さすが食べ物のコトになると日本人はアツいですね。
もともと日本人は衛生観念が高く、それが日本の繁栄の一因となったのは確かですから、それはそれでいいんですが、しかしアツくなりすぎて感情論が先走ってしまうようなコトになってしまうと、それはマズいコトになってしまいます。
まず誤解から解いていきましょう。
もう一度言いますが、やえは赤福自体は別にどうでもいいのです。
擁護するつもりなどさらさらありません。
やえが言っているのは、科学的検査の結果に従うべきですと言っているだけであり、赤福はその例示に過ぎません。
餅の再利用が科学的にダメと結論づけられるのであれば当然ダメですし、問題ないとされれば問題ないとすればいいんじゃないですかと、そう言ったに過ぎないのです。
実際調べて再利用餅が科学的にダメというコトになって赤福がつぶれたところで、やえの言っているコトになんら変わりはありませんし、関係ない話です。
ですから、やえが別に実際のところどうなのかを調べる必要性もありません。
実際どうなのか、調べても調べなくても、そして調べた結果どうだったとしても、やえの主張にはなんの影響も与えないからです。
ダメならダメですし、良いなら良いだけの話で、やえは赤福についてどうこう言っているのではなく、一番大切なのは科学的にどうなのか、健康的にどうなのか、ここを一番考えなければならないのではないでしょうかというコトを言っているだけなのです。
さて。
冒頭にも言いましたように、何事もなんですが、感情が先走ってしまい、感情論だけで物事を語ってしまうようなコトになってしまうと、これはマズいワケです。
例えば、コメントで「期限切れでも冷凍ならば健康に問題はないと主張するのならばそれを先に実証して説明するべきなのです」と書き込みをいただいたのですが、しかし果たしてそのように実証して国民が納得するかどうか、やえにはちょっと疑問です。
もちろんこれは是非やっていただきたいコトです。
行政にも動いてもらいたいです。
しかし赤福がもしこのようなコトをしたとしても、果たして今の世論はそれで納得するのか、かなり疑問です。
特にマスコミなんかが「開き直りだ」とか「反省してない」とか、もしかしたら「問題はそこにあるんじゃない」とか言い出しかねないのではないでしょうか。
いわゆる「聞く耳持たず」の状態であり、感情論が先走ってしまう結果です。
もちろんそういう状態になったら、当サイトとしても「感情論だけで物事を断ずるな」と言いますが、しかし今赤福が化学分析をしたところで、今の問題が解決されるというワケでは全くありません。
赤福が偽装を隠蔽しようとしたのは事実であり、それは全く言い逃れできない罪であって、信頼をすこぶる貶めたのは残念なコトですが、しかしそれと科学的な健康問題はまた別の話です。
でもおそらく、そこまでしてしまった赤福ですから、いまさら化学分析などしても、誰も聞く耳を持たないでしょう。
それはそれで人間的感情としては当然あるモノではありますが、それでもやえは、冷静になるべきところは冷静にならないければならないのではないかと思うのです。
話は偽装問題から変わりますが、アメリカのBSEの問題がありますよね。
最近あまり騒がれなくなりましたが、ちょっと前まで牛肉を輸入するしないで日本は大騒ぎしていました。
アメリカ産の牛肉からBSEが検出され、日本が輸入をストップし、すったもんだの挙げ句再開したはいいものの、またまたBSEが検出されて大騒ぎになったという、あの一連の騒動です。
あの時のキーワードは「全頭検査」でした。
日本ではBSEに感染しているかどうか全ての牛を検査して安全性を確かめている、しかしアメリカは全頭検査をしていない、輸入再開するなら全頭検査をしてからにしろ。
こういう論調が主流でした。
今でも「全頭検査しなければ食べれない」と思っている人も多いのではないでしょうか。
しかし実は残念ながら、全頭検査は万能では無いのです。
みなさんは当然、全ての牛を検査すれば、全てのBSE感染牛が見つかる、と思いますよね。ところが、そうではありません。そもそも、現在の検査能力では、すべてのBSE感染牛を見つけることは、不可能なのです。
突然何を言い出すのかと、驚かれたかもしれません。そのくらい、自分たちは今までの報道によって誤解してきたのだ、というふうに、まずは受け止めてください。そして、全頭検査という仕組みに全てを預けてしまうのではなく、BSE対策の何が安全で何が危ないのか、自分の頭で理解しようと務めてみてください。
現在のBSE検査は、牛の体のある部分しか、検査の対象にすることが出来ません。これが、すべてのBSE感染牛を見つけられない理由です。牛がある程度まで成長していなければ、その部分からはBSE感染を検出できないのです。
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全部引用していると長くなってしまうのでこの辺でやめておきますが、これは丸川珠代さんのコラムです。
今は参議院議員になっていらっしゃるので首をかしげる人もいるかもしれませんが、このコラム自体はアナウンサー時代のモノですし、サイトも丸川さん個人のモノではありませんから、それなりに信憑性のある話です。
他にもこの手のコトで検索を掛ければ色々と出てきますので、詳しく知りたい方は調べていただければと思いますが、とにかく全頭検査は必ずしも万能ではないのが事実なのです。
