☆やえニュース☆

あけおめ今年も自己責任論?小泉メルマガレビュー日本の武器、日本の誇り、経済大国であるというコト「フィギュア萌え族」とやらを考える(1)思想と命はどちらが大事?「フィギュア萌え族」とやらを考える(2)「フィギュア萌え族」とやらを考える(3)

平成17年1月4日

 あけおめ

 
 あっはっはー、さわやかな年明けである。皆の衆ごきげんよう。
 
 今年一発目があまおちさんでは、さわやかにはなれませんね、あけおめでございます。ことよろ申し上げます。バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 
 おはろーございます。
 
 なんでセリフとるですかね。
 
 だっておめー、それじゃああいさつだらけじゃねぇか。あけおめことよろおはろーございますって、なんの暗号だよ(笑)
 
 でもなんか語呂はいいですよ、あけおめことよろおはろーございます。
 
 ほほう、それで今年の流行語大賞を狙うのか。
 
 いや、無理だと思います。
 
 
 
 ところで、申し訳ありません。更新がピタッと止まってしまいまして、年末はオニのようにいそがしかったんです。
 
 いやあ、実は12月24日用の更新はあることはあるんだが、オレが諸事情でいそがしくてなー、アップできんかったよー。あー、あれは体が辛かったー。
 
 ・・・まぁ深くは聞きませんが、もったいないですから、また後日アップしてくださいね。
 
 どーせこの時期はなかなかネタが乏しいから、近々アップすると思うぞ。
 
 
 で、あまおちさんはお正月は何していました?
 
 ごろごろ。
 
 ・・・、初詣は行きました?やえは近くの神社に行って来ましたけど。
 
 ゲームしてた。
 
 ・・・、おせちは食べました?
 
 寝てた。
 
 ・・・、お出かけしました?
 
 ゲームしてた。
 
 ・・・・・・・、ダメ人間ですか?
 
 はやく人間になりた〜い。・・・・なに言わせるんじゃい。
 
 ふ〜ん。でもお正月はお正月でいろいろとお誘いもあるんじゃないんですか?
 
 んー、なんだ、アレだよやえくん。正月なんざに女と出かけるとだな、女はがんばって着物着るわけだが、その後だいたい着付けができないんだ。当然オレもできん。だからな、それは分かっていてもやっぱりまぁなんだ着付けなきゃならない状況になっちまって、とりあえず見よう見まねで適当にぐるぐる巻いて、でもそのままでは帰れないから美容院にでも駆け込むハメになるわけだが、そうなると店員から「こいつらヤッたな」という視線攻撃が待ち受けているわけだ。そんなメンドクサイことやっとれっかあああああ。
 
 ・・・ふーん、しかしそんなもんですか?
 
 年がら年中着物着とるお前の方が珍しいだろ。で、なんだおめーはアレか、「やえが着付けできますから大丈夫ですよー」とか言いながらおにゃの子と初詣いったんか?わざわざ2時間のために1時間並んだんか?ん?ん?
 
 ・・・・ばぎっ!!
 
 ぎゃああああああ
 
 
 
 ところで、定期的に突っ込まれるので今回も一応聞いておきましょうか、曙さんがいつものように破れましたが、相撲最強論を唱えるあまおちさんとしては、どうお考えでしょうか。
 
 んー、なんつーか、結局曙も「相撲出身K−1ファイター(バーリトゥーダー)」になってしまっとるからダメなんだよ。これでは相撲がどうだこうだ言っても仕方ねぇんだよ。
 
 ではどうしたらよかったんでしょうか。
 
 立ち技だけのK−1はともかく、バーリトゥードならなんでもありなんだから、相撲をすりゃいいんだよ。まぁ頭突きが禁止だからぶちかましができないのがアレなんだが、相撲の醍醐味というか強さは、その巨体から繰り出される突き押しと、つかんだ時の腕(かいな)力にある。
 
 はっけよいのこったっていうかけ声の後は、押すかつかんで投げるか、極端に言えばどっちかしかないワケですからね、お相撲は。
 
 相撲はもっとも原始的な格闘技であり、だからやることも原始的なワザしかない。曙も相撲現役の時は、一時期まわしを取ってみたりもしていたが、基本的には突き押しのみの力士であり、その巨体から繰り出す圧倒的なパワーと長いリーチによって、横綱という地位を得たわけだ。
 
 正攻法では、貴乃花しかまともに相手に出来ませんでしたよね。
 
 そんな曙がな、今更パンチとかキックとか関節技とか習ったとしても、どうしようもねぇんだよ。相撲ではそんな技ないんだからな。かんぬきはあるが、使える場面なんてほとんどないし。そういう意味でただの普通の総合格闘技用の練習をしている曙は相撲技以外は“最強の初心者”ボビーとそう変わらねぇんだよな。体が太いか締まってるかの違いでしかないわけでな。そんな初心者があのホイスに勝てるかっての。
 
 昔やえも更新で書きましたけど、例えば卓球の選手とテニスの選手が対決するとなった時、ではどっちが強いかと言われても、卓球のルールですれば卓球の選手が強いに決まってますし、テニスのルールですればテニスの選手の方が強いワケですが、では卓球テニスという独自ルールを作った場合誰が一番強いかとなったら、それは卓球テニスというスポーツの専門家が強いに決まっているハズなんですよね。だから曙さんも既存のファイターの型にはまった戦い方をしても、一日の長のある選手に勝てるハズがない、というワケですね。
 
 そういうコトだ。その中でたまたたま独自ルールの新スポーツの才能がある選手が強くなるワケで、ではヒクソン・グレーシーが総合でないオリンピック競技の柔道をすれば、そりゃ柔道家の方が強いに決まっている。ヒクソンがオリンピックで金メダルとるわきゃないわな。結局ルールの違い、スポーツの違い、そしてそのスポーツにその選手が適しているかどうかの違いでしかないわけだ。
 
 戻りますけど、では曙さんはどうしたらよかったんでしょうか。
 
 だから相撲すりゃいいんだよ。ゴングが鳴ってから、仕切をして、間合いに入ったらぶちかます。後は押すのみ。倒れてからが問題だが、まぁ体重を生かしてガードの上からでも張り手してりゃいいんじゃないのか。相撲を生かした戦法とその練習をすべきなんだよ。これはボブサップにも言えることでな、あいつはあの体で素早く突進できていたからこそ、相手は何も出来ずやられていたわけだが、なのに最近のサップは「ただの格闘家」に成り下がってしまって、生兵法なキックとかもやりはじめて、きれいに勝とうとしている。これじゃやっぱりK−1とかのルールで一日の長のある選手の方が強いわな。サップも曙も、その規格外な体が一番の武器なんだから、それに特化した戦い方をしないと、どっちも不器用なんだから勝てねーよ。
 
 それで勝てると?
 
 いや、まぁ勝負は時の運と言うぐらいだから勝てるかどうかは変わらないけど、でもそこまでして負けたのならオレは評価するよ。なんのために曙が力士を廃業した後に総合格闘技に転向したのか。相撲という迫力を世間に見せつければそれだけで評価は出来ると思うよ。今までボクサーとか空手家とかいろいろな人間が総合やったけど、一人が負けたからと言って、そのスポーツをしている全ての人間が弱いとはならないだろ。だからこそ、そのスポーツの迫力を魅せた方が勝ちだと、オレは思うね。吉田なんかはそう言う意味ですごく勝ってるんじゃないかな。
 
 一回リングで四股を踏んで欲しいですよね。
 
 そうそう。プロなんだから、それぐらいのパフォーマンスは欲しいよな。特に相撲なんてあまり応用の利くスポーツでもないんだから、曙は相撲だけしていればいいと思うんだがな。
 
 世間の声はきびしいでしょうけど、また挑戦してほしいですね。
 
 そうだな。ま、お好み焼きでも食って、またがんばってくれい。
 
 
 
 ・・・お好み焼き?
 
 ・・・お、そういえば・・・アレどうなった・・・?
 
 ・・・えっと・・・(つづく)
 

平成17年1月5日

 今年も自己責任論?

 
 それはなんの変哲もないある三姉妹の温泉旅行からはじまった。目的は特筆すべきようなコトでもない。ただ一年頑張った慰労の意味と、こういう時期でないとそれぞれ別の仕事をしているコトもあってなかなか三人同じ時期に休みが取れないからという理由で、ある温泉に旅行に行っただけであった。半ば年末旅行は恒例化しており、三人とも楽しみにしているイベントでもあった。電話ではよく話はするが、普段は忙しくて会う事もままならないので、一年分の話がたまっている。話題には事欠かない。娘三人集まればかしましいという言葉通り、端から見れば華やかな、賑やかな温泉旅行であったのだ。
 
 しかし、こんなコトになろうとは、誰が予測できただろうか。
 
 時は10時頃。仲居の悲鳴が、この悲劇の開始を告げる合図となった。客間に一人、中庭に一人、露天風呂に一人、女性の遺体が発見されたのだった・・・・・。
 
 みちのく美人三姉妹湯煙温泉旅行殺人事件〜どうしてお前がこんなところに。いや聞かないで私だって女よ、ほっといたアナタが悪いんじゃない。それとこれとは話は別だろ。その横の男は誰だ。アナタには関係ないわ。もう私たち終わりね。な、いい加減にしないか。もうアナタには愛想が尽きました。さようなら。まて話は終わってないぞ〜年末拡大5時間SPECIALポロリもあるよ
 
 
 
 
 ・・・・・・なんですかこれ?
 
 いや、昨日(つづく)と書いた以上、なんか書かないといけないと思ってだな。
 
 ・・・・・それで、ポロリってなんですか?
 
