☆よく読めば分かる人権擁護法案☆
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳の考察・議論・自民党部会レポ〜



人権擁護法案(1)人権擁護法案(2)人権擁護法案(3)人権擁護法案(4)
(一番最初に扱った文章です。いまとは違う意見や間違い等がある可能性があります)



平成17年3月9日

 人権擁護法案の自民党議論


 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 各地で話題騒然となっております「人権擁護法案」ですが、これまだ法案として提出はされておりませんで、法案を作成中、言わば法案案の段階のようです。
 条文そのものは以前のモノのままだそうですけど、もう一度再提出する必要があるというコトで、扱いはまだ国会や委員会では未審議状態で、さらに自民党でもまだ正式了承はされていないという状態です。
 ですから、まずこの法案は自民党を通らなければ法案として提出できないワケでして、よって細かい条文はこれから変わっていくんじゃないかと思います。
 
 で、今日10日、自民党の法務部会・人権問題等調査会の合同会議がありましてですね、その様子のお話をちょっとお伺いしましたので、ご紹介したいと思います。
 
 結論から言いますと、反対意見ばかりだったそうです。
 怒号すら飛び交うような議論が1時間半以上続き、そして意見のほぼ9割方は反対でしめられていたとのコトで。
 キレイゴト論だけで終わったり、委員長が言えば全てが決まるような他の党では絶対不可能なような、特に若い議員さんがこの法案の執行部である長老議員に噛みついての、「ひさしぶりに“これぞ自民党”」というような、ものすごく激しい議論が交わされたそうです。
 
 さて、その中身についてですが、大きく分けて2つの点に集中されました。
 ひとつは「メディア条項」について。
 
 メディア条項とは、マスコミの過熱報道・メディアスクラムによる人権侵害に対して救済しようという条項がこの法案にあるんですが、しかしこれをマスコミは「報道の自由」を盾に大批判を行いまして、条文にはマスコミも対象と記載してあるんですが「凍結」という形で実行不可能にしているというモノです。
 一応数年おきに見直しするのでで、その際にこの凍結を解除させるコトも出来るのですが、少なくとも施行数年は凍結のままにする、というのが今の法案です。
 で、自民党はいま朝日新聞による報道被害に対して徹底的に戦う姿勢を示していますから、このメディア条項凍結という点に関しては、いくつか反対意見が出されたようです。
 
 ただ、大まかには、メディアスクラムについて凍結を解除して規制すべきという意見が多く出ましたが、しかしこの問題については「別法律でキチッとすべきだ」という意見も多く出されたみたいです。
 放送法という専門の法律があるワケですから、それを改正するなりして対応するのが本筋である、というコトでしょう。
 確かにそれは正論ですね。
 それはそれで期待したいと思います。
 
 むしろ今日は、「人権委員会の委員の選定」について多くの時間を割いたようです。
 簡単に言えば、朝鮮総連や部落解放同盟のような団体が委員になってしまい中に入ってしまうと、人権という言葉を盾にして、その団体の利益を追求する方向に委員会やこの法律が使われてしまうという可能性を危惧する意見です。
 そしてこれは、決して可能性だけではなく、過去に多くの実例を出してきました。
 
 やえのふるさと広島では、実際に部落解放同盟が教育の場に合法的に潜入してしまいました。
 その結果、教育の質は落ち、何人もの教育現場の関係者が自殺するような事件が起き、そしてそれをまともに操作できない警察が出来上がり、報道も出来ないマスコミが生まれてしまったのです。
 ここ数年の文部科学省本省と、国会議員地方議員、各関係者の努力によって、最近はなんとかマトモにはなってきましたが、しかしなかなかこの後遺症は簡単にとれるようなモノではありません。
 
 そしてこのような例はなにも広島だけではないでしょう。
 広島はとても分かりやすいですが、似たような例は他の地域でもあると思います。
 
 今日の部会では、執行部の方から「特定の団体のために作るワケではない」とお話がありましたが、しかしこのように実例がある以上、法案に賛成出来ないという議員さんが多かったそうです。
 法案の条文に、人権団体とある以上、朝鮮総連や部落解放同盟が委員に選ばれるの可能性はどうしても否定できないワケでして、そして解同が権力を握った時現場ではなにが起きるのか身にしみて分かっている議員さんには、とてもじゃないですけど賛成は出来ないhttp://update.simplecgi.com/bin/click.php?id=yhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050310-00000099-kyodo-pol">今日の部会で了承を得て上に上げ、15日には閣議決定される予定だったこの法案案は、後日また部会を開くことにして散会されたようです。
 
 
 確かにこれは大問題です。
 相手に対して「人権侵害だ」と悪魔のレッテルを貼って相手の言説を封じてしまうという戦法は、もう昔から何度も何度も、そして今でも繰り返されている、もっとも卑怯な戦法です。
 
 正直やえは、この法案に関しては、ネットでさわがれているほどたいして問題意識は持っていませんでした。
 そして今でも、ネットの活動が制限されるんじゃないかという意見に対しては懐疑的です。
 普通の感覚で言えば、例えば当サイトでは、北朝鮮の問題やら、部落の問題やら、障害者の問題はこの前もしましたね、そんな微妙な話題も普通に取り扱いますが、当サイトがそれでもって差別行為をしていると認定されるとは、とてもじゃないですけど思えません
 可能性だけで言うのであれば、現行法にも、拡大解釈すればいかようにもできるような法律はいっぱいあります。
 もしこれで差別だと一方的に断罪されるようであれば、一方的に言われるがままで済ませるワケがありません、むしろ大反撃しちゃいます
 それで捕まるようなコトがあれば、やえは堂々と捕まりましょう、堂々と牢屋の中に入りますよ、それぐらいの覚悟は持ってこのサイトをしています。
 誇りを持って「思想犯」になっちゃいます
 まぁこの法案ではそんなコトまでは出来ませんし、やえは少年法に守られていますから(笑)こんなコトにはならないですけどね。
 だから、むしろコトを大きくしてくれる方が大きな声になるのですから、望むところではあります。
 
 だけど、普通ならこんなコトにはなりません。
 明らかに人権侵害であると誰しもが思えるようなコトぐらいしか、罰せられるとは思えません。
 ただし、その委員がマトモであれば、ですね。
 
 この法律が出来れば即言論の侵害が起きる、なんてコトになるとは思えません。
 しかし、委員の選定には大きく疑問を持たざるを得ません。
 現実に解同などが現場に入ったことで大問題が起きている以上、それを繰り返させるような可能性はつぶす必要があるでしょう。
 この法案では、相手の社会的地位を失墜させるほどの力を持っているのですから、委員の選定にはもっと民意というモノが反映される方法を考える必要があると思います。
 直接的に選挙で選ぶとか、それは手間ですから、せめて中央委員会なら国会議員が、地方委員会なら地方議会が、「採決」を必要とする手続きを踏むべきです。
 そして裁判の三審制のような多重のチェックシステムや、審査の透明性も確保すべきでしょう。
 委員の選定基準をどうするか、そしてその委員をチェックさせる必要はないのか、さらに冤罪だった場合の補償問題をどうるのか、これらをシッカリと定める必要が最低限必要だと思います。
 まずはここをシッカリと明らかにしていただかない以上、やえもこの法案には反対するしか他ありません。
 
 
 今国会で本当にこの法律が成立するかどうかはかなり微妙になってきましたが、これからもこの問題に注目していきたいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、バーチャルネット思想犯アイドルっていうのもちょっとカッコイイかなとドキドキしています。
 

平成17年3月15日

 人権擁護法案の自民党議論2


 この前お話ししました人権擁護法案の自民党での議論ですが、今日15日の朝、自民党本部で、この法案についての2回目の部会が開かれました。
 で、今回も会議のお話をお伺いするコトができましたので、またまたご報告したいと思います。
 
 ところで、おふらいんさんでご紹介されておられたのですが、どうも2chには、前回の部会の発言録がアップされていたようでして、正直こうされると敵いませんですから(笑)、今回は特に注目すべき2点をピックアップしてご報告しようと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 まず一点目。
 現在、自民党の広報本部長を務められ、その関係で「朝日新聞の問題報道に関する調査プロジェクトチーム」の座長もなさっていらっしゃる佐田玄一郎先生が、前回に続き今回も大演説を行われたそうです。
 そういう関係で佐田先生は、同法律のメディアも法律の対象内とする条項をマスコミの反対が強いからという理由で凍結し、しばらくは適用外のまま法律を施行しようとしているコトに対して、大反対の立場をとっておられます。
 曰く「調べたら、電話帳の厚さぐらい朝日新聞の“不祥事”が出てきた。これは明らかに人権侵害ではないか」とのコト。
 それはそれで今後の佐田プロジェクトチーム座長のご活躍を期待したいところですが、おどろくのは、この後発言された内容です。
 
 先ほども言いましたように、メディア条項に関して佐田先生はこの法案に反対されておられるのですが、前回の同部会においてそのように反対の意見を言ったところ、次の日から大量の抗議メールが佐田先生宛に送られてきているんだそうです。
 曰く「電話帳の厚さぐらい抗議メールが来ている」とのコト。
 電話帳の厚さが大好きな佐田先生ですが、しかししかし、これは一体どういうコトなんでしょうか。
 
 というのも、佐田先生はメディア条項に関して反対しておられるのです。
 それなのに、「人権侵害を救済しようとしている法案に反対するのは人権侵害だ」みたいな内容で抗議のメールが来るんだそうです。
 こんなのとても常識を持っている人がおくってくるメールとは思えません。
 日本をより良くしていこうと議論しているのに、全く中身を見ずに、ただ反対しているという表面的な結果だけをもって人格攻撃する人が、残念ながら日本にたくさんいるのです。
 もし佐田先生が、朝鮮総連や部落解放同盟などに対しての反対表明をされているのでしたら、この手の関係者からの批判は理解できないコトもないのですが、しかし佐田先生はメディア条項に対しての法案反対表明です。
 どうしてそれが「差別」になるのか、理解に苦しみますよね。
 
 そもそもこういう人たちがいるからこそ、この法案には慎重論が続出するのです
 まさに佐田先生に批判をしている人というのは、「人権」というモノを盾にして、自分たちの主張に反対する人間は全て「人権侵害者」だとレッテルを貼って、全ての異論を許さないという空気を作ろうとしているのです。
 これこそ“差別”のハズです。
 今まで朝鮮総連や部落解放同盟がやってきた悪行がまさにこのようなコトであり、だからこそ自民党の部会では、その実例をもって法案に反対していらっしゃる先生がたくさんおられるのです。
 メディア条項の佐田先生にもそんなメールが「電話帳のように」来ているのですから、おそらく亀井郁夫先生衛藤晟一先生など、正面から反対されておられる先生方にはもっとたくさんの批判メールが届いているのだと思われます。
 まさかわざとそんな「差別を盾にした人権侵害の実例」を分からせるためにこんな無茶苦茶メールを送っているワケではないでしょうし、そのメールの送り主がどのような立場の人間か分かりませんが、しかしそれが一般人だとしたら、一般人の中にも「差別を盾にした人権侵害」をしようとしている人がたくさんいるというワケでして、そしてその事実だけでも、この法案に対して慎重に考えなければならない理由になるんじゃないかと思います。
 
 いかに人権という言葉が凶器になりうるか、またここにひとつ実例が出来たワケです。
 佐田先生には、特に朝日問題に対しての応援メールもいっぱい来ているそうでして、全てご本人が目を通しているとおっしゃっていたそうですから、是非是非応援メールを出しましょうー(笑)
 
 
 さて、もう一点です。
 これは一期生の城内 実(きうち みのる)先生が出された情報でして、どうも前回の部会で反対の主張をしたところ、その主張に賛同したある方が、城内先生にこのようなタレコミメールをしてきたんだそうです。
 

                      2005年(平成17年)3月10日
 松岡 勲 他1名 殿
 
                      大阪弁護士会 会長 宮崎 誠
 
          処分結果について(通知)
 
 平成15年9月29日付、貴殿より申告の人権侵害救済申立事件について、当会人権擁護委員会において調査の結果、下記のとおり処理いたしましたので、ご通知致します。
 
                記
 
 1.高槻市立柳川中学校校長に対し、勧告書を提出する。
 
                                 以上
 
 
 
                       2005年(平成17年)3月10日
 高槻市立柳川中学校 校長 竹下幸男 殿
 
                       大阪弁護士会 会長 宮崎 誠
 
               勧告書
 
 今般、高槻市立柳川中学校の教員であった松岡勲氏、吉田英明氏から当会に対し、人権救済の申立があり、当会人権擁護委員会において慎重に調査いたしました結果、貴殿に対し、以下のとおり勧告します。
 
 第1 勧告の趣旨
 生徒の「思想・良心の自由」を実質的に保障するためには、入学式及び卒業式における「君が代」斉唱の際、斉唱や起立が強制されるものではなく、「歌わない自由」「起立しない自由」を有することを事前に説明する等して十分に指導する慎重な配慮が望まれるところ、貴殿による事前説明は実施されず、生徒の「思想・良心の自由」に関する配慮が不十分です。
 貴殿に対し、入学式及び卒業式における「君が代」斉唱につき、生徒に「思想・良心の自由」に関する事前説明を実施する等、生徒の「思想・良心の自由」を尊重して十分配慮されるよう勧告します。
 
 (以下略)

 
 
 全文はこちらに別で載せておきますが、ちょっとこれ読んでみてください。
 もの凄く滅茶苦茶な内容なんです。
 というのも、この文書は人権委員会の「勧告書」ですから、なんらかの「人権侵害」があったので改善しろという趣旨のモノなのですが、ではなんの人権侵害があったのかと言えば、なんと、中学校の校長が卒業式等の場において「君が代」を「歌わない自由」があると生徒に事前説明しなかったので、それは人権侵害である、と言っているのです。
 生徒に対して「君たちは君が代を歌わなくてもいいんだよ」と事前に言わなかったのは人権侵害なんだそうです。
 
 これはまさに、なんでもかんでも自由とか権利とか言って、そして人権とか言って、それを盾に自分の主張を押し通そうとしている、見事な例と言えるでしょう。
 
 しかしこれを、なんと弁護士会がやっているのです。
 弁護士会が正式に、国歌斉唱をしなくていいと事前説明しなかったというコトは人権侵害であると認定しているのです。
 しかもこれは、何十年も前に出されたモノではなくて、つい5日前に出されたモノなのです。
 この法律が出来たら人権委員会から不当に人権を侵害されるのではないかという危惧があって、いま慎重論がたくさん出ているワケですが、しかし実際には、法律の後ろ盾による大きな権限がないだけで、すでに今現在、人権委員の暴走による人権侵害が起こっているのです。
 もう一度言いますが、この勧告書は現在進行形の勧告書なのです。
 
 人権擁護法案では、弁護士会の役割がとても大きいモノとなっています。
 法案第22条の2では
 
 前項の人権委員会の委嘱は、市町村長が推薦した者のうちから、当該市町村を包括する都道府県の区域内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、行わなければならない。
 
 とありますように、弁護士会が委員の選定に大きく関わりますし、また同条3では
 
 市町村長は、人権委員会に対し、当該市町村の住民で、人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者及び弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから、当該市町村の議会の意見を聴いて、人権擁護委員の候補者を推薦しなければならない。
 
 と、弁護士会からも委員を選出するコトが出来るようになっています。
 そもそもこの22条によって、どうして人権委員は人権団体の構成員から出さなければならないコトになっているのかと、それは部落解放同盟などを前提にしているのではないかと、大きな疑問が生まれているワケですが、しかししかし、その最も権限が大きな弁護士会そのものがこの体たらくなのですから、お話になりません
 このままでは、大阪弁護士会のようなイっちゃった人たちの意を汲むような常識をわきまえない自分たちの主張のコトしか考えていないような団体からの構成員からしか人権委員が選定されない可能性が非常に高いと言わざるを得ないのではないしょうか。
 
 マスコミとかはなぜか国籍条項にこだわっているみたいですが、しかし何度も言ってますように、議員の先生方は、解同などが委員に選出され、権限を持つコトによって、人権という言葉を盾にして、自分の主張への反論を封じるために、人に差別者の烙印を押すような、そんな事態が起こるのではないかという危惧を持っておられ、それが法案反対の最も大きな動機になっているのです。
 そして解同などによるこのような事例は過去にたくさんあるワケです。
 それなのに、その上に、要注意団体である解同ではなく、一番マトモだと思われていた弁護士会そのものが現在進行形でこの体たらくなのですから、こんな現状でこの法案に賛成できる方がどうかしているのではないかと言えてしまうのはないでしょうか。
 
 
 他にも、例えば、人権委員が誤って人権侵害者だと認定してしまっても、通常通りの賠償請求は出来ると今日法務省は言っていたそうですが、もしそれで問題がないのであれば、そもそもこの法案の意味は全くないワケです。
 現行法では早急に人権侵害に対して擁護できない事案があるからこそ、新しい法律を作ろうとしているのに、人権委員による人権侵害はほったらかしでいいと言ってしまっているのです。
 こんなバカな話はないのではないでしょうか。
 
