☆やえニュース☆

 戦争の議論を続けろ数字と現実は違う法律は感情と理性のバランス高野連と教育第二次安倍内閣まだなにもやってないのに批判してどうなるのか

平成19年8月15日

 戦争の議論を続けろ

 今日は終戦記念日です。
 戦争によって亡くなった全ての方に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 終戦記念日と言っても、特別にお話しするコトはありません。
 戦争に関しては、もう日頃からよく取り上げていますので、記念日だからという理由で特別に言うコトはありません。
 この日を、普段戦争についてあまり考えもしない人を含めて、全ての日本人が戦争とはなんなのかを考えるきっかけになれば、それでいいんじゃないでしょうか。
 戦争と平和は表裏一体であり、決して遠い存在でも非日常の話でもないのですから。
 
 そんな中で、まぁきっかけですから、簡単にですが戦争の話でもしてみましょう。
 ここで敢えてもってくるのが、小林のよしりん先生ネタです。
 というのも、ネットサーフィンしていたらたまたまこのようなサイトを見つけてしまったのです。

 鳥越 日本にある米軍基地っていうのはね、日本を守るためにアメリカが置いているんだっていう、一種の信仰みたないなものがあるんだけどね。僕はそれはまやかしだと思っているわけ。アメリカはアメリカの国益のために日本を利用しているだけであって。
 
 小林 でも、それを言うんだったら、「日本は自主防衛する」って言わなくてはならない。自主防衛するっていうのを知識人、言論人が言って、国民にその必要性を分からせなければならない。それを、いわゆる政治家や知識人、言論人、マスコミも含めて、自主防衛は嫌だとしか言わない。軍事費にお金をかけるのは嫌だと。もちろん国民全体がそう思ってるんだろうから、じゃあもうアメリカに守ってもらいましょうという話にしかならない。そしたら、いくらでも金出せるんだから。
 
 鳥越 それで、小林さんはどう思ってるの?
 
 小林 わしはまったくその反対。自主防衛だっていってるんです。自主防衛でいくべきだっていってるんですよ。例えば、自主防衛なら最終的に核をもたなくては成り立たないと。論理的にはそうでしょ?
 
 鳥越 「論理的には」ね。
 
 小林 だから、もちろん核武装ですらかまわないですよ。けれども、核に対するアレルギーがそこまで強いのだったら、自主防衛体制だけでいい。なぜならば、核落とそうが、何だろうが、最終的には地上軍が入らないと占領はできないですから。イラクと同じですよ。最後に国民全部が抵抗したら、米軍だって結局は統率できないってことだってあるんですから。ベトナムだって、地下に穴掘ってやれば勝てる。ヒズボラだってそうですよ。地下に穴掘って、そこに全部武器もロケットも隠して、地上に現れて反撃してたんですから。それでイスラエルの軍隊を撃退できる。
 
 鳥越 僕はテレビでですね、「在日米軍基地をゼロベースから考えよう」ということを言ったことがあるんですね。バカかと言われましたけどね。1回、在日米軍基地をゼロにして、日本人がどうやって日本の国を守るかっていうことを考えましょうと。そういうことを考えない限り、日本人はいつまでたっても一人前の自立した国民になれないよと。いつも誰かにお願いしてね、精神的にやっぱりどっかに退廃してるというのかね。そういうふうに僕は思っているんですよ。
 
 小林 それ、言ってくれなきゃ、それ(笑)。鳥越さんほどの影響力のある人が。
 
 鳥越 言ってますよ。
 
 小林 自主防衛っていうのは、倫理観を守るためですよ、言っとくけど。自分がイラクなんか攻撃したくもないのに、なんでそんなもん支持しなきゃいかんのか。
 
 鳥越 だって、サマワにいくの反対でしょ? 僕は行って見てきましたよ、サマワ。(自衛隊は)なんのために行っているのか分かりませんよ、あれ。
 
 小林 だけど、もう帰ってきているじゃないですか、全然復旧してないけど、結http://update.simplecgi.com/bin/click.php?id=yae//update.simplecgi.com/bin/click.php?id=yae  鳥越 病院とか学校とかちょっと直しましたけどね。結局は途中で放り出して帰ってきたんだから。
 
 小林 日本がたとえ軍備を持ったとしたって、日本が侵略なんかするわけないじゃないですか。中国を侵略しますか? 北朝鮮、朝鮮半島を侵略して統治します? もうやらないですよ、どこも。
 
 (小林よしのり氏が語る戦争論──編集長インタビュー <2> - OhmyNews:オーマイニュース “市民みんなが記者だ”

 すごく長くなってしまって申し訳ありません。
 一部ではいろいろな意味で有名なオーマイニュースにおいて、よしりん先生がインタビューに答えているのもビックリなんですが、その内容も「ん?」と思わせるような内揺ttp://update.simplecgi.com/bin/click.php?id=yae 
 というのも、最近のよしりん先生は、本を売るためかどうかは知りませんが、けっこう結果だけを求めるような過激な発言が目立っているのにも関わらず、このインタビューでは案外まともなコトを言っているからです。http://update.simplecgi.com/bin/click.php?id=yae閧?謳カ、ちょっと前にも当サイトで取り上げたかと思うんですが、核兵器の保持ばかりに目が行って、その前提条件である軍隊に対してはあまり言及しなかったりしています。
 むしろ核を持たなければ日本は守れない、核だけが日本を守る唯一の手だてであり他は一切無効だと言わんばかりです。
 これはよしりん先生だけでなく、保守系の論壇やネット上でもそうでした。
 やえは、核より先に国軍化だと、国軍化なくして核議論など無意味だと主張しているところですが、なかなかこの主張は少数派というのが悲しい現実です。
 
