☆よく読めば分かる人権擁護法案☆
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳の考察・議論・自民党部会レポ〜




平成20年6月16日

 人権擁護法案 太田私案 中間的まとめ

 11日に自民党で人権問題等調査会が開かれ、その様子をお伺いしたところ、やえの思い違いをしていた部分があったみたいですので、その訂正と、今までの太田私案に対する中間的まとめと言いましょうか、整理をしてみたいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 やえがなにを勘違いしていたかと言いますと、以前の更新で「旧法案の一般救済手続きに係る部分について、太田私案ではさっぱり切り捨てられている」というようなコトを言っていた部分です。
 実はこれ半分くらい違っていまして、というのもやえは、太田私案ではいわゆる「話し合い解決等」しか法律の範囲内に定めていないのかと思っていたところにそもそもの間違いがありまして、実際よく太田私案を見てみますと、話し合い解決等以外にも救済手続きがあるんじゃないかと思われる書き方がされているのです。
 と、ここで「あるんじゃないかと思われる」なんてイヤに曖昧な書き方をしたのですが、それは、でも話し合い解決等以外ではどのような方法で救済をするかというコトが、太田私案ではハッキリと書かれていないコトに起因します。
 
 太田私案では人権侵害の規定を、「話し合い解決等」の措置のある人権侵害問題と、それ以外の措置のある人権侵害問題との2つに分けています。
 しかし、「話し合い解決等」以外の措置の範囲である人権侵害問題に対してはその措置を、「現在でも行っている援助などの任意の人権救済の対象を」とこの程度しか書いていないので、具体的にはどうするかがハッキリとは分からないんですね。
 まぁこれでだいたいどんな措置を取るのか想像は出来ますが、ただそれも、この太田私案全体に言えるのですが、この法案は法律の体を成していないので曖昧な部分多いですから、その辺はこれから具体的に明らかになっていくのでしょう。
 とりあえず今は、こういう曖昧な書き方から想像していくしかないんだと思います。
 
 よって、「話し合い解決等」の対象以外の人権侵害問題はほったらかしになってしまうとやえは言ってしまいましたが、それはちょっと適切な表現とは言えず、それ以外のある程度広い範囲の人権侵害問題も、この法律で扱うようにはなっています。
 ただし、それが具体的にどのような方法かは今のところ不明ですし、また旧法案で扱う範囲よりは確実に狭まっているのは確かです。
 さらに旧法案では特別救済手続きの範囲に含まれていたモノが、太田私案では「話し合い解決等」に含まれなくなってしまったモノもあります。
 正直、この辺の変わり具合がよくよくやえの中で整理できていなかったために、思い違いをしていまいました。
 というワケで、以下に、太田私案を出来るだけ分かりやすく整理してみたいと思います。
 
 
1.太田私案がカバーする人権侵害問題の範囲
 
 太田私案がカバーする人権侵害問題の範囲は、大きく2つのグループに分けるコトが出来ます。
 1つは、この法案(太田私案)の主題である「話し合い解決等」によって救済措置が取られる人権問題。
 もうひとつは、話し合い解決等以外の、もっとソフトな救済措置が取られるであろう人権問題です。
 
 1−A.「話し合い解決等」以外の措置が取られる人権侵害問題の範囲

 ・憲法14条が定める差別
 ・障害疾病による差別
 ・職務上の地位を利用して行う性的な言動
 ・優越的な立場においてする虐待などの人権侵害
 ・名誉棄損・プライバシー侵害

 ちなみに憲法14条は、このように規定されています。

 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 旧法案での一般救済手続きに関しては特に具体的な人権侵害問題の規定はなく、「人権侵害による被害を受け、又は受けるおそれがあるときは」程度しか定められていませんでしたが、太田私案では簡素な救済措置であろうとも、かなり具体的な規定が定められるコトになると言えます。
 また、太田私案の補足説明資料にも書いてあるのですが、「任意の救済の対象から、“近隣の紛争”のようにいずれか一方が優越的立場にあるとは言えない類型を除外した」と、基本的にこの法案は、上から下に対する人権侵害問題だけを扱う法律になるようです。
 旧法案では一般救済手続きなら「騒音オバサンも範囲に含まれると考えられる」とやえは解説したコトがありましたが、この太田私案では含まれないとされるワケです。
 