 人の社会的地位を全て失わせるほどの大きな権限をこの法律は持っているワケですが、しかしそれに対して、運営の規定がかなり荒かったり雑だったり大まかだったり、人権委員会に対するチェック機能が全く無かったり、コトによっては、人権委員会に法律が大きな権限を与えるコトによって、さらに大きな人権侵害を生む可能性をこの法案は持っているワケです。
 この法案はザルだらけなのです
 これらのザルの目を一つ一つ全てを埋めない限り、この人権擁護法案は、通してはならない法案だと言えるでしょう。
 
 
 今日の法務部会では、前回に比べて3〜4割り増しぐらい議員の先生方が出席されたようで、法案賛成派の先生達も多く来られていたそうなのですが、それでも6〜7割は反対意見で占められていたそうです。
 このように、議論すればするほど、この法案の問題が噴出していますので、結局今日も、次回また部会を引き続き開くというコトで散会したそうです。
 いよいよ今国会で提出できるかどうか微妙になってきましたが、まだまだ予断は許しません。
 これからも注目していきたいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、現状の人権擁護法案を応援できません。
 

平成17年3月15日

 大阪弁護士会の勧告書

 
 大阪弁護士会勧告
 2005年(平成17年)3月10日
 松岡 勲 他1名 殿
 
 大阪弁護士会 会長 宮崎 誠
 
 処分結果について(通知)
 
 平成15年9月29日付、貴殿より申告の人権侵害救済申立事件について、当会人権擁護委員会において調査の結果、下記のとおり処理いたしましたので、ご通知致します。
 
 記
 
 1.高槻市立柳川中学校校長に対し、勧告書を提出する。
 
 以上
 
 
 
 2005年(平成17年)3月10日
 高槻市立柳川中学校 校長 竹下幸男 殿
 
 大阪弁護士会 会長 宮崎 誠
 
 勧告書
 
 今般、高槻市立柳川中学校の教員であった松岡勲氏、吉田英明氏から当会に対し、人権救済の申立があり、当会人権擁護委員会において慎重に調査いたしました結果、貴殿に対し、以下のとおり勧告します。
 
 第1 勧告の趣旨
 生徒の「思想・良心の自由」を実質的に保障するためには、入学式及び卒業式における「君が代」斉唱の際、斉唱や起立が強制されるものではなく、「歌わない自由」「起立しない自由」を有することを事前に説明する等して十分に指導する慎重な配慮が望まれるところ、貴殿による事前説明は実施されず、生徒の「思想・良心の自由」に関する配慮が不十分です。
 貴殿に対し、入学式及び卒業式における「君が代」斉唱につき、生徒に「思想・良心の自由」に関する事前説明を実施する等、生徒の「思想・良心の自由」を尊重して十分配慮されるよう勧告します。
 
 
 第2 勧告の理由
 1 申立の概要
 (1) 高槻市立柳川中学校においては、平成12年3月の卒業式までの間、竹下幸男校長の前任者であった池田克則校長が、生徒の「思想・良心の自由」を保障するための具体的措置として、入学式及び卒業式における「君が代」斉唱につき、生徒に「思想・良心の自由」に関する事前説明を実施していた。
 
 (2)竹下校長は、平成14年4月の同行赴任後、同行で実施されていた生徒の「思想・良心の自由」を保障するための取り組みに消極的な姿勢を示し、平成15年4月の入学式及び平成16年3月の卒業式、4月の入学式においては、「思想・良心の自由」ら関する事前説明を全く実施しなかった。
 
 (3)竹下校長の前記(2)の行為は生徒への人権侵害であるから、同校長は生徒に対し「思想・良心の自由」に関する事前説明を行うべきである。
 
 
 2 当会が認定した事実
 (1)申立の概要(1)の事実について
  高槻市では、平成12年から、入学式及び卒業式の式次第に「国歌斉唱」が盛り込まれるようになった。
 柳川中学校では、平成12年3月の卒業式に先だって、当時の池田校長と教職員の間で、「君が代」斉唱に関し、池田校長が生徒に対し「思想・良心の自由」「歌う、歌わない自由」「起立する、しない自由」「退席の自由」を説明すべきか否かの議論が重ねられた結果、池田校長は同月8日の卒業式練習の場で生徒に対し、「起立・斉唱・退席について強制しないつもりです。」と説明した。
 平成12年4月の入学式においては、池田校長は開式前、生徒に対し前記と同様の説明を行った。
 平成13年3月の卒業式においては、池田校長と教職員との間で、生徒に対する事前説明に関する議論が重ねられた結果、池田校長は卒業式前日、生徒に対し「あなた方の内心の自由は大切にします。」と説明した(「起立・斉唱・退席」の各自由については具体的には言及しなかった)。
 平成13年4月の入学式においては、池田校長は卒業式前日(3月11日)、生徒に対し「起立・斉唱・退席について強制しないつもりです。」との書誌の事前説明をした(前記の卒業式及び入学式では具体的な言及の無かった「起立・斉唱・退席」の各自優に関する説明が再び行われた)
 
 (2)申立の概要(2)の事実について
 平成14年4月、竹下幸男校長が池田校長に代わって赴任した。
 竹下校長は、平成14年4月の入学式に先だって、教職員に対し、前任者である池田校長が従前行ってきた生徒に対する事前説明は行わない意志を示した。竹下校長は、教職員から説得を受けた結果、入学式当日、事前説明を行ったがその内容は、「強制はしません。」程度のもので、池田校長当時の事前説明に比べると簡素な内容となった。
 竹下校長は、平成15年3月の卒業式においては、予行時に、生徒に対し強制しない旨は話したが、前記同様、池田校長当時に比べると簡素な内容であった。
 竹下校長は、平成15年4月の入学式においては、詳細な事前説明を求める教職員の要請に応じず、生徒に対し「思想・良心の自由」に関する事前説明を一切行わなかった。
 竹下校長は、平成16年3月の卒業式に先だって、教職員から要請のあった「事前説明の取り組みの復活」を拒否し、同じく同年4月の入学式にも事前説明を一切行わなかった。
 
 
 3 当会の判断
 (1) 生徒が有する「思想・良心の自由」と「君が代」斉唱
 憲法10条が保障する「思想・良心の自由」は、個人が内心でどのような世界観、主義、思想、主張を持つのも自由であり、個人の内心領域の自由は公権力によって制約されないという重要な人権である。また、この「思想・良心の自由」は人格の発展過程のある中学校の生徒にもその保障が及ぶものである。
 国旗及び国家に関する法律第2条において、「国歌は、君が代とする。」と定められ、学習指導要領には「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と明記されている。
 しかし、「君が代」は戦前の天皇制絶対主義の表現を引き継ぎ、国民主権に反するとの考え方も強く、加えて、天皇の名で行われた第2次世界大戦を肯定する役割を果たすとの考え方もあり、このような「君が代」の果たした役割や歴史的経緯に照らし、国民の間で、「君が代」を国歌として扱い、敬意を表することについてさまざまな意見が存在し、議論が絶えないことも事実である。その意味で、「君が代」斉唱を行うか否か、「君が代」斉唱時に起立するか否かは個人の思想良心の自由(あるいは表現の自由)にかかわることで、「君が代」を歌わない自由、「君が代」斉唱時に起立しない自由があり、それらを強制することは「思想・良心の自由」を侵害するものというべきである。
 この点、国民審議においても、総理大臣が、「学校教育における国旗・国歌の指導と児童・生徒の内心の自由との関係」について、「我が国の国民として、学校教育におきまして、国旗・国歌の意義を理解させ、それらを尊重する態度を育てることは極めて重要であることから、学習指導要領に基づいて、校長、教員は、児童生徒に対し国旗・国歌の指導をするものであります。このことは、児童生徒の内心にまで立ち至って強制しようとする趣旨のものではなく、あくまでも教育指導上の課題として指導を進めていくことを意味するものでございます。この考え方は、平成6年にほい譜の統一見解として示しておるところでございまして、国旗・国歌が法制化された後も、この考え方は変わるところはないと考えます。」(平成11年7月21日衆議院内閣委員会、内閣総理大臣小渕恵三)と明らかにしている。
 
 (2)生徒に対し、「君が代」斉唱に関し、「思想・良心の自由」「歌わない自由」「起立しない自由」について十分に指導することの必要性、重要性
 前記のとおり、「君が代」斉唱が個人の「思想・良心の自由」に関わる性格を有するものである以上、入学式や卒業式に参加する生徒に対し、「君が代」斉唱や「君が代」斉唱時の起立が強制されるものであってはならない。
 政府は、国会審議において、「起立をしなかった、あるいは歌わなかったといったような児童生徒がいた場合に、これに対しまして事後にどのような指導を行っていくかということにつきましては、まさに教育指導上の課題として学校現場に任されているわけでございますけれども、その際に、御指摘のように、単に従わなかった、あるいは単に起立をしなかった、あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって、何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われたり、あるいは児童生徒に心理的な強制力が働くような方法でその後の指導等が行われるということはあってはならないことと私ども思っているわけでございます。したがいまして、学校全体の教育活動を、また式の進行全体を著しく妨害するといったようなことは別にいたしまして、今後ご指摘のような点につきましては、各学校におきまして、あくまでも教育上の配慮のもとに、校長のもとに全教職員が一致した適切な指導をしていただくように私どもとしましてもお願いをしてまいりたいと思っております。」(1997年7月21日衆議院内閣委員会文教委員会連合審査会政府委員)、と指導のあり方を明らかにしている。
 このような政府見解からも、学校現場の長たる学校長は、入学式や卒業式において、「君が代」斉唱や「君が代」斉唱時の起立が強制にならないよう配慮し、教職員らと事前の協議を行ったり、生徒に対し「君が代」斉唱や「君が代」斉唱時の起立が強制されるものではないことを指導し、式当日における実施方法にも十分な配慮を行うべき立場にある。
 また、いまだ人格発展過程にある中学校の生徒は、一般に、自身が有する人権の具体的な内容や保障の有無・程度につき十分に理解しているとは言いがたい面を有していることからも、学校長、教職員、保護者らがその理解を十分なものとするよう配慮し、指導することが不可欠である。
 したがって、学校長は、生徒に対し、入学式や卒業しにおける「君が代」斉唱や「君が代」斉唱時の起立に関し、生徒一人一人が個人としての「思想・良心の自由」を有しており、「歌う自由、歌わない自由」「起立する自由、起立しない自由」を有することを十分に理解できるよう配慮し、十分に指導を実施するべきである。
 このゆうな学校長の立場にある竹下校長が、前記認定事実のとおり、平成14年4月の入学式及び平成15年3月の卒業式に際して、生徒に対する事前説明が「強制はしません。」という程度にすぎなかったことは生徒に対する説明としては甚だ不十分であり、平成15年4月の入学式及び平成16年3月の卒業式並びに同年4月の入学式に際して一切事前説明を行わなかったことは学校長として生徒の「思想・良心の自由」「君が代」を「歌う自由、歌わない自由」「起立する自由、起立しない自由」に対する配慮を著しく欠いた不十分な指導といわざるを得ず、生徒に対する人権侵害におそれがある。
 生徒の「思想・良心の自由」「君が代」を「歌う自由、歌わない自由」「起立する自由、起立しない自由」を十分に保障する見地から、生徒に対し、入学式及び卒業式に先だって、生徒が有するそれらの自由について十分に事前説明を実施するのが相当であるから、勧告の趣旨の通り勧告する次第である。
 

平成17年3月18日

 人権擁護法案の自民党議論3


 なんか、公明党が性懲りもなくまた外国人参政権付与法案を衆議院に提出したようですね
 まぁなんと言いましょうか、とりあえず、当サイトは特別ページを作ってこの手の法案には反対しています。
 詳しくはこちらをご覧ください。
 しかし、最近人権擁護法案の関連で、自民党の部会等の情報にはいつも以上にアンテナを広げているのですが、この法案について自民党内で議論が行われたとは聞いていません。
 法案を通そうと思えば、自民党と公明党とどちらとも了承する必要があって、自民党が法案を作っても必ず公明党には根回しているのですが、今回はそれがなされていないハズですから、おそらく公明党も本気で法案を通そうとは思っていないんじゃないかと思われます
 なにかパフォーマンスをする必要があるのでしょうね
 一応、この法案は「政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会」で審議されるモノですから、注意して見ておきましょう。
 特設ページに載せている委員名簿は現在も変わっていませんから、ご活用いただければと思います。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーこざいます。
 
 
 ご存じの方も多いかと思います。
 本日正午より自由民主党党本部におきまして、第3回目の人権擁護法案に関する法務部会が開かれました。
 その様子をお伺いしましたので、お伝えしたいと思います。
 
 と言っても、今日は1時から衆議院の本会議がありましたので、部会自体は45分程度しか開かれず、法務省の説明が15分、残り30分だけ議員さんの質疑があったそうです。
 しかも、それだけしか時間がありませんでしたから、質疑と言っても、議員さんが一方的に意見を言っただけで、特に何か目新しい疑問点とか妥協点とか進展とかがあったというワケではなかったようで。
 というワケで、今日は簡単にさらっと全体像をお伝えします。
 
 途中で打ち切ってしまったために、全ての議員さんが発言したワケではないのですが、それでも全体的には7割以上は法案反対の意見だったそうです。
 また、本日は、メディア規制のプロ(笑)の佐田玄一郎先生がご欠席だったそうなので、メディアの問題はほとんど出なかったとのコト。
 唯一、広島選出で元「お笑いマンガ道場」の司会者、柏村武昭先生が、メディア条項は凍結を解除して提出すべきだと発言されたようです。
 それから、反対派の雄、城内実先生ですが、前回お伝えしましたように大阪弁護士会のトンデモ勧告書を前回の部会で報告したところ、その後さらにトンデモな報告書が数十枚ほどタレコミが来た、というお話をされたそうです。
 例えば、これは他の女性議員さんもおっしゃっておられたそうですが、教育委員会が過激な性教育はするなと指導したところ、それは人権侵害だと8000件近い報告書が上がってきたんだとか
 他には、国籍条項を入れろというお話ですとか、なぜ人権擁護委員の選出は団体に属している人ではないといけないのかというお話ですとか、地方議会の意志を明確に反映させるシステムにすべきだというお話ですとか、いつもと変わらない意見が出されたそうです。
 それから、もう恒例になっちゃってますが、亀井郁夫先生による「広島はどれほど苦労してきたのか、広島の現状を見ろ」というお話も出たそうです。
 
 話が前後しますが、議員さんの質疑の前に、法務省の方から、今まで議員さん達から出されていた疑問点をまとめ、反論としてペーパーにして出されたそうなのですが、その中から、前回の話のキモにさせてもらった、城内先生提出の大阪弁護士会の件についてご紹介したいと思います。
 と言っても、簡単に言えば、「そんなモノは人権侵害にはあたらない」という結論になっていました
 学校長には「強制ではない」と告知する義務があるとは認められず、告知をしなかったからといってそれが「思想及び良心の自由」に対する侵害とは到底言えない、とハッキリ書いてあるんです。
 ここまで明確に法務省が否定するとは思いませんでしたから、これはこれで意外ですね。
 しかし、大阪弁護士会が行った勧告というのは違法とまでは言いませんが、かなり悪質な言いがかりであり、言い方を変えれば大阪弁護士会による学校長への人権侵害が行われたと言っても過言ではない行為のハズです。
 ですから、法務省は今回、歌う自由があると告知をしなかったコトは人権侵害ではないと認定したのですから、当然、大阪弁護士会に対して何らかのペナルティを与えるべきなのではないでしょうか
 まぁそれはともかくとしましても、本来このお話は、大阪弁護士会のこの勧告書の是非を問うような議論ではなく、一般的には良識を持っておりシッカリしていると思われている弁護士会が、実はこんな体たらくであり、そんな団体から人権擁護委員を選出させるのはいかがなものではないかというお話であるハズです。
 ですから、この法務省の回答書では、本来の議論の回答には全くなっていないのですが、時間の関係もあったのでしょうけど、残念ながら城内先生も深くツッコミを入れられずに終わってしまったというのは残念に思います。
 次の部会では深く追求してもらいたいところですね。
 
 今日の部会の内容はこんなところのようです。
 最後に、今後のコトについて、人権問題等調査会長の古賀誠先生よりご説明があったそうなので、それもお伝えします。
 もともとこの法案は与党内協議を経て、具体的に言えば、公明党との話し合いの中で生まれてきた法案なんだそうで、ですから、ここまで自民党内で紛糾するとは古賀先生も思っていなかったのでしょう、もう一度この党内事情を公明党に伝えて検討させてほしいとおっしゃったそうです。
 与党協議という言葉が出たので、一瞬議員さん達の間に同様が走ったみたいなのですが、そもそも与党協議が法案の出発点であり、そこでまた調整し直した後には党内の部会にかけるのは当然のコトであると古賀先生はおっしゃり、また平沢法務部会長も、これからも部会を開いていくと明言されたので、いったん古賀先生が与党協議に“持ち帰る”というコトは部会としても了承されたそうです。
 いくら公明党と合意が出来たところで、自民党内には、部会で了承され、政調審議会(政審)で了承され、最後に総務会でも了承されなければ、党として正式に法案に賛成するという形にはならないようにシッカリと党則で決まっています。
 逆に言えば、この手続きを踏まなければ、党としては認証されていないというコトですから、おそらく衆参委員会や本会議で反対表明をしても、なんら問題ないコトになるハズです。
 党内議論をすっ飛ばして決めてしまうと、それは古賀先生が最も忌み嫌う、トップダウン式の小泉さん方式になってしまいますし、ですからその辺の心配はいらないと思います。
 