 しかしこのインタビューを見る限り、ほとんどやえと同じような意見を言っていらっしゃるんですよね。
 特にここなんかは、よしりん先生どうしちゃったのと言いたくなるぐらい、最近の発言と変わってしまっています。

 けれども、核に対するアレルギーがそこまで強いのだったら、自主防衛体制だけでいい。なぜならば、核落とそうが、何だろうが、最終的には地上軍が入らないと占領はできないですから。

 その通りです。
 だからこそ、やえは「まずは国軍化」と言っているのです。
 国軍化の前に核を持とうと言うのは、現実的にも理屈的にもhttp://update.simplecgi.com/bin/click.php?id=yaeがれるようなモノ」です。
 核を持つためには、ソフト的にもハード的にももっと整えなければならず、つまり憲法改正と自衛隊の国軍化がなって初めて核を「使える段階」にするコトができるワケで、つまりいま核だけを求めるのは全く無意味なのです。
 よしりん先生、ちゃんとこれを分かっていると、このインタビューから伺えるのですが、このインタビューはちょっと古いモノではありますけど、一体全体最近の発言はどうしてしまったのでしょうか。
 
 
 もうひとつ言っておきたいコトがあります。
 ちょっと前まではこのような議論は盛んでしたが、最近はどうもさっぱりです。
 ではちょっと前までの議論はなぜ起きたのかと言えば、確か政治家の方から核保有についての発言があったからだったと思います。
 また、安倍さんが総理になったというのも大きかったでしょう。
 
 核保有議論は、政治家が中心となって、少なくとも政治家がキッカケとなって生まれた議論です。
 しかし最近はこの手の議論がピタッと止まってしまいました。
 それはおそらく、安倍さんに対して、いろいろな意味で批判しかされなくなったからでしょう。
 安倍さんが総理に就任してからしばらくは、特に支持率も高く、また安倍さんの政治信条が保守的タカ派的だったことから、そっちの方向に日本が向かうよう望んでいた人は安倍さんのそういう政治力の発揮を求め、そして様々な立場から色々な発言がなされ議論がされてきました。
 やはり、安倍さんなら憲法改正を含め、「強い日本」を実現してくれるだろうと期待され、議論が活発化したワケですね。
 
 だけど前の参議院選挙でそれがすべてふっとんでしまいました。
 今の日本の空気というのは、ちょっと安倍さんに同情的な発言をするとレッテルを貼られるかのような異様な雰囲気に変わってしまい、そして同時に“安倍さん的な政策”に関する議論はそれにかき消されてしまっているワケです。
 
 正直、この現象はどうなのでしょうか。
 国防の議論は決してブームではないハズです。
 だからこそ、この問題は思想ベースでよくよく議論されなければならない問題であり、それは政治がどうなろうと関係ない話のハズです。
 ちょっと前までは思想の方から政治に対して「政治家こそが理想を語るべき」とよく言っているクセに、しかし今のこの現状というのは、「所詮思想は政治がついていないと理想も現実も議論できない」という情けない状態でしかないと言わざるを得ません。
 せっかく安倍さんのような理想的平和主義ではなく現実的国防論を唱えられる政治家が総理になったというのに、それ以外でのしょうもない問題で足を引っ張られ、この手の問題が政治課題に上がる機会を潰されただけでなく、思想ベースで議論すらされなくなってしまうというのは、あまりにも情けない話でしかなく、そして日本にとってマイナスにしかならないでしょう。
 
 終戦記念日をキッカケにでもいいんですが、これからもこの問題はずっと議論されていくべきでしょう。
 出来るなら、どんな人が総理になったとしても、議論が避けて通れないぐらい、政治課題に上がるぐらい、強い世論になるぐらいにしていきたいモノです。
 そしてそれは思想ベースの役割だとやえは思います。
 

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平成19年8月21日

 数字と現実は違う

 今日の更新は、やえが直接取材してウラをとったワケじゃないですから、こういう可能性もあるんだと、流される情報を全て鵜呑みにするんじゃなくて疑ってみるコトも必要なんじゃないでしょうかという気持ちで読んでいただければと思います。
 
 
 ちょっと前のテレビの番組で、この問題を取り上げていました。

 仮設住宅の入居開始、450世帯は対象外に 中越沖地震
 
 入居対象は自宅が半壊以上の被害を受けた住民で家賃は無料、最長二年間住むことができる。柏崎市では九日までに千二百四十三世帯の申し込みがあったが被害が条件を満たさないとして約四百五十世帯が入居対象外。市は要望に応じ被害を再調査するとしている。

