☆やえニュース☆

  ネット参拝なぜ核に対する抑止力は核だけになってしまうのだろうメリークリスマス支持率

平成18年12月18日

 ネット参拝

 今日はたいへん興味深い記事を一行掲示板で教えていただきましたので、それを扱ってみたいと思います。
 名無しサン、ありがとーございまーす。
 

 ネット参拝は是か非か、初詣で前に揺れる神社界
 
 初詣でシーズンを前に、インターネット上で「参拝」「祈願」ができたり、お守りやお札を販売したりする試みを巡って、神社界が揺れている。
 全国約8万か所の神社を管理・指導する神社本庁(東京)は、「ネット上に神霊は存在しない」と、今年初めて自粛を求める通知を出した。しかし、導入している神社からは「神社に親しみを持ってもらえる」「遠方の人の助けになる」との声もあり、本庁では頭を抱えている。
 地元で「安産の神様」として知られる高知県南国市の新宮神社。ホームページで「インターネット参拝」を選ぶと、「ネット記帳」の欄が表示される。願い事を書き込み、「私のお願いをよろしく」というボタンをクリックすると、神社に電子メールが送信され、無料で祈願してもらえる。
 森国英夫宮司(64)は「遠隔地でお参りできない人にも神社を身近に感じてもらえる。メールがきっかけで、直接参拝につながる例も多い」と話す。正月には毎年、全国から数十人のネット参拝者がいるという。
 こうした動きに、神社本庁は今年7月、「信仰の尊厳を損ないかねない」と、全国の神社に自粛を求める異例の通知を出した。本庁の瀬尾芳也調査課長は「神霊は神社という場所や空間に鎮座するもので、足を運んでもらうのが基本。ネットの有効性は認めるが、仮想的、疑似的な側面が広がりすぎると、本来の信仰の形が崩れる」と説明する。

 やえは特に神社の関係者ではありませんし、特に神道などについて深い造詣があるワケでもありません。
 靖国神社などについていろいろと述べたコトはありますが、それはあくまで一日本人としての素直な感覚をベースに述べたに過ぎませんし、もちろん多少はそのために調べごともしましたけど、それはあくまで事実関係や論の補強のためでしかありません。
 ですから、今回のこの件について、神道の立場や神社の立場、深い知識を元に感想を書くコトはやえには出来ませんし、そもそもそんなコトするつもりもありません。
 あくまで一日本人としての素直な感覚でお話をしようと思います。
 
 記事にあります瀬尾課長さんの「神霊は神社という場所や空間に鎮座するもので、足を運んでもらうのが基本」という言葉に対しては、ちょっと疑問があります。
 というのも、日本人の普通の感覚からして、神様というのはある特定の場所にしかいないっていう考え方は、それはちょっと違和感を覚えるからです。
 どんな場所でも、自然を感じられる場所であれば、それはどこにいても神様を感じられるというのが、神道・・・というよりは、日本人的な自然な宗教観・自然観ではないのでしょうか。
 一般的な日本人にとってけっこう神道も仏教もごちゃ混ぜになっていますから敢えてこういう言い方しますが、決してご先祖様や近しい仏様になった人にそのお墓に行かなければ“会えない”というコトは無いでしょう。
 どこにいても静かに心を落ち着かせてその人のコトを想えば、それが会うという感覚に日本人ならなれるハズです。
 ですから、「場所や空間に鎮座する」と言うのは、なんか違うのではないかと思うのです。
 
 また、旧暦で「神無月」の月には神様が出雲大社に集まるという概念があったり、またお盆には神様(仏様)が家に帰ってくるという考え方がありますように、どうも日本人の感覚からすれば神様は移動するモノと考えられていると言えるでしょう。
 さらに言えば、神道の主神とされる天照大神を祀る神社は、総本社のお伊勢さんを始め、日本全国に数多にありますが、当然天照大神は一柱しかいらっしゃらないワケですから、どの神社に行っても必ず天照大神が鎮座なさっているというコトにはならないでしょう。
 つまりこのコトからも日本の神様は移動するという概念を持っていると言えるワケで、よって特定の場所に行かなければ神様に会えないかのごとく言うような瀬尾課長の言い方は、かなり疑問に思わざるを得ないのです。
 
