今日は『SAPIO』の発売日なのでいつも通り買ったのですが、無いんです。
何が無いって、よしりん先生の『新ゴーマニズム宣言』が無いのです。
『SAPIO』は基本的に活字の雑誌ですから、適当にペラペラめくればマンガである『ゴー宣』はすぐに見つかるのですが、そもそも載っている場所もだいたいいつも同じですしね、それなのにいくら探しても今週の『SAPIO』には『ゴー宣』がないのです。
そこでやえは慌てず騒がず落ち着いて目次を確認するコトにしました。
新・ゴーマニズム宣言休載のお知らせ
えー・・・。
いや、一体何事があったのかと思ったのですが、どうやら前々からチラチラとは言っておられた目の病気があまり思わしくないようで、手術を受けられるか、受けられたかしたので、それで休載のようなのです。
そうですか。
まぁそれは仕方ないですね。
ああ見えてよしりん先生もけっこうお年ですから、ここはムリせず休憩してください、というコトなのでしょう。
少なくとも、某大手少年漫画雑誌に一応連載中のどこかの漫画家さんと違って本当に手術されたのでしょうから、少しお休みになられて、万全の状態でご復帰ください。
お待ちしておりますよ。
右も左も逝ってよし!!
バーチャルネット思想アイドルのやえです。
おはろーございます。
心中、老人が老人を介護、孤独、悲惨、これらの言葉が当てはまりすぎているために、格好のワイドショーのネタになっていますが、この問題は「悲惨だ可哀想だ」とか「介護のあり方を考え直さなくては」とか「死ぬより他の方法はなかったのか」とかいうだけの問題なのでしょうか。
火葬場の遺体は老夫婦…無理心中を図ったとみて調査
7日に福井県大野市の使用されていない火葬場の焼却炉で白骨化した2遺体が見つかった事件で、大野署は8日、1人は歯の治療痕などから近くの無職、沢田定栄さん(80)と確認した。もう1人は妻の貞江さん(82)とみられ、同署は心中を図ったとみて調べている。
調べでは、沢田さんの自宅から「妻とともに逝く」と書いた日記が見つかった。また、焼却炉前の放置車両には、家を出てから焼却炉に点火するまでの2人の行動を記した書き置きもあった。
2人は7日未明、まきで火をおこした焼却炉に一緒に入り、中から扉を閉めて、焼身自殺したとみられる。近所の住民によると、貞江さんは病気で寝たきりの状態で、沢田さんも最近は体調を崩していたという。
|
やえは、本当にこの二人が「悲惨」で「不幸」だったとは思えないのです。
「死=不幸」とは決して思えませんし、そもそもこの二人にとって、他人に介護されるコトの方が生きるよりもよっぽどつらいコトだったのでしょう。
彼らにとって死は身近…と言うより、間近の出来事でした。
「生きていれば明るい未来が待っている」という、よくある自殺者に投げつけるような言葉は、この老夫婦には何ら意味のない文字の羅列でしかなかったでしょう。
彼らは今までの人生に悲観して死んだのではないのです。
これからの人生をつらいモノにしないために、人生を楽しいモノにするために、彼らは死を少し早めただけなのです。
生きるコトただそれだけが人間の幸せではありません。
生きるコトによって何が出来るのかというコトが人間にとっての人間らしい幸せです。
先が短い老人の未来など何も明るいモノはないと言うつもりは全くありませんし、また生きているというコトそれ自体が周りの人を幸せにし、本人も幸せにしているというコトも、これは事実として存在するというのは間違いのないところだと思います。
しかし、テレビなどの報道でこの老夫婦の親戚の方が「もっと早くに気づいてあげられれば」というようなコトを言っておられましたが、この二人にとっては、いくら周りが幸せに感じたとしても、それによって周りに気遣いお世話になるというコトは決して幸せであると言える状態ではなかったのでしょう。
幸せの定義など出来ませんし、所詮他人の心情の問題ですから推測しかできませんが、しかし決して頼れる身内がいなかったのではなく、最後まで二人で過ごそうと決めた彼らにとっては、これが最も幸せな方法だったのだとやえは思いたいです。
お葬式などはもちろん亡くなられたご本人のために行われるモノですが、しかしつきつめると、残された人間の気持ちの整理や、またその人の生きてきた存在を見つめ直すためといった、今生きている人たちのために行われるモノとも言えます。
死んだ人の死んだ後の気持ちなど、誰にも分かるハズもありませんし、本人達も分からないかもしれません。
だからご本人さん達の気持ちは生きている人たちが想像するしかないのですが、しかしテレビなどで言っているような、悲惨だとか不幸だとか言っている様を見ると、どうしてもやえは違和感しか感じないのです。
身内の方のお気持ちは分かりますし、それを否定しようとは決して思いませんが、しかし敢えて申し上げるのであれば、それは自分たちの気持ちだけが納得いってないだけの話なのではないでしょうか。
この老夫婦は、本人が決めてこういう最後を選択したのですから、それはそれで尊重してあげるコトも大切なのではないかなと思ったのです。
死に方を決められない人間が多い中、それすらも自らの意志で行動できたこの老夫婦は、そういう意味ではとても幸せな生き方が出来たと言えるのではないのでしょうか。
|