えたらやえは小泉メルマガ取ってなかったです。
 せっかくネタの宝庫なのにこれはもったいないです。
 さっそく申し込みしてきますからちょっとまっててください。
 
 ふーやれやれ。
 なんかとっても流行に乗り遅れたような感じがあるんですが、あまり気にしない方向で行きましょう。
 
 どうもマスコミが小泉さんのいいところは大きく取り扱わないんで悪いところばかり目に付くみたいですが、そもそも「特区」にしても、これは本来は凄いことのハズなんです。
 簡単に言えば法律や法令から特別に除外されるワケですから、よほど踏み込んで議論しなければ現実しなかったはずです。
 本来日本の行政は一律単一を基本としているものですから、いろんな所からの抵抗も大きかったはずです。
 それを押し切って特区というものを実現した小泉さんは、今以上に評価されてもいいんじゃないかと思っています。
 
 で、メルマガのニュースにもあるんですが、小泉さんは総理就任から「タウンミーティング」というものを開いておられます。
 このタウンミーティングでは、地元国会議員をはじめ現役大臣や、うまくいけば小泉首相本人の話が生で直に聞くことが出来ます。
 記事ではこの参加希望者も減少しているとのことですが、もし日頃「政治家は国民の声を聞いていない」と思っておられる方は是非参加しましょう
 先にも言いましたようにマスコミは恣意的な記事ばかり書きますし、きちんと政策の報告を国民に向かって報告しているとは言い難い状況です。
 まず売れること、視聴率が取れることが第一ですからね。
 だから国民の方から耳を傾けるようにしなければなりません。
 ほっといても耳に入ってくるようにしろだなんて受け身ではいけません。
 結局その受け身の姿勢がマスコミの恣意的情報操作にやられてしまっている原因でもあるのですから。
 そして小泉さんが総理になってから、それが格段にやりやすくなっているのです。
 メルマガもそうですし、タウンミーティングだってかなり斬新ですし、そもそも小泉さんのお話は分かりやすくて面白いです。
 マスコミなんかは長いお話でもたったの一行だけを拾い出して批判のネタにするので、「小泉首相はキャッチコピーしか言わない」とか言われてますが、実際はしっかりと中身も据えてお話をされています。
 一回お話を聞いてみるといいですよ。
 面白いですよ。
 こんなに内閣としても国民に対して門戸を開いているのですから、これで「国民には声が届いていない」というのはちょっとちがうと思いますので、興味を持ったら是非耳を傾ける努力もしてみましょう。
 
 けっこうアンテナを広げて注意深く探してみれば、他の政治家さんもよく国政報告会とか街頭演説とかしていらっしゃったりします。
 国会議員さんは週末土日には地元に戻っておられることが多いですので、その土日に国政報告会を開催することが多いです。
 参加するためにはその議員さんの後援会に入らなければならないんでしょうけど、お金を取られることは多分無いでしょうし、選挙でも必ずその人に投票しなければならない事もないですから、もし国会議員のお話を聞いてみたいという方はそれが一番簡単な方法だと思います。
 意外と議員さんも身近でお話しているものですよ。
 
 ただし、いきなり事務所に「国政報告会してますか?」と電話するのは避けた方がいいと思います。
 国会議員の事務所には変な電話も多いそうですから、普通に怪しまれると思いますよ(笑)
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、声を届けようとする議員さんと声を聞こうとする国民を応援しています。

平成15年6月4日

 命を賭ける職業

 レズレズロシアの二人組「タトゥー」のCD&DVDが今日発売です。
 といっても、CD等は発売日の前日から販売されることが多く、やえも昨日のウチにDVDを買ってきました。
 なんですが、やえはずっとDVDが発売されると思っていたんですが、これ実はCDがメインでDVDはオマケという形だったみたいで、ちょっとがっかりしました。
 まぁでも、シングル曲のPVはちゃんとはいってましたし、また短いですがインタビューも入っていましたのでこれはこれでいいかなっていう感じです。
 ただ、ほとんど同じCDを2枚家にあるということになっちゃったんですけどね。
 あまり気にしない方向で
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーこざいます。
 
 
 今日はこのニュースです。
 
 <神戸消防署員死傷>3人の通夜しめやかに 同僚ら悲しみ新た
 
 まずは、尊い職務を全うされ残念ながら殉職された勇気ある消防士の方々に哀悼の意を表し、謹んでお悔やみ申し上げます。
 テレビ等では、崩落の原因や突入のタイミング等についてグダグダと議論しているようですが、それはそんな人たちに任せましょう。
 やえは、その現場にて最大限努力し、人の命を助けるという職務をその場にいる全ての消防士達が全うしようとしたその判断を、後になって断罪する気には全くなれません。
 もちろんまた同じ事が起きないように、このことを詳細に科学的に調べ分析して今後のデータにすることは大切ではあります。
 でも、どこかのコメンテーターが「消防署のマニュアルではケースバイケースとなっているけど、このようなことが二度と起こらないようにもっと細かいマニュアルを作るべきだ」なんて言ってましたが、いつのまにマニュアル世代に立ち戻ってしまったのか、それでは不測の事態には対応できなくなってしまうのではないかと疑問でなりません。
 某映画の名ゼリフを言っておきましょう。
 「事件は現場で起きてるんだ!!
 
