☆よく読めば分かる人権擁護法案☆
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳の考察・議論・自民党部会レポ〜




平成17年6月3日

 「真の人権擁護を考える懇談会」はこれでいいのか

 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 最近金曜はいつも「人権擁護法案総論」なので、それ予想されていた方もいらっしゃるかもしれませんが、まず先に触れなければならない事柄が出てきましたので、今日は予定変更になりました。
 というのもですね、その人権擁護法案に反対する自民党の先生たちが作った「真の人権擁護を考える懇談会」という議員連盟があるのですが、先日この懇談会が一定の見解を出したのです。
 それがですね、ちょっと、あの、かなり期待はずれなコトになってしまっているので、これはツッコミを入れておかなければと、今日は思ったのです。
 正直、やえもこの懇談会には少なからず期待を寄せていただけに、これはかなり残念でした
 というワケで、どう残念なのか、具体的に中身を見てみましょう。
 
 
 3点見るべきモノがあります。
 1つ目は、「懇談会」が行った記者会見。
 2つ目は、「懇談会」の座長でいらっしゃる古屋圭司先生のサイト。
 3つ目は、「懇談会」が出した公式見解のペーパーです。
 
 ではまず1つ目の、「懇談会」が行った記者会見の記事です。

 人権擁護法案:与党懇話会、今国会への提出方針を確認
 
 与党人権問題懇話会(座長・古賀誠自民党元幹事長)は30日、国会内で会合を開き、与党内の調整が難航している人権擁護法案を今国会に提出する方針を改めて確認した。
 同法案をめぐっては、自民党の「真の人権擁護を考える懇談会」(会長・平沼赳夫前経済産業相)が原案通りの提出に反発。▽人権擁護委員に国籍条項を設ける▽メディア規制を削除するなどの対案を同日夜、与謝野馨政調会長に提示した。

 太字に注目してください。
 なんと「懇談会」の見解としては、メディアからの人権侵害を救済する、いわゆるメディア条項を「削除する」としているのです。
 いったいぜんたいどうしてこんなコトになってしまっているのでしょうか。
 
 具体的には人権法案の第四十二条の4に当たる部分です。
 過熱報道、いわゆるメディアスクラムについてはもはや説明するまでもないでしょう、マスコミによる過剰な取材、例えばしつこくつきまとったり、時間や場所を選ばず職場等にまで電話を鳴らし続けたりといった人権侵害が現実に起こっているワケですが、当然これも明確に人権侵害であるのですから、人権法案に救済すべきとして盛り込まれているワケです。
 しかし現段階では、自浄作用0のメディアが自分勝手な主張、「言論の自由を侵害するものだと」大反対キャンペーンを行ったために、とりあえずはこの部分だけ「凍結」という「今は運用しないけど、今後自主規制が出来なかったら凍結を解除して、規制していくよ」という妥協的な形をとっているのです。
 
 そもそも現在の人権法執行部のこの「凍結」という措置も、やえから言わせてもらいましたら、トンデモナイ話なのです。
 どうしてマスコミの人権侵害だけ“人権侵害と呼ばないのか”、こんな不条理な話はないのではないでしょうか。
 ですから、やえは当初から一貫してこの部分は即刻解除し、適切に運用していくべきだと主張してきました。
 しかししかし、なんと「懇談会」は、この条項はいらないと言っているんです
 これのどこが「真の人権擁護を考え」ているのでしょうか。
 この「懇談会」の顧問には、安倍晋三先生も名を連ねていらっしゃいます。
 安倍先生は、未だ無視を決め込んでいる朝日新聞の例の記事の時に、朝日の記者に自宅のインターホンを連打され、なおかつ「答えないと大変なコトになるぞ」と脅しまでされたとして、それを激しく非難されていたではありませんか。
 部会レポートでも何度かお伝えしましたように、今自民党では、佐田玄一郎先生を座長とした「朝日新聞の問題報道に関する調査プロジェクトチーム」で、党として徹底的に追及しているのです。
 安倍先生は現在幹事長代理という党の要職でもいらっしゃるんですよ。
 これを安倍先生はどのようにお考えになるのか、そしてこのメディア条項削除案をどう思っているのか、「懇談会」の顧問としてどう考えているのか、聞いてみたいです。
 
 やえは残念です。
 
 
 次に、「懇談会」の座長を務めていらっしゃる、古屋圭司先生のサイトを取り上げたいと思います。
 古屋先生は、6月1日付けで、人権法案に対する考え方をサイトに載せられています。
 今までも古屋先生は何度かこの問題を自サイトで取り上げていらっしゃるのですが、今回は「懇談会」が一定の見解を出した後というコトもあり、ある程度考え方がまとまってきた結果の見解だという見方ができると思いますので、6/1の記事を取り上げたいと思います。
 
 けっこうな長文となっていますので、必要最低限の引用にとどめたいと思っていますので、まずはその記事をご覧下さい
 でですね、あの、正直言いまして、ちょっとツッコミどころが多すぎるので、重要だと思われる点だけをピックアップしてツッコんでいきたいと思います。
 ではいきます。
 

 詳細に調べますと、人権侵害の定義「不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為」が極めて曖昧(あいまい)で、根本的に問題があります。
 それは、“恣意(しい)的な解釈が可能”であり、人権侵害された人やその疑いがある人を救う法案ではないからです。人権侵害への擁護は断固行なっていかなくてはなりません。しかし、この法案は自由と民主主義、表現の自由を侵害する恐れがあり、悪用される危険性があるのです。
 このような法案を議論もなく、国会に提出していくことは日本の民主主義を破壊する行為です。

 単純な話なんですけど、「恣意的な解釈が可能」であるコトが、即イコールで「人権侵害された人やその疑いがある人を救う法案ではない」とは結びつきません
 「恣意的な解釈が可能」というコトは、あくまで選択肢が増えている、それは負の方向にですが、に過ぎず、よって必ず救われない方向に強制的に導かれるというコトには全くなりません。
 もちろん、「恣意的な解釈」が本当にされるのであれば問題ですが、しかし、その問題と「救う法案ではない」という批判は、全く別問題です。
 ここを“恣意的”に結びつけて、印象操作しようとなされるのは、間違いだと思います。
 まして「日本の民主主義を破壊する行為」とまでおっしゃるのですから、このような印象操作はちょっといかがなものかと思います。
 
 また、何をもって曖昧とするか、どの辺にボーダーラインを引くのか、それをハッキリさせないまま「曖昧」とか「恣意的な解釈が可能」とか批判するのは間違いでしょう。
 古屋先生は全く具体的な内容についての指摘をされていないのでちょっと困るのですが、人権問題というモノは、ガッチリキッチリ定義付けができるような問題ではありません。
 これはやえはいつもいつも言ってますよね。
 むしろそれが出来るのであれば、人権法案だけでない一般的にも人権問題というモノはこんなに難しい問題にはならなかったでしょう。
 また、時代や場所や場合によっても、人権の定義は変わります。
 ひとことに「外国人差別」と言っても、妥当に外国人と自国人とを区別すべき問題と、不当な外国人に対する差別とは、それは中身や周りの状況をよく考えて議論して決めるべきコトの問題です。
 ですから一番大切なのは、より議論するコト、より多くの人が人権の問題を考えるコトであって、むしろ明確な定義をしてガチガチに固めてしまうと、現実の問題に柔軟に対応できなくなってしまい、最悪新たな差別が起こってしまう可能性だってあるでしょう。
 よって、ある程度のガイドライン的な定義は必要でしょうが、それをもって「曖昧である」と言い、反対の理由にするのは適切ではないと思います。
 

 第一点は、人権委員会は法務省の外局として人権委員会を国家行政組織法三条委員会として設け、公正取引委員会のように準司法的な強力な権限を付与されることです。これが実現しますと、人権委員会は、特別救済の名の下に、出頭要請、事情聴取、立ち入り検査などの強制力を発揮し、拒否すれば罰則が適用されます。
 裁判所の令状なしに強制執行が可能となることで、国民に畏怖(いふ)の念を与え、自由な言論を抑圧する恐れが出てきます。準司法機関とするならば、本来であれば司法制度改革を通じて対応していくべきものだと思います。

 そもそもの問題なんですが、どうして公正取引委員会は現存し実際に活動しているのに、それと同じ権限を与える委員会を作るコトをもって問題だと言ってしまっているのでしょうか
 それならまず公正取引委員会を廃止するよう主張し、国会議員として行動すべきなのではないでしょうか。
 「司法制度改革を通じて対応していくべきもの」というのもよく分かりません。
 つまり古屋先生は、司法制度改革によって公正取引委員会を廃止せよと主張されているというコトなのでしょうか。
 まったくもって矛盾な主張です。
 
 また、人権委員会には「特別救済の名の下に、出頭要請、事情聴取、立ち入り検査などの強制力」「裁判所の令状なしに強制執行が可能」という権限は無いというコトも、何度も何度もやえは言ってきましたね。
 「罰則」というモノも、あくまで裁判所の裁量における、裁判所の権限下におけるモノであり、人権委員会が行うモノではありません。
 古屋先生の「準司法機関とするならば、本来であれば司法制度改革を通じて対応していくべきものだ」という主張から、つまり司法機関であればこれらの強制執行などが行われても問題ないととれますから、もちろんそれは当然の話で、それを否定するならば裁判諸制度そのものを変えるような大きな改革が必要でしょう、よって、人権委員会には強制権は無く、さらに過料は裁判所の裁量権の範囲内においてなされるのであり、これらは古屋先生の主張と照らし合わせますと問題が無いというコトになりますから、まったくもってこの批判は的はずれというか、自己矛盾しちゃってます
 
 ただし、この点に関しては、やえも疑問がないワケではありません。
 しかしそれは「強制権があるんダー」とかいう批判ではなく、現実の問題としての人権委員会の対応についての疑問です。
 それにつきましては、やえはシッカリと対案を出していますので、詳しくはこちらをご覧下さい
 

 第二点は、人権擁護委員の選考規定の不透明さです。現行の委員は一万四千人いますが、地域の名士になっていただいているのが実情です。加えて六千人増員するという法案であり、そこには国籍すら規定されておらず、偏執的な思想の持ち主や特定団体等の影響を強く受ける恐れがあるのです。

 人権擁護委員の選考規定については、やえの「総論」ではまだ取り上げていないのですが、極端に不透明であるとか、「偏執的な思想の持ち主や特定団体等の影響を強く受ける恐れ」とかは言えないです。
 元々の人権法案にはいわゆる団体条項というモノがあって、擁護委員に部落解放同盟のような団体員が入り込めるような条文になっていたのですが、これはすでに修正をされて、団体条項は削除されています
 この辺のお話は自民党法務部会で正式に発表されたので、当然古屋先生もご存じかと思いますが、念のために言っておきます。
 
 それから、重大な事実誤認があります。
 「加えて六千人増員するという法案であり」というのは全くの間違いです。
 人権法案第二十四条の1では「人権擁護委員の定数は、全国を通じて二万人を超えないものとする」とされているだけであり、どこにも二万人にしなければならないとは書いていません
 よって一万四千人で職務が問題なく遂行できるのであれば、増員されるコトはないでしょう。
 

 現行法では委員の政治活動が禁止されていますが、新法案では禁止と明記してありません。法務省に問い合わせると、準公務員の扱いだから特に規定していないといいます。しかし、なんらかの目的意識や強大な権力を持った委員が六千人増えることは、事実上、政治・思想活動と等しい活動が可能であり、この法案が成立すると、自由と民主主義、表現の自由が損(そこ)なわれ、国家にとって大変に危険な状況が生まれます。

 法務部会に毎回ご出席されておられた古屋先生のお言葉とはとても思えません
 これだけご熱心に人権法の問題をやっておられるのに、どうしてこのような言葉が出てくるのか、ご無礼とは思いますが、全然話を聞いていないのか、提出された資料を全く読んでいないのか、そうとしか解釈が出来ません。
 
 まず、人権擁護委員は一般職の国家公務員です
 これは何度も何度も法務部会で報告され、また法務省が提出した資料内にも明記されています。
 例えば、「自民党法務部会における主な論点への対応案」という資料の中に、「7 人権擁護委員についての政治的中立性の規定がない」という意見に対しての回答として、「現行の人権擁護委員には国家公務員法の規定が除外されているが、本法案の人権擁護委員については、非常勤の国家公務員であり、国家公務員法が原則として適用されるところ、同法第96条に「すべての職員は、国民全体の奉仕者として(後略)」と、ハッキリと明記されてあります。
 また、古屋先生は拉致議連の事務局長でいらっしゃったと思いますが、4月8日付けの法務省が提出した「17年3月17日付け「人権擁護法案に対する緊急声明(拉致議連声明)との書面に対する考え方」という資料の中にも、「第四 現行法上の人権擁護委員は、政治活動が禁止されているが、本法案上は、積極的な政治活動のみが禁止されているに過ぎないとのご指摘について」という疑問に対しての回答に、「本法案の人権擁護委員については、一般職の国家公務員であり、国家公務員法が原則として適用されるところ、同法第96条「すべての職員は、国民全体の奉仕者として(後略)」と、やっぱりハッキリ明記されてあります。
 古屋先生はこれらの資料に全く目を通していらっしゃらないのでしょうか。
 
