☆やえニュース☆

 人権擁護法案に係るよくある質問福田総理辞任!?自民党総裁選の行方世論の流れを「風向き」なんてよく言ったモノです契約破りは破った方が悪い問題は整理して議論

平成20年9月1日

 人権擁護法案に係るよくある質問

 最近、御意見板が活発でとてもうれしく思っています。
 ありがとうございます。
 そしてその中には、いくつかお返事を返したいと思っているモノもありまして、また頂いたメールにもお返事をしたいと思っているのですが、なかなか消化しきれていません。
 ので、忘れないように、ちょっとここにメモしておきます。
 
 ・政治や政策に対する政治側から見た批判と、国民側から見た批判【メール】
 ・結果に対する受け止め方と、その上で自分の意見を主張するというコトの違い
 ・主張の中身はその更新だけでも構いませんが、やえの立ち位置やスタンスを問題にするなら過去ログを読んでいただかなくては批評は難しいと思います
 
 随時更新していきます。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 今日は、そんな御意見板のご意見で、人権擁護法案に対する疑問を呈されている方がいらっしゃいますので、それについて回答をしておこうと思います。
 この問題やえは、こうなった以上はトコトンやると決めていますので、ご興味のない方もそれなりにいらっしゃるとは思いますが、どうぞお付き合いしていただければ幸いです。
 なぜそこまでやえがトコトンやってしまっているのかは、また別の機会、やえの立ち位置の問題の時の更新で触れられるくるモノと思われますので、そちらを読んでいただければと思います。
 
 ではまず、ご意見板から引用です。

 (1)そもそも憲法14条があるのに、個別法作るのはなぜ?
 (2)その法案を提出する議員に解同、朝鮮人団体の影が疑われ、新たな利権の温床になりはしないかと言う恐れ。
 (3)法の委縮効果。(もっとも「権利は自分で勝ち取れ」って書いてあるので、発言する方の問題かもしれない)
 (4)最大2万人とも言われる人権擁護委員の財源。彼らを統括する公務員の間接費も含めて。
 (5)パリ原則は公務員による人権侵害防止を目指したもののはずでは?

 これらの疑問や批判は、わりとよく見かけるモノだったりします。
 ただ、これらは全てだいたい、やえの人権法特設ページを読んでいただければ回答は書いてあります。
 特設ページに対して人によっては「長すぎる」とか言われるのですが、しかし法律の問題はそもそもが難しい問題であって、簡単に理解できると考える方が間違いです。
 よくある人権法反対サイトは、ウソやデマで塗り固めているからこそ簡単に書けているワケで、真剣にこの問題を考えるのであれば、簡単にはできないというコトは理解していただきたいところです。
 その中で、真剣に考えているサイトの中では、やえのページは、手前味噌ですが最も簡単に解説できていると自負していますので、出来れば総論だけでもいいので読んでいただきたいと思っています。
 
 さて、その上で、1つ1つ回答していきましょう。
 今回語る人権擁護法は、ちょっとややこしいので太田私案ではなく、その前の平成17年に自民党で議論された法案を元に解説していきます。
 太田私案がどのような立ち位置なのか明らかになる前に終わっちゃいましたからね。
 ただ、その前に衆議院に提出された法案からは、自民党の部会でいくつか修正されていますので、その辺は注意してください。
 その辺も特設ページを読んでいただければ、全て書いてあります。
 
 では、まず(1)からです。
 
 
 (1)そもそも憲法14条があるのに、個別法作るのはなぜ?
 
 この人権擁護法案という法案(法律)は、被害者が裁判によって権利を回復させるための類の法律ではありません。
 この法案は、「行政がどのように動くか」というコトが主に定められている法案です。
 具体的には、例えば「事業者が人種等を理由とした不当な取扱い」をした時に、人権委員会という行政組織がそれをやめさせるよう「氏名公開等の措置を行う」等、というコトが定められている法案なのです。
 つまり、検察が起訴する刑事裁判や、被害を受けたと主張する民間人が直接訴えるコトの出来る民事裁判などの、いわゆる「裁判を起こす」という行為ならば憲法を根拠として起こすコトも出来るワケですが、この法案はそういう類の法案ではなく、行政がどのような時にどのような理由でどのように動くかを定めている法律ですので、憲法と比べるのにはそもそも考え方が違うのです。
 そして憲法14条には、「行政がどのような時にどのような理由でどのように動くか」は定められていませんので、それを可能にするためには法律を作るしかなく、憲法がこの法律の代替案とはなり得ないのです。
 このように、憲法があるのだからこの法案はいらない、という主張は筋が通りません。
 
 
 (2)その法案を提出する議員に解同、朝鮮人団体の影が疑われ、新たな利権の温床になりはしないかと言う恐れ。
 
 これも17年当時から散々言われていて、散々議論されている問題なのですが、そもそも悪人が作ったからといってその法律が必ず悪の法律になるとは、これは言えません。
 だいたいにして、法案も国家の中では国民誰もがオープンに見れて、国民の間で自由に議論できるのですから、もし法案に不備があると考えるなら、法案に対して議論すべきです。
 悪人が提出した法案だけ国民から隠されるワケでもないのですから、誰が提出しようとも、中身を国民が自らの目でチェックすればいいだけの話です。
 
