マキコ騒動に見る野党の役割

2012年11月23日

 こういうデタラメな問題でも、政治の動き、国会の役割っていうモノは見えてきます。
 結局マキコ大臣は新しい審査もせずして無条件認可を決めたワケですが、もちろんこれが当然すぎるコトではあるんですが、あの無駄なプライドだけは永田町随一のマキコ大臣がなぜここまで全面降伏したのかと言えば、それはキチンと理由があります。
 マスコミ報道とかではありません。
 マキコ大臣がそんなコト気にするハズもありません。
 それは、自民党などが衆議院の文部科学委員会に「3大学に対する不認可を取り消す決議案」を提出するっていう方策を出したからです。
 マキコ大臣はついにこれに屈したのです。
 
 これどういうコトかと言いますと、決議っていうのはたまに衆議院や参議院の本会議で採択されるコトがありますから知っている人は多いと思うのですが、つまりは「衆議院や参議院の意思を公的に表明するという行為」です。
 過去の例で言えば、よく話題に出るのが北朝鮮に対する非難決議などです。
 実はこれに法的拘束力はないのですが、しかしそれでも全議員による採決を伴うモノですから、その意思決定は「重い」と言えます。
 日本の行政府としては時の総理が談話を発表したりしますが、国会決議とはそれの国会版、もっと言えば「日本国権の最高機関版」と言えるモノなのですね。
 ですからその重さは、総理談話よりも重いワケです。
 で、この決議というモノ、委員会単位でも出来るコトになっています。
 委員会は衆議院や参議院を代表するモノではありませんから「日本国権の最高機関としての意思表明」にはなりませんが、それでも国会の正式な機関の意思表明なのですから、決して軽いモノではありません。
 委員会決議はあまり聞かれない行為ですが、今回自民党などの野党は、これを行うと与党民主党に突き付けたんですね。
 
 意味は2つあります。
 1つはいま説明しましたように、委員会としての意思を明確にするコトです。
 行政府はあくまで立法府が作る法令の元に行為が認められてる組織であって、よって国会の意思が明確になれば、行政府がそれに反するというのは相当に難しいと言えます。
 仮にその国会の意思が法令違反的なモノであれば今度は司法が立法府に対して違憲判断する可能性はありますが、しかしまして今回の件ではどの有識者も「大学が大臣を訴えれば勝てる」と断言している案件であり、今回は違憲の可能性は非常に低いですから、この視点からも行政府がそれに抗うコトはまず不可能と言ってもいいぐらいになってしまうワケです。
 もしこれが可決されれば、文部科学省は相当に苦しい立場に追い込まるところだったのです。
 
 もう1点は、与党の民主党がこのマキコ大臣の対応に対する姿勢を公的に示さなければならなくなるという点です。
 決議の説明のところで言いましたように、決議には採択が伴います。
 よってこの決議が採択される際には、民主党も賛成か反対かを決めなければならないんですね。
 今はまだマキコ大臣個人が暴走したというところに非難の対象は収まっています。
 しかしもし仮に民主党がこの決議の際に反対を表明したら、つまり「マキコ大臣の行動は正しかった」と民主党は公的に宣言するコトになりますから、こんなコトをすれば祖に油を注ぐがごとく非難の矛先は民主党全体に及ぶでしょう。
 特に直接反対票を投じる民主党の文部科学委員には、はるかに予想を超える非難の声が集まると思われます。
 民主党はこれを嫌がったんですね。
 
 委員会に決議案が付託されれば採決しなければなりません。
 しかし決議が採択されると、国会の意思でもってマキコ大臣の意思を捻じ曲げなければならなくなります。
 まして法的拘束力が決議にはないモノですから、それだとマキコ大臣がへそを曲げてますます態度が硬化する可能性があります。
 となればマキコ大臣に対する不信任案や問責が出てくるでしょう。
 国会もそれで全ての審議が止まりますし、そうなればさすがに国民世論、いえむしろマスコミも民主党をかばいきれなくなって民主党への大バッシングがはじまるでしょう。
 そして最後は大学からの訴訟が起こり、マキコ大臣と文部科学省は日本憲政史上最大の汚点を残すコトになるワケです。
 さすがに民主党にここまでの度胸はなかったワケです。
 