 1−B.話し合い解決等の措置が取られる人権侵害問題の範囲

 ・公務員及び事業者・雇用主が行う差別的取扱い
 ・公務員が行う虐待、児童虐待、施設内虐待他
 ・反復して行う差別的言動
 ・職務上の地位を利用して行う性的な言動のうち、被害者を畏怖困惑させるもの
 ・差別的取扱いを誘発する差別助長行為、及び差別的取扱いの意思表示

 なお、虐待と差別的取扱いの違いをどう規定しているかにもよるのですが、虐待については公務員だけが範囲になってしまっていると読み取れ、この辺が旧法案と違う部分と言えます。
 
 
2.人権侵害問題に対する措置
 
 人権侵害問題が起き、この法律で定められるであろう手続きを踏んで、正式にそれが「人権侵害」であると認定されれば、人権救済のための措置がとられるコトになります。
 この法案では、以下の2種類の方法による救済措置が定められています。
 
 2−A.「1−A」に対する措置
 
 太田私案ではこの部分を「現在でも行っている援助など任意の人権救済措置」としか書かれていません。
 ですので具体的にはハッキリと分からないのですが、多分おそらく、現行制度下の「主として法務省人権擁護局が行っている活動」のコトを指すモノかと思われます。
 この範囲で言えば、強制性のある活動は一切無いと言えますし、逆に現場の方達からは、もうちょっと権限さえあればもっと救済できた事例はけっこうあるという意見が出ています。
 どちらにしても、特に問題である措置とは言えないでしょう。
 問題があるのでしたら、今現在でも問題が発生し続けているコトになります。
 
 2−B.「1−B」に対する措置
 
 太田私案では、この部分に関する人権侵害問題に対しては「「話し合い解決」等の対象となる」と定めています。
 そして「話し合い解決等」とは、以下のように定めています。

 事実の確認(調査)に基づく調停の仲裁・勧告・訴訟援助等を言う

 具体的には「仲裁」と「勧告」と「訴訟援助」というコトになるのでしょうけど、それ以上の具体的な措置については不明です。
 が、旧法案などから想像するに、

 ・仲裁は、当事者を呼び集めて第三者が間に立ち、両者が納得するように仲直りさせる。
 ・勧告は、行政機関が加害者に対してそれ以上人権侵害をしないよう、場合によっては氏名公開などの罰則のようなモノを用いて、やめさせる。
 ・訴訟援助は、様々な理由から訴訟しにくい人の援助をする

 というコトになろうかと思います。
 もちろん太田私案に明記されていない以上、氏名公開等の措置があるかどうかはハッキリとは言えませんが、少なくとも現行法では対処しきれない、もっと強い権限があれば対処できるだろうと思われている事案に対するモノであり、いまよりも「強い」モノになるのは確かだと言えるでしょう。
 ちなみに後述しますが、調査は太田私案でもあると断定できるぐらいのようですから、氏名公開などの処分もおそらくあるのではないかと思います。
 むしろ、でないと、なんのための調査であり、なんのための勧告措置なのかよく分からないですからね。
 
 
 ※補足
 
 2−A−イ.現在の制度における法的根拠
 
 現行法においては、法務省設置法において、法務省が「つかさどる事務」として「26 人権侵犯事件に係る調査並びに被害の救済及び予防に関すること」と定められていることから、法務省が人権問題系の事務を所管しているコトになっています。
 しかし現行法では、法務省が人権問題を所管するコトは定められていても、具体的にそのためにどういうコトをして、どのような権限を持っているか、という部分については明記されていません。
 一応いまでも、「人権擁護施策推進法」という法律もあるのですが、ここにも結局具体的な方策は全然書かれていないんですね。
 よって現在では、「大臣訓令」というモノを根拠として、人権擁護行政は行われています。
 