 また、野中さんや太田先生のコトを色々と言われていますが、とは言っても、両先生ともちゃんと選挙を通って国民の判断によって当選した国会議員さんです。
 それを頭ごなしに悪人だと断じるのはいかがなモノでしょうか。
 そもそも「疑われ」という段階でしか語っておられないのに、それでは法案までを否定する理由には全くならないでしょう。
 繰り返しになりますが、利権の温床になるかどうかは、法案の中身を見て考えるべき問題のハズであり、それ以上に大切なのは法律の運用の問題、国民の監視の目の方が大切です。
 もちろん法案文自体に特定の団体のみが過大に利益を受けるような書き方をしていては問題ですが、少なくとも17年に自民党で修正されてからは、そのようには書かれていないとやえは判断しています。
 どこにも「同和団代の訴えは必ず正当とする」なんて書いてないですからね。
 どんな法律でも運用によっては恣意的に運用できるのが法律であるワケですが、だからこそ制定時には公平を期すコトが大切ですし、そして運用には国民が目を光らせなければなりません。
 今の段階というのは、法律の制定の段階での議論ですから、もし法案に不備があると主張されるのでしたら、具体的にどこに不備があるのか指摘すべきでしょう。
 
 そもそも人権擁護法案がなくても利権の温床になっていたという事実がある以上、法律の制定の段階で法律そのものが利権の温床の理由として求めるのは無理があるのではないでしょうか。
 
 これも何度もやえは言っていますが、過去の日本において同和団体が圧力団体のようなコトになってしまったのは、それは国民の同意、少なくとも黙認という形での後押しがあったからに他なりません。
 朝鮮問題も同じです。
 同和・朝鮮問題は批判してはいけない、語ってもいけない、あの人達は可哀想な人達だから目をつむらなければならない、過去の日本においてはこういうタブー視する空気が国民の間に形作られてしまい、利権などのような歪んだ構造が生まれたのです。
 最近になってそれがだんだん崩れていますので、それは喜ばしいコトではありますが、この過去の負の遺産を全て行政や政治の責任に押しつけるのは、やえは大変に無責任な行為だと思います。
 
 これは差別問題だけに限らないのですが、こういう問題は、一朝一夕でポッと生まれ出てくるようなモノではありません。
 それなりの長い年月をかけて、だんだんとじわじわ形作られていく問題です。
 法律が出来たからすぐに問題が発生したのではなく、色々な様々な理由と状況と経緯があったというコトは、この手の問題を語るときには理解しなければならなりません。
 実際に利権があるじゃないか、という、形だけの結果だけを語っても、それは正しく問題を語ったコトにはならないでしょう。
 どうしてそのような問題が起きたのか、それを正すためには、過去の歴史の経緯などを正しく知らなければ、さらに問題が歪んでしまうコトだってあると思います。
 
 話がちょっと逸れてしまいましたが、やえは逆に、同和団体の必要以上の圧力に対抗できる可能性を人権擁護法案には秘められているとも考えています。
 現状では圧力団体が何かイチャモンをつけてきても、「では人権委員会の場で解決しましょう」とするコトが出来るからです。
 さっきも言いましたように、法案自体には特に同和団体だけが有利になるような書き方はしていませんので、公平に運用すれば、国民全体の平均的な正義に利するような法律になるでしょう。
 また、人権擁護法案には、不当な言いがかりに対する対抗策もいくつか考えられ、盛り込まれています。
 それらを全部挙げていたら大変なコトになりますから、是非特設ページをご覧頂ければと思います。
 
 
 (3)法の委縮効果。(もっとも「権利は自分で勝ち取れ」って書いてあるので、発言する方の問題かもしれない)
 
 ごめなんさい、最初これ、どういう意味なのかよく分からなかったのですが、後のレスを読んで理解できました。
 そちらも引用します。

 自主規制が強くなってしまうこと。
 その結果、過去の作品のピーとか黒塗りとか、全話カットとか、作品の人格権を過剰に否定しちゃうのではないか?と考えてます。
 もっともエロが警察とガンガンやりあって、ここまではセーフ、これからはアウトとやってるように
 人権委員会と喧々諤々の討論をやって、ボーダーラインを決めていくのが必要でしょうか。
 ただ、その議論を無駄と感じて、全カットでいいやと、余計な揉め事起こすなと委縮してしまう可能性はあります。

 今でも不必要な自主規制ありますよね。
 ですから、「法律があるから」と、その理由を法律に求めるのは筋違いなのではないでしょうか。
 では今でも「自分の訴えを飲まないと裁判するぞ」という脅しがあるからといって、裁判所制度をやめるべきだという議論になるでしょうか。
 なりませんね。
 国民側の自主的な動きにまで法律に責任を求めるのは違うと思います。
 
 ちなみに裁判する気がないのに「裁判するぞ」と言うのは、脅迫罪に当たる可能性があります。
 
 民間のこういう動きに対して、そこまで政治に責任を求めるのは、やえは国民の甘えだと考えます。
 一言で「揉め事」と表現しますが、実際は差別という非常にデリケートな問題です。
 考えるなら真剣に考えなければなりません。
 それなのに「討論が面倒だ、無駄だ」と考えるのは、それは国民の側の無責任な態度なのではないでしょうか。
 もしこの法案によって自主規制が強くなっても、それは規制する側の態度の問題であって、法律にその責を負わすのは筋違いでしょう。
 
 2の問題と同じですが、差別の問題は国民こそが主体的に議論すべき問題です。
 本来差別の問題、人権の問題は、「これはやってもいい、これはやってもダメ」という形の問題ではなく、人の心の問題なのですから、政治に全て丸投げは出来ない問題のハズです。
 大切な問題だからこそ、国民が主体的に議論すべき問題ではないのでしょうか。
 