 しかし通常国会は6月までありますから、まだまだ法案が提出される可能性は十分あります。
 元々執行部は多分4月までには成立させたいと思っていたのでしょうけど、それにはそろそろ衆院を通過させておかなければ間に合いませんから、これは断念したと見ていいでしょう。
 となれば、逆に時間のゆとりが出来たとも言えますから、おそらく、古賀先生達はいったん法案の中身について見直すんじゃないかと思われます。
 今まで反対意見の多かった部分に関して修正を入れ、例えば国籍条項を入れるとかですね、その辺を公明党と協議し修正した後、また自民党の部会にかけるのではないかとやえは予想しています。 
 ですから、その修正案がどこまで踏み込んでいるかというとろこが注目だと思います。
 人権擁護が大切であるというコトは誰しもが持っている思いですから、良い修正案になれば、もちろん今国会で成立するコトもあり得るでしょう。
 
 
 では、どういう内容になれば良い案になるのか、という部分ですけど、これは話せば長くなりますから、やえの意見はまた後日書きたいと思います。
 やえも、だいぶお話を伺ったり自分なりに法案を見直したところ、いくつか勘違いしていた部分もありましたので、その辺も含めて、まとめて更新したいと思います。
 
 とりあえず、今日の自民党法務部会はこんな感じだったそうです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、一年生議員でも法案に大きく影響を持てる自民党の議論を応援しています。
 

平成17年4月8日

 人権擁護法案の自民党議論4


 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 予告通り、自民党の法務部会の様子についてお話を伺うコトが出来ましたので、今日は人権擁護法案についての自民党議員さんたちの議論をお伝えしようと思います。
 
 まず、法務省の方からかなりの量の修正案が提示されたそうです。
 法務省として、一連議論の中で問題点と思われる部分を7点ピックアップし、それぞれに回答・修正を提示しています。
 まずはその7点をご紹介します。
 
 1.国籍条項
 2.人権擁護委員の推薦に対する団体要項
 3.人権侵害というモノの定義があいまいであるというコト
 4.不当に人権侵害だと訴えられた人に対する保護が不十分というコト
 5.人権委員会の運営や判断を裁判手続き並みにもっと透明化させるべきだというコト
 6.令状無しに捜査・差し押さえが出来るのではないかというコト
 7.擁護委員の政治的中立性の確保について
 
 簡単なモノからいきましょう。
 
 注目度が大きいと思われる1の国籍条項ですが、これは今回「保留」とされました。
 でこの項目に対しては自民党内でかなり反対意見が根強いため、出来れば撤廃したいと執行部の方も考えているフシがあるようでして、しかし公明党の方が撤廃はどうもイヤがっているみたいですから、その辺で板挟みになっているのでしょう。
 今後どうなるか分かりませんが、とりあえず保留です。
 
 7の政治的中立ですが、人権擁護委員も国家公務員となりますから、公務員法によって政治的中立は定義されていると説明があったそうです。
 国家公務員になるというのは、この前やえもお伝えしましたよね。
 改めて今日の法務部会でもそれが確認されたそうですから、この辺は明確に大丈夫だと言えるでしょう。
 
 残り5つはなかなか深い議論になりそうですね。
 ええと、どれ行きましょうか。
 
 特にネットで大騒ぎとなっています6の「令状主義に反する」という批判ですが、厳密に解釈するのであれば、今回の人権法案には、その批判は当てはまらないでしょう。
 一部では、さも擁護委員が強制的に立ち入り調査できるんだと言っているようなサイトもあるみたいですが、実際は、人権委員会で出来る調査は全て任意であり、そりに対して「正当な理由もなく拒んだ者」には「裁判所を通じて過料を課すことが出来る」となっているというのが法務省の説明のようです。
 つまり、強制権を持ちうるような場合には必ず裁判所を介するコトになっているワケでして、これなら令状主義には反しませんよね。
 これで問題が無いとは言えませんが、少なくとも「擁護委員が強制的に立ち入り調査できるんだ」というような批判は当てはまらないというコトになります。
 
 5の手続きを透明化させるべきという批判に対しては、条文を追加するという形で対応されているそうです。
 主な部分として、告発された側の意見を十分に聴き、人権侵害かどうかはその後に決定するようにしたコト。
 また、その異議が認められると決した時には、勧告を撤回しなければならないとしたコト。
 さらに、異議申し立て者には、検討の結果を通知しなければならないとしたコト。
 これらが挙げられたそうです。
 
 4の不当に人権侵害だと訴えられた場合の保護についてですが、これも5の項目にあるように、シッカリと異議を申し立てられる制度を条文に明記していあるというコトでまず1点。
 もう1つ、もし審査の結果、人権侵害でないと決まった場合、その被告人が望むのであれば告訴した人間に対し調査の結果を通知しなければならない、という条文も追加するんだそうです。
 つまり、訴えた人に対して、その訴えは不当だったと、キッチリと通告するというコトです。
 
 2の「団体条項」ですが、これは前もお伝えしましたように、削除されたみたいです。
 最後まで、なぜこの条項が存在したのか不明のままになっちゃいましたが、とりあえずは削除されたのは歓迎すべきところですね。
 ただし、まだ問題はあるとやえは思っています。
 
 最後の3の「定義があいまい」という批判ですが、とりあえず法務省の見解としましては、「濫訴的な申し出に係る事案等については、救済手続きを開始しない旨を追加するとともに、その具体例を規則で定める」「「他の者の人権を不当に侵害することがないように留意するとともに、本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用することがあったはならない」旨を追加する」という説明で修正したと言っていたそうです。
 また、明確に厳密に定義できるようなモノではないというコトは今まで何でも言っているみたいですし、それはまぁそうでしょうね。
 
 とりあえず、意見は後にしまして、法務省の説明や修正は以上です。
 やえの、具体的な中身の検討については、また後日行いたいと思います。
 
 法務省の説明の後は、いつも通り、議員さん達による発言です。
 その全体的な感想ですが、やはり反対派の方が多かったそうで、結論的には「引き続き部会を開いていく」というコトになったみたいです。
 その中で今後のポイントとなりうる点がいくつかあったそうなので、とりあえずそれをお伝えいたします。
 
 ひとつは、有識者や学者などからの意見聴取してはどうかという意見が出たそうで、これには反対意見がなかったために、次回か次々回には実現しそうな気配なんだそうです。
 また、ある先生が「現状の擁護委員だって、一生懸命市町村長が頼み込んでなってもらっているというのが現実である。この法案でさらに義務が増えたら、なってもらう人がいなくなるのではないか」という意見を出されたそうで、その現状を市町村長からも聴いたらどうかとも発言があったそうです。
 よって、市町村長の代表者の方も、次回の部会に呼ばれる可能性があるとのコトです。
 
 また他には、もちろん反対派の議員の方の方が多いのは変わらないみたいですが、しかし反対派の反対だけをするような意見ばかりが占めている中ではせっかくの議論がぜんぜん先に進んでいないというのも事実のようで、自民党の部会として議論している以上、キチンと法案として作り上げるという結果を出すための議論をすべきだ、という意見も多く出されたそうです。
 特に、ある先生が、ことごとく「だったら対案を出せ、対案を出せ」とヤジ連発してたらしくて、やはり法案を出し法律化するというのは与党としての責任だという認識は自民党議員として共有して持っているワケですから、先に進むような建設的議論をすべきという意見には同調しているような雰囲気だったというコトです。
 
 そんな話の中、ニュースにもなっていましたが、自民党内に「真の人権擁護を考える懇談会」というモノが発足したようで、そこではキチンと対案が出せるような議論をしているんだという声も出たそうです。
 またその対案というのも、まず「基本法」「理念法」というモノを一本掲げて、その後に各個別の法律を作っていくべきだ、という形で進んでいるんだそうです。
 つまり、人権法の中の憲法のような基本法をまず作り、そして現実的な問題に対して、例えば職場のセクハラなら労働法とかを改正するといった形で対応していくべきだ、というコトのようです。
 これは、「人権侵害が明確に定義出来ていない」といった批判に対する自己補完のような対案にもなっていまして、罰則規定などは個別法に任せるコトによって、その個別法の中で細かく規定するコトによって、人権侵害の定義を規定するという形になっているという意見です。
 
 他に大きなポイントとしましては、パリ原則がここにきて初めて話題にあがったそうです。
 パリ原則とは、国際的な人権擁護条約みたいなモノであり、そもそも日本でこの人権擁護法案が持ち上がったのも、このパリ原則が出発地点になっているワケです。
 しかし今までの執行部の説明には、このパリ原則の話が全く出てこなかったですから、それは説明不足だろうという意見もありましたし、またそもそもパリ原則は、独立した人権擁護組織を作れという趣旨のモノでもなければ、民間レベルの人権問題を扱うのモノでもなく、国家の人権侵害を取り締まるようなシステムを作れという趣旨のモノですから、日本が今そこまでする必要があるのかという意見もあったみたいです。
 さらに言えば、日本政府の公式見解として、パリ原則の議論で言われているような重大な人権侵害、主に人種差別ですが、そのような極めて重い差別は日本国内には存在していないと言っているのですから、やはりこの法案はそんな公式見解をも越えた勇み足ではないか、という意見も出たようです。
 
 最後にもう一点。
 これは古賀先生もおっしゃっておられたそうですが、今民主党も人権法の案を作っているようなのですけど、その内容がかなり不味いモノであり、それを阻止するためにも自民党が自民党の責任において法案を提出し成立させなければならない、という意見も出ていたそうです。
 どう不味いのかと言えば、差別を利用して自分たちの権利拡大を図っているような連中がのさばらないように、今まで自民党の特に若手の議員さん達が頑張って意見を言ってきたワケですが、民主党の案はそれが全くスルーで、のさばり放題な法案になってしまっているんだそうです。
 やはりと言うか、バックにいるのは部落解放同盟。
 解同は、擁護委員だけでなく、人権委員会をも地域ごとに置くべきだなんて主張すらしているらしく、虎視眈々と公権力に入り込むスキを伺っているようです。
 これをなんとしてでも阻止するために、自民党が責任を持って法案を提出するべきと主張があり、なるほどという納得するような雰囲気もあったみたいです。
 
 
 今日の部会の大まかなところはこれぐらいでしょうか。
 今日は法務省から修正案など多くの新しい資料が配付されたそうなので、細かいところの技術論はまだいっぱいあるのですが、これだけでも長くなりましたし、とりあえず今日は部会の雰囲気をお伝えするというコトですから、この辺にしておきたいと思います。
 
 お伝えしましたように、今までの部会は意見を言いっぱなしのとろこが多かったのですが、そろそろ議論を前進させるべきという意見が多くだされたコトもあって、これからは建設的な議論が行われるようになるんじゃないかと思っています。
 有識者も招くのでしょうしね。
 また来週の水曜日に部会を開くそうですから、次回からはまた違った雰囲気で部会が開かれるのではないかと期待しています。
 
 では、今日はこの辺でひとまず終わりたいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、建設的議論を応援しています。
 

平成17年4月13日

 人権擁護法案の自民党議論5


 最近人権法ばかりで、正直この問題にあまり興味のない方には退屈な更新となってしまっているんじゃないかと恐縮しているのですが、また、アホの中国や韓国のコトについても書きたいコトがあるのですが、しかしこの人権法の問題は、リアルタイムにコトが進んでいる問題でして、今日も自民党で法務部会が開かれて、毎日更新しないと追いつけない状況ですので、ごめんなさい、もうしばらくお付き合い下さい。
 そういうワケで、今日は部会についてご紹介しようと思っていますが、しかし修正案についてももうちょっと述べたいコトがあったりして、その上、ちょっと私生活の方も微妙にいそがしかったりしていたりして、少々てんてこ舞いです。
 え?
 私生活が忙しいっていうのは、いやですよ、そんなワケないじゃないですか。
 女性専用車両に乗るのが楽しくて時間がうわなにするでs
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 え!?
 
 
 
 
 さて・・・。
 
 というワケで、今日は…今日も、自民党で行われました法務部会のお話を伺いましたのでご紹介したいと思います。
 
 で。
 前回の部会である議員さんが、有識者の方を招いてお話を伺ったらどうかという意見を出され、執行部も同意していたのですが、なんとそれが今日現実していたそうです。
 つい先週の金曜日に提案されたのに、たった数日でそれが実現したコトになるワケでして、なかなかフットワークが軽いと言えるのではないでしょうか。
 それだけ執行部も、出来るだけ議員さんの要望は聞きながらも、早く法案として前進したいという気持ちが表れているんだと思います。
 
 今日自民党本部で講演された方々は3人の先生方です。
 
 東京大学法学部名誉教授 塩野 宏 先生
 全国人権擁護委員連合会顧問 鹿島 恒雄 先生
 日本大学法学部教授 百地 章 先生
 
 結論から言いますと、結局今日の部会は、3人の先生方の講演と、それについての質疑応答だけで終わってしまったそうなのです。
 本日の法務部会の予定開会時間は1時間30分だったそうで、部会はだいたい1時間ですから、普通よりは長くとっていたようですが、しかし3人の方にお話していただいたワケですから、それだけでも1時間30分は短かったようなのです。
 ですから、前回法務相が出した修正案についてには全く触れられておらず、もちろんこれで部会が最後というワケでもなく、今日は全く議論は前進しなかったとのコト。
 法務省からもいつもの方々が出席されておられたそうなのですが、今日は一言も発言が無かったようで、本当に今日はお話を聞いただけだったそうです。
 まぁ執行部としましては、先ほども言いましたように、出席議員さんの要望をひとつひとつ着実に聴いていき、ひとつひとつ穴を埋めていこうという思惑なのでしょう。
 
 で、3人の先生方のご後援の中身なのですが、ちょっとですね、正直言いまして、期待はずれな内容になってしまったのではないかとやえは思っています。
 やえが直接お話を聞いたワケではないので、そう言うのは失礼かもしれませんが、やえが聞いた限りでは、あまり面白いお話ではなかったように思います。
 
 というのもですね、塩野先生は法案に賛成するような立場で、かなり緻密に学者らしく、言い方を変えれば小難しくお話をされたそうで、ツッコムにもツッコみ難い感じだったんだそうで。
 次の鹿野先生は、現役の人権擁護委員というコトから、法案に対しても、情に訴えるような感じで賛成のお話をされたとのコト。
 最後に反対派の百地先生ですが、ちょっと内容的に稚拙だと言わざるを得ない内容だったようで、ちょっと反対派の追い風になるほどの説得力を持ち合わせてはいなかったそうです。
 
 講演の内容ですが、まず塩野先生からです。
 先ほど、小難しいと論評しましたが、中身についてよーく考えて聞いてみると、結局は今までの法務省の説明とそんなに変わらない話をしていただけのようで、そういう意味でも、あまり面白くなったとのコトなのです。
 例えば、人権侵害というモノの定義があいまいだという点については、それは憲法に人権を侵害してはならないと明記してあるし、その上で刑法や民法を通じて裁判につながるように人権擁護法案はなっているのだから全くあいまいではない、と説明をされていたんだそうです。
 ほとんど法務省のこれまでの説明と変わらないんですね。
 というワケで、特に明記する点も無いというのが、正直なところです。
 
 先に謝っておくのですが、ごめんなさい。
 あとのお二方も似たようなモノだったらしいです。
 鹿野先生は、現役の人権擁護委員の代表者という立場で、等身大の目線からの現状を語られていたそうです。
 しかしそれも、まぁほとんど知られているような話ばかりでして、もちろん現役擁護委員ご本人から語られる話にはとても説得力が感じられたそうなのですが、それでも目新しい話は無かったそうです。
 唯一面白かったのが、現状も給与が無く、新しい人権法においても擁護委員には報酬が与えられないコトになっていましたので、これはツライのでなんとかしとほしいと訴えられておらたという話でしょうか。
 これだけは必ず訴えて来いとハッパをかけられて今日自民党に向かったんだそうです(笑)
 それから、擁護委員は、結局は、現場の現状を情報収集し上に上げるだけが仕事なので、擁護委員が暴走するコトはない、その辺は信用して欲しい、とも訴えられておられたそうです。
 
 最後に、百地先生のご講演ですが、もしかしたらこれが最も残念だったかもしれません。
 というのもですね、百道先生が作られたレジュメと講演は、正直言いまして、ちょっと稚拙と言わざるを得ない内容になってしまっているんですね。
 レジュメを見させてもらいましたが、例えば

 1 「人権侵害」の意味、定義が曖昧・不明瞭であり、恣意的な解釈がまかり通る危険がある。
 ・「人権」の定義がなく、「人権侵害」の定義も曖昧・不明確なため、「人権侵害」の名のもとに不当な「人権侵害」や「逆差別」がなされる危険が大きい。