 人には立場というモノがありますから、瀬尾課長のおっしゃりたいコトは分かります。
 神道というモノを厳密に厳格に考えなければならない立場でいらっしゃるのでしょうから、キチンと聖地にお参りして欲しいという気持ちは分かります。
 しかしですね、やっぱり日本人の素直な気持ちというモノを無視して、ただ単に原理主義に走ってもそれは宗教のためにも神様のためにも、そして何より日本人のためにならないと思うのです。
 
 結局日本人の感覚から言えば、どこにいても、どんな場所でも、真剣に祈ればそれで神様には届いているのではないかと思うのです。
 ありていに言えば、本人次第なのではないでしょうか。
 神社に行ってもそこで適当な参拝をすれば適当でしかありませんし、家にいても真剣に祈れば真剣な参拝と言えると思います。
 そう言えば昔の日本のお家には必ず神棚がありましたよね。
 では家でのお祈りはお祈りではないのかと言えば、そうだと言う人はまずいないと思います。
 ネットを通じようがなにしようが、その祈りがネット回線で伝わるというのではなく、神棚をデジタル化したぐらいの感覚で、祈り自体は空間などを超越した、神様への本来通りの祈りになるんだとやえは思えます。
 
 もちろん、物事には儀式や体面というモノも大切なのは言うまでもないコトです。
 本当に大切な日や大切な立場にある人は、その儀式を大切にするというコトも必要でしょう。
 よって、例えば内閣総理大臣がしかるべき日に靖国神社にキチンとお参りするという儀式も、時には必要なコトだと思います。
 またこれは仏教ですが、お盆や命日には、お家の仏壇だけでなくお墓参りをするというコトと同じ考え方でしょう。
 ですから、ネット参拝をすれば全ての参拝はそれでまかなえるという考え方は違うと思います。
 キチンとすべき儀式はキチンとすべきでしょう。
 しかし、だからといって、ネット参拝や、その場に行かない参拝を認めないと言ってしまうのは、それは違うのではないでしょうかという話なのです。
 
 どんな時代にも柔軟に対応してきた日本文化と神道。
 ネットの時代にもキチンと日本らしい柔軟な対応ができるとやえは信じています。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日本文化を応援しています。
 

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平成18年12月20日

 なぜ核に対する抑止力は核だけになってしまうのだろう

 一番分かりやすいので今週の『SAPIO』よりよしりん先生を例にとりますが、このように思ってしまっている日本人も多いのではないでしょうか。
 


 
 ニューヨークが狙われたという事態ならともかく、日本が核攻撃で灰燼に帰したとしても、皇居が狙われたとしても、「核による攻撃」だけは結局は思い止まるのがアメリカの理性である。
 日本はアメリカの同胞ではない。よその、ちっぽけな国だ。
 やがてアメリカの政権が民主党に移ったら、さらに日本など鼻にもかけない。
 
 日本にはアメリカの「核の傘」など、効いていない!

 


 
 今、日本が世界に訴えねばならぬことは・・・
 「あくまでも、拉致や、工作船や、航空機爆破テロや、ニセ札などの国際犯罪を犯す狂気の国が・・・
  そして国内においてはホロコースト並みの規模で人民の強制労働・虐待・虐殺を行っている独裁国家が・・・
  日本のすぐ隣で核保有するという未曾有の危機に直面し、我が国は安全保障上、止むを得ず、核武装する!」
 ・・・という静かな宣言である。

 
 つまり、北朝鮮という危険な国が核兵器を持ってしまった以上は、所詮アメリカだっていざとなったら助けてくれるハズがないんだから、自分で核を持って守りましょう、という主張なワケです。
 
