ところでさー、まぁ相対的にだが、あのメール問題の永田ってある意味えらいと思うよ。
あら、それはまたなんでですか?
だって永田は、なんだかんだあっても最後には間違いを認めて謝罪したじゃん。まぁ謝罪している方向があさって向いていた気もするけど。でもそれでも一応は間違いを認めたと。嫌々ながらも。しかしネットなんて、適当な陰謀論とか誹謗中傷、人権侵害をしといて、それがバレても平然と知らんフリして、知らんフリするだけならまだしも開き直るヤツとかいっぱいいるじゃん。あんなのと比べればまだ永田の方がえらいよ。
ああ、まぁ、そう言われれば確かに比べればまだマシだと言えるんでしょうね。
ある方面には人権侵害的な事を言っといてしかし別件に対してだけは自分ルールだけでそれは人権侵害だと言いがかりをつけたり、また自作自演がばれて開き直りなんてネットにはそこらかしこに転がっているじゃないか。返事せずにいきなり無視に転ずるヤツなんてまだましで、中には逆ギレしてわめき散らし見苦しい姿をさらにさらしたり、そのウソを隠すためにさらに自作自演したりするもうどうしようもないヤツとか、こういうアホがいっぱいいてしまっているしな。
しかもそんな開き直りしているような連中も永田氏を非難していたりしていていましたけどね。
滑稽極まるよな。
んで、前回に引き続き、宗匠が取材を受けた朝日の言論の自由に関する連載記事についてだ。前回は連載全体についての総論的な事を述べたが、今日は宗匠の回を中心に述べていこうか。ちょっと長くなるが、まずは主な部分を抽出引用。
東京弁護士会に所属する小倉秀夫さん(37)のブログに寄せられるコメントの数は多いときでも日に20前後だった。それが昨年2月始め、10倍近くに急増した。
普段はIT関連の問題について考えを掲載している。そこに、他人のブログに攻撃コメントをしつこく投稿する行為をいさめる意見を載せた。その直後のことだった。
コメントの大半は批判だ。差出人名前の欄は「Unknown」。匿名だった。「あなたは勘違いしている」「なぜ非を認めないのか」……
回答しないと「このまま逃げたらあなたの信頼性はゼロになりますよ」。反論すれば、再反論が殺到した。議論の場から離れることを一時も許さない「ネット右翼」だ。
数年前からネット上で使われ出した言葉だ。自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々を指す。右翼的な考えに基づく意見がほとんどなので、そう呼ばれるようになった。
小倉さんはたまらず、対談を呼びかけた。
「カミングアウトして下さる方を求む」
このブログを毎夜見つめる男性が東京の下町にいた。自分でもブログを持ち、「炎上観察記・弁護士編」と題するコーナーを設けている。
30代半ば。かつては小説を出版したこともあるが、いまは無職。両親と同居し、昼夜逆転の生活。「観戦席」は自宅2階、6畳の自室だ。
チェック開始は午後11時。自らもコメントを送りつつ、批判コメントが殺到し制御不能(ネット用語で「炎上」)に陥っていく様子を伝えた。
男性のブログは、匿名掲示板や軍事をテーマにしたサイトともつながっている。「観察期」を見た人がどんどん、小倉さんのブログ集まってきた。
「たかだか200や300の批判で黙られても困りますねえ。あれじゃあ、議論にならない」
男性はそう冷やかす。
共産主義に傾倒した時期もあったが、「だんだん国を愛する気持が強くなった」という。自分のような人間を「ネット右翼」と呼ぶ人がいることも知っている。「朝日新聞を筆頭に既存メディアの報道に感じる違和感を消化するため、僕は僕なりの考えで調べ、主張する」
「対談」は現実しないまま、小倉さんのブログは閉じられた。
職業柄、議論することには煩わしさは感じない。それでもつくづく思う。
「あれはもはや、議論とは言えない」と。
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はいはーい。これ宗匠さんをわざわざ取り上げる必要がないと思うんですけどー。
