銀英伝論T

銀英伝とは、田中芳樹氏の小説『銀河英雄伝説』のことである。
オレはマンガでもアニメでもロボットや宇宙ものは苦手なのだが、 あるきっかけでビデオを見てみたら、 内容が戦闘ものではなく、政治思想がメインなアニメだったので 面白そうと思い、ビデオを全巻を借りて見てみた。
先も言った通り、この小説は思想がメインになっているので、 その解釈なり反論なりをオレ的に語ってみようと思う。

オーベルシュタインについて
新銀河帝国軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン元帥。
物語の登場人物の中ではすこぶる嫌われている。
それは彼が帝国のためならどんなことでもする、 という態度でのためであり、 そのなんでもするというのが、謀殺とかその手のことである。
彼はその手のことに長けていたし、そのために徴用されるのだ。
だから彼は全力、というより身命を賭けてその任にあたっている。
国家のためなら自分の命も、主君であるラインハルトさえも 排除する覚悟である。
その態度は冷静沈着で私情を挟むことがない。
そんな彼を理解するものは少なく、 当然そんな彼に好意も持つものもいない。
全く嫌われ者の役をかっているのだ。
しかしそれも承知の上、 自分を憎ませることにより、その他の諸侯の不満をそぎ、 団結を強化させているのだろう。
そんなオーベルシュタインを理解していたのは 唯一ラインハルトだけだったのかもしれない。

実際の彼の人気はオレはよく知らないが、 オレはオーベルシュタインが好きだ。
まぁ実際にそんな人物が近くにいたらどう思うかは分からないが、 しかし物語の中でも同僚で彼を理解する人物がいてもいいと思う。
彼は新しい体制を作るための必要不可欠な人物だったのである。
もしミッターマイヤーがいなくても、 (数年遅くなってたかもしれないが)新帝国はなっていた。
しかしオーベルシュタインがいなければ、 少なくともラインハルトの時代にはむずかしかったと思う。
それらをロイエンタールなりケスラーなりが 理解させてもよかったと思うのだが。
さらに彼は「公」の人間である。
昨今日本はこの「公」を忘れつつあるが、 ここまで「公」に徹する人間は少ないだろう。
自分が嫌われても、私生活を投げ捨ててまでも「公」に徹したのだ。
帝国軍がハイネセンを占領したときに、同盟の職員が、 「自分の命はおしいが、一旦公僕になったからには身命を賭してその職務にあたらなければならない」
と言ったが、まったくその通りである。
最近の日本は「公」より「私」の方が重要にされすぎている。
「私」を全て捨てろとまでは言わないが、 「公」の時は、「私」を全く捨てなければならないし、 時には「私」の時でも、 「公」のために「私」を捨てなければならないこともあるだろう。
「公」とは、多くの人間のつながりであり、 その人間が人間らしく秩序ある社会を営むためには 「公」が必要不可欠である。
「公」より「私」の方が大切というヤツは、 必要以上に食物を採って絶滅した動物、 例えば急に大量発生して食物がなくなり死ぬしか道が無くなるイナゴ、 と同じなのである。
いついかなる時でも「公」の自分を失わなかったオーベルシュタインを、 その理論を理解せずに非難することは誰にもできないはすだ。
そしてその彼の完璧なまでの態度は、 「公」を忘れつつある我々に警鐘を鳴らしているようにも見える。
1999/07/18

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