 いや、だから、お前がちょっとポロリすれば視聴率もウナギのぼ
 
 ばぎっ!!
 
 ぎゃあああああ、オレの頭がポロリしたああああああ
 
 
 
 で、お好み焼き爆弾はどうなった?
 
 頭がポロリした人間が、さも当たり前のように復活しないでください。
 
 えーと、これか・・・
 
 
 
 はい。見事にしぼんじゃってます。
 
 あーあ、ついにここまできちまったか。これどうせいっつーんだ。おもしろくもなんともないな。
 
 中途半端この上ないですね。
 
 んー、やっぱり爆発じゃなくて穴が空いただけだったんかのぉ。音もなくぷすーと。
 
 というコトは、無理矢理にでも爆発させるために、暖房効き効きのあったかいお部屋においていても無駄ですかね。
 
 うーん、でも何とかオチをつけんとな。さすがにこんなに食えんぞ。なんだ一行のヤツら、無責任におもしろいことを言ってるんじゃないっ!!(笑)
 
 捨てます?
 
 ・・・・うーん(汗
 
 
 
 ところで、いつの間にかネットでまた自己責任論が再燃したらしいですね。
 
 うむ。オレも年末年始とほとんどネット巡回しとらんかったから知らなかったんだが、どうもインドネシアで起こった大津波をつかまえて、「そこに観光旅行で行って被害にあった人間と、イラクに行って捕まったバカレンジャー共と、どこが違うんだ。どっちも自己責任だろ」っていう趣旨のことを言ったらしい。
 
 はぁ、まさに自己責任論を正しく消化し切れていない典型的な人ですね。
 
 そうだなぁ。テレビとか既存マスコミは左巻きだから、どっちかと言えばバカレンジャーを擁護したいと思っていて、だから有耶無耶でもいいから自己責任論を鎮火させようとしていただろ。その結果、このような中途半端に消化し切れていない人が出てきてしまうんだろうな。
 
 あと鎮火のために「イラクに行った人は崇高な目的があったから責任は無いんだ」とか無茶苦茶な、しかも感情的にしかなれない身内の人たちの一方的な主張を無制限に垂れ流したのも良くなかったですね。自己責任論の議論がかみ合わなくなるだけでなく、本質からも遠ざかるんですからね。
 
 そうそう。自己責任論っつーのは行った目的がどうだという話じゃねぇんだよな。自己責任という言葉が一人歩きしてしまっているせいでもあるんだろうが、インドネシアの旅行者とどこが違うかと言えば、自己責任が“あるかどうか”ではなく、“問えるかどうか”、ココにあるわけだ。どこかで「家から出てあるくだけでも自己責任はあるし、生きること自体も自己責任の上で生きている。だから誰だって自己責任はあるんだ」とか言っていたんだが、これは言葉だけの意味では正しいんだよ。
 
 でも、その人が考えている意味は全然正しくないですね。自己責任は確かに誰にでもあるのでしょうけど、だからといってそれを問えるかどうかはまた別問題ですもんね。
 
 その通りだ。一連のイラクバカレンジャーの騒動を指して使う場合の「自己責任論」とは、自己責任があるかどうかという話ではなく、それを問えるかどうか、責めるべきかどうかという問題であるんだ。人間はペットや機械じゃねぇんだから日々の生活は多くは自分の判断で行動する。それは全て自己責任であると言えるだろう。ただし人間である以上そこに集団的社会が形成される。そして社会を保つためになんらかの制約とかルールとかが生まれて、常識も生まれてだな、その中で社会との関係上、やっていい事とやって悪い事が峻別されるわけだ。自己責任論とはここを断じる問題であってな、自己責任があるかどうかではない。
 
 極端な話、町中を歩くという行動は社会的常識から考えて「やっていいコト」とされているので、誰に強制されるワケでない自己責任の上で町中を歩いていて、もし事故に巻き込まれたとしても、その自己責任を責められるコトはないですよと。でも真冬の日本海に真っ裸の上に重しを付けて飛び込むという行為は、それは常識の上ではとてもじゃないですけど「やっていいこと」とはされていないワケで、それで死んでしまったとしても、誰のせいでもない、飛び込んだ本人の自業自得であり「自己責任の上での行動」だ、と言えるワケですね。
 
 本来この問題は単純で簡単な問題のハズなんだがな。結構前に「風船おじさん」って話題になったけど、風船おじさんが勝手に風船気球に乗ってどっかにいって行方不明になったからといって、政府を批判するような声は全然聞こえてこなかった当たり前の話だが、今回はイラクの問題が、本来なら自己責任の問題とは関係ないんだが、からんでいるように見えてしまったから、それと絡めて、また感情論も含めて、ごちゃまぜになってしまったんだろうな。もうちょっと冷静に自己責任論を各々が消化して欲しいところだ。
 
 
 最近ニュースサイトさんに訪問させてもらっているので、年末年始ネットしてなくても、なんとか話題が見れるのは助かりますよね。
 
 うむ。でも最近流行っているのかどうか「VIPPER」とか「うぇwwwwっうぇwwww」とかよく分からんのだがな(笑)
 
 今年もネットの片隅で思想を語っていきますか。
 
 いや、今年の目標は、当サイトをもっとテキサイっぽいサイトにしていくのだ。もっともっと一般の人にアピールしていくのだああああああ。
 
 ネタですか?
 
 ネタというか、もうちょっとだな、難しい事が好きでない人でも興味を持てるような語り口が出来ないものかとな。
 
 むずかしいコトを冗談とかを交えて語っていくのは苦手なんですよね。難しい話は難しい一辺倒で。一応分かりやすく書いているつもりではあるんですが。それが出来ればとても素晴らしい文章が書けるのでしょうけど、なかなかむずかしいところです。
 
 なに、そんな難しいことをしなくても問題ない。簡単にもっと世間にアピールできる方法がある。ちょっとだけお前が協力すればいいんだよ。
 
 はあ。なんでしょうか?
 
 簡単簡単。ちょっとだけな、ポロリ
 
 ばぎっ!!!!
 
 ぎゃああああああああ。オレの脳みそがポロリしたあああああああ。
 

平成17年1月6日

 小泉メルマガレビュー

 
 小泉内閣メールマガジン 第170号 ========================== 2005/01/06
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● インド洋の大津波
 新年、明けましておめでとうございます。小泉純一郎です。
 
 あけおめでございます。
 ことよろ申し上げます。
 やえです。
 
 昨年は、日本においても台風、地震、集中豪雨などで大きな被害をうけ、被災地の皆さんには大変ご苦労の多い年だったと思います。被災者の方々には、新年を迎え、この困難から立ち上がり、希望をもって復旧・復興に取り組んでいただきたいと思います。政府としても、全力をあげて支援してまいります。
 
 去年の「今年の漢字一文字」も「災」でしたよね。
 地震台風火事大雨といろいろと災害の面からは大変な一年でした。
 
 昨年末に発生したインドネシア・スマトラ島沖地震とこれにともなう大津波は、各地に未曾有の被害をもたらしました。犠牲者は日本人を含め15万人を超えると伝えられ、いまだに多くの方々が行方不明であり、支援を必要とする被災者は約500万人にのぼっています。
 犠牲となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。
 
 そして年末年始にかけてこの大災害です。
 どうも現地の方では昔から津波の危険性については指摘されていたそうなのですが、観光客が減るのではという機具からインドネシア政府が何も手を打たなかった、指摘も無視し続けていた、という話を聞いています。
 以前にもお話ししたと思うのですが、災害の発生そのものを無くすコトは人間には不可能なコトです。
 ですから出来るコトと言えば、災害が起きた時に、いかにその災害規模を小さくするかというコトです。
 そういう意味からも、インドネシア政府のそんな姿勢のせいで、全てが後手後手に回り15万人という途方もない被災人数を記録してしまったと言えるでしょう。
 日本は災害対策先進国であると言えるでしょうけど、しかし外国の観光地は日本政府では手が出せません。
 せめてこの災害で、他の国も防災意識を高めてもらいたいモノです。
 
 私はインドネシアで開かれる緊急首脳会議に出席するため、昨晩ジャカルタに到着しました。大津波によって被害を受けた各国に対する緊急支援について、これから世界約20カ国の首脳、国連事務総長などと話し合い、国連および世界各国と協力して被災地に対する支援をしていきたいと思います。
 日本は、新潟県中越地震などの際に、世界の多くの国々、国際機関から暖かい支援、援助をいただきました。我が国はこれまで世界でも地震や津波の被害を最も多く受けた経験があり、政府としては、アジアの一員として、国際社会の一員として、最大限の支援を行う決意です。
 
 あれ?
 新潟の時は外国からお金とか頂いたんですかね?
 聞いたこと無いんですが、むしろ日本国内からの救援物資が使えないぐらい送られてきて置き場に困ってしまったという話なら聞きましたけどね。
 ま、小泉さんも、支援だけではなく、先ほど言いましたように、災害が起きる前の対策を各国ともしっかりやっていくように要請もしてほしいところです。
 
 私は、日本政府として5億ドルの緊急支援を行うことを表明し、人的貢献の面では、津波発生後、ちょうどシンガポール付近を航行中であった護衛艦とヘリコプターを国際緊急援助隊として派遣し、また消防の専門チームを派遣して被災者の捜索や救助にあたってまいりましたが、これに加えて、医療や輸送支援などを担当する自衛隊の人員を派遣します。
 
