特権階級気取りの朝日新聞

 今日はこちらの記事です。
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 社説:首相の反論―異論受けとめる度量を
 
 「彼に外交を語る資格はありません」
 安倍首相がフェイスブック(FB)に書き込んだ一言が波紋を広げている。
 「彼」とは、日本人拉致問題で北朝鮮との交渉経験をもつ田中均元外務審議官のことだ。
 元外交官とはいえ、いまは民間人である。一国の首相がネットで個人攻撃を繰り広げる光景は、尋常ではない。
 
 安倍政権になってから日本を見る海外の目が厳しくなったという指摘は、首相にとって愉快ではなかろう。
 だが、首相がこんな態度をとれば、耳に痛い意見は届きにくくなる。それで正しい判断ができるだろうか。
 外交に限らず、政策論議は自由闊達(かったつ)に行う。民間の意見にも耳を傾ける。その上で最終決断は首相が下す。それこそ、民主主義国の強さだろう。
 首相は5月の国会答弁で、特定の集団をおとしめたり暴力や差別をあおったりするヘイトスピーチ(憎悪表現)が増えていることについて「どんなときも礼儀正しく、寛容で謙虚でなければならないと考えるのが日本人だ」と語った。
 異論も取り込んで政策の厚みを増していく。首相にはそんな度量がほしい。

 
 まさにこれこそ朝日新聞お得意の個人攻撃です。
 なにがどう尋常でないのか分かりませんが、おそらく朝日は「総理大臣が名指して反論する」コトが尋常では無いと言っているのでしょう。
 これを個人攻撃と言わずしてなんと呼べばいいのでしょうか。
 
 これの事の発端は田中元審議官の安倍批判から始まりました。
 田中元審議官が新聞紙上で持論を披露し、安倍批判も含まれていたため、それに対し安倍さんがフェイスブックで反論した、っていうのがこの一連の経緯です。
 さてこの中で、果たして「個人攻撃」なんていう「議論や言論とは対極にある、個人を貶めるためだけの攻撃」が存在するのでしょうか。
 
 あるとしたら、田中元審議官や安倍総理ではなく、無関係(田中元審議官の持論は毎日新聞で行われています)なのに横やりを入れて、「個人攻撃」とか「尋常ではない」とか反論になっていないネガティブな言葉で印象操作をしようとしている朝日新聞自身でしょう。
 朝日新聞は何をするためにチャチャを入れているんですか?
 普通に読んでも「安倍総理は公職についていない者への反論はするな」と言論弾圧をしているようにしか読めません。
 
 もし公職にある者が、その権力を利用して相手の言論を封じようとしているのであれば、それはあってはならないコトでしょう。
 例えば「自分に批判するならお前だけ税金を倍にするぞ、行政サービスを停止するぞ」と言うのであれば、これはあってはならない言論弾圧です。
 でも今回は全く違います。
 田中元審議官の言論に対して、安倍総理も言論で返しているだけです。
 これだけのコトに朝日新聞はなぜか噛みついているんですね。
 
 朝日は旧態依然の特権階級に浸りたいだけなのでしょう。
 ネットとはいつでもどこでも誰でも自由に自らの意見を書くコトが出来る場です。
 やえみたいなただの十四歳がこうやって長年言論出来ているのもネットがあってこそです。
 しかしネットがない時代は、最終的には新聞社やテレビや雑誌など、マスコミが「掲載許可」を与えなければ広く言論活動するコトが出来ませんでした。
 今回の件で言っても、もし安倍総理の反論を毎日新聞なり朝日新聞が「不許可」としてしまえば、安倍総理の反論は世に出なかったかもしれません。
 つまり朝日新聞は、こういう世の中に戻したいだけなのでしょう。
 
 言論は朝日新聞が許可を与えなければ出来ない世の中が朝日新聞の理想の世の中だと言いたいのです。
 総理が自由に言論をするなんてとんでもない、むしろ朝日新聞という「言論許認可団体」が許可した者だけが主張し、一方的に総理大臣に批判をする世の中が理想的だと言っているのです。
 本当に腐りきってますよね。
 政治家がなんらフィルターをかけずに自由に発言するなんて、まさに民主主義の理想ではないのですか?
 第三者が介在するコトなく、政治家と国民が直接繋がり、政治家の言葉をダイレクトに受けた国民がそれを判断して国会議員を選ぶ、これこそ民主主義の理想のひとつではないですか。
 つまりそれを阻害するのが、旧態依然で既得権益にしがみつこうとする特権階級気取りの朝日新聞なのです。
 
 総理であっても誰であっても、言論そのものをやめさせようとする行為は言論弾圧そのものです。
 そのようなコトを平然とやってのける朝日新聞こそ、言論を語る資格など無いと言うしかありません。