☆やえニュース☆

日本人への攻撃日本の価値を上げようたとぅーらいぶいんとーきょー小泉メルマガレビュー議員の数を減らせ?サマワの人たち精神的独立のために国民の選択〜応or否「あなたはイラク派兵に賛成ですか?」フセイン捕まる

平成15年12月1日

 日本人への攻撃

 「やえのヒトリゴト」でも書きましたように、今日から普段の生活に戻りました。
 よって、こちらの更新の方も元のペースに戻れるんじゃないかと思います。
 でもまだカンが完全には戻ってきてないので、もうしばらく温かく見守ってくださいね。
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 イラクで日本の大使館の外交官の方がテロルによって殺されてしまいました。
 この愚かな凶行に怒りを覚えると共に、崇高なる職務の半ばで倒れられた奥参事官と井ノ上書記官のご冥福をお祈りいたします。
 
 で、この事件を受けてのマスコミとかの感想や意見に、やえはどうしても違和感を感じます。
 ほとんどと言っていいほどこの事件を受けての感想というのは「こんな状況だからイラク派兵はやめるべきではないのか」というモノです。
 しかしやえから言わせてもらえば、こんな議論二の次三の次なような気がします。
 もっと日本人は怒るべきなのではないでしょうか。
 日本の“代表”が殺されたのです。
 大使館職員への攻撃ですから、日本そのものへの挑発、宣戦布告ぐらいにとっても問題ないと思います。
 これは日本が侮辱されたのです、なめられたのです。
 それを「派兵すべきかどうか」なんていう単純な議論程度に終わらせていいのでしょうか。
 
 もう一度言いますが、日本は宣戦布告されたのです。
 この視点が今の日本には抜けているのではないでしょうか。
 少し前、アメリカがイラクを攻撃した時に、また北朝鮮が核兵器を保有したと非公式ながら宣言した時に、日本国内では「先制攻撃とは」という議論がなされました。
 相手が攻撃の意志を持っている時、果たして先制的な攻撃は許されるのだろうか、そしてその「攻撃の意志」とは何を持って意志ととるのだろうか。
 このような議論がなされたことはみなさんも記憶に新しいと思います。
 結局のところ結論らしい結論は出ませんでしたが、しかし北朝鮮に関しては石破防衛庁長官あたりが「核兵器が日本に向いていて、発車準備が整っていたら」という感じの見解を出していましたし、アメリカのイラク攻撃に対しては「あれは過剰な先制攻撃だ。自衛ではなく明らかに侵略戦争だ」という声が大勢を占めていたように、それらを総合的に考えれば、日本での「許される自衛的先制攻撃」とは、かなりの条件を満たす必要のある“きびしいモノ”であると言えるでしょう。
 それに照らし合わせれば、今回のテロルは明らかに「過剰攻撃」であり、「先制攻撃」であり、つまり「宣戦布告」であると言えると思います。
 日本は派兵するとは言っていますが、しかし時期はまだ検討中で、もしかしたら派兵出来ないかもしれない可能性も高いという段階にも関わらず、そんな時期に日本の代表団である、外国においては日本そのものとも言える大使館の職員を殺害するというこの愚行は、日本に対しての挑戦であり宣戦布告ではないのでしょうか。
 
 少なくとも「自衛」だとは言えないハズです。
 これが自衛であるならアメリカの行為は何ら責められるところはありませんし、北朝鮮に対しても「さっさと日本は攻撃を始めるべきだ」という意見が大勢を占めなければならないことになります。
 まったくもって今回のイラクの愚行は自衛では決してありません。
 あれは先制攻撃であり宣戦布告です。
 つまりは、この事件を語る場合において、「だから派兵を取りやめるべきだ」という議論は全く筋違いなんです。
 宣戦布告され、同胞が殺されて、とってもこわいから、シッポを巻いてテロル様に土下座して謝る、って言うのであれば別ですが・・・。
 
 そしてこの問題、もう一つ大きな視点があります。
 もしここで日本がこのテロルを理由として派兵をやめてしまったら、日本という国はテロルをすればどんな要求だって受けてしまう国だという、歴史的汚点を残してしまうことになるでしょう。
 命こそが最高の価値であると主張してしまうと、その命を盾にすれば日本人はどんな要求でものむんだとなめられる結果になるでしょう。
 そしてそれを利用しようとする人間はいくらでも出てくるでしょう。
 現に出てきているのです。
 さらにはそんな価値観は、北朝鮮問題にも影響することになります。
 命を守るためならどんなことでもやると言うのであれば、北朝鮮が「核を打ち込むぞ」と脅迫すれば、金でもコメでも人間でもなんでも持っていってください、と命乞いをしなければならなくなります。
 
 それでいいのでしょうか?
 多分、今の日本の世論は、北朝鮮問題に限ってはそのような論調にはなっていないとやえは思っています。
 思いたいです。
 
 少し前に「命より大切な価値観はないのか」という議論がありました。
 あまり活発な議論にはならなかったような気がするんですが、今こそもう一度考えてみるべきなのかもしれません。
 同胞の殺害、我が国への挑発、宣戦布告、脅迫への対応、その価値判断・・・。
 このイラクの問題が、人間として人間らしく生きるためには何を信じて生きていけばいいのか、もう一度よく考えてみる必要があると思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日本人としての生き方を応援しています。


平成15年12月2日

 日本の価値を上げよう

 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 今日はこんな時間になって事もあって、ちょっと短めにいきます。
 
 どうもマスコミあたりは日本がイラクに派兵する理由を「アメリカからの要請」という言葉一つだけ持って理由の全てにしたいみたいですが、こんな単純な理由ではないのは明らかですね。
 今回はそれには直接触れませんが、あるテレビ局のニュースでおもしろいことを言っていたので触れてみたいと思います。
 そのニュースでは、今回イラクのあの事件があったのにも関わらず、どうして小泉首相が未だにあんなに“強気”なのかと、次のような理由を持って説明していました。
 
 世界各国でアメリカに協力している国の中にあって、「強力な支援」を約束している日本がここで派兵をやめてしまったら他の国に悪影響が出てしまうので、是非とも日本には事件に屈せずこのままの支援をして欲しい、とアメリカは要請している。
 
 こんな感じのことをキャスターは言っていました。
 
 いろいろと言いたいことはあるんですが、ちょっと視点を変えて、こんな提案はどうでしょうか。
 どうやらアメリカはここにきてやっと日本の重要さが分かってきたようです
 日本以外の先進主要国はイラク問題には反対的慎重的立場を取っていて、アメリカに積極的な支援をしている国と言えば韓国とか東南アジアの国が多くて、その中唯一と言っていいほどの先進国が日本ですから、相対的に日本の立場も大きくなるというワケです。
 だから、日本は思いっきり恩を売るチャンスなんです。
 高く日本の恩を売りましょう。
 
 えー、どうしよっかなぁ。日本人の文民が殺されちゃったしぃ、平和憲法もあるからなかなかむずかしいんだよねぇ。やめちゃおっかなぁ。え?やめられたら困るぅ?じゃあもしここでがんばっちゃったら後で何か良いことあるのかなぁ
 
 馬鹿正直に正義だけを信じて突進するのはただのガキでしょう。
 ここまで視野に入れて行動することこそが“政治”だと思います。
 派兵をするしないだけでなく、こういう視点も、特に地理的にも宗教的にも直接は日本にはあまり関係のないイラクの問題には必要だと思います。
 
 同じように、いかにイラク国民にも日本の恩を高く売るかも考える必要があるでしょう。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日本の国益を応援しています。


平成15年12月3日

 たとぅーらいぶいんとーきょー

 茄子やだゴニャア
 
 茄子やだゴニャア 茄子やだゴニャア
 
 茄子やだゴニャア
 
 茄子やだ(゚Д゚)ゴラァ
 
 (゚Д゚)ゴラァ (゚Д゚)ゴラァ
 
 なんで楽しそうなんだ?
 