 さらに言いますと、政治活動については、4月21日に自民党で行われました部会において、先ほども言いましたように国家公務員法の規定が適用されるので本来は書き入れる必要はないのですが、そこを敢えて人権法上文中にそれを明記すると、執行部が報告をしています
 やえも部会レポートでこれに触れています
 もはやこれ以上やりようがありませんよね。
 よって、これらの報告をちゃんと聞いていれば、こんな批判は全く出てこないハズなのです。
 
 ここまでして万全を期しているのに、どうして古屋先生はこんなコトをおっしゃっているのでしょうか。
 大変失礼なコトを申し上げますが、お許しください。
 古屋先生は資料をもらっても中も見ずに捨ててしまうのでしょうか?
 それとも見れないほどお忙しいのでしょうか?
 また部会にご出席されていたと思いますが、もしかして自分のご意見を発言するコトに頭がいっぱいで、他の方の発言を全くお聞きになっていらっしゃらなかったのでしょうか?
 そしてその程度で人権法について公の場で語られておいでなのでしょうか
 理解に苦しみます。
 
 
 
 ごめんなさい、実はあとこれの3倍ぐらいの文章の量がありますので、ここでいったん区切ります(汗
 

平成17年6月4日

 「真の人権擁護を考える懇談会」はこれでいいのか2

 

 例えば、これまでノーネクタイやペットお断りの店、刺青(いれずみ)お断りの銭湯などでも、人権に関わる問題だと訴えられると、委員会が救済手続きを開始する可能性が出てきます。

 これも法案を全く読んでいない人がする批判と全く同じです。
 古屋先生はどうされてしまったのでしょうか。
 お店が行う差別についての規定は、第3条の1に規定されているのですが、そこには「人種等を理由としてする不当な差別的取扱い」とあります。
 で、この「人種等」とは、さらに第2条で規定がされていまして、「この法律において「人種等」とは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう」とされています。
 さて、ノーネクタイはどれに当たるでしょうか。
 さて、ペットお断りはどれに当たるでしょうか。
 さて、入れ墨お断りはどれに当たるでしょうか。
 古屋先生の言う「曖昧な定義」によっても、これらは全く当てはまりません
 ちなみに、北海道でのロシア人の入湯拒否問題に対して、「外国人お断りの措置は差別である」という判決を裁判所は出しています。
 

 お年寄りが年金で経営する小さなアパートでも、外国人お断りという入居条件に対して委員会が特別救済措置を取り、家賃を滞納する素性の知れない人たちを排斥できないことにもなりかねません。

 失礼ですが古屋先生、恣意的なこじつけ、印象操作が多いと言わざるを得ません。
 「家賃を滞納する」という問題と、人権問題は全く別問題です
 滞納すれば法に則って適切な措置が執られるコトでしょう。
 またこの古屋先生の書き方では、「外国人=家賃を滞納する」ととられかねません。
 これでは古屋先生の方が人権侵害をしているコトになります
 お気を付けられた方がよろしいかと思います。
 

 平成十一年に国旗・国歌法が成立し、国旗を掲揚し、国歌斉唱するという教育指導要領に基づく先生の指導に、「歌わない自由もある。人権を侵害された」という生徒や父兄の偏った主張に対して、目的意識を持った人権擁護委員がことさら大きく取り上げて救済を申請した場合、調査せざるを得なくなります。対象となった先生はテレビや新聞で大きく批判され、その挙句に地位すら剥奪(はくだつ)されるかも知れません。

 これは、大阪弁護士会のトンデモ勧告書に関するお話ですね。
 しかし、それならば大阪弁護士会を批判すべきであって、それがどうして人権委員会につながるのか、ちょっと強引すぎます。
 法務省提出の「救済手続きの不開始事由に関する規則のアウトライン」にこのような条文があります。
 「四 明らかに裁量権の範囲内と認められる立法行為又は行政行為であるとき」
 国歌斉唱国旗掲揚の指導というモノは、国公立の学校において指導が徹底されており、よってこれは明らかに「行政行為」です。
 この資料も部会で提出されているのですが、お読みになってないのでしょうか。
 

 「間違いの場合は訂正を発表する」と法務省は修正案を出していますが、それは事後の処置であり、人権の回復は決してできません。企業に公正取引委員会が立ち入り調査を行なっただけで新聞に大きく報道され、企業自体に問題がない場合でも、その後、入札が排斥されるなどの被害を受け、場合によっては倒産するケースもあるのです。

 はい。
 人権委員会が間違った判断を下した場合の規定が全くないというところは問題だと、やえも思います。
 そしてそう何度も主張してきました。
 ただし、「人権の回復は決してできません」と断定するのはちょっと違うと思います。
 この辺が人権問題の難しさですが、「事後の処置」というモノを完全に否定していますますと、この人権法に関わらず裁判も含めた全ての人権救済に関する措置が全く無意味なコトになってしまいます
 差別されている人はすでに差別されているワケですから、人権救済というモノは、この後どう処置していくかという問題であり、予防以外は全て「事後の処置」しかないワケです。
 それは現行法下の裁判という形でも同じですよね。
 そもそも人権侵害を現在進行形で受けている人がいて、それをどう救済するのかというのが人権擁護問題の大きな柱のひとつなのですから、つまり事後の処置を否定していまうと、ではどうしたらいいのか、ただ手をこまねいているだけなのかというコトになってしまうんですね。
 ですから、この古屋先生の言い方では、現状すらも否定しているワケでして、それならそうと主張すべきで、そうでなければこの批判はかなり的はずれな批判にしかなってないとしか言いようがないでしょう。
 
 またまた失礼とは思いますが、どうもこの法案に頭から反対されているという方は、現在進行形で人権侵害をされている人をどうするのかという観点が全く抜け落ちているような気がしてなりません
 あるのはただ自分が束縛されたくないというコトだけで。
 
 また、報道の問題ですが、これは人権委員会の責任ではなく、マスコミの責任です
 立ち入り調査をしただけで犯人だと決めつけるような報道はさせるべきではないでしょう。
 これこそまさにメディア条項を強化させるべき問題であり、しかし古屋先生が座長を務めておられる「真の人権擁護を考える懇談会」の見解としては、メディア条項はいらないと言っているワケでして、これはとんでもない矛盾です
 

 さらに、北朝鮮による日本人拉致被害者救出活動にも影響を及ぼします。卑劣な北朝鮮の犯罪に対して、「金正日はけしからん」という意見を北朝鮮に共感を持つ委員や朝鮮総連や北に近いグループが聞きつけ、「うちの首領さまを批判した。人権侵害だ」と、強烈に繰り返して訴えた場合、救済手続きを開始することもありえるのです。
 私は「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」事務局長を務めていますが、議連連盟や家族会による被害者の救出活動そのものが制限される可能性も出てきます。同胞を救出することができない、こんなばかなことが許されていいのでしょうか。KGBやゲシュタポなどの秘密警察が日本に出現するといっても過言ではありません。

 だんだん疲れてきました・・・。
 基本的に、「なにを差別とするのか」という法的にも観念的にも基準となるモノは、なにもこの人権法が出来て新しく定義がなされるのではありません。
 それは、今までの法や判例や常識が基準になるワケです。
 法と法が矛盾しないよう、ぶつかり合わないように整合性を持たせるために、特に「矛盾する場合は昔の法律が無効になる」とされているアメリカ式とは違う日本においては、法整備の上で特に厳密に細かく行われる作業です。
 すなわち、人権法と現行法とは、定義の点においては同一なのです。
 現行とこの法案と何が違うと言えば、手段が違うのです
 裁判という手間がかかる手段ではなく、まずその前段階として、行政が動くというのが、この法案の趣旨なのです。
 となれば、ジョンイルに対する批判が、現在の制度においても人権侵害であるならば、それは人権法によっても人権侵害でしょうけど、そうで無いのであれば、人権法でも侵害ではありません
 そして前出しました「不開始事由のアウトライン」の「一 特定の者の人権が違法に侵害されたものでないとき」に当たり、手続きは開始されません。
 

 高齢者や児童への虐待、家庭内暴力には個別法が立法されており、充分に対応できると思います。また、司法書士などが簡単に裁判の手続きができるADR(裁判外代理制度)を充実し、現行の人権擁護委員の権能を強化し、簡便で公正な司法救済を受けられるようにすることで権利侵害を受けた者は救われると思います。

 人権擁護法案における活動は、すべて行政の手によるモノです。
 いくら司法制度を改革しても、司法と行政との間にある壁は存在し続けます。
 よって、個別法により裁判での救済が出来るようになったとしても、司法書士による簡単な裁判手続きが行われるようになったとしても、それでもって行政が動いてはならない理由には全くなりません
 古屋先生のおっしゃるADRが出来たとしても、それと人権法は並立し共存できる制度です
 むしろ、裁判という手段に擁護委員が適切に導くというのも、この法案の大きな意義のひとつなのですから、ADRが出来れば、さらにそれが簡素化されるという相乗効果が生まれるとも言えるでしょう
 現実の複雑な問題、特に人権問題は複雑中の複雑な問題なのですから、選択肢を多く設けておくというコトに問題があるとは全く思えません。
 よって、このご指摘も的はずれです。
 
 
 古屋先生のご批判のほとんどは、部会での説明や提出された資料を読めば、すべて解決してしまう問題です
 なのになぜこのような批判をされてしまうのか、ちょっと国会議員としてどうなのかなと言わざるを得ません。
 まして古屋先生は、「拉致議連」の事務局長であり、「真の人権擁護を考える懇談会」の座長でもあります。
 そんな御方が、失礼ですが、この程度のお話しかされないのであれば、これらの議連の意見も所詮この程度かと思ってしまうコトにもなってしまいます。
 古屋先生は、もうちょっと中身のある議論をしてほしいと思います。
 
 
 (つづく)

平成17年6月5日

 「真の人権擁護を考える懇談会」はこれでいいのか3

 
 では最後に、3つ目の点を見てみましょう。
 冒頭で「懇談会」が一定の見解を出したと言いましたが、6月2日付けで「懇談会」が正式なペーパーを出しました。
 それが「人権擁護法案(政府案)の主な問題点」です。
 おそらく「懇談会」は対案となる法案は作っていないと思われますので、とりあえずはこれが「懇談会」の今までの議論の結果なのでしょう。
 
 というワケで、その内容をひとつひとつ見ていきます。
 

 1 人権侵害の定義等が不明確
  ○ 人権侵害の定義については、「不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為」(2条1項)と規定されており、これでは、「人権侵害とは人権侵害である」といっているのと同じである。

 これ、ちょっと揚げ足取りなんじゃないでしょうか。
 人権というモノは明確に定義出来ないというコトはすでに述べましたが、よってこれを言われても、だからなんでしょうとしか言いようがありません。
 だいたいにして、この指摘は何も人権法だけに当てはまるというモノでもありません。
 例えば刑法249条の恐喝に関する条文ですが、そこにはこう書かれています。

 (恐喝)
 第249条 人を恐喝して財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する。

 恐喝は恐喝であると言っているんです
 恐喝もなかなか定義がハッキリできない問題です。
 どこまでが話し合いで、どこまでが説得で、どこまでが恐喝なのか、明確にしろと言われても、それは時と場合によるとしか言いようがありません。
 例えば「1時間以上相手の意に反して意見を述べるコトを恐喝と言う」なんて定義してしまうと、今度は相手の一方的な言い分だけで全てが決まってしまうようなトンデモない事態になってしまうでしょう。
 こういう、殴れば傷害罪といったように、簡単に誰でも分かる定義がつけられない問題は、その場その場で個別に判断していくしかないのです
 

 ○「嫌がらせ」「不当な差別的言動」(3条1項2号イ)、「相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの」(42条1項1号)、「前各号に規定する人権侵害に準ずる人権侵害」(同項第5号)など、あまりにも抽象的な表現が随所に見られる。

