さて。
今まで、自民党で行われた人権擁護法案についての議論をご紹介してきました。
その様子のお話をいろいろと伺いまして、やえ自身、とても勉強になりましたし、新しい発見とか、問題点とかいろいろと気づかされました。
というワケで、ここでひとつ、やえ自身の考え方を提示しておきたいと思います。
ハッキリ言いまして、「なにがなんでもハンターイ」とは、この法案に対してやえは思えませんので、整理しておく必要があると思うからです。
では、良く取り扱われる問題をいくつか挙げてみましょう。
・「人権」と「侵害」の定義があいまいである
・人権委員の選定方法
・人権委員会の権力が大きすぎる(令状無しで捜査できる等)
・人権擁護委員の存在と選定方法(国籍条項など)
・メディア条項
・総論(同法律の意義)
これぐらいでしょうか。
ひとつひとつ見ていきましょう。
・「人権」と「侵害」の定義があいまいである
この法案を語る際、よく言われるコトとして、『まっとうな批判すらも「人権侵害」の声によって消されてしまう。ネットなんてすぐに潰されてしまうんだー』という意見があります。
特にネットでは、そんな風潮が比較的強いですよね。
しかし、この点については今までも何度か言ってきましたが、やえはそんな風には全然思いません。
拡大解釈しはじめても、それは全然キリがなくなりますしね。
全くの中傷目的の書き込みとか、なんら根拠を示していないような誹謗意見については、当然のコトながら、してはならないコトですから、規制するのは妥当な話でしょう。
『差別について明確な定義をすべき』という意見もありますが、現実的な話、この手の話を定義できるかどうかを考えたら、それはちょっと難しいのではないかと思います。
そもそも「明確な定義」をしようとしたら、『この言葉は使ってはいけない』とか、そんな風になってしまいますから、逆に「明確な定義」こそが言葉狩りを生むような気がします。
自民党法務部会での法務省側からの説明でも、歴史的な問題でありますとか、議論中の問題ですとかは、それはこの法律からして人権侵害と当たらないと、ハッキリと明言されていましたから、ネットの一部の過剰な反応、『外国人参政権付与法案反対と言うだけで人権侵害にされる』とかいったような意見は杞憂だと思います。
さすがにそこまで言い出したら、どんな法律だって拡大解釈できてしまうのですから、それは過剰反応でしょう。
現行だって、人権侵害は違法なんですしね。
ですから、明確な定義も不要だと思っています。
もうサヨクの支配するおこちゃま戦後民主主義の時代は終わったのですから、正当な議論を弾圧することは不可能でしょう。
『ちびくろサンボ』も復刊するらしいですしね。
『この法律があったら、意見を言うのも萎縮してしまい、議論がむずかしくなる』という意見もあるみたいですが、しかし、心に迷いがある程度の意見なら、公の場ですべきではないと思います。
前にも言いましたように、当サイトが「人権侵害」だと非難され、もし逮捕拘禁されるようなコトがあったとしても、やえは堂々と思想犯として捕まりますよ。
チラシの裏に日記を書くのではなく、公の場で意見を言うのですから、「自分の意見は人権目的ではない」と、ハッキリと意志を持って意見を言うべきなのではないでしょうか。
なにをもって「差別」とするか。
これは、様々な議論の中で考えていくべき問題であり、逆に定義するコトの方が、新たな問題を生むのではないかと思います。
・人権委員の選定方法
やえはずっと勘違いしていたのですが、「人権委員」と「人権擁護委員」は別モノなんですね。
今までごっちゃにして考えていましたので、国籍条項ですとか、議会の承認が不要とかですとか、両方に当てはめて考えてしまっていました。
というワケで、一回整理です。
この法律によって、人権委員会というひとつの組織が出来るとイメージしましょう。
その中で、この組織の意志を決定する人というのは、「人権委員」さんです。
人権委員の定数は5人です。
そのうち一人は「委員長」として、一番上に立つコトになります。
この組織『人権委員会』は、この5人だけが、意志を決定する権限を持っています。
あとの人間は、自らの判断を行ってはいけません。
人権委員が決定したコトを、粛々と遂行するだけです。
この組織には、事務局が置かれるコトになります。
事務的な仕事は事務局の事務員さんが行うコトになるワケですね。
で、中央にだけ事務局があっても仕事がおいつきませんから、当然各地方にも事務局を置くコトになります。
支部ですね。
そして、これら事務局には、必ず弁護士を置いておかなければならないコトになっています。
そして、事務局とは別に、各都道府県に「人権擁護委員」という人たちが配置されるコトになります。
この人権擁護委員さんというのは、人権委員さんとは違いまして、人権委員会としての意志の決定は出来ません。
例えば、「この人は人権侵害をしたから氏名の公開をしよう」という決定は、人権委員が行うモノであって、人権擁護委員だけの判断では出来ません。
この辺は後で詳しく書きます。
イメージとしてはこんな感じです。
よってこの法律による最も大きなポイントは、この「人権委員会」です。
全ての権限や行動は、人権委員の5人によって行われると言っても過言ではないでしょう。
では、人権委員の選定方法についてです。
まずは条文をご覧下さい。
第9条
委員長及び委員は、人格が高潔で人権に関して高い識見を有する者であって、法律又は社会に関する学識経験のあるもののうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する。
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ここでのポイントは、「衆参両議院の同意」が必要であるというコトと、「内閣総理大臣が任命する」というコトです。
ハッキリ言いまして、これ以上“厳しい”条件は無いと言えるでしょう。