 確かにこれだけを見れば、一見まともな意見に見えます。
 なるほど、自分の国は自分で守るのが普通の国なんだから、核兵器を身近な、しかも前科ありまくりの危険な国が持ってしまったんだから、それに対応するため自衛のため核を持つのも当然だと、そう思いたくなるのもよく分かります。
 
 しかし、しかしですね、よくよく考えてもらいたいコトがあります。
 というか、このように考えている人に聞いてみたいんですが、なぜ日本が核を持つと絶対に北は日本に対して核を撃たなくなると言い切れるのか、そこの根拠はどこにあるのか教えて頂きたいのです。
 
 よしりん先生をはじめ、このような主張をしている人は、核さえ持てば核の攻撃がされるコトは絶対になくなるという感じで論を進めるのですが、やえにはこれがどうしても理解できません。
 北はよしりん先生のおっしゃるとおり狂気の国です。
 いつ核が飛んでくるか分かりません。
 しかしそれは、いくら日本が核を持ったとしてもやっぱり同じコトでしょう。
 だって北は狂気の国なんですから。
 
 核兵器は迎撃システムではありません。
 核発射の動機が狂気であれば、相手がどんな装備を持っていようとも、どんな国であろうとお構いなく撃つでしょう。
 やぶれかぶれで撃つのであれば、相手に核があろうが無かろうが関係ありません。
 そして一度撃たれた以上は、MDAが完成していないのであれば、核を持っていようが持っていまいが、あとは落ちるのを待つしかないのです。
 
 である以上、どうして核を持つことがイコールで核を撃たれないコトに結びつくのか、是非教えて頂きたいと思います。
 
 本来、もし核が撃たれてしまう可能性を少しでも少なくしたいと願うのであれば、冷静に現実を分析する必要があるでしょう。
 よしりん先生はこうもおっしゃっています。


 
 核攻撃で壊滅した日本の報復は、核に頼らずとも、中国・ロシア・韓国とアメリカの連合軍で行われる。
 もちろん、金正日体制は倒されるだろう。

 これはその通りだと思います。
 アメリカの本音は確かに「日本はアメリカの同胞ではない。よその、ちっぽけな国だ」と思っているかもしれません。
 しかし、本音はどうあれ、確実に連合軍の攻撃は起きるでしょうし、そうなれば確実に北朝鮮は崩壊するでしょう。
 では聞きたいのですが、この連合軍による攻撃と、核による攻撃と、一体何が違うのでしょうか。
 
 どっちにしても狂気の国である北朝鮮という体制は崩壊します。
 ならば、手段が違ったところで結果は全く同じにしかやえは思えません。
 よしりん先生はなぜか


 
 だがそれはあくまでも、朝鮮半島を巡る、戦後の北東アジアの覇権の奪い合いと、核の管理が目的である。

 なんて言ってますが、どうしてここまで核による報復だけが正当的だと信じ切ってしまっているのでしょうか。
 日本が核武装し、核による北の体制崩壊をなし得たら、「戦後の北東アジアの覇権の奪い合い」は起きないとでも言うのでしょうか。
 どうしてここまで核だけを神聖視しているのか、まったくやえには理解できません。
 
 冷静に現実を分析するなら、ジョンイルが一番恐れているコトは何かなんて簡単に分かるでしょう。
 そう、自分ひとりが自らの手足のようになんでもできるジョンイル王国というモノの崩壊こそが、ジョンイルにとって一番の恐怖なのです。
 こんなコトはむしろ常識ですよね。
 ならば、やはり、核であろうが通常攻撃であろうが、北の崩壊が起こればジョンイルにとっては恐怖でしかないのです。
 よって、核兵器だけにこだわる必要など全くないのです。
 
 核兵器を持っても、それだけで相手の核を100%防げるようになるワケでは全くありません。
 同時に、核兵器を持っても、それだけが相手への抑止力となるワケでもありません。
 