 
 (4)最大2万人とも言われる人権擁護委員の財源。彼らを統括する公務員の間接費も含めて。
 
 人権擁護委員については、実は、と言うほどのコトでもないのですが、現在も進行形で実際にいらっしゃいます。
 ので、その財源については、移行期間にもしかしたら多少かかるかもしれませんが、基本的には今と同じと考えていいのではないでしょうか。
 現在も人権擁護委員の方はボランティアです。
 
 また、やえは、最近の「税金のムダ遣い議論」についても、ちょっと疑問に思うコトがあります。
 本来「ムダ遣い」とは、システムの運用に必要な費用を超えて使われているお金、そのお金がなくてもシステムが運用出来るのに計上されているお金のコトを指して形容する言葉のハズです。
 しかし最近は、「税金が使われるコト=悪」だとしてしまう風潮があるような気がしてなりません。
 これは間違いです。
 あくまでムダ遣いとは、システムの運用に関係のない部分について指し示す言葉であって、税金の投入そのものが悪なのではありません。
 ですから、もちろんそのシステムが必要か否かという議論は必要ですが、しかしそれはまた別議論であって、「お金が使われるからこのシステムは不要だ」と言ってしまうような主張は、論としては成り立っていないのです。
 この問題はまた詳しく取り上げたいと思います。
 
 それから、ええと、直接はお金の問題と関係ないと思うのですが、この項目に対するレスで別の懸念を書かれておられますので、そちらもお返事しましょう。

 正直、人権派の弁護士とか、思想に偏った人がなりそうな懸念があります。
 …って懸念を、「人権擁護法案総論(7)−人権委員会−」で否定されてましたが、これは明確に規定してもらわないと安心できないです。
 外国人、特に、日本のお近くの国々は内政干渉を平気で行う国ばかりですから、これは必要だと思ってます。

 とおっしゃいますが、まさか「左翼思想の人間は人権委員、もしくは人権擁護委員にはなれない」と法律で規定できるワケはありません。
 それはかなりの思想信条に対する差別と言わざるを得ません。
 憲法違反です。
 やえの個人的な立場からすれば、左翼思想は多くの部分で間違っていると考えていますが、それを公にシステム的に禁止だとするコトは、絶対にやってはならないコトです。
 共産主義も間違っているとやえは考えていますが、共産主義の考えを肯定する人間が存在コトを否定するコトはしてはならないコトでしょう。
 間違っているコトを「間違っている」と指摘するコトと、存在自体を頭ごなしに消し去ろうとする行為は、全く別モノです。
 特に民主主義とは、多様な考え方を許容するシステムなのですから、ある考え方を持っているからという理由だけで排除しようと公のシステムで決めてしまうのは、これはむしろ危険な考え方です。
 
 この辺の問題は、民主主義という原則で補完すべきです。
 民主主義だからこそ多様な考え方を許容し、民主主義だからこそそのルールが原点・原則です。
 つまり、いかに公の組織が民主主義の精神に則って作られ運用されているか、です。
 ここが一番大切です。
 詳しくは特設ページを読んでいただくとして、やえは十分に人権委員会は日本の民主主義ルールが反映されたシステムになっていると判断しています。
 確かに人権委員に偏った人が就任されれば、例えばサヨク思想にまみれた人がなってしまったら大変だと個人的には思いますが、そういう事態というのはおそらく、社民党や共産党が政権を取った時、もしくは民主党でもあり得るかもしれませんが、そういう時であって、それは国民の選択の結果なのです。
 やえはそうなった場合、政策等の中身については批判しますが、それをシステムや法律そのものに責任を求めるような主張はしないでしょう。
 
 ちなみに、人権委員には外国人はなれないと、明確にされています。
 
 
 (5)パリ原則は公務員による人権侵害防止を目指したもののはずでは?
 
 必ずパリ原則通りにしなければならない、というコトではないので、あまりこの議論には関係ないかと思われます。
 公務員以外の人権侵害については規定してはならない、と書いてあるならまだしもですが、そうではないですから、これに囚われる必要性は見いだせません。
 
 それから

 ぶっちゃけ、公務員による人権侵害防止の法案と、私人間の人権侵害防止の法案に分けた方が、法務局もやりやすいんじゃないかなと思うのです。

 についてですが、やえの自民党部会レポでも書いたと思うのですけど、ある有識者の方が、「官と民は分けた方がいいという考え方があるが、では人権委員会を官と民のふたつの対応のためにふたつも作るのか。国民がそれでいいと言うならいいのだろうが、しかしそれはあまりにも無駄ではないのか」というような主旨の発言をしておられました。
 やえもそう思います。
 また、官の人権侵害が民の人権侵害よりも問題だとも思いません。
 どちらも同じように問題です。
 わざわざ分けて、「官の方が問題だ(比較して、民の方はそうでもない)」というような印象に捉えられかねないような手法はよろしくないんじゃないでしょうか。
 スピードが大切かどうかはまた別の問題ですが、やえはわざわざ分けて議論すべき問題ではないと思います。
 民の人権侵害だって官の人権侵害と同じように非常に問題です。
 そもそも民と官を分けて考えるという考え方の方が、やえには理解できません。
 
 
 とりあえず、今回のご意見に対しては以上です。
 お返事の中でいくつか別の更新時に捕捉すべき点がまた出てきましたので、その辺は後日改めて更新していきたいと思います。
 

平成20年9月1日

 福田総理辞任!?

