数字を捏造してむなしさを覚えないのだろうか

 やえ、最近よく思うんですが、というか多分昔からなんでしょうけど、デモの参加者の数字を捏造して、主催者や参加者ってむなしさを感じないのでしょうか?
 
 政治主張は人それぞれですからいいんですよ。
 安保法制や集団的自衛権がイヤだっていうなら、その考え方を持つなとは誰にも言えません。
 だからそれをイヤだと主張するのもまぁいいでしょう。
 でも数字を捏造するってどうなんですかね。
 
 いや、まぁその狙いは分かるんですよ。
 「こんなにも人数が多いんだ」と見せつけるコトによる威圧的な圧力で政府の方針を転換させたいのでしょう。
 日頃国会に対して「少数意見の無視だ」とか「数の暴力だ」とか言いながら、その数の暴力目当てのデモを行うっていうのは強烈な自己矛盾だと思うのですが、まぁそれもいいでしょう。
 デモ自体やえは嫌いで、それは過去にも何度か取り上げているところですが、一応デモという手段は法的に認められているので行うコトは否定できませんし、人数が多いんだと主張したいと願い、その意図についても理解するコトはできます。
 だからデモ主催者がそういいたいという願いは理解はできます。
 
 ただし、そうしたいと思ったとしても、数字を捏造したら、どうやったって「心の中でのむなしさ」って発生すると思うんですよね。
 
 もちろん口には出さないでしょう。
 表には強がる姿勢を絶対に崩さないと思います。
 でも、いくらなんでも3万人程度の人数に対して12万人って無理筋なのは主催者を始め参加者だって分かっているハズで、その上で自らの主張を押し通すために数字を捏造するという意図はまだ分かるにしても、どうやったって心の中で「たった3万人しか集まらなかった」という気持ちは消えないハズですから、そのむなしさって決して小さくないと思うんですよね。
 まして「たった3万しか集まらなかった」だけではなく、それを「12万人集まった」って意図して捏造しているワケですから、そのむなしさはひとしおでしょう。
 
 そもそもデモって民主的な手続きを経ずして見た目だけの数の圧力によって民主的に選ばれた議員の政策を変えようという手段ですから、本来こんなの民主主義とは相反する手法でしかないんですよね。
 小選挙区の衆議院議員一人でもだいたい10万前後の票が入るワケで、つまり議員一人に10万人の意志が托されているワケでして、仮にもしデモに10万人集まったとしても、それは与党全体の意志を買えるほどの数字には決してなり得ないのです。
 それで政策が変わるなら、むしろそれは民主主義の否定なのです。
 デモって常に民主主義を否定しようとしている、そんな行為なんですね。
 
 デモ主催者や参加者は色々と強がっているコトでしょう。
 しかしさすがに3万人を12万人と言い張るのは無理がありすぎる捏造です。
 むなしくないのでしょうか。
 いや絶対に心のどこかでむなしさ、もしくは非力さを感じているでしょう。
 口には出さないでしょうし、むしろそれを反転させて外には攻撃的な態度をとるのでしょうけど、それでも心のどこかでむなしさを感じているワケで、ちょっと可哀想な人たちだなと思うワケなのです。