山本太郎は国民に向けて語るコトを諦めたのなら国会議員を辞めよ

 これあまおちさんがツイッターで言っていたコトなのですが、改めてここでもキチッと書いておこうと思います。
 山本太郎参議院議員のお話です。
 園遊会の場で天皇陛下に直接手紙のようなモノを手渡したという「事件」は、すでに多くの方がご存じのコトかと思いますが、これ、不敬だとか天皇の政治利用だとかいう側面ももちろんあるんですが、同時に「国民に向かって語るコトを諦めた国会議員」という重大な面がと言える一件なのです。
 
 言うまでもありませんが、天皇という存在には政治的実権は何もありません。
 いまは国民主権であり、国民が政治の主役であり、国民こそが実権者であって、天皇には一切の政治的な実権はないのです。
 ですからまずですね、山本太郎議員が天皇に対して政治的な働きかけをしたところで、政治的には一切何も動かないってコトを理解する必要があります。
 これが国民に向けてへの手紙であれば、山本議員に一票増えるという「政治的な力」を得るコトができる、そしてそれは民主主義として正しいあり方であり、そういう「一票の積み重ね」こそが政治家と政党の力となるのですから、政治家が国民に向けて語るコトは民主主義政治としての正道と言えます。
 しかしそういう「政治的な力」を一切持たない天皇に手紙を送るという行為は、まず民主主義の政治家としては直接的に全く意味が無いコトなワケです。
 
 それなのに山本太郎議員は天皇に手紙を出すという政治的な働きかけをしました。
 山本太郎本人は「個人的に手紙を出した」と強弁しているようですが、国会の中の勢力が一人残らず山本太郎政党であればまだしも、山本太郎と意見を異にする議員の方がむしろ大多数だからこそ山本太郎議員は無所属なのであって、つまり「意見が違う人間がいる」という時点でそれは政治なのですから、これは政治的働きかけそのものです。
 で、実権を持たない天皇に政治的働きかけをしたというのは、つまりこれは「天皇の権威」を借りようとした行為なワケなんですね。
 簡単に言えば「天皇がYESと言えば、その権威によって多くの国民もYESと言うだろう」という、そういう思惑を持って山本太郎は天皇に政治的働きかけをしたのです。
 
 これ、その実体というのは、「理屈も論拠も全てすっ飛ばして、ただただ天皇という存在の権威によってのみで自らの主張を押し通そう」という姿勢に他なりません。
 
 言論と国民の意志によって政治を司る、民主主義の国会議員としてはあるまじき行為です。
 主権者たる国民の意思によって政治を動かそうとしているのではなく、政治的な実権のない天皇という存在を利用して政治を動かそうとしているのです。
 これほど民主主義と国民を馬鹿にした行為は無いと言えるでしょう。
 結局山本太郎は、もはや国民に向けて語るコトを諦めたとしか言いようがありません。
 であるなら、山本太郎議員は、民主主義の政治家としては自らその資格を放棄したのですから、いますぐ民主主義の国会議員という身分は外れるべきでしょう。
 
 そしてこれは、山本太郎自身が「自らの言葉には、国民を動かす力は無い」と自ら認め、自覚しているコトを示しているワケです。
 だって自らの言葉に国民を動かす力があると信じられるのであれば、天皇という権威を借りる必要性も、その発想すら出てこないのですからね。
 ですから山本太郎は自らの言葉に対して国民を動かす力が無いと自覚しているワケですし、つまり自分の言葉にはもはや説得力は無いと自覚しているコトに他ならないのです。
 
 だったら、国会議員や政治家だけに留まらず、市民運動も含めた政治に関わるコトは辞めなさいと言うしかありません。
 自分の言葉で物事を動かすコトを諦めたのですから、少なくとも民主主義国家においては政治的な活動は出来ません。
 言論と国民の意思によって政治を司るというのが民主主義の大原則なのですから。
 山本太郎議員は、自らを無能だと認め、そして自らの意志によって政治的権利を放棄したのです。
 
 山本太郎議員の一刻も早い議員辞職を、むしろ参議院としての除名処分を望みます。