ねぇよなぁ、これ。この回の話の中心は、小倉の言論の自由が、大多数の匿名の脅迫じみた大量書き込みによって阻害されてしまった、と言うのが主文であり、またその言論の自由の敵とは「ネット右翼」であると、そういう構成である。だから宗匠も、そして引用はしてないがその次に出てくる30代の大学教員という人物も、その「ネット右翼」という一般人には聞き慣れない得体の知れないものを現実的に感じさせる具体例として出されているに過ぎないわけだ。だからこれは本来内容的に考えれば言論弾圧を例示すればいいだけの話で、言論弾圧をした人物っぽい人間を具体例として出す必要はないはずなのだ。3回目の暴力団だって個別の人物像なんて出してないしな。むしろこの手法というのは「ネット右翼はこういう人物だ」と先入観を抱かせる原因にもなるような、印象操作のために出されたと言ってもいいのではないかと思う。
凶悪な韓国強盗団をもって韓国人はみなこうなんだと言っているようなモノですよね。
ま、そもそもネット右翼なんて得体の知れない、よくカテゴリー出来ない存在だから、はじめからどうしようもねぇんだがな。
韓国人なら韓国国籍を持っている人ですし、また例えば「プロ市民」であれば、市民活動をするコトそれ事態を目的化してしまっている人たちを指すというある程度はカテゴライズできる言葉ではあるんですけどね。でもネット右翼はあまりにも抽象的過ぎますよね。当サイトも人によってはネット右翼と思っているかもしれませんしね。
オレはもう全然昔から右翼と言われた事もあるし、売国奴と言われた事もあるよ。いまさらそんなの気にならんし、どうでもいいんだがな。むしろ自分は「保守なんだ」とか「リベラルなんだ」とか、まして「中庸なんだ」とかスタンスを決めてしまうと、それはその場所にある考え方から抜けられなくなって結論ありきの言論しか出来なくなってしまう。本末転倒だな。だから大切なのは何を伝えるかであって、その結果、他人がどう思うかはもう勝手に思ってくださいと。オレはオレの思想を語るだけだからな。
相変わらず誤解されまくってますが、その精神を一言で表したのが「右も左も逝ってよし!!」なんですけどね。
ただこれ言っておかなければならないのがな、この「ネット右翼」なる言葉は非常に卑怯なレッテルであるという事だ。例えば「プロ市民」というレッテルがあるが、これはどういう人間を指し示すだろうか?
えーと、さっきも言いましたように、普通に生活している本当の意味での「市民」が自発的に活動をはじめるというような運動のなのではなく、はじめから運動のために組織されたような団体に所属する人や、運動のために運動をする人、そういう本当の意味での市民とは既にかけ離れてしまっているような、職業(プロ)的な感じで運動をする人のコトを「プロ市民」って言いますよね。これは、マスコミなんかが「職業的運動家・団体」までをも「市民団体」と呼んでいるコトに対する反発からはじまったと言えるでしょう。
そうだな。この「プロ市民」というレッテルは、その行動や呼び方に対しての矛盾を皮肉っているレッテルなわけだ。しかし「ネット右翼」というのは違う。まずこれはレッテルだからマイナスイメージであるという前提のもとに、相手を「ネット右翼だ」と言う場合には「右翼思想を持っている悪いヤツだ」というような意味で相手を貶めそうとしているわけだな。つまり、人の考え方、思想によって善し悪しを決めつけているのがこのレッテルであり、これはあまりにも卑怯というか、ある意味これこそ言論弾圧なんだよ。
そうですね。しかもさらに卑怯なところがこの記事の一文ですよね。
議論の場から離れることを一時も許さない「ネット右翼」だ。
数年前からネット上で使われ出した言葉だ。自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々を指す。右翼的な考えに基づく意見がほとんどなので、そう呼ばれるようになった。
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レッテルでは「右翼」という言葉を全面に出している明らかに思想レッテルのハズなのに、しかしその定義を「結果的にたまたま右翼的な意見を言う人が多かった」と言わんばかりに書いて、その意見自体がダメであると言っているのではないと自己弁護しているワケです。相変わらずの「アサヒ的」なやり方ですよね。