 とか

 5 人権委員会が、裁判官の令状なしに立入検査をしたり、書類等の留置をするのは、憲法35条違反の疑いがある。
 ・憲法35条の令状主義は刑事手続きだけでなく、行政手続きにも運用されうるとするのが最高裁の立場である。とすれば、表現の自由・思想の自由などが侵害されるおそれのある本件立入検査には、事柄の重大性に鑑み、令状が必要と考えるべきである。

 とか、すでに議論として耳タコになっているようなコトを繰り返しているだけになってしまっているのです。
 これでは、せっかく自民党本部まで来て頂いたのですが、何のために来て頂いたのか、ちょっと分からないと言わざるを得ない内容でしかないのです。
 そして、どうも百地先生の言い方がキツすぎたみたいで、後の質疑応答で議員さんから「極端すぎる」とか、「ダメだダメだだけで、ではどうしたらいいのかというのがほとんど無い」とか言われてしまったそうなのです。
 それに対し百地先生は、「今まで法案を知らなかった」「法案を読んで、これはまずいと思って、とにかく反対しなければならないと思った」「対案については立法府におられる先生方にお任せします」とおっしゃったとのコトで。
 やえもレジュメを見させてもらいましたが、正直、反対のための反対をしているようにしか思えない一部のサイトのような反対論しか書いておらず、専門家らしいやえでは気づかなかったような問題点を指摘して欲しかったという期待には答えられてない結果となってしまっています。
 
 これはとても残念だと思います。
 せっかくわざわざ党本部までお越し下さったのですから、もっと理論的な反対論っていうモノを聞いてみたかったです。
 
 
 以上で、今日の部会のご紹介は終わりです。
 結局中身が無かったと言ってもあながち間違いでないのが残念でした。
 次回の部会に期待したいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、じょせいせんようしゃりょうわなにをするでs
 
 
 
 
 
 お詫びと訂正(4/14 9:30)
 修正前の文章では、百地先生は今まで全く人権法について知らなかったという記述をしてしまったのですが、メールにて、百地先生は3月19日付けの産経新聞の正論欄にて人権法について文章を載せておられるという情報をいただきました。
 大変失礼いたしました。
 よって、該当する部分や、やえが「百地先生が知らなかった」という前提で書いた感想の部分等は削除・修正させていただきました。
 やえの不注意で謝った情報を出してしまいましたコトに深くお詫び申し上げますとともに、百地先生におかれましては本当に失礼なコトを書いてしまうコトになりまして、本当に申し訳ありませんでした。
 メールで情報を下さいました方には感謝申し上げ、ご迷惑をおかけしました方にはお詫び申し上げます。
 

平成17年4月21日

 人権擁護法案の自民党議論6


 連日連夜の長文更新で申し訳ありません。
 今日もちょっと長いですが、最後までおつきあいください。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 どこからお話しすればいいんでしょうか。
 もしかしたらこの更新をアップする時にはすでに部会の内容についてニュースが流れているかもしれません。
 いろいろと大変な部会だったみたいです。
 
 とりあえず結論を先に伝えておきましょう。
 自民党の平沢勝栄法務部会長は、今日の時点では部会としての結論は出せないと、個人の見識ではそう認識しているとおっしゃったそうです。
 よって、今後も部会を開くのが望ましいと、そういうコトなんだそうです。
 しかし今後についてはまず古賀先生と話し合いをしてみるとのコトなので、まだ確定段階ではないというコトも明記しておきたいと思います。
 
 何が起こったのか、詳しくはこの後レポートしていきます。
 
 おそらく、これだけのコトが起こったのですから、ネットにおいては今日の部会の内容についていろいろと情報が流れるんだと思います。
 ただし、この前やえも言いましたけど、完全な公平公正なレポートを書くことなんて不可能ですと言いましたように、そのレポートを書いた人の思惑によって、けっこう内容に隔たりが出てくるのではないかと思っています。
 ただ、やえはそれでいいと思っています。
 例え議事録をとったとしても、録音にしたとしても、テレビであったとしても、そのやり方によっていかようにもなるというのは説明するまでもないコトですから、100%公平更正なレポートというモノは不可能です。
 また、それを受け取る側の思惑によっても評価が変わってくるワケでして、ある人にとっては公平だと感じても、違う人によっては偏っていると感じるコトというのは、むしろよくあるコトです。
 この辺は全国紙の新聞でもよくあるコトですよね。
 例えば、やえはこの件に関しては自分の意見を貫くコトがまず第一だと考え、あまり情報を集めようとはしていないのですけど、それでも今までの部会の他の人が書かれたレポートを読んだコトが何度かありまして、でもやえから見たらちょっと偏っているんじゃないかと感じたモノというのは、今までもいくつかありました。
 しかしそれを公平なレポートだと言っていた人がいるというのも事実でして、やはり自分がどの方向に持っていきたいのか、どういう方向で考えてるのか、それによって印象というモノは大きく変わってきてしまうモノなのです。
 特に今回の部会は、これほど大きな騒ぎになったのですから、それがなおさらになってしまうんじゃないかと思っています。
 
 ですからそういう意味におきまして、やえは普段は公平なんていうスタンスを取らないのですが、今日は敢えてそういう立場を意識してレポートを書いていきたいと思います。
 
 つねづねやえはジャーナリズムをしているのではないと何度も言ってきました。
 当サイトの立場というのは、やえやあまおちさんが意見を表明し、それを広く読んでもらうというのが基本的なスタンスであり、公正な事実の羅列だけを書くのではなく、独自の意見を言うからこそ当サイト的には価値があると思っていますし、それを望んで見に来てくださっている方はそれを望んで足を運んでくださっているのでしょうから、やえはいつもやえの意見を大切にしながら更新してきました。
 
 しかし、今回だけは、やえの思うところをそのまま書くと、あまりに感情的になりすぎるんじゃないかと自分で危惧していまして、それを自戒する意味におきましても、敢えて公平というモノを意識して書いてみたいと思います。
 ただし、あくまで、やえの主観において公平だと思われるレポートです。
 完全な公平など誰にも出来はしませんから、「公平でない」という批判はご容赦ください。
 出来るだけ努力はしますが、そもそもどだいそんなの無理なのですから。
 
 あと、いつもの決まり文句ですが、このレポートは、やえが直接部会を見てのモノではありません。
 部会を見られた方からお話を伺っての、その上でのやえのレポートです。
 その辺をご了承ください。
 
 
 ではいきましょう。
 
 部会の流れとしては、まず部会長などのあいさつがあった後に、古賀先生と法務省による、修正案の説明に入りました。
 具体的に言えば、以前からお伝えしていましたように、人権擁護委員の団体条項の削除や、特別救済措置の一つである氏名等の公開時における異議申し立て制度の新設や、異議申し立ての内容も合わせて公開しなければならないとしている部分です。
 またさらに、この前の修正案には無かった違う修正点も、新しく3つ提示されたそうです。
 ひとつは人権擁護委員についての政治的中立が記載されていないという指摘を配慮するために、擁護委員は国家公務員法が適用されるので本来は必要ないのですが、そこを敢えて人権法上文中にそれを明記するコトにもなったそうです。
 もうひとつは、擁護委員の国籍条項に関するコトで、もし外国人を擁護委員にする場合は、国会の付帯決議が必要とするというコトも追記されたんだそうです。。
 さらにもうひとつありまして、これはやえも見落としていたのですけど、第八十三条というモノがあり、それにはこのように条文が書かれているのですが

 (関係行政機関等との連携)
 第八十三条 人権委員会、厚生労働大臣及び国土交通大臣は、この法律の運用に当たっては、関係行政機関及び関係のある公私の団体と緊密な連携を図るよう努めなければならない。

 特にこの「緊密な連携を図るよう努めなければならない」という部分は、まさに広島の解同が教育の場に堂々と入り込んできた時の根拠とされた条文に近いワケでして、これでは広島の悪夢の再来が起こってしまうのではないかという危惧が生まれるワケです。
 それを今回の修正案では、この部分を全て削除をすると、そうなったんだそうです。
 
 以上が、今回提示された修正案の中身です。
 これらを古賀先生と法務省が報告したあと、各出席議員の先生方の議論に移りました。
 
 今回は議論というか意見の中身については敢えて触れないコトにします。
 結局全ての先生方のご意見を書けるほど情報が無いというか、議事録が無いワケですからそれはちょっと不可能なワケでして、そうなると、どれを取り上げてどれを取り上げないとかという点において不公平になりかねませんから、今回は中身には触れません。
 ただ言えるコトはですね、今回は(も?)、議論というよりは、各先生方が自由に自分の意見を主張しただけ、言い方を変えると言いっぱなしになってしまっていたみたいですから、それだけに、新たな意見というのはちょっと聞こえてこなかったそうで、それぞれの立場の先生方がその立場においていつも通りの意見をおっしゃっていた、というコトなんだそうです。
 
 そして、実にこれが2時間30分ぐらいも続いたそうなんです。
 今日の部会は夕方4時からだったそうで、それだけに後のコトはあまり気にせず、手を挙げる議員さんにはほぼ全員に意見を言ってもらったという形になったんだそうです。
 それだけでもいつも1時間半ぐらいはかかっていたワケでして、しかも今日はいつもよりも出席議員が多かったそうですから、それも時間がかかった要因のようなのです。
 
 で、問題はここからです。
 あらかた先生方の意見表明が終わったという段階で、古賀先生がなんとこのような趣旨のコトを言い出したんだそうです。
 
 「今までの議論を踏まえ、みなさんの意見を反映させ、このような修正案を出しました。これで是非国会に法案を出させてもらうために、執行部に一任してください」
 
 このセリフが合図となり、部屋は罵声と怒号が飛び交う、混乱が支配する世界になったそうです。
 努めて冷静にその時の様子を書こうとするならば、賛成という声と拍手、反対とかふざけるなといった罵声と発言を求める挙手、それぞれの立場の先生方がそれぞれの意見を怒鳴り合う、つかみ合い一歩手前の混沌とした現場だったそうです。。
 そしてある程度混乱し、数分たった後、反対する議員さんの大声を背に古賀先生と賛成した議員さんは部屋を退席していったそうです。
 
 つまりその後、残ったのは、今の時点で法案に反対する議員さんと、一部の賛成議員さんだけ。
 ほぼ半数の議員さんはすでに退席してしまったようです。
 その中で、反対する議員さんは、この採決について、法務部会長である平沢勝栄先生に詰め寄ったそうです。
 これはどうなるのか、と。
 そして平沢部会長の言葉は、最初に紹介しましたように、「この状況で部会長として意見が集約できたとは思えない」という発言だったそうです。
 古賀先生としましては、これで一任を取り付けたという解釈をされているのでしょうけど、少なくとも最終的な権限のある部会長としては、まだこれで終わったとはしていないと明言したんだそうです。
 
 部会の流れとしてはこんな感じだったそうです。
 この後しばらく反対派議員さんたちが30分ぐらい意見を言い合っていたそうですが、結局今後どうなるのかというコトは部会長が決めるしかないワケで、「今日はとりあえず部会としては決着してない」という平沢部会長の言葉で散会となりました。
 今回のレポートは主観が入り込むような記事は避けたいと思っていますので、今日の部会の賛成反対の雰囲気を平沢部会長の言葉を引用するだけにとどめておきますが、平沢先生によりますと、今日は賛成派の方の意見が6:4ぐらいで多かったと発言されたそうです。
 今までは、反対派の方が多く、部会の数を重ねるごとにその差は縮まってはいましたが、今日でその差が逆転したというコトになるでしょう。
 実際、議員さんの意見表明の中でも、反対派の議員の先生からも、「この修正案はとても評価できる」とおっしゃっていた方はとても多かったと聞きました。
 これは平沢部会長もおっしゃっていたそうですが、議論はまとまる方向には行っていると、よりよい法案に向かっているのは確かだと、そんなコトをおっしゃっていたそうです。
 
 
 
 レポートはとりあえずこれで以上とさせていただきます。
 
 以上をふまえまして、ちょっとだけやえの意見を述べさせていただきます。
 
 修正案がよりよくなっているというのは、やえもその通りだと思います。
 今日さらに修正案が出るとは思っていませんでした。
 しかもけっこう重要な点が多かったです。
 
 しかし残念なのは、やはり古賀先生の強引な手法です。
 これでは数日前の「郵政再び」となってしまいます。
 古賀先生はつねづね小泉さんのトップダウン式の手法を非難していましたが、これでは全く小泉さんとやり方が変わらないワケですから、古賀先生はこれでは小泉さんの手法を否定するコトなどできないでしょう。
 今までの議論によって、この法案はより良い方向に向かって行っていたというのはまぎれもない事実なのですから、あと数回じっくりと議論すれば、一部の強固な否定するコトに固執してしまっている議員さんを除けば、賛成多数を得られていたのではないかと思わなくもありません。
 もちろん一任を急いだ理由としては、もう後わずかの国会会期期間に考慮してのコトだと思うのですが、しかしどうせ秋にはまた臨時国会を開くのでしょうから、その時にでも法案提出しても、全く問題なかったのではないかと思います。
 それだけにつくづく残念です。
 政党政治、議院内閣制を旨とする日本の政治制度における、その申し子である自民党の手法をとても大切にし、外から何を言われてもその立場を貫こうとしていた態度はかなり評価できると思っていたのですが、古賀先生には重ね重ねこのような手法を取ろうとしてしまったコトには残念としか言いようがありません。
 郵政といい、この古賀さんの方法といい、こんなコトが自民党で続いてしまうと、どんな若い議員であろうとも重要な会議にだれても出席でき発言でき法案な政策に影響を与えられるという、自由な議論が保障されている最も自民党の素晴らしい部分が失われてしまうのではないかと危惧します。
 
 もう一点やえの感想です。
 確かに、今日の部会は、議員さんの意見の言いっぱなしになってしまった感があると言えるでしょう。
 それはやはり法務省があいまいな答弁しかしないという点が大です。
 あとは、部会では挙手する先生が多すぎて、答弁する時間が取れないというのも少なからずあるのだと思います。
 だけど、議論というモノは、意見が交わらなければ意味がありません。
 実際に、亀井郁夫先生の広島の解同の意見や、城内先生の様々な細かい指摘は、法務省側もよく受け止めて、法案に反映させるという、最大限の譲歩を見せています。
 これはすなわち議論として成り立ち、もっとも良い方向に向かっているという好例です。
 今後部会が開かれるのであれば、これがリアルタイムに進むよう、平沢部会長はじめとする諸先生に努力してもらいたいと思います。
 
 しかし、そういう意見ばかりでないというのも確かです。
 だからこそ出席議員さんたちも、建設的な議論をするというコトを念頭に置きながら意見を言うべきなんじゃないかと思います。
 どうも今日の部会のお話を聞く限り、反対議員さん達は条文を全然読んでないような「表現の自由が侵される」とか「裁判所よりつよい権限を持つのはどういうことか」というような意見が目立っていたようですし、賛成議員さん達も「今現実に差別に泣いている人がいるんだからすぐになんとかしなければ」とか「もう20年もこの議論をしているんだ」とか情に訴えるような意見が目立っていたようです。
 これでは議論になんかなりません。
 やえがずっと解説していますように、言論の自由が侵されるコトは条文をシッカリと読めば明らかですし、情だけで国政を動かせないというのは議員なら分かっているハズのコトです。
 この辺は、反対しか日本語を知らない野党議員ではないのですから、責任ある与党議員なのですから、意見がクロスするような、建設的な議論を目指して発言するべきだと、僭越ながらやえは議員さん達に対して思うのです。
 
 
 長くなりましたし、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
 今日でまた新たな変更点がありましたし、またやえ自身が見つけた新しい点とかもありますので、その辺はまた後日詳しくやっていきたいと思います。
 とりあえず今日は、次の部会が開催されるコトを願って、筆を置きます。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、建設的議論を応援しています。
 

平成17年3月22日

 人権擁護法案(1)

 
 さて。
 今まで、自民党で行われた人権擁護法案についての議論をご紹介してきました。
 その様子のお話をいろいろと伺いまして、やえ自身、とても勉強になりましたし、新しい発見とか、問題点とかいろいろと気づかされました。
 
 というワケで、ここでひとつ、やえ自身の考え方を提示しておきたいと思います。
 ハッキリ言いまして、「なにがなんでもハンターイ」とは、この法案に対してやえは思えませんので、整理しておく必要があると思うからです。
 
 では、良く取り扱われる問題をいくつか挙げてみましょう。
 
 ・「人権」と「侵害」の定義があいまいである
 ・人権委員の選定方法
 ・人権委員会の権力が大きすぎる(令状無しで捜査できる等)
 ・人権擁護委員の存在と選定方法(国籍条項など)
 ・メディア条項
 ・総論(同法律の意義)
 