 確かに持てば強力な抑止力になるコトは確かですが、日本にはそれ以外の選択肢もあります。
 もし今の体制のまま北と戦争になったら、ひとつだけ日本に不利益になるコトがあります。
 それは、北東アジアの覇権争いに、日本が参加できないコトです。
 なぜなら連合軍に日本が参加できないからです。
 日本が攻撃されたのに、日本が反撃できないというのは、かなり滑稽極まりないお話です。
 ですから、日本独自の手で抑止力を持ちたいというのであれば、それは自衛隊の国軍化のお話をするべきでしょう。
 憲法改正の議論をするべきでしょう。
 日本一国だけで北を滅ぼせるぐらいの軍事力を持てば、核を持つコトと同等の抑止力を得るコトができるのです。
 今の日本の現状を見るのであれば、まずここからはじめるべきでしょう。
 
 よしりん先生をはじめ、一部の人がなぜ核武装を絶対化して、これをしなければ日本は滅びる、これをすれば絶対に核は落ちてこないと信じ込んでいるのか、やえには全く理解できません。
 日本は普通の軍隊すら持っていないというのに、それを越えて核を持ちたい持ちたいと言うのは、それは子供が力への憧れだけで鉄砲を持ちたがるような、安易な幼い発想と同じようなモノでしかないでしょう。
 特によしりん先生など、「国のために悪人を引き受ける度胸はないか?」などとカッコつけてますが、それこそガキの遠吠えでしかありません。
 今やるべきコトが確実にあるハズなのに、それを見て見ぬふりして見た目だけの格好を追い求めてもなんにもなりません。
 いい加減「核信仰」をやめて、現実的な道を模索する大人になりましょう。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、自衛隊の国軍化を応援しています。
 

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平成18年12月25日

 メリークリスマス

 クリスマスは昨日ではなく今日です。
 昨日が日曜日だったためにこの驚愕の事実を忘れてしまっている人が多数いる気がしてならない今日この頃です。
 クリスマスなんてどうでもいいという人にとっては、まさしくどうでもいいんでしょうけど、やえもどうでもいいです(笑)
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 毎年のコトながら年末は忙しくてイヤなんですが、昨日たまたま歴史的瞬間を目撃しちゃいましたもので、皆さんにご紹介したいと思います。
 
 いやー、やえ知りませんでした。
 最近はこういう方法を用いられていらっしゃるんですね。
 お勤めご苦労様です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ぶいーん
 
 やはり文明の利器は便利のようです。
 ちゃんとヘルメットかぶっているところがとってもかわいいんですが、この場合、トナカイさんが本当に必要なのかどうかがとても疑問でなりません。
 まぁトナカイさんにしてみれば、リストラにならないよう必死なのかもしれませんけどね。
 
 うう、なんだか現代の縮図のよう・・・・でもないですね(笑)
 

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平成18年12月27日

 支持率

 今日はこのニュースです。
 

 内閣支持率「気にするな」=麻生外相
 
 麻生太郎外相は24日午前のフジテレビの番組で、安倍内閣の支持率が低下していることについて「世論調査はマスコミが好きだが、あまり気にしない方がいい」と語った。
 外相は「例えば、安倍晋三首相のおじいさんの岸信介、(麻生氏の祖父の)吉田茂(両元首相)の時に支持率調査があったら、間違いなく森喜朗元首相より低い」と指摘。一方で「松岡洋右(元外相)はものすごくマスコミはあおったが、結果として松岡は悪かったから、マスコミは見る目はなかった。そういうことは戦前も戦後もあまり変わっていない」と述べた。

