☆やえニュース☆

JR事故について所感教育を語ってみましたイラクと中国のテロル小泉メルマガレビュー

平成17年5月9日

 JR事故について所感


 やっちゃいましたー。
 完全にゴールデンウィークを満喫しちゃいましたー(笑)
 阿蘇山に行って来ましたー。
 きゃーーーーーーーーーーーー。
 いえーーーーーい。
 ひあうぃーごーーーーー。
 どんどんどーん。
 ぱふぱふー。
 
 
 ・・・はぁはぁはぁ。
 
 
 勢いでごまかそうとしました。
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 GW中特に大きな事件があったというワケでもなく、ほとんどJRの事故一色だったように思うのですが、なんでしょうか、正直言いまして、どうもマスコミの報道の仕方というか、国民の関心の方向が違うところに行っちゃっているような気がしてならないのです。
 マスコミの暴走気味の過熱報道、自分が被害者であるかのようなJRの罵声インタビューなどは、すでに他のサイトさんが取り扱っていますし、あれにはさすがに一般の人も首を傾げているみたいなので、特にやえが言及するコトもないと思うのですが、そもそもの関心を持つべきところがどうも最近ズレてしまっているんじゃないかなと感じているのです。
 なんて言いましょうか、とりあえずJRを叩いておけばいいという、それだけしか目に入っていないような今の雰囲気には、果たして本当にそれだけでいいのか、とても疑問しか感じないのです。
 
 例えば、そもそもこの事故はどうして起きたのかというコトを考えた場合、どうも出てきている情報をよく合わせて考えてみると、やはり運転士の資質というか技術が一番問題だったのでないかと思います。
 いまの雰囲気では、JRの過密スケジュールが問題だったとか、そういう方向にばかり目線と批判が集中してしまっていますけど、でもよく考えてみてください、そもそもオーバーランするというコト自体はこれはもう運転士の技術の問題以外何者でもないハズなのです。
 あせった結果数メートルオーバーランしてしまったというのであれば多少は分からなくもありませんが、しかし数十メートルもオーバーするというのはそれはもう異常でしかなく、これはもはや技術的に運転士が問題だったと言うのが、ごくごく自然な流れのハズです。
 オーバーランした結果とてつもないスピードを出してしまったのだって、これもやはり技術の問題です。
 確かに、後から罰則のような「日勤教育」というモノをおそれてスピードを出さなければならないと強迫観念が引き起こされたのは事実でしょうけど、しかしそれも常識的に考えたら、自分が死んでしまうぐらいのコトをするというのは、本来とても異常な話なのです。
 
 自分で置き換えてみてください。
 約束の時間が過ぎていて上司か誰かに怒られるからといって、自動車の運転のアクセルをいつもよりは深く踏むでしょうけど、それでもカーブを曲がりきれるかどうかぐらいの判断は誰だってつきます。
 たまにはそれが事故につながる場合もあるでしょうけど、しかしその場合にしてみても、第一義的な事故の責任は運転手自身に問われるコトになるでしょう。
 さすがに事故したのはお前の責任だと、急かした人間に罵声を浴びて腹を切れと言わんばかりに詰め寄る人はいないと思います。
 「安全より利益を優先した」とかキャッチフレーズのように何度も何度もこの言葉が最近使われていますが、どこの世界に「死んでもいいから時間をあわせろ」なんて考えている人間がいるというのでしょうか
 内部文書かなんかで、「安全運転より利益を上げろというのが先にきていた。あきらかに利益優先で人命をおろそかにした」とかいう批判もあるみたいですが、事故を起こさないというのはこんなの当たり前すぎる話であって、F1レーサーだって事故するぐらいなら負けても致し方ないとするのは当然な話であって、勝つためにやっているF1レースのコトを「利益優先だ」とか言うのはやはりズレていますから、やはりどこか根本的に常識を逸している批判がいま行われているのではないかと、やえは感じているのです。
 
 運転士は死んでしまいましたから、運転士自身を批判するのに気が止めるのでしょう。
 だからその分、批判しやすいJRという会社に怒りが向かっているのだと思います。
 しかし少なくとも当事者でない人間は、冷静に、なぜこの事故が起こったのか、どうすれば二度とこのような事故が起きないのか、そういうコトをいま考えなければなりません。
 遺族と一緒に感情的にわめき散らしたところで何もなりません。
 ですから、運転士に非があるのであれば、その非は冷静に指摘しておく必要があるのです。
 