 もはや自衛隊が海外に出ていくコトに関しては問題が無くなりましたね。
 よいコトです。
 どんどん自衛隊の方々には活躍してもらいたいです。
 
 さらに、インド洋地域における津波早期警戒メカニズムを速やかに構築するために、日本の持っている知見と科学技術を活用し、関係国や関係機関との協力を進めます。
 
 はい。
 ぜひぜひよろしくお願いします。
 
 今年は、阪神・淡路大震災から10年目。今月18日から22日まで、国連防災世界会議が神戸で開催されます。この会議でも、今回の津波災害についての「特別セッション」を設けて、支援の輪を広げていきたいと思います。
 国内の被災者に対しては現地で活躍したボランティアをはじめ多くの国民の皆さんからの支援がよせられましたが、今回の地震・津波の被災者に対しても、政府だけでなく、民間レベルでも、一人ひとりの暖かい支援の手が差し伸べられることを期待します。
 
 日本にとって阪神・淡路大震災はとても苦い経験になりましたが、しかしその後の災害対策に対してはとても教訓となりましたよね。
 人間はどうやっても自然には勝てないのですから、こうやって徐々に経験を積んで、成長していくしかないのでしょう。
 
 新しい年を迎え、小泉内閣がこれまで進めてきた「改革の芽」を「大きな木」に成長させることができるか否かは、これからが正念場です。
 今年一年も、内外に課題は山積し、大変難しく、またきびしい一年になると思いますが、私に与えられた任務を遂行することができるよう、全力をつくして改革に邁進したいと思います。
 本年が皆さんにとってよい年になりますよう、心からお祈り申し上げます。
 
 今年はなんといっても郵政民営化ですね。
 一部では「郵政解散」なんて言われていますが、小泉さんはどう出るのでしょうか。
 通常国会は通年通り今月の後半ぐらいに開会され、6月あたりまでで閉会されます。
 が、おそらく延長されるコトでしょう。
 しばらく選挙がないと言われている最近ですが、それも今年前半にかかっていると言えるでしょう。
 さてどうなるでしょうかね。
 
 
 [特別寄稿]
 ● 未来に注ぐ水(イラク復興業務支援隊 1等陸尉 福岡健人)
 平成16年7月5日のサマーワ到着以来、私は給水担当として、サマーワを中心とするムサンナー県の劣悪な給水事情を解消すべく、外務省の在サマーワ連絡事務所と密接に連携してその改善方法を模索してきました。
 
 はう。
 新年一発目の特別寄稿は、自衛隊の1等陸尉さんです。
 ええと、一般的に言えば大尉さんですよね。
 ご苦労様です(びしっ
 
 ムサンナー県では、水道管が整備されている地域は一部の地域のみであり、整備されている地域でも一日当たりの配水時間は約8時間と深刻な水不足に悩まされています。
 このためムサンナー県では、水道管未整備地域の住民が水道管整備地区までやって来て、埋設してある水道管を掘り当てて勝手に穴を開け、水をポリタンク等により持っていく「盗水」が日常的に行われています。
 
 盗水・・・、でも確かに、水だけは無くては生きていけませんからね。
 しかしアメリカがイラクを侵攻する前はここでは水はどうしていたのでしょうか。
 お金のある人は買って、無い人はやっぱり盗水でまかなっていたのでしょうか。
 
 夏には最高気温60度を超すここサマーワにおいて水は何よりも代え難く、生きていくためには仕方ないことなのでしょう。
 
 60度!?
 ますます深刻ですねぇ。
 
 また、ここムサンナー県の土地は非常に塩分濃度が高く、住民、特に子供達の成長に悪影響を及ぼしています。これら劣悪な状況を改善するために、日本のODAによる浄水器材や給水車の供与は欠かせません。
 この給水車で陸上自衛隊が作った水をムサンナー県の人々に毎日配水して、今も「日本隊が作った水は最高!」と喜ばれています。
 
 なんていいましょうか、子供達が喜べば喜ぶほど、今までの環境がとても劣悪だったんだなぁと思わずにいられません。
 でも喜んでくれるコトは素直にうれしいですよね。
 そして、将来子供達が大きくなっても、日本のことを好きでいてくれれば言うコト無いですよね。
 
 イラクの子供達は、日頃私達が宿営地の外で行動していると、私達を見かけるなり目をキラキラ輝かせながら駆け寄ってきます。
 身も心も戦争で荒廃しているはずなのに「ヤバーニ(日本)グッド!」と言ってくれるのが非常に愛らしく、「ギブミーウオーター!」と言われると、何とかしてこの子供達のためにも、我々日本人が普段当たり前のように飲んでいる塩分のない水を提供したいという切実な思いに駆られます。
 
 う・・なんかコメントしづらいですね。
 この辺は、1尉さんの率直な思いを、我々本国にいる日本国民が素直に受け止めておきましょう。
 現地に行かないと分からない複雑な感情とかもあるでしょうし。
 
 これからもまだまだ自衛隊によるイラク人道復興支援活動は続きます。日本国民の善意の代表者である隊員一人一人の流す汗と力が、イラク復興の架け橋となり、日本とイラクの友好関係がより一層深いものとなることと信じます。
 そして近い将来、イラクが平和を取り戻し、イラク人による輝かしい復興が成し遂げられることを願ってやみません。
 
 「日本国民の善意の代表者である隊員」・・・うう、本当に自衛隊は素晴らしいですね。
 自分たちが道具であるとしっかりと認識した上で、公に尽くす、それに徹している姿は尊敬すべき姿だと思います
 もうしばらくイラクでの任務は続くと思いますが、任務の完遂と無事帰還を、日本人の一人として心から願っております。
 がんばってください(びしっ
 
 
 [編集後記]
 皆さん、新年明けましておめでとうございます。本年も皆さんからの、鋭く、厳しく、そして温かいご意見をお待ちしています。
 
 あけおめでございます。
 おひさしぶりですね。
 しかし、鋭く厳しいご意見って、けっこうグサリときていたりしているんですね(笑)
 
 昨年末アジア各国を襲ったスマトラ沖大地震とインド洋津波被害の凄まじさに、自然の脅威というものを改めて教えられました。小泉総理は、日本は「資金、知見、人的貢献の3点で最大限の支援」をする、との方針でジャカルタでのASEAN主催緊急首脳会議に臨んでいます。
 
 小泉さんも触れられておられましたね。
 次回のメルマガでは、その辺のコトをお話してくださればうれしいです。
 
 今回、多くの島々で人命が失われていますが、モルディブの首都があるマレ島では、島の3分の2が水に浸かりながら現在まで死者が一人も確認されていません。マレ島では、高潮や地球温暖化による海面上昇に備え、日本の無償資金協力を受けて周囲約7キロに護岸(防波堤)が2年前に完成しており、そのおかげで甚大な被害を免れたと感謝されているとの報道がありました。
 
 へえ〜。
 それは知りませんでした。
 こういうコトはマスゴミはまったく伝えようとしないんですからけしからんですよね。
 こうやって日本はどんどん世界に貢献していて、実際に役立っていて、感謝されているっていうのに、それを当の日本人自身が知らないのでは、なんにもならない、とまでは言いませんが、意味も半減するというモノです。
 また後日詳しくお話ししようと思っていますが、日本人自身がこういうコトをやっているんだと、感謝されているんだと知り、自信を誇りを持つべきなのです。
 日本が日本人自身の決断で行動できるようになるためには、まずは日本が世界の中でどれぐらい必要とされているのか、頼りにされているのか、しっかりと知った上で、自信と誇りを持ってからでないと、正しい判断などできはしないでしょう。
 そして自信と誇りは、一気に高まるのではなく、日々のちょっとしたコトで徐々に積まれていくモノなのです。
 
 資金や人はもちろんですが、島国で、自然災害の多い日本は、防災の知識や技術といった「知見」で世界に貢献することも責務だと思います。(せいけん)
 
 そういえば、総理ご自身が春からインターネットで動画を配信するらしいですが、ぜひこういうコトをどんどん伝えていって欲しいですね。
 そうそう、探しましたら、その防波堤のニュースありましたよ。

 <インド洋津波>「日本の防波壁が首都を守った」モルディブ
 
 「日本の支援がなかったら、マレはなくなっていただろう」――。モルディブの人口の約3分の1が住む首都マレでは、日本からの公的支援で建設された防波壁が、島を津波の大惨事から守ってくれたとの見方が広がっている。
 
 災害対策本部の置かれたマレ市のイスカンダール小学校校庭でボランティア活動を指揮する元オリンピックマラソン選手のフセイン・ハリームさん(35)。彼になぜマレは3分の2が冠水しながらも死者が出なかったのだろうと尋ねた。するとすぐに答えが返ってきた。「10年以上かけて作った防波壁が大いに助けになった。日本の援助のおかげだと聞いている
 その防波壁を見たくて市南部の海岸まで案内してもらったタクシー運転手のアハメド・シャフィールさん(30)も「日本が作ってくれたあの壁がなかったら今ごろマレはもうない」と語り、「助けてくれた日本人からこんな時に金を受け取るわけにはいかない」と決して料金を言ってくれなかった

 日本は日本人が知らないところでいっぱい感謝されているんですね。
 最近毎日新聞はぐっじょぶです(笑)
 日本はもっといろんなところでこうやって支援しているでしょう、今年度は誇りと自信を持てる日本にしたいですね。
 
 というワケで、今年一発目の小泉メルマガレビューでした。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

平成17年1月8日

 日本の武器、日本の誇り、経済大国であるというコト

 
 昨日は、いまさらながらにゲームボーイの「逆転裁判」をやっていまして、いや、ニンテンドウDS買っちゃったんですよ。
 で、キミ死ねはもう飽きたので(笑)、アドバンスの「逆転裁判」を買ったら、これが面白くてですね。
 でも、いつの間にか寝てました。
 ごめんなさい。
 