 この記事では事実だけを淡々と語っていますが、テレビ番組の方は、なぜ450あまりの世帯が対象外にされたのか、というコトを糾弾する内容でした。
 具体的には、ある世帯を例に取り、地震の災害がここまでひどく浮き彫りになっているのにどうして対象外になってしまったのか、確かに外から見ればたいしたこと無いように見えるけど、実は中はヒビだらけで危険だと、こんな状況ではとても住めないと、これでよく対象外にしたと、行政の怠慢なんじゃないかと、そういう内容で批判を繰り広げていました。
 
 まぁやえは建設関係の知識は全くありませんから、テレビ画面で見たヒビ割れがどれぐらい危険なのかは分かりませんし、本当のそのお宅の住人が今すぐ避難しなければならないような状況なのかどうかは分かりません。
 もちろん本当に危険なのかも分かりません。
 その判断はつきませんが、ひとつ疑問に思うコトは、確かにそのお宅は危険そうに見えますが、果たして他の450あまりの世帯が全てこのお宅のような状況であるのかどうかは分からないんじゃないでしょうか、というコトなのです。
 
 テレビ番組では、そのお宅は行政のミスでこのような仕打ちを受け、そしてさも450件全てがこのような状況かのように伝え、だから行政の対応は悪いとばかりに言っていましたが、本当にそうなのかどうかというのはちょっと分かりません。
 最初にも言いましたようにやえが取材したワケではないのでハッキリとは言えませんが、もしかしたら申請するだけしてみようぐらいな軽い気持ちで申請した人っていうのも、この450件の中にいるかもしれません。
 むしろテレビ的なコトを考えたら、450件の内の一番ひどいところを取材して、番組をセンセーショナルな内容に仕立て、視聴者を煽り立てたいと画策するのがテレビではないかと思いますので、ますます450件の実体はどうなのか疑問に思ってしまいます。
 大地震で役所も混乱しているでしょうから、もしかしたらその1件だけが例外的に、役所のミスかもしれませんし、だから1件だけの事例を出して全てを語るような方法は、これはちょっと印象操作といわざるを得ないのではないでしょうか。
 
 この手法、年金問題の時に派手に使われた気がします。
 テレビに出てくる年金で困っている人というのは、もちろんその本人はとても困っていて、それはいろいろな原因があって可愛そうだと思いますが、しかし問題とされる5000万件の全ての人がそのような悲惨な人達ばかりでは決してないワケで、それだけをもって「年金問題はこんなに悲惨で酷い問題なんです」と銘打つのは、ちょっと問題の本質から遠ざかるだけでしかないと言えるでしょう。
 また、年金の問題には、年金をキチッと払っていない人がかなり多くいるという大きな問題がそもそもありますし、ぬるま湯中のぬるま湯にどっぷり浸かってまともに働こうとしない職員がとても多く存在してしまっているという問題もあるのですが、この辺には全くマスコミは手をつけようとしません。
 決して、ただただ悲惨な人がいると情に訴えるだけでは、問題は解決の方向には進まないでしょう。
 そして事実、選挙が終わったと思ったら、急に年金の報道はされなくなってしまっています。
 本当に悲惨な人を救済しようという目的であるのであれば、行政の動きが著しく制限されてしまう選挙期間ではなく、むしろ今こそ大々的に報道すべきだと思うのですが、なぜか今はピタッと止まってしまってますよね。
 一体「悲惨な年金問題被害者」はどこに行ってしまったのでしょうか。
 マスコミは、こういう可愛そうな人をどのように思っているのか聞いてみたいところです。
 
 テレビに取り上げられるほどの悲惨な人は、言うまでもなく可愛そうな被害者であり、早く救済すべきだと思います。
 しかし問題とは決してそこだけにあるワケではないですし、それを全体の問題であるかのように伝えるのも、解決には向かわないでしょう。
 数字は抽象でしか物事を語りません。
 本当に問題を解決したいのであれば、まずは本質を見なければならないのではないでしょうか。
 

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平成19年8月22日

 法律は感情と理性のバランス

 オレダー。
 なんだかひさしぶりだなぁ。
 ま、オレがここでぐたぐだ挨拶してもつまらんだろうから、さっさと本文にいこう。
 今日のニュースはこれだ。

 性犯罪に「去勢」措置も 仏大統領が性犯罪防止策
 
 フランスのサルコジ大統領は20日、子供への性的虐待など性犯罪防止のため関係閣僚会議を開き、再犯の恐れがある性犯罪者には、ホルモン療法による「去勢」措置や隔離施設への収容を行い、刑期を終えた後も社会復帰を許すべきではないとの考えを強調した。

 性犯罪の問題だ。
 最近日本ではこの手の議論があまりされなくなったが、なにかのきっかけでまた再燃するかもしれないと思いつつこのニュースを眺めているところである。
 そして、やはり国を問わずどうしてもこの手の問題には感情が先走るんだなぁと思わざるを得ない。
 
 何が感情論か。
 
 これはフランスのニュースだからフランスの法律がどうなっているのかオレはよく知らんのだが、とりあえずこれを日本で起きた議論として考えた場合、去勢措置というものが、今の段階ではどう考えても重すぎる措置だからである。
 おそらく人によっては「それでもまだ生ぬるい」と言うかもしれないが、まずは考えてみて欲しい、いったいそう言う人はどういう基準によって「生ぬるい」と言っているのだろうか。
 重い・軽い、という表現は、必ず何かと比べてはじめて出来る表現である。
 よって「生ぬるい」と表現する以上、それは何かと比べた結果「それに比べて生ぬるい」と思っていることになる。
 