 まぁまぁいいじゃないですか、天堕さん。一応は見れたんですから。
 
 まぁなぁ〜。席もぼちぼち前の方だったし、それなりには楽しんだんだからいいんだけどな。
 
 というワケで、ロシアのレズデュオ「t.A.T.u」のライブに行って来ました〜
 
 ニュースにもなっとったぐらいだから知ってる人も多いと思うんだが、まぁ、開始は50分も遅れるわ、50分しか歌わないわ、アンコールすらないわ、ドームのライブとしては完全に終わっとる内容だった。
 
 チケットも10万枚用意したのに5万も売れてなかったそうですね。
 
 オレらは初日の12/1の方に行ったんだが、報道によると観客も2万5千ぐらいしか入っとらんかっらしいしの。
 
 はっきり言ってドームでやる意味無かったですよね。
 
 全くなかったな。アレだったらもうちょい狭い会場でやった方がよかったぞ。
 
 なんかやえ達がいたところには花道もなかったですし、タトゥーの二人も近くに全然来てくれなかったですから、やえ達の周りの人もいまいちのれてなかったですよね。
 
 さすがにタトゥーが近づいてきた時には花道の近くの連中はかなりフィーバーしとったが、他の客はおいてけぼりだったよなー。
 
 せっかく前の方の席だったのに、あれだったら後ろでも花道がある中央寄りの方がよかったですね。
 
 そうそう、わざわざタトゥーは花道にまでやってきて濃厚レズキスしていたのに、間近で見れなくて残念だ。
 
 残念です。
 
 やえが近くにいたら、引きずり出してキスさせていたのにな。
 
 (・・・・・・
 
 なんだその反応わ。こわいからなんかしゃべれ。
 
 ところで、今回のライブはカメラ撮影OKという異例のことをやってましたね。
 
 いつだったか、タトゥーが「日本の女子高生と記念撮影したい」とか言っとったんで今回こうなったとかなんとからしいが、でもありゃー失敗だったぞ。
 
 と言いますと?
 
 カメラ撮影に集中してしまって、いまいちのれなくなってしまっとったんだよ。
 
 ああ、それはあるかもしれませんね。普通のライブとかはカメラ禁止ですが、あれは生写真を撮られるのがいやというのも当然あるんでしょうけど、さらにはそういう理由もあったんですね。ライブに集中すると。しかし、みんなして携帯電話で撮影していたのも凄かったですよね。
 
 もう携帯の海。踊る携帯。すごいのなんの。
 
 でも携帯カメラの方が可愛い気があるかもしれませんよ。だってやえの後ろの席の人、もの凄い望遠カメラ持ってきててバシバシとってましたもん。
 
 かめこかよっ
 
 というワケで、やえが写してきた写真をお披露目です〜。
 
 
 
 
 
 
 
 どっちがレナでどっちがジュリアか分からんの、これ。
 
 携帯のカメラではこれが限界でした。
 
 これじゃ近いところにいたのか遠いところにいたのかも微妙な感じだの。
 
 もう一つあります。なんと二人のキスシーンをばっちり激写!!生キス写真が見れるのは当サイトだけ!!あつーいディープキスをご覧下さいっ!!
 
 
 
 
 
 
 
 ・・・なんだこの固まりは・・・
 
 携帯のカメラではこれが限界でした。
 
 本当にキスしているのかも分からんじゃないか。
 
 まぁ細かいことはあまり気にしないで下さい。
 でもやえは内容的にはなかなか満足でしたよ。巨大スクリーンで若い男女がえっちしている描写を流してみたり、レナちゃんがお風呂場でもぞもぞしているシーンを流してみたり、その時乳首もチラっと写っていて綺麗なピンク色でしたし、そのビデオが流れている時にはジュリアちゃんがパンツの中に手を入れてもぞもぞしていて何をしている描写かは一目瞭然な格好で歌ってみたり、濃厚なキスもしてくれましたし、これでやえにもキスしてくれていたら言うこと無かったんですけどね。
 
 こらー、さらっと危険発言するなー。
 
 でも前にも言ったことあるんですが、タトゥーの魅力って「儚さ」だと思うんですよ。幼い二人のしかも同性愛という先の見えない愛、これを歌レベルでもアーティストレベルでも体現しているのがタトゥーの魅力なんだと思うんです。歌詞はやえはよく分からないんですが、曲調も凄く儚い感じですしね。
 
 それはその通りだな。だからむしろ日本では「我が儘キャラ」っていうのは必要なかったと思うんだよな。事実日本ではそのキャラ付けがマイナスにしかならんかったわけだしの。
 
 どうしてこんなことになっちゃったんでしょうか?他の国では「我が儘キャラ」で成功していたのでしょうか?
 
 他の国のことはよく分からんがな。ただ、日本ほど予定を時間通りに進めようとする国民性の国はむしろ珍しい方だから、他の国では「許容出来る範囲の可愛らしいいたずらっ子」ぐらいで済んでいるのかもしれん。そして外国では「幼い同性愛者」と「いたずらっ子」という二つの面が相乗効果となって人気を博していたのかもな。ちょっとエッチないたずらっ子っていうのは西洋的な神話の中の妖精なんかに出てきそうなイメージじゃないか。
 
 ははぁ、なるほど。では日本ではどうだったのでしょうか。
 
 やえが言ったように日本でのタトゥーの魅力は「儚さ」だと思う。だからライブでも投げかけるような疑問短文を流して、いわゆるエヴァっぽい演出をして「儚さ」を演出していた。んで、日本のおいての「儚さ」とはちょっと“暗い”イメージがある。滅びの美学と言ってもいいかもしれないが、どちらかといえば日本の「儚さ」はマイナスのベクトルに向かっていると言えるだろう。よって「いたずらっ子」というスパイスは、日本において「儚さ」を演出するスパイスとしては全く向いていないと言える。もし日本における「儚さ」をさらにプラスさせようとするなら「神秘性」というものをスパイスにした方が良かったんじゃないかな。
 
 後ろめたいしだから堂々と出来ないけど好きになってしまったのは女の子。その子も私のこと好きだと言ってくれる。この先どうなるか分からないけど、他人には理解されないかもしれないけど、これから二人で歩いてみよう・・・
 こんな感じですね。
 
 ・・・なんか即興で作ったように聞こえないな。
 
 え?なんのことです?
 