 一応訓令も「法令」の一部であるという考え方が主ですので、完全に法制度下以外の存在ではないとは言えるのですが、しかしやっぱり極めて曖昧なモノであるというのは、その通りだと言えます。
 訓令は法律を基にしているモノですが、法律ではないのですから。
 この太田私案には、近年の行政改革の流れに則って、この辺の曖昧さを正して、キッチリと法制化しようという狙いもあります。
 この辺が整理できていない人がたまにいるのですが、簡単に言えば、法律は国会を通さなければ成立しないモノであり、一方訓令は大臣が「そうする」と言ってしまえばそれで定められてしまうモノであり、ここに厳密な違いがあります。
 現実問題としては、訓令はそんなに軽いモノではないので、そう簡単に変えられるモノではありませんが、それでも技術論で言えば、わりと簡単に変えるコトも可能であるのが訓令です。
 大臣の胸先三寸ですからね。
 しかし法律は、そうではありません。
 国会で審議するという大変さと厳密さは、いまこの人権擁護法案ひとつ例に取ったとしても、ものすごく大変であるというコトは簡単に想像できるでしょう。
 つまり、国民の意思決定機関であり、国権の最高機関である国会という場においてこそ定められた最も重い法律によって厳密にキチッと決めようと、人権行政を変えるにしても国民にオープンにされる国会の場において議論しなければ変えられない制度、すなわち法律化させようというのが、太田私案の狙いのひとつだと説明がなされているワケなのです。
 
 2−B−イ.調査と罰則的措置
 
 太田私案には調査の中で「過料」についての規定が特にないのにも関わらず、なぜか「差別的言動に対する調査については、過料の制裁を除く」という一言があります。
 これは逆に読めば、「差別的言動以外に対する調査には、過料の制裁がある」と読まなければ自然とは言えません。
 よって、旧法案にあったようなも調査に非協力的である場合に対する過料の制裁が太田私案でも踏襲されていると読むべきでしょう。
 
 これは旧法案の時の説明から繰り返しになりますが、未だに誤解されているようなので、敢えてここでもう一度取り上げます。
 
 1.過料は、人権侵害問題そのものに対する罰則ではありません。
 過料は、調査を妨げる行為に対して出すモノであり、例えば結果的に訴えられた事案が人権侵害ではないと結論づけられても、その調査を妨害してしまえば過料を科されるコトもあり得ます。
 人権侵害問題と過料は別物だと考える必要があります。
 
 2.過料は裁判所が下すモノです。
 人権委員会などの行政機関がその意志によって過料を下すなんてとんでもないとよく言われているところですが、実際過料を下すのは裁判所です。
 人権委員会の独断とは決して言えません。
 
 3.こういう手法は「間接強制」と言い、裁判でも認められた正当な手法です。
 詳しくはこちらで説明していますが、いまでも同様の手法が日本の制度の中に存在している以上、これだけを否定するコトはできません。
 未だに「過料は令状主義に反している」と言っている人がいますが、ならそれは、裁判で争うしかない事例です。
 そしてその裁判によって間接強制が違憲であると認められるまでは、日本の法制下においては合法です。
 まして一度裁判で争われて合憲だと認められている仕組みであり、それなのに「自分は違憲と考えるからダメだと言ってしまうのは、「自分は民主党支持者だから自民党のもとで法制化された法律には従う必要はない」と言っているようなモノで、そんなのはただの我が儘に過ぎません。
 間接強制そのものの制度についての是非を議論するコトは誰にも止められませんが、しかし間接強制は、それが含まれているからその法案がダメだと言ってしまうような根拠には、全くなり得ないのです。 
 
 
3.制度濫用を防止するための方策
 
 太田私案には、悪意を持って他人を貶めるためにこの制度を悪用されるコトをできるだけ防ぐために、以下のような方策をとると定めています。

 イ.申し立てられる側に不利益となる措置は、その対象を、合理的に正当化できない行為(不法行為)に限定
 ロ.勧告に対しては不服申し立てができる
 ハ.特定の歴史観に基づく被害申し立て等救済の対象から除外すべき類型を列挙する
 ニ.申し立てられる側が、申し立て自体を不当として対抗措置をとれることとする制度を創設し、同一の救済手続きの中で処理するものとする