 9/1 23:30
 えーと、ごめんなさい、なにがなんだか、わけがわかりません。
 
 
 9/2 10:00
 まぁ、やえの個人的な感想を言うのであれば、やえは福田さんにもっとやってもらいたかったですから、それが転じて「なんで辞めちゃいますかね」となって、さらに転じて「無責任だ」と言うぐらいに言ってもいい気持ちではあります。
 でもなんですかね、ここまで世間が無責任だコールになると、あれそんなに世間は福田さんに期待していたんでしたっけと妙な気持ちになります。
 無責任だっていう言葉は期待を裏切られた時に出る言葉だと思うのですが、あれだけ普段辞めろ辞めろと言っていた人が無責任だって言うのは、なんかしっくりきません。
 例えば岡山の民主党参議院議員の姫井さんなんて、やえははじめから何の期待もしていなかったですから、バカな人ですねぇぐらいしか感想が出てきません。
 どうせなら、辞めろ辞めろと言っていた人は、「福田さん、辞めてくれてどうもありがとう」ぐらい言えば、ひねりも効いた面白い発言になると思うんですが、どうですかね。
 
 
 9/2 14:00
 なぜ福田さんは総理大臣という職を辞めてしまったのでしょうか。
 おそらく、これは福田さんが記者会見で述べた通りなのではないかとやえは思います。
 つまり端的に言えば、このまま臨時国会をやってもにっちもさっちも行かないから、自分ではもうどうしようもできないので辞めた、というコトなのでしょう。
 
 どうして臨時国会ではにっちもさっちも行かないのでしょうか。
 考えられる要因は2つあります。
 1つは民主党。
 もう1つは公明党です。
 
 民主党の理由は分かりやすいです。
 やえは参議院選挙が終わってから民主党が参議院で比較第一党になった意義を更新で書いたコトがありますが、結局民主党は参議院を、国政のための院ではなく、権力闘争の院にしかしませんでした。
 安倍さんも福田さんも、特に手を結ぼうとした福田さんなんかは、参議院比較第一党としての責任ある行動を民主党に期待していたのでしょうけど、結局民主党は、審議妨害や審議拒否ばかりに走り、国家にとって重要な国の施策はおざなりにされ、福田さんの期待はもろくも崩れ去ってしまったワケです。
 最初は期待していたけど、現実はそうはならなかった、だから自分では政権運営はもうできない、他の人ならうまくやってくれるかも、という辞任の理由です。
 
 次に公明党ですが、公明党も最近福田さんに対しては態度を硬化していたらしいのです。
 理由は、総選挙を早くやってほしいのと、衆議院での2/3再可決はもうやりたくないという理由です。
 一見この両者、あまり関連性が内容に見えますが、やえが思うにおそらくこれは公明党の体質によるモノからきている理由だと見ています。
 その体質とは、やっぱり公明党は野党体質である、というところです。
 野党体質の何が原因なのかと言いますと、国民の声にけっこう過敏になっている、というところではないかと思っています。
 政権を担う与党の場合、小泉さんの言葉ではないですが、ある程度「鈍感力」というモノは必要です。
 国政を担うというコトは全体のバランスこそをとるコトが一番重要ですから、時には少数者を切り捨てたり、時には痛みを与えなければならなかったり、その上結局全員が全てに満足する結果など出せるハズもなく、現実論としては全員が少しずつの不満を持っている状態で妥協してもらうというところしか出来ないですから、やはり政権者としてはひとつひとつの声を正面から受け止めていては運用など出来ないワケで、それらの声に対してある程度は鈍感でなければ、決断は出来ません。
 これは国家に限らず、ある程度上に立つ人間には必要な能力とも言えるでしょう。
 公明党にはその視点が抜けてしまっているのです。
 つい数日前も、暫定税率を復活させろと自民党に強い口調で公明党は迫っていましたが、このように結局公明党の視点は、さしあたっての目の前の国民の要望のだけであって、長い目で見た時の国家の運営ではないのです。
 2/3再可決もそうです。
 憲法に定められていようがなにしようが、公明党はイメージだけで世論にリンクしないと考えて、いやがっていたのでしょう。
 
 まぁ国民的に、短期的な要望を満たしてくれる方がいいのか、それとも長期的な視点で政治を運営してくれる方がいいのか、評価は分かれると思いますが、少なくとも公明党は目の前の要望を叶えるコトの方を優先させた、というコトでしょう。
 そして長期的な視点も見据えた国家運営をしている自民党・福田さんとぶつかったと、こういう構図であると言えるんだと思います。
 
 参議院では民主党の期待はずれで行き詰まり、頼みの衆議院でも公明党が足踏みをして行き詰まり、もうこのままだと何も出来なくなってしまうというのが、福田さんの辞任のもっとも大きな理由なのではないでしょうか。
 
 
 9/2 16:00
 政治家の進退の問題は非常に難しいです。
 一般人であるなら、上司とかに時には一方的に処分を下されたり、どのように処したらいいのかアドバイスを受けたりできますが、政治家の場合は選挙という儀式を経ていますので、いくら先輩議員であっても、それは別の選挙区で選挙を経ているに過ぎないとしか言いようがないですから、他の選挙区で儀式を経た議員さんの進退についてあれこれ言うのは筋違いになってしまうワケです。
 まして今回は内閣総理大臣です。
 誰も上の立場からアドバイスを出来る人はいません。
 自分で決めなければならないというのは実はとても難しいコトで、いっそのコト他人に決めてもらう方がよほど楽な時というのもあるでしょう。
 