 みんな大好き麻生先生ですが、この発言については反発する人も多いようです。
 
 「支持率を何するなとは何事か」「国民の声を無視するのか」「民主主義を踏みにじるな」
 
 しかしやえは、麻生先生のお考えに全面的に賛成です。
 
 というのも、そもそものお話なのですが、マスコミの世論調査なるものがどうして正義の御旗になっているのか、やえには疑問でしかないのです。
 マスコミが作ったこの支持率とやらは、本当にイコールで国民の声を正しく反映しているモノなのかどうか、一体その保証はどこにあると言うのでしょうか
 マスコミというのは所詮一私企業です。
 この支持率というモノは、所詮一私企業程度が勝手に独自に出した数字でしかないハズなのに、それを一国の総理がいちいち気にして判断材料にしなければならないと言ってしまうのは、どうしてもやえはおかしいと思うのです。
 
 一私企業であるという他にも、マスコミの世論調査とやらがアテにならない部分があります。
 もし本当にそのマスコミの世論調査が正しく国民の声を反映しているのであれば、会社によって調査のズレが出ないハズなのではないでしょうか。
 もちろん多少のズレは統計を取る以上は仕方ないとしか言いようがありませんが、しかし例えばこのページを見ていください、安倍内閣の支持率では、TBS系では59%と、下がったとは言えけっこう高い数字を出している一方、日本テレビ系では「内閣支持率は5割を切った」と過半数割れの数字を出しています。
 ある程度のズレは統計学的にも仕方ないのでしょうが、しかしこれはあまりにもあまりにな結果です
 こんな適当な数字を持ってどうして国政という大切なモノが左右されなければならないと言うのでしょうか。
 ここから考えても、所詮マスコミの世論調査など、一私企業の勝手な数字でしかないとしか言いようがありません。
 
 本当の世論調査はマスコミの調査の他にちゃんとあります。
 それは選挙です。
 選挙こそが国民の声を公平公正に反映する公的な調査です
 そして選挙の結果がいまの政党の力関係になっているのですから、本当に民主主義を守りたいのであれば、一私企業なんかの勝手な数字などを根拠にしてああだこうだ言うのではなく、選挙の結果を真摯に受け止めるコトの方が大切なのではないでしょうか。
 むしろこんな支持率という勝手な数字に一喜一憂して、そればかりに目がいってしまい、そのためだけに国政が動かされてしまうコトの方が危険です。
 小泉さんはその辺が絶妙に上手く、時には支持率のために動いたのではないかと思われるような言動もありましたが、時には自分の信念だけは世論を無視してでも頑固に頑固に貫きました。
 それはそれとしても、しかし安倍さんはそういう小泉さんの手法とは転換をするというもとに総裁選では支持を得たのですから、丁寧に丁寧に、時には小泉流ワンフレーズに比べれば分かりにくくなるかもしれませんが、真摯に語りかけるスタイルを貫いていらっしゃるのです。
 小泉さんの時はワンフレーズで国民をだましているとマスコミは言っていたくせに、いざ真摯に語りかける総理が登場すると、今度は支持率という不的確な数字を出して批判する。
 こんなのあまりにも身勝手すぎるのではないでしょうか。
 ですから、マスコミが勝手に出しているに過ぎない支持率なんかは、総理は気にしなくてもいいのです。
 選挙という公的に公正公平に国民世論の声をすくい上げるシステムがあるのですから、もし選挙の結果と、一私企業が出した調査の結果が矛盾するのであれば、それは選挙の方を優先させるのが当然の話です
 選挙の結果を踏まえて数年間政権を担当し、もしそれがダメだったと感じれば選挙でそれをつきつけると、それこそが民主主義であるハズなのです。
 
 
 そもそも、ほっといても衆議院議員選挙は最長でも4年後にあります。
 しかも任期満了するコトの方がめずらしく、平均すると3年ぐらいですぐに選挙になるのですから、今の政権に不満であれば選挙で態度を示せばいいのです。
 前にも言いましたが、アメリカ大統領も最短任期は4年、他の国でもだいたいそれぐらいの任期は定められているのですから、日本だってたった数ヶ月でどうこう言うのではなく3年ぐらいはせめて長い目で見て評価すべきなのではないでしょうか。
 いちいちその場その場の、しかもなんの保証もないマスコミの世論調査など、本来政治家は気にしてはいけないのです。
 

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