マスコミにも景品表示法を
先日、食品業界のメニューの偽装事件に関して景品表示法のお話をしました。
現状、偽装表示をしても、故意を証明するコトでしか適用されない詐欺罪と違い、景表法違反では「行政が企業名を公表する」という罰則しか適用されず、そんなのは自ら公表しているコトですでに無意味になってしまっているので抑止力としての罰にはなっていない、というお話です。
これらの件については消費者庁も動いているようですから、法改正も含めて期待したいところではあります。
よって今日は、もうちょっと踏み込んだお話をしたいと思います。
結論から先に言えば、この手の法律をマスコミにも、特にテレビに適用すべきだと思うのです。
例えば「ニュース」とか「報道」とタイトルにつける場合には、タレントやアナウンサーや社の個人的な意見は一切入れない放送しないとしなければならない、とするのが、これは本来のあり方でしょう。
報道とは、事実を事実として伝える行為であって、そこに個人的な解釈や意見などが入る余地のないモノを言います。
もちろんテレビで個人の意見を言ってはならないとは言いません。
しかしそれは「報道」ではないですよね、っていうお話なのです。
「報道番組」を作るコトは自由ですが、しかしその場合は「タイトル通り報道のみを扱うべきだ」と言っているワケなのです。
新聞社なんかは、ギリギリそこはわきまえている雰囲気は醸し出しています。
自分たちの意見は「社説」と、キチンと区分けしてタイトル表示も「報道」とはわけて「自分たちの個人的な意見だ」と前置きして表明していますよね。
これはすなわち、「報道と意見主張は別モノだ」と理解しているからこそですよね。
まぁそれでも、他の「報道記事」にサラッと自分たちの主張を隠しながら織り交ぜてくるコトはよくあるのですが、しかしそれはそれで、頭では「報道と意見主張は別だ」と理解しているっていうコトの証拠ですよね。
「隠しながら入れ込む」という姑息さこそが、その何よりの証拠とも言えるでしょう。
新聞はこのように「報道と意見表明」は別モノだと理解しているのです。
新聞とテレビはよく比較されるところですが、しかし、テレビはこの辺まったく無遠慮ですよね。
同じ番組同じコーナーで、アナウンサーに記事の部分を読ませた上で、そのままそれに対する個人的意見をタレントが言うワケですから、むしろ記事の部分、つまり報道の部分というのは、意見主張の材料にしかなっていないと言えます。
やえがここで書く文章の最初の方に記事の引用をしているのと、全く同じワケです。
もはやそれは報道でもなんでもなく、むしろ100%意見表明ですよね。
これをどう見たら「報道」とか「ニュース」になるのか、タイトル詐欺もいいところだと言うしかありません。
本当の意味でいまのテレビに「報道」はあるのでしょうか。
あえて言うなら、NHKの○時のニュースぐらいなもんなのではないでしょうか。
どうしてもタレントが意見を言いたいのであれば、「報道」とか「ニュース」という言葉は使わずに、「意見主張番組」とかの表示にすればいいのです。
繰り返しますが、テレビで意見表明するなとは言いません。
それって、当たり前ですよね?
むしろ、意見を主張しているのにそれを報道と言っている方が間違いなのですから、本来はそうであるべきハズなんですよ。
食品偽装事件と全く同じです。
ロブスターを出すならロブスターと表示しなさいと言っているだけで、それをウソをついて伊勢エビと書く方が間違っているんですと言っているだけで、報道がしたいなら報道と書きなさいと、意見主張がしたいのなら意見主張と書きなさいと言ってるだけなのです。
全く同じです。
やもすればマスコミに規制のようなコトを言うと表現の自由がなんとかとか言い出す人が必ず出てくるのですが、しかし表現の自由にはウソをついていい自由なんて許しているワケもなく、もしマスコミが今回の食品の偽装が問題だと言うのであれば、まずは「自分たちの偽装」も正しなさいというお話なんですね。
さらに言えば、地デジ化してからというモノ、画面の端っこの方に会社名のクレジットを入れているようですが、ついでに番組ごとにカテゴリーを表示するようにしたらいいんです。
法令で番組のカテゴリーを作って、例えば「報道・ニュース・意見主張・議論・ドキュメンタリー・バラエティ・ドラマ・映画」とかですね、こういうのをキチンと制度化させて、それを表示させるよう義務化すべきなのではないでしょうか。
これも当たり前のお話だと思うんですよ。
だってお店でおいてる商品には、そういう表示って義務化させてるじゃないですか。
アイスクリームだって、「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」で「重量百分率で乳固形分15.0%以上、うち乳脂肪分8.0%以上のもの」にだけアイスクリームと表示できるように規制されています。
世に出すためにはこれぐらい厳しい規制があるんですよ。
それなのになぜマスコミだけ野放しなんですか?
このお話は、そういうお話なのです。
最近テレビショッピングとかの使用者の感想を言う場面には「個人の感想です」というテロップが入るようになっていますが、これも普通の番組にも義務化させるべきですよね。
よく「国民の声」なんて言いながら、個人の意見を垂れ流しにしてますよね。
あれも完全に「個人の感想」ハズなのに、なぜそれだけをもって国民全体の意見だと言わんばかりにテレビは垂れ流しをしているのでしょうか。
こういうのはもはや詐欺としか言いようがないのではないハズです。
この問題は表現の自由とかそういうレベルのお話ではなくて、やっているコトを正しく表現しましょう、むしろ今の方が間違っているんじゃないですかっていうお話なのです。
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、マスコミへの表示法規制を応援しています。
ディスカッション
コメント一覧
訂正:改革の為に場所→改善の為に必要な議論の場所
失礼しました。
追記:僭越ながら、感想を言わせて頂きます。
たった一言、「無理」でしょう。
まあ、この意見にて実現性を考えているか否かはともかくとして、もしそこを論じる場合、改革の為に場所は2つのどちらか。
1つは行政府、2つは国民自身。
まず1つ目は……反発は必至。2つ目は……偏向報道に気付いている国民がどの程度いるでしょうね?多分非常に少ないかと……
本当の意味でいまのテレビに「報道」はあるのでしょうか。
→テレビ東京ぐらいでしょうね(確か広島では映らない筈)。民放の中では唯一中立的な姿勢。強いてコメントするのは株価の動向といった経済的な代物で、他局にありがちな偏向はあまりない。
マスコミにも景品表示法を
→やえさん、放送法成る法律はご存知ですか?之を素直に解釈すれば、殆どのテレビ局は法律違反に……
第4条……放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
2.政治的に公平であること。
3.報道は事実をまげないですること。
4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。