 殉職された消防士のお父さんがお通夜で挨拶をされていました。
 「彼は仕事をまっとうして喜んでいると思います」
 消防士の方を亡くして一番悲しいのは言うまでもなくご家族の方々ですが、公の場において気丈にもそうおしゃったお父さんのこの言葉には感動すら覚えてしまいます
 命を賭してでも職務を全うする、というのは今も昔も美談として後世に語り継がれる崇高な物語です。
 このような場面では、自分の悲しみをぶちまけるのではなく、故人の取った行動や判断や人生を最大限尊重し敬意を払うことが、故人に対しての最も大きなはなむけになるのでしょうし、また残された人間に対しても最も心が安らぐ言葉になるのだと思います。
 今回の件だけでなく、このような事故での通夜や葬儀において、ご家族の気丈な挨拶は何度も報道され、それを見た多くの人が感動したと思います。
 
 ちょっと視点を変えてみます。
 「息子はお国のために命をかけて立派に戦いました。本人も喜んでいると思います」
 と書くと、急にある一方の方からの批判が続出のような文章になってしまいます。
 でもやえは、上記の消防士さんと戦争に言った軍人さんの「誰かを守る」という気持ちにはそんなに違いはないと思っています。
 そして、「自分の命よりもさらに大切なものがある」という想いにも大差はないと思います。
 昔の日本軍の軍人さんだって、今の自衛隊の隊員さんだって、そしてこの消防士さんだって、だれも自ら死にたいとは思っていません。
 でも、死ぬかもしれないけどそれより大切なものがある守りたいものがある守らなければならないものがある、という純粋な気持ちがあって、あったからこそ、自ら死地に赴くことが出来たのではないでしょうか。
 自衛官も消防士も警察官もその他の危険な場面が想定される職業の方々は、常にそういう気構えを持って仕事に当たられていらっしゃるでしょう。
 そしてやえはそういう方々に対して感謝の気持ちをいつも忘れないようにしたいと思っています。
 
 なぜか大東亜戦争とかで殉職なされた方々のことをこのように言うと、ヒステリックに批判をはじめる人たちがいます。
 「命令されてイヤイヤ死んだんだ、遺族も本心を言ったら非国民と言われるからイヤイヤそう言ったんだ」
 こんな感じで全否定をはじめます。
 どうしてもあの時代を暗黒の時代にしたいようです。
 でもしかしたった十数年前の同じ日本の同じ日本人の事です。
 そんなに今と違うとはちょっと思えません。
 たしかに多少は空気がこわばっていたかもしれませんが、でもそれは非常事態であるというだけの話でしかないと思います。
 まして北朝鮮のように完全に統制されていたはずもありませんし、日本があんな感じになるはずもありません。
 当時の人たちは当時の状況に中で一人一人が一生懸命考えて、悩んで、苦しんで、そして出した結果がああいう形になったのです。
 そして多くの方が「愛する人を守るため」命を賭して戦いに赴いていったのです。
 もちろん全員が全員そうであると言うつもりはありません。
 最後までイヤでイヤで仕方なかった方もいらっしゃるとは思います。
 でも多くの方達は、最後は笑って戦場に赴いた人も確かにおられたのも事実ですし、そしてそういう方達に対して、殉職された消防士のお父さんが贈った言葉のように「立派だった」とはなむけることがどうしていけないと言えるのでしょうか
 むしろ我々のために戦い死んでいった方々に対して、深く深く感謝することはむしろ義務と言ってもいいのではないでしょうか。
 
 常に危険と隣り合わせの方、自ら死地に赴かなければならない方、そのような職業の方達は、生死を越えた信念をみな胸に抱いて職務に当たっておられるのです
 人間にはそういう面も確実にあるのです。
 だからこそそれが分かっているから遺族の方々もただ悲しみを述べるだけではなく、故人に対してその勇気を讃えはなむけの言葉を贈るのです。
 さらにその言葉が残された方に対してのいくばかりでも慰めになるのです。
 それは「自分の命よりも大切なものがある」とどこかでわかっているからこそに他ならないからでしょう。
 その気持ちに、職業によっての差別も区別も有りはしません
 
 そしてやえはそんな命をかけて働いてくださっている方々に対して感謝の気持ちを常に忘れないようにしていきたいと思っています。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、そんな職業の方々を応援しています。

平成15年6月6日

 責任の所在はどこに?