 そこで重要なのが「何と比べるか」であるのだが、重い軽いを決めなければならないのだから、ここはどうしても他の法律と比べるしかなくなるだろう。
 そもそも法律の場合、どんな法律であっても他の法律との整合性を第一に考える必要がある。
 では整合性とは何かと言えば、「他の法律と比べ、この法律は突出していないかどうか」であり、刑法を例に簡単に言えば「あの罪と罰に対して、この罪と罰は妥当かどうか」である。
 今のところ日本の刑法で一番重い罰は死刑であり、これは「殺人は自らの死を以て償うべきである」という考え方、言わば感情論から生まれているワケで、そこから法体系的に殺人より軽い罪に対し死刑より軽い罰を徐々に定めているワケである。
 ではこの去勢という措置、実際の日本の法体系に照らし合わせて考えた場合、それは生ぬるいのか、それとも妥当なのか、はたまたやりすぎなのか、いったいどうであると考えるべきだろうか。
 
 去勢という措置、これは人間の機能の一部を強制的に、そして人工的に手を加えて制限する行為である。
 フランスでは知らないが、少なくとも日本ではこのような罰は今のところ存在しない。
 そして存在しないという点と比べれば、明らかにこれは相当に「重い」罰であると考えられる。
 そう考えた場合、果たして性犯罪に対する去勢という罰が妥当なものかどうか、オレはこれは重すぎる、そして他の刑法と比べてあまりにも突出しすぎている措置だと思う。
 人間の生まれ持った機能を人工的に制限するのという行為が、果たして本当に許される行為なのかどうかも議論の余地の残る問題であろう。
 どの面から考えても、まだまだこの措置は妥当性がないとしか言いようがない。
 
 それでも「再犯を防げる」という理由で賛成する人は出てくるだろう。
 罪に対する罰はどの辺が妥当なのかという判断は、これはそう簡単に結論づけられる問題ではない。
 だからもしかしたらレイプという罪に対しての罰が去勢という措置も、考え方によっては妥当と言えるようになるかもしれない。
 しかし、この問題は「再犯を防げる」という点だけで語れる問題でもない。
 
 繰り返しになるが、今の日本の法体系のまま去勢という措置を許してしまえば、どう考えても性犯罪だけが異常に突出した罰を規定する刑法になってしまう。
 これは法の整合性、すなわち「法の下の平等」の大原則から外れてしまうので、結果的に日本の法治国家という柱を壊してしかねない暴挙となってしまうだろう。
 よってレイプという罪に対しての罰が去勢という措置が妥当と言えるようにするためには、他の罪に対しても同様な罰を規定する必要があるわけだ。
 
 これは、「再犯を防ぐためなら人間の生まれ持った機能を人工的に制限してしまっていいのかどうか」という議論の面からも考えられる問題である。
 例えば窃盗という罪に対してなら、両手を切り落としてしまえばいいだろう、そうすれば窃盗の再犯はほぼ防がれることになるだろう。
 殺人という罪に対してなら、両手を切り落としさらに両足も切り落としてしまえばいいだろう、こうすればまず二度と殺人という罪は犯すことはできないだろう。
 また、恐喝や詐欺罪なら喉を潰してしまえばいいだろうし、無銭飲食なら味覚を奪ってしまえばいいだろう。
 「再犯を防げる」という題目が何に代えても最優先させられる絶対正義であると言うのであれば、このようにやれることはいっぱいあるはずだが、それは人間として許される行為であるかどうかを、本来はここまで考えてから議論すべきである。
 そしてここまで実行してはじめて「人間の生まれ持った機能を人工的に制限してしまう」という罰である去勢も認められるようになるだろう。
 しかし今の一般の議論を見ている限り、ここまで考えている人はちょっといないのではないだろうか。
 去勢という措置を執りたいのであれば、まずは「再犯を防ぐためなら人間の生まれ持った機能を人工的に制限してしまっていいのかどうか」という議論をまずしなければならいはずだ。
 
 だから、もしこういう風に全ての法律を変えるのであれば、それが国民の意思であるならば、オレは一定の理解を示すだろう。
 「再犯を防ぐためなら人間の生まれ持った機能を人工的に制限してしまっていいのかどうか」という議論もここまですれば「良し」という国民の判断なんだろうし、また法の整合性もこれで担保されるからである。
 一応は問題は無いと言えるだろう。
 
 ただまぁちと野蛮すぎる気がするが。
 
 どうも性犯罪だけが感情論が先走ってしまい、冷静に物事を考えられなくなってしまう風潮が出来てしまう。
 確かにそれだけ性犯罪が重大な犯罪であるというのはその通りだが、しかし人間社会における犯罪は性犯罪だけではないし、それこそ殺人という性犯罪に比べて決して軽いとは言えない犯罪も存在する。
 そういうことを考えた場合、決して性犯罪だけを特別視して法体系の整合性を崩すような制度にしてはならないだろう。
 「レイプ犯には死刑を」という議論なら一考の余地があるが、「性犯罪には去勢罰を」というのは暴論だとしか言いようがない。