 というワケで、珍しくこんな時間に更新です。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 国内でも国外でも、災害が起きれば日本はけっこうな額のお金を義捐金として送っていますが、当の日本人は、その額に対してさほど驚きなどは示しません。
 この度日本政府はインドネシア・スマトラ島沖地震の災害に対して5億ドル(約522億円)義捐金を送るコトにしたそうで、この額は世界でも一番多い額だったのですが、特にだからといって日本人自身は「ふーん」ぐらいの感想しかもっていないのではないでしょうか。
 また、自虐好きな日本人からすれば、いくら世界トップだろうとなんだろうと、お金を送ったぐらいでは特にそこまで素晴らしいコトをしているんだとは思っていないですし、むしろお金だけで済ませようとしているようでどこか後ろめたいぐらいに思ってしまっている人もいるんじゃないかと思います。
 
 しかし、実は外国はこの日本の行動には大きな関心というか、かなりのインパクトを受けていたようです。

 
スマトラ沖地震救援金受付所
 
「に、日本はご、ご、5億ドル!!」
 
「これは増額しないと大変だぞ…」

 足下の見えない無意味なプライドの固まりである韓国など、よほどくやしかったのか、このような漫画を載せて強がって見せています。
 さも日本が義捐金の額をつり上げているかのように主張したいのでしょう。
 しかし日本人でそんな風に思っている人は皆無と言っていいでしょうし、そもそも韓国にお金が無いという事実は日本には関係のない話です。
 日本としては、いつも通り義捐金を送っているだけで、それ以上も以下もないんですが、韓国としてはそれがさらにカンに障るのでしょう。
 
 ところで、ドイツが今後3−5年で5億ユーロ(約692億円=約6億6200万ドル)を拠出すると発表したそうです。
 記事によれば「国連安全保障理事会常任理事国入りも視野に、国際社会にドイツの存在感をアピールする狙いがあるとみられる」というコトなんですが、これ、裏を返せば、「多額の義捐金は国際的なアピールになる」というコトに他ならないですよね。
 つまりですね、今まで日本が色んな国に対して多額の義捐金を出してきたというコトも、世界的に見ればとても大きな意義のあるコトであり、日本の地位向上にとても役立っていたと言えるのではないでしょうか。
 
 と思っていたら、今度はオーストラリアが820億円の支援をするというニュースが入ってきました。
 まぁ半分は有償と言うコトですから、総額で書くべきかどうかはアレではあると思うのですが、これもやはり国際的アピールというコトなのでしょう。
 
 冒頭にも書きましたように、日本人はお金を出すというコトに対して、頭ではいいことだと思っているのに、どこか心の中では後ろめたいような感情を持ってしまっています。
 しかし、このように世界各国は、いかに多くのお金を出すか、そしていかに額を多く見せるか、さらにはどうやって外国の足を引っ張るか(韓国)というコトを考えているのです。
 一昔前まで世界情勢は、いかに武力を増やすかというコトが一番の課題で、武力があればあるほど国力があるとされていました。
 それは世界大戦が終わっても、冷戦という新しい戦争の中でさらに加速され、そしてベルリンの壁が崩壊した後も、しばらくそのような空気は残り続けました。
 だけど、今回のスマトラ地震の一連の各国の動きを見てみると、そんな時代に比べればお金の価値がとても上がっていると言えばいいのでしょうか、武力ではなく、お金を持っているコトが国のステータスになっていると言えるようになってきているのではないかと思うのです。
 
 当然これは日本にしてみれば歓迎すべき風潮です。
 日本は早い時期から、軍事ではない、経済こそが力になると方向転換をして今までやってきました。
 さらに言えば、今の日本は軍隊に対してもかなり寛容になりつつあります。
 イラクに自衛隊を派遣したという前例を作ったおかげと言えるでしょう、今回の災害に対しても初めてイージス艦などを救難救助のために送りましたし、また800人程度の自衛官を復旧支援のために送るコトを日本政府は調整しているようです。
 多分日本人が思っている以上に、これらの活動は現地や世界に対して、とても高い評価を得ているのではないのでしょうか。
 
 ドイツも国連常任理事国入りに向けていろいろと思うところがあるようですが、それ以上に日本の評価は高いようです
 一部の嫉妬に狂ったアホ国は除いてですね、この方向を間違いなく進めば、もっと日本は世界に対してイニシアティブを握れるようになるのではないでしょうか。
 そして一番大切なのは、このような現実を、日本人自身がしっかりと認識するコトだと思います。
 せっかくの行動も、日本人自身がそれを知ろうとしないのでは効果を上げられません。
 謙遜は確かに日本人の美徳ではありますが、誇りに思うことも大切ですし、むしろ誇りがあってこそ謙虚さというモノも生きるのではないかと思うのです。
 
 自信と誇りは他人から与えられるのではなく、自分から得るモノなのです
 自衛隊などの人的援助をするコトも素晴らしいコトですし、もちろんお金を送ることも立派なコトなのですから、堂々と日本人は誇り自信をもって、世界に対して接していくべきなのではないでしょうか。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日本の地位向上を応援しています。
 

平成17年1月10日

 「フィギュア萌え族」とやらを考える(1)

 
 YO!!
 
 なんですか、その出だしは。それはともかく、TricksteRさんがリンクしてくださったそうですよ。
 
 OH!!
 
 だからなんなんですかそれ。それはともかく、こんなコメントいただきました。

 「軍隊所持支持派のやえ先生。敵も多そうなこういうサイトも好き。」

 えーと、敵が多いのはあまおちさんであり、やえじゃないです。特に女性や幼女の敵です。危険です。ヤバイです。誤解無きようそこのところよろしくお願いします。
 
 Ouch!!
 
 
 
 では今日の話題行きましょうか。「フィギュア萌え族」についてです。
 
 この話題ならばオレが出ないわけにいかんだろう。やえだけで扱える代物ではないからな。
 
 それはあまおちさんがフィギュア萌え族だからですか?
 
 そうそう。わたおに萌え〜〜〜・・・って何言わせるんじゃい。
 
 最近ノリツッコミ好きですね。
 
 ・・・。
 
 
 
 さて、ここで何を考察するかと言えば、この「フィギュア萌え族」と楓ちゃん事件の犯人とををどうしてもイコールで結びつけたい人や風潮に対して、それはどうなのかという事を考えていきたいと思う。前置きしておくが、楓ちゃん事件は一般的に奈良小1女児殺害事件と呼ばれているが、正直言って昨今似たような事件が多すぎで、地名だけで事件を呼んでいたらどれがどれだか分からなくなってしまうので、敢えて「楓ちゃん事件」と呼ばさせてもらう。 
 では、まずはこの「フィギュア萌え族」という妙ちくりんな言葉を生み出した、ジャーナリストの大谷昭宏氏の話を見てみることにしよう。

 対話も感情もない「萌え」のむなしさ― 犯人、楓ちゃんをフィギュア化 ―
 
 もちろんいまの段階で犯人の動機は不明である。だが、私はこれらの状況からどうしても最近気になっていた「萌え」という現象を思い起こしてしまう。
 
 なぜ萌えというのかは、諸説あって不明だが、要は若者たちが生身の人間ではなく、パソコンの中に出てくる美少女たちとだけ架空の恋愛をして行くというのだ。そこにある特徴は人間の対話と感情をまったく拒絶しているということである。少女に無垢であってほしいのなら「キスしたい」という呼びかけに「ワタシ、男の人とキスしたことがないから、どうしていいのかわからない」と答えさせ、その答えに満足するのだ。自分の意に沿わない答えや、気に入らない少女の心の動きは完全に拒否する。(中略)
 
 もちろんまだ犯人像が絞れないいまの段階で、今度の事件の犯人を直接、この萌え現象と結びつけることはできない。ただ、解剖結果から誘拐直後に殺害しているということは、犯人は一刻も早く少女をモノを言わないフィギュアにしたかったことは間違いない。その上でフィギュアになった少女の写真を母親に送りつけ、ここでもまるでモノをやり取りするかのように「娘はもらった」という言葉を使っている。これまでの誘拐犯なら「娘はあずかった」だ。
 
 もう一点、犯人は少女を浴槽のような水を張ったところで水死させている。この殺害方法だと、少女をまったく傷のつかないフィギュアにできる。いや、少女の体には無数の傷があったではないか、という反論があるかも知れないが、それこそが犯人の異常性。少女を水死させることで無傷の状態でフィギュア化し、思いのまま傷つけるのは、自分でなければ気がすまなかったはずなのだ。
 
 まさにそこには、人間としての対話も心の動きもまったくない、無機質なモノしか存在しない。そんな犯人がつかまったところで、その犯人に両親の悲しみ、世間の怒りが通じるだろうか。

 ちょっと引用が長くなってしまうのが申し訳ないが、大谷氏が抱いている「フィギュア萌え族」の印象を知っもらうためには、その部分は全て読んでもらわんといかんから、長い引用にせざるを得ないのはご了承願いたい。
 
 しかし、これ、「フィギュア萌え族」でないやえから見てもスゴイですよ。なんて言いましょうか、見事な偏見のお手本というか、憎悪の固まりというか、白人が見た“未文化人”の感想みたいな感じを受けますね。
 