 これぐらいでしょうか。
 ひとつひとつ見ていきましょう。
 
 
 ・「人権」と「侵害」の定義があいまいである
 
 この法案を語る際、よく言われるコトとして、『まっとうな批判すらも「人権侵害」の声によって消されてしまう。ネットなんてすぐに潰されてしまうんだー』という意見があります。
 特にネットでは、そんな風潮が比較的強いですよね。
 しかし、この点については今までも何度か言ってきましたが、やえはそんな風には全然思いません。
 拡大解釈しはじめても、それは全然キリがなくなりますしね。
 全くの中傷目的の書き込みとか、なんら根拠を示していないような誹謗意見については、当然のコトながら、してはならないコトですから、規制するのは妥当な話でしょう。
 『差別について明確な定義をすべき』という意見もありますが、現実的な話、この手の話を定義できるかどうかを考えたら、それはちょっと難しいのではないかと思います。
 そもそも「明確な定義」をしようとしたら、『この言葉は使ってはいけない』とか、そんな風になってしまいますから、逆に「明確な定義」こそが言葉狩りを生むような気がします。
 自民党法務部会での法務省側からの説明でも、歴史的な問題でありますとか、議論中の問題ですとかは、それはこの法律からして人権侵害と当たらないと、ハッキリと明言されていましたから、ネットの一部の過剰な反応、『外国人参政権付与法案反対と言うだけで人権侵害にされる』とかいったような意見は杞憂だと思います。
 さすがにそこまで言い出したら、どんな法律だって拡大解釈できてしまうのですから、それは過剰反応でしょう。
 現行だって、人権侵害は違法なんですしね。
 ですから、明確な定義も不要だと思っています。
 もうサヨクの支配するおこちゃま戦後民主主義の時代は終わったのですから、正当な議論を弾圧することは不可能でしょう。
 『ちびくろサンボ』も復刊するらしいですしね。
 
 『この法律があったら、意見を言うのも萎縮してしまい、議論がむずかしくなる』という意見もあるみたいですが、しかし、心に迷いがある程度の意見なら、公の場ですべきではないと思います。
 前にも言いましたように、当サイトが「人権侵害」だと非難され、もし逮捕拘禁されるようなコトがあったとしても、やえは堂々と思想犯として捕まりますよ。
 チラシの裏に日記を書くのではなく、公の場で意見を言うのですから、「自分の意見は人権目的ではない」と、ハッキリと意志を持って意見を言うべきなのではないでしょうか。
 
 なにをもって「差別」とするか。
 これは、様々な議論の中で考えていくべき問題であり、逆に定義するコトの方が、新たな問題を生むのではないかと思います。
 
 
 ・人権委員の選定方法
 
 やえはずっと勘違いしていたのですが、「人権委員」と「人権擁護委員」は別モノなんですね。
 今までごっちゃにして考えていましたので、国籍条項ですとか、議会の承認が不要とかですとか、両方に当てはめて考えてしまっていました。
 というワケで、一回整理です。
 
 この法律によって、人権委員会というひとつの組織が出来るとイメージしましょう。
 その中で、この組織の意志を決定する人というのは、「人権委員」さんです。
 人権委員の定数は5人です。
 そのうち一人は「委員長」として、一番上に立つコトになります。
 この組織『人権委員会』は、この5人だけが、意志を決定する権限を持っています
 あとの人間は、自らの判断を行ってはいけません。
 人権委員が決定したコトを、粛々と遂行するだけです。
 
 この組織には、事務局が置かれるコトになります。
 事務的な仕事は事務局の事務員さんが行うコトになるワケですね。
 で、中央にだけ事務局があっても仕事がおいつきませんから、当然各地方にも事務局を置くコトになります。
 支部ですね。
 そして、これら事務局には、必ず弁護士を置いておかなければならないコトになっています。
 
 そして、事務局とは別に、各都道府県に「人権擁護委員」という人たちが配置されるコトになります。
 この人権擁護委員さんというのは、人権委員さんとは違いまして、人権委員会としての意志の決定は出来ません
 例えば、「この人は人権侵害をしたから氏名の公開をしよう」という決定は、人権委員が行うモノであって、人権擁護委員だけの判断では出来ません
 この辺は後で詳しく書きます。
 
 イメージとしてはこんな感じです。
 よってこの法律による最も大きなポイントは、この「人権委員会」です。
 全ての権限や行動は、人権委員の5人によって行われると言っても過言ではないでしょう。
 
 では、人権委員の選定方法についてです。
 まずは条文をご覧下さい。

 第9条
 委員長及び委員は、人格が高潔で人権に関して高い識見を有する者であって、法律又は社会に関する学識経験のあるもののうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する。

 ここでのポイントは、「衆参両議院の同意」が必要であるというコトと、「内閣総理大臣が任命する」というコトです。
 ハッキリ言いまして、これ以上“厳しい”条件は無いと言えるでしょう。
 どこかで「小泉さん(総理大臣)が信用できないのだから、この法律が大丈夫なんて言えない」なんて言っていたのを見たコトがありますが、こんなコト言い出したらキリがありません。
 現在の日本は民主主義であり、法治国家でありますから、法律によって選挙によって議会と総理大臣を決めるシステムになっている以上、それは「国民の意思によって結果が決まっている」というコトになるのです。
 いくら自分が認めないと言ったところで、システム的に国家的にそうなっていますから、それを否定するコトは、日本の民主主義を否定するコトに他ならず、もしそうしたいのであれば、後はクーデターとか革命とかをするしかありません。
 そんな国民の意思によって決められている議会と首相が同意し任命する以上、人権委員には民意が反映されていると言えるワケですし、言うしかありませんし、だからこそ不適切な人選が行われるとは思えません。
 むしろここで不適切な人事が行われたとしたら、そんな人選をした議会や総理の責任であり、そしてそれを選択した国民の責任であるのです
 
 総理であれ、政治家であれ、国民が選んだ結果というコトを忘れてはいけません。
 民主主義の最も基本的なルールは、全ての最終的な責任は、全ての国民にあるというところなのです。
 
 よく引き合いにされるのですが、公正取引委員会という組織が、この人権委員会に近い色合いを持っています。
 公正取引委員会の委員も、議会の同意のもと、首相が任命をするコトになっています。
 それから、これは調べている時に初めて知ったのですが、公正取引委員会の委員長は、天皇が認証するコトにもなっています。
 いわゆる「認証官」であり、公正取引委員会委員長は国務大臣や副大臣クラスなんですね。
 人権委員会委員長は、天皇の認証を必要とするという条文はないのですが、しかし委員会の独立性の威厳を持たせるためにも、天皇の認証を必要とするようにしてもいいんじゃないかと思います。
 
 以上のコトから、人権委員の選定には、全く問題はないと判断します。
 人権の定義についても、人権委員が、議会が同意し首相が任命している人物である以上、法や常識に照らし合わした“妥当”な判断が下されると見るべきでしょう。
 それは日本の民主主義制度において、民意が反映されていると見なされるシステムになっているからです。
 もし、この人権委員の選定方法に異議を唱えるのであれば、公正取引委員会の委員の選定方法にも同じように異議を唱えなければ矛盾するコトになります。
 
 ですから、唯一やえが注文をつけるのであれば、天皇による認証をすべきである、という点でしょうか。
 
 
 ・人権委員会の権力が大きすぎる(令状無しで捜査できる等)
 
 人権委員会が捜査をできるとされている根拠となっているのは、以下の条文です。

 第44条
 人権委員会は、第四十二条第一項第一号から第三号までに規定する人権侵害(略)又は前条に規定する行為(略)に係る事件について必要な調査をするため、次に掲げる処分をすることができる。
  1  事件の関係者に出頭を求め、質問すること。
  2  当該人権侵害等に関係のある文書その他の物件の所持人に対し、その提出を求め、又は提出された文書その他の物件を留め置くこと。
  3  当該人権侵害等が現に行われ、又は行われた疑いがあると認める場所に立ち入り、文書その他の物件を検査し、又は関係者に質問すること。

 それから、加害者の氏名等を公開するという措置も存在します。

 第61条 人権委員会は、前条第一項の規定による勧告をした場合において、当該勧告を受けた者がこれに従わないときは、その旨及び当該勧告の内容を公表することができる。

 これらの行為が、裁判を経ず、また裁判所による令状無しで行えるコトに対して、それは違憲なのではないかという意見が続出しているワケですね。
 
 しかし、裁判を経ずして、氏名等の公開をする罰というのは、現状でも存在します。
 それは、行政が行う罰でして、一般的に「行政罰」と呼ばれるモノです。
 例えば、先ほど挙げました、公正取引委員会の独占禁止法とかですね、あと国交省が行う工事等の指名停止処分というのも、ワリと耳にするのではないでしょうか。
 人権委員会の名の下に行う上記のような罰は、それらと同様の行政罰ですので、令状を必要としないのは憲法違反ではないか、という意見には当てはまらないと考えるべきでしょう。
 
 ちなみに、公正取引委員会も同じような職権を持っています。

 第46条
 公正取引委員会は、事件について必要な調査をするため、次の各号に掲げる処分をすることができる。
 1.事件関係人又は参考人に出頭を命じて審訊し、又はこれらの者から意見若しくは報告を徴すること
 2.鑑定人に出頭を命じて鑑定させること
 3.帳簿書類その他の物件の所持者に対し、当該物件の提出を命じ、又は提出物件を留めて置くこと
 4.事件関係人の営業所その他必要な場所に立ち入り、業務及び財産の状況、帳簿書類その他の物件を検査すること

 ただし、令状無しでこのような行為が許されるのかどうか、という議論は、もちろん存在していいと思います。
 告発は公取や人権委員会が行い、その後警察や検察によって裁判所から令状を取り、警察の主導の元、各委員の立ち会いの元で捜査する、という形を取るようにするべきではないのか、とも思わなくもありません。
 しかしこの場合は、かなり広範囲な「一般論」であり、人権擁護法案個別の議論とはならないでしょう。
 独占禁止法も同じ条文があるワケですし、もしこの議論を行うのであれば、いったん人権法とは切り離した、別議論が必要になると思います。
 
 
 
 さて、ここだけでずいぶん長くなりましたから、いったんここで切ります。
 次回は、この法案の最大のキモ、人権擁護委員についてのお話をしたいと思います。
 

平成17年3月23日

 人権擁護法案(2)


 ・人権擁護委員の存在と選定方法(国籍条項など)
 
 さて、最もやえが問題視しているのはココです。
 
 人権委員会のところでも述べましたように、人権委員と人権擁護委員は全くの別モノでして、人権委員は、この法律の代行者であり、唯一の意志決定者であるのですが、人権擁護委員というのは、意志の決定は行わず、人権の啓蒙活動や相談などを主な職責とします
 

 第28条
 人権擁護委員の職務は、次のとおりとする。
  1 人権尊重の理念を普及させ、及びそれに関する理解を深めるための啓発活動を行うこと。
  2 民間における人権擁護運動の推進に努めること。
  3 人権に関する相談に応ずること。
  4 人権侵害に関する情報を収集し、人権委員会に報告すること。
  5 第三十九条及び第四十一条の定めるところにより、人権侵害に関する調査及び人権侵害による被害の救済又は予防を図るための活動を行うこと。
  6 その他人権の擁護に努めること。

  正直、擁護委員というのはどういう位置づけで考えればいいのか、人権委員の補助的な役割とすべきなのか、それとも地方事務局の実行部隊と考えればいいのか、ちょっと分かりづらいところです。
 しかし、ひとつ確実なコトは、その選定方法に大きな疑問があるというコトです。

 第22条
 人権擁護委員は、人権委員会が委嘱する。
 2  前項の人権委員会の委嘱は、市町村長が推薦した者のうちから、当該市町村を包括する都道府県の区域内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、行わなければならない。
 3  市町村長は、人権委員会に対し、当該市町村の住民で、人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者及び弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから、当該市町村の議会の意見を聴いて、人権擁護委員の候補者を推薦しなければならない。
 4  人権委員会は、市町村長が推薦した候補者が人権擁護委員として適当でないと認めるときは、当該市町村長に対し、相当の期間を定めて、更に他の候補者を推薦すべきことを求めることができる。
 5  前項の場合において、市町村長が同項の期間内に他の候補者を推薦しないときは、人権委員会は、第二項の規定にかかわらず、第三項に規定する者のうちから、当該市町村を包括する都道府県の区域内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、人権擁護委員を委嘱することができる。

 人権擁護委員は、人権委員会の名の下に決定されるコトになっています。
 そしてその擁護委員は、「人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者」であり、同時に「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員」である人のうちから、「当該市町村の議会の意見を聴い」た後に、「市町村長が推薦」し、「弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて」、人権委員が擁護委員を決定するコトになっています。
 つまり、人権擁護委員の選定においては、この5つの条件が必要であるというワケになります。
 
 最初の「人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者」は分かります。
 人権委員にも同じ条文によって条件付けられていますね。
 また、「市町村長が推薦」もいいでしょう。
 「市町村長が任命」の方がいいとは思いますが、しかし擁護委員は人権委員の委嘱というコトになっていますから、擁護委員の最終的な責任は人権委員に帰属させる必要があるのでしょう。
 しかし、「当該市町村の議会の意見を聴く」と「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員」という点には疑問を持たざるを得ません。
 
 まず「当該市町村の議会の意見を聴く」とはなんなんでしょうか?
 「聴く」というのは、言い換えれば「何もしない」と同じコトです。
 だって、聴くだけ聴けばそれで条件クリアなんですから、例えば議会で反対意見が続出したとしても、別に「意見を聴いた」という点において問題がないワケですから、反対意見を選定時に反映させる必要は全く無いワケです。
 これではこの条文になんの意味があるのか分かりません。
 ですから、本来ならちゃんと「議会の同意を得る」と書くべきですし、もし市町村長と同じように最終的な責任は人権委員会に帰属するので議会の同意を得ると責任問題があやふやになるというのであれば、せめて「議会で多数決を取り、その結果と議論の内容を、人権委員会は最大限尊重する」ぐらいの条文を入れるべきではないかと思います。
 そうなれば、民意を反映させるコトになりますし、間違った人選もかなり少なくなるんじゃないかと思います。
 
 また、「弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて」という条文も、なぜここに入っているのか理解できません。
 議会と同じように「意見を聴いて」程度でとどめているコトはいるのですが、しかし擁護委員選定の手順からして、この弁護士会等の意見の方が後になっています。
 議会の意見を聴き、市町村長が推薦した人物に対して、その後弁護士会等から意見を聴いて、人権委員会が決定する、という順番です。
 つまり、議員や首長の意見を弁護士会が判断するという形であり、民意を代表している、選挙を経てその地位にいる議員や首長より、弁護士会等の意見の方が上であると、この条文ではなっているのです。
 最終判断をする人権委員会は衆参議会が議決し総理大臣が直接任命する、大臣などの認証官に近い存在ですからまだいいとしましても、しかし弁護士会というのは、いくら弁護士が国家資格を有する人間であるといっても、その団体は公的団体ではなく私的団体です。
 そんな私的団体が、なぜ最終決定をする人権委員会に最も近い位置で意見を述べるような形になっているのか、理解できません。
 これでは、議員や首長の意見を弁護士会が否定するコトも出来てしまうワケで、それは果たして民主主義のシステムとして妥当なのか、とても疑問です。
 
 そして、この法案の最大の疑問点である「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員から推薦する」という条文についてです。
 どうして人権擁護委員は必ず団体に属している人間からでないとなるコトが出来ないのか、合理的理由が全く分かりません
 人権擁護委員の上位に位置する人権委員には、このような「団体条項」は無いのに、なぜ擁護委員にだけこのような団体条項が存在するのでしょうか。
 
 この法案には、委員と名の付く役職が、人権委員や擁護委員の他にもあります。
 「人権調整委員」です。
 人権調整委員は、「人権侵害に係る事件について、調停又は仲裁の申請を受理し、調停委員会又は仲裁委員会を設けて、これに調停又は仲裁」する役割を負います。
 これは当事者同士の中に入って話をするという、非常に重要な役割を負っている委員です。
 ですから、当然、その委員の選定にも条件が課されています。

 第48条
 人権委員会に、その行う調停及び仲裁に参与させるため、人権調整委員を置く。
 2  人権調整委員は、人格が高潔であって、法律又は社会に関する学識経験のある者のうちから、人権委員会が任命する。

 調整委員には市町村長や議会の役割は全く無く、人権委員に一任されていると言ってもいいのですが、「団体条項」も存在しません。
 むしろ、職務の内容から、「弁護士資格を有する者」と規定する方がいいんじゃないかと思うのですが、やはり団体条項も全く必要ありませんよね。
 これを見ても、どうして擁護委員にだけ団体条項が必要なのか、どうしても理解できません。
 
 人権擁護委員の存在職務や選定においては、2つの矛盾した考え方が並立していると言えます。
 
 ・人権委員と違い、擁護委員は意志決定を有しないので、国籍条項も必要なく、議会の承認等も不要である
 ・重要な役割を負っているので、外部の有識者から専門家を特に招いて、就任してもらう
 
 つまり、「重要である」かつ「意志決定はしない(重要ではない)」という、矛盾している意見が混在してしまっているのです。
 だからこそ、この辺の条項がややこしいコトになっているのでしょう。
 