 

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平成19年8月24日

 高野連と教育

 今年の甲子園は、決勝戦にやえの地元広島の広陵高校が出たというコトもあって、特に決勝戦は文字通り固唾を飲んで見守っていました。
 もともと広島の高校野球は全国的にもかなり強い方でして、昔は広島商業という高校が圧倒的に強く、夏の甲子園は6回の優勝という全国一の記録も持っている高校もあります。
 また広陵高校も、夏の甲子園の優勝こそ無いものの春のセンバツでは3回の優勝を誇っていたりして、広島では広陵か広商かと双璧と言っていいほどの全国的な強さを見せつけています。
 そんな広陵高校がついに悲願の夏初優勝を賭けて決勝戦に上り詰めたのですから、これはもう期待に期待のまなざしでやえは見守っていたのです。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 結局、結果は残念でした。
 またまた広陵は夏の優勝を逃してしまって、それはそれはとても残念なんですが、もちろん準優勝も立派な成績ですから、選手達は胸を張っていただきたいと思います。
 素晴らしい試合を有り難うございました。
 
 なんですが、試合が終わってからこのようなコトがありました。

 広陵・中井監督判定に大爆発「あんな判定されると…」
 
 広陵の中井哲之監督は試合後も記者団に、激しく審判批判を繰り返した。
 「審判にも年齢制限設けたらどうですかね。一体どこに投げたらストライクなんですかね。やめろといわれたら監督をやめてもいい。でもあれはどう考えてもおかしな判定ですよ!」
 問題の投球は8回裏の佐賀北の攻撃。それまで7回を完璧(かんぺき)に抑えていた広陵の先発野村が突然制球を乱し、連打と四球で押し出しの1点を献上し、逆転満塁HRを食らってしまった場面だ。中井監督はこの連続四球の判定に「あんな判定をされると、どう対処すればいいのかわからない」と怒りをぶちまけたのだ。この回、捕手の小林もミットを3回グラウンドにたたきつけて不満を露わにした。
 「命がけで野球している彼らに、あの場面では何も言えない。マナーに厳しい自分でも我慢できなかった」と中井監督監督は話した。甲子園大会でここまで露骨な球審批判は聞いたことがない。
 球審はベテランの桂等氏(58)。「年齢制限を設けよ」は言い過ぎだろうが、確かに高野連関係者の間にも「桂さんは試合をコントロールしがち」との声もあった。

 運命の8回の出来事です。
 もちろんやえも見ていました。
 が、実際どうだったのかはやえの口からは言わないコトにします。
 どうしてもひいき目が入っちゃいますからね。
 ただ気になったのが、これに関連する次の記事です。

 高校野球:広陵の監督、高野連から注意受けたと明らかに
 
 第89回全国高校野球選手権大会で準優勝した広島・広陵の中井哲之監督は23日、決勝の佐賀北戦後、審判の判定に不満を漏らしたことに対し、日本高校野球連盟から「審判は絶対的で、不満を言うのは好ましくない」などと注意を受けたことを明らかにした。
 宿舎で取材に応じた中井監督は「(審判批判は)いけないことと分かっていたが、選手に言わせるわけにはいかないと思ったので、あえて自分が言った」と話した。

 やえは、この「審判は絶対的で、不満を言うのは好ましくない」というセリフに激しく違和感を覚えます。
 
 試合中においては、ここは結果を重視するプロ野球と違って、高校野球ではそういう光景というのは好ましくないとはまぁ言えるでしょう。
 建前上ではやはり高校野球は学校の部活動であり、教育の一環という位置づけですから、結果がどうかというコトではなく、どのようなプレイをするかが一番のポイントですから、あまり見苦しい抗議というモノを試合ちゅに出すのはある意味不適切と言えるかもしれません。
 だから試合中には選手も監督も絶対に抗議などはしないようしているのでしょう。
 
 しかしこの場合は違います。
 広陵の監督さんは、試合が終わった後に、あれはどうだったのだろうかと疑問を呈したワケです。
 そして、広陵の監督さんも記事に寄りますとけっこう過激なコトは言っていますが、しかし再試合させろだとか結果を覆せだとかというコトを言っているワケではなく、今後同じようなコトがないよう将来のために言っているワケです。
 ですから、そんな抗議を「絶対的だから言うな」と発言自体を封じるような行為はいかがなモノなのかと思わざるを得ません。
 まして監督さんの発言は「不満」ではないワケです。
 ちょっと高野連のこの硬直的な考えはいったいどういうコトなのか理解に苦しむ他ありません。
 
 このニュースに対して、監督さんに否定的なコトを言う人もいます。
 曰く「高校野球は教育の一環なんだから、勝敗のコトを愚痴るのは教育者としてけしからん」というような感じです。
 しかし、教育だからこそ勝ちと負けという厳しさを教えるのも大切なコトだと思いますし、またそれは公平公正なルールがあってこその話のハズです。
 全ての人間が同じスタートラインに立って、その上で競争をするというのが、少なくとも現代日本の正しい価値観のハズです。
 ですから、今回の問題については、その公平なルールが公平でなかったのではないかと監督さんは訴えているワケで、これは教育者としてむしろ正しい姿なのではないかと思うのです。
 