 この前ビックカメラのゲームコーナーに行った時に、たまたま「焼肉奉行」というゲームが目にとまり速攻買ってしまいました。
 1900円でしたし・・・。
 いや、おもしろいんですよ・・・それなりに。
 はい。
 10分程度の気分転換に。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 おもしろいですよ。
 
 
 今日もニュースのご紹介です。
 こちら。
 
 児童殺傷事件で文科省が謝罪、4億円賠償
 
 去年起きた大阪教育大付属池田小学校でのキチガイ乱入殺傷事件についてです。
 やえはこの和解したというニュース、前から小耳に挟んではいたのですが、そもそも遺族が文部科学省に対して訴訟をしていたのも知りませんでしたし、むしろ信じられないというのが正直なところでした。
 だって普通に考えてみてください。
 子供が死んでしまった原因は、どう考えてもキチガイ宅間であって、文科省が殺したわけではないのは当たり前すぎます
 キチガイに損害賠償請求をするのであればそれは当然だと思いますが、どうして文科省を訴えたのでしょうか。
 そしてどうして文科省は認めてしまったのでしょうか。
 
 これはどう考えても遺族のヒステリックとしか思えません。
 怒りの矛先を、逮捕されて見えなくなってしまったキチガイにではなく、目に見えてしかも非難しやすい国家・文科省に向けてぶつけただけでしかないのでしょう。
 子供を失ったつらさを文科省叩きでごまかそうとしているに過ぎないのです。
 事実、事件があったその後、遺族は遠山文部大臣に直接面と向かってあること無いこと罵詈雑言を投げつけたそうで、文科省側はそれに正面から反論できるワケもなく、遠山大臣個人としても出来るなら遺族とはもう会いたくないというのが本音のようです。
 はっきりいって、遺族の主張は筋違いにもほどがあります。
 
 管理責任とか言ってますが、そんなこと言い出したらキチガイが起こした犯罪なんか全てその管理者が賠償しなければならなくなってしまいます
 地下鉄サリン事件は帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が賠償しなければならないことになり、毒カレー事件は祭の主催者が賠償しなければならないことになり、キチガイ2chネラーが起こしたバスジャック事件もバス会社が賠償しなければならないことになり、果ては北朝鮮拉致事件も曽我さんの場合は新潟県と佐渡島が賠償しなければならなくなってしまいます。
 こんなバカな話はないのは一目瞭然ですね。
 どうしてこんな常識的なことが理解できないのでしょうか。
 認めてしまった文科省も文科省ですが、そもそも訴えようなどと考える遺族側の常識を疑ってしまいます
 そもそも遺族側はキチガイ宅間にも損害賠償請求をしているのでしょうか?
 
 していないのであればトンデモナイ話でして、もちろんしていたとしてもトンデモナイんですが、つまりは賠償金の支払い能力がキチガイには無いけど文科省には有るから文科省に遺族側は訴えたのだと予想できます。
 つまり遺族側は何を求めていることになるのでしょうか。
 簡単に言います。
 遺族側はお金が欲しかっただけなのです
 そうとしか言いようがありません。
 これが見舞金であるので有れば理解は出来ます。
 記事によると2500万円は見舞金なんだそうです。
 不慮の事故等で損害を被った場合、国がそれを助けるというのはそれは国家の機能としては正しいことだと思います。
 でも決して国に子供が死んでしまった責任が有ろうハズもありません
 最も責任があるのはキチガイ宅間であって、キチガイに損害賠償請求するのが筋であって、記事によると「和歌山県かつらぎ町の中学校で不審者の侵入による殺人未遂事件が起きても通知の見直しや、各学校の安全状況を把握する措置を取らなかったことにつき、同省と大教大に落ち度があることを確認。池田小にも、通知内容を口頭で伝えたのみで、格別の対応を取らなかった責任があるとした」となってはいますが、それは二の次三の次程度の責任でしかないのは明らかです。
 こんな理由がまかり通るので有れば、有効な自殺防止策を取れずしょっちゅうダイヤを乱している各鉄道会社の責任はとんでもないことになってしまいます。
 まして見舞金を併せた支払金額を見ると、これは子供を直接殺した責任があるというぐらいの金額です。
 文科省が和解を決めて、さぞ遺族は腹のムシが治まったことでしょう
 