 えーと、さっきの説明で全てが足りますね・・・。
 

 →これでは、恣意的な解釈・運用がなされるおそれがあり、結果として民主主義・自由主義の根幹を支える最も重要な要素である「表現の自由」を萎縮ざるおそれがあり、憲法違反のおそれなしとしない。

 これも以下同文としたいところなんですが、もう一つ例を挙げてみましょう。
 これはあまおちさんの専門ですが、警官による職務質問に関する法律です。

 警察官職務執行法
 
  (質問)
 第二条
 1 警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者を停止させて質問することができる。

 あのー、ものすごく曖昧なんですが、これには批判さなれないのでしょうか
 結局これ、警官がどう判断するかにしか根拠が示されていないのです。
 ですから、警官が「何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる」と判断すれば職質できるワケです。
 警察という機関は、人権委員会や公正取引委員会なんかよりも、遙かに強大な権力を持った、しかも武器を携帯できるという暴力機関です
 また警官というのは、その人選においては試験があるというコトしか特に規定がありません。
 選挙があるとか、選挙を経た人が直接選ぶとか、そういうのが全くないんですよ。
 どうして暴走の可能性を誰も指摘しないのでしょうか
 さらに言いますと、現在行われている職質というのは、ほとんど警官が無制限にランダムに行っているとも言えます。
 当サイト的にはこっちの方が問題だと思っているのですが、どうしてそれを指摘する人がほとんどいないのでしょうか?
 もし、現行の職質制度が問題ないというのであれば、ことさら人権法が問題であるとはちょっと言えないでしょう。
 

 2 人権委員会の権限が強大
  ○ 人権委員会は、独立性の高い3条委員会として位置付けられており(5条・7条)、しかも、下記の特別調査及び特別救済を行う権限を有するなど、その権限があまりにも強大すぎる。

 まず、強大、つまり強いとか弱いとかを言う場合、そういうモノは対象があっての話です。
 いったい何と比べて権限が強大であると言っているのか、この点が全く記されていません。
 よって、これだけではそれが不当であるかどうかを判断するコトは不可能です。
 
 仮に、比べる相手を想定してみましょう。
 裁判所と比べた場合はどうでしょうか。
 人権委員会は救済措置の中に、裁判に訴えるための手伝い、道しるべとしての役割を負うコトも重要な仕事の一つとされていますから、これは人権委員会の決定よりも裁判所の決定の方が重いと規定しているコトになります。
 また、前出しました「不開始事由のアウトライン」の八には「裁判所又は裁判官の判決によるものであるとき」という条文があり、人権委員会には裁判所の決定を覆す権限はないコトも明記してあります。
 他にも、正当な理由無くしての出頭の拒否に対する科料は裁判所の職務権限内においてなされるようになっているコトからも、やはり人権委員会は裁判所より権限が強大とは、とてもじゃないですけど言えないでしょう
 
 次に、検察・警察と比べてみましょう。
 一般的に人権委員会より権限が強いと見なされている公正取引委員会ですが、公正取引委員会にも人権委員会と同様な出頭や調査に関する条文があります(公取法第40条)
 しかし、この前の橋梁談合事件の時でもそうなのですが、最終的な捜査の段階においては、やはり検察・警察が直接捜査を行うのです。
 建設会社に実際に踏み込んだのは、検察・警察でしたね。
 となれば、やはり権限が強いのはどちらかと言えば、どう見ても検察・警察でしょう
 よって、人権委員会よりも検察・警察の方が権限は強大なのです。
 
 では最後に、民間団体と比べましょうか。
 民間団体には、捜査を求められるような法的な根拠はありません。
 氏名を公開するなどという救済手続きを行う権限もありません。
 よって、民間団体よりは、人権委員会の方が権限が強大だと言えるでしょう。
 
 さて、これらと比べた場合、強大であるから問題であるという批判をどう考えるべきでしょうか。
 少なくとも、「強大である=悪」という方法論は違うのでしょう
 よってこの批判も的はずれです。
 具体的理由もなく、ただこれだけで批判をするというのは、印象操作であると言えるのではないでしょうか。
 
 ところで、先ほど述べてきました古屋先生のサイトには、このような一文があります。

ADR(裁判外代理制度)を充実し、現行の人権擁護委員の権能を強化し、簡便で公正な司法救済を受けられるようにすることで権利侵害を受けた者は救われると思います。

 人権擁護委員の機能を強化し司法救済を受けられやすくするという方法は、人権救済措置の大きな柱のひとつです。
 えーと、「懇談会」は強大な権限はダメと言い、「懇談会」の座長は機能を強化しろと言い、本当はどっちなんでしょうか
 本当にちゃんと「懇談会」内で議論しているのか、これでは疑問に思ってしまいます。
 

 ○報道機関等が行う人権侵害が特別救済の対象とされており、報道の自由等の観点からは問題である。(42条1項4号)

 ああ、これですね、メディア条項の削除って。
 はぁ。
 ガッカリですよ、残念です。
 なんですか、やえはこういう言い方は好きじゃないんですが、なんとか味方を多くつくりたいから、まずはメディアを味方に付けて、事を有利に運ばせようという魂胆なのでしょうか。
 あーあ。
 

 3 不当な人権救済の申出の対象とされた者の保護が不十分
  ○ 相手方を困惑させ、相手の行為を萎縮させるために、人権委員会に人権救済を申し出るといったような濫訴的な場合に対する対応が十分になされていない。(規定無し)

 これについては、やえも同じ意見です。
 というか、ここが一番の問題だと、何度も言ってきましたね。
 ただし、他の制度を鑑みると、ちょっと濫訴を防ぐのは難しい気がしなくもありません。
 わかりやすいのが裁判です。
 現行制度下では、裁判の濫訴を防ぐ具体的な規則、一年に5回までしか告訴してはならないとか、濫訴をした人間に対する罰則、年に5回敗訴した人間には罰金100万円を課すとか、そういった規定はありません。
 もちろんこういう規定を作るのは難しいというコトは、説明するまでもないコトでしょう。
 ですからやっぱり具体的にはなかなか濫訴を防ぐ方策というのは難しいのではないでしょうか。
 人権委員会が、その申出が本当に正当な申出かどうかを見極めるというのは当然の話ですが、その他あと出来るコトと言えば、逆訴をする、つまり不当申出者を人権侵害者として申出て、不当に申し出た人に対して一定の措置を人権委員会にとらせるコトでしょう。
 他にいい案があったら教えてください。
 

 4 人権擁護委員の選任基準が不適当
  ○ 国籍要件がないため、外国人であっても人権擁護委員となることが可能である。このままでは特定の外国人団体が組織的に工作して委員を送り込むおそれがある。(22条3項)

 今のところ、外国人が擁護委員になれるというのはその通りです。
 ここにつきましては、やえは「国家・地方問わず、公務員には日本人のみが就くのが当然である」と、反対を主張しています。
 しかしですね、それをもって「特定の外国人団体が組織的に工作して委員を送り込む」というのは、また別の問題でしょう
 悪意ある団体というのはなにも外国人団体だけではないのですから、この問題は擁護委員の選定の基準や手続きをどう整えるかという問題であって、外国人がなれる余地があるからという理由を根拠に外国人が工作すると決めつけるのは、ちょっと適切ではないですね。
 
 そして

 ○「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから・・・人権擁護委員の候補者を推薦」(22条3項)とあるが、弁護士会等の団体が必ずしも適切な知見と公平性を有しているとは思わない。

 はい。
 その通りではあるんですが、この項目は修正されたと何度も何度も言ってきましたね
 古屋先生もそうなんですが、どうして部会で提出された資料とかを全く無視して話を進めようとするのでしょうか
 しかもこのペーパーを全体的に見ると、どうもこれは意図的にやっているんじゃないかと思えるような箇所があります。
 先ほど言いました濫訴に関するお話なのですが、「懇談会」が出したペーパーには正確にはこのように書いてあるのです。

 ○ 相手方を困惑させ、相手の行為を萎縮させるために、人権委員会に人権救済を申し出るといったような濫訴的な場合に対する対応が十分になされていない。(規定無し)
 (法務省が提示している修文案
 ※欄訴的な申出に係る事案等については救済手続きを不開始とする。
 ※調査を受けた相手方の求めに応じ調査結果を通知しなければならない旨の規定を設ける。
 (以下略)

 ※印の一番目は「不開始事由のアウトライン」ですし、二番目は4月8日に提出された修正案文の中の、第三十八条の4に当たる部分だと思われます。
 そもそも太字にしていますように、「法務省が提示している修文案」とハッキリと明記してあるんですね。
 このように、「懇談会」は、ちゃんと法務省の修正案を読んでいるのです
 にもかかわらず、どうして擁護委員の規定に関する部分の修正案だけ無視するのでしょうか
 一体どういう意図が働いているのか、なんなんでしょうか、これは。
 
 ちなみに、擁護委員の選定に関する修正案分はこうなっています。

 第二十二条
 3 市町村長は、人権委員会に対し、当該市町村の住民で、人格が高潔であって人権に関して高い見識を有する者のうちから、当該市町村長の議会の意見を聴いて、人権擁護委員の候補者を推薦しなければならない。

 ここから、外国人も含む、団体としての人間を送り込むという危険性は小さくなっていると言えるでしょう。
 ただし、第二十二条が修正されているのは3だけでして、2の「弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、行わなければならない」という部分は生きていますので、これについてはやえも疑問です。
 弁護士会が常に正しい見解を持っているとはとてもじゃないですけど言えません。
 トンデモ勧告書という例もありますしね
 しかも、今のような書き方だと、地方の議会の決定よりも、弁護士会の決定の方が重いとされていますので、これは民主主義の観点から問題であるとも言えます。
 これにつきましても、やえは過去何度も触れてきた通りです。
 

 ○市町村長の推薦を経ることなく、人権擁護委員を委嘱することができることとしている(23条)とあるが、これでは、人権擁護委員は民主的な手続きにより選任されているといえないのではないか。

 23条で規定する、市町村長の意見を覆す決定を下せる権限を持っているのは、人権委員会となっています。
 よって、人権委員会をどういう位置づけで考えるかが大きなポイントとなるでしょう。
 確かにこの批判は正しいと言えなくもありません。
 やえもそう思わなくもないんです。
 ですから、この条文は削除するならした方がいいと思っています。。
 ただ、違う視点もあると思うんです。
 人権委員会の人権委員は、衆参の議会の同意と総理大臣の任命によって、その地位を任させれるワケです。
 これは、大臣クラスの人事規定です。
 で、その大臣はほとんどは国会議員がなるワケですが、一部民間人がなるコトが多いですよね。
 一応法的には、閣僚の半数は国会議員で占めなければならないと定められています。
 となれば、選挙を経ていない人間が大臣になるコトもあるワケでして、そして中央省庁の巨大な権限を民間人によって動かされるというコトになるワケです。
 そしてこれは、果たして「民主的ではない」と言えるのでしょうか。
 少なくとも、民間大臣に対して「民主的ではない」という批判は、やえは聞いたコトがありません
 以上から、人権委員会が決定した人やモノに対して「民主的ではない」という批判が当てはまるのかどうかは、ちょっと微妙だと思います。
 
 また、第23条のタイトルにもありますように、この条は「特例」ですから、地方議会などの決定を180度覆すようなコトはないんじゃないかと思っています。
 まぁ根拠はありませんが。
 

 ○人権擁護委員の政治的中立性に関する規定がなく、政治的中立性を担保するための規定が不十分である。

 えーと、またですか?(汗
 どうしてこう部会の資料を無視するのでしょうか。
 これについては、古屋先生が全く同じコトを言っておられましたので、そちらをご覧下さい。
 はぁ。
 
 さて、このペーパーの最後に、総括のようなコトが書かれています。

 ○ 人権擁護法案は、以上のような様々な問題を抱えており、仮に政府案を修正してこうした問題を払拭したとすれば、政府案の基本的な制度設計の転換となり、修正になじまない。
 ○ 本法案がこのまま国会に提出され、成立・試行されてしまうと、真に迅速に救済がはかられるべき者が救済されないおそれがあるばかりか、新たな人権侵害すら発生してしまう懸念が払拭されない。
         ↓
 ○ 人権は国民生活に密着にかかわる事柄であるので、人権侵害の実状を十分に把握し、慎重な検討を行うことが必要不可欠である。
 ※ 国籍要件の追加、マスメディア規制の削除だけでは本法案の抱える問題点を根本的に解決することにはならない。