 『そこにある特徴は人間の対話と感情をまったく拒絶しているということである。少女に無垢であってほしいのなら「キスしたい」という呼びかけに「ワタシ、男の人とキスしたことがないから、どうしていいのかわからない」と答えさせ、その答えに満足するのだ。』これなんて印象操作も甚だしいんだよな。「キスしたい」云々の話からどうなれば『人間の対話と感情をまったく拒絶している』に繋がるのか分からんのだが、これゲームとか同人誌の事を多分言っているのだろうが、しかしそういう物を否定するのであれば、全てのフィクションとそれを嗜好する人間は『人間の対話と感情をまったく拒絶している』事になるだろ。
 
 
そうですね。フィクションなんですから、そこに顕れる人物のセリフは、結局は作者や読者が望むような行動やセリフを口にするワケですからね。そうするコトによって、「おもしろい」とか「感動した」とか、気持ちいい感情を引き起こすモノがフィクション創作物なのですから。読んでいて気持ち悪いだけなら誰も買いませんからね。
 
 そこにある特徴は人間の対話と感情をまったく拒絶しているということである。探偵に有能であってほしいのなら「犯人はお前だ」という呼びかけに「な!!・・・どうして私が犯人なのだ。そう言うのであれば証拠を出せ」と答えさせ、「もちろん証拠はそろっている。順を追ってみなさんにお見せしようではないか」というやりとりに満足するのだ。
 
 フィクションの人物に感情移入したらそれは全て「人間の対話と感情をまったく拒絶している」コトになっちゃうんですね。
 
 大谷氏がフィギュア萌え族を差別したいのか、それとも犯罪の“真犯人”を作り出したいだけなのか知らんが、一見するともっともらしい事を言いながら、デタラメな理屈を並び立てるのはやめてほしいところである。
 もう一つ、大谷氏の「フィギュア萌え族」に対する偏見記事があるので引用しよう。

 趣味と犯罪の境界 社会が決めるべき― 「フィギュアマニア」に改めて思う ―
 
 この欄でも私は事件について再々、怨恨などではなく、異常な少女性愛者による犯行ではないかと書いて、近ごろ特に目につくいわゆるフィギュアマニアや萌え族と言われる一部の人たちの嗜好に対して疑問を呈してきた。
 
 逮捕された小林容疑者もやはり携帯電話には、幼女の裸体の写真や動画が数十枚も入っていたと言われるし、その類のビデオも多数押収されている。ほら、言った通りだ、と言いたいのではない。
 
 ただ、私が事件直後からそうした性愛を容認するどころか助長するような社会に歯止めをかけるべきだとコメントしてきたところ、その手の嗜好を持つ方たちから事務所あてに抗議の電話やメールが殺到。加えて配達証明つきの公開質問状まで送りつけられてきた。この点についてはっきりさせておきたい。
 
 もとより私は人の趣味は自由だと思っている。だが、公開質問状での「その類の嗜好についてきちんと取材したのか」という指摘を待つまでもなく、実際に大阪の日本橋など、マニアが集う場所も取材してみたし、インターネット上でのやり取りも見せてもらった。そこにあったのはここで書くのもはばかれるような幼女や少女を性的に弄ぶというよりは、加虐的、嗜虐的な傾向の強いものだった。(中略)
 
 だけど世の中にはさまざまな人がいる。みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない。そうである以上、なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか。もし、欧米であのような劇画や動画を流したとしたら、厳しい懲役が待っている。
 
 今回の事件で被害にあった女児は一体、自分に対して何が目的で、あのような目にあわされたのか、まったくわからないまま亡くなって行ったのではなかろうか。社会がそんな被害を未然に防ぐために努力するのは、いわば当然のことではないのか。
 
 それでも彼らは人の趣味趣向に言いがかりをつけるなと言い張るのだろうか。警告を発する者には一方的に質問状を送りつけるのだろうか。
 
 利己と、自己しか彼らの目には映らないようになっているとしか私には思えない。
 

 さらに長くなってしまった事をお詫びしつつ、ではいろいろと問題点を指摘していこうか。
 
 はいはーい。あまおち先生。多分この人『ほら、言った通りだ、と言いたいのではない。』と言いつつ、そう言っているとしか思えないんですが。
 
 オレもそう思うぞ(笑)多分大谷氏は手柄を立てたいんじゃないのか。「フィギュア萌え族」という言葉を作って、犯罪者を「萌え族」に仕立てれば、自分は「萌え族犯罪」の権威になれる、とでも思っているのだろう。
 
 そのために必死になって「萌え族」と小林容疑者を結びつけようとしているんですね。
 
 こいつ全然フィギュア持ってなかったのにな。
 
 そういうこじつけがこのような矛盾を生んでいたりします。大谷氏は上の引用の方で、『解剖結果から誘拐直後に殺害しているということは、犯人は一刻も早く少女をモノを言わないフィギュアにしたかったことは間違いない。』と、長井秀和バリに間違いないと断定されておられるんですが、実際のところは、楓ちゃんを誘拐しその後いたずらしようとしたけど噛みつかれて抵抗されたから殺した、というコトらしいのです。これでは相手が女児だっただけで、普通の婦女暴行の末の殺人事件となんら変わりませんね。
 
 フィギュアも持っとらん。少女をフィギュア化しようとしていたわけでもない。これのどこが「フィギュア萌え族」の犯行なのかね?シッカリと説明してもらいたいものだ。
 
 この調子では、どんな婦女暴行殺人事件でも、被害者が未成年者ならなんでもフィギュア萌え族のせいにされそうですよね。
 
 もう一つ大谷氏の矛盾を指摘しておこう。と言うか、そもそも「フィギュア萌え族」などと訳の分からないグループを作ってカテゴライズするのも乱暴な話なワケだし、さらにそれを犯罪予備軍なような言い方をするのも、これはとんでもない暴力的な話だ。
 大谷氏の発言をまとめると、「フィギュア萌え族」は『ここで書くのもはばかれるような幼女や少女を性的に弄ぶというよりは、加虐的、嗜虐的な傾向の強いもの』を嗜好する人間であり、『みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない』から、『なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか』と言う。そしてそれに反論しようものなら『それでも彼らは人の趣味趣向に言いがかりをつけるなと言い張るのだろうか。警告を発する者には一方的に質問状を送りつけるのだろうか』と言いがかりとか一方的だとかレッテルを貼り、『利己と、自己しか彼らの目には映らないようになっている』と決めつけのような批判をしているのだ。
 この論理の乱暴さはなんだと言いたい。
 
 つまり、フィギュア萌え族の趣味というのは、とてもじゃないけど公の場では書けないような変態的なモノばかりで、現実と非現実を区別できない人間がいるから弾圧するコトが必要である、と言っているんですね。それに反対するコトは「ワガママ」でしかない、と。ものスゴイコト言いますね。この人。
 
 でも、これがな、ふと大谷氏の昔の記事を読んでみると、全く矛盾した事を言っていたりするんだよ。ちょっとこれ見てみ。

 小6殺人の原因探しにメディアが行きついた先
 
 なんだかメディアは意味のない“犯人探し”をしているように思えてならない。長崎県佐世保市で起きた小学生女児殺害事件で私も駆け足で現場を取材してきた。
 
 これまでメディアは特異な少年事件が起きる度に「法律」か「病気」か「社会」か「家族」に責任を負っかぶせて、なんとなく納得してきた。だが今回、私も加害少女の周囲を取材したが、自宅はウグイスが鳴く静かな山間の集落。両親も祖母も、ともに働き者のごくごく普通の家庭の女の子だ。さあ、原因探しのメディアは困ってしまった。(中略)
 
 そこでメディアが一斉にとびついたのが少女を取り巻く社会環境、とりわけインターネットの社会だ。たしかに今度の事件では少女同士がネット上でいがみ合い、相手のネット上のキャラクター、アバターを消したり「アラシにあった」などの書き込みをしている。毎日の6月3日付朝刊「子供社会をネット侵食」をはじめ各紙がこれでもかとばかりに書いた通り、事件の背景にネットがあったことは確かだろう。
 
 しかしそのことが即、殺人にまでつながるのか。同じ紙面で毎日は「国のe-Japan計画により、'02年度には99.5%の公立学校にパソコンが設置された」と報じている。もしネットが事件の原因だとするなら、同種事件は頻発していなければおかしい。
 
 さあ、そこでいよいよ困ったメディアが行きついた先がお得意の家族、それも母親に責任をかぶせた、母性に原因を求める母源である。母親が強引にミニバスケット部をやめさせたことが原因だというのだ。「部活巡り思い込み 言動荒れる契機に」(6月7日付読売朝刊ほか)。バスケ部をやめさせられたからといってなぜ同級生殺しになるのか。どう考えたって無理がある。こうしたメディアの強引な犯人探し≠ヘむしろ滑稽に見えてくる。
 

 この大谷って人は、オレが記憶しているだけでは左巻きの人物だと思っていたんだが、ここに書いてある記事は、全く持って異を唱えるところがない、まさに「その通りだ」と言うべき論である。この記事には全く反論は無いんだが、しかしそれに比べて「フィギュア萌え族論」のくだらなさはどうだ。それこそ『こうしたメディアの強引な犯人探し≠ヘむしろ滑稽に見えてくる』のではないのか?
 