 「オレがルールだ、オレが正義だ、オレが絶対だ。オレの言うコトにケチつけるコトは決して許さない」と頭ごなしに押さえつけてしまう方が、教育としていかがなモノなのではないでしょうか。
 
 最終的には広陵の監督さんが高野連に謝罪するという形で決着をつけたようです。

 「判定に不満」広陵・中井監督が謝罪
 
 夏の甲子園で準優勝した広陵・中井哲之監督(45)が23日、決勝戦の判定に不満を漏らした件で日本高野連に謝罪した。優勝報告会のため大阪市内の朝日新聞本社を訪問し、学校長同席の上で、脇村春夫会長(75)田名部和裕参事(61)と会談。「野球は審判が最終の判断を下す。それをよく理解するように」と同会長から注意を受けた。中井監督は「選手の悔しい思いを代弁し、つい口から出てしまった。申し訳ありません」と反省した。

 どこまでも高圧的な高野連ですが、この問題をいつまでもズルズル引きずってもしょうがないでしょう、今更判定が覆るワケでもないですし、お互い本心は色々あるでしょうが、こういう形にして決着したコトは評価できると思います。
 特に、監督さんも学校の野球部も高野連の組織の一部という形なのですから、組織のあり方としてこういう決着の方法があるんだと、大人の社会では珍しくないんだとうコトを身を以て生徒達にある意味の社会勉強として教えたという、この監督さんの頭を下げたという行為は立派だと思います。
 地元のコトですからやえも監督さんの人となりはちょっと知っているのですが、むかし若くして20代で監督になって当時はやんちゃだったと聞いていたのですけど、今ではすっかり成長したんですね。
 蛇足でしたが、高野連はむしろ「選手監督に抗議を与えるスキがないような運営」を、これを教訓にして目指してほしいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、高校野球を応援しています。
 

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平成19年8月27日

 安倍改造内閣

 簡単に安倍改造内閣の方々を紹介してみたいと思います。
 
■ 総務大臣 増田寛也・・・民間
 今回の人事の目玉の一人と言っていい方でしょう。
 元岩手県知事で、改革派知事と呼ばれていた方です。
 ですので、民間と言っても政治家でありますので、役人の使い方等、その辺は慣れていらっしゃるでしょうし、もともと自身も国土交通省のお役人さんですから、大臣として即戦力が期待できると思います。
 と、ここまで書いたのですが、やえは正直この方よく存じ上げませんので、今後に期待というぐらいにとどめておきたいと思います。
 
 
■ 法務大臣 鳩山邦夫・・・自民党津島派
 
 自由民主党初代総裁のお孫さんであり、現民主党の鳩山由紀夫さんの弟さんです。
 政界の中でも家柄はピカイチと言っていいのですが、わりと所属政党を多く変えていたり、選挙区すら何度か代えているために、知名度や存在感のわりにはあまり重職についておられません。
 ただ選挙区を変えても当選するというのは、よほど実力のある証拠とも言えますし、もう10期も衆議院議員をつとめていらっしゃるワケで、政治手腕は申し分ないと言えるでしょう。
 法務大臣として安定感ある運営をしてくださると思います。
 
 
■ 外務大臣 町村信孝・・・自民党町村派
 
 安倍さんの出身派閥、清和会の領袖です。
 町村派と言うとなじみが無い人が多いかもしれませんが、分かりやすく言うと森派です。
 組閣予想では官房長官ではないかと言われていましたが、結局一度務めたコトのある外務大臣に落ち着いたようです。
 やえ的には、文教族っていうイメージの方が強いんですけどね。
 今後、安倍さんが主張しているような外交政策が進められるかどうか、建前的には総理大臣と外務大臣、内向き的には派閥の一員とトップという、ちょっとしたねじれ現象ですので、この辺がどう作用するのかがポイントだと思います。
 
 
■ 財務大臣 額賀福志郎・・・自民党津島派
 
 額賀先生は派閥の領袖ではありませんが、ほとんど今ではそれに近いと言って差し支えないと思います。
 今や死に体の津島派の切り札的存在です。
 正直財務大臣というイメージが全くありませんでしたので、このニュースを聞いたときに、んん?っと思いました。
 やはりどうしても防衛庁長官を2回も務められておられますので、防衛族という印象が強いんですね。
 でももともとは商工関係に明るく、経済企画庁長官の経験もありますから、そつなく財務大臣もこなすのではないでしょうか。
 
 
■ 文部科学大臣 伊吹文明・・・自民党伊吹派
 
 留任の伊吹さんです。
 大変申し訳ないのですが、まさか伊吹先生が留任されるとは全く予想外でした。
 ちょっとダーティーなイメージがありますからね。
 でもちゃんと政策の中身を見てみると、日本語や教養などこそをしっかりと子供に教えるべきだというような保守的な考え方の持ち主であり、この辺安倍さんとも認識を共通する部分が多いので留任となったのでしょう。
 また、伊吹先生も派閥の領袖ですから、多少人気が無くても党内引き締めという意味でも留任されたのではないかと思います。
 保守系の考えを持っている人は、伊吹先生の政策の中身をじっくりと見てみるコトをお勧めします。
 