 あー・・・・、そういうコトですか・・・・・・。
 この法案を修正したとしても、しかし「基本設計の転換であり、1から作り直せ」という主張がしたいがために、多くの修正案をスルーしつづけたんですか・・・
 実際に、「協議会」が公式に出した今回のペーパーの問題点を点検しても、そのほとんどがすでに出された修正案で解決している事柄でしたね。
 しかし、それでもってなにか矛盾が生まれているというワケでもありませんので、また1から作り直す必要性というモノは全く感じません
 そもそも法案というモノは修正されるのが当然の話です
 修正がいけないと言うのであれば、ではなんのために自民党内に部会や政審・総務があって、さらに国会の中に委員会があって、やっと本会議があるという長いプロセスを経ているのかさっぱり分からなくなってしまいます。
 こんなの、やえが言わなくても、自民党の国会議員の先生方の方が理解されているハズです。
 それなのにどうしてこういう主張をなされるのか、ちょっと、いえ、かなり理解に苦しみます。
 
 また、このペーパーで出された問題点の大部分はすでに修正済みであり解決済みでありますから、「真に迅速に救済がはかられるべき者が救済されないおそれがあるばかりか、新たな人権侵害すら発生してしまう懸念が払拭されない。」というのは、ちょっと当てはまらないでしょう。
 やえも疑問だと思っている部分にしても、根幹に関わるような問題があるというモノでもなく、他の制度や法律と比べたら、妥協せざるを得ないのかなと思うような点しかありません。
 ですから、もしこれらの点をもって「廃案にせよ」「1から作り直せ」と主張するのであれば、それは他の制度にも同じコトが言えるワケでして、例えばまず先に、全ての公務員に国籍条項をつけるようしなければならないでしょうし、また、裁判の濫訴に対する規制や罰則を作る必要が出てくるでしょう。
 警察の制度も根本から考え直す必要があると思います。
 さらに言えば、濫訴に関しては、現実に「オレの言うことを聞かないと裁判するぞ」という脅し文句は使われていたりするワケですしね。
 
 「人権は国民生活に密着にかかわる事柄であるので、人権侵害の実状を十分に把握し、慎重な検討を行うことが必要不可欠である」というのはもっともですが、はい、えーと、これ以上はなにも言うべきコトはありません。
 その通りとしか言いようがありませんね。
 しかし自分が納得できないからといって「時間をかけろ」と主張するのは卑怯です
 実際に議論が起きて、前に進んでいるのですから、それを無視するようなコトを言うのは、それこそ「言論の自由」に対する挑戦なのではないでしょうか
 相手の意見もよく聞いて、それに対して正面から反論するというのが議論です。
 しかし古屋先生も「懇談会」も、相手の言い分、法務相提案の修正案を無視して話を進めるという方法をとっており、これはとても卑怯ですし、こんなのでは全く議論になりません
 文字通り、お話になりません。
 逃げているだけだと言わざるを得ないでしょう。
 
 
 
 ものすごく長くなりましたが、以上が「真の人権擁護を考える懇談会」の今のところの見解です。
 ハッキリ言いまして、見事に期待を裏切ってくれましたと言わざるを得ません
 もしこの「懇談会」がより良い案を出すのであれば、ちゃんとそれを評価すると、やえは一貫して主張してきました。
 しかし、残念ながら全く評価できるポイントがありませんでした。
 むしろ点数をつけようとするのであれば、マイナスでしょう。
 反論は全く反論になっていませんでしたし、また、「懇談会」が出した提案は、たった2点しかなく、ひとつは「国籍条項」を求めるコトと、もうひとつは「メディア条項」を削除しろというモノです。
 国籍条項については留保すべき点があるというコトは言いましたし、もちろん設けろという主張には一定の評価は出来ますが、しかしメディア条項はいけません。
 メディアの人権侵害を黙認しろという主張にはまったく賛同できません。
 これでどうプラスに評価しろと言うのでしょうか。
 なんとも残念です。
 
 古屋先生にしましても、「懇談会」全体としましても、これでは全く話になりません。
 「懇談会」としても、ある程度の対案法案を出すという話があったと思うのですが、ハッキリ言いまして、これでは期待できません。
 もちろんそれを出された時にはちゃんと中身を読んで評価をしたいと思っていますが、基本がこうですから、いやはやなんとも言いようがありません。
 少なくとも、古屋先生や「懇談会」は、法案の中身や修正案の中身を読んでから反論してもらいたいモノです
 
 というワケで、かなり残念だった「真の人権擁護を考える懇談会」の見解と、それに対するやえの考え方をお送りいたしました。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、実りある中身がクロスする議論を応援しています。
 

平成17年6月10日

 櫻井よしこもこの程度でした

 
 櫻井よしこさんはとても好きなジャーナリストです。
 いわゆる「保守オヤジ」にありがちな下品な感じが全くなく、ピシッと襟を正して筋を通して清潔で理路整然とした、しかし人の心もよく感じ取っていたそのジャーナリストとしての姿勢がとても格好良かったんですね。
 やえも女ですから、おそらくそういう意味でも櫻井さんに共感する部分が多かったのでしょう。
 しかし、今回のこれはいけません。
 これではただの「プチ保守」になってしまっています。
 どうしてこの問題に関わる人の多くがこんなに惑わされてしまうのでしょうか。
 とりあえずこれに反対しておけば、保守本流というお墨付きと人気とが簡単に手に入るとでも思っているのでしょうか
 金のために思想を曲げる。
 これはやえが最も嫌う行為です。
 
 保守雑誌『SAPIO』の今週号で人権擁護法案についての特集記事が載っていました。
 今までネット以外での人権法についての記事は、たいていがロクでもないモノばかりでしたので、あまり期待もしていなかったのですが、やはり案の定、かなりヒドイ内容になってしまっていました。
 しかもその記事を書いていたのがあのジャーナリストの櫻井よしこさんなんです。
 どうしてこんなコトになってしまったのか、驚きと共に、残念な気持ちとため息が出てしまいました。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 では、どのようにヒドイのか、中身を見てみるコトにします。
 
 と、その前に、まずですね、今回の記事も今までいろんなところで行われている反対論と同じように、法務省が出している「修正案」が全く加味されていないんですね。
 衆議院などで公開されている、前回の国会で提出され、衆議院解散で自動的廃案となってしまっていた法律案の条文だけを反論の資料としているのです。
 もちろん、現段階ではまだ、公的なシステムの中には組み込まれていない一政党の自民党内での議論ですから、なかなか一般の人にはその情報が伝わらないでしょう。
 そもそもさっき言いましたように、いくら政権政党自民党とはいえ、その議論は公的なシステムの一部では全くないのですから、党側は国民に必ずしも伝える必要も義務もないワケですし、一般の国民もそれを知らなくても、仕方のないコトだとは思います。
 しかし櫻井よしこさんは違います。
 一般の国民ではありません。
 有名で有能なジャーナリストです。
 国会議員の先生方と交流もお有りの、議員さん関係以外の国民の中では、最も永田町の情報を手に入れやすい立場の一人のハズです。
 それなのに、どうして今回は取材を放棄してしまい、古い資料だけで記事を書いてしまっているのでしょうか。
 理解に苦しみます。
 
 しかも、この前の古屋先生の時と同じように、もしかしたら確信犯の可能性も否定できないのが、さらに理解に苦しむところであったりします。
 『SAPIO』の記事にはこのような文章があります。

 合同部会一任取りつけの背景に何があるのか
 
 それにしても、なぜ、こんなに批判される法案が国会に出されようとしているのか。この間の経緯について同法案を担当する自民党法務部会、平沢勝栄氏が説明した。
 「(中略)法務部会で議論することになり3月10日、15日、18日、4月8日、13日と会合を重ねました。ところが4月21日の部会で大混乱になったのです」
 4月21日には法務部会と人権問題調査会の合同部会が開かれた。

 法務省が自民党の法務部会で修正案を提示したのが4月8日です
 しかし櫻井さんの記事は、その後の21日の部会まで言及しており、つまりこの記事が書かれたのは少なくとも4月21日以降であるのは確定です。
 よって、この記事が書かれている時点では、すでに修正案は出されていたワケです。
 
 このことから導かれる仮定が2つあります。
 
 ・櫻井さんがこの法案に反対するために、わざと修正案を無視して話をすすめた
 ・櫻井さんはやえより取材能力が低い
 
 この2点です。
 このどちらかしか考えられません。
 これは、櫻井よしこという有名ジャーナリストとしての看板的に、それはどうなのかと、とても疑問です。
 この点からしてすでに「この程度」と言わざるを得ないコトに、やえは大変残念に思います。
 
 
 では中身について引用しながら見てみましょう。
 
 まず冒頭の書き出しなのですが、これは慣例的におそらく編集者が書いたモノであって、櫻井さんの文章ではないと思うのですが、しかしあまりにトンデモナイ文章のでツッコミしておきたいと思います。

 突如、自民党内でゾンビのように浮上した“世紀の悪法”の正体を撃つ!
 
 ある日突然、あなたの発言が「人権を侵害した」として、人権委員会から出頭命令を受け、自宅に裁判所の令状無しに人権擁護委員会が立ち入り調査にやってくる……そんな事態を現実のものにしようとしているのが、「人権擁護法案」である。「曖昧な人権侵害の定義」、「国籍条項不在」のもとで、人権委員会に「強大な権限」を付与する同法案がはらむ危険性を、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏が抉る

 やっちゃいました。
 「人権擁護委員会」です。
 こんなモノ存在しません
 この言葉は、冒頭から、自分は不勉強ですと宣言しているようなモノです。
 いきなりやっちゃいました。
 
 また、人権委員会の行う立ち入り調査などは「特別救済手続」の中のひとつです。
 しかし「人権擁護委員会」とやらが「人権擁護委員」のコトだったとしても、この「特別救済措置」には人権擁護委員は参加できません
 第四十四条2項、「人権委員会は、委員又は事務局の職員に、前項の処分を行わせることができる。」となっています。
 よって、立ち入り調査を行う人間は、人権委員か、事務局の職員だけです。
 
 これらのコトは修正案は関係ない部分であり、衆議院のサイトで公開されている法案文を読めば一目瞭然である事項であるのですが、それなのに冒頭からこの体たらくというのは、法律案文を読むという、基本的なコトすらこの記事は出来ていないと言わざるを得ない有様です。
 
 では、桜井さんの本文に移りましょう。
 まずはこちらです。

 人権委員会は委員長を含めて計5名で構成、内閣総理大臣が任命する。人権委員会の下に人権擁護委員を置く。人選は、市町村長の推薦する人物の内から、各地域の弁護士らの意見を聴いて行われる。市町村長は人選にあたって、「人格が高潔」「高い見識」を有する者で「弁護士会」や「その他の人権擁護を目的とする」団体の構成員の内から、候補者を推薦しなければならない。

 はい、出ました。
 人権擁護委員の選任条件のうちの、いわゆる「団体条項」に関する部分ですが、これはすでに修正がなされ、「人権擁護を目的とする団体の構成員から推薦する」という文言は削除されています。
 さきほども言いましたように、櫻井さんのこの記事を書いていた時点ではすでに修正案は提示されているハズなのですが、どうしてこういう間違いを書いてしまうのでしょうか。
 『SAPIO』は読者が決して少なくはありません。
 それなのに、現状を全く無視して、取材していないのかどうか分かりませんが、このような事実に反するコトを書くのは、あまりに無責任です。
 もし前回の国会で出されていたそれまでの法律案を取り扱うのであれば、ではなぜ今この記事を書いたのか説明がつきません。
 最近確かにこの法案について様々なところで騒がれているというのはもはや説明するまでもないコトであり、だからこそ櫻井さんは今回この記事を書かれたのだと思うのですが、しかしそそうであるならば、なおさら今回特有の動きを追って、自民党内での議論や修正などを読者に伝えなければならないのではなでしょうか
 まさにそれがジャーナリストとしての本分なのではないでしょうか
 今回のこれらの修正案は、かなり大きな動きです。
 それなのに21日の大騒ぎとなった部会を取り上げつつも、しかしもっと大切な法案の中身の変化というモノには全く触れないというのは、これは恣意的にやったと言われても仕方ないと思います。
 ジャーナリストとして名乗り、公の場で文章を載せるからには、伝えるべきコトは伝えるという義務と責任があるハズです。
 

 人権侵害の疑いのある場所に立ち入り調査をすることが出来る。違反者には罰則が科せられる。

 これだけでは「何の罰則か」というコトがよく分かりません。
 そもそも「罰則」でありません。
 法律を扱うのですから、用語についても厳密にしてもらいたいところですし、「何の罰則か」というのも同様に、厳密に書くべきです。
 正確には「正当な理由なく立入検査を拒み、妨げ、又は忌避した者には三十万円以下の過料に処される」です。
 