 最近靖国関係の問題で「日本は死者にムチ打つ文化はない」というコトが言われていますが、確かにそれはその通りなのですが、しかしそれは「臭い物にフタをする」という意味では決してありません。
 死んでしまった以上責任を取れとは言う必要はないでしょうが、しかしここが悪かったここはダメだったというコトに関しては、正しく指摘し批判するのは当然の筋です。
 死んでしまったからといって、的確な冷静な批判すらもしてはいけないという文化など、日本にはありはしません。
 最近ここを勘違いしている人が多い気がします。
 
 やはり今回の事故については、運転士の資質の部分で明らかに問題があったと言わざるを得ないでしょう。
 今日の朝のニュースでも、事故した電車は、事故を起こした直前の駅だけでなく、その前の駅でもその前の前の駅でもオーバーランをしてしまっていたという事実があったと伝えていました。
 つまり、自分のミスでオーバーランを繰り返し、その結果急がなければならない事態を自分で作ってしまったワケでして、そして大事故を起こしたのですから、やはり事故の最も負わなければならない責任は運転士本人にあるとするのが、普通の見方なのではないかと思うのです。
 もしその恐怖の「日勤教育」の存在によって、今回事故を起こした運転士だけでなく全ての運転士が同じようにみな、3駅ほぼ連続オーバーランしていたというのであれば、確かに日勤教育に原因があったかもしれないという仮説は成り立ちます。
 しかしそうでない以上
、オーバーランという事象があくまで技術的な問題であるのですから、それを繰り返していたという運転士の技術と資質をまず問うというのが、一般的な常識からしてスジなのではないかとやえは思うのです。
 
 そういう意味から、まずは運転士の資質とその技術を問うような批判がまずこなければおかしいと言えるのではないでしょうか。
 
 もちろん、このような運転士に運転を任してしまった、運転士として採用してしまったという、監督者としての責任は確かにJRにはあると思います。
 そういう批判なら正当だとは思います。
 しかしこのような批判はいまは全然聞こえてきませんね。
 
 例えば車両の構造自体に問題があるというのであれば、それはそこが一番問題でしょうし、批判されるべき点でしょうから、もし今後検証でそういう部分が出てきたとしたら、そうなるでしょう。
 それと同じように、今の段階では運転士に問題があったと言わざるを得ないのですから、本来はそこを問う必要があるハズなのです。
 そして、その運転士を中心とした問題改善の視点を持つのが普通であって、すなわち、新人研修のプログラムは適切であるかどうか、またそのプログラムでまだ技術に不安がある場合どう補填していくのか、さらには研修が終わった後に問題が見つかった場合どう指導しまたは部署移動を含めた改善していくのか、そういう部分を見直す必要がまず先決なのではないでしょうか。
 
 やはりどこか順番を間違えている気がしてなりません。
 
 確かにJRというか電車業界の体質は問題の部分がかなりあると思います。
 それは以前あまおちさんも、「自分で信号などの事故してダイヤが乱れているのに駅員は逆ギレ気味に対応する」とか言ってたように、目的が「お客様を運ぶ」のではなく「電車を動かす」という事自体になってしまっているような、つまり手段が目的化してしまっているワケです。
 そういう内側にしか目を向けられなくなってしまっている体質は改善させる必要があるでしょう。
 しかしそういう事故と直接の関係にはないJRそもそもの体質に対する批判と、今回の事故に直接関係する批判とをごっちゃにするのは間違いです。
 リンクする部分はもちろんありますが、それが全てではないのは明らかで、一義的な問題と責任は体質の問題のところではないのですから、そこは理性的にキチッと分けて考え、そして批判していくべきところは理性的に批判していくべきでしょう。
 ここを分けずにごっちゃなまま話が進んでいくと、結局どっちも中途半端に、しかも感情的な罵声のような批判しか残らず、まったく無意味に終わってしまいます。
 しかもさらにはそういう空気に簡単に流されて、自分が何をしているのかまったく理解していない馬鹿者達も多く生まれてしまっています
 これも全て、安易な空気を作り、無批判に支配されるがままになってしまっているせいです。
 何が問題なのかひとつひとつ冷静に理性的に指摘していくコトこそが、今後の再発防止につながるのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、支配される空気を応援しません。
 

平成17年5月10日

 教員のサラリーマン化


 突然ですが、日本人がイラクで拘束されたというニュースが今日飛び込んできたワケですが、これを、どう考えるべきでしょうか?
 