 
■ 厚生労働大臣 舛添要一・・・参議院自民党無派閥
 
 今回の人事の目玉の一人と言えるでしょう。
 安倍さんを批判していた一人でしたが、6年前に初当選してから、党内ではただのタレント候補とは一線を画す政治能力を発揮し、一目置かれていた存在でもありますので、大臣としての手腕は申し分ないと思います。
 テレビに出ていた時は国際政治学者として出ていたのでそっちの分野のイメージが強いのですが、実のお母様の介護体験から厚生労働関係にも明るく、この分野でも十分手腕を発揮されるコトでしょう。
 安倍内閣では鬼門の厚生労働大臣に知名度のある舛添先生を持ってくる辺り、絶妙な人事だと言えます。
 今後国民にどのような説明をしていくのか注目です。
 
 
■ 農林水産大臣 遠藤武彦・・・自民党山崎派
 
 永田町では「エンタケ」という愛称の遠藤先生です。
 農林関係の政策に強く、農水副大臣などを歴任していらっしゃいますので、ここは適材適所と言えるでしょう。
 また、安倍内閣では鬼門とも言える農水大臣職ですが、エンタケ先生に変なスキャンダルが出てこないコトを願います。
 おそらくマスコミはねらい打ちのようにスキャンダルを探し出そうとしているでしょう。
 ここは政策での実力を見せつけてほしいところです。
 
 
■ 経済産業大臣 甘利明・・・自民党山崎派
 
 留任の甘利先生です。
 この先生はとても政策通ですし、特にスキャンダル等ありませんでしたので、留任も違和感がありませんでした。
 経済産業大臣という要職のわりにはあまり目立たないのですが、安倍内閣ではスキャンダルでしか目立たないですから、逆に言えば安倍内閣の中でも安定感がある大臣というコトが言えるでしょう。
 
 
■ 国土交通大臣 冬柴鉄三・・・公明党
 
 公明党枠での留任です。
 さすがにいろいろな意味で、公明党の議員さんはスキャンダルが出ませんね。
 
 
■ 環境大臣 鴨下一郎・・・自民党津島派
 
 初入閣の鴨下先生ですが、ごめんなさい、やえはもっと当選回数が上の先生かと思っていました。
 実は現在5期の、安倍さんと同期の方なんですね。
 といっても、新進党に参加しているコトから、自民党生え抜きの安倍さんとはちょっと経歴が違います。
 過去に環境政務次官も務められていますので、この分野にも造形があるようですが、どうも小池さんのせいでしょうか、環境大臣と言うと女性のイメージがやえの中にあって、ちょっとお年の鴨下先生には似合わないような・・・と言ったら失礼ですね(笑)
 
 
■ 防衛大臣 高村正彦・・・自民党高村派
 
 高村派の領袖で、外交政策に強い先生として有名ですね。
 橋本龍太郎内閣では、閣僚経験がそれまでにあったにも関わらず外務政務次官に就任するという異例の経歴の持ち主で、それだけ外務関係の手腕は高く評価されている裏返しとも言えるでしょう。
 もちろん外務大臣の経験もありますし、また過去には防衛政務次官も務められていらっしゃいますので、さしあたってテロ特措法問題が待っている外務大臣として、安倍さんからその手腕を期待されての入閣なのでしょう。
 
 
■ 官房長官 与謝野 馨・・・自民党無派閥
 
 この人事もちょっと驚きました。
 政策通として有名であり、小泉内閣では金融担当大臣として存在感を示した与謝野先生ですが、今回は官房長官として入閣です。
 元々官房長官という役職は、総理の出身派閥から出るのが通例で、前回は出身派閥以外から出すのが通例の幹事長に中川秀直先生を置いたために逆に官房長官は派閥の違う塩崎先生だったのですが、今回は幹事長も官房長官も違う派閥からというコトになりました。
 やえは与謝野先生の官房長官というのはどうもイメージがわきません。
 というのも、政策通ではいらっしゃいますが、党内外への調整能力は正直ちょっとよく分からないからです。
 派閥も無派閥ですし、まぁもともと志帥会なんですが、ですから今後どのような運営をしていくのか、注目といえるでしょう。
 前任の塩崎さんも、政策通ですが調整能力に劣るというのは永田町ではわりと有名な話だっだけに、二の轍を踏まないかちょっと不安です。
 ちなみに、与謝野鉄幹・晶子夫妻のお孫さんにあたります。
 
 
■ 国家公安委員長 泉 信也・・・参議院自民党二階派
 
 ごめんなさい。
 参議院で国家公安委員長ですので、特段これといって特筆すべきところがありません。
 
 
■ 沖縄・北方担当大臣 岸田文雄・・・自民党古賀派
 
 やえの出身広島選出の先生です。
 宏池会のプリンスとも言われ、昔から若手のホープと呼ばれていました。
 今回の内閣の中で最年少で、見た目もずいぶん若いですが、それでも50歳です。
 安倍さんと同期で、また自民党を離党したことのない生え抜きであり、自民党が下野した時の選挙が初当選の、いわゆる政策新人類の世代の政治家です。
 安倍内閣発足の時には入閣間違いないと言われていたのですが、岸田先生は大(中)宏池会構想のまっただ中に身を置いたために、結局入閣はなりませんでした。
 広島の国会議員として頑張ってもらいたいのですが、沖縄北方担当大臣はあまり目立たない役職ですから、その辺が残念です。
 