 たまに人間は理性を失うことがあります。
 例えば小泉首相が北朝鮮に行って拉致問題をジョンイルに認めさせた時、訪朝前は拉致情報が出てくるかどうかすら疑問だったのに、ジョンイルが認めてしまってさらには横田さんが亡くなっていると情報が出てきてしまったために、訪朝後は多くの人が小泉さんに対してジョンイルと握手なんかするなと感情的に批判をしてしまってました。
 感情論も時には必要ですが、感情にまかせて突っ走ってしまうとトンデモナイ結果になりかねません。
 もし今回の件が前例となって、これからは殺人事件が起きたらその現場の管理者が損害賠償金を支払うようになってしまったらどうなってしまうでしょうか。
 日本が「とにかく金のあるところからむしり取ってやろう」っていうアメリカみたいな訴訟社会になってしまうのはイヤすぎます。
 そうならないためにも文科省には、少々の批判なんか気にせずしっかりと裁判にて闘って欲しかったと思います。
 
 キチガイだろうがなんだろうが責任は殺した本人にあるのは当然のことです。
 この前例はそんな常識すらも覆してしまうようなトンデモナイ前例です。
 もう一年も経っているのに遺族側に「冷静になれ」と言っても無駄かもしれませんが、しかし自分たちがどんなことをしているのかもうちょっと理解をして欲しいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、この件に関しては誰も応援できません。

平成15年6月9日

 盧武鉉さん

 この週末、友人の結婚式に出席していました。
 披露宴は、新郎新婦共に東京に住んでいるくせに出身地が同じという理由だけで某県で式を挙げたために、やえはわざわざ泊まりで某県にいかなければならないハメになってしまいました。
 まぁやえはいいんですけど、旅費等を払ってくれた天堕さんが、帰ってから財布の中身をさみしそうに見つめていたのが印象的でした。
 ごちそうさまでした(笑)
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルやえです。
 おはろーございます。
 
 天堕さんの挨拶はさすがに立派でしたよ。
 
 
 そんな週末ですが、政治的には、盧武鉉韓国新大統領が訪日なされていました。
 盧武鉉さんは「日本統治時代を経験してない新世代の大統領」なんだそうで、日本的に言えば「戦後生まれの大統領」という感じなんだと思います。
 
 さすがに新世代大統領とうことで、盧武鉉さん、今回は「歴史問題」については触れないんだそうです。
 今まで韓国の大統領といえば、いつも「この問題については今回が最後」と言いつつも訪日するたびに「過去の歴史問題について云々カンヌン、謝罪と賠償するニダ」とか言い続けていました
 前の金大中さんにしても訪日されるたびに「またか」と思っていたものです。
 
 今回の盧武鉉さんの、前回までの歴代韓国大統領からの対応の変化というものは、日本の世論の変化というモノもかなり大きいのではないかと思います。
 ちょっと前までは、さっき言った「今回が最後と言いつつ次訪日したらまた謝罪しろと繰り返す」という行為に対して、日本国内においてはそれに異論を唱えることすら「右翼だ」と言われているような状況がありました。
 事実天堕さんなんか、金大中さんのそういった行為を非難したとたん、「韓国人は日本に対して敵愾心を持っているかどうか」なんていう不毛な議論をふっかけられたことがあるそうで、さらにその人には「お前の発言は雑音だ」とか「売国奴」とか議論にならないことを言われたそうです。
 いい加減朝鮮半島に対してはどうしてこんなに敏感に必死になる人が多いのかなぁというのがつい数年前の状況でした。
 それが今では嫌韓ブームです。
 変われば変わるモノです。
 
 歴史観でも、普通の(反日)教育を受けてそのまま疑問を持たずにいるいわゆる一般人の方の方がまだまだ多いにしても、戦前の日本が悪一辺倒だったわけではないと認識できる日本人というのは年々増えているようですし、特にネットではその傾向が顕著のようです。
 政治の方に目を向けても北朝鮮に対する強気な言動とか有事法制等の軍事的整備とかを見れば、最近の日本は一人前の国家になりつつあります。
 今までの韓国は、日本の弱腰な態度につけ込んで色々と要求をしてきたワケですから、そんな日本の変化は韓国にとってはかなりやりにくくなっているというのが本音のところなのだと思います。
 先日麻生自民党政調会長が「創氏改名」発言していましたが、一昔前ならその職をクビにするまで韓国は騒ぐところですが、今はそこまではできませんからね。
 韓国としても付け入るスキが無くなって、対日政策の転換をせざるを得ない状況になっているのでしょう
 その象徴が、「新世代大統領」の盧武鉉さんなのかもしれません。
 
 ところで、韓国との歴史問題といえば数年前に「日韓で共同の研究チームをつくろう」という話が持ち上がりました。
 韓国側からの話です。
 この話に対して日本側からも「よしやろう」ということでけっこう気合いを入れてプロジェクトに取りかかるつもりでいたようです。
 でも急にこの話はなくなってしまいました。
 韓国側から拒否されたのです。
 韓国から提案され、韓国から話が無くなりました
 なぜでしょうか。
 