 んー、この捕まった人、斎藤昭彦っていう人だっけか、この人、軍人だろ?元自衛官で、元フランス軍外人部隊の小隊長で、現イギリス警備会社で武器携帯を認められているバリバリの軍人じゃないか。もうこういう人は規格外なんだから、特段とりたてて騒ぐこともないだろう。
 
 軍人といえども日本人ですが。
 
 まぁその一点だけで日本政府が動く理由にはなるが、だからもちろん全力を尽くすべきなんだろうけど、でももし拘束されてしまった責任はどこにあるのかと考えた場合、もちろんテロリストどもは言い逃れのない悪ではあるが、その次にはイギリス政府、もしくは仕事の元請けであるアメリカ政府にあるだろうな。あまり日本には関係ない事件だ。
 
 その警備会社にしてみても、アメリカ政府と契約する際には、死亡する可能性や拉致される可能性についても、おそらくキチッと文書にてなんらかの保証などの契約が交わされているでしょうしね。そもそもイラクで軍事行動するのが仕事なのですから、それを想定していないワケがありませんからね。
 
 斎藤氏がいま何を考えているのか分からんが、軍隊において最も「捨て駒」にされる、しかも世界に名高きフランスでの外人部隊に身を投じていた、しかも20年間も、そんな氏なのだから、覚悟という部分はあったんじゃないのか。助ける行動をするなとは言わないが、端的に言えば「二次被害」が起こる危険性を賭けてまでは救出活動をする必要もないだろうよ。
 
 こう言うのもなんですが、好きで戦場に行ったのですから、その進退も本人に任せるべきなのかもしれませんね。
 
 だって、例えば“非軍隊”である自衛隊が軍人である斎藤氏を救出しました、なんて事になったら、これほどミスマッチはねぇよなぁ。まぁ自衛隊はそんな事できないが。そもそも氏は自衛隊のぬるま湯では満足できなかったからこそ日本を飛び出したんだろうから、いまだって日本政府という言葉すら氏の頭にはないかもしれんぞ。
 
 でもこの人すごい経歴の持ち主ですよね。カッコイイですねぇ。
 
 時々こういう危険と隣り合わせな場所でないと生きていけない人っていうのはいるみたいだからな。
 
 もう中毒みたいなモノらしいですよね。
 
 まぁなんだ。こういう素晴らしい技術を持っている人こそ日本で活躍して欲しいと思うが、いかんせん、軍隊が日本には無いし、さらに戦場に行くこともまずないときたら、しょうがねぇのかなぁ。氏はフランス外人部隊でも教官をしていたという話もあるぐらいだから、生きて帰ってきたあかつきには自衛隊をビシバシしごいてほしい気もする。
 
 あと、この事件の対応に当たる、日本政府の方々には、ご苦労様ですと言いたいですね。
 
 そうだな。ま、まだまだ情報がなさすぎだから、また何かあれば扱おうじゃないか。
 
 はい。
 
 
 
 
 という事で、長い前書きだったが、オレである。あれだな。GW明けの今週ほど働くのがだるい週はないな。リハビリをかねて今週は平日3日ぐらいにすべきだうん。
 
 学校もお休みですか?
 
 子供は勉強しれ。
 
 えー
 
 なんだ、最近は「ゆとり教育」を文科省が撤回したとかなんとかでちょっとだけ話題になっとったが、しかしオレから言わせてもらえれば、日本の学力が落ちたとか言われている昨今の原因を全て文科省の「ゆとり教育」にスケープゴートしているようにしか見えないんだよな。
 
 と言いますと?
 
 そもそも政治なんていうものは、国民の世論を後追いするのが常、というよりは、国民の意思を反映するのが政治なのであるから、反映する=後追いするのは当然の話であってな、これもやはり「当時の空気をすぐ忘れる」という話だが、当時は「詰め込み教育は良くない」というのが一般的な世論だったわけだ。それを体現したのが「ゆとり教育」だってわけで、これは世論が望んだことなんだよな。
 
 そもそもゆとり教育だって、基本的な構想は、別に「授業数を減らして子供に楽をさせよう」というモノではなかったハズですよね。
 
 そうそう。マスコミがそこしか伝えなかった、例えば「円周率が3になる」とか「台形の面積の求め方を教えなくなる」とか「3桁のかけ算は教えなくなる」とか、そういう伝え方しかしなかっただけでな、しかし「教えてはいけない」なんてどこにも書いてないわけで、その子供のレベルに応じて出来る子にはどんどん上の事を教えてもいいわけだ。というより、教えるべきの話でな、それは現場の一人一人の教員が子供一人一人を見極めて教育していくべきだったんだよ。
 
 でも教員にそれだけのスキルが無かったと。
 
 あと親もな。結局親は学校に子供を丸投げしたいだけ。教員はサラリーマン化して紋切り型の授業を淡々とこなしたいだけ。口だけでは「個性を伸ばす教育を」と言いながら、行動の方では全ての人間が「子供を一人一人見つめる個性教育」なんてしたくなかったと、そんなのはめんどくさいと。こういうオチだったわけだ。
 