 ただやえは、今回福田さんに言いたいのは、やっぱりトコトンまでやってもらいたかったなと思います。
 もし臨時国会やってみて、参議院もうまくいかない、衆議院もうまくいかない、こういう手詰まりになるまで福田さんはトコトンやってみてもよかったのではないでしょうか。
 というか、総理大臣であるならば、という慣用句を付けるのであれば、やるべきだったとやえは思います。
 行き詰まって行き詰まって、それで選挙という決断をして、それでもし負けたのであれば、はじめてここで辞めればいい話であって、ここまでやれば無責任だ言われるコトにはならなかったでしょう。
 
 しかしその場合、政治はどうなるのかなというのはあります。
 やるだけやって、しかし結果を見れば何も決まらなかった、テロ特措法も消費者庁も税制も予算すら決まらないまま、ただ時間だけを無駄に浪費してしまった、こうなった時に、果たして国家のためになったのかという問題は残ります。
 政治とは結果が全てですから、結果を出さなかった政治に費やされた時間というのは、果てしなく無駄だと言えるのではないでしょうか。
 福田さんは、こうした事態を最もおそれたのかもしれません。
 
 確かに分かりやすさで言えば、選挙になるまで総理として有り続け、選挙に勝てば続投、負ければ退陣、というのが一番国民にとって分かりやすい姿であるでしょう。
 結局今回の辞任劇も、当サイトの最近のテーマでありますように、政治に対して、中身で評価するのか、それとも外見の分かりやすさで評価するのか、というところなのかもしれません。
 
 
 9/2 19:00
 とは言っても、福田さんは決断が早すぎたとは思います。
 なんだか、上級プロ棋士同士の将棋対決を見ているようです。
 素人目には全然終局の場面には見えないけど、何十手先を予測できるプロの目から見ればもう詰んでいる、福田さんはそんな場面で投了してしまったかのようです。
 でも、駒の動きに決まりがある将棋とは違い、現実問題の政治は、そう簡単に先を予測するコトは出来ません。
 数十手先には詰んでいるように見えても、実際やってみれば予測できなかった事態が起こる可能性だって現実問題では否定はできませんよね。
 二手先には詰んでしまうところまで粘れとは言いませんが、十手先ぐらいまでの、もはやミスすら起きないと誰もが言い切れるところぐらいまでは福田さん、粘ってほしかったなぁというのはあります。
 

平成20年9月5日

 自民党総裁選の行方

 最初は麻生閣下先生の独壇場だった自民党総裁選挙ですが、いつの間にか群雄割拠になってましました。
 とりあえず今のところ立候補するぞと公に表明されている方は
 
 麻生 太郎 幹事長
 与謝野 馨 経済財政担当大臣
 石原 伸晃 元政調会長
 小池百合子 元環境大臣
 石破  茂 前防衛大臣
 棚橋 泰文 元科学技術政策担当大臣
 山本 一太 元外務副大臣
 
 と、なんと7人です。
 また、今の段階で公には表明していませんが、立候補を悩んでいたり、模索している方も何人かいらっしゃるようですから、公示日までに表明する人数はもうちょっと増えるかもしれません。
 とは言っても、本当に推薦人20人集まるのかどうか疑問な人も含まれているので、最終的に立候補できる人というのは減ってくるでしょう。
 結局最終的に正式に立候補出来る人数というのは、4〜5人になるのではないでしょうか。
 
 で。
 石原先生出てきましたね。
 これで推薦人がどういうメンバーで構成されているかとっても気になるところです。
 この前の更新で石原先生の応援団として名前を挙げました方々の多くは、昔ありました「自民党の明日を創る会」の主要メンバーだったりしています。
 主要メンバーの多くは現在5期生で、石原先生は6期目ですから違いますが、この5期生というのは細川連立内閣が誕生したときの選挙が初当選という、つまり自民党所属でありながら最初は野党からはじまったという歴史を持っている議員さんであり、昔はよく「政策新人類」なんて言われていました。
 この辺の議員さんというのは、上に文句を言う気概がある、言える雰囲気を自民党の中に形作っていった最初の世代と言えるでしょう。
 そういう意味から、この世代が新総裁になれば、まさに「世代交代成る」と言えるんだと思います。
 また推薦人一覧が出たら、取り扱ったみたいと思います。
 
 ところで当サイトにお越しになっている方でも、いまの6人の中で、「棚橋ってだれ!?」って思っている方も多いかと思います。
 山本一太さんはよくテレビに出るので知っている方も多いと思いますが、棚橋先生はそういうタイプでもないので、知名度はいまいちです。
 ので、ちょっとご紹介をしてみたいと思います。
 