 いや、なんでもない・・・。
 
 とにかくこんな感じでマイナス方向の妖しさ、いやらしく言えば「秘め事」、それらが昇華されれば「神秘性」ということになるんでしょう、滅びゆく美しさがそこに出てくるワケですね。
 
 日本での「儚さ」は我が儘という性格とは全く正反対だな。だからニュースなんかでも「お騒がせデュオ」とか呼ばれてたけど、そういうのは本来の彼女らの曲調のイメージとはかけ離れてて、むしろギャップだけが出来てしまっとったんだよな。もうゴシップ的な「ドタキャンしてレズキスする二人」ぐらいのイメージしか作れんかった。それが日本での失敗の原因なんだろうよ。
 
 やもすれば、不安定な思春期の少女達のカリスマになれた可能性もあったと思うんですけどね。
 
 そうそう。会うだけで泣き出したりとか。
 
 会うだけで×××が●※☆しちゃったりとか。
 
 こらああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ
  
   
  
  
   
 ま、まぁ、それなりには楽しかったな。
 
 後半は盛り上がりつつありましたから、これがちゃんと普通のライブ並みの時間やっていればみんな満足していたんじゃないですかね。
 
 アンコールも最低一回ぐらいはやってもらってだな。
 
 そしてやえにもキスしてもらってですね。
 
 ・・・・・・・・。


平成15年12月4日

 小泉メルマガレビュー

 茄子やだゴニャア
 茄子やだゴニャア
 茄子やだゴニャアのバーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 意味不明です(笑)
 
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 使命感に燃える外交官の死を悼む
小泉純一郎です。
 29日、外務省の奥克彦参事官と井ノ上正盛書記官、そしてイラク人運転手のジョルジース・ズラさんの尊い命が奪われました。イラク北部で開かれる復興支援会議に向かう幹線道路で銃撃されたのです。大変悲しむべき、憤慨にたえない事件です。
 
 今回のメルマガはこの事件一色になっています。
 本当に悲しくて、そして腹立たしい事件です。
 ところで、イラクで起こっているテロルを日本のニュースでは狙われたイラク人以外の外国人ばかりを注目して報道していますが、実はその陰で多くの現地イラク人が巻き込まれていて、多数殺されたり被害に遭っていたりします
 今回もイラク人の運転手の方が一緒に殺されています。
 ちょっと前にやえは「イラクのテロルには誇りも哲学も正義も無い」と書きましたが、この観点からもイラクのテロルにはそのような崇高なモノは全くなく、ただテロルのためのテロルを繰り返しているようにしか見えません。
 イラクのために同胞イラク人を殺すのでしょうか。
 それで本当にイラクという国はよくなるのでしょうか。
 本当にそれをイラクという国と人と歴史は望んでいるのでしょうか。
 
 奥参事官は、まさに働き盛りで、イラクの各地区をくまなくまわり、イラク暫定行政当局(CPA)やアメリカ、イギリスの方々と信頼関係をもち、復興支援への日本の立場をよく説明してくれるなど、イラクの復興支援に欠かすことのできない役割を担ってこられました。
 
 なんでも奥参事官は日本人外交官として一番始めにイラクに入った方だそうで、各国の要人達ともよく連絡を取っていて、その仕事ぶりは皆から一目置かれるほどのデキる方だったそうです。
 しかし亡くなってからこのようなことが報道されるというのは何とも悲しいですね。
 マスコミは「イラク派兵反対」と「官僚巨悪論」という色眼鏡によって、このような優秀な人のことなんか全く報道しないですからね。
 仮定の話ですからしても仕方ないのは分かっていますが、このような優秀な文民が活躍出来るように、軍人たる自衛隊が護衛出来るようなシステムを作っていれば、このようなことにはならなかったのかもしれないと、やえは考えてしまいます。
 
 井ノ上書記官は、アラビア語が堪能で、日本からの多くの調査団が必ずお世話になっている、まだ30歳の若さで、お子さんも小さく、ご夫人も身重だと聞くだけでも本当に残念です。
 
 30歳で外国に行って働いているところを見ると、外務省の中でもアラビア語能力はトップレベルだったのだと思います。
 日本はとても重要な人材を失ってしまったのです。
 
 日本政府として、お二人の死を乗りこえて、イラクに安定した民主政権をつくるために、国際社会と協力して取り組んでまいります。テロに屈することなく、一日も早く、イラクに、イラク人によるイラク人のためのイラク人の政府が自らの力で作り上げられるよう力を尽くしていきたいと思います。
 
 イラク人自らがテロルを喜んでいるようじゃそれも難しいでしょうけどね。
 イラク人の人間的成長が必要でしょう。
 
 イラクの復興と安定は、イラクのためだけではなく、日本にとっても世界にとっても重要なことです。9月11日のテロも、北朝鮮の問題も、アフガニスタンの問題も、そしてイラクの問題も、日米同盟と国際協調を両立させながら、日本として具体的な行動によって、解決に向けて取り組んでいかなければならないと思います。
 
 少しでも日本の利益が上げられればいいんですけどね。
 ただの善意だけの協力は必要ないとやえは思います。
 
 派遣については、安全面に十分配慮しながら状況をよく見極めて判断していきたいと思います。時期を見て、私から国民に対して考え方を十分説明をして、多くの国民の理解が得られるようにしていきたいと思っています。
 
 日本人は安全とは何かという事に対してちょっとピンボケしている感があるのでちょっとアレですけどね。
 安全はタダで手に入るモノじゃないということをよく知って、その上でどうすれば安全に活動出来るかということを考えてもらいたいと思います。
 
 29日夜、官邸で金融危機対応会議を開き、足利銀行を再生と信用機能の保護のために一時国有化することを決定しました。預金は全額保護いたします。足利銀行は地域の中核的な金融機関で、地元経済で大事な役割を果たしてきましたので、地域への影響を最小限に食い止めるためにきめ細かい対応をしていきます。
 不良債権処理には痛みを伴う場合もありますが、この問題に正面から取り組むことなしに改革は進みません。経済再生に向けて、セーフティーネットに十分配慮しながら、引き続き不良債権処理を進めてまいります。
 
 これについて、足利銀行が破綻したのは小泉さんや竹中大臣のせいだ、なんて言っている人がけっこういるみたいですが、本当にそうなんでしょうか?
 だいたいにして破綻の一番大きな要因となった不良債権というものはバブル時代のツケでして、それは誰が作ったのかと言えば銀行そのものですし、泡の上で浮かれていた国民全員なワケです。
 それなのに自らの責任から目をそらして、批判しやすい人に責任をスライドさせるという態度にはやえは疑問しか感じません。
 泡の上で浮かれていた分、はじけた痛みも受けるべきなのではないでしょうか。
 
 この日は、H−IIAロケットによる情報収集衛星2号機の打上げの失敗もありました。自然災害への備えや安全の確保に必要な情報収集能力を強化するために、科学技術の粋と貴重な財源を注ぎこんで、周到に準備をして臨んだにもかかわらず、失敗に終わり、誠に残念です。早急に原因を究明して、今後の対応に活かしていきたいと思います。
 
 これは非常に残念でした。
 国防の観点からも経済の観点からも、その他あらゆる観点から国産ロケットというのはこれからどんどん重要度が増してくるのでしょうから、是非とも成功させて欲しかったです。
 これに対してもかなり厳しい批判が起きているみたいですが、失敗したモノは仕方ないですし、当然原因の究明は必要ですが、必要以上の批判を浴びせてしまったら次の計画に及び腰になってしまう可能性もありますから、罵倒に近いような批判はやめて今は次の成功に期待した方がいいんじゃないかと思っています。
 