 犯人探し論で語っているような冷静な分析をされていれば、フィギュア萌え族論なんて出てこないハズですよね。だって『しかしそのことが即、殺人にまでつながるのか。同じ紙面で毎日は「国のe-Japan計画により、'02年度には99.5%の公立学校にパソコンが設置された」と報じている。もしネットが事件の原因だとするなら、同種事件は頻発していなければおかしい。』という論と全く同じで、フィギュア萌え族が一般のワイドショーなんかで取り上げられるぐらいになっているのですから、同種事件はもっと頻発していなければおかしいコトになるのではないでしょうか。しかし、えっちでよくないビデオとかDVDとかを押収したという話ならよく聞きますが、未だにわたおに等のようなフィギュアが押収されたという話は全く聞いていません。
 
 そもそも男の部屋を家宅捜索したら、エロビデオやエロDVDなんて絶対出てくるってーの。確か植草教授の時にも言ったが、こんな事言い出したらな、オレの知り合いに、家にエロDVDが大量にありすぎて置けなくなったからコレクションの一部を中古屋に売って、そのお金でさらに新しいエロDVDを買っているなんていうふざけたヤツがいるんだが、こいつ捕まったら「エロビ萌え族」なんて言われるのか(笑)大谷氏はもうご老齢だからもはやエロには興味なくなってしまったかもしれんが、どうせ若い頃には多かれ少なかれエログッツ持ってただろうに。まさに滑稽極まる。
 
 『だけど世の中にはさまざまな人がいる。みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない。そうである以上、なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか。』とおっしゃるのであれば、これはなんにだって言えるワケですよね。そのえっちでよくないビデオとかもそうですし、例えばお酒でも同じコトが言えるワケです。「えっちでよくないビデオを1本買うためには住所氏名を届け出なければならない」とかですね、「居酒屋にはお店の規模に応じて飲酒監視員をおかなければならない」とかですね、すればいいんですよ。「お酒10杯以上飲んだ人は、監視員詰め所に連絡して帰るまで監視員が同行しなければならない」とかすれば、お酒による犯罪も相当数減るんじゃないでしょうか。
 
 大谷氏は、組織的犯罪対策法、いわゆる盗聴法にものすごく反対している人なんだが、しかし「フィギュア萌え族」であるというだけで規制が必要と主張するんだったら、盗聴なんてバンバン賛成しろっての。それで犯罪が減るなら問題ないだろって。
 
 どうしてココまで見境がなくなってしまっているんでしょうね、大谷さんは。
 
 
 (つづく)
 

平成17年1月11日

 思想と命はどちらが大事?

 
 途中でとぎれる形になっちゃうんですけど、ちょっときをふしさんのところで気になる記事を見かけたもので、こういうモノは生ものですから早めに取り上げようと思った次第です。
 『「フィギュア萌え族」とやらを考える』の続きはまた明日アップいたします。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 まずはこちらのサイトさんの記事をご覧下さい。

 次のスピーチは「命を大事にしよう」という、長崎の小学生同士の殺害事件や、奈良のまたしてもオタクどもの評価を落とすようなことをしでかしてくれた輩に対するアンチテーゼで行こうと12月最初から考えておりました。
 「価値観の上では自分・他人含めて命がトップに来るはずでは・・・?だから、自分・他者の命の大事さを見直そうじゃないか」と言う意見で、スピーチを構築しているのですが「思想のためなら命をも捨てます」という性質の自爆テロを引き合いに出されるとスピーチ自体が潰れかねないのでその反論を考えていました。
 (中略)
 という事で、ブログを読んでくれている人にこの事についての意見を求めます。質問内容は「あなたにとって、思想は自分の命よりも大事なのか?また、思想のために命を捨てると言う行為はどのようにあなたの目に映っているか?」というものです。

 このご質問に対し、やえの意見を述べさせていただきます。
 
 まずはですね、この「思想は自分の命よりも大事なのか?」という質問には、前提条件の整備をする必要があると考えます。
 というのも、この質問は、ある二つの事柄を比べるワケですから、その両者のバランスによって、質問の回答がとても変わってしまうからです。
 そして、天秤に乗っている一方の事柄である「命」、言い換えるなら「死ぬコト」に比べてですね、もう一方の「思想」というのが、あまりにも抽象的すぎるんです。
 
 思想と言えば、やもすればとても大層な事柄と見てしまう人もいるでしょう。
 「すごく偉そうな賢そうな難しい政治とかを考えるコト」というような感じのコトを「思想」と呼んでいる人がけっこういるんじゃないかと思います。
 そしてもし「思想は自分の命よりも大事なのか?」という場合の「思想」を、難しい意味での「思想」とするのであれば、それはやっぱり、多くの人が「命」の方に重きを置くコトでしょう。
 「自分は無思想だから」と言って「だから命の方が大切」と言う人もいますが、この場合はほぼ「思想」=「難しい政治のコト」という方程式が成り立っているんだと思います。
 やはり今の日本人において政治に対する関心はとても低いモノがありますから、「思想」=「政治」は「命」より優先度が低くなっても不思議ではない話です。
 
 もちろん、これはこれで「思想は自分の命よりも大事なのか?」という質問のひとつの答えだと言えるとは思います。
 しかし、これでは天秤に載せている二つの事柄のバランスがあまりに悪いんじゃないかとやえは思うんですね。
 と言うのも、「命」の方の選択肢は、「それとも死にますか?」という選択肢なワケですから、これは本来非常に極端な例なのです。
 昔「究極の選択」という言葉遊びが流行りましたけど、命をかけるのですから、まさに究極の選択なのです。
 ですから、天秤の反対側に置かれる質問も、「死ぬコト」と同等ぐらい究極的な事柄を置いてこそ、はじめて「思想は自分の命よりも大事なのか?」という質問が生きるのではないかとやえは考えるのです。
 
 例えば、やえは自分のコトを「思想アイドル」なんて言ってますけど、どこかの出版社が「本を一冊書く機会を与えてあげよう」なんて言ってきたとします。
 やえとしましてはこれはとてもうれしい申し出なワケです。
 しかし、「ただし、日本のことを素晴らしい国だと言ってはいけない。中国のコトを褒める記事を書きなさい。そうすれば出版させてあげよう」と出版社が言ってきたとします。
 これは選択ですよね。
 すなわち、「思想は、自分のお金もしくは自分の出世などよりも大切なのか?」という質問になると思います。
 天秤の両軸には「思想」と、「お金」もしくは「出世」などといった事柄が乗るワケです。
 こうなればやえは「思想」を取るでしょう。
 そこまでやえの思想を根本的に変えるような条件には、とてもじゃないけど乗れません。
 
 しかしですね、この思想の条件が変われば、また話も変わってきます。
 「ただし、小泉さんを褒めるような記事は書かないでくれ。そうすれば出版させてあげよう」と言ってきたとします。
 これならやえは考えます。
 別にやえは小泉さんを褒めるために文章を書いているワケではないですし、小泉さんのコト以外にも、いっぱい書きたいコトはありますから、別にそれぐらいは問題ないワケです。
 また別の機会で触れることも出来るでしょう。
 つまり、この場合ではやえは「思想」よりも、「お金」もしくは「出世」などといった事柄を取るコトになると言えます。
 
 このように、天秤の一方の事柄が変わるだけで、質問の答えは180度変わってきます
 ですから、はじめに言いましたように、「思想は自分の命よりも大事なのか?」という質問の「思想」というモノを、どのような具体的な事柄にするのか、ここが非常に重要だと考えるのです。
 
 
 前置きが、とんでもなく長くなってしまいました。
 
 一方が「命」つまり「死ぬコト」と、かなり極端な事柄であるコトを考えれば、思想側もそれなりの事柄を持ってくる必要があると考えます。
 最初に引用した「とある人間のマニア部屋」さんの記事を拝見すると、「思想は自分の命よりも大事なのか?」という疑問が頭に浮かんだキッカケは、自爆テロにあるようです。
 ですので、自爆テロのコトを考えてみるコトにしましょう。
 
 イスラム辺りの人が、自爆してまでテロリズムを行おうとした理由はなんだったのでしょうか。
 それを思想と言ってしまうと、間違いではないかもしれませんが、しかしその思想の意味を「とても偉そうな賢そうな政治とかを考えるコト」という意味の思想と考えてしまうと、これは違うと思います。
 本当の理由は、もっと単純且つ、とても身近なところにあるのではと考えます。
 
 例えば、いきなり日本に外人が攻めいってきて、「今からお前達はオレらの奴隷だ。クツを舐めろと言ったら舐めろ。メシも豚のエサで十分だ。娘も恋人もオレによこせ。ついでにお前のケツの穴も差し出せ。そうやって家畜以下の存在になれば生かしてやろう」と言われたらどうするしょうか。
 これでも、「とにかく命あってのモノダネだから、生きるコトを選ぶ。家畜以下でも命を選ぶ」と言うでしょうか。
 
 やえは、日本人はここまで堕してないと思っています。
 そこまで言われるのであれば、勝てなくても、例え命を落とすことになろうとも、戦う道を選ぶのではないでしょうか
 
 「思想」とは、そういう意味も含まれているのです
 人間が人間らしく生きるコト、近代的に言えば「人権」と言うのでしょうけど、つまりこれは思想そのものですよね。
 ですから、この場合の意味での「思想」という言葉であるなら、「思想は自分の命よりも大事なのか?」という質問には、「思想の方が大事」と答える人の方が多いのではないかとやえは思います。
 
 「今からお前達はオレらの奴隷だ〜〜」という例えも極端だと言う意見もあるかもしれませんが、しかしアメリカ軍が犯した蛮行は、まさに文字通りのコトをやってしまいました。
 ちょっと前に、イラクの収監所で、アメリカ軍の女性兵士が自慢げに丸裸にしたイラク人の横で写真を撮って問題になりましたように、しかも女性兵士がイラク人男性をレイプしたという話もあったぐらいで、もちろん逆もあったでしょう、それぐらいのコトをアメリカ軍はしてしまっているのです。
 それを考えれば、今の例が決して極端だとは思いませんし、天秤のもう一方の事柄である「死ぬコト」と比べても、決して極端とは言えないと思います
 
 もちろん価値観は人それぞれですから、程度によっていろいろと答えも変わってくるでしょう。
 イスラム教には、死んだら可愛い処女十数人とチョメチョメできる、とかなんとかいった考え方があるみたいで、それも自爆テロに影響しているとも言われています。
 アメリカ軍の攻撃によって家族がみな殺されてしまった人もいるかもしれませんし、信仰がとても厚くて異教徒であるアメリカ人に自国土が蹂躙されるのが耐えられなかった人もいるかもしれません。
 いろいろな理由があるとは思いますが、こういうのも、「命より思想を選択した」と言えるのではないでしょうか。
 
 結局、「思想は自分の命よりも大事なのか?」という質問に対しては、「思想」という言葉がどの程度の事柄を指し示すのかによって変わってくる、という、あまり面白味のない答えになってしまいます。
 しかしやえは信じています。
 少なくとも日本人であるなら、「家畜以下の存在」は選ばないと、「命」よりも「思想」を選択する気概を日本人は持っているハズだと、やえはそう思うのです
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、思想を応援しています。
 

平成17年1月12日

 「フィギュア萌え族」とやらを考える(2)

 
 いやあ、いい買い物したよー。おかげでサイフの中がうぎゃーなんだが、心は潤ったどー。
 
 はぁ。なに買いました?またフィギュアですか?
 
