オレだー
サンダー
さて、火曜日なのでオレだ、という設定を忘れている人がほとんどだと思うが、どっちかっつーと警察ネタなので出てきた次第。
まて、そこのキミ、「またか」みたいな顔をするでないっ。
オービス摘発裁判、最高裁が2審判決を破棄
自動速度取締装置(オービス)で摘発され、道交法違反(速度超過)の罪に問われた秋田県男鹿(おが)市の翻訳業の男性(41)の上告審判決が23日、最高裁第1小法廷であった。
涌井紀夫裁判長は、「2審はオービスの速度測定に誤差が生じる具体的な可能性について審理を尽くしておらず、事実を誤認した疑いがある」と述べ、検察の起訴を無効とする公訴棄却を命じた2審・仙台高裁秋田支部判決を破棄し、審理を仙台高裁に差し戻した。
判決によると、男性は2004年8月、同県潟上市の県道で、法定速度を32キロ上回る時速92キロで走行したとオービスに記録された。男性は「時速80キロ程度で走っていたはずだ」と主張したが、05年10月、1審・秋田簡裁は「オービスの正確性は高い」として、罰金6万円の判決を言い渡した。
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最終的な判決はまだ出ていないので、裁判的にはまだなんとも言えない問題ではあるんだが、しかしこの手の裁判で、高裁で行政側に敗訴判決が出たのはちょっと意外だった。
裁判所もがんばっとるなぁと思ったんだが、でも最高裁は差し戻してしまったのね。
まぁどちらにしても、しっかりと審議してもらいたいと思う。
まず、オービスのという機械の信憑性をもう一度客観的に審議してもらいたい。
テレビでの情報によれば、オービスも、やはりどうしても機械だから、ある程度の誤差はでるものらしい。
免許持っている人なら分かると思うが、違反が29キロと30キロでは全然意味が違ってくるので、誤差が出る以上それを使って取り締まるというのはそもそもいかがなものかと、まず思う。
さらにその上で、どうも警察側とオービスメーカーは「スピードが低く表示される誤差はあり得るけど、高く表示される誤差は無い」と言っているらしい。
おいおい、こりゃちょっと無茶のある説明なのではないだろうか。
そもそも“誤差”とは、「本来予期してない動作」のことであるのだから、言ってみれば「何が起こるか分からない」わけで、「本来のスピードより高く表示する誤差だけは起きない」と言ってしまうのは都合が良すぎると言わざるを得ない。
誤差というなら、高い方にも低い方にも出てしまう、というのが本来の姿だろう。
警察側の言い分はかなり滅茶苦茶である。
また、裁判の場では、オービスメーカーの証言だけでオービスという機械の正当性を訴えているらしい。
しかしよくよく考えるまでもなく、オービスの機会を提供しているメーカーが、まさか「自分たちが作った機械は信憑性が無い」なんて言うハズがない。
そんな事言うぐらいなら、はじめから機械を売ることなんてできないからだ。
つまりメーカーというのは完全に警察側と同じ立場の当事者であって、第三者的に証言するような立場ではないはずなのである。
しかも地方裁ではそれで警察側が勝ってしまっている。
あまりにもおかしすぎる。
この裁判ではオービスの機械の信憑性も争われているわけだから、メーカーだけの証言で客観的な判断が下せるはずはないのにも関わらず、なぜ地方裁は一方の当事者だけの主張だけ受け入れてしまっているのか、不思議でたまらない。
この場合、オービスという機械の客観的な正当性を判断するのであれば、第三者機関による科学的な検証が必要であろう。
なんだか痴漢冤罪裁判もそうなんだが、最近一方の主張だけを証拠もなく盲信して判決を下してしまうような裁判が増えてないか?
特にこの問題は、科学的な検証が可能なのだから、当事者だけの主張を聞くだけでなく、しっかりと検証をしろと言いたい。
多くの国民に関わることであるわけだし。
もう一度高裁で審理がやり直されることになるのだろうが、今度こそはちゃんと客観的で科学的な審理をして欲しいと思う。
もうひとつ言いたいことがある。
だいたいにしてあのオービスとやらはなんなんだと言いたい。
スピードが一定以上出てたらいつの間にか盗撮されていて、たった一枚だけの写真で罰が下されてしまう、けっこう理不尽な存在ではないのか。
そもそも道路交通取締りとは事故を起こさないためにするものであるはずなのだが、実際行われているのは、ルールを守らせるためだけに取締りをしているフシがあるようにしか思えない。
道路交通法というものは、これは事故を起こさないために存在している、いや人間が人工的に存在させたものであって、常識から派生した自然法ではない。
もちろん法治国家である以上法律を守るのは当たり前の話だが、例えばオービスのあるところに、どうやっても目に入ってくるでかさの文字で「ここにオービスあります」とか看板掲げておけば、誰でもスピード落とすことだろう。
確かにこれではスピード違反で捕まえられることはできないが、でもそれは警察の勝手な都合であって、本来の目的は「事故を起こさないこと」なのだから、この看板でそれは十分果たしている。
むしろ見つけにくいオービスがあることで急ブレーキなどを踏んでしまった方がよっぽど事故の可能性が高くなるのではないだろうか。
オービスだけではない。
普通の取締りだって、目的と手段を警察ははき違えている。
交通安全週間なんかで白バイが道路の交差点脇でこっそり隠れていて、違反者を見つけたらいやっほーという勢いで捕まえてキップを切っている様子を見たことあるヤツも多いだろうが、あれもものすごい疑問だ。
なぜ隠れている。
違反者が出るまで隠れるんじゃなくて、堂々と警官が姿をさらしていれば、それだけで違反者はいなくなり、ひいては事故減少につながるのではないか。
逆に言えば、警官が隠れているというのは、これは事故が起きるのを待っている行為だと言えるのではないのか。
法律の意義を考えれば、「法律を守る→事故が起きない」であるはずなのだから、警察はまず違反をさせない努力をすべきであって、違反者を捕まえることを目的としたような行為は的はずれもいいところだ。
オービスにせよなんにせよ、ちゃんと本来の目的を達成するために、目的を見失わずに、目的が手段にならないように、警察は日々努力してほしい。
そしてこの際、せっかく裁判になっているのだから、徹底的に科学的検証を施し、本当に事故が無くなる方向に向くような判決を下して欲しいと思う。
また、毎日のように運転する人間として思うのだが、実際の法律と現場での実情はかなり乖離しているのではないだろうか。
その辺の是正も本来必要なのではないかとオレは思う。
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