 29日は、いろいろなことがありました。総理に就任以来、緊張と重圧の毎日ですが、これが変わることはないと思います。困難な事態にあっても、決してひるむことなく勇気をもって立ち向かっていきたいと思います。
 
 良くも悪くも日本で最も注目される人ですから色々とあると思いますが、これからもがんばってください。
 
 
 [大臣のほんねとーく]
 ● 広く皆さんの意見を聴いて(有事法制担当大臣 井上喜一)
 「有事法制」と聞いて身構える方も多いかもしれません。「日本が戦争をするための法律を作ろうとしているのではないか」「有事法制を整備するとかえって有事を招くのではないか」などの御意見もよく耳にします。
 これまで、この「有事」の問題について、「備えがないことが安全だ」というような考え方もあったのではないかと思うのですが、本当にそうでしょうか。私は、やはり小泉総理が言われるように「備えあれば憂いなし」、我が国が武力攻撃を受けたときに対応するための制度は、きちんと整備しておく必要があると考えています。
 
 もうこんな幼稚な議論は早くやめにしたいモノですね。
 警察が無くなれば犯罪はなくなると考えている人が果たしてこの世界に一体何人いるでしょうか。
 では日本よりも遙かに戦争を意識して軍隊を整備している諸外国はいつも戦争をしているのでしょうか。
 近隣諸国、韓国も中国も台湾もどこもかしこも「軍隊」を持っているんですが、いつも戦争しているのでしょうか。
 こわいですね。
 
 また、武力攻撃事態には、自衛隊や米軍が我が国を守るため円滑に行動できるようにする必要があります。交通や通信の施設などの利用の調整の仕組みも必要です。武力紛争に関する国際社会のルールも守らなければなりません。私たちは、「国民の保護のための法制」のほかに、このようなことについて定める法制についても、検討を進めています。
 
 元々ルールとは、ルールがないと滅茶苦茶な事になってしまうからルールが必要なワケで、ルールが無いから安全なんだとと主張することはつまりルールの存在意義を否定していることになるでしょう。
 法律が無い状態の方がいいと言うのであればもはや何も言うことはありませんが、そうでないなら、この有事法制に反対する理由がないと思います。
 
 「有事法制」は、皆さん一人一人の命や財産にかかわる大事な問題です。他人事だと思わずに、皆さんも関心を持って考えてみてください。
 
 国民を守るために是非がんばってくださいね。
 
 
 この後川口外務大臣がイラクのテロルについて寄稿されています。
 一部紹介させていただきます。
 
 奥参事官は、現場での思いを日本の皆様に是非知っていただきたいと、激務の合間をぬって、「イラク便り」を外務省ホームページに書きつづってきました。11月13日の「イラク便り」はイラク南方のナーシリーアでのイタリア部隊に対するテロについてでした。「犠牲になった尊い命から私たちが汲み取るべきは、テロとの戦いに屈しないという強い決意ではないでしょうか。」・・・奥参事官自身の言葉です。
 「テロに屈せずイラクの復興支援に積極的に取り組む」との我が国の基本方針が揺らぐことはありません。今、私たちがなすべきことは、亡くなられた方々の使命感をしっかりと引継ぎ、時間がなくて彼等が果たせなかったことを受け継いでいくことです。それこそが最大の供養であり、私たちの責務であることを肝に銘じ、全力で取り組む決意です。
 
 
 ● オリーブを植えながら〜命を育むこどもたち、瀬戸内の島々での挑戦〜
  (文化功労者、建築家、東京大学名誉教授 安藤忠雄)
 
 えーと、なんだかとってもいいお話をされているんですが、特にやえがコメントするべき事柄が見つからなかったのでスルーさせていただきます。
 ごめんなさい。
 
 
 [編集後記]
 情報収集衛星打ち上げが失敗に終わりました。影響は甚大です。この後に予定されている、気象観測などを行う多目的衛星打ち上げのおくれも懸念されます。皆さんは天気予報などで雲や台風の映像をご覧になっていると思います。国産の気象衛星「ひまわり」の画像の撮影が不可能になった後、アメリカの「ゴーズ」という古い衛星が使われていて、このままではあと1、2年で毎日目にしている映像が見られなくなるかもしれません。早く対応する必要があります。
 
 天気予報が出来なくなっちゃうんですね。
 それは大変です。
 いくら当たらないからといって無くなってしまうのは困ります。
 それ以外でも急がなければならないことはたくさんあります。
 早く次のロケットが出来ればいいですね。
 
 今週は残念な出来事が続きましたが、小泉内閣としては、引き続き、前を向いて、ひとつひとつの課題に真正面から取り組んでいきます。(博)
 
 来週は明るいニュースばかりになるといいですね。
 これからもがんばってくださいー。
 ありがとうございました。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。

平成15年12月5日

 議員の数を減らせ?

 愛用プリンタヒューレットパッカード製ディスクジェット957c(愛称パッカード君)の調子が悪いのです。
 黒のインクがないから変えてねってメッセージが出たので新しいインクを買って差し替えたのですが、それでも変えてねってメッセージが出るのです。
 一回も使ってないのにもうインク食っちゃったのでしょうか。
 とっても大食らいのパッカード君。
 誰か何とかしてください。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 かなり前からの話ですが、国会議員を減らそうという動きがあります。
 現在の国会議員は衆議院で480人、参議院で247人、計727人といらっしゃいますが、こんなにいらないという意見が出ているワケです。
 しかし、多い少ないというのは相対しての話です。
 一見数字だけ見たら確かに700人強、多そうには見えますが、果たして本当にこんなに国会議員は必要ないのでしょうか。
 減らすべきなのでしょうか。
 
 国会議員の仕事には「本会議」をするというのがありますが、もう一つ国会内では「委員会」というモノがあります。
 以前「法律が出来るまで」という文章でその役割を書きましたように、本会議では全ての幅広い分野の法律を取り扱いますし、全てのそれこそ400人近い議員さんが出席するワケですから、どうしても大味にならざるを得ないんですね。
 だからその本会議の前に、各専門分野に分けて少数精鋭で議論を行うようにしています。
 これが委員会です。
 
 委員会の委員は各党が選出して議員を送り込みます。
 一つの委員会はだいたい20人〜45人ぐらいで構成されていて、その中に委員長と理事という役職があります。
 そして各党の獲得議席数の割合に比例するように、委員数の党別の割合も決められています。
 つまり、委員会も各党で同じ数の議員数で構成されているのではなく、自民党議員が一番多くて、社民党とか共産党は数人しか入れないということになっています。
 
 国会の本会議では国のこと全ての事柄に関する法律が扱われるワケですから、その全ての事柄を専門化した委員会というものは、やはりけっこうな数になってしまいます。
 試しに衆議院の常任委員会と特別委員会を列挙してみましょう。
 
 ・常任委員会
   内閣委員会
   総務委員会
   法務委員会
   外務委員会
   財政金融委員会
   文部科学委員会
   厚生労働委員会
   農林水産委員会
   経済産業委員会
   国土交通委員会
   環境委員会
   安全保障委員会
   国家基本政策委員会
   予算委員会
   決算行政監視委員会
   議院運営委員会
   懲罰委員会
 ・特別委員会
   災害対策特別委員会
   政治倫理・公選特別委員会
   沖縄・北方特別委員会
   国会移転特別委員会
   青少年問題特別委員会
   事態対処特別委員会
   個人情報特別委員会
   イラク支援特別委員会
 