 また、人権委員会の委員長及び委員、その下の人権擁護委員に関しては、国籍条項がないため、日本国籍を有する者でなくとも就任できる。

 今時このような批判をする人はいませんよね
 人権委員には日本人しかなれません。
 どうしてこのような基本的なミスというか、間違いを犯してしまうのか、不思議でなりません。
 この段落の冒頭に「「人権擁護法案」は人権を守るために国家行政組織法第三条に基づく人権委員会を設置する」と書いているのですが、それならば、同じ「三条委員会」である公正取引委員会はお調べにならなかったのでしょうか。
 ふつう「国籍条項がない」というのは不自然な話なのですから、すぐさまいきなり「無いのはおかしい」と声を挙げるのではなく、「果たして本当に無いのか、似たような例はないのか」と調べるコトが先に頭に浮かぶと思うのですが、どうして脊髄反射のように何も考えもせずに書いてしまうのでしょうか。
 少なくとも公の場に文章を載せる以上、調べるという行為をしなかった責任は大きいと思います。
 

 第二条第一項には、人権侵害とは不当な差別を指すと書かれている。「不当な差別」と書くからには、何を以て不当とするのかを定義しなければならない。明確な定義無しには常に恣意的な拡大解釈の危険がついてまわる。また、不当か否かの判断に、主観が混じるのは避けられない。主観によって運用される法律があってよいはずがない。

 また出ました
 これまた説明しなければならないんですか?
 例えば刑法249条の恐喝には「人を恐喝して財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する」としか書いていません。
 「何を以て恐喝とするか」定義されていません
 ではなぜ恐喝は問題が無くて、人権侵害だけが問題なのか、明確にお答え下さい。
 
 また、警察官職務執行法では、警官個人が判断して職務質問できるコトになっています。
 これは警官個人の主観です。
 主観によって運用されている法律があるのですが、どうしてこれには声を挙げてくださらないのでしょうか。
 
 さらに言いますと、刑法での懲役刑に関する条文では、だいたいどれも「○年から○年」と定められていますね。
 殺人で言いますと、「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」(刑法第199条)です。
 では、その事件の犯人に対する罰を「死刑」にするか「無期懲役」にするか、それとも「20年にするか」「5年にするか」、こういうのはどう決められるのでしょうか。
 それは、裁判官の主観によって決められます。
 被告の、動機・事件のあらまし・背景、また生まれや生い立ち、さらに被告の反省度なども加味されて刑が言い渡されるワケです。
 しかし、これらの判断基準はどこにも規定されていないワケでして、まして「反省度が50%なら刑期が20年である」なんて文章で規定できるワケもないですから、やはり最終的には裁判官の主観によって刑が決まるのです。
 しかし櫻井さんの「主観によって運用される法律があってよいはずがない」という言い方では、「全ての、人間という存在の思惑主観は絶対に法に入り込んではならない」という意味でしょうから、これはかなり的はずれな意見にしかなっていないのです
 全ての法は、最終的には運用にかかってきます
 どんな善法でも、どんな悪法でも、使う人によってはどうとでもなります。
 そしてそれは、人間の主観によって決まってくるモノなのです。
 

 第二条第一項から、中間の文言を取り去れば、「人権侵害とは人権を侵害する行為をいう」という定義に行きつく。人権侵害とは人権侵害だというような曖昧さがそのまま法律になるのは考えるだけで恐怖である。これは取り締まる側にとっては、気に入らない言論や活動を取り締まる絶好の手段となる。言論や表現活動は多いに萎縮してしまうだろう。

 人権擁護法案はまだ法律として成立していませんので、実効は全くありません。
 しかし刑法はもちろん今でも適応されますね。
 というコトは、すでにこの日本は恐怖の社会になってしまっているのです
 今でも「気に入らない言論や活動を取り締まる」活動が盛んですし、言論家や表現活動家は多いに萎縮しきっています。
 なんてこわい世の中でしょうか
 

 加えて法案によると侮辱や嫌がらせも人権侵害と見倣される。だがこれらは人間の心、感情の領域の問題だ。そうした事柄を法律によって人権侵害だと断じることは出来るのか。心の問題を明確に切り出して法の前で断ずることなど神ならぬ身の人間が行ってはならないことだ。

 おー、すごいコト言いますね。
 櫻井さんの言い方では、刑法第230条の名誉毀損に関する法は「人間が行ってはならないこと」になります。
 つまり、ここでやえが櫻井さんのコトを、それが事実でなくても罵詈雑言によって誹謗中傷したとしても、それは「人間の心、感情の領域の問題」ですから、神以外は断じてはならず、櫻井さんは言われるがままにしかならない、というコトですよね
 また例えば、いつぞやの、ラジカセ音量最大にしながら布団を叩きながら引っ越し引っ越しと大騒ぎしたイカレたおばさんの行為も、「感情の領域の問題」でありますから、なんら断じてはならないというコトになります。
 しかしそんなバカな話はありません
 いつもの櫻井さんはどこにいってしまったのでしょうか。
 こんなバカバカしい文章を、本当に櫻井さんが書いているのか疑ってしまいます。
 質の悪いゴーストライターに任してしまったのでしょうか
 僭越ながら、もうちょっと人選はしっかりした方がいいと思いますよ。
 

 公正取引委員会が立ち入り調査をしただけで、メディアで報道される。たとえ、調査結果がシロであっても、立ち入り調査をされた側の名誉回復は難しい。人権委員会の立ち入り調査も同様だろう。そのようなことが、人権の定義も曖昧なまま、判断の難しい心の問題や思想信条の問題などに関しておこるとすれば、それらは間違いなく、言論統制に結びつく。同法案が人権擁護の美名の元で逆に人権を弾圧する悪法と言われるゆえんだ。

 えーと、メディアは神ですか
 メディアは何をしても許されるのですか?
 もしくは、メディアは公的機関の犬ですか?
 いつの間にメディアは公的機関の言われるがままの報道しかしなくなったのですか?
 メディアはいつも責任は問われるコトはないのですか?
 ジャーナリストとして櫻井さんはそれでいいのですか?
 巨大な権限だけがあり、しかし責任がないというのは、まさにメディアが一番当てはまると思われませんか
 

 しかも、人権委員にも人権擁護委員にも、国籍の規定がないのだ。

 はいはい。
 
 
 えーと、4ページにもわたってのこの特集記事ですが、なんと法案の中身についての言及はたったこれだけしかありません
 後は、議員の先生方の言葉を引用している部分か、もしくは選挙協力がどうとか、そういう「外」の話ばかりなのです。

 
 
緑枠が「外」の話、赤枠が議員の話の引用

 しかも「中」の話、つまり法案そのものの検証も、修正案を知らないというだけでなく、基本的なコトすら全然理解していないという体たらくです。
 このお話は、法案についてその是非を考えるお話なワケですから、まずは中身についてじっくりと検証・議論するというのがスジです。
 もしそれが全て完全に終わり、それでもまだ言い足りなくて、どうしてもさらに何か言いたいというのであれば、その時はじめて外の話をすればいいでしょう。
 そもそも法律なんてモノは文字の羅列でしかなく、「悪人が作った=悪法」とは必ずしも結びつきません。
 そう結びつけるのは、井沢先生のお言葉を借りれば、「言霊信仰」でしかないでしょう。
 よって、当然のコトですが、法律とは中身の検証が最も大切であり、だからこそそれをまずはじめにしなければならないというのは言うまでもないコトです。
 しかし櫻井さんのこの記事では、そんな基本中の基本すら果たしていると言うにはほど遠く、これだけではただただ印象操作に奔走していると言わざるを得ません
 やえの感想では、人権法の問題をたった4ページで書ききるのは難しいと思うのですが、さらに櫻井さんはその貴重なスペースを使い、なぜか靖国問題にまで言及してしまっています。
 人権法と靖国参拝の問題は全く関係ないハズです。
 しかし櫻井さんは、なぜかこの問題をとりあげ、人権法に無理にからめて悪印象を与えようとしています。
 これでは、なんでもかんでも靖国を取り上げ、自分の悪行を正当化しようとする中国政府となんら変わりがないではないですか
 櫻井さんはどうしてしまったのでしょうか。
 
 
 ちょうど最近、やえは血液問題を勉強するために櫻井さんの著書を拝読しました。
 中公文庫の『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』という本なのですが、この本の最後に載っている解説のページに、広河隆一という方が櫻井さんをこのように評しています。

 本書は周知のように、薬害エイズの構造を徹底的に追及する取材報告である。櫻井さんの調査報道の過程でターゲットは次第に絞り込まれていき、この国の政治・医学界の腐敗した巨悪が姿を現していく。ドキュメンタリーにもかかわらず、サスペンスドラマを見る思いである。
 彼女は徹底した被害者の証言インタビューに取材の基盤をおく。しかし被害者が全てを語ることは、この国では、インタビュアーが大変な信頼を得ていなければ不可能なのだ。

 その徹底した取材姿勢は、今回は全く発揮されなかったのでしょうか。
 本来の櫻井さんはまさに広河さんがおっしゃっている通りだとやえは思っています。
 しかし今回に限っては、ただ「流行に乗ってみました」ぐらいしか感じませんでした
 保守層がこの問題をことさらに大きく取り上げ、ことさらに悪いように解釈し、また事実を捏造して改竄して、反対の気勢を上げています。
 やえは、どうしてもこの今の空気を、「拉致問題を取り上げれば憂国の士である」とされるような空気と同じよな、「人権法に反対すれば憂国の士である」という、理屈を越えた感情論の先走りでしかないとしか思えません。
 そして、「憂国の士」と言われたいがために、ちやほやされたいがために、理屈を越えて、反対のための反対をしているようにしか見えません
 そして文章でお金をもっらっているプロの言説家も、この空気を利用し、自分の名の価値をさらに上げたい、勲章をもう一つつけたい、お金にしたいという思惑でしかこの問題を見ていないのではないのでしょうか。
 櫻井さんもそうであると言わざるを得ません。
 
 元々保守思想の中には、以前やえが言いましたように、人権という言葉や概念自体に異を唱えるような考え方があります。
 ですから、保守の方から疑問の声が挙がるのは、ある程度は理解できます。
 しかし、その声の挙げ方が、ただただ反対のための反対だけでは、それは主張のベクトルが右に向かっているだけで、サヨクとなんら精神性が変わりません
 それは所詮「プチ保守」なのです。
 
 大変、もうものすごく僭越なのですが、敢えて申し上げます。
 櫻井よしこさん。
 もう一度、人権擁護法案の条文と今までの動きををよく理解してから、この問題を取り上げてください
 今回のこの記事は、ハッキリ言いまして、ジャーナリストとして失格な記事だと言わざるを得ません
 最低限の責任だけは果たしてくださるよう、お願い申し上げます
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、中身ある議論を応援しています・・・人権法を取り扱うと、いつもこれになりますね・・・。
 

平成19年10月1日

 人権擁護法案一問一答集 −魔女狩りが合法化される!?−(人権擁護法案ポータルwikiのマンガへの反論)

 人権擁護法案に反対するもっとも多い理由に、「魔女狩りが合法化される」という感じのモノがあります。
 例えばこのような書き込みです

 これは、ほんの一例ですが人権擁護委員とその関係者が自分たちに都合の悪い
 報道・世論に対して人権という言葉を付けて有形無形の圧力をかけてきます。
 要するに人権擁護委員という秘密警察を
 つくり、国民を「人権」という言葉をこじつけて監視・取締りします。
 これでは人権擁護委員による独裁!になります

 ちなみに漫画まで載せていらっしゃるのですが、もう何から何までデタラメです。
 この手の主張を堂々と書いてあるサイトやブログもけっこうあるのですが、どういう根拠でこのようになるのか是非教えていただきたいモノです。
 
 この手のコトを書いているサイトやブログは、こういう結果だけを書いて不安をあおっているワケですが、しかし法的にはどうのようなプロセスを経るのかというコトは全く書かれていません。
 公的機関が動くには根拠が必要です
 法的根拠です
 例えば警察には一般人にはない家宅捜索する権利や拳銃を持つ権限を持っていますが、これは決して「警察だから」という理由だけで権限があるのではありません。
 キチンと法律にそう明記されているから権限を持っているワケなのです。
 もっと分かりやすい例で言えば、他国の軍隊は集団的自衛権によって自国が攻撃されなくても同盟国が攻撃されれば反撃をするコトが出来ますが、日本の軍隊である自衛隊はそれが出来ません。
 もちろんそれは法律や憲法によってそう定められているからですね。
 つまり、軍隊だからという理由だけで様々な権限を持っているというワケではなく、それぞれの国でそれぞれの法律によって様々な権利や権限また規制などを受けて、法的根拠を持って、これらの公的組織は動いているワケです。
 全ての公的機関は法律によって規定されているのです。
 