 簡単な話です。
 科学的に歴史を分析されたら韓国にとっては都合の悪い事になってしまうからです。
 新聞とかで騒ぐ分には「世論レベル」の話で騒ぎたてれば良かったんですが、学術的科学的に分析されると本当の真実が世に証明されることになってしまい、それは韓国側にとっては困ることなんです。
 わざわざ日韓共同でプロジェクトチームを作ってしまうと、当然韓国世論にも結果を報告しなければならなくなり、そしてその結果はとてもじゃないですけど韓国世論が受け入れられる結果とはならないからです。
 
 例えば、これは日本人でも知っている人は少ないみたいですが、初代総理大臣の伊藤博文は、韓国にてテロリストに殺されましたが、実は伊藤博文は日本のトップの中ではもっとも「韓国併合反対派」だったのです。
 韓国ではこのテロリストは英雄になっているらしいですが、実はテロリストによって伊藤博文が死んでいなくなったために「併合派」がさらに強気になって併合を進めた、といういきさつがあるのです。
 つまり韓国の英雄は、自らの行為によって韓国併合を推進してしまったのです。
 
 これが歴史の真実であり、とてもじゃないですけど韓国世論はこんな事実を簡単には受け入れられないでしょう。
 そもそも韓国の歴史教育の場で使われている「歴史」とは、真実が書かれているモノではなく今の韓国に都合のいいように捏造したり都合の悪い部分は隠していたりしているモノなのです。
 だから科学的に歴史を研究されてしまうと、伊藤博文みたいな例がたくさん出てきてしまって、韓国としては今までやってきた歴史教育が間違っていたことを認めなければならなくなってしまい、それを防ぐためには科学的な研究はやってはいけないという結論になるということです。
 
 結局韓国の有識者はそれが分かってたからこそ、わざわざ韓国側から提案した「共同研究」をまた韓国側から拒否したんですね。
 逆に言うと、科学的に研究されたら困ると韓国が自ら認識しているからこそ拒否したのだとも言えます。
 
 しかし韓国の都合は韓国のことでしかないワケでして、日本は日本のことを考えなければなりません。
 これからはその共同研究の例が示しているとおり、日本はなんら卑屈になる理由などありませんし、必要もないですし、堂々と日本の主張をすればいいのです。
 軍備を進めることも歴史に対して「右傾化」することも、世界的に見ればまだまだ甘すぎるぐらいだったりします。
 しかしだからこそ日本がもっと主張しても、それは変なことではないですしむしろ当たり前のことですから、どんどん日本は主張して早く一人前の国家になるべきでしょう。
 今までうるさかった韓国は、そんな日本世論に押されて、またさらに日韓両国世論が冷静に歴史の真実が見れるようになればさらに韓国は日本に対しては退くしかなくなりますので、過剰な内政干渉はこれからはしてこなくなるでしょう。
 まぁ本当はそんな関係が普通なんですけどね。
 盧武鉉さんは「そんな新しい日韓関係」の象徴的な大統領なのかもしれません。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、未来の日韓関係を応援しています。

平成15年6月10日

 一見弱者現る

 あ、面白い記事発見しました。
 
 東芝製品の不買検討 片山知事、分権会議に反発
 
 東芝といえば昔「クレーム騒動」っていうものがありましたけど、あれ以来特に天堕さんが東芝製品を買うのをやめてしまいました。
 いわく「東芝製品買うと、保証期間が過ぎたらすぐ壊れ、電話したら「目ん玉もってこいや、内蔵売ってこいや」って脅され、挙げ句の果てにブレーキが利かなくなるんだろ」とのことです。
 多分いろんなものが混じってると思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 今日は、先日お伝えしたキチガイが起こした事件にキチガイじみた反応を示したあの件についての続報をお知らせします。
 えーと、池田小事件のことです。
 
 先日の日曜日にその文科省と和解したという記者会見を開いたのですが、これがなんと実に4時間も遺族側はしゃべり続けたんだそうです。
 もうあることないこと罵詈雑言自由勝手にしゃべりたい放題です。
 前の更新でも遠山大臣はいい加減嫌がってると書きましたが、訂正します、文科省全体で嫌がってます
 遠山大臣なんかはもうイヤでイヤで緊張しまくって、文科省側の記者会見でも原稿を棒読みの状態だったんですが、そんな大臣に対して遺族側は、「大臣の謝罪のしゃべり方が気にくわない」とか「心から謝罪してない」とか、もうどっかのウリナラ謝罪させマニアと全く一緒のことを言いまくし立てていたということです。
 