 このように委員会だけでも25もあります。
 となると、これだけの数の委員会に議員を一人ずつ割り振りするとしたら、各委員会の委員数を平均して30人として、25×30=750人必要になるということになります。
 衆議院の定数は先程も言いましたように480人ですから、この時点で全く足りていないですね。
 
 というように、一人1委員会では全く足りていないので、特に自民党の場合はだいたい一人2委員会を担当するようになっています。
 総理や大臣、副大臣や政務官など政府に入っている議員さんは、委員会では答弁する立場ですから委員会には入りません。 
 
 では、この状態で議員数を減らしたらどうなるでしょうか。
 人数が少なくなるワケですから一人に対する負担が増える、つまり一人3委員会や4委員会を担当しなければならなくなるということになります。
 「それぐらいすればいいじゃないか」という声も聞こえてきそうですが、では自分の身に置き換えて考えてみてください。
 委員会は「専門化」しているとは言え、それでもくくりとしてはとても大きなモノにならざるを得なくなっています。
 例えば文部科学委員会など、今一番大きな議題といえば「教育基本法改正」というものがありますが、しかしこれだけを委員会で取り扱えばいいと言う話ではありません。
 この前失敗に終わってしまった「H−IIAロケット」の問題も文部科学委員会が担当ですし、最近どんどん重要度が増している著作権の問題も文部科学ですし、映画とかゲームとかマンガとか新興文化の問題も文部科学委員会が担当になります。
 一つの委員会だけでこれだけ多くのことをやらなければならないのに、自民党の議員さんで言えば、さらにもう一つ委員会を担当しなければならないのです。
 
 自分に当てはめて比較してみます。
 やえもそろそろ復帰して数週間が経ち、文章を書くことについてはだいぶ慣れてきたので、今度は頭の方をもっと元に戻そうと、来週からは大きな課題に取り組もうと思っています。
 戦争というモノについて、皇室問題、裁判員制度、ちょっと苦手な分野になるんですが年金問題についてもちょっと勉強してみたいと思っています。
 それにくわえ日々情勢が変化するイラクの問題や北朝鮮問題を追いかけ、政治の問題に目をやり、事件が起きればそれにも目を向け・・・、こうやって考えると、本当に全部出来るのか自信がなくなってきちゃいます。
 しかしやえがやろうとしているのはある分野の特定の一つの問題だけに焦点を当てているだけで、国会の委員会とはもっと大きなカテゴリーですから、専門に専門にやろうとしたらもっと多くの事案が出てくるでしょう。
 先程も文部科学委員会を例にとりましたけど、文部科学委員会だけであれだけの事案があったりします。
 正直やえはさっき挙げた例だけでも全てを捕捉出来る自信はありません。
 
 もちろんやえは国会議員ではありませんし、まわりに秘書さんとかのスタッフもいませんし、お役所からの資料ももらっていません。
 だから簡単に比較は出来ませんが、しかし自分に置き換えて比較して想像するに、国会議員さんのお仕事はかなり大変なことは分かるような気がします。
 さらに国会議員さんの仕事には、国会の本会議や委員会だけでなく、党の委員会や部会、議員連盟や勉強会など多くの議論しなければならない場があります。
 これでさらに一人に対する委員会の数が増えれば、委員会だけでなく、担当する党の部会や議員連盟の数も倍々計算で増えていくことになります。
 
 国会議員の数を減す=一人に対する負担をさらに増やしてしまったら、一体どうなるでしょうか。
 普通の人間なら、今まで一つの問題を1の労力でやっていたものが、これからは一つの問題に対して労力が2/3とか半分とかぐらいでやらざるを得なくなってしまいますよね。
 
 国会議員とは国民の意見や考え方を国政に反映させるために存在しています。
 専門家や官僚さん達とはまた立場が違うワケです。
 だからそういう意味からも国政人事が変わる時期には各議員さんの担当委員会も変わったりします。
 国会議員には幅広い知識と見識が必要なのは当然ですから、このように25ある委員会の中からちょくちょく担当委員会が変わるのもいいことだと思います。
 そしてさらには、その中でもやはり議員さんにも得意分野というモノがありますから、経験を積んでいけば、得意分野の大臣や委員長などで活躍するようになっていきます。
 しかし、国会議員には多くの分野の知識や見識が必要だからといって、それら全てを同時に全部こなせと言うのは無茶な話ではないでしょうか。
 全ての分野を担当することになる総理大臣だって、やはり得意分野不得意分野があります。
 小泉さんで言えば外交が得意ですから外交ではブイブイ言わせていますし、経済方面では専門家に任せている感があります。
 森前総理は教育が専門家ですからそちら方面ではずいぶん活躍しておられました。
 広報活動は苦手、というより下手でしたけどね。
 このように、政治家といえども人間ですから限界があります。
 もしこれ以上議員数を減らして一人の議員に対する負担を増やしたら、もしかしたら国政活動が大味になってしまうかもしれません。
 そうでなくても現状における国会議員さん達は、現在担当している委員会の範囲ではないけど自分の得意な分野の議員連盟などで、恒久的に様々な問題を議論していたりします。
 野党さんなんかは国会閉会中は国会議員は何もしていないような言い方をして、しきりに臨時国会を開けと主張していましたけど、特に与党の議員さんは国会閉会中でも党や私的会議で盛んに議論や勉強をされているんです。
 やはりこれ以上一人に対する負担を増やすというのは、ちょっと現実的でないような気がします。
 
 国会議員の数を減らせと主張している人は、一体どのような根拠を持って主張されておられるのかやえはよく知らないのですが、やえは一人担当2委員会の現状がちょうどいいのではないかと思っています。
 日本という国は大きな国です。
 人口も予算もGDPもとても大きいです。
 そんな国を直接動かす国会議員という人たちは、その規模に似合った人数が必要なのではないでしょうか。
 なんでもかんでもリストラすれば上手くいくというモノでもないと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、真面目に働く国会議員さんを応援しています。


平成15年12月8日

 死

 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 個人的なことなのですが、この週末に近しい知人の旦那様がお亡くなりになりました。
 急性心筋梗塞だったらしく、本当に急に倒れられ、病院に運ばれた時にはほぼ手遅れの状態だったと聞いています。
 この場をお借りしまして、ご冥福をお祈りいたしたいと思います。
 
 亡くなられた方はまだ40歳半ばの若さで、しかもまだ小学生のお子様がいらっしゃいます。
 やえは奥様の方をよく知っていたのでその知らせを聞いてすぐに駆けつけたのですが、奥様は数日でこんなに変わるのかとビックリするぐらいやつれていらっしゃって、その顔を見て、そしてお子さんのことを考えると、どうにも言葉に表すことが難しいぐらい可哀想で不憫でやるせない思いがしました。
 どうしようもないこととは言え、なんとも言い難い悲しくさみしい思いです。
 
 また同時に、こういう場に出るととても死に対する恐怖感がやえを襲います。
 やえは亡くなられた方の奥様と顔見知りであったため、故人を直接は見知っておりませんので「この人が亡くなって悲しい」という感情はあまり湧きませんでした。
 むしろ、「死というモノが怖い」という感情と、「残された奥様やお子さん達が可哀想」という感情がやえを支配していました。
 考えれば考えるほど、この二つの思いが複雑に絡み合ってさらなる苦悩へ迷い込んでしまいます。
 