 よってハッキリさせるべきだとやえは思います。
 すなわち、「重要な役割を負うのだから、その選定には、できるだけ広範囲な民意を反映させるべきである」とするか、もしくは、「意志決定はしないのだから、わざわざ外部の人間を招く必要もなく専門の職員にまかせる」とするかです。
 前者については、先ほども述べましたよね。
 「市町村長の責任において推薦する者を、議会による多数決の結果と議論の中身を最大限尊重し、人権委員会はその名の下に擁護委員を選定し任命する」とするのが、最も分かりやすい、民主的な選定方法だと思います。
 もちろん、意味が全く分からない「団体条項」なんて不要です。
 ただし、やえは、後者の方法の方がスッキリすると思っています。
 
 これは先にも述べました「人権調整員」にも言えるのですが、何も外部の人間から嘱託させる必要は無いのではと思うのです。
 人権委員会というのは、公正取引委員会と同じレベルの、かなり独立性の高い団体です。
 公取も、その職員の採用には、中央省庁とも異なる、全く独自な方法にて行われています。
 ですから、人権委員の事務局もそのようになるのではと思うのですが、それだったらなおのコト、人権の啓発活動や人権に関する相談は、選任の専門職員が行えばいいのではないかと思うのです。
 そのために新しい国家資格を新設するのもいいでしょう。
 同じように、調整委員に関して、弁護士資格と同等の資格を持たせた方がいいんじゃないかとも思います。
 むしろこうした方が、人権の問題を解決する上で、迅速かつスムーズにコトが進むのではないでしょうか。
 
 団体に属している人間が入れば、どうしても団体の利益を考えてしまうのは、人間として当然のコトです。
 ですから、いっそのコト、人権委員会に属すればいいのです。
 擁護委員には「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体」レベルの専門知識が必要であるならば、それはそれで、それなりの国家資格を新設すればいいだけなのです。
 人権委員会は法務省に属しているとは言え、せっかく公取並のかなり高い独立性を保持しているのに、どうして弁護士会や人権団体だけを特別視し、影響下においてしまうようなコトをしてしまうのでしょうか
 言わば、公正取引委員会の中に、必ず商工会議所や経団連の意見を聴き、属する人間を入れなければならない、と言っているようなモノです。
 
 経済団体だって、進んで法律違反をしようとしているワケではなく、もちろん自由な競争による経済の発展を目的としている団体です。
 しかし時には、団体のための団体の利益だけを目的としたような活動をしてしまうコトもあるでしょう。
 そしてそれは人権団体だって同じコトが言えます。
 部落解放同盟はれっきとした人権団体ですが、解同が行ってきた活動には、かなり悪質な「人権侵害」があったことは事実です
 広島では、そのせいで何人もの人が自殺するような事態になりましたし、それに対して警察もマスコミも動けないぐらいの有様にまで一時はなってしまいました。
 また、弁護士会ですら、人権侵害とはほど遠いような事例を「人権侵害だ」と勧告書を出してしまっている体たらくですから、本当に独立性を保ち、どんなところからも公正公平な判断を下そうとするのであれば、このような団体条項など入れるべきではないハズです。
 
 どうしてこのような団体条項があるのか、全く理由が分かりません。
 
 そうそう、小タイトルにも入れているのに、今まで全然国籍条項について触れていなかったのですが、そもそもやえは、公務員には全て日本人がなるべきだと、外国人がなるべきではないと思っていますので、はじめから反対です。
 公務員もそうなんですが、現状での国籍条項の有無の基準は、「意志決定をする職務かどうか」です。
 つまり、人権委員は意志決定が職務なので国籍条項ありで、擁護委員は意志決定できない職務なので国籍条項は無し、というコトらしいのです。
 しかし職務がどうであれ、日本の公務員は日本のために働く人なのですから、日本人がなるべきだと思っています。
 「人権問題は、外国人に対するモノも多いし、外国人が多く住んでいる地域にとっては、外国人の擁護委員も必要である」というのが法務省の説明なのですが、しかし、いくら外国人が多い地域とは言ってもここは日本であり、あくまで「日本国内における外国人問題」であるのですから、やはり擁護委員でも日本人がなるべきなのではないでしょうか。
 もっと言えば、「外国人問題に詳しい日本人が」と言えばいいでしょうか。
 外国人は、文字通り外国の人であり、その人にとってどちらがメインの国かと言えば、それは外国であるのは当然の話で、となると、日本のために考えるのではなく、自国のために考えてしまう可能性も当然あるワケですから、むしろそれが「外国人」なのですから、「日本国が定める人権法」には適切ではないと言えるでしょう。
 よって、擁護委員にも、国籍条項があってしかるべきだとやえは思っています。
 
 以上のコトから、やえとしましては、人権擁護委員という存在そのものに疑問を感じています
 何度も繰り返しますが、擁護委員には、必ず外部の人間、しかも団体に属しておかなければならない理由が、さっぱり分かりません。
 納得するような理由を見たことがありません。
 どうしても外部の人間がしなければならない、つまりそれだけ重要な仕事であると言うのであれば、もっと民意を反映させるような選定方法にすべきだと思いますし、そうでないのなら、人権委員会としての独自の専門職員でもって啓蒙活動や相談業務を行うべきだと思います
 
 現状の条文は、最も中途半端であり、明確な説明も全く無い、かなりダメな条文だと言えるでしょう。
 
 
 まだまだ続きます。
 

平成17年3月24日

 人権擁護法案(3)


 擁護委員について最後にもう一点。
 
 擁護委員に対して、「すでに現行制度においても「擁護委員」というのが存在しているのだから、何の問題があるのか」という意見もあるようです。
 しかし、今回この法案を作るという点において、現行制度上と人権擁護法成立時とは全く違うのです。
 というか、違わなければ法律の意味がありませんよね。
 
 擁護委員に限らず、人権委員も、そして人権に関わる問題というのも、この法案が通れば、大きく現状から変わるコトでしょう。
 今までよりより迅速に的確に人権侵害について救済措置をとれるようになるワケです。
 これを、取り締まる側からのモノの言い方をすれば、「今までより権限が大きくなる」と言えるでしょう。
 となれば、当然擁護委員の権限というか、権威も、自動的に今までより格段に大きくなるのです。
 法による職務内容が例え現行と変わらなくても、その上に、強力な力を持った人権委員会が存在するという点において、擁護委員も現行とその権威が全く違うワケです。
 
 「現行制度においても擁護委員は存在するから問題ない」と言っている人は、ここの点を大きく見逃しています。
 
 例え権威が大きくなったとしても職務は変わらないのだから問題はないじゃないかと、言う人もいるかもしれません。
 しかし、現実世界というのはそんなに甘くないのです。
 いくら法による職務権限が限られているとは言え、人に与えるプレッシャーが大きいというコトだけで、人を動かせる力というのはかなり違ったモノになるのは言うまでもないコトです。
 
 これは、「擁護委員ももっと民意が反映される方法で選定されるべきである」という意見の根拠にもなるのですが、端的に言えば、「自分が意見すれば人権委員会でお前は差別者に認定されてしまうぞ」と擁護委員が言ってしまえば、権限が無くとも十分権力を行使していると同等の力を発揮しているコトになるワケです。
 なにを大げさなとか、それは極論だろと思われる方もいるかもしれませんが、どうもですね、やえはこの問題に関してだけは、人によってかなり意識の差が大きく開いているのではないかと感じています。
 
 やえが広島出身だからでしょうか。
 亀井郁夫先生が法務部会で広島の惨状を訴えていただいたおかげで、過去広島で何が起こったのか広く知られるようになりましたが、やはり最近話を聞いただけの人、知識だけでしか知らないような人からすれば、広島のそのお話を、「大げさに言っているだけなんじゃないか」とか「そんなコトなりはしない」とか、その程度にしか思えないというか、思ってないんだと思うんです。
 しかし、本当に広島の“惨状”を肌身に感じている人間からしましたら、部落解放同盟が「実権を握る」というコトがどれほどのコトなのか、身に染みて分かっているんですね。
 それはとても怖いと感じるのです。
 
 先ほども言いましたように、現行でも擁護委員が存在していますが、この法案が通れば、擁護委員の権威というのは格段に高くなります。
 そもそも国家公務員になるワケですから、現行の擁護委員と同じように考える方が間違っていると言えます。
 ですので、この法案が通った後に擁護委員になるというコトは、そしてそれに部落解放同盟の人間が加わるというコトは、行政の場に部落解放同盟が介入するというコトに他ならないワケです。

 広島の「解放教育」実態糾明
 
 「何か正しいのかわからない。管理能力はないのかも知れないが、自分の選ぶ道がどこにもない・・・。」以上の遺書を残して広島県立世羅高校の石川敏浩校長が自殺したのは、卒業式前日の二月二十八日でした。弔問した全解連の中野委員長に、遺族は「事件後いろいろな動きがあり、死の真相を明らかにしてくれるに違いないと期待しています。恨みを晴らしてくれるよう密かに願っています」と語ったということです。
 調査団は小・中・高の長会、尾三地区の校長会、高校のPTA連合会、そして世羅高校の保護者や地域住民、三次市の父母・圧民との懇談をおこない、調査を進めました。
 広島県立高校校長協会の岸元学会長は、三月十日の参議院予算委員会での参考人質疑で次のように証言しています。
 「石川校長は、二月二十四日から二十七日まで連日連夜八回にわたり、校内・校外で一日五時間もの会議交渉をもたれた。そのなかで、『あくまで国歌斉唱を実施するなら、従来三脚で掲揚されていた国旗も引き降ろす。授業の補修や駅伝の世話などの学校の運営に一切協力しない』と反対された」「昭和六十年の『八者合意』に関係団体とも連携という一節がある。関係団体とは部落解放同盟県連のことで、この連携の言葉が卒業式での解同県運の介入を許す結果をまねいた」 現地調査ではこの事実を確認。まさに学校現場には県教委の「日の丸・君が代」押しつけとともに、「解同」や教職員団体の横暴が吹き荒れ、この背景に県教委・「解同」を含む八者の合意があったのです。そして、調査のなかでさらに重大なことが明らかになりました。
 ▽高校では、県高教組、広同教、「解同」県連の三角同盟によって、校長も教員一人一人も身動きできない。この三角同盟に楯つけば、教育委員会が後ろから鉄砲を撃つような状況になっている
 ▽職員会議でも誰がどんな発言をしたか、「解同」に報告される仕組みになっている。三角同盟の見解と違う意見を言ったら最後、この教員は糾弾される
 ▽新任の校長は、高教組分会との間で「人事協定」を結ぶ習慣になっており、「解同」の介入を公認するものになっている。県教委もこれを是認してきた。
 ▽広同教には、学校単位で加盟しているため、校長も会員ということになっている。年度末ごとに「同和教育の総括」を求められ、三角同盟から吊し上げられるのを恐れている
 今回の悲劇は、「解同」に屈服して県・県教委自身もその構図のなかに身を置き、楯つく教員に後から鉄砲を撃ちかけてきた八者合意の犯罪性をまざまざと示しています。

 ちょっと長くなってしまって申し訳ないのですが、引用させていただきました。
 当時日本中を震撼させた広島世羅高校の校長の自殺ですが、一般的には、国旗掲揚国歌斉唱の考え方に対する校長と教職員組合との対立の末起こってしまった悲劇だと認識されガチです。
 しかしこの記事を読んでもらえれば分かると思いますが、問題はそんな単純なモノではなかったのです。
 解放同盟が教育の場に入り、「人権」の盾を持って自らの批判を封じ、また糾弾会という強力な武器もチラつかせながら、自らの主張を教育を通して多くの人間に押しつけていったのです
 そして全てから板挟みになってしまった校長先生は、もはや自殺という道しか選べなくなってしまったのでしょう…。
 
 なぜこんな暴挙が許されてしまったのでしょうか。
 普通ならあり得ない話です。
 広島は、原爆のせいで、サヨク反戦平和運動がウヨウヨしているところだと思われているので、広島の解同が強いのもそのせいだと、広島の教育が滅茶苦茶になったのも広島という地が特殊な地であったせいだと思われているのかもしれませんが、しかし決してそんな抽象的な理由だけではないのです。
 解同が教育の場に入ってきたのには、明確な理由があったのです。
 その理由が「八者合意」です。
 この文章によって、部落解放同盟は「合法的」に、広島の教育に介入できたのです。

 八者懇談会合意文書
 「広島県における学校教育の安定と充実のために」
 全日、本県学校教育の安定と充実は、すべての県民の願いである。これに応えるために、教育に係わるわれわれは、お互いにそれぞれの立場の尊重と相互信頼の上に立ち、教育基本法第10条の精神である教育の中立性を尊重し、次のことを基本に置いて、更に教育の健全化のために、それぞれの役割を尽くすものとする。
(1)教育の質的向上と青少年の健全育成のため、教育関係者は学校教育問題協議会(三者懇)の場などを通じて、懸命に努力し、関係書はこれに協力する。
(2)学校においては、子供の教育を基本に置いて、校長をはじめ教職員が一体となって努力し、民主的で秩序ある学校態勢ガ確立されるよう努める。あわせて、父母、地域社会の意見を謙虚に聞き、学校の運営に全力をつくす。
(3)われわれは、教育諸条件の整備を一体となって進め、適切な教育環境づくりに努める。
(4)同和教育の推進に、われわれは一致して努力する。差別事件の解決に当たっては、関係団体とも連携し、学校及び教育行政において、誠意をもって主体的にて取り組み、早期解決に努める。また、激発する差別事件の現実に鑑み、社会啓発に全力をあげる。
(5)全国的に見られる生徒の自殺事件、いじめなど人間疎外の状況、校内暴力など荒れの現象、更に喫煙、シンナーなどに見られる自暴自棄の現象については、その緊急性と重要性に鑑み、本県における教育健全化対策の重要な課題として位置づけ、生命・人権の尊重と主体的な生き方の確立を目指して、積極的に取り組む。
(6)今後、われわれは、適宣話し合いの機会を持ち、相互理解と意志の疎通に努め、本県教育の推進のために努力する。
 昭和60年9月17日
 広島県知事 広島県議会議長 広島県教育委員会教育長 部落解放同盟広島県連合会 広島県教職員組合 広島県高等学校教職員組合 広島県同和教育研究協議会 広島県高等学校同和教育推進協議会

 これが広島の惨状なのです。
 たった一枚の紙切れ、法根拠も全く無いような、こんな合意文書一枚で、広島の教育は滅茶苦茶にされたのです
 もちろん、八者合意によってもたらされた事件や悲劇は、これだけではありません。
 詳しくはこちらからお調べいただければと思いますが、このように、解同が“実権”を握ればどうなるのか、ちょっと広島の事情を知っていれば、それはとてもおそろしいコトになってしまうのだと簡単に予測できるのです。
 このような実例がたくさんあるのに、それでも今まで以上の権力を渡しても大丈夫だと言えるのでしょうか
 やえにはどうしても言えません。
 これは予想でも想像でもなんでもなく、過去に実際にあったコトなのです。
 
 解同とかこの手の話にどうもリアリティを感じない人が多いみたいですが、しかしこれは現実の話です
 特に東の方の出身の人はさらに理解しにくいようですが、実際に起こった、起こっている問題なのです。
 分からないからといって、おざなりにしないでください。
 知らないからといって、無かったかのような話しぶりをしないで下さい
 どうぞこういう現実を理解して欲しいと思います。
 
 
 
 
  ※ 人権擁護委員は国家公務員になる
 
 あまり知られていないようなので注釈を入れておきます。
 人権委員は特別職の国家公務員、人権擁護委員と人権調整委員は一般職の国家公務員という身分になります。
 念のため法務省に問い合わせたので間違いありません。
 法案上の「総理大臣の任命」や「人権委員会の嘱託」という条文が、公務員になるという理由になるんだそうです。
 よって、人権擁護法案に明記されていなくても、擁護委員は公務員法によって守秘義務とかが課せられるコトになります。
 もちろん退職後も一生その義務は負うコトになります。
 
 ちなみに、特別職の国家公務員とは、国会議員や各大臣また公設秘書などがそれに当たります。
 特別職の公務員は、公務員法第2条の5により「この法律の規定は、この法律の改正法律により、別段の定がなされない限り、特別職に属する職には、これを適用しない。」となっています。
 つまり、特別職の公務員には公務員法は規定されないコトになっているんですね。
 例えば、公務員法には公務員は「国民全体の奉仕者」であると定義づけられているのですが、国会議員やその秘書は政党などに属して活動するワケですから、必ずしも「国民全体」に奉仕するとは限らないコトになるワケです。
 しかし国会議員も秘書さんも、特別職ですから、公務員法は適用されないので、全体の奉仕者として働く必要は無い、と言えるワケです。
 
 擁護委員には守秘義務の条文がないという批判もあるみたいですが、守秘義務に関しても、一般職の公務員である擁護委員には、人権擁護法に特に明記しなくても公務員法によってそれが課せられているコトになるのです。
 一方、人権委員は特別職なので、公務員法によってはそれが課せられていません。
 そういうコトから、人権委員には人権擁護法によって特に明記されているのでしょう。
 政治活動の制限も同様で、公務員法では政治活動を禁止していますから、擁護委員は一切の政治活動は禁止されています。
 もちろん国公立の教職員なども一般職の公務員であり、政治活動は禁止されていますから、ビラ配りなども当然禁止です。
 しかし人権委員は特別職ですから、人権法によって禁止を明記しているのだと思われます。
 この条文は、同じ特別職の公務員である裁判官と同等の条文になっています。