 棚橋泰文先生は、衆議院議員4期生で、平成研究会(津島派(元橋本派))の所属議員さんです。
 議員に当選する前は通産省のキャリア官僚で、かなり切れ者だったと評価されています。
 ですから自民党の中でも、まだまだ若いですが政策通の部類に数えられます。
 で、先ほど肩書きにも書きましたように、元内閣府特命担当大臣で、担当が科学技術政策と、その他にも、食品安全やIT担当、また食育担当もされました。
 しかも大臣に任命された時はまだ3期生の時でしたから、かなり大抜擢と言える任命です。
 これも政策通の部分が評価されてのコトなんでしょう。
 ちなみに小泉さんが総理の時の大臣抜擢です。
 そういう経緯からも、棚橋さん、小泉さん系とも見られているようです。
 が、今回、小池−中川秀直(−小泉)というラインに乗らずに独自に立候補というコトを決めたようで、うーん、ちょっとやえにはその意図がよく分かりません。
 確かにいま津島派はバラバラですが、だからといって棚橋さんというコトにはならないでしょうし、素直に考えれば、知名度を上げるためぐらいしか理由が見つかりません。
 でもそんなに焦る年でも当選回数でもないと思うんですけどねぇ。
 
 ところで今回の総裁選、乱戦模様の影には、けっこう自分のところの衆議院選挙のためにっていう方も多いんじゃないかという事情もあるのではないかとやえは見ています。
 与謝野先生は、確かに総裁候補としては申し分のないキャリアですし、党内一の政策通ですから、総裁選に出られるコト自体はごくごく自然です。
 しかし与謝野先生には健康問題という大問題が控えています。
 つい数年前に手術をされて、その後の激やせには大変にびっくりさせられましたが、そんな体調で果たして総裁選挙を戦い抜けるのか、またもし総理大臣になったとしたらどうなってしまうのか、政策よりもそっちの方が心配でなりません。
 と考えたときに、もちろん総裁に当選すれば素晴らしいコトではあるのでしょうけど、どっちかと言えば自分の衆議院選挙のコトも立候補に大きな理由としてあるのではないかと思うのです。
 与謝野先生の選挙区は、日本のど真ん中、東京一区です。
 ほとんど知名度がモノを言う選挙区において、与謝野先生はいつもギリギリの戦いを強いられています。
 前回は郵政選挙で自民党圧勝でしたから小選挙区で勝ちましたが、その前の選挙の時は、確か民主党の候補にほんの数百票差で負けていたと記憶しています。
 まして今回は自民党にとって大逆風が予想される選挙ですから、与謝野先生クラスでも、特殊な選挙区という事情もあわせて、油断できない情勢と言えるワケです。
 こういう状況を鑑みて、自民党総裁選挙に立候補すれば知名度も注目度も抜群に上がりますから、その直後に行われると言われている衆議院選挙にプラスになるだろうと、そういう思惑があるんじゃないかと思います。
 
 と思って棚橋先生もそうなのかと前回の選挙を調べてみたんですが、郵政選挙とは言え、ほぼダブルスコアを民主党の候補につけているんですよね。
 うーん、棚橋先生、なんで総裁選に立候補するなんて言ったんでしょうか。
 ナゾです。
 

平成20年9月8日

 世論の流れを「風向き」なんてよく言ったモノです

 自民党で新しいトップを決める総裁選がいま行われていて、国民の間でもかなり話題になっているコトはもはや言うまでもないコトでしょう。
 確か10日で立候補締め切りですから、いまは立候補に向けた準備、主に推薦人20人の自民党国会議員を集める作業と、立候補者の政策をまとめる作業のふたつに、各陣営は追われているところだと思われます。
 特に今回は、立候補するであろうと思われる人が多いですから、推薦人を集めるのが大変そうで、最終的に誰が何人立候補できるのか、ギリギリまで分からない情勢となっています。
 
 ところで今回の自民党総裁選は、福田総理が突然辞任すると表明したことで幕を開けました。
 本当に突然のコトで日本中がビックリしましたが、その理由は、やえもこの前ここで書きましたように、おそらく自分が辞めるコトで政局の流れを変えて、政治が正常に動くよう望んだという理由です。
 特にそれは、自民党において流れを変えるためのモノなのでしょう。
 民主党には政権を任せられない、でも福田自民党では同じ与党の公明党すらついてきてくれない、だから自分以外のリーダーシップの高い次の人に託したい、こういう考えのもとで福田さんは辞任表明されたのだと考えられます。
 
 そして、いまのところそれは大成功していると言えます。

 次期首相に麻生氏1位35% 全国電話世論調査
 
 福田康夫首相の退陣表明を受け、共同通信社は全国緊急電話世論調査を2日夕から3日にかけて実施した。自民党総裁選を経て選出見通しの次の首相に「誰がふさわしいか」と聞いたところ、自民党の麻生太郎幹事長が35・3%でトップ。次期衆院選比例代表で投票するつもりの政党については、自民党38・4%、民主党34・9%でわずかに自民党が上回った。支持する政権の枠組みは「自民党中心」が43・3%で、8月の前回調査より8・5ポイント上昇。これに対し「民主党中心」は41・7%で6・5ポイント減少した。

 麻生太郎閣下先生の人気と、総裁候補が乱立しているという事情が、大変に世論の関心を得て、連日連夜このニュースで日本は沸いています。
 その結果、民主党は埋没して、あれどこにいっちゃったのかな、という状況になってしまっています
 まさにこれは福田さんの思い通りの展開と言えるでしょう。
 そして、この記事のように、なんと政党別支持率も自民党と民主党とひっくりかえってしまったようです。
 
 ただこういう状況を見て、果たして民主主義の国民の在り方として本当にこれでいいのか、やっぱりやえは疑問に思うワケです。
 
 今回の自民党総裁選は今までと違う動きがありますので、やえも書きたいコトや思うところなどたくさんあります。
 特に今回はほとんど派閥が機能していない、機能していないというか、そんな場合ではないと議員さんの個人的思いで好きに動けている今回の総裁選は、とても面白いと思っています。
 ですから注目を集めるのも、これは自然なコトだろうとは思います。
 