 もしやえが死んでしまったら、今やえがこうやって考えている思考とか感情とか、やえっていうものを支配している“何か”はどこにいってしまいのでしょうか。
 肉体は滅びます。
 では精神はどこに行くのでしょうか。
 やえっていうものの証は、肉体ではなく精神のハズです。
 肉体というのは器でしかなく、もし精神だけを切り離して別の器に入れたところで、その個体はやはりやえでしょう。
 死とはなんなのでしょうか。
 このやえっていうものは死んだらどこに行くのでしょうか。
 そんなことを考えていたら、とても怖くなりました。
 
 もしやえが死んでしまったら、やえが愛している多くの人は、やえを愛してくれている多くの人は、いったいどう思うのでしょうか。
 残してしまった、残されてしまった人たちはこれからどんな人生を送っていくのでしょうか。
 あの人達を残してやえは死んでしまってもいいのでしょうか。
 ちゃんと生きていけるのでしょうか。
 そんなことを考えていたら、とても怖くなりました。
 
 話が飛びすぎるのかもしれませんが、戦争というモノに反対する人たちって、このレベルの感情を元に「戦争は絶対にイヤだ」と言っているんじゃないかと思いました。
 死ぬのは怖い、なんとしてでも避けたい、どんなことがあってもとにかく戦場に行きたくない、どんな理由があっても戦争はやってはいけない、死ぬのは怖いから。
 死というモノを目の当たりにした時にふとこんな事を考えたら、この感情もとても素直に理解することが出来ました。
 確かに死は怖いです
 だからそれから全てを投げ出しても逃げたいという感情は、やはり人間として理解は出来ます。
 
 でも、ここで思考を停止させることなく、さらに考えなければならないのではないでしょうか。
 死を恐怖することと、手段に戦争という方法があったとしても問題を解決させることとは全く別問題のハズです。
 死ぬのは怖いです。
 なんとしてでも死から逃げたいと思うのは人間として当然だとは思います。
 が、自分だけ問題から顔を背けて仮に死から逃げたとしても、問題そのものは
ずーっと解決せずに残り続けるでしょう。
 死から逃げるために問題を先送りし続けて、本当に人間としてそれでいいのかどうか、それはそれで問題だと思います。
 死だけから逃げたとしても、しかし問題からも目を背けては、結局何も解決しません。
 本当にそれでいいのでしょうか。
 
 死と向き合う勇気は、人間だけに与えられた特権だと思います
 時には逃げる勇気もあると思いますが、死の恐怖から思考停止してしまい向き合うことを否定するのも、また人間の行いとしてはどうかなと思います。
 人間に与えられた勇気をどう使うべきか考える必要があるでしょう。
 
 と、同時に、死と向き合わない参戦論もやえは眉をひそめたいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、死の恐怖を忘れないよう、でも目をそらさないように戦争について考えていきたいと思います。


平成15年12月9日

 サマワの人たち

 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 あれだけマスコミは「イラクに安全な場所なんか無い。戦闘地域と非戦闘地域を分けることなんか不可能だ」と言って、イラク全土は全て戦場そのものといわんばかりに大宣伝していたのですが、やはり治安がよいところはイラクにもあったみたいです。
 
 サマワ市の住民が素朴で情に厚く、派遣を歓迎する横断幕を日本語で掲げるなど、(日本の中津江村と:引用者注)雰囲気が似ているらしい。
 今は治安も安定している。部族の統率が行き届き、テロリストが外部から潜入してもすぐ分かるという。もっとも、サマワはフセイン政権時代に弾圧されたこともあって、社会資本に恵まれず、大した産業も育っていない。
 自衛隊には、水の浄化や供給など人道支援の要請があるだけでなく、基地用地代、通訳らの雇用、物品の調達などによって、地元が潤うのではないか、という期待も寄せられている。(12月8日付け読売新聞朝刊「編集手帳」より)
 
 「イラク人は外国人なんかに来て欲しくないと思っている。本当にイラク人達が望んでいる支援をするべきだ」と言った感じでマスコミは主張しつづけていたハズなんですが、この変わり様はスゴイですね。
 政府が派遣場所を明確に示したので、さすがに安全な場所はないとウソを言い続けられなくなってしまったための方向転換なのでしょう。
 このようにイラク国内にも比較的安全且つ支援を望んでいる地域があるのにも関わらず、今の日本世論が圧倒的多数で「派兵反対」と言ってしまっているのは、マスコミが「安全なところなど無い。行けば自衛隊は死ぬ」と大げさにウソじみた宣伝をしていたせいに他ならないと思いますので、この辺マスコミはキチッと責任をとってもらいたいところです。
 
 しかしまだ読売新聞はこのように事実を素直に認めているのでマシだと言えるのかもしれません。
 昨日のニュースステーションはひどいものでした。
 久米氏と彼らの主張を要約するとこうです。
 
 「サマワの人たちは自衛隊の派兵なんて望んでいない。サマワの人たちは自衛隊と一緒に日本の企業が来るものだと全員思いこんでいる。来て欲しいのは“高い技術力”と“資金力”であって、自衛隊は望まれていない。どうせ行かせるなら民間人を行かせろ」
 
 もうこいつは本当にどういう頭をしているのでしょうか。
 ついこの前まで「イラクには安全な場所が無い」と自らが先頭を切って主張していたのにも関わらず、そのウソがばれると今度は民間人を行かせろと言い出しています。
 全く逆のことを言い出しているのです。
 過去の主張を訂正していないのですからそのままつなげてみますと、「イラク全土はどこも危険だ。安全な場所は無い。だから民間人を派遣させろ」となります。
 スゴイですね。
 
 久米氏は必死にひたすらウソを隠して且つお上批判を口八丁に繰り返していました。
 サマワは治安はいいけどインフラが整備されていないので民間技師を派遣すべきだ、と言っていましたが、インフラ整備は自衛隊でも出来るはずです。
 災害復興は自衛隊の十八番です。
 久米氏は阪神大災害時の自衛隊の活躍をニュースキャスターのくせに知らないとでも言うのでしょうか。
 ただその事実から目を耳をそらしたいだけなんでしょうけどね。
 
 さらには、日本人民間技師を、比較的いいと言われてはいますがイラクという日本とは比較にもならないぐらいの治安の悪いところに、丸腰で戦闘技術も防護技術もない民間人を丸投げしろとでも言うつもりなのでしょうか。
 民間技術者を派遣するにしても、自衛隊の護衛団は絶対に必要だと思います。
 久米氏は奥大使や井ノ上書記官の悲劇を意図的に繰り返そうとしているのでしょうか
 
 久米氏の“因縁付け”はまだ続きます。
 先程紹介した読売新聞にも「派遣を歓迎する横断幕を日本語で掲げるなど」とありましたように、xサマワ市には実際に横断幕が掲げられているらしいのです。
 ニュースステーションではその映像も放送していました。
 横断幕にはアラビア語と日本語で歓迎の文字が書かれているらしいのですが、ニュースステーションではその一部に注目していました。
 