 ひどいのになりますと、運動会とかのかけっことかの、順位を付けずゴール前で一列に並ばして一斉にゴールさせるようなコトをやっているようなバカ教育も、ゆとり教育が生み出したモノだとか言っている人もいますもんね。筋違いもいいトコですが。
 
 こういう歪んだ風潮が、日本の教育をダメにしている根本なのに、それを政治のせいにしても、むしろ歪んでいる連中を喜ばせるだけなんだがな。それに気づいていない。しかも歪んだ連中も一緒になって「ゆとり教育はダメだ」とか言い出して、責任を転嫁している。もう全てダメダメだ。
 
 民主主義のこわいところは、歪んだ考え方でも、それが多数になってしまえば政治は後追いしなければならないというところなんですけどね。
 
 批判すべきところを間違えれば、取り返しのつかない事になるのに、それがわからんヤツが多すぎるな。
 
 では、現状を変えるためにはどうしたらいいのでしょうか。
 
 結局システムだけをいくらいじってもダメなんだよ。いいシステムがあっても、それを運用する人間がダメなら、なにやったってダメ。いいもの食っても栄養を運ぶ血が悪ければ病気になるのと同じ。教育の場合その「血」は何になるかと言えば、そう、教員だ。教員の意識を変えなければ、いくらシステムをいじってもダメなんだよ。サラリーマン化してしまっている教員を、聖職者たる人間を育てる教育者として自覚を持たせなければなにも変わらないんだよ。
 
 最近多くの日本人がサラリーマン化してしまっているんですよね。昨日のお話のJRですとか、警察もそうですし、教員なんて本当にサラリーマン化の典型になってしまっています。何のために仕事をしているか忘れてしまっているんですよね。目の前の仕事を片づけることが職責ではないハズです。「電車を動かす」のが仕事なのではなく「お客様を運ぶ」のが仕事。「職務質問をする」のが仕事ではなく「住民の安全を守る」のが仕事。「足し算を教える」のが仕事ではなく「人間を育てる」のが仕事。しかし今はみんな手段が目的化してしまっているんですね。
 
 いまなんか、講演が有料だったから出演拒否したとかなんとかで話題になっている「夜回り先生」の水谷氏だが、確かにこの人は素晴らしい。ここまでを全ての人が出来るとはとてもじゃないが思えないが、しかし昔の日本って程度の差はあれ、こういう先生っていっぱいいたと思うんだけどな。
 
 この人がここまでピックアップされているコト自体が、そういう先生がいなくなってしまっている証拠なんでしょうね。あとなんでしたっけ、「ヤンキー先生」とかですね。
 
 まぁ彼らが言っている事には半分以上は賛同は出来ないんだが、しかし行動している内容はやはり素晴らしいモノがあると思う。ヤンキー先生の方は、もう名前からしてどうも調べる気にはならないんだが、水谷氏の方は、筋は通している部分は多いしな。オレは、なんだ、「自由の森学園」の体験があるから、この手の考え方は正直嫌いなんだが、しかし「子供に対して自分の人生を賭けて正面から向き合う態度」というものは、どんな考えにせよ必要なものであり、そして今一番それが失われているわけだ。水谷氏に関しては「子供に対して自分の人生を賭けて正面から向き合う態度」という部分に対してとても素晴らしいと思うんだよな。どんな考え方を持とうとも、この部分が無ければ教育者としていくら高説をぶったところで全然ダメだし、ちょっとアレな考えであったとしても、この部分があれば救われる子供は少なからずいるという事なのだろうよ。
 
 自由の森学園については、この前掲示板に元学園生の方もいらっしゃっていましたね。
 
 うむ。定期的に当サイト、というかオレの該当部分の文章を見つけるみたいだ。大昔の文章なので恥ずかしい限りなんだが、しかしもう一度キチンとした形で文章を書き直したいと思ってはいる。
 
 教員の質をどうするか、これは難しい問題ですね。 
 
 例えば、研修期間を数年つくるとかな、あと思い切った発想としては、スーツ組と制服組とわけて、理論と実践をわけるとかな。理論と実践が一緒になっているから、日教組のような勘違い組織ができあがるわけで。理論と実践がそれぞれの立場で対立し議論して切磋琢磨すれば、よい結果が得られるようになるだろうよ。
 
 いまの文部科学省と教員は、全く別モノになってますもんね。
 
 使い回されているセリフだが、日本は人こそが資源なんだから、もっとこの件に関しては国民的議論をすべきだな。
 
 
 
 で、今日はオチ無しですか?
 
 オレは芸人じゃないんだから、毎回毎回オチなんてつけられんわい。
 
 えー、みんな期待してますよー?
 