 NOー。偏見(・A・)イクナイ。これ買ったんだ。これ。
 

 天野喜孝画集<空> ― THE ART OF FINAL FANTASY
 
 本画集は4冊分冊+フリップブックを、天野氏の書き下ろし作品を使用したレザー張りのケースに収納した豪華仕様となります。
 画集として、「ファイナルファンタジー」のタイトル順に作品を3冊に分けて収録。
 そして天野氏へのインタビュー、ニューヨーク・東京のアトリエ紹介、バイオグラフィーなどの読み物・資料を1冊にまとめた、計4冊で構成されています。
 さらに、書き下ろしのフリップブック(ぱらぱらマンガ)付き。ページをめくるたびに、天野喜孝のイマジネ[ションが無限の『空』へと広がります。

 
 おー。これ(・∀・)イイですね。あまおちさんのくせに
 
 なんだそののび太のクセにのような言い方はー。しかしこれ(・∀・)イイだろ。しかもだな、上のリンクのアマゾンによると、すでに新品は完売していて、中古のプレミアがついていて39,800円にもなっているんだ。
 
 おー。一万円も高くなっているんですね。
 
 しかもしかも、オレはアキバのアソビットでたまたま見つけたんだが、そこでは2万3千500円で売ってたんだよ。買った時はこの本がプレミアついていたなんて知らなくて、天野さん&ファイナルファンタジーっていうコトだけで即買いしたんだけど、もうね、大満足だったよ。こんないい買い物もそうはないぞ。
 
 はー。それはそれは、なんかオチのつけようのないぐらいいい話ですね。
 
 ・・・なんだオレの話は必ずオチが無いといかんのか・・・。
 
 
 
 さて。では話を「フィギュア萌え族」にもどしましょうか。
 そもそも「フィギュア萌え族」なんてひとつに括ってしまうというのもどうかと思うんですが。
 
 犯罪なんつーものは、ある程度の人数がそろっている上での少数に押しつけるのが一番やりやすいからな。しかも一般的認知度が低くて、どこかあやしいとか危険とかいう先入観があるような集団が最適。大谷氏が自分で言っていたように、ネットとかバトルロワイヤル愛読者とかな。
 
 一昔前は「全部社会のせいダー。盗んだバイクで走るんダー」というのが流行っていましたけど、フィギュア萌え族とかネットとかというのはちょっとだけ具体的になっただけで、しかし基本的にはほとんど変わってないですよね。
 
 いやあ、こっちの方がタチがわりぃよ。社会のせいだーって言うだけなら誰にも迷惑かけないけど、まぁ問題をうやむやにするという意味では果てしなく迷惑だが、しかしネットとかフィギュア萌え族とか曲がりなりにも固有名詞出すんだから、そのカテゴリに属してしまうような人間にとっては迷惑きわまりない。
 
 自分に関わらなければ、他人なんていくらでも攻撃できちゃいますしね。
 
 だいたいにして、オウム真理教に対して破防法をかけようとしたときに、なんか知識人達の間で大反対キャンペーンが貼られて、結局破防法はかけられなかったわけだが、しかし大谷氏の言うように「フィギュア萌え族」に対して規制しようという事は、それは破防法よりもさらに厳しい弾圧をしようという事なんだから、これは本来凄い事なんだよ。大谷氏だってオウムへの破防法適用は反対だったクチのはずなんだがな。
 
 あまおちさんはオウムへの破防法適用は賛成でしたよね。その辺のかねあいはどうお考えでしょうか?
 
 まず、「フィギュア萌え族」なるものが、オウムとかと同じような「団体」と言えるのかどうか、まず言えないわな。別に名簿作って会費集めて集会開いているわけじゃねぇんだから。ただ趣味が似通っているという人たちを適当にまとめてそう呼んでいるだけだ。酒を飲む人のことをまとめて「飲酒族」とか言ってるようもんでな。
 
 オウムは明確に団体ですね。出家までして集団生活しているんですから、これほど明確な団体もないんじゃないでしょうかと言えるぐらい団体ですね。
 
 そう。しかもサリン事件はオウムが団体として犯した犯罪であるわけで、団体そのものが犯罪のために存在していたと言っても過言ではない。もちろん発足した当時の目的は違ったんだろうが、団体のために団体単位で犯罪を犯した時点で、その団体は犯罪団体である。これは日本赤軍とかと変わらないな。日本赤軍だって、そもそもの目標とするところはテロルにあるんじゃなくて、共産革命家なんかにあったわけだからな。そういう意味で、犯罪団体は団体としての罰を受ける必要がある。ハッキリ言えばその団体は解散すべきだ。犯罪を犯すために団体を作ることなど認められる事ではないからな。
 
 だからオウムへの破防法は必要だったんですよね。
 
 当時の有識者共は、「将来にわたっての危険性はもうない」とかぬかしとったが、んなもん分かる人間なんているわけねーだろって。お前はノストラダムスかって話だからな。将来の危険性のために破防法をかけるんじゃなくて、すでに犯罪団体になった団体を解散させるために必要だったんだよ。将来のためではなく、起こした事件に対しての破防法だったわけだ。
 
 なるほど。つまりフィギュア萌え族に対して「規制が必要」と言う発言は2つの点において問題があるワケですね。一つはフィギュア萌え族は明確な団体ではないのにその全てに規制をかけようとしている点。もう一つは、将来の危険性に対して規制をかけようとしている点、ですね。
 
 その通りだ。可能性だけで人の言動を規制するというのは、民主主義においては最もやってはならない事の一つのはずだが、ジャーナリストであるはずの大谷氏にはそれも分からなくなってしまっているようだ。そして自分には全く関係ない適当な集団をでっち上げて罪を全部なすりつけて問題を解決しようとしているその態度は、都合が悪ければなんでも全部「右翼」と言って済ませようとする連中となんら変わらないのではないのか。おっとこれでは左巻きの大谷氏に対しては批判にならないかな。
 
 正直言いまして、マスコミっていうカテゴリでくくった方が、人間性が出ていそうですけどね。そしてろくでもない人間が多いのも確かですし。
 
 報道被害を無くすためにつくろうとしたメディア規制法には、バカみたいに血眼になって反対するくせにな。
 
 それこそ『みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない』から『なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか』ですよね。
 
 言い出したらきりがないんだよな。タクシーなんつーのも無くせば事故無くなるぞ。でもこんなこと言ったらタクシー運転手や関係者に文句言われるから誰も言わないんだろ。タイムリーな話でいけば、新聞配達員も相当危険なんじゃないのか?拡張員なんてヤクザそのものだしな。外人だってそうだ。中国韓国人あたりを全部国外退去させれば犯罪は減るぞ。どうしてこう主張しないんだ?
 
 結局「可能性だけで規制する」というコトがいかにあやういコトなのか、みんなわかっているんですよね。
 
 そして、こんな事を言い出したら、いつか自分にも同じような言いがかりがかかってくるという事ぐらい、普通の人でもわかるわな。可能性は無限大なんだからな。
 
 しかし大谷氏は、フィギュア萌え族と勝手に呼んでいる人たちを可能性だけで規制しろと言うワケです。これはオウム真理教に対する処遇よりもさらに酷い弾圧をしろって言っているワケですから、ひどい話ですね。
 
 フィギュアが好きなだけで、麻原信奉以下と言われるんだから、世も末だな。
 
 
 
 (つづく)
 
 

平成17年1月14日

 「フィギュア萌え族」とやらを考える(3)

 なんだか、NHKに安倍さんとかが圧力かけたとかで問題になってますが。
 
 それって、いつの話だよって言いたくなるんだがな。だって2001年の話だろ?オレ覚えているけど、当時も同じように言いがかりつけられてたぞ、安倍さん。で、結局事実無根だったって結論が出たのに、なにまたいまさら難癖つけているんだっての。
 
 しかもNHK自身が否定しているのに、アサヒだけが騒いでいるんですよね。みっともなったらありませんね。
 
 しかもいつものように野党が尻馬に乗っているだろ。もうアホかと。管かと。
 
 担当プロデューサーという人も、泣けば理屈が通るとでも思っているんでしょうかね。小学生じゃあるまいに。
 
 結局このアホ、NHKの会長を攻撃したいだけなんだろ。こんな事いっとるし。しかしその手法がウソだらけというのは、むしろマスコミ人としてどうなんだ。これこそ「報道テロ」だよな。
 
 そもそもお金を着服していたのは会長じゃなくて職員ですしね。これがNHKの体質なんでしょうね。 
 
 
 
 では最後に、「フィギュア萌え族」というか、オタクと呼ばれる人や界隈に対して、コメントをお願いします。例えばこちらの方では、「大谷氏なんて無視しておけばいいのに、噛みつくから騒ぎが大きくなるんだ」なんて言っておられたりしていますが。
 
 まぁ、論拠薄弱な誹謗中傷はスルーっていうは、ネットでは常識になっている手段ではあるがな。そういう自衛策もあるんだろうが、しかしそれはちょっと受け身過ぎるからな。成功するればいいんだろうが、失敗したら後悔しか残らんよな。
 
 つまり、黙っているだけでなく、自ら行動し、批判に対して反論すべし、というコトですか?
 