 そもそも遺族側の思惑として、日曜日の和解というものが成立してしまったら後は普通の「過去の犯罪被害者」になってしまい、他の同じような犯罪被害者の方々と立場は変わらないワケでして、その後はそんな他の方々と同様にマスコミは取り上げることはなくなり、つまり池田小事件の遺族としてはもう今回がマスコミの前に出る最後のチャンスになるワケです。
 だからこそ4時間もしゃべりまくったんですね。
 逆にこれが何を示しているかと言えば、遺族は単に「マスコミの前に出たかった」「不満をぶちまけたかった」ということでしかないと言えるでしょう。
 実際、池田小事件とはほとんど関係ない教育論だとか社会論だとか、好き放題記者会見で吠えまくっていたみたいです。
 金ほしさにキチガイ宅間ではなく文科省を訴え、不満を言いたいという私的な理由のためにマスコミを4時間も付き合わせ、遺族やりたい放題状態です。
 
 文科省からすればなぜはほぼ負けに近い和解を選択したかというと、もし裁判をしてしまえば裁判が決着する約2年近くも、この連中に裁判が開かれるたびに言いたい放題言われてしまい、さすがにそれは避けたいところ、というのが本音のようです。
 裁判をしてしまうと嫌がおうにも約2年は遺族と付き合わなければならなくなってしまい、そして当然その間はマスコミが集まるワケで、そのたびにネチネチネチネチ小姑か某国かのように嫌味を言われ続けるのです。
 そう考えると確かにそれはカンベンしてもらいたいと思ってしまいますね。
 実際、文科省の担当の方はこの和解が成立した後は、なんとも晴れやかな、一週間歯の奥に詰まっていた小骨が取れたかのようにスッキリとした笑顔だったと聞きました。
 自分の省が事実上負けたというのにです。
 もう、これで終わった、とにかく終われた、というのが全てのようです。
 正義のために文科省には頑張って裁判をしてもらいたいところなんですが、さすがにこれにはちょっと同情してしまいます。
 
 池田小事件の遺族というのは、まさに「一見弱者」の典型と言えます。
 「自分たちは弱者だぞ。だから自分たちに反論したら弱者にムチを撃つ悪人になるんだぞ」という弱者という看板を盾にして一切の反論を封じるという「悪魔のレッテル」を使える、普通の強者よりもタチが悪い強者です。
 前の更新では文科省を批判しましたが、もしかしたら今回の和解のようにさっさと一見弱者の遺族を封じ込めた方が公のためになったのかもしれません。
 好き勝手エゴをまき散らしまくる一見弱者をこの社会にのさばらせないために。
 世論への窓口になっているはずのマスコミは相変わらず見た目だけの弱者が大好きですし、そもそもお上批判をするために一見弱者を利用するワケですしね。
 まぁやっぱり文科省には闘って欲しかったんですが、もし仮に負けてしまったらもうどうしようもない結果になってしまうワケですし、なんともかんとも、にが苦しい後味しか残らなかった池田小事件でした、という事ですね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、やっぱり応援する人が見つかりませ・・・あ、冒頭のニュース紹介の片山鳥取県知事を応援しています。

平成15年6月12日

 さくら

 雨も儚く美しい時はありますので嫌いではないんですけどね。
 自然から離れた人工的な生活のなかではやっぱり鬱陶しいものになってしまいます。
 仕方のないことなんですけどね
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 とてもいいものを見つけました。
 まずはご覧下さい
 感動と感謝の気持ちでいっぱいになります。
 そして美しいですね・・・。
 
 バックで使われている曲は今話題の森山直太朗さんの「さくら」です。
 このフラッシュを見ると、次代を守るために散っていった先人達の物語にとてもマッチしていて、このためにつくられているかのような印象を受けてしまいます。
 けど、こんなこと言うと流行歌手を政治の道具にしようとした久米宏や筑紫哲弥と一緒になっちゃいますので言いません。
 
 ところでこの「さくら」という歌、他の流行歌と違い、特にタイアップもなく期待された新人というわけでもなく、「売れる要素」というのが全くなかったのに、地方巡業やローカルラジオなどで徐々に話題にされ人気が出てきて口コミで広がり、ついにはオリコンでもトップに駆け上るまでに至ったという、まわりの要素無しでトップに上りつめた歌なんだそうです。
 どうしてここまで売れたのでしょうか。
 やえは、この曲、「さくら」というタイトルからもそうなんですが、聞けば聞くほど「日本の心」に素晴らしくマッチしているからなんだと思うんです。
 日本人の心に自然に溶け込んでいくメロディと歌詞。
 一度聞くと体に染みついてしまっている感じが、ここまでの大ヒットを生んだのだと思います。
 
 「日本の心」というものは、これはもう悠久の歴史に根付いた古代から脈々と受け継がれてきたものです。
 言葉でどうこう説明できるものではありません。
 どこかで日本人の美意識というものが集約されていて、どこかでそれが琴線に触れ、どこかで考え方や行動に顕れるのでしょう。
 日本人そのものと言ってもいいのかもしれません。
 