 
■ 金融・行政改革担当大臣 渡辺喜美・・・自民党無派閥
 
 留任の渡辺先生、今度は金融担当も兼任のようです。
 安倍内閣としては重要な政策である公務委改革・人材バンク構想がまだまだ道半ばですから、そういう意味から留任なのでしょう。
 
 
■ 経済財政担当大臣 大田弘子・・・民間
 
 留任の太田さんです。
 経済財政担当というコトでもっと目立つのかと思ったのですが、スキャンダルでないと目立たない安倍内閣では全く目立っていません。
 というコトは、しっかりと仕事をしてらっしゃるのでしょう。
 
 
■ 少子化担当大臣 上川陽子・・・自民党古賀派
 
 初入閣の川上先生は現在3期ですから、大抜擢と言っていいでしょう。
 と言っても岸田先生より年は上・・・いえ、なんでもありません(笑)
 前回の内閣では古賀派は閣僚4人(+総務会長)も送り込んだのですが、今回は中堅若手2人だけとなりました。
 まぁ前回が優遇されすぎでしたからね。
 
 
 というワケで、簡単に第二次安倍内閣の紹介でした。
 

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平成19年8月30日

 まだなにもやってないのに批判してどうなるのか

 この段階で批判して一体どうなるのか、やえにはさっぱり分かりません。
 
 批判しかできない、それは立場的にというのがあるのかもしれませんが、そんな野党というものはそれも仕事のひとつのうちなのでしょうから、まぁいいでしょう。
 鳩山民主党幹事長の「鮮度を感じない」というセリフも、どう考えても「それはあなたがでしょ」としか思えないのですが、まぁいいでしょう。
 本来なら、民主党の政策と照らし合わせて、この分野ではこのような政策をしてほしいと建設的意見を述べるところだと思うのですが、まぁ鮮度のない民主党にそれを求めるのも酷でしょう。
 
 しかしそれにしても国民やマスコミも、この段階で新内閣を批判して、一体それは日本のために本当になると思っているのでしょうか、やえには疑問です。
 
 新閣僚はまだ何もやっていません。
 仕事をなにもやってないのに、それを評価するコトなど、一体全体誰ができるというのでしょうか。
 政治家はタレントではありません。
 タレントであるなら、見た目だとかイメージだとかで断じるのもいいでしょうが、政治家は政治の仕事こそが本分です。
 国会議員として国務大臣として、日本をどのように動かしていくのか、それが政治家に与えられた使命であり、そして主権者であり国会議員を選出した国民は、その中身を吟味し精査して評価を与えるのが本来の姿のハズです。
 
 それなのに最近の政治への評価は全てイメージで語られているような気がしてなりません。
 結局改造前の安倍内閣につけられた「お友達内閣」という名称だけが、前回とそして今回の組閣にかかる評価の基準になってしまっています。
 なぜ「お友達内閣」が悪いのかやえには分かりません。
 もし閣内で仲が悪かったり意見が分かれるとすぐに「閣内不一致」と批判するくせに、仲がよい、言い換えるならチームワークが良いと言えるんだと思うのですが、しかしそれはそれで批判するというのでは、では一体どうしろと言うのでしょうか。
 まして「お友達」と揶揄したところで、しかしその内閣のほとんどは国会議員で占められているワケです。
 選挙を経て、国民の負託を受けている国会議員です。
 安倍さんと仲がいいというだけでそれがどうして批判になるのでしょうか。
 
 小泉さんの時にマスコミや国民はさんざん「ワンフレーズ政治」と言って批判していました。
 しかしワンフレーズで全ての印象を決め、それだけで善し悪しを決めているのは、いったい果たしてどっちなのでしょうか。
 これは最近よく言ってますが、あれだけ盛り上がった参議院選挙の結果を総括している人は、結局誰もいません。
 敢えて言うなら内閣改造を行った安倍さんぐらいです。
 一体あのときの選挙は何が争点で、国民は何を望んでいて、これからどうすべきなのか、国民を含めて今だれもそれを考えいてません。
 結果的に安倍さんのイメージが低下しただけの話でしかなく、つまりこの選挙はイメージを決定するだけの「イメージ選挙」でしかないのでしょうか。
 
 そして保守的な政策面で言えば、確かに今回の改造で安倍カラーがほとんど消えてしまったコトは確かで、つまりこれは安倍さんが前々から主張していた保守思想的政策の後退を意味します。
 
 国会議員はタレントではありません。
 国民は見た目だけがいい人を日本の舵取りに任せるのか、それとも中身ある政策において舵取りを任せるのか、よくよく考える必要があるでしょう。
 やえは、この内閣が今後どのような施策を講じ、日本をどのような方向に導いてくれるのか、その中身をしっかりと見ていきたいと思います。
 

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