 横断幕の日本語の部分には「自衛隊」と書かれているのに、アラビア語では「日本人」と書かれている。つまりサマワの人たちは軍隊ではなく民間人を望んでいるんだ。
 
 こんな主張をしていたのです。
 ヤクザ顔負けの因縁付けです。
 やえからしてみれば、自衛隊という外国語的には訳すことができない単語をわざわざ日本語で書いてくれていることの方が驚きでした。
 特に日本とはあまり関わり合いのない人たちにとっては自衛隊も軍隊も区別が付かない人が多いと思うのですが、それでも日本語では「自衛隊」と書いてくれているのです。
 普通に考えたら「軍隊に来て欲しくない」と考えるのではなく、「日本と自衛隊というものに対して最大限の礼を尽くしてくれた」と感じると思うのですが、どうでしょうか。
 
 そもそもニュースステーションのこの陰謀論は、日本人(自衛隊員)全員がアラビア語を読めないというのが前提に立っています。
 もし本当にイラクの人が自衛隊はいらないと思っているという陰謀論が正しいのであれば、自衛隊員の中にアラビア語が読める人がいたらもの凄く印象が悪くなって、自衛隊員からしてみれば一気にやる気がなくなるでしょう。
 イラクに行くぐらいですからアラビア語が堪能の隊員もいるはずです。
 横断幕を作ってまでの、そんなひねりを入れた嫌味を言う必要性が、やえには全く分かりません。
 一体そんな手間なことして誰が得をするというのでしょうか。
 横断幕という普通なら歓迎するためにあるものににわざわざ悪意を込めて、そこまでして一体何になるというのでしょうか。
 
 この久米氏とニュースステーションの陰謀論は、イラクの人々の善意を踏みにじる悪意に満ちた報道といわざるを得ません。
 サマワの人たちの善意を、ニュースステーションのイデオロギーにあわないという理由だけで勝手にねじ変えられて報道しているのです。
 普段彼らは「イラク人のため」とか「日本とイラクの友好のため」とか言っているくせに、その友好を一番阻害しているのは自分たちニュースステーションではないのでしょうか。
 
 ま、キチガイキャスターとキチガイ番組はこれぐらいにして、とにかくイラクにも“非戦闘地域”があるみたいですし、日本と自衛隊に需要もあるみたいです。
 ただ純粋に善意だけでイラクに行ってもあまり意味はありませんので、せいぜい恩を売ってくるのがいいと思います。
 日本人という気質は、他国人にない真面目さ、勤勉さ、親切さなどがあり、非常に好かれやすいタイプだったりします。
 だから殺された奥大使も現地では非常に好かれ、頼りにされていたと聞きます。
 また、マスコミやちょっとアレな人たちは軍隊や自衛隊って聞くと悪人集団ごとくまくし立ててきますが、他の国の軍隊ならいざしらず、日本の自衛隊は世界に誇れる能力と規律を兼ね備えた最高の軍隊です。
 やえは、日本人として自衛隊が外国に行っても母国の名を汚すことなく立派に活動してくることを信じています
 そしてこれがきっかけでイラクが親日国になってくれれば、いや、そうなるように頑張ってきてもらいたいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、自衛隊を応援しています。


平成15年12月11日

 精神的独立のために

 言いたいことが二点あります。
 二点といっても基本的な根幹的な部分では同じ事になりますし、また過去にやえが言ってきたことの全く同じ事の繰り返しになるのですが、この問題はこれからの日本にとってとても重要且つ、日本人はこの問題を繰り返し言わないとすぐに忘れてしまう(忘れようとしている)ので、ここをいつも見てくださる方には「またか」と思われてしまうかもしれませんが、どうぞ日本国民が目覚めてくれるまでおつき合い下さい。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 自衛隊派兵が決まり日本国内でも自衛隊や戦争・戦闘についての議論がよくなされるようになってきました。
 議論がなされるということはとてもよいことですし、歓迎したいムードではあるんですが、しかしもっと突っ込んだ議論をしなければいつまでたっても同じ議論の繰り返しになってしまうでしょう。
 
 「もし敵が同盟国を攻撃していたら自衛隊はどうするのか。自衛隊が攻撃されていないのに同盟国が攻撃されているからといって自衛隊が攻撃してしまったら、それは集団的自衛権になるのではないか」
 「テロルが攻撃してきたらそんな装備で身を守れるのか」
 「対戦車用砲は防衛用としては強力すぎるのではないか」
 
 よく聞く議論だと思います。
 でもこの議論もいつもこの辺で堂々巡りになってしまって、これ以上は進まないんですね。
 どうしてもっと突っ込まないんでしょうか。
 
 「自衛隊を軍隊と改めて、日本一国のみで守れるぐらいの防衛力を付けるべき。もう一度軍備をあらためなおす必要がある」
 
 左翼系は当然の事ながら、保守系の方からもこのような「再軍備」の議論をしようとはしません
 もし今の装備で足りないと思うのであれば、もし同盟国が襲われているのに何もしないのはおかしいと思うなら、「だから派兵はやめよう」と言うのではなく、「だから法律を変えよう。憲法を変えよう。再軍備しよう」という方向の議論も必要なのではないでしょうか。
 この議論を避けて、「派兵をやめよう」という方向だけの議論をしていたら、また同じようなことがあった時に、やっぱり同じような堂々巡りの議論をするだけで終わってしまうことになるのではないでしょうか。
 いえ、今までのPKO活動を決めるたびに同じような議論を日本国内では何回も繰り返してきたというのが現実のハズです。
 このままでは日本はいつまでたっても次の一歩を踏み出せないままになってしまいます。
 
 
 もう一点です。
 今まであまりにも忙しくて買うこともままならなかった『SAPIO』を、かなり久しぶりに昨日買ったのですが、その今週号の『新・ゴーマニズム宣言』で
小林先生はこのようにおっしゃっていました。
 
 最も損をしたのは日本である。
 北朝鮮の核の脅威も残り、拉致問題の解決も見通しがつかなくなった。
 イラクに巨額の復興資金を出し、今後もアフガニスタンと共に、金を出し続けねばならないだろう。
 そして自衛隊には人柱になってもらうような派遣をし、
 今後、東京がテロの標的だと宣言させてしまった。
 北朝鮮の件で中国に借りを作ったので、もう首相の靖国参拝も不可能になり、反日運動やられ放題、李登輝氏の来日も、益々、むずかしくなってきた。
 一体、これのどこが国益か?
 アメリカ追随で何かいいことあったんかい?
 
 それは一つの見方として理解はできます。
 できますが、この問題はそれだけを語っても全く無意味なのではないでしょうか。
 ただ「アメリカ憎し」だけで物事を語って、アメリカからの離別を訴えるだけでは、決して全く全然、現実的な説得力は持てないでしょう。
 この問題を語る場合においては必ずセットで「日本の再軍備」の議論をしなければならないのではないハズです。
 例えば、「脱アメリカ」だけを主張するというのは「このおもちゃ欲しいぃぃ」と駄々をこねているガキと一緒のようなもので、仮に分別ある大人であるなら「この品物を買うためには労働をしてお給料をもらってそのお金で買わなければならない」と考えるのと同じように、この問題を語る時にも駄々をこねるだけではなく、「アメリカに頼ってはいけない。だから日本は独自防衛出来るように再軍備しなければならない。場合によっては核武装も視野に入れなければならない」と再軍備とセットで語らなければまったく説得力は出てこないでしょう。
 北朝鮮を押さえるためには現状の日本の軍備や法律では無理な部分が多く、結局アメリカに頼るしかありません。
 しかしアメリカに頼るのがイヤというのであれば、それは日本が独自で防衛しなければならないということですから、日本がハード的にもソフト的にも軍備を普通の先進国並みに整え、自国のみで防衛出るだけの力を持つしかありません。
 そしてそのために今までよりもさらに深い、結論だけを語るのではなくそこに至るための道筋の議論が必ず必要になるでしょう。
 