 期待ってなんだ。だいたいオチっていつもオレがどつかれて終わりじゃないか。・・・はっ、それを期待しているのかっ。
 
 というワケで、殴られるようなコト言ってください
 
 ・・・えーっと、それはなんか理不尽じゃないか?
 
 はーい。つべこべ言わないでください。言わないならそのまま殴りますよー
 
 ひ、ひどい、人権委員会に訴えてやるニダ。お前が女性専用車両でおにゃのこのお尻を触りまくっているって通報してやるっ。
 
 はーい。どーーーーーーーーん。
 
 ぎゃーーーーーーー
 

平成17年5月11日

 イラクと中国のテロル


 このようなニュースが入ってきました
 とりあえずは時間がしばらく出来たというコトだけは確かなのでしょう。
 しかし前チラッとお話ししました法務部会は通っているのかいないのかという噂ですが、やはりこの辺はどちらでも取れるような感じになっているのではないかと思われます。
 この記事を見ても、政調会長や部会長、調査会長など執行部の話し合いの結果によってはそのまま通っていく可能性もあるワケでして、なんて言いましょうか、どう転ぶかは全く予想できないところに今あるという感じなのではないでしょうか。
 もし今の国会が会期が延期されなければ、もはや今国会での成立は不可能です。
 しかし郵政の関係で長期延長される可能性もあるワケで、そうなればまた情勢は変わってきますから、注目していく必要があると思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 日本人の軍人さんがイラクで拉致されてしまったというコトは、昨日の更新でチラッと触れましたが、言うまもありませんが、諸悪の根元はテロリスト共です。
 拉致というモノは、最も忌むべき犯罪行為であって、そこにどんな理由があろうとも、この行為を肯定するコトなど出来ません
 ましてテロルというのは、見返りの要求に対して、それを履行する権限を持っていない当事者でない人間をターゲットにするという、卑怯きわまりない犯罪であり、まさに異論を挟む余地のない大犯罪です。
 決して許してはならない行為です。
 
 しかしそれなのに、こと問題がイラクになると急にそれが分からなくなってしまう人が増えてしまうというのが不思議なところであったりします。
 イラク国民を標的にしたり、女子供を標的にしていたりするのにも関わらず、一部の人は「それは国を思ってのレジスタンスであり、全てはアメリカが悪いんだ」とか言い出したりしているワケです。
 どうもこういう人たちは、「国のため」という理由を付ければ、それで全て免罪符になるとでも思っているらしく、どんなに無差別殺戮をしたところで国のためならば全て「立派な戦士」に脳内変換されるようです。
 
 ところで、やえは最近「国のため」と言いながら、バカ丸出しで大暴れしていた人たちを見た気がするんです。
 その人達は大集団で群がり、外で火を燃やしたりお店を襲撃したりその辺の車を破壊したりして、しかもそれらの標的は自国民が経営しているお店だったり自国民が乗っている車だったり、やりたい放題なワケです。
 そして一躍有名になった名セリフ「愛国無罪」
 その御旗の下、全く罪の意識の無いまま、破壊活動を繰り広げました。
 
 そうです。
 中国のコトですね。
 
 中国のアレは、一般的には「デモ」とか「暴動」とか呼ばれていますが、しかしテロルとは、自分たちの主義主張を無理矢理通すために、その主張を履行できる当事者でない人に向かって暴力をふるい、相手を脅すという行為なのですから、それに照らし合わせて考えれば、中国の暴動は明らかにテロルです。
 そして、もちろん、この中国のテロルを肯定する人などまずいないですよね。
 「暴動は批判されるべきだが、その行動には日本に原因がある」とかワケの分からないコトを言う人でも、「それはつまり日本が悪いから暴動を肯定するコトですか?」と聞いたら「そうではない。暴動は許してはならない」と、支離滅裂なコトを言うワケですが、とにかく中国の暴動を肯定する人は、例え5バカレンジャーとかそれを支援していた市民“極左”団体と言えども、まず日本にはいないと言えるでしょう。
 
 でもおかしいですよね。
 イラクも中国も同じようにテロルをしているのに、その評価の仕方が全く違ってしまっているのです。
 どちらもテロリスト本人は「国のため」と信じて暴力活動をしているのに、イラクは善で、中国は悪だなんて、こんなダブルスタンダードな話は無いですよね。
 
 敢えて違う点を見いだそうとするのであれば、テロルの対象が日本人であるかどうか、でしょう。
 イラクの場合はアメリカに向かってテロルっているワケですが、中国のテロルは日本に向かってテロルっているワケです。
 つまり日本人からしたら、イラクのテロルは「他人事」
 一方中国のテロルは「当事者」と、この差があるとワケです。
 