 

平成17年3月28日

 人権擁護法案(4)


 ・メディア条項
 
 今回はマスコミがこの法案についてほとんど騒がないのですが、それも、このメディア条項が「凍結」されているからです。
 いつもいつもメディアに対してほんのわずかでも「規制」というモノがかかろうとするならば、テレビ新聞をはじめ、雑誌から広告から全てのメディアは、世論を全く無視した大反対キャンペーンを始めるので、永田町の方もなかなかメディア規制に関しては及び腰のようです。
 しかし、最近のメディアの暴走ぶりは目に余るモノもありますので、おほっておくコトも出来ない。
 そんな妥協の産物と言っていいでしょう、メディア条項を含めるけど、しばらくは凍結するという、なんとも中途半端な措置に、今なっているワケです。
 
 ではまず、そのメディア条項を見てみましょう。

 四  放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関又は報道機関の報道若しくはその取材の業務に従事する者(次項において「報道機関等」という。)がする次に掲げる人権侵害
 イ  特定の者を次に掲げる者であるとして報道するに当たり、その者の私生活に関する事実をみだりに報道し、その者の名誉又は生活の平穏を著しく害すること。
 (1)  犯罪行為(刑罰法令に触れる行為をいう。以下この号において同じ。)により被害を受けた者
 (2)  犯罪行為を行った少年
 (3)  犯罪行為により被害を受けた者又は犯罪行為を行った者の配偶者、直系若しくは同居の親族又は兄弟姉妹
 ロ  特定の者をイに掲げる者であるとして取材するに当たり、その者が取材を拒んでいるにもかかわらず、その者に対し、次のいずれかに該当する行為を継続的に又は反復して行い、その者の生活の平穏を著しく害すること。
 (1)  つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所の付近において見張りをし、又はこれらの場所に押し掛けること。
 (2)  電話をかけ、又はファクシミリ装置を用いて送信すること。
 
 五  前各号に規定する人権侵害に準ずる人権侵害であって、その被害者の置かれている状況等にかんがみ、当該被害者が自らその排除又は被害の回復のための適切な措置を執ることが困難であると認められるもの
 2  人権委員会は、前項第四号に規定する人権侵害について、調査を行い、又は同項に規定する措置を講ずるに当たっては、報道機関等の報道又は取材の自由その他の表現の自由の保障に十分に配慮するとともに、報道機関等による自主的な解決に向けた取組を尊重しなければならない。(差別助長行為等に対する救済措置)

 禁止事項を書き出しますと
 
 ・犯罪被害者や犯罪を犯した少年に対し、私生活に関する事実をみだりに報道し、その者の名誉又は生活の平穏を著しく害すること
 ・犯罪被害者や犯罪を犯した少年に対し、取材を拒んでいるにもかかわらず、つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校などで見張りをしたり押し掛けることや、電話をかけ、又はファクシミリ装置を用いて送信することを、継続的に又は反復して行うこと
 
 です。
 ハッキリ言って、どれも真っ当なコトしか書いて無いですよね。
 どれも、現行法でも十分犯罪となりうるような行為ばかりです。
 どうしてこれを禁止してはいけないとめでめでメディアが言っているのか、全く分かりません。
 
 この禁止項目は、犯罪者本人に対しての禁止事項ではなく、被害者に対して、私生活を報じたり、つきまとい行為をしてはいけないと書いてあるだけです。
 もしくは、少年法下の未成年に対してですね。
 つまり、この条項に反対するというコトは、これらの項目をメディアは「する」と言っているようなモノなのではないでしょうか。
 だからこそ、「禁止されては困る」とメディアは言っているワケですよね。
 そして今でもメディアは、住居や勤め先に、見張りをしたり押し掛けたり、電話をしまくったりという、ストーカーまがいなコトをやっているというコトなのでしょう。
 
 犯罪被害者は、本人になんの落ち度もないのに、たまたま事件に巻き込まれただけの人です。
 その上、理不尽にも犯罪によって不利益を被ったのに、さらに報道によっても迷惑をかけられてしまうというのは、言わば二重に人権を侵害されているコトになっていると言えるでしょう。
 このような事態は、この法案で最も守らなければならない事案のハズです。
 どうして凍結などする必要があるのでしょうか。
 
 この条項は、犯罪まがいな行為を禁止しているだけですから、なんら問題はありません。
 「報道の自由を妨げるとか」「報道活動を萎縮されるようなコトになるとか」言ってますが、犯罪行為を禁止するコトで守られなくなるような自由程度でしたら、そんなモノいりません
 この条項を凍結なんてコトをするというコト自体が人権侵害です。
 この法案を通すのであれば、即刻凍結を解除して公布すべきだと思います。
 
 
 
 
 ・総論(同法律の意義)
 
 では最後に、全体的な感想などを述べてみたいと思います。
 やえは常々言ってますが、「人権を守るための法律」には反対いたしません。
 正直、なんでもかんでも言葉で縛る「人権」という言葉は嫌いなのですが、現代の世界においてはそうも言っていられませんから、それを尊重させるような法律は、現代国家においては必要不可欠と言わざるを得ないでしょう。
 ですから、このような法律には反対はしません。
 
 ただしこの法案は、今まで書きました点において、多くの問題がありますし、また新たな人権侵害を生みかねないと思われますので、このままでの法案には反対しているワケです。
 
 問題は以上に挙げてきたモノだけではありません。
 例えば、これは法務省がハッキリと明言しているコトなのですが、人権委員会による人権侵害は人権擁護法では適用されないコトになっているのです。
 つまり、人権委員会が間違った指導等をしてしまった場合、その救済には国家賠償法による通常の賠償請求しか出来ないコトになっているんだそうです。
 しかし通常の裁判による名誉回復や賠償などは、人権問題においても現行制度で出来るワケで、その上で「迅速に問題解決をはかろう」というのがこの法案の趣旨なのですから、人権委員の人権侵害には法律の適用外というのは、これは矛盾以外何者でもないワケです。
 メディア条項もそうなのですが、人権侵害という問題を、特定の人間や団体が行うモノについては人権侵害ではないと言ってしまうのは、それは「人間は平等である」という最も基本的な人権を無視しているコトに他なりません。
 このような大きな矛盾を今の法案にははらんでいるのです。
 
 
 人権というモノが、明確な定義付けが出来ないようなモノである以上、もちろんこれはどんな法律にも言えるワケですが、良法になるか悪法になるかは運用にかかっていると言えるでしょう。
 だからこそ、と言うべきなのでしょうか、人権委員に関しては、かなり民意を反映できるシステムになっています。
 そして、人権委員会の活動について、国会に報告する義務も課せられていますので、これを国民からシッカリと監視するという気持ちで注目していく必要があるでしょう。
 人権という問題は、時代などによってもいろいろと考え方が変わってくる問題ですから、常に国民的な議論をもって、それが侵害であるかどうかというコトを考えなければならないのです。
 そういう意味で、今回の法案について、人権擁護委員には大きな疑問が残っていますし、メディア条項も問題アリですし、人権委員会の人権侵害もこの法によって迅速に救済すべきでしょう。
 
 この法律が正しく運用されると、このような行き過ぎた人権運動も抑制されるようになると思います。
 いくら私的団体が勧告書を出したところで、人権委員会では人権侵害にあたらないとハッキリしてくれるのですから、それが続けば私的団体の方も自らの権威が下がるような軽率なマネはしなくなるでしょう。
 むしろ、こうなってこそ、この法律が正しく運用されていると言えるようになるんだと思います。
 
 以上、これらのような疑問点が解決されるようでしたら、人権擁護法が施行されても問題ないと思っています。
 後は、国民からのシッカリとした監視の目を続けるコトで、よりよい法律になっていくと思います。
 この法律によって差別が少しでも減れば言うコトないですから、そうなるよう良い法律にしたいですね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、良い議論が行われ、良い法律になることを望んでいます。
 

平成17年4月11日

 人権擁護法案修正案について1


 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 いろいろと書くところ、ツッコむところが多すぎて、どこから書けばいいのか分からないような状況だったりするんですが、とりあえずツッコミやすいところからゆっくりやっていきたいとおもいます。
 
 先日お伝えしましたように、この前の自民党の法務部会で、今まで出されていた人権擁護法案の修正案が法務省から提示されました。
 で、法務省として、今までの部会で出された疑問点の中から特に7項目に注目して、それに回答、もしくは法案修正という形をとってきまして、前回の更新でもその7点をご紹介しましたが、この7点は修正案を語る上でとても重要になってきますから、もう一度挙げておきたいと思います。
 
 1.国籍条項
 2.人権擁護委員の推薦に対する団体要項
 3.人権侵害というモノの定義があいまいであるというコト
 4.不当に人権侵害だと訴えられた人に対する保護が不十分というコト
 5.人権委員会の運営や判断を裁判手続き並みにもっと透明化させるべきだというコト
 6.令状無しに捜査・差し押さえが出来るのではないかというコト
 7.擁護委員の政治的中立性の確保について
 
 前回の更新では、法務省の説明だけを述べましたので、今回はやえの考えを踏まえていくつか述べていきたいと思います。
 
 まず、1は保留なので保留です。
 この点については前も国籍条項を設けるべきだと述べましたので、是非そのような方向になるように願っています。
 
 7についても、これも言うまでもないコトでして、国家公務員になる時点で公務員法によって規定されますので、政治的中立は確保されています
 これ以上望むべくもないコトになっていますから、今更意見はありません。
 
 6についてはワリと微妙なのですが、しかし人権委員会だけで強制的な何かを出来るというワケではないので、これも文句がつけられないんじゃないかと思っています。
 前回もお伝えしましたように、人権委員会で出来る調査は全て任意であり、それに対して「正当な理由もなく拒んだ者」には「裁判所を通じて過料を課すことが出来る」となっているだけですから、令状主義にも反しませんし、「人権委員会だけで差し押さえが出来る」とは言い難いでしょう。
 もちろん裁判所に言えば人権委員会の主張はほとんど突き返されるコトなく強制捜査できるようになるのでしょうが、しかしこれは、今の警察と裁判所の関係においても同様であり、裁判の結果無罪になるコトはあっても、その前の段階での捜査令状や逮捕令状を出すコトに関してを裁判所が拒否するというコトはほとんどないのが現状ですよね。
 となれば、この人権法案が現状を逸脱しているとは言えないワケでして、だからこれ以上はなかなか批判は出来ないのではないでしょうか。
 もし、現状のシステムが間違っていると言うのであれば、それは人権法案の問題ではなく、令状の出し方そのものの問題となりますので、別議論が必要になるでしょうしね。
 
 
 さて。
 今回の改正案で最も歓迎すべき点は、2の団体条項の削除です。
 今までの人権擁護法案にはこのような条文がありました。

 第 二十二条 人権擁護委員は、人権委員会が委嘱する。
 3  市町村長は、人権委員会に対し、当該市町村の住民で、人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者及び弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから、当該市町村の議会の意見を聴いて、人権擁護委員の候補者を推薦しなければならない。

 太字にしたところに注目なのですが、つまり今までの法案では、人権擁護委員になるためには人権関係の団体の構成員でなければならなかったのです。
 しかし、なぜ団体の構成員でなければならないのか、その合理的理由が全く分からず、しかも、この条件というのはまさに部落解放同盟がこの条項にピッタリ当てはまるワケでして、解同が行政の中に入ればどのような惨事が待っているのか、広島の例を見れば火を見るよりも明らかなのですから、当然のように大反対が起きていたのです。
 また法務省も、この条項に関しては明確な説明をしてこなかったのも、反対の声が大きくなった一因でしょう。
 人権委員に関してはこのような条項は無く、擁護委員にだけ団体条項があるというのも、不可思議な点でした。
 ここまで条件がそろうと、どうしても、解同を入れるためにこのような条項を作ったのではと、疑ってしまうのも無理もない話だったと思います
 
 そんな経緯がありまして、この度の修正案で、めでたくこの条項が削除されました。
 法務省が提示した、修正案での条文は次のようになっています。

 (委嘱)
 第二十二条 1・2 (略)
 3 市町村長は、人権委員会に対し、当該市町村の住民で、人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者のうちから、当該市町村の議会の意見を聴いて、人権擁護委員の候補者を推薦しなければならない。

 綺麗に団体条項は削除されています。
 一応これでこの部分に関しては問題なくなったと言えるのですが、以前やえが主張しました「議会の意見を聴いて」という部分についてはなにも変わっていないのがちょっと残念です。
 というのも、「聴いて」という書き方だけなら、反対意見が大勢を占めていたとしても、聴くだけ聴いているので、意見が反映されていなくてもこの項目はクリアされていると、取ろうと思えば出来るのです。
 ですから、せめて「議会の意見に最大限配慮し」とか、それぐらいに書き換えてほしいと思っていたのです。
 しかし残念ながら変更無しでした。
 ま、まだこれは法務省が提示しているだけで、提出法案自体は修正されていませんので、しかもこの修正案が自民党で了承されたワケでもありませんし、最後まで期待を持っておきましょう。
 
 これらをクリアすれば、これ関係の条文には全く問題が無くなったかと思えるのですが、しかしやえはもう一つ敢えて言いたいところがあります。
 この擁護委員の選定についての第二十二条の7つの条文と第二十三条ですが、その条文を読めば、いろいろなところにこんな文章が出てきます。
 
 「弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて」
 
 一私的団体でしかない弁護士会が、なぜ法律文に出てくるほど強い権限を持たなければならないのか、それはちょっと理不尽ではないでしょうか。
 特に第二十二条の2は、このように記されています。

 前項の人権委員会の委嘱は、市町村長が推薦した者のうちから、当該市町村を包括する都道府県の区域内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、行わなければならない。

 この条文通り擁護委員の選定を行えば、まず市町村長が推薦した人間を、その後弁護士会がその人物の人柄を見て、意見を述べてから、人権委員会に挙げるという手順となります。
 これは明らかにおかしいワケです。
 いくら聴くだけでかまわないという「聴いて」という条文であろうと、なぜ民意の代表である市町村長が決めた人間を、ただの一私的団体程度が意見を述べる権利を有しているのか、これでは民主主義の否定につながりかねません
 市町村長が決めたのですから、それに口出しできる人間はいないと言っても過言ではないでしょう。
 強いて言うなら、大臣か総理大臣ぐらいでしょうか。
 
 弁護士会はただでさえ絶対に安心できる団体とは言い難いところがあります。
 一般的には、弁護士会と言えば、正義の人間が集まっているようなイメージを持たれていて、意見を言うには問題ないと思うかもしれませんが、しかしこの前紹介しましたように、大阪弁護士会などはめちゃくちゃなコトをしてしまっているのです。
 他にも城内先生が文書として提出されておられましたが、トンデモなコトをしている弁護士会などいっぱい存在しています。
 そもそも、これは民主主義のルールの問題であって、仮に弁護士会が素晴らしい正義100%の人たちばかりであったとしても、それでもって民意の代表者である市町村長の意見を覆させる理由には全くなりません
 変な話、市町村長の意見より弁護士会の意見の方が後世の判断で正しいとされたとしても、民主主義のルールとしては、市町村長の意見の方を尊重させなければならないのです。
 民主主義のルールとは、民意が反映されているかどうかだけを見るのであって、そこに正悪の判断が入る余地はないのです。
 
 人権問題のエキスパートという意味で、よかれと思ってこんな条文を入れたのかもしれませんが、しかし民主主義のコトを最も理解している中央省庁の役人さんや、まして民主主義の代弁者である国会議員がそのコトを忘れているとは思えません。
 まぁ「聴く」だけですから、そこまでこだわるコトも無いのかもしれませんが、一応民主主義のルールの根幹に関わるコトですので、敢えて主張をしておきたいと思います。
 

平成17年4月12日

 人権擁護法案修正案について2


 民主党のトンデモナイ人権法案ですが、このような事情もありまして、ちょっとひとつひとつご紹介する時間がありません。
 ので、こちらのサイトさんをご覧になって下さい
 とてもヤヴァイのが一目瞭然となるでしょう。
 これが日本の野党第一党の姿です。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 一番問題視されている3の「人権」や「人権侵害」の定義があいまいだという意見についてですが、しかしやえは一貫して言っているのですけど、これは明確に定義出来るようなモノではないと思っていますので、こういう批判は適切ではないと思っています。
 そもそもやえは「人権」という存在自体をあまり好ましく思っていませんでして、こんな西洋的な明文化させなければ生きていけないような社会を作った方が間違いであって、日本人は「人権」だなんてよく分からないモノが存在する以前の昔の社会でも、みな幸せに生きていたのですから、それで十分なハズなのです。
 まぁこのコトに関しては、言い出したら一週間分ぐらいの更新が書けそうですから、それはまたの機会としましても、やはり人権というモノは、時代やまた国によっても考え方は変わってくるモノでして、一概に言えるモノではありませんし、それだけにその時その場面によって議論が必要なモノです。
 