 やらないで後悔するよりはやって後悔した方が気持ち的にも違うと思うしな。まぁそれよりもだな、オレは思うんだが、そろそろオタク的にはな、決断の時が迫られているんじゃないかとオレは思うんだよ。
 
 と言いますと。
 
 例えばさっきのサイト、この人有名人だから名指しするけど、唐沢俊一氏は『有効な戦法はただひとつ、ゲリラしかない。地下にもぐれ。世間に自分の正しさをいいつのるな。こっそり隠れて、地道に密かに、自分たちの萌えを満足させろ。表ではそしらぬフリをしろ。そして、風を読め。吹きすさぶ向かい風のときは腰をかがめろ。追い風になってはじめて、帆を広げろ』と言っているんだがな、しかし果たして地下に潜ることは可能なのか、そして追い風が吹く時が来るのか、その辺は疑問だな。だからな、オタクは決断すべきなだよ。ここまで一般的なメディアに秋葉原の様子とか映し出されて、注目されはじめている。多分この傾向は加速するだろう。オタク自身の数も増えるはずだ。だから、一般と交わる覚悟が必要なんだと思うんだよ。
 
 唐沢俊一氏と全く反対の考え方ですね。
 
 つーか、地下に潜れるんだったらそれでもいいんだけどな。でももう無理だと思うんだよ。特にオタク文化というのは一過性の流行だけでなく、もう何十年も続くサブカルチャーだからな。だからオタク文化も一般的な文化と同じように、日本の社会として共存するような形を取る必要があるのではないかと。
 
 共存するためには、やっぱり事を荒立てない方がいいという意見もあるんじゃないんです?
 
 もちろんオタク側(と言うのもなんかアレだが)から事を荒立てる必要は無いんだろうが、しかし差別に対してはキチンとNOと行っておく必要はあるんじゃないのか。それで騒ぎが大きくなって、偏見を持っていない人にもさらに偏見が拡大するというおそれも確かにあるが、しかしその時点で偏見を持つヤツは、やっぱりいつかは偏見を持つような人なんだよ。それだったらな、それよりもちゃんと正論を言って、それを理解できる人に理解された方がよっぽどかプラスなんじゃないのか。理解できないヤツはどうやっても理解できないんだから、理解される人がいるんじゃないかっていう可能性を捨ててまで説明をしないという方法をとるのではなく、理解できないヤツらの事はいないモノと考えてだな、理解できる人を一人でも増やす努力をした方が建設的なのではないだろうかと思うわけよ。
 
 確かに「事を荒立てるな」と言って裏に消えてしまったら、「やっぱりあいつらは異常だから逃げたんだ」と言われてしまうかもしれないですよね。
 
 まぁ、そう言うヤツはどうやっても言うんだがな。だからもう言うヤツはほっとくと。−1が−5になろうともマイナスには変わりないからもういいと。それよりはプラスの人を一人でも多く増やした方がオタクのためになるだろうと。地下に潜ってしまっては、プラスになりそうな人がいたとしても、何も反論がないんじゃプラスになりようがないからな。
 
 なんか情報戦みたいですよね。南京虐殺問題とか従軍慰安婦問題とかがあったとかなかったとか、結局声の大きい方が勝ってしまうみたいな。
 
 村崎氏は『今は耐えろ、大丈夫、世間というものの最大の弱点は飽きっぽさと記憶力の無さだ。嵐はそういつまでも続かない』と言っているが、それこそ楽天的すぎるとオレは思う。反論しない事は認めると同意義にとられてしまう。例えばさっきやえが言ったように国際的な情報戦とかな。それから国内でも例えるならば、「官僚」。もう今の日本では官僚のイメージはどうしようもないところまで来てしまっているのは説明するまでもない事だと思うが、しかし本来は非常に有能な人たちが大部分を占めるんだよな、官僚って。でもマスコミとかの官僚叩きには反論しなかったために、というより本来手足にすぎない官僚という存在は、世に向かって反論出来るシステムにはなっていないために、もはや官僚のイメージは地に落ちてしまった。今オレは「本来は非常に有能な人たちが大部分を占めるのだが」と言ったが、おそらくこれに猛反発する人がほとんどではないだろうか。このように、まさに批判に対して反論しなかったために起きてしまった悪イメージのお手本のような形になってしまったわけだ。
 
 政治家は反論できますもんね。でも官僚は本来は判断というコトをしてはいけない存在ですから、官僚だけが反論することはまずないと。政治家さんが反論してあげればいいんでしょうけど、逆に政治家までが官僚を批判してしまって人気取りに利用する始末ですからね。
 
 オタクのイメージがここまで落ちてしまってもいいのかと。いくら官僚がどれだけ一生懸命働いているかいろいろな事例を出しながら説明しても、もはや「官僚が有能なわけないだろ」の一言で、事例や説明など全て吹っ飛ばして、ほとんどの人が納得してしまような有様になっているのと同じように、「小林何某というアホの犯罪者と一緒にするな。ヤツは全然オタクではないじゃないか」と言っても、「はっ。オタクが何やったって犯罪予備軍だろうが」と一蹴されてしまうような風潮になりたいのかと。
 
 そうなってしまったら終わりですよね。
 
 しかし、今ならまだ間に合う。いま世に広く伝わらなくとも、反論しておけばいつかそれが実を結ぶ時も来るだろう。今回のは確かに所詮性欲がすでに失われてしまっているもうろくしたジジイの戯言でしかない。だからこそ、今回の騒ぎに対してはキチンと反論しておき、今後また似たような事件が起きた時のために抵抗力を付けておくのが良いだろう。いざという時にノーガードだと致命傷になるからな。
 
 こういうのは積み重ねという部分もありますしね。
 
 そうそう。理解できるヤツは理解できるんだから、声を挙げておく必要も意味もあるだろうよ。
 
 まぁ、唐沢俊一さんのおっしゃるコトも一理あるとも思うんですけどね。
 
 ただな、オレは思うんだが、やっぱり「正論を言っても無駄なんだから言うな」って言ってしまうのは、ネット思想家を名乗っているオレからしたらな、やっぱり肯定は出来ないわな。唐沢氏だって言論を生業としているんだから、堂々と正論言えって。「無駄だから言わない方がいい」って言ってしまうのは、言論の人間が言うセリフじゃないだろって。
 
 ああ、それは、そうですね。どんなに伝わらないと思っても、自分の誠を主張するのが思想家であり言論家ですからね。北朝鮮問題も沖縄の問題もアメリカの問題にも、独自軍隊を持てば大きく改善できると、いくらやえは主張してもなかなか世間には伝わらないですけど、でもやえはそれが正しいと信じているからこそ、そう主張しているワケですしね。もちろん伝えようとする努力は必要ですが、あきらめてしまっては何もならないですからね。
 
 思想家や言論家が正論言えなくなったら終わりだろうにな。世の中には何言ったって理解できないおつむの弱い人がいるっていうのは、この手の事をやっていればどうしてもぶち当たる壁であり、理解しておかなければならない事ではあるんだが、だからといって正論をやめたら、今まで自分がやってきた事はなんだったんだって事になるだろ。そうではなくてな、ちゃんと理解してくれる人もいると信じて、常に正論を言うと。
 
 そうですね。ほとんど事実無根の言いがかりな誹謗中傷には正論で反論するコトが一番ですよね。逃げ回ってなし崩しに一般の人に理解を得てもらうのでは、それではいつまでたってもシコリは残り続けるでしょうから、言うべきコトは言うべきですね。
 
 だから今回の騒動でここまでシッカリと反論出来たのは良かったんじゃないかとオレは思う。大谷だって言論家としての良心はあるだろうから、表ではいくら強がってもだな、本心では「さすがにまずかったな」ぐらいに思っているんじゃないんだろうか。逆に言えば、そう思っているから逆ギレしているワケでな。だから「オタク達よ一致団結せよ」なんてする必要はないだろうが、声を挙げ続けるという行動は決して無駄ではないだろう。また同じようなことがあれば、それぞれ信じる行動をすればいいんじゃないのか。
 
 そうですね。完全に大谷氏の言い分が論破されているというのは、良識のある人が見れば一目瞭然ですしね。
 
 
 
 
 以上で今回のお話は終わりなのですが、次回は、この関連でミーガン法について語ろうと思います。
 
 さすがにこの問題も、オレがいないとアレだからな。やえはアレでも女だから、なかなか感情的な部分もあるからな。
 
 ミーガン法については一回だけで終わる予定ですので、あまおちさんが出てくるのがどうしても耐えられない方も、もうちょっと我慢してください(笑)
 
 ・・・そこまでしてオチつけたいのかああああぁぁぁぁぁ
 

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