 よって、自民党などが決議案を提出したら、もう民主党としては「詰み」だったのです。
 ですから後は、「詰み」になる前にマキコ大臣の機嫌をとって方向転換させるよう促すしか民主党には手がなったのです。
 それが今回の結果なのです。
 
 ここで重要なのは、野党という存在と役割はどこにあるのかという点です。
 野党は与党と政府の言動を監視し、間違いがあれば糾して正すというところにその役割はあります。
 よく考えてもらいたいのは、最近よく聞く「法案を国民生活の人質にとるな」という言葉です。
 この言葉はやもすれば「法案に反対するコトは国民生活に仇をなす」という意味に捉えられがちです。
 民主党やマスコミなんかはこういう意味で「人質にとるな」と使ってますよね。
 しかし法案に反対するというコトは、まず考え方の違いがあるからこその反対であるという点を考えなければなりません。
 なんでもかんでも反対、論拠もなく反対のために反対に終始していてたのはむしろ社会党や野党時代の民主党であって、野党の自民党はキチンと理由を提示した上で法案などには反対をしています。
 だから逆に消費税増税については自民党案だからこそ賛成したワケで、よって「法案反対=反国民」でないのは本来は考えるまでもなく明らかです。
 考え方が違うコトを認めるコトは大切なコトであって、それは決して国民生活を壊すためでは全くなく、むしろ健全な民主主義においては必要なコトとすら言えるワケです。
 
 今回の件でそれが明らかですね。
 今回の件は行政府が「過去のシステムより未来の大臣決定の方が優先だ」という考え方を示したのに対し、野党は「当時のシステムでOKされたモノを後から覆すコトは間違いだ」と主張しました。
 考え方の違いですね。
 野党は大臣の決定に反対しましたが、しかしそれはイコールで「国民生活を人質にとっている」になるでしょうか。
 そんなコト言う人はこの日本にはひとりもいませんでしたよね。
 つまりはそういうコトなのです。
 反対するってコトは、それは「自分の考え方はこうであり、それが正しいと思うからこそ」の意思表明なのです。
 ここを勘違いしてはいけません。
 結局これも論拠と結論の関係、議論するなら論拠に対してってお話になるのですが、反対するというコトは決して「足を引っ張っている」とか「国民生活を人質にとっている」とかではなく、考え方の違いの表明でしかないというところを間違ってはいけないのです。
 そしてそれこそが野党の役割なのです。
 
 基本的考え方が違うからこそ別の政党なのであり、だからこそ与野党に分かれているのであって、その対立は権力闘争なんていう言葉ひとつだけで表せられるモノではありません。
 国会の中に与党とは違う考え方の政党が一定数いるからこそ行政府や与党の暴走をとめるコトが出来る、考え方の違いがあるコトこそが民主主義を担保しているのです。
 もし「野党は与党の足を引っ張るな」方式で野党からの異論を許さないような雰囲気に包まれていたとしたら、今回の件はこのような結末にはなっていなかったでしょう。
 野党は数が少ないからこそ野党ですから、なかなか野党の力が決定打になるコトは珍しいのですが、今回の件は本当に野党が力を発揮して「行政府の暴走」を食い止めた案件だと言えるのです。
 
 「与党の案に反対するコトは国民生活を人質にとっている」「党利党略ではなく野党は与党に協力しろ」がまかり通ってしまえば、その先は大政翼賛会しかありません。
 今回の件も暴走し続けて、それこそ国民生活の大きな打撃が与えられていたコトでしょう。
 いまの日本には大変危険な考え方がはびこっているという点は注意してもらいたいと思います。