 でもですね、それだけで支持率がコロッと変わっちゃうというのは、どうなのでしょうか。
 
 国民が、自民党を応援する理由、民主党を応援する理由というのは、主義主張政策の中身ではなく、話題になっているかどうかであると、この記事は物語っているワケです。
 つまり目立ったモノ勝ちと。
 もちろん、新しい総裁が決まり、自民党としての政策が固まって、前の福田さんの政策は賛成できなかったけど、新しい総裁の政策は賛成できる、だから今回は自民党を支持する、というのであれば分かります。
 しかし今は、まだ新総裁・新総理は誰か分からないワケで、いまの段階で支持を変えるというのは、やっぱりちょっとやえには理解しがたいモノがあります。
 最近当サイトのテーマではありますが、責任ある民主主義国家の国民として、こう簡単に支持率が変わってしまうコトに、やえは大きく疑問に思うのです。
 
 まぁそれともアレなんですかね、自民党の新総裁・新総理は麻生閣下先生だと、世間一般では半分決定事項になっちゃっているんですかね。
 

平成20年9月11日

 契約破りは破った方が悪い

 大勢は、これはもうしようがないと思われているようですが、一部農水省叩きに走っている論調があるので、ちょっとだけ触れておこうと思います。
 例の汚染米のお話です。
 
 これはもう仕方ないとしか言いようがありません。
 農水省の検査態勢が甘かったとか、事前に予告する方法ではダメだ抜き打ちでないと意味がないとかいう意見がありますが、それは現実的には無理としか思えません。
 今は結果として違法横流しをしていたから抜き打ちにしておいた方が良かったと言えるのでしょうけど、やっぱりそれは結果論です。
 もし現実的に農水省が抜き打ち検査出来るようにするなら、法改正も含めた議論が必要なのではないでしょうか。
 例えば人権擁護法の時の議論では、人権委員会が任意でありますけど立ち入り調査ができると定めているコトに対して、「それは礼状主義に反している憲法違反だ」という批判がとても強く起きていますよね。
 今の空気では、すでに三笠フーズが違法行為をしているから抜き打ち調査も当然と思われていますが、しかしそうでない普通の雰囲気の中で抜き打ち査をしろと言うのは、なかなか難しいと言わざるを得ないでしょう。
 公的機関が抜き打ち調査、しかも任意ではない強制権を持った上での調査を出来るようにするには、それなりの国民的議論が必要だと思います。
 また、人員の補強や予算補強など、つまり「大きく強い政府議論」も同時にする必要が出てくるのではないでしょうか。
 
 そもそも農水省と三笠フーズの間には、キチンと「工業用ノリしか使ってはならない」という契約を結んでいたワケです。
 となれば、契約を破った方が全面的に悪いと言うのが普通です。
 逆に言えば、でなければ世の中の契約は全て無意味に帰してしまいます。
 全ての契約は、その契約を全面的に守るという前提でなければ、契約を結ぶというコトは出来なくなってしまうでしょう。
 
 法律も契約のひとつと言えるでしょうけど、例えば殺人罪という法律がありますが、この法律があるからといって殺人が0になるコトは、残念ですがありません。
 もちろんそれを守らせるために罰則はあり、その罰則がこわいからという抑止力によってある程度強制力を持てる契約が出来ているワケですが、それでも0には出来ません。
 ではどうするかと言えば、もう起こったコトに対しては粛々とその罰則を履行して、そのこわさを世に知らしめて、今後出来るだけ0に近づけるよう願うしか、契約というレベルでは出来ません。
 
 ですから今回の件で言えば、契約もキチンと結んでいて、その上でさらに定期的な調査もしていた、それなのにかなり悪質に偽装工作をして契約を破ったのですから、もはや農水省の責任は無いと言っていいぐらいのレベルだと思います。
 今後農水省は、やはり政府という立場から三笠フーズにだまされた可哀想な企業には支援の手をさしのべるのがいいと思いますが、それと同時に、契約を破った三笠フーズ他の企業に対しては損害賠償も含めた強い対応をすべきでしょう。
 契約を破った以上は、強い態度を農水省が取るコトを示すコトによって、今後の再発を防止に期待するしかないのではないでしょうか。
 
 もしくは、法改正も視野に入れた国民的議論を望むかです。
 

平成20年9月15日

 問題は整理して議論

 汚染米の話をもう一回しておきましょうか。
 
 今回の話に限らないのですが、複数の問題をごちゃ混ぜにして議論するというのはよくありません。
 ひとつの問題が複数の問題に発展し議論されるというコトはよくあるコトではありますが、それはそれとして、それらは別々に考えて対処しなければなりません。
 今の議論というのは、なんかよく分からないけど結果として汚染米が食糧市場に出回ったのだからまぁ農水省が悪いに決まっている、そんな程度で語られてしまっているのではないでしょうか。
 しかし今回の問題、「汚染米の問題」と一言で言っても、語られている問題としては、少なくとも3つの問題が内在しています。
 