 あまり美しすぎるような描写にするとある方向から苦情が来そうですが、フラッシュにあるようなああいう「誰かを守るために笑顔で散りゆく」というのは日本人としての美学として確実に存在しているのではないでしょうか。
 「滅びゆく美しさ」というものが日本人の中にあるというのは否定できない美学ですが、それは人間の命そのものにも当然当てはまると思います。
 それが、ただ自分のために死ぬのではなく、大切の人を守るためにという物語を得てさらに滅びの美しさが映えてくるのでしょう。
 
 元々日本人が桜に美しさを見いだしたのも、「滅びゆく美しさ」に魅入られたからです。
 日本人は桜が咲いている姿を楽しむのではなく、桜が散っていく様を楽しみます。
 散りゆく、滅んでゆく、その一瞬の儚さと美しさを楽しんでいるんですね。
 そんな桜を題材にした「さくら」に、命を燃やして散っていった先人達の物語を合わせれば、それは自然に合ってしまうのも当然だと言えるでしょう。
 「さくら」という歌と先人達の命の閃光は、悠久の歴史のなかで育まれ脈々と受け継がれてきた日本人の琴線に共に触れる、次代へ想いを託す儚くも美しい物語なのです。
 
 もちろん美しさだけを盲信したような無意味な死を推奨しているワケではありません。
 そして冒頭にも言いましたが、「さくら」が先代達の行動を肯定するためにつくられた歌であるとも決して言いません。
 ただ、日本人の心の中にそういう美学・美意識が脈々と流れて継いでいて、その姿や様・行動や考え方にそのまま素直に心に響くものが日本人にはある、というお話でした。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、先人達の想いに報いられるようにこれからも頑張っていきたいと思います。

平成15年6月13日

 特攻隊

 まじかる☆れいほ→さんのところでお好み焼きのお話をされていましたので、ちょっと掲示板にお邪魔させて頂いたんですが、一つ言い忘れたことがあったのでここで追記したいと思います。
 広島風お好み焼きといえば、多分多くの人が「焼きそばが入っている」と思い浮かべると思います。
 大阪焼きには焼きそばは入れませんからね。
 しかし実は本場広島では、焼きそば以外のものを入れることもあります。
 意外と知られていないようなんですが、それは「うどん」です。
 焼きうどんです。
 作り方も焼きそばの時と変わらず、うどんを焼いてからそのまま入れます。
 広島でお好み焼き屋さんに行ったら、普通に「肉玉うどん」というメニューがあります。
 これけっこう美味しいんですよ。
 広島人じゃない人はうどんのことを知らない人が多いみたいですが、これを教えてあげたら「焼きそばより美味しい」って言ってハマっちゃう人もいるぐらいです。
 広島人じゃない人がやっている東京の広島風お好み焼き屋さんにはうどんがメニューにはないことが多いですが、本場で学んで東京でやっている本格広島風お好み焼き屋さんに行く機会がありましたら、例えメニューになくても「うどんってありますか?」って聞いてみてください。
 多分だいたいあると思います。
 ハマっちゃいますよv
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 昨日の更新は、たまたま見つけたフラッシュがあまりに素晴らしかったために、それを紹介するために文章を書いたものでして、特攻そのものについてはあまり気にせず書いたものでした。
 ので、ちょっと特攻について考えてみたいと思います。
 
 特別攻撃隊、略して「特攻」です。
 説明は不用だと思いますが、飛行機や船で、自らが操縦する艦に爆弾を積んで、それを発射して当てるのではなく、そのまま敵に突っ込んで自ら敵と共に爆発させる戦法です。
 つまり爆弾を操縦するわけですから、敵が避けても軌道修正が出来るワケで、命中度が増すということですね。
 
 戦争を何が何でも否定したい人たちは「特攻は命中率が全然悪くて無駄死にばかりだった」なんて言う人がいますけど、実はそんなことはなくそれなりに成果は上げていたようです。
 自動追跡爆弾なんですから普通の爆弾よりは当たりそうなのも、よくよく考えれば当たり前なんですけどね。
 
 で、この「実は命中率は悪かった」という話と共によく言われるのが、「上層部に無理矢理言われてイヤイヤ特攻した」というものです。
 この裏には、「狂った上層部」とか「上は人(末端兵士)の命なんてなんとも思っていない」とかいったニュアンスが含まれています。
 しかし果たしてそうでしょうか。
 