 よって、人権擁護法案が成立し人権委員会が設立したら、それは人権擁護法に記載され規定されている法律によってその行動や権限が決まります
 逆に言えば、法律に明記されていないコトは出来ないワケです。
 すなわち人権擁護法案をよく読めば、人権委員会や人権擁護委員は何が出来るのかというコトが全て分かるワケですし、逆に「○○が規制される」という書き込みは本当に正しいかどうかも法文を読めば明らかなのです。
 
 
 では、具体的にさっきの漫画にツッコミを入れていきましょう。
 
 まず最初に、「人権委員から委託された人権団体です」「立ち入り調査です。協力お願いします」というセリフとともに、無理矢理家宅捜索するかのような描写が描かれていますが、これはまったくのデタラメです
 作者はいったい人権擁護法案のどの部分がこれに当たるのか、果たして法案文をちゃんと読んでいるのかすら疑問です。
 
 まず、「人権擁護委員から委託された人権団体」という文言がいきなり意味不明です。
 法案文の中に「委託」という文言はありません。
 また似たような言葉に「嘱託」というのがあるのですが、これができる権限を持っているのは人権委員会です。
 擁護委員にそのような権限は与えられておらず、「人権擁護委員から委託」はあり得ません
 この時点で作者は法案を読んでいない可能性が高いと言わざるを得ないぐらいのデタラメさです。
 
 また、仮に人権委員会から嘱託依頼があったとしても、それを受けられるのは「国の他の行政機関、地方公共団体、学校その他の団体又は学識経験を有する者」だけです。
 漫画にありますような「委託された“人権団体です”」という名乗り方では、明かな法律違反です。
 人権団体には調査を嘱託できません
 
 さらに、そもそも外部に嘱託できる調査は、「一般救済手続き」です(第四十条)
 一般救済には、立ち入り調査の処分は存在しません。
 よって、嘱託された人権委員以外の者が立ち入り調査するコトはあり得ません
 デタラメです。
 
 次に、この漫画では「人権侵害を犯すおそれがあると、委員会から通達があ」れば、即座に立ち入り調査ができるかのような描写になっていますが、これもデタラメです。
 立ち入り調査がされるような事案というのは第四十四条に定められていて、基本的には「第四十二条第一項第一号から第三号までに規定する人権侵害」と「前条(43条)に規定する行為」の場合に、「必要な調査をするため」に行えるコトになっています。
 では最初の「第四十二条第一項第一号から第三号までに規定する人権侵害」は具体的には何を指しているのかと言えば、特に簡単に言えば「公務員も民間も含めた公共的施設における差別的取り扱いの禁止」と「特定個人に対する酷い差別言動」そして「虐待」の3点です。
 また、「前条に規定する行為」は何かと言うと、簡単に言えば「部落名鑑のような物の存在と頒布」のコトを言っています。
 ちょっとだけ詳しく言うと、特に「前条」である43条に定められている具体的行為が記載されている「第三条第二項」をじっくり読むと、「前項第一号に規定する不当な差別的取扱いを」という文言があるのが分かると思いますが、「前項第一号」とは国や地方公共団体そしてお店の人間が消費者に対して不当なコトをしてはならないという条文ですので、「前条に規定する行為」にもどりまして、ここに該当するためには公的団体やお店の人が不当な取扱いが出来るようになるためのなんらかの言動が必要になるワケです。
 これはけっこう条件がきびしく、ここはほぼ「部落名鑑」の存在をねらい打ちしていると言ってもいいでしょう。
 ではなぜ「部落名鑑」と名指ししないのかと言う人もいるかもしれませんが、もしそれだと「同和地域地図」なんてコトにされると、法的にはすり抜けられてしまうからです。
 そして漫画では、立ち入り調査をされた理由として、「メールでのセクハラを誘う履歴」「歴史を検証するサイトアクセスの履歴」「外国人が主人公に勝負で負けるシーンのある漫画の所持」「現状への疑問が唄われているCDの所持」というモノを挙げていますが、「セクハラ」以外はかすりもしませんね
 そしてセクハラは普通に考えてダメだと思うんですが、しかし人権擁護法の特に特別救済が発動するセクハラでの規定は「特定の者に対し、職務上の地位を利用し、その者の意に反してする性的な言動」となっており、つまり「職務上の権力を利用してのセクハラ」でないと立ち入り調査はできないコトになっています。
 もしこの漫画の主人公が部下に対して「このノルマが達成出来なかったら明日は裸で一日中仕事だ」なんて言っていたらおそらくアウトなのでしょうが、しかし仕事とは関係ない友達であれば、少々のセクハラまがいな内容であっても、少なくとも立ち入り調査という処分のある特別救済が発動するコトはないのです。
 ちょっと長くなってしまいましたが、さらに詳しい説明はこちらに法文を参照しながら詳しく書いてありますので、ぜひ一度読んでみてください。
 
 まして、この漫画の2ページ目では、一部の人権団体が行っているようないわゆる“糾弾会”のようなモノを、“委託された人権団体”が人権擁護法に則って行うかのように、つまり人権委員会が行うかのように描いているワケですが、これも全くのデタラメですね。
 人権委員会は独立性の高い三条委員会であり(これを持って「三権から独立した存在」などと書いてある記述もよくありますが、これも全くデタラメです)公的機関であるワケで、私団体が行う糾弾会と人権委員会と人権擁護法案は全く関係ありません
 むしろそのような過度な糾弾は人権侵害と当たるとも言え、それこそ人権委員会に訴えるべき事案なのではないかとやえは思います。
 
 さらに「また、人権擁護委員への参加に、大いなる意欲を見せています」と意味ありげに書いてありますが、こんなのは、だからなんですか?で終わります。
 ここもよく誤解されているところですが、人権擁護委員の権限はかなり限られています
 それが人権擁護法案の定める人権侵害に当たるかどうかを判断する権限も無ければ、特別救済手続きに関わるコトも出来ませんし、当然立ち入り調査なんて以ての外です(特別調査 第四十四条第二項「人権委員会は、委員又は事務局の職員に、前項の処分を行わせることができる」)
 キャプションにあるような「要するに人権擁護委員という秘密警察をつくり、国民を「人権」という言葉をこじつけて監視・取締りします。これでは人権擁護委員による独裁!になります」なんて、全く根拠のないデタラメもいいところな文章でしかありません
 
 この漫画にツッコみだしたらキリがないのでこの辺にしておきますが、まずしっかりと理解していただきたいのが、人権委員会が出来たとしても、委員会が出来る事は全て法律の中に記載されています。
 当然それは記載されていない事は出来ないというコトであります。
 よって、「この法律が成立したら○○されてしまう」という手の記述があったら、それは何条のどの部分に該当するのかを見てみてください
 もしその記述にその部分が乗っていなければ、それはまず疑いを持ってください。
 そして人権擁護法案に該当する部分があるかどうか自分で調べてください。
 
 この法案が成立したら、なんでもかんでも人権委員会と部落解放同盟のような人権団体の思うがままのような書き方をしているサイトやブログか非常に多いのですが、それは法案の具体的にどの部分をさして、どのような法的根拠を持ってそう言っているのか、そこを読むようにしてください。
 そうすると、実に多くのデマがこの法案に対しては飛び交っているかというコトが分かると思います。
 

平成20年1月28日

 人権擁護法案をめぐる議論U 第三回 具体的反対論に対する指摘

 まず最初に言っておきます。
 人権委員会という存在は政府系の公的機関であり、その行動には法律による制約が伴います。
 それは公的機関・公務員全てに言えるワケで、例えば警察官は警察官だからこそ拳銃を合法的に持てるのではなく、警察官は拳銃を所持して良いと法律に書かれているからこそ持てるのです。
 警官だからという理由ではないワケです。
 法律に書いてあるからこそです。
 これが「法的根拠」です。
 そして公的機関である(と法案に規定されている)人権委員会も、出来るコトは法律に明記してあり、それ以外の行為は出来ません。
 このように、公的機関のあり方というモノをまず理解してから、何ができる/できないを考えてもらいたいと思います。
 
 では、具体的に、あるQ&Aに対して反論をしてみたいと思います。
 これは、今回やえが4回にわたって人権法について書くきっかけとなったmixiでの騒動で、一番使われたのではないかと思われる文章です。
 そしてどこで作られたモノかを調べると、「サルでも分かる?人権擁護法案」さんのところでした。
 では中身を見ていきましょう。
 
 
 ※もし結果だけ知りたいという方は引用部分のQ&Aとやえが書いた

 

 の部分だけ見てください。その上で理由が知りたい方はじっくりと中身を読んでください。
 

 Q人権擁護法案って、どんなものですか?
 
 A.人権委員会が、「これは差別だ!」と認めたものに罰則を課すことが出来るようになる法律です。 人権委員会が5名、人権擁護委員2万人によって作られ、被差別者、障害者などが優先して選ばれることになっています。
 現在閲覧可能な情報によると、この委員会は法務省の外局として扱われ、地方ごとに構成員が配置されることになっています。

 まず、《「これは差別だ!」と認めたものに罰則を課すことが出来るようになる法律です》という言い方は適切ではありません。
 人権擁護法案内で取り扱われる人権問題はキチンと定義されています。
 特に「罰則」にかかるような人権問題は、人権擁護法案の中では「特別救済」にかかる問題になるワケですが、これはかなり厳密に定義されています。
 詳しくはこちらに書いてありますが、とにかく、人権委員会は法律に則って行動を決めるワケであり、決して人権委員が全くの独断だけで「これは差別だ」と決定するワケではありません。
 確かに最終的には人権委員会が「この案件は差別である」と認定するワケですが、しかし一番守るべきは法律であり、その辺は裁判所と考え方は同じであって、このQ&Aの言い方はかなり誤解を与える言い方でしょう。
 
 次に《被差別者、障害者などが優先して選ばれることになっています》ですが、これは当サイトをよく読んでくださり、人権法はもうおなかいっぱいという方は、「またかよ」という文言ですね。
 前回自民党で議論されていた中で提示された人権擁護法案には、いわゆる「団体条項」は削除されました
 よってすでにこの言い方は全く当てはまりません。
 また、さらに言うのであれば、人権委員の方はこのような条項ははじめからありません。
 この書き方では人権委員の方にも《被差別者、障害者などが優先して》がかかるような書き方と言え、たいへんに誤解を与えかねない文言と言えるでしょう。
 
 次に、蛇足になりますが、人権委員会は厳密には確かに《外務省の外局》ではありますが、文化庁のような通常の外局とちがって、非常に高い独立性を有しています。
 同じ権限で立てられている委員会に公正取引委員会がありますが、一応これも厳密には内閣府の外局です。
 また同じように《構成員》も公取にも存在しますが、これはイメージ的には公務員・役人と捉えて問題ないでしょう。
 実際公務員であるコトには変わりありませんし。
 「公取委員」や「人権委員」は普通の役所では大臣などで、構成員は普通の役人だと当てはめて考えれば分かりやすいかと思います。
 
 では、ここのQ&Aを正しく書き直します。

 Q人権擁護法案って、どんなものですか?
 
 A.人権委員会が人権擁護法に則って、人権に関する問題を行政の立場で取り扱い、時には行政処分も下せるようになる法律です。人権委員会は5名、人権擁護委員は現在活動していらっしゃる方を中心に2万人までで作られ、人権委員は総理大臣の任命など非常に民主的な選出方法が採られています。
 現在閲覧可能な情報によると、この委員会は法務省の外局であり、公正取引委員会のように高い独立性を保ち、中央と地方ごとに公務員による構成員が配置されることになっています。

 
 

 Q.人権委員会が発足されるとどんな仕事をするんですか?
 