 よって、イラクのテロルは肯定していたのに中国のテロルは否定する人っていうのは、自分に利益があるかどうかという理由だけで物事を判断しているのだと思われます。
 つまり、自分に関係の無いことなら、とことん無責任になれてしまい、想像力も働かないので、結果的に自分に都合のいい解釈ばかりを適当に無責任に放言するワケです。
 イラクの場合では、アメリカが嫌いとか、軍事・戦争が嫌いとか、自衛隊が嫌いとか、そんな自分の主義主張のために、テロルというモノの本質を全く考えずに、都合よく解釈していたワケなのです。
 いくらイラクのテロルを肯定したところで、自分の身には全く関係が無いのですから、どこまでも無責任に賛成できてしまっていたのでしょう。
 
 しかしここで、自分がテロルの標的にされたのです。
 中国のテロルでてすね。
 標的にされて初めてテロルの恐ろしさ、理不尽さが理解できたのでしょう
 今までイラクのテロルを肯定してきた人でも、さすがに中国に対しては非難をしているようです。
 多少まだボケている人もいるみたいですが、しかしイラクのテロルよりは確実に悪だと理解していますよね。
 
 だけど、それにしても勝手なモノです。
 他人への暴力は肯定しておいて、自分への暴力だけは否定しても、それはただのわがままであり、そこに説得力などありはしません。
 でも、最近こういう人が多いような気がします。
 他人に向かってははどこまでも無責任なコトを言っているのに、いざ自分が同じコトをされると180度主張を変える
 政治の問題でも経済の問題でも社会の問題でも、「自分勝手」な主張は最近いたるところで見かけられてしまっています。
 
 もうちょっと責任をもってもらいたいモノだと、イラクと中国のテロルひとつとっても、やえは思うのです。
 

平成17年5月12日

 小泉メルマガレビュー


 小泉内閣メールマガジン 第187号 ========================== 2005/05/12
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 戦後60年
 小泉純一郎です。
 出張中のモスクワで9日の夜、日本時間では10日の未明、日本人がイラクの武装勢力により襲撃され行方不明になっているとの情報が入り、直ちに事実関係を十分に把握して対処するように指示しました。
 斎藤さんの安否については、引き続き全力をあげて情報収集に努め、必要な対策を講じてまいります。
 
 やえです。
 今日はちょっと時間がありませんので、小泉さんのレビューだけとさせていただきます。
 で、斎藤氏のお話ですが、今の段階ではこの前更新したコト以上のコトは言えません。
 敢えて言うなら、関係者の方々がんばってください、というコトぐらいでしょうか。
 
 イラク人自身が自らの政府を作ろうと努力しているときに、それを妨害しようとして武装勢力がテロ攻撃に走るという厳しい状況にありますが、こうした妨害に負けることなく、イラクに民主国家を作ろうというイラク人の努力に国際社会が協力していかなければならないと思います。
 
 この前お友達に聞かれました。
 
 「なんでイラクのテロリストは、同じイラク人を殺すの?それにどんな意味があるの?結局何がしたいの?」
 
 その問いに対してやえは次のようにしか答えられませんでした。
 
 「やえも聞いてみたいです」
 
 推測するのであれば、イラクで新しい統治が成れば、もはや自分たちの部族が力を持つコトが出来なくなるので、それを邪魔するために治安を悪化させている、ひいては自分たちの部族の力を誇示している、というコトなのだろうと考えられます。
 フセインの時代は、フセインの政治が素晴らしいかったというのではなくて、フセインの力が強かったから他の部族の力は押さえられていたというだけで、そしてイラク戦争によってその力がなくなったからイラクは群雄割拠の世界に入ってしまった、と、こんな感じで言えば分かりやすいでしょうか。
 そして新しい政府というのは、アメリカの外の力を利用して権力争いに勝った、というだけのコトです。
 例えば、つい最近までの昔の日本を除くシナ周辺国では、シナ国に取り入って、その力をバックに自国内の権力を握っていたワケですが、イラクではそれが今まさに起こっているだけなのですね。
 変な話、ある部族に「権力を与える」としてしまえば、今まで散々外国人を拉致したり虐殺したりしていたとしても、その瞬間、その部族は即座にテロルをやめるコトでしょう。
 ですから「なぜテロルするの?」と聞かれても、もはや「そういうイラクというのはそういう国なんです」としか言いようがないのではないかと思います。
 
 日本の自衛隊は、サマーワで、市民からの歓迎と信頼を得て人道支援、復興支援活動を続けています。これは大変貴重な仕事です。厳しい環境のもとで汗を流している自衛隊員の諸君に、心から敬意を表します。
 