 ここまでの議論をしてはじめて「脱アメリカ」をリアルに語ることが出来るのです
 
 今の日本は、この再軍備の議論をどうしても避けようとしています。
 保守も左翼も「日本独自のスタンスを」と主張するワリには、そうするための、そう出来るための絶対条件の議論から逃げているように見えます。
 日本の真の独立、まさに中国からも韓国からもアメリカからも「精神的独立」をするためには、日本の再軍備は避けて通れない道です。
 現状のような、日本独自のスタンスと主張し、国際協調と言い、でも平和憲法によって軍事は出来ないとしているようなこんな中途半端な状態では、外国に舐められてカモにされてしまうだけになってしまうでしょう。
 いえ、実際に今まで散々中国や韓国や北朝鮮やアメリカにカモにされてきたではありませんか
 どんな立場であれ、他国に頼ること無い日本独自のスタンスを取れと主張するのであれば、この再軍備の議論を避けることは出来ません。
 再軍備の議論は、絶対且つ最低条件なのです。
 
 今こそ右も左も再軍備の議論を行わなければならないのです
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、今日の更新はまさに「右も左も逝ってよし!!」の内容でした。


平成15年12月14日

 国民の選択〜応or否「あなたはイラク派兵に賛成ですか?」

 さてさてさてー。
 かなり久しぶりにやりますよー。
 第五回週末特別企画「国民の選択〜応or否」です。
 
 議題はこちら。じゃん。
 
 「あなたはイラク派兵に賛成ですか?」
 
 もしかしたらかなり今更なんですが、しかし当サイトで、しかもこのタイミングで敢えて聞いてみたいと思います。
 戦争・平和・宗教・民族・伝統・歴史・大儀・誇り・アメリカ・中東・北朝鮮・憲法・・・
 様々な問題を内在しているこの問題、あなたはどうお考えでしょうか。
 率直なご感想をお聞かせください。
 
 

質問 あなたはイラク派兵に賛成ですか?
その他(できるだけその理由をコメント欄に書いてください)

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平成15年12月15日

 フセイン捕まる

 数日前の産経新聞の速報版で、サマワの横断幕の自衛隊の文字の報道は日本の記者の自作自演だった、という感じのことを報じていたのですが、あれから続報が流れてきません。
 一体どうなったのでしょうか。
 つぶされた??
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 みなさんご存じのように、イラク“元”大統領サダム・フセインがアメリカ軍によって拘束されました。
 ブッシュ米大統領が開戦宣言演説をしイラク戦争が始まったのは3月19日ですから、実に9ヶ月もの間フセインは逃亡生活を送っていたことになります。
 一時は死亡説も流れましたが、ついに御用となりました。
 
 フセインが捕まった時の状況を、みなさんはお聞きになりましたでしょうか。
 
 念を入れて小屋の近くの地面敷物をはぐと、泥で隠された部分に発泡スチロール製の軽いはめ込みがある。これを外し、深さ2メートル内外、人間1人がやっと横になれる程度の穴に、男がいるのを確認した。午後8時26分だった。
 男は短銃をひざに置いていたが、撃とうとはせず、何の抵抗もしなかった。ひどく戸惑った様子だったが、自分が元大統領であることを認めた。小屋の中からAK47自動小銃2丁と100ドル札で75万ドルの現金も見つかった。

 
 「ひげ面の男が人間一人ギリギリ入るような隠し穴に現金と共に隠れていた」っていうシチュエーション、日本でも似たようなことがあったような記憶があります
 そうです。
 日本近代史最大の犯罪者、オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫です。
 彼も捕まった時、狭い隠れ部屋に札束を抱えて隠れていましたね。
 
 松本被告とフセインにはある共通点があります。
 それは、「自分の王国の中で独裁者として君臨していた」という点です。
 そして、「違う価値観と戦争した」という点です。
 
 オウムは日本の中で日本とは違う価値観の王国を築きました。
 麻原を王に据えてピラミッド型の人事を敷き、王の言葉を絶対視して命令には背かず実行する、そしてその王の言葉=法律にはポアと呼ばれる殺人肯定思想があったりする。
 こんな日本の常識とは相反する思想を有している、日本とは全く違う価値観の国家です。
 オウム王国の国民(=オウム信者)も、日本の常識や法律、つまり価値観ではなく、オウム王国の法律(=麻原の言葉)に従っていました。
 
 違う価値観同士がぶつかり合えば戦争になります。
 話し合いでの解決は無理です。
 だって価値観が違うのですから、話し合っても話がかみ合いませんからね。
 だから「日本vsオウム王国」の戦争も、「警察vs信者の毒ガス攻撃」という武力での戦争になりました。
 そして結果的に、日本側がオウム王国を武力で潰したのです
 
 ここまで言うと、やえが「麻原=フセイン」と言いたいのだと思われる方がいらっしゃると思うのですが、やえはそこまでは言いません。
 また、「オウムを潰したのは正しいことだからブッシュがやったことも正しい」と言いたいのでもありません。
 麻原とフセインとは背負うモノの大きさが違いますから単純にイコールで結びつけることなど出来ないと思います。
 でも、戦争の根元的な理由というものは同じなのではないかと思うのです。
 「価値観の違い」です。
 
 結局イラク戦争も、イラク(イスラム)とアメリカ(白人社会)との価値観の違いが衝突した結果のモノと言えます。
 だから有識者の中には、「異文化や価値観は人それぞれ国それぞれなんだから、それを尊重しなければならない」といった意見をおっしゃっている方がいらっしゃいます。
 それは意見としてはよく理解出来ます。
 しかしそう主張する一方、オウム事件に対しては「価値観の違い」という部分を全く考えずに手放しでオウム王国崩壊を喜んでいたりしています
 確かにイラクとオウムでは背負うモノが違いすぎますから、単純にこのように同列にして比べることも出来ないのですが、しかしそれでも根元的な問題としては矛盾が生じていると言っても差し支えがないような気がします。
 オウム事件の時には無批判に手放しに警察の武力突入を喜んでいた人が、イラクに対しては「相手の価値観を尊重しろ」と主張している姿は、どうしても違和感を感じてしまうんです。
 麻原もフセインも、独裁者としての最後の姿が全くソックリだった事で、さらにその違和感が増幅されてしまうのです。
 
 オウム問題とイラク問題を取り扱ってきた知識人達は、この両者に対する立場の矛盾をキチッと説明していません。
 フセインやイラクのことを立派な国家だと、民族の誇りのために戦った国だと言い、昔の日本になぞらえて語っていた人たちのことを今までやえは散々非難してきましたが、この麻原と同じ状況で捕まったフセインを見ると、つくづく日本とリンクさせるのはトンデモナイ話だなと思い、またイラクに対してそういう思いを持っている人っていうのは一体「価値観の違い」というモノをどこで比べているのか、オウムとはどう違っているのか、とても疑問に思いました。
 
 ではやえは「価値観の尊重」という事に対してどう思っているのか、次回に話をさせていただきたいと思います。
 
 

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