 A.人権委員会は、人権侵害、そして「人権侵害を誘発・助長する恐れのある」発言や出版などに対し、調査を行う権限を持っています。もし人権侵害などが疑われた場合、委員会は関係者に出頭を求めたり、証拠品の提出、立ち入り検査を行うなどの措置を取ることができます。
 また、委員会はこれらの措置に対し非協力的な者に対し、ある程度の罰則を課すことが出来る権限を持っています。
 一番辛い罰則は「氏名等を含む個人名の公表」で、これが行われれば近所からの白眼視、職場や学校での寒い居心地などが待っているでしょう・・・。
 
 差別と判断され冤罪(間違ってた)場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無いそうです
 
 この委員会を抑止する為の機関・法律などが存在しないため、委員会による圧政が問題視されています。

 まず《人権委員会は、人権侵害、そして「人権侵害を誘発・助長する恐れのある」発言や出版などに対し、調査を行う権限を持っています。もし人権侵害などが疑われた場合、委員会は関係者に出頭を求めたり、証拠品の提出、立ち入り検査を行うなどの措置を取ることができます》ですが、この部分はかなり悪質に恣意的に文章を略していると言えます。
 関係者の出頭や立ち入り検査を行う場合の人権問題はかなり厳密に定義されていまして、特に「人権侵害を誘発・助長する恐れのある」というような表現のある問題は、「部落名鑑」のようなモノに対する規制にかかる部分だけになります。
 書き出すと長いので敬遠されがちなのですが、しかしこのように短く切りすぎて、どのような発言でも「誘発すれば立ち入り検査」と捉えかねない書き方は、たまにマスコミが使う卑怯なやり口と似ていてちょっと悪質なのではないでしょうか。
 厳密には
 
 人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類する方法で公然と摘示する行為であり、これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発するおそれがあることが明らかであるもの
 
 となります。
 おそらく多くの人が全部読んでも中々理解しがたいかと思いますが、ポイントは「当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報」です。
 これでも難しいかもしれませんが、少なくとも、なんでもかんでも差別を誘発するような発言全てが立ち入り検査の対象ではない、というコトを理解していただければと思います。
 
 なお、立ち入り検査についてはこちらで詳しく書いています
 
 次に《また、委員会はこれらの措置に対し非協力的な者に対し、ある程度の罰則を課すことが出来る権限を持っています。 一番辛い罰則は「氏名等を含む個人名の公表」で、これが行われれば近所からの白眼視、職場や学校での寒い居心地などが待っているでしょう・・・。》これですが、大きく誤解されている部分は、氏名の公開は、立ち入り調査等の措置に対して非協力的な者に課す過料ではありません。
 ごっちゃになっているようなので、整理しますと
 
 ・立ち入り調査等に非協力的な者に対する過料は罰金などがあり、これは裁判所が課す
 ・氏名公開等は、人権侵害に対する行政処分
 
 となります。
 過料については、これはなにも人権擁護法案だけの特殊なモノではなく、いわゆる「間接強制」と言われる類の手法であり、公正取引委員会や国税局などにも与えられている権限です。
 特に現行法下においては問題のない措置だとされています。
 
 それから、氏名公開等の行政処分は、これは特別救済における措置なのですが、もちろんこれが発動するには法律に定められたいくつもの条件にひっかかる必要があります。
 そして《これが行われれば近所からの白眼視、職場や学校での寒い居心地などが待っているでしょう・・・》とのコトですが、当然これぐらいの効果がなければ行政処分としての意味も抑止力もないでしょう。
 この措置があるコト自体に問題があるとは到底言えません。
 よって、この措置があるかどうかだけで法案の正否を問うコトなど出来はしないでしょう。
 氏名公開等の措置についての詳しくはこちらをご覧下さい
 
 なお、自民党の議論の中で改正された法案では、氏名公開等をする際には、氏名等が公開される人の言い分もあわせて公開しなければならないコトになってします。
 これは人権問題・言論の自由という観点から、かなり公平性を保っていると言えるでしょう。
 むしろここまでくれば抑止力があまりないように思えるぐらいです。
 
 次に《差別と判断され冤罪(間違ってた)場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無いそうです》これですが、これはまぁ確かに問題であると、やえも指摘しているところです。
 ただ現実問題として、実際の裁判で冤罪が起きたとして、どこまで裁判所が裁判所として謝罪をしているのかというところはあると思います。
 もしくは公取等の、同種の組織の場合とかですね。
 その辺の、公的機関の今のあり方全体としての議論は必要だと思います。
 ただし、人権委員会が間違いを起こして損害を被った場合には、国家賠償法による損害賠償請求は出来るコトを知っておく必要があるでしょう。
 
 最後に《この委員会を抑止する為の機関・法律などが存在しないため、委員会による圧政が問題視されています》ですが、ちょっとこの文章の意図するところがわかりません。
 当然すぎる話ですが、日本国憲法の支配下に置かれますし、他にも国家公務員法など、関連する法律には全て影響されます。
 そして当然ですが、人権委員会は人権擁護法案を基準に行動がされます。
 「圧政」とは何を指すのか分かりませんが、人権委員会は、他の類する委員会、例えば公取などと同じ存在であり、人権擁護法案を読む限り今ある組織となんら飛び抜けて権限が強い組織であるとは言えません。
 ちょっと根拠のない、恣意的な文章ですね、ここは。
 
 では、ここのQ&Aを正しく書き直します。

  Q.人権委員会が発足されるとどんな仕事をするんですか?
 
 A.人権委員会は、公務・職務上の差別的取扱いやその意思を表明する行為、特定個人への人種などを理由とする差別言動やセクハラ、部落名鑑のような文書の公開などに対して、氏名公開などの特別救済を行う権限を持っています。またその調査のために、委員会は関係者に出頭を求めたり、証拠品の提出、立ち入り検査を行うなどの措置を取ることができます。
 またその調査に正当な理由無く拒否した場合、裁判所から過料を科すこともできます。
 
 差別と判断され冤罪(間違ってた)場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無いそうですが、国家賠償法により賠償請求するコトは出来ます。
 
 この委員会は、日本国憲法と法律により規定され、他の委員会と同じように行政の一員として組織されます。

 
 
 ごめんなさい、長くなったので一旦区切ります。
 4回で収まり切りません、ごめんなさい(笑)
 

平成20年2月13日

 人権擁護法案をめぐる議論U 第三回 具体的反対論に対する指摘(中)

 

 Q.人権を守るのは良いことだよ、何で反対するの?
 
 A.人権を守らなくて良いと言ってるのではありません。問題はそれを判断するために作られる「新しい機関」の権限の強さ、その人選の不透明・曖昧さ、人数です。
 なぜ数年前に廃案になった法案を再び持ち出すのか
 なぜおおやけに公表されることなく可決しようとしているのか

 まず《問題はそれを判断するために作られる「新しい機関」の権限の強さ》ですが、これは何でも言えるコトで、単に「強い」と表現するだけでは批判の材料になりません。
 強い弱いという言葉は必ず何かと比較している言葉ですので、一体この場合の「強い」とは何と比べて強いと言っているのかが問題になります。
 残念ながらそれが書かれていませんので、この有様では「問題」と言うコトは出来ないでしょう。
 ちなみに当サイト的には、他の既存法律や、他の既存委員会・組織などと比べて、特段際だって人権委員会の権限が「強い」とは判断できません。
 
 次に《その人選の不透明・曖昧さ》ですが、人権擁護法案の人選は、ぜんぜん不透明ではありません。
 決定権限のある人権委員についてはこちらに詳しく書いていますが、少なくとも民間大臣と遜色ない人選方法が規定されています。
 むしろ、なにをもって「曖昧」だと言っているのか、その方が曖昧ではないのでしょうか。
 
 また《人数》が問題とも書かれていますが、これはおそらく人権擁護委員のコトなのでしょうけど、しかしこの法案が施行されていない現在においても、人権擁護委員の方々というのはいらっしゃって活動しています。
 これで「人数が問題」とは、ちょっと言えないのではないでしょうか。
 
 次に《なぜ数年前に廃案になった法案を再び持ち出すのか》ですが、別にこれ、法案の中身には関係ありませんね。
 この理由を持って法案に反対する理由にはならないでしょう。
 この法案に限らす全ての法案というモノは、廃案になるとかならないというのは国会や政治や選挙の影響によるところが大きいワケで、ですから中身の議論には関係ない話です。
 こんなコト言い出したら、もし民主党が与党になったとしても、野党時代に廃案にされた法案は提出できなくなってしまい、民主党は何も出来なくなるでしょう。
 だいたいこの人権擁護法案は、けっこうな修正が加えられているのですから、それだけでも再提出する理由にはなります。
 
 最後に《なぜおおやけに公表されることなく可決しようとしているのか》ですが、これは可決という言葉の使い方が間違っているんだと思われます。
 数年前に大騒ぎになったあの話というのは、自民党の内部規定による議論のお話でしたので、仮にあそこで賛成多数になっていたとしても、法律として成立するワケではなく、単に自民党だけのお話でしかありません。
 ですから、これを持って公的な意味での「可決」とは普通言いません。
 法案は当たり前ですが国会に提出され、本会議と多くの場合委員会で議論されます。
 そして国会で「可決」されれば、法律として成立するワケで、つまり全ての法案は国会に法案が提出された時に「おおやけになる」と公的には言えるようになるのです。
 ですから、まだ自民党の議論の段階で「なぜおおやけに公表されないのか」と言われても、ちょっとズレているんですね。
 少なくとも「公開されずに法案が成立する」とは全くならないワケです。
 実際の法案に対して公の場で意見を言うのでしたら、国会の仕組みぐらい勉強してからにした方がいいんじゃないでしょうか。
 
 では、ここのQ&Aを正しく書き直します。
 と言っても、質問の内容からして直しようがないんですが…。

 Q.人権を守るのは良いことだよ、何で反対するの?
 
 A.なぜでしょう。デマによって煽られた人たちが、自分で調べようともせずウソの内容をそのまま信じてしまっているからではないかと思います。

 
 
 次の設問です。
 

 Q.何が問題なんですか?
 
 A.問題の一つに、差別を判断するのが人権委員会だということ人権委員会が差別と判断したら止める者がいない事です、被差別者への批判言論、外交問題においての近隣諸国に対する、正当な批判さえもが差別として恣意的に弾圧できるようになる恐れがあります。人権擁護法案よりも人権委員会の発足が危険視されています。
 被差別者を解雇したら、「差別」であるとされる可能性がある。つまり、被差別者は解雇されないという特権が生じる危険性がある。
 被差別者の過ちに対する正当な批判が、人権委員会が差別と判断したら差別になって、罰則が課せられる。そんなあいまいな基準で罰則が課せられ たら、被差別の過ちに対する批判を、差別認定されることを恐れて何もいえなくなる。
 差別と判断され冤罪(間違ってた)だった場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無い
 実際権力持つのは人権委員だけれども、実務こなすのは人権擁護委員であって、わずか五人、常任に至っては二人しか居ない人権委員では許可発行にも十分な審議ができるとは考えられない
 北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記や韓国の左翼的政権の盧武鉉(ノムヒョン) 大統領を批判したとする。 そうした批判は在日の人びとの感情を傷つけ人権侵害に当たるとして、事情聴取や立ち入り検査をされかねない。これでは、言論および表現の 自由は深刻な危機に直面してしまうだろう。 。

 
 まず《差別を判断するのが人権委員会だということ人権委員会が差別と判断したら止める者がいない事です》ですが、完全に大嘘です。
 人権委員会の決定が不服なら、裁判所で裁判を起こすコトは可能であり、最終的には裁判所の決定が公的な決定となります。
 こんなの言うまでもないコトのハズなんですが……。
 
 次に《被差別者への批判言論、外交問題においての近隣諸国に対する、正当な批判さえもが差別として恣意的に弾圧できるようになる恐れがあります》ですが、これもデタラメですね。
 というか、何度も言ってますが、人権擁護法案が成立してもそれによって新たな概念が生まれるワケではなく、何が差別で何が差別ではないかという部分は現行と変わらないワケですから、もし現在「正当な批判さえもが差別として恣意的に弾圧」されているような現実がある場合、もちろんこれは裁判をしても「正当な批判ではなく差別だ」と裁判所が認定するという場合ですが、それは人権委員会でも差別だと認定されるでしょうし、そうでなければそうはなりません。
 すなわち、人権擁護法案が施行されると、急に新たに弾圧されるようになるコトはあり得ません。
 不服なら裁判という手段があるワケですし。
 
 そもそも「なにをもって正当か」という問題がまずあるワケです。
 この世の中に絶対正義的に認定される「正当」なんて存在しないワケで、一方が「正当」と思っても、もう一方は「不当」だと感じるコトなんて多々あり、むしろ紛争は、だからこそ起きえるモノです。
 そしてこれを解決する手段として人間社会では裁判所などが生み出されたワケで、人権委員会もそのひとつとなるコトになります。
 ですから、この設問の段階で絶対正義的に「正当な批判」と言ってしまうのは、適切ではありません。
 本当にそれが「正当かどうか」を審議するのが人権委員会の職務の一つだからです。
 そして最終的には、裁判所が正当と認めるモノが公的には正当であり、判断基準はそこになりますし、それは原稿制度下でも変わらないワケで、繰り返しになりますが今の段階で「不当なモノ」は成立後も不当ですし、「正当なモノ」は成立後も正当となるのです。
 