 どうも自民党の議員さんでも「人権は普遍的なモノであり国籍とかこだわる方がおかしい」とか言っている人がいてゲンナリしてしまうのですが、というか民主党岡田代表とかもそんなコト言っているらしいですが、こういうのは基本的に人権というモノを理解していない証拠にしかならないのです。
 人によっても「国家を歌わない自由の権利」とか言っている人もいるワケで、ある意味こんな主張も日本だから出来てしまうワケでして、こんなのアメリカでこんなコト言ったら袋叩きにあってしまうでしょう。
 このように、人権という概念はその場その時で議論しなければならない問題であるワケでして、だから明確に定義されていないと言われましても、それが批判の根拠になるとは思えないのです。
 
 結局、この問題を考える上で、またどう担保するかという問題になるワケですが、それはやはり「議論する」というところに集約されるんだと思います。
 つまり、議論の機会を作る、人権侵害だと訴えられたとしても、反論しそれが十分考慮されるようなシステムになっておけば、いくら定義があいまいだとしても、一方的に断罪されるようなコトは無くなりますし、また、時代が変わっても法律を変えるコトなく対応していくコトが出来るようになるでしょう。
 むしろ明確な定義はタブーを作る原因にもなってしまう可能性が高いワケでして、それこそ健全な議論を妨げてしまうおそれが出てきてしまいます
 
 よって、人権法を健全に運営するためには、明確な定義はしない方が良いと考えます。
 そしてそれを担保するために、議論する機会を作りその結果を必ず反映させるシステムを作るコト。
 それから、人権委員会の運営には透明性を十分に確保し、民主主義国家である以上、民意を反映するような形にするコト。
 これらがシステムとしてシッカリと出来ていれば、人権問題について一方的な断罪が起こりうる状況は生まれないでしょうし、むしろ多くの人にとって人権というモノを考えるキッカケになるという、良い結果も生まれるコトでしょう。
 
 つまり、「定義があいまいである」という批判は妥当ではないと考えます。
 
 
 結果的にですが、以上のようなお話は、5の問題にかかってくるワケです。
 人権委員会の運営を透明化させろというのが5の趣旨であり、それを達成できれば、定義があいまいであるという点もクリアできるというコトになります
 で、その5ですが、法務省の提出した資料ではこのように書かれています。

 ○申し立てられた相手方の意見を十分に聴取するなどの手続的担保については、これを規則中に明記する

 これを受けての条文修正はこのようになっています。

 第六十条
 4 第一項の規定による勧告を受けた者は、当該勧告に不服がある時は、当該勧告を受けた日から二週間以内に、人権委員会に対し、意義を述べることが出来る
 5 前項の規定による異議の申述があったときは、人権委員会は、当該異議の申述の日から一月以内に当該異議について検討をし、当該異議の全部又は一部に理由があると認める時は第一項の規定による勧告の全部又は一部を撤回しなければならない
 6 人権委員会は、第四項の規定による異議の申述をした者に対し、前項の規定による検討の決行を通知しなければならない。
 7 第三項の規定は、第五項の規定により第一項の規定による勧告の全部又は一部を撤回した場合について準用する。

 このように修正案では、異議を申し立てる権利を明記しています。
 というか、なぜ今まで異議を申し立てられるシステムが出来ていなかったのか、そっちの方が疑問だと思うのですが、とにかく、この条文追加はいいですね。
 また、公開処分についても、これにあわせて次のような修正がなされています。

 (勧告の公開)
 第六十一条 人権委員会は、前条第一項の規定による勧告をした場合であって、次の各号のいずれかに該当する場合において、当該勧告を受けた者がこれに従わないときは、その旨及び当該勧告の内容を公表することができる。この場合において、当該勧告について異議の申述がされたものであるときは、その旨及び当該異議の要旨をも公表しなければならない
 一 当該勧告について異議の申述がされなかった場合
 二 当該勧告について異議の申述がされた場合であって、前条第五項の規定により当該勧告の全部の撤回をするに至らなかった場合

 つまり、申し立てがあり、その異議が正当であると認められれば、当然ですが処分公開はされません。
 また、意義が正当であると人権委員会で認められなかった場合でも、異議申立者の主張も同時に公開しなければならなくなっています
 
 これはかなり良い修正です。
 異議が出来るというのは当然ですし、それが正当であれば公表されないというのも当然の話なのですが、正当でないとされた場合においても、自分の主張が同時に公開されるというのはとても重要です。
 やえは「人権の定義は出来ない。それは時と場合において議論によって導かれるべきである」とつねづね主張していますが、よって、特に言論など意見を主張する場合における人権侵害の勧告の場合、人権委員会と被告人との意見が真反対にわかれるコトだってあり得るワケです。
 その場合、どうしても人権委員会の方が権限が強いワケでして、処分として名前などが公開される場合も出てくるのでしょうが、その際に、被告人の主張もあわせて公開されるのですから、覚悟を持って意見を主張する人であれば、いくら名前を公開されたところであとは多くの国民によって判断を仰げばいいだけの話なのです
 なにもおそれるコトはありません。
 やえは何度も言っていますが、やえ自身は思想犯として捕まるコトにはなんら恐怖はないワケでして、もし自分の正しいと信じる主張が犯罪と認定されたとしても、堂々と思想犯として捕まってみせるという覚悟を持っていますから、それぐらいの覚悟を持って思想活動していますから、人権委員会によって「こいつは悪だ」と名前だけを公開するような一方的な断罪の仕方ではなく、主張も公開するという「こいつはこういう主張をしているんだ」と世に問うような、むしろ自分の主張を宣伝してくれるような形になっているワケですので、シッカリと覚悟を持って公の場で意見を言っている人間からすれば、もはや人権委員会などに危険性を感じる理由は消滅したと言っても過言でも無いハズです。
 
 正直言いまして、これだけで、全ての問題が解決したと言っても過言ではない気がします
 もちろん、人権委員会が扱う人権問題は、主義主張を公の場で発表するような人たちだけの問題を扱うワケではなく、本人にそんなつもりがまったく無いような、名前を公開されるだけでも困る人の問題も扱うでしょうから、やはりいろいろと慎重に法律を作る必要はあるでしょう。
 それを考えても、この修正案はかなり評価できます。
 
 やえはこれだけでも十分だと思うのですが、法務省はさらに慎重を期しているのか、このような資料も配付していました。
 「人権委員会の判断の透明性に関する規則のアウトライン」
 長くなりますが、5項目全てを書き出してみましょう。

 1 人権委員会は、人権侵害等(差別助長行為を含む)の事実を認定するには、証拠に基づいてしなければならない
 2 事実認定に用いることができる証拠は、適法に収集されたものに限られ、風聞の類の情報、報道機関による報道内容等は含まれない
 3 特別人権侵害につき勧告、公表の措置を執る場合には、被害者等関係者の供述内容は、争いのない場合を除き、供述書又は供述調書てなければ事実認定に用いるとはできない。
 4 特別人権侵害につき勧告、公表の措置を執る場合には、人権侵害等を行ったとされた者に対し、当該人権侵害等の事実の要旨を告げるとともに、弁明の機会を与え、反証を提出する機会を与えなければならない
 5 人権委員会は、人権侵害等の事実を認定するには、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる程度の心証に基づいてしなければならない。

 まぁよく読むと、どれも当たり前のコトを言っているワケです。
 シッカリとした証拠だけが事実を認定する材料になるコト。
 風聞や報道などの不確定要素で事実認定してはならないというコト。
 訴えられた人にも反論する機会を与えなければならないというコト。
 自分の主観だけを押しつけるような事実認定をしてはならないというコト。
 どれもこれも当然の話です
 
 ここまでハッキリとルールなどについて明記しているのですから、人権委員会の運営について不透明であると主張するのは、なかなか適切ではないと思います
 これ以上そう主張するのであれば、どこがどうそうなのか、具体的に指摘する必要があるでしょう。
 しかし少なくとも、明確な証拠だけが事実認定に使われ、当然報道や風聞などには影響されず、そして反論の機会が与えられ、さらにはその反論内容も公開されるというシステムが明示されているのですから、やえはこれで十分だと思います。
 もしやえの見落としがあって不適切な部分がありましたら、見直そうとは思いますので、そういう部分があれば指摘していただければと思いますが、今のところこの部分に関しては良い修正になっていると言えるでしょう。
 

平成17年4月12日

 人権擁護法案修正案について3


 最後に、4の「不当に人権侵害だと訴えられた人に対する保護が不十分というコト」です。
 今回の法務省の7点の改善点の中で、唯一と言っていい疑問が残るのが、この4です。
 法務省の説明ではこのようになっています。

 ○法案第38条に、人権侵害の申出があっても、その事実がないときは、申出の対象者が求める場合には、人権侵害が認められなかった旨の通知をする旨の規定を新たに設ける。
 ○勧告に対する不服の申出の制度を新たに設け、法案第60条いかに規定する。

 言っているコトはひとつひとつもっともなコトではあるのですが、しかしこれらの事項はあくまで侵害の事実がどうであるかというコトの確認でしかなく、不当な告発を受けてしまった人間の名誉回復という部分には全く当てはまりません
 4の「不当に人権侵害だと訴えられた人に対する保護が不十分というコト」を改善させる意義というモノは2つあります。
 1つは、実質的には訴えられるだけで名誉を傷つけられる日本の社会において、いくら審議の結果無実だと認められたとしても、積極的に名誉回復の行動を起こさなければ名誉が傷つけられたままであるのだから、その場合は人権委員会の義務として名誉回復にあたらなければならないハズである、というコト。
 もう1つは、そのコトを踏まえ、安易な訴えはさせないよう、濫訴は出来るだけさせない努力が必要である、というコトです。
 この2つが共に達成された時こそ、人権擁護法案が正しく活用されていると言える姿になると言えるんだと思っています。
 
 しかし残念ながら、名誉回復については、修正案を含めた場合においても、全くシステムの規定が存在しません
 先ほども言いましたように、修正された条文においても、反論をする機会が与えられるようになっているだけでありまして、これはあくまで訴えられている途中の段階の話であって、その後の名誉回復の行動では全くありません。
 そして法務省の説明においても、無実された人への名誉回復については全く触れられておらず、完全にスルーされてしまっています。
 どうやらやはり、国家賠償法に基づいた、通常の裁判でしか名誉の回復が図れないというコトなのでょう。
 しかしこれは大きな矛盾であり穴なのです。
 人権擁護法とは、人権侵害された人間を、いいまでの手間も時間もかかるような方法によるのではないく、迅速に簡易に救済しようというのが最も基本的な趣旨なのです。
 ですから、当然のコトながら、人権侵害者だと偽りのレッテルを貼られてしまい、人権を侵害された人にも対しても、当然のコトながら、人権擁護法が適用されなければおかしいワケです。
 矛盾するワケです。
 ダブルスタンダードに他ならないのです。
 ですから、ここをシッカリと穴埋めしなければならないハズなのです。
 人権擁護法がある限り、人権侵害された場合には同法に則り、迅速に救済されなければならないのです。
 
 しかし、それがなされない以上、人権侵害糾弾する側にとっては、いくら間違って訴えたとしても何もペナルティが無い以上、「やり得」となってしまうと言わざるを得ません。
 今でも悪徳業者が、自分の批判を押さえるために片っ端から金にモノを言わせて訴訟しまくって黙らせているような事例がありますが、有名な例だと盗聴等で逮捕された武富士がありましたが、現実世界には、自分への批判をさせないために訴訟を悪利用する人間は存在するのです。
 もちろん最後まで裁判すればそれは結果はどうなるか分かりません。
 しかし「訴える」という事実だけで、十分脅迫のネタになるのです。
 まして人権擁護法は、迅速に簡易に人権救済がなされるのというのが大きなウリなのです。
 つまり訴える方も、迅速に簡易に訴えるコトができるのです。
 だからこそ、どこかで歯止めをかける装置を作っておく必要があるハズなのです。
 
 訴えるコトに歯止めをかけるようなコトをしたら、また、間違っていた場合にペナルティを課すようなコトをしてしまったら、本当に訴えなければならない人が萎縮してしまって訴えられなくなってしまう、というような批判をする人が必ず出てくるでしょう。
 しかし、訴えられる人というのは否応なしに覚悟を迫られるのに、能動的行動が取れる歌える側には覚悟を迫る必要が無いというのは、あまりにも勝手な話なのではないでしょうか。
 人権委員会に訴えるというコトは、相手の人生を狂わせるぐらいの力を持っているのですから、そうするからには、自分の人生も狂う可能性があるぐらいの気持ちでやる必要があると思います。
 ですから、もし不当な人権告発をしてしまったら、不当告発者の名前も公開し、どのような議論があってそうなったのかも全て公表し、最後にキチンと不当に告発された人に謝罪や賠償などの補償をすべきでしょう。
 
 ここまでやって「不当に人権侵害だと訴えられた人に対する保護がなされる」と言えるのではないでしょうか。
 
 不当に告発された人に対する補償制度が全く無いコトと、不当告発した者に対するペナルティーが無いコトは大きく問題だと思いますし、修正すべき点です。
 しかし、一応、今回の法務省の修正では、濫訴を防止するために最大限の努力をしているようにも見受けられます
 法務省としましても、当然のコトながら、不当な濫訴は望むところではありませんので、それを防止したいと思っているのでしょう。
 
 法務省は、「救済手続の不開始事由に関する規則のアウトライン」という資料も作っています。
 その名の通り、救済手続を開始するにはあたらない事例集のようなモノなのですが、この資料の書き方として「A条」とかそんな感じで書いていますので、もしかしたらた法律の条文の中に組み込まれる可能性もあるかもしれません。
 とりあえず見てください。
 結構量がありますので、いくつかピックアップします。

 二 歴史的事実の真偽、学術上の論争の当否、宗教上の教義等に関する判断を行わなければ、人権侵害に該当するか否か判断できないものであるとき
 四 明らかに裁量権の範囲内と認められる立法行為又は行政行為であるとき
 五 専ら公共を図る目的で、公共の利害に関する事実を摘示するものであるとき
 六 専ら公共を図る目的で、公共の利害に関する事実にして、意見を述べ、又は論評するものであるとき
 七 国会の両院若しくは一院又は議会の議決によるものであるとき
 八 裁判所又は裁判官の裁判によるものであるとき

 特に注目されるべき点は二でしょうか。
 この点がある限り、中国や韓国のカンチガイ抗議でもって人権侵害だと不当告発がされるコトはないでしょう
 また、五や六の、「公共を図る目的」という条件付きながらも、論評なども告発されないとしていますので、最大限言論の自由にも配慮している条文になっていると言えるでしょう。
 それから当然の話ですが、議会や行政の判断、さらに裁判所の決定には、告発できないコトにもなっています。
 卒業式等で国旗を掲揚し国歌を斉唱するコトとしている学習指導要綱も行政によるモノですから、これにもこの法律は適応されないというコトですね。
 
 これだけでも、もうほとんど文句を言うところがなくなっている気がするのですが、さらに法務省は配慮を見せています。
 同じ「アウトライン」に、このような条項も書かれています。

 第B条 法第三十八条第一項の申出が次の各号に該当するときは、同条第二項の規定する「不当な目的で当該申出がされたと認めるとき」に当たり、救済手続を開始しないものとする

 つまり、次に当てはまる申出は「不当な目的」での申出であると名言しているワケです。
 その不当な目的での申出を見てみましょう。

 一 不当な利益を得る目的でするとき
 二 特定団体の運動思想を喧伝する目的とするとき
 三 特定の者の社会的評価を貶める目的でするとき
 四 前各号に掲げる場合のほか、不当な目的ですると認められる事情があるとき

 この前、マスコミが伝えた修正案を紹介したとき、やえはこの部分をもって、団体の喧伝についてはなにを言ってもかまわないとしているのはなぜでしょう、なんて言ってしまったのですが、これは完全に勘違いでした。
 そうではなくてですね、団体の運動思想のために人権委員会への告発を利用してはならない、とこの条文は言っているのです。
 もちろん利益を得る目的とか、誰かを攻撃する目的での告発など論外ですよね。
 
 伊達や酔狂でこんな法案を出しているワケではないのは言うまでもないコトでしょうが、ここまで人権委員会の行動に関して明確に定義してきたというのは、法務省もかなりの覚悟を持って法案作りに当たっていると言ってもいいのではないでしょうか。
 これらのアウトラインは、「不当に告発されてしまった人への保護」という意味だけでなく、人権委員会や人権の定義が曖昧だという批判に対する答えにもなっていると思います。
 よって、ここまでハッキリと規定を作っておけば、委員の選定を民主的な手法で選ぶのと合わせて、これ以上望むのは難しいと言えるぐらいの間違いが起きにくい体制になっていると言えるのではないかと思います。
 
 
 以上で7点の項目におけるやえの考え方を述べました。
 この中で唯一、不当に告発された人に対する補償制度が全く無いコトと、不当告発した者に対するペナルティーが無いコトは大きく問題だと思いますが、それ以外はとてもよい修正案になっているのではないでしょうか。
 もちろんこの7点だけが今まであがってきた問題点だけではないので、もう少し考察する必要がありますが、やはり良い方向に向かっているのは間違いないと思います。
 
 明日はまた自民党にて法務部会が開かれるそうですから、それに期待したいと思っています。