 1.今回汚染米が市場に出てしまった原因
 2.農水省をはじめとした公的機関の検査態勢の在り方
 3.汚染米を金品で取引するコト自体の是非
 
 前回は主に1について触れました。
 なぜ今回、食べられない危険なお米が食用市場に出回ってしまったのかと言えば、これはもう、契約を破った業者が悪いとしか言いようがないと、そう言っているワケです。
 どこまでソースとして信頼していいのかやえにはちょっと判断つかないのですけど、一部報道では、お米を工業用ノリの原料として使うコトはほとんどない、という話もあるみたいですが、でもこれも、確かにこれだけ見ればトンデモナイかもしれませんけど、汚染米が出回ってしまったコトそれ自体には無関係の話です。
 子供じゃないんですから、買ったはいいけど使い道ないから違法流出させました、なんて言い訳通用するワケがありません。
 使い道がないならはじめから契約しないコトです。
 契約した以上は契約通り履行するのが当然の話であって、それを破れば破った方が全面的に悪いに決まっています。
 なぜ今回危険な汚染米が市場に流通してしまったのかと言えば、業者が違法行為を行ったからであり、当然違法行為は悪い行為で、違法行為をした業者が悪いとしか言いようがないのです。
 
 次に2ですが、これも前回チラッと触れました。
 どうも今度から抜き打ち検査にするようになったようですが、これは今の空気雰囲気だから出来るコトです。
 なにもない時にいきなり抜き打ちに変更する、というのはちょっと難しいでしょう。
 そういう意味で前回人権法の例を出したのです。
 言うまでもなく実効性・確実性を取るのであれば検査は全て抜き打ちでやる方が効果が上がるのは当たり前です。
 でもそうであっても、国家のシステムとして、全てが全て実効性を優先させて作られているモノではないワケで、この手の同じような検査の中には、今でも事前に日取りを決めて調査をするという手法はまだまだいっぱいあります。
 公的機関だからと言って、アポなしであらわれて、いきなり中を見せろと言うのは、常識としてはやっぱり失礼な話ですからね。
 日本は独裁国ではなく民主国ですから、公共の福祉と個人の権利と常識とのバランスの中で国家は運営されているワケで、その上でもし実効性を優先させろというのであれば、今ある全てのシステムを全部精査して議論し直す必要があるのではないでしょうか。
 
 今回の措置は、そういう議論を全てすっ飛ばして、なし崩し的に決めてしまったところに問題があると思います。
 前回も言いましたように、ここの議論というのは、本来国家の在り方全般的に関わる話ですから、ひとつの問題が起きてわーっとなし崩し的に決めていいモノではないハズです。
 国家がどこまで権限を持つのか、権力を持つのか、これは大きな問題であって、国民は慎重に考えなければならない問題です。
 そしてもし、今回の件の流れによって、もっと国家は大きな力を持つべきだと主張するのであれば、それなりにお金とと人員を拡充する方向で予算を組まなければならないでしょう。
 また、抜き打ち検査だって、これはあくまで任意のハズです。
 最悪の場合に実力を行使できる強制調査ではありません。
 なぜなら、実力を行使しての強制調査は、憲法によって裁判所から令状を取らなければならないと定められているからです。
 ですから、この手の議論というのは、こういう視点も持ちながら、法改正も視野に入れながら、国家の在り方として議論しなければならないのです。
 なし崩し的に、場当たり的に済ましていい問題ではないのです。
 
 最後に3です。
 これをどうした方がいいのか、やえにはあまり判断が付きません。
 ただ、もし食べられないような食品を、食用以外でも売買してはならないというコトにするのであれば、今回の事故米だけでなく、他にも例があるのかないのか、ある場合は普段の国民の生活に影響が出ないのかどうか、ここを考えなければならないでしょう。
 
 やえは他の例があるのかどうか知らないので具体例は出せませんが、例えば遺伝子組み換え食品は食べたくないという人がいたとします。
 多分日本にはそれなりにいるでしょう。
 現在の日本では遺伝子組み換え食品が使われていたら表示させるよう義務づけられているので、それを目安に消費者は選択できるワケですが、しかしそれはあくまで、直接口にする食用品に限られた話です。
 例えば家畜のエサなどには、普通のモノより栄養価の高い遺伝子組み換え食物が使われているコトはよくあるコトのようですから、もしかしたら普段口にしている牛やブタや鳥は、生まれたときから遺伝子組み換え食物を毎日食べて成長した家畜かもしれないワケです。
 こうなると、なぜ遺伝子組み換え食品を忌避しているのか、そしてそれで忌避できているのかどうかは分からなくなってしまいますし、また逆にエサまで禁止してしまえば今度は家畜業者が立ちゆかなくなるコトだって考えられます。
 ある問題は決してその場だけの問題ではなく、多くのコトに線や面で繋がっているというコトをは知っておいた方がいいでしょう。
 
 まぁ遺伝子組み換えの話は、遺伝子組み換え食品が体に悪いと決まっている話ではないので、例としてはちょっと違うでしょうけど、このように、一言に「直接食べられないから食用以外でもどんな取引でも全面禁止」と安易に言ってしまうのは早計なのではないかとは思います。
 議論するコトによって、やっぱり全面禁止するというのであれば、それはひとつの手法のひとつだとは思いますが、そうするのであれば他のところに影響が出ないように配慮しなければならないでしょう。
 
 以上、どれもキチッと冷静に議論しなければならない問題ばかりです。
 責任の所在をハッキリさせるコトも大切ですが、別問題をひっぱりだして、ほら悪いだろと言っても何もなりません。
 出てきた問題を全部一緒くたにして誰が悪いのかち犯人捜ししても、決して問題を解決し、よりよい方向に進める議論にはならないでしょう。