人権というモノを探る1

いきなり結論を言ってしまえば、オレは人権というものがよく分からない。
何か得体の知れないモノのように感じている。
人権というもの中身はどんなことを言っているのかは分かっている。
しかし人権というものがなぜ存在しているのかが分からない。
人権というものがどこからやってきて、一体オレに何をしているのか理解できないのである。

なにやら人権信者に言わせれば、人権とは生まれついての普遍的な権利であるらしい。
つまりどんな人間でも生まれてくるときに全て平等にくっついてくるんだそうだが、もうその時点でオレのアタマの中にハテナマークが生まれている。
生まれた直後に生きる権利が与えられ、全ての人間と平等となり、プライバシーが与えられ、その他諸々の権利がくっついてくるわけだ。
うーん、オレは生まれてすぐに大勢の他人にポコチンを見られたけどプライバシーはどうなっているんだろう(笑)
まぁ、冗談はおいといて。
別にそんな権利だとか何とか言われなくても生きたいだけ生きるし、オレと同等と思える人間にはそれなりのつき合いをするし、大したこと無い人間と思えば見下すし、隠したいモノがあれば隠す。
そんなことは当たり前で、いちいち人権だとか言って大層に祭り上げて聖書かコーランかのように神聖化させている意味が分からない。
オレは人権があるから生きてるんだー、人権があるから人間として扱ってもらえるのだー、人権バンザーイ、と言えとでも言うのだろうか。
うーん。

何回かにしてオレはこの人権というものは何か、人権というものを祭り上げてどうなるのか、ということを様々な事象とからめて、人権以外のことも触れながら書いていこうと思う。
ただ、ここで意地悪く結論を言ってしまうと、
所詮カブレなんだろ、ヨーロッパの。
さらに言ってしまうと、
日本ではそんなものを用いなくても当たり前のことで、存在として認識する必要もなかったことだけど、
そのような意識が無かったヨーロッパではそのために人間・社会・国家・公を存続させることが出来なくなったので人権という存在を作り上げなければならなかっただけなんだろう。
そんなヨーロッパに対してオレなんかは、哀れよのぉ、と思うのだが、これを必要もないのに日本に輸入したために、日本ではどんどん変な方向に人権が行ってしまったんだと思う。
土台としてちゃんとしたものがあるのに、”存在する”ために素晴らしいものだと勘違いして、土台と競合してしまうので土台を越える存在に祭り上げてしまったのが今の日本の「人権」なのだと思う。

いきなり結論を書いてしまって、人権そのものだけに関することは書くことが無くなったのだが、さっきも書いたとおり、人権というものを絡めて他の事と合わせて色々とこれから書いていこうと思う。
2000/09/11

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