 そもそも外国人には「特攻」という発想自体が浮かんでこないと思います。
 日本人以外で特攻が出来るとしたら、多分宗教的理由によるイスラム教徒ぐらいなもんなんじゃないでしょうか。
 白人には想像すら出来ないでしょう。
 だから仮にアメリカ軍が末端兵士に向かって、「お前らこれから爆弾抱えて敵につっこめ」と命令したとしても、おそらく実行できないでしょう。
 いくら上層部が脅したとしても、やらなければ殺すぞと言ったとしても無理でしょう。
 下手したら兵士が造反してしまうかもしれません。
 でも日本人の場合、上から命令された時に、それはその時はかなり動揺するかもしれませんけど、しかしその命令をしっかりと受け止め、考え悩み、時には自暴自棄になった方もいらっしゃるかもしれませんが、最後には決断し笑顔で出発されていきました
 特攻が行われた時期というのは戦争の末期で、かなり混乱していた時期なのですが、そんな時期にもかかわらず、特攻に反対してクーデターとか反乱とか起こしたという話は聞いたことありません
 みな、色々な想いはあったにせよ、最後には何かのために出発していったのです。
 
 例えば、日本の戦国時代でも、「ここで生き恥を晒すよりは死して華を咲かせようぞ」と“特攻”していったもののふ達は多いですし、「一矢報いる」という言葉もそれを象徴していると思います。
 また、特に少年漫画などなんかにも「後は頼んだ!!」と言って散っていくサブキャラ達が多く存在します。
 そしてそんな場面はその漫画にとって大きな分岐点だったり、屈指の名シーンだったりします。
 現実での戦争なんかで特攻とか言ったらいい顔をしない人が多いですが、しかしマンガとかでこんなシーンがあると、ごく普通に自然に感動してしまうんですね。
 現実の戦争だと変に別ベクトルの考え方が入り込んでしまうので自然な感情をも押し殺してしまっているんでしょうし、もう条件反射で「戦争=悪」ってパブロフしてしまっている人も多いんでしょうけど、でもそんな人工的な考えが存在しない状況だと自然に感動できるんです。
 つまり日本人には特攻の精神がどこかに根付いていると言えると思います。
 
 それは上層部だって同じハズです。
 同じ日本人ですから。
 やえは誰がこの特攻作戦を発案したのか知りませんが、しかし日本人ならもう後がないと感じれば特攻しかないと自然に頭に浮かんでくるのではないかと思います。
 もちろんそれをはじめに発案した人はかなり悩んだと思います。
 そもそも日本人は責任感が非常に強く、現代日本はずいぶん無責任社会だと言われつつも外国に比べればそれは遙かにマシであって、さらに戦争当時の日本人を考えれば今の日本人よりも相当責任感があったというのは簡単に想像できると思います。
 兵士だって上層部だって同じ日本人です
 部下に「死ね」と言って心が痛まない日本人がいるとは到底思えません
 
 かの有名な東条英機閣下は、終戦後自らの責任を負うために一度銃で自殺を図りました。
 結局自殺は失敗して、でも死刑になるのは確実なのですが、それでも「裁判にて日本の正義を主張することこそが自らの使命」と思い直し、極東裁判に臨んだそうです。
 また、特攻を直接部下に指示した隊長の中には、「部下を死地に送り込んでおいて、自分だけ生き延びることが出来ようか」と、部下が敵機に特攻する予定時間に合わせて切腹をなさった方もいらっしゃったというお話も聞いたことがあります。
 もちろんその隊長さんだって、上から命令されて苦情の決断で部下に指示したに過ぎません。
 それでも自らの責任において切腹という道を選んだのです。
 死して責任を全うする人もいれば、生きて責任を全うする人もいます。
 特攻という最後の選択を選んだ時に、それに対して悩み苦しんでいない日本人などいないと考える方が、日本人としては自然なのではないでしょうか。
 
 大東亜戦争ではよく「上層部が狂った」とか「軍部が暴走した」とか言われますが、やえはそうは思いません。
 確かに起こったことを後になって冷静に考えてみれば、関東軍の行動など、暴走しているように見えるかもしれません、間違っていたかもしれません。
 でもそれはあくまで平和なこの状況で冷静にいられて、さらに今の価値観で見ているからに過ぎないのではないでしょうか。
 当時は日本人が一人一人が日本のためを日本の将来を想って一生懸命考えてたのです。
 そしてその結果がああだったのです。
 決してよい結果ではありませんでしたが、しかしだからといってやえは当時なりに一生懸命頑張った方々を、暴走したとか狂った人のようには言いたくありません
 現在の日本のために、また未来の日本のために先人達は命を賭けて戦ってくれたのです。
 これだけは、どう結果を非難しようとも、変えられない事実なのではないでしょうか。
 
 やえはそんな方々の想いを受け止めて、次代に受け継ぐことこそが、先人達の想いに報いる方法だと思っています。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、特攻をなさった方々の魂を応援しています。

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