中絶
25日の「ここがヘンだよ日本人」の最後ちょっとだけ見かけてしまった。
中絶のことをやっていたのだが、ちょうどテレビを付けたとき番組では、中絶とはどういうことをやるのか、という“現場”のVTRを流していた。
具体的に言うと、子宮の中の子の頭を潰して云々、とかそういう話だ。
それを見た日本人タレントや外人の何人かは涙を流しながら、
「中絶するヤツはこれを見ろ」
とか叫んでいた。
バカくさい。
“現場”が悲惨だからどうこう、という話の仕方は、結局は問題そのものを正面から見ることになっていないのである。
これは、ただ戦争反対と言う場合の手法そのものだし、言ってしまえばなんだって同じである。
「中絶するヤツはこれを見ろ」と叫んだヤツに言う。
お前ら、広島に行って原爆資料館を見てこい、被爆者から直接話を聞いてこい、なんだったら放射能浴びてこい。
現場見てみろよ。中絶なんかよりももっと悲惨だぞ。
原爆・放射能というものは、人間を非人間に変えるものなんだぞ。
しかも、子に孫に遺伝してしまうんだぞ。
お前ら“現場”を知ってるのか?
しかし、こんなこと言っても原爆無くならんだろ。
当然だ。いくら現場が悲惨でも、色々な事情があるのだからいきなり無くすことはできない。
程度の差はあれ悲惨なことは知っていても、それを無くすことは出来ない。
それが“現実”というものである。
“現実”を正面から見ない限り、問題を解決することなど出来ない。
中絶反対するヤツの国がもし核保有国だったら、これを言われたらどう言い返すのだろうか。
番組ではレイプされて出来た子供について扱っていたが、それでも中絶は良くないとヒステリックに叫ぶヤツがいる。
レイプされて出来た子供を産むということは、そのレイプを肯定することになるのではないだろうか。
もしその子供を産んで、いつか「あなたはレイプされて出来た子供なのよ」と告げられたときこの子供はなんて思うだろうか。
もちろん人それぞれだろうが、確実に一生そのことが心に引っかかって生きていくのは確実である。
人間というもの、その個人というものは、必ず色々なモノを受け継ぎ背負って生まれてくるモノである。
自分だけが何も背負っていない断絶された人間なんて存在しない。
話している言葉もすでに継承しているものだし、生活様式も考え方も全て親から先祖から色々なものから受け継がれてきたものである。
生まれた瞬間に捨てられたのなら、親が誰か何人かすら分からないのなら、断絶された人間が存在するかもしれない。
それでも肌の色や顔立ちで大体どの辺りの人間かは分かるし、DNAは親の情報をかなり含んでいるだろう。
「あなたは今存在しているのだから、親や生まれた理由など気にすることはない」
などという言葉はどれだけ無意味な言葉だろうか。
「未来のために生きていく」ことは正論であるが、だからといって過去を振り返ることが悪いことではない。
もしろ逆に、人間は過去を背負って生きていくものである。
動物の中で唯一人間のみが“文化的な歴史”を受け継ぐ動物で、そして全ての動物は“生物的な歴史”継承していくものである。
誤解を恐れず言えば、ただ生まれること自体が喜びで素晴らしいことではない。
現実を正面から見据えた上で、一人の人間を生むと言うことに対して自らの責任の上で、産まれてくる子供が本当に幸せに産まれてこれるかどうかを考え決めることが親の義務である。
動物のようにただ種を存続させるためだけに生むのは、生むこと自体を目的としては、それは人間の行いではない。
歴史を受け継ぎ、文化を営む人間は“特殊な動物”であるのだから、一場面しか見ず一時的な感情だけにまかせるのではなく、正面から全てを見据えた上で決断しなればならない。
人間は動物ではなく人間以外何者でもないのだから、人間としての生き方を考えなくてはならないのだ。
2000/10/27
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