 《被差別者を解雇したら、「差別」であるとされる可能性がある。つまり、被差別者は解雇されないという特権が生じる危険性がある。
 被差別者の過ちに対する正当な批判が、人権委員会が差別と判断したら差別になって、罰則が課せられる。そんなあいまいな基準で罰則が課せられ たら、被差別の過ちに対する批判を、差別認定されることを恐れて何もいえなくなる。》
 この辺は以下同文ですね。
 
 《差別と判断され冤罪(間違ってた)だった場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無い》ですが、ええと、これ、なんか別のところで言いませんでしたっけ?
 まぁ、ここは確かに問題ではあるとやえも思っています。
 が、これは公的機関の全体の性格として議論しなければならない問題だと思っていまして、例えば冤罪が起きても裁判所や検察や警察がどこまで謝罪するかというのは、現行でもちょっと疑問が残るところです。
 ですからここは全体として変えていきたいところです。
 ただし、ひとつだけ言っておくなら、もし冤罪が起きた場合は、国家賠償法に基づく訴訟を行政に対して起こすコトは可能です。
 決して泣き寝入りしかできないというワケではありません。
 
 《実際権力持つのは人権委員だけれども、実務こなすのは人権擁護委員であって、わずか五人、常任に至っては二人しか居ない人権委員では許可発行にも十分な審議ができるとは考えられない》
 ええと、行政府の最高意志決定機関である内閣は、現在たった18人で日本の舵取りをしています。
 あらゆる分野の日本の舵取りをする人数としては、まぁ数字だけ挙げてしまえば少ないですかね。
 ただ、そのための官僚組織なワケで、人権委員会も同様です。
 それから、他の三条委員会も、トップの委員数はだいたいこんな感じのようです。
 
 《北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記や韓国の左翼的政権の盧武鉉(ノムヒョン) 大統領を批判したとする。 そうした批判は在日の人びとの感情を傷つけ人権侵害に当たるとして、事情聴取や立ち入り検査をされ ねない。これでは、言論および表現の 自由は深刻な危機に直面してしまうだろう。 。 》
 キムジョンイル本人が訴えるならまだしも、それを理由に第三者が訴えるコトが可能とはちょっと考えられません。
 飛躍しすぎな気がしますが。
 また、「不開始事由のアウトライン」の中にも、「専ら公共を図る目的で、公共の利害に関する事実について、意見を述べ、又は論評するものであるとき」という項目がありますので、この辺はまずあり得ないと言っていいでしょう。
 この辺も、現行法下において裁判で「差別ではない」とされる類の言説であれば、人権擁護法案が施行されても差別ではないとされるのは当然の話です。
 
 
 では、ここのQ&Aを正しく書き直します。

 Q.何が問題なんですか?
 
 A.一番の問題は、法案文を読まずに雰囲気だけで反対反対と言っている人でしょうね。

 

平成20年2月27日

 人権擁護法案をめぐる議論U 第三回 具体的反対論に対する指摘(下)

 Q.大体そんな変な法律だったら、可決されるわけないでしょ?
 
 A.残念ながら、今現在はマスコミへの対応凍結で可決される可能性が高いです。また、可決されるかされないかは国民の意志ではなく、党員の意思によるもので、変な法律が可決されないというのは大きな誤りです。実際、盗聴法と悪名高い通信傍受法案は可決されてしまいました。

 うーんと、なんだかこれ、メチャクチャな内容で、どうツッコんでいいのか分からないのですが、選挙の結果は国会の場に反映されているワケで、そして憲法上、法律は国会を通さなければ成立しませんから、《国民の意思ではなく》という文言は全くのデタラメです。
 かなり悪質に事実をねじ曲げたデマだと言わざるを得ません。
 ただ、やえ的には、マスコミ条項の凍結は大反対なんですけどね。
 マスコミほど人権を、それが意図的にせよ過失にせよ、踏みにじりやすい作りになっている性格・組織は無いワケですから、マスコミへの人権侵害こそをまず取り締まるべきでしょう。
 
 いちおう正しいQAを作っておきますね。

  Q.大体そんな変な法律だったら、可決されるわけないでしょ?
 
 A.可決されるかどうかは、国民の投票によって議席が定められた国会での審議によるものです。
 また、では一体何を根拠に「変」と言っているか、それこそ曖昧な言い方ではなんとも言えません。
 まぁ、そこまで変な法律になるとは、法文を読めば、思えないワケですが。

 
 

 Q.最近初めて聞きました、本当に動いてるの?
 
 A.問題の一つに、テレビや新聞などで全く取り上げられてないことです、マスコミが動かないゆえに世間一般では、全く広まっておらず、ほとんどの人に知られずに可決されようとしてるのです。

 これはマスコミの問題ですから、法案の中身の議論ではないですね。
 マスコミに文句を言いましょう。
 ちなみに、国会の提出されれば、内容やその審議についてはオープンにされるので、自分の目や耳で確かめるのがよろしいでしょう。
 受け身でなんでもかんでも他人から与えらなければ「知られずに」と言ってしまうのは、勝手すぎる言い分だと思います。
 
 ふぅ〜。

 Q.最近初めて聞きました、本当に動いてるの?
 
 A.情報は他人に与えられるモノではなく、自分から得るモノです。

 
 
 次の設問です

 Q.マスコミが騒がないのは何故?
 
 A.実はこれと同じような法律が数年前騒がれました。
 そのときはマスコミが大々的に報道し世論を動かしたからです。
 しかし今回のほうは修正されており、マスコミの言論規制は今のところはありません。 また、TVの天敵であるネットがまず狙われる法律です。ネットの情報が規制されれば、情報源はTVのみになり視聴率が上がります。
 だからマスコミはこの法律について放送しないと思われます。
 何度か取り上げられましたが、マスコミ規制のみ取り上げて肝心の法案の根本的問題、危険性、セキュリティー・ホール、適正手続の保障がない、名誉回復手段がない、人権委員会の罷免手続がない、を全く取り上げていません。
 マスコミは自分たちのことしか考えてないのか…

 だいぶ法案の中身とは関係ない話になってきましたね。
 マスコミについてひとつ言えるのは、「マスコミは自分たちのことしか考えてないのか…」っていうのは、その通りだと思いますよ。
 だって所詮私企業ですから。
 別にこれマスコミに限らず、どんな問題だって自分に関係ない話なら無責任にはやし立てるのに、いざ自分のコトが不利益になるような法律や施策が出ると、大反対しますよね、大衆ってモノは。
 例えば高速道路は市場経済を考えろとか言って自分には関係ない地方の道路建設には反対するのに、いざ渋滞ばかりの首都高を値上げすると言ったら、ヒステリックに大反対したりします。
 良くも悪くも、自分のコトが一番可愛いというのは人間の本能です。
 
 ところで、「人権委員会の罷免手続がない」の部分ですが、これは嘘っぱちですね。
 第十一条でその辺は定められています。
 また、これでは厳しすぎて事実上罷免できないという人がいますが、しかし三条委員会という独立性の高い委員会という性格を考えた場合、そう簡単に罷免できるような制度だと、逆に権力などによって圧力をかけられかねません。
 一方でもっと独立性を高めろと言っていたりして、では一体どうしろって話になっちゃうと思うのですが、この辺も他の法律や判例、今までの歴史や経緯を全てふまえた「法律」というモノとして考えた場合、そんなに逸脱した既定ではないと考えられます。
 
 Q&Aの書き直しです。

 Q.マスコミが騒がないのは何故?
 
 A.自分たちに不利益になるような法案には全力でつぶしにかかるのがマスコミです。マスコミはそういう存在なのです。その後この件についてあまり報道しなかったのは、それまで国民があまり関心がなかったコトの裏返しで、それはすなわちマスコミのスタンドプレーだったという証拠とも言えるでしょう。
 つまり一番しなければならないのは、国民のマスコミへの監視なのです。
 なお、前回の騒動から国民の関心が高まっていますので、最近はよく報道されるようになっていますね。

 
 

 Q.漫画が消える、小説が消えるって本当?
 
 A.漫画や小説が消えることはないと思われます、何が差別と取られるか分からないので、当たり障りのないものしか作れなくなる。
 既に発売された物については作者や出版社が差別と取られる事を恐れて、販売を中止したりする事はありえます。

 そもそも現在進行形で、現行法よりきびしい自主規制を出版社側が勝手にやってますけどね。
 何度も言いますが、人権侵害という概念自体は現行法下と変わらないワケですから、答えてとしては「今と変わらない」というのが適切でしょう。
 「何が差別と取られるか分からない」というのは、人権問題という概念の存在的にハッキリと線引きができるモノではないからであり、だからこそ出版社は今でも自主規制をひていしまっているワケで、つまりここを言い出しても、人権擁護法案の存在以前の問題だと言えるでしょう。
 だいたいにして、こわいから自主規制、恐れて自主規制、なんて逃げ腰な態度というモノも、問題なのではないでしょうか。
 権利というモノは、ある程度戦って勝ち取るモノです。
 人権擁護法案だって、訴えられる側もかなり主張ができるような仕組みになっていますし、であるなら出版社という表現の自由を最も享受している存在こそが、表現の自由を最も全面で擁護する努力をする義務があると言えるのではないでしょうか。
 やえは、出版社側の勝手な自主規制の方がよっぽどこわい内容なんじゃないかと思います。
 
 参考までに、こちらも読んでいただければと思います。

 Q.漫画が消える、小説が消えるって本当?
 
 A.今と変わらないでしょう。

 
 

 Q.問題が起きてからなんとかすればいいじゃん、自分には関係ないし
 
 A.一度可決されてしまうと、問題が起きても相当な時間をかけないと廃案にはなりません。危険性が少しでもある限り(全然少しではないですが)可決されるべきではない。可決してからじゃ遅いんです。
 この法案の活動記録は公表されないそうなので、この法案を故意に悪用した方法をとっても世間に公表されることなく、特に差別発現してない人達にも被害が及ぶ可能性は十分にあるわけです。

 用語の使い方がメチャクチャで何を言っているのか分かりづらいのですが、んーと、法案が可決されると法律になるワケですから、それを廃止するには「廃案」とは言いませんね。
 案ではないですから。
 もちろん悪い法律になりそうなら可決すべきでないというのはその通りですが。
 
 それから「この法案の活動記録は公表されない」というのは大ウソですね。
 というか、おそらく施行後の人権委員会等の活動記録という意味で言っているのだと思われますが、法案の第十九条に「人権委員会は、毎年、内閣総理大臣を経由して国会に対し、所掌事務の処理状況を報告するとともに、その概要を公表しなければならない」と定められているワケで、どうしてこのようなウソをつくのかやえにはさっぱり分かりません。
 よく読まなければ理解できないコト、例えば公務員法に縛られるから人権擁護法案には政治活動等の記載を敢えてしていないという法律独自のルールによる誤読ならまだ分からなくもないんですが、このようにハッキリと明記してある事柄に対して真っ向から反するようなウソをつくコトに、疑問というか、あきれ果ててしまいます。
 つまりですね、この人が書いたこのQ&Aはウソで出来ていると、言ってしまえるワケです。
 こんなデタラメに騙されないようにしましょう。

 Q.問題が起きてからなんとかすればいいじゃん、自分には関係ないし
 
 A.問題を認識した時点で後の祭りにならないよう動こうとするコトは大切なコトです。しかし当然ですがそれは正しい知識や情報があってこそ出来るコトです。まずは自分で情報を仕入れ、考えるコトを心がけましょう。

 
 

 Q.私でも何かできる?
 
 A.親族や友達にこの事を教えてください、それだけでも十分意味があります、賛成意見でも反対意見でもかまいません。一般世間に知られないまま正当な議論もされずに可決されるのだけはなんとしても避けたいです。
 ブログやインターネットサイトを持っている方は少しでも呼びかけていただければありがたいです、ここへリンクしていただいても構いません。

 最後の設問です。
 まとめるのであれば、「このQ&Aは多くのウソやデタラメ、デマで構成されているので、内容の信憑性や正当性は全くなく、信じないようにしましょう」となります。
 さっきも言いましたが、特にこの問題を扱うコトは、実際の法案を扱うコトであり、それは政治活動であるワケなのですから、責任を持ってウソをつかないようにしてもらいたいです。
 遊び半分、祭り気分、周りが騒いでいるからという安易な気持ちで政治を語らないでください。
 ウソからはウソの結果しか導き出されません。

 Q.私でも何かできる?
 
 A.ウソをウソと見抜く目を持ってください。政治に言及する以上は自分自身の責任を自覚してから発言してください。

 
 
 
 (つづく)