 で、そんな権力争いには興味のない人たちっていうのは、まさにいい迷惑なワケでして、ですから、そういう人たちには自衛隊の活動はとても助かっているのではないかと思います。
 隊員の方々も大変だとは思いますが、どうぞ頑張ってくださいね。
 
 この連休中は、インド、パキスタン、ルクセンブルク、オランダを訪問しました。
 インドとパキスタンには、総理大臣として訪問するのは初めてでしたが、どちらも大変親日的な国です。ニューデリーでは、日本語も学んでいるという市内の中学校を視察しましたが、日本人の先生は一人もいないというのに、生徒たちの日本語はとても上手で、インドと日本の歌や踊りで歓迎してくれました。
 
 一部の売日マスコミの中では「アジア=中国・韓国のみ」になっていて、アジアの国々は日本に警戒感を持っている、とか言ってますが、そろそろそんな妄想も限界だと思います。
 日本では未だに「中国13億人の市場」とかいう中身のない幻想を抱いている人がいますが、それだったら「インド10億人の市場」でも全然問題ないワケです。
 でも、気づきたくないのか気づいていないフリをしているのか、妄信的に中国に尻尾を振り続けるんですよね。
 インドの方がこれからの成長が期待できますし、しかも反日にしがみつかなくても成り立っていける国ですから、インドの方がよっぽど充実した「10億人」だと思います。
 
 パキスタンのイスラマバードの空港では、大勢の人が沿道に集まって歓迎してくれましたが、馬が足に鈴をつけて踊りながら歓迎してくれたのには驚きました。
 インドではカラーム大統領、シン首相と、パキスタンではムシャラフ大統領、アジズ首相とお会いし、アジア地域の平和と発展、日本とインド、パキスタンとの友好関係の一層の増進、そして国連改革などについて協力していくことに関して、話し合うことができました。
 
 インドとパキスタンは仲が悪いですからね。
 近い国同士というのはどうしても仲が悪くなりガチですから、多少離れた国同士の方が仲良くできたりするモノです。
 で、そんなインドとパキスタンにとって、日本というのはもっとも都合のいい国になるんじゃないかと思います。
 両国による核開発合戦の危険性がある中、日本は核兵器も持っていないというコトもありますしね。
 
 インドもパキスタンもこれから大きく発展する潜在力、可能性のある国です。両国との友好の絆をさらに強め、両国の発展に日本もできる限り協力していきたいと思います。
 
 はい。
 まさにその通りです。
 もう韓国ブームなんてどうでもいいですから、インドブームでも起きないですかね。
 親善大使にどうですか?>ナンチャンさん
 
 ルクセンブルクは、ドイツとフランス、ベルギーに挟まれた小さな国ですが、一人あたりの国内総生産(GDP)は世界一(約5万ドル)という緑あふれる豊かな国。断崖に囲まれた城塞都市国家が国の始まりだそうです。日本の総理大臣がルクセンブルクを訪問するのは今回が初めてだそうです。
 ルクセンブルクでは、アンリ大公との夕食会、ユンカー首相との会談のほか、今年前半はルクセンブルクがEUの議長国ですので、バローゾEU委員長も含めて、日本とEUの定期協議を開きました。
 
 豊かな国なんですねぇ。
 ルクセンブルクは、歴史的には大国に挟まれての色々な過去を持つ国のようですが、EC・EU共に設立当初から参加していたりして、現在ではそれなりの地位をヨーロッパでは確立しているのではないかと思われます。
 主な産業はサービス業で、特に金融業が中心なんだそうです。
 ルクセンブルクの日本語の正式名称は「ルクセンブルク大公国」であり、大公を戴く立憲君主制です。
 大公には行政権もあるそうです。
 外務省のサイトによれば、「両国の皇室・大公室関係は緊密」だそうで、そもそもこういう方々がいらっしゃるという信用度というようなモノは、やはり何者にも変えがたいモノがありまして、ですから、両国の友好にとってはこれ以上無いの大きな接点だと言えるでしょう。
 なんだか「ルクセンブルク」という名前もカッコイイですし、とても興味をひかれますよね。
 
 その日の午後にはオランダに飛んで、江戸時代に日本に滞在したシーボルトがすんでいた記念館でバルケネンデ首相と会談し、ハウステンボス(森の中の家)という名の王宮でベアトリクス女王に謁見しました。
 いずれも短い滞在でしたが、実り多い訪問をすることができました。
 