そもそも「右翼」というのも日本では強烈なレッテルだらなー。日本での右翼はもはや街宣車で騒音をわめき散らすヤクザ崩れのイメージとほぼイコールになってしまっているから、本来の意味である思想的な右翼とは印象が全くかけ離れているのに、それを理解している上で敢えて右翼・保守思想を「右翼」と断罪する。思想レッテルなんだよな。
当サイトで使っている「プチ保守」なんかは、これは本来的には思想的な意味ではないですからね。保守思想にも満たない考えもなく雰囲気だけで騒ぎ立てるような人たちをこう呼んでいるワケです。そう言う意味ではカタカナの「サヨク」もこれと似たようなところがありますよね。劣化左翼みたいな。
だからな、何が卑怯って、まともな右翼・保守思想も、そしてプチ保守な連中も、これをまとめて全てを「ネット右翼」呼んでしまっているんだよ。それはなぜかと言えば、まともであろうとまとめでなかろうとそっちの方面の考え方は全て嫌いでイヤで見たくもなくて弾圧されて当然この世から消えて無くなればいいむしろ自分たちで消してしまえという、思想言論的ホロコーストをしかけようとしてるんだよ、「ネット右翼」というレッテルは。
ネット上で保守思想を唱えていたら、とりあえず「ネット右翼」とレッテルを貼って断罪をするワケですね。具体的な中身なと全く見ずに。確かにこんな卑怯なコトはありませんね。
もし小倉弁護士のブログに対する匿名での連続書き込みを断罪したいのであれば、その行為そのものについての検証と、そして必要であれば断罪をすりゃいいんだろうが、しかしそれらを全て吹っ飛ばしてただただ「ネット右翼」というレッテルだけで結論を出し断罪をすると。
そしてその材料として、宗匠さんが利用されたんですね。ネット右翼の代表例として、決してネットだけの偶像ではない実在する人物としてこのような「ネット右翼」がここにいますよと、証明の材料にされてしまったというコトですね。
そうだな。
宗匠さんも、なんて言いましょうか、一応はちゃんと取材を受けられたそうですが、さぞ迷惑な話でしょうね。まさにこれこそ「アサヒクオリティー」と言うべきなのでしょうか。取材をして結論を導くのではなく、結論があってその材料のためだけの取材だったのでしょうね。
この連載全てがそのためと言えるんじゃないかと思うんだよな。というのも前回にも言ったが、今さらこんなのを取り上げて何になるのかというようなものまで言論弾圧の例として出されている。暴力団の例とかな。そしてそのようなあからさまな言論弾圧を挙げつつ、一方語り部の政治的発言の自粛というような、それは果たして言論弾圧と呼べるのかどうか議論の余地がかなりあるような例までを挙げて、暴力団の言論弾圧と似たような事件と印象操作をして断罪しようとしているわけだ。
つまり、結局朝日はこの連載で何がしたかったのかと言えば、決して今さら過ぎる暴力団の言論弾圧を訴えているのではなくて、「ネット右翼」や語り部の政治的発言を阻止しようとしている勢力やバカ今井に対してハガキを送りつけるような行為も、まとめて検証無しに暴力団と同じように悪だと断罪するためだったと、そういうコトでしょうか。
そういう事だろうな。
分析をしてみるとかなり巧妙かつ悪質ですよねぇ。連載全体でそのような印象操作をしつつ、さらに個別の記事の中でも細かい印象操作を怠らないと。
しかもその方向性がいかにも「アサヒ的」だろ。4回目の語り部の政治的発言はつまり無責任平和論や、記事中にもあるんだけど憲法9条の堅持だったり自衛隊の海外派兵反対だろ。6回目の宗匠の記事は説明するまでもないし、7回目なんてバカ今井だ。もうアサヒ的な考え方のみが正しくて、他の考え方をするヤツは言論弾圧者だと、ネット右翼は考え方自体が悪だヤクザだと、そういう方向に持って行きたいがための特集だったんじゃないだろうか。
結論的に考えればそのようにしか思えませんね。
アサヒはいつまで経っても前を向こうとしないなぁ。こういう手口ばかり巧妙化して、振り込め詐欺じゃねぇーんだからよー。
ま、でも、だいぶ必死さが表れてきていますけどね。
では次回を最後として、ちょっと記事から離れるかもしれんが、個人的感想など述べていこうか。
はーい。もうちょっとつづきまーす。
(つづく)
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