アメリカ牛が輸入再開されるかどうかの時、日本はあくまで全頭検査を求めましたが、アメリカの言い分は、「科学的に実証された方式によってアメリカでは検査をしている。今回BSEが出たのは、検査の方法が悪いのではなく、検査した現場でミスを犯してしまったからだ」というような主旨のコトを言っていました。
つまり検査が悪いのではなく、検査した人間が悪かったというコトです。
確かにこれなら言い分としては間違っていません。
しかし日本では、やはり検査の方法、すなわち全頭検査の有無ばかりがクローズアップされ、それが報道されて、国民の判断の基準となってしまっていました。
アメリカの検査の方法が本当に科学的に正しいかどうかやえには分かりません。
ですから、キチンと科学的に検証していただきたいと思います。
そしてダメならダメと証拠を持って言えばいいだけですし、本当に問題ないのであればそれを堂々と国民に提示して説明すればいいのです。
一番大切なのは、国民がそれを正しく正面から受け止めるコトです。
気分や感情だけで断じるのではなく、全頭検査という神話を信じ続けるのではなく、事実を見据えるべきなのです。
また誤解されないようにもう一度念押ししておきますが、やえはアメリカ産牛肉がどうこう言っているのではありません。
科学的調査こそを判断の基準にすべきだと言っているのです。
やえだってBSE入りの牛肉なんて食べたくありません。
だからこそ、しっかりと科学的根拠で判断して欲しいと思うのです。
少なくとも、アメリカ産牛肉の輸入再開に関して「全頭検査しなければダメだ」という主張だけでは適切ではありません。
アメリカはアメリカなりの科学的根拠を持ってきているのですから、それに対するのは全頭検査という答えだけではないワケで、しかも全頭検査すら万全ではないのですから、様々な観点から科学的に根拠が出せる方式をお互いに納得する形で出すべきなのです。
今の段階は、全頭検査のあり方も含めて、どのような方法が最も安全と言えるのか、まずそこから考え直す必要があるのではないでしょうか。
感情論が先走ると、たいていややこしいコトになります。
捕鯨問題など、その最たるモノと言えるでしょう。
一部、というか多くの国で言われている捕鯨反対の理由とは、ほとんどが「可哀想」というモノであり、また「くじらは頭が良い」という、全く科学的根拠に基づかない感情論でしかない理由ばかりです。
また、鯨の数が減っているという理由を言う人もいますが、すでにこれも科学的に見て適切ではない論になっています。
そもそも捕鯨によって鯨の数を減らしたのは白人のせいなんですが、それはともかくとしましても、最近は捕鯨禁止措置によってずいぶんと鯨の数は増えてきています。
というか、増えてきているという段階ではなく、すでに増えすぎてしまって、エサとして鯨が食べている魚の方が減ってしまっているという事態に陥ってしまっているんですね。
ですから、科学的に見て、捕鯨はむしろ推奨されるべきモノだと言えるワケです。
キチンと数を減らさないように規制しながら捕鯨をするのは、科学的に正しい行為なのです。
それなのに、一部の国では、感情論だけでそれを禁止しようとしているんですね。
気をつけなければならないのは、自分が捕鯨反対論者になってしまっているのではないだろうかというコトです。
日本人の多くは捕鯨反対論に対して、半分あきれ顔で「なにをバカなコトを言っているんだ」と思えるワケですが、おそらく捕鯨反対論者は本気で本音で心から捕鯨反対論を唱えているのでしょう。
しかしもしかしたら、全頭検査神話を信じている人も、実は端から見れば捕鯨反対論者と同じなのかもしれないのです。
科学的根拠に基づかず、ただ感情論だけで突っ走っているのかもしれません。
「こうした方がいいに決まっている」と自分の中での結論に凝り固まってしまっている状態です。
そしてそれは、結果的に見れば自分にも不利益な結果をもたらしてしまっている可能性もあるのです。
感情に素直になる、なりたいというのは人間ですからあるとは思いますが、捕鯨問題を考えれば感情だけで結論を出されても困る場合も出てくるワケですね。
実際捕鯨の問題は、感情論が勝ってしまって捕鯨が中々できない状況に追い込まれています。
だからこそ、と言うワケでもないのですが、理性的に冷静に、科学の根拠が必要な場面ではキチンと科学的根拠によって行動しなければならないのではないでしょうか。
今回この問題を取り上げてから、たくさんの様々なご意見をいただきました。
今回やえは、健康問題と科学的根拠というところに論の中心を置いて語ってきましたが、食品の問題はもちろんこれだけではありません。
他にも色々と問題はあると思いますが、特に国内の問題であれば、例えば製造年月日ではなく消費期限とするとかですね、ルール作りを適切に進めていかなければならないのではないかと思います。
また外国との問題にしても、それなりにキチンと示せる根拠があるのでしたら、逆のパータンとして中国食品とか問題がありそうな場合でも、自国だけの特殊ルールではなく、開かれた形でのルールを示すコトによって、事を有利に進められるのではないでしょうか。
そこに感情論で話をしてしまっても、相手も感情があるのですから、結論は得られないでしょう。
現代社会において、科学という一定の、しかも客観的なルールがあるのですから、それをひとつのルールとして話を進めるのが妥当なのではないかと思います。
また機会がありましたら、この問題を取り扱っていきたいと思います。
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