 おつかれさまでした。
 ところで、小泉さんもおっしゃっていますように、これは当たり前と言えば当たり前なのですが、常識的に言って、行政権の長はあくまでそれだけに過ぎず、王族の方が身分が上でありますから、日本国内閣総理大臣と言えどもベアトリクス女王に対しては「謁見」になりす。
 一段下に小泉さんが降りているワケです。
 これは日本人独特の謙譲するというコトではなくて、例えば小泉さんとブッシュの場合であれば、「会う」とか「会談する」とか、同等の立場の言い方をしますよね。
 でも他国の王族(もちろん自国の王族に対してでも同じですが)に対しては、いち行政権の長という身分であれば、やはりひとつ下の立場になるワケです。
 これは自国に王族が存在しない国でも同じコトでして、アメリカ大統領でも、ベアトリクス女王に対しては「拝謁」となります。
 もちろん日本国の王族である天皇に対しても同じです。
 これは国際的にも常識なのですが、しかしそれが理解できないみたい一部の頭がちょっとアレな東アジアの一部の国が存在したりしていますよね。
 まぁ頭がアレですから仕方ないんですけど。
 でも国際マナーぐらい守った方がいいと思うんですけどねぇ。
 
 今週前半は、モスクワで開催された第二次世界大戦終了60周年記念式典に出席しました。5月8日、9日を「追悼と和解の時」とするという国連総会決議を受けて開催された式典で、私も世界各国のリーダーたちとともに、戦争の犠牲者を悼み世界平和を祈りました。
 
 え?
 条約を守れないような国でなにをやっているんだと思ってしまうのですが、なんの冗談なのでしょうか。
 小泉さんもつきあいがいいですね・・・(苦笑
 
 また、会議の合間をぬって、ロシアに抑留されている間になくなった日本人が埋葬されている市内の墓地にお参りしました。
 
 こっちが本命だったのでしょうか。
 
 戦後60年、この間日本は平和国家として発展するとの決意のもとで、経済大国になっても決して軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力によらず平和的に解決する国であり続けてきました。平和への日本の思いは、この行動によって明確に示されてきたと思います。
 戦後の日本の発展は、国民一人ひとりの努力はもちろんのこと、国際社会からの暖かい支援があったからであることを忘れてはなりません。日本は、世界の国々の信頼を大切にし、友好関係を築きながら、日米同盟と国際協調を外交の基本として、国際社会の一員としての責任を果たしていきたいと思います。
 
 いつもの小泉さんの“公式見解”です。
 思想的にはいろいろと思うところはありますが、現在の国内世論を全体的に見れば、政治的にはこれぐらいで致し方ないのでしょう。
 もうちょっと胸を張れるような演説を日本の総理大臣が行えるようになるよう、早い日本の世論の成熟を願っています。
 
 先月末のインドネシアでのアジア・アフリカ首脳会議に始まる今回の一連の海外出張で得られたのは、会議や式典の成果だけではありません。暖かく迎えてくれた各国のもてなしや、忙しい会談や行事の間に見ることができた美しい風景、訪問先々で出会った人たちの笑顔は、国際社会と連携しながら平和を守っていく新たな決意と力を与えてくれたように思います。
 
 例え数時間だけでも現地に行って現場に行くだけで、机上だけで得た知識の何倍もの貴重な体験ができるコトもあります。
 小泉さんにとっては全然休暇にならなかったでしょうけど、その貴重な体験を是非日本に持ち帰って今後の政治に活かして欲しいと思います。
 お疲れ様でした。
 
 連休が終わり、国会では、早速熱のこもった審議が再開されました。郵政民営化法案も提出されました。一日も早く審議が始まることを望みます。
 
 そうですね。
 国会が延長されるかどうか、それはもう小泉さんの胸の内ひとつでしょうけど、全ては郵政にかかっているワケです。
 どっちに転ぶか分かりませんし、正直言いまして、やえにとってはあまり関心が高い問題ではないので、応援は敢えてしませんが、とにかく小泉さんにとっては政治人生最大の山でしょうから、悔いの無いよう頑張ってください。
 
 
 [編集後記]
 小泉総理は、先月21日から今月10日までに3回の海外出張でインドネシア、インド、パキスタン、ルクセンブルク、オランダ、ロシアを訪問。私も2回同行しましたが、本当に忙しい連休でした。連休が終わって国会も後半戦。郵政民営化法案の審議が始まります。たいへんむずかしい国会になると思いますが、小泉総理を全力で支えてまいります。(せいけん)
 
 あら、せいけん先生もお疲れ様でした。
 官房副長官は、国会対策、つまり根回しこそが重要な役割だったりしますから、さらにお忙しくなるでしょうけど、お体に気を付けてがんばってくださいね。
 できれば、面白く盛り上げて頂ければネタにも困らないんですが、そうなるとさらに大変でしょうから、まぁほどほどに頑張ってください(笑)
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

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