どこかで「小泉さん(総理大臣)が信用できないのだから、この法律が大丈夫なんて言えない」なんて言っていたのを見たコトがありますが、こんなコト言い出したらキリがありません。
現在の日本は民主主義であり、法治国家でありますから、法律によって選挙によって議会と総理大臣を決めるシステムになっている以上、それは「国民の意思によって結果が決まっている」というコトになるのです。
いくら自分が認めないと言ったところで、システム的に国家的にそうなっていますから、それを否定するコトは、日本の民主主義を否定するコトに他ならず、もしそうしたいのであれば、後はクーデターとか革命とかをするしかありません。
そんな国民の意思によって決められている議会と首相が同意し任命する以上、人権委員には民意が反映されていると言えるワケですし、言うしかありませんし、だからこそ不適切な人選が行われるとは思えません。
むしろここで不適切な人事が行われたとしたら、そんな人選をした議会や総理の責任であり、そしてそれを選択した国民の責任であるのです。
総理であれ、政治家であれ、国民が選んだ結果というコトを忘れてはいけません。
民主主義の最も基本的なルールは、全ての最終的な責任は、全ての国民にあるというところなのです。
よく引き合いにされるのですが、公正取引委員会という組織が、この人権委員会に近い色合いを持っています。
公正取引委員会の委員も、議会の同意のもと、首相が任命をするコトになっています。
それから、これは調べている時に初めて知ったのですが、公正取引委員会の委員長は、天皇が認証するコトにもなっています。
いわゆる「認証官」であり、公正取引委員会委員長は国務大臣や副大臣クラスなんですね。
人権委員会委員長は、天皇の認証を必要とするという条文はないのですが、しかし委員会の独立性の威厳を持たせるためにも、天皇の認証を必要とするようにしてもいいんじゃないかと思います。
以上のコトから、人権委員の選定には、全く問題はないと判断します。
人権の定義についても、人権委員が、議会が同意し首相が任命している人物である以上、法や常識に照らし合わした“妥当”な判断が下されると見るべきでしょう。
それは日本の民主主義制度において、民意が反映されていると見なされるシステムになっているからです。
もし、この人権委員の選定方法に異議を唱えるのであれば、公正取引委員会の委員の選定方法にも同じように異議を唱えなければ矛盾するコトになります。
ですから、唯一やえが注文をつけるのであれば、天皇による認証をすべきである、という点でしょうか。
・人権委員会の権力が大きすぎる(令状無しで捜査できる等)
人権委員会が捜査をできるとされている根拠となっているのは、以下の条文です。
第44条
人権委員会は、第四十二条第一項第一号から第三号までに規定する人権侵害(略)又は前条に規定する行為(略)に係る事件について必要な調査をするため、次に掲げる処分をすることができる。
1 事件の関係者に出頭を求め、質問すること。
2 当該人権侵害等に関係のある文書その他の物件の所持人に対し、その提出を求め、又は提出された文書その他の物件を留め置くこと。
3 当該人権侵害等が現に行われ、又は行われた疑いがあると認める場所に立ち入り、文書その他の物件を検査し、又は関係者に質問すること。
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それから、加害者の氏名等を公開するという措置も存在します。
第61条 人権委員会は、前条第一項の規定による勧告をした場合において、当該勧告を受けた者がこれに従わないときは、その旨及び当該勧告の内容を公表することができる。
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これらの行為が、裁判を経ず、また裁判所による令状無しで行えるコトに対して、それは違憲なのではないかという意見が続出しているワケですね。
しかし、裁判を経ずして、氏名等の公開をする罰というのは、現状でも存在します。
それは、行政が行う罰でして、一般的に「行政罰」と呼ばれるモノです。
例えば、先ほど挙げました、公正取引委員会の独占禁止法とかですね、あと国交省が行う工事等の指名停止処分というのも、ワリと耳にするのではないでしょうか。
人権委員会の名の下に行う上記のような罰は、それらと同様の行政罰ですので、令状を必要としないのは憲法違反ではないか、という意見には当てはまらないと考えるべきでしょう。
ちなみに、公正取引委員会も同じような職権を持っています。
第46条
公正取引委員会は、事件について必要な調査をするため、次の各号に掲げる処分をすることができる。
1.事件関係人又は参考人に出頭を命じて審訊し、又はこれらの者から意見若しくは報告を徴すること
2.鑑定人に出頭を命じて鑑定させること
3.帳簿書類その他の物件の所持者に対し、当該物件の提出を命じ、又は提出物件を留めて置くこと
4.事件関係人の営業所その他必要な場所に立ち入り、業務及び財産の状況、帳簿書類その他の物件を検査すること
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ただし、令状無しでこのような行為が許されるのかどうか、という議論は、もちろん存在していいと思います。
告発は公取や人権委員会が行い、その後警察や検察によって裁判所から令状を取り、警察の主導の元、各委員の立ち会いの元で捜査する、という形を取るようにするべきではないのか、とも思わなくもありません。
しかしこの場合は、かなり広範囲な「一般論」であり、人権擁護法案個別の議論とはならないでしょう。
独占禁止法も同じ条文があるワケですし、もしこの議論を行うのであれば、いったん人権法とは切り離した、別議論が必要になると思います。
さて、ここだけでずいぶん長くなりましたから、いったんここで切ります。
次回は、この法案の最大のキモ、人権擁護委員についてのお話をしたいと思います。
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