 3−イ
 不法行為とは法律で定められている用語であり、これが成立する要件としては、「故意・過失」「権利侵害(違法性の存在)」「損害発生」「侵害行為と損害発生との間に因果関係があること」「責任能力」「違法性阻却事由(違法性が正当化される理由)がない」というモノがあります。
 不法行為という概念はけっこう難しいモノらしくて、またこれ勉強するためにはとっても大変な労力を必要としそうでちょっと勇み足なんですが、とにかくこの法案内で考えるべき大切なコトというのは、すなわち“あまりにもバカバカしい訴えは、不法行為ではないという理由で退けられる”と考えるコトが出来るというコトでしょう。
 不法行為という言葉や概念は曖昧ですが、曖昧だからこそ現実の問題に対応できる概念とも言えます。
 
 例えば、よくこの法案の議論の引き合いに出される、銭湯などの入れ墨お断りの看板はどうなのかという問題ですが、どこまでも厳密に「取扱いを差別的にしてはならない」と言葉通りに取ってしまえば、入れ墨お断りも不当な取扱いと言えてしまう可能性も否定できません。
 しかしここで「不法行為」という概念を入れるコトにより、銭湯における入れ墨を理由とする入湯拒否は不法行為でないと現行法下でされているのであれば、太田私案における人権侵害ではないと宣言できるワケですね。
 やえは不法行為に関してはまだまだ勉強不足なので間違っていたら指摘していただきたいのですが、実際問題として「入れ墨お断り」がここまでおおっぴらにまかり通っている現状を見れば、今のところそれは「不法行為ではない」と言えるモノなんだと思っています。
 もしそれが不服であるのであれば、裁判によって是非が争われるべき事柄でしょう。
 そしてこの法案における人権委員会の段階では、その是非は争われずに、不法行為ではからこの法律では扱われないと判断されるんだと考えられます。
 また、もし裁判によってそれが不法行為だと認定されれば、今度は次から人権委員会でもそのように判断されるようになるでしょう。
 ちなみに、「外国人入湯お断り」は、裁判によって差別的取扱いと判決されています。
 よってこれは不法行為と呼べるモノであり、人権委員会でもそのように取り扱われるモノかと思われます。
 
 3−ロ
 これは旧法案においても、同様な制度が盛り込まれていました。
 太田私案においてもこれと全く同じかどうかというのはまだ分かりませんが、もし全く同じだとしたら、なかなか良くできている制度だとやえは評価しています。
 詳しくは、こちらをご覧下さい
 
 3−ハ
 別紙として類型が記されていますので、書き出します。

 救済の対象から除外すべき類型
 
 次のような場合には、人権侵害の申出があっても、救済の対象から除外する事を法律に定める。
 
 @ 申出の内容に、次のような事情が認められるとき
 A 学術上の議論、歴史上の事象又は宗教上の教義についての見解を根拠・前提として被害を受けたと主張するもの
 B 法令が憲法に違反する旨の見解を根拠・前提として被害を受けたと主張するもの
 C これらのほか、その性質上、人権救済機関の調査・措置に馴染まないもの
 
 A 不正な利益を得る目的、他人の名誉を毀損する目的その他の不当な目的でされたと認められるとき
 
 B 被害が発生しておらず、かつ、発生するおそれがないことが明かなとき
 
 C 名誉棄損については、公共利害事実に係わり、かつ、公共目的であったと認められるとき

 @のABによって、よく危険だと言われている例示は、ほとんどここで当てはまらなくなると言えるでしょう。
 例えば従軍慰安婦や南京大虐殺問題とか、君が代斉唱の問題とかですね。
 
 3−ニ
 ここは簡単に言えば、反訴できるというコトでしょう。
 いまの裁判制度においても、訴えるコトそれ自体を目的としているんじゃないかと思ってしまうような訴訟も残念ながらあります。
 そして、悪意ある訴えを完全に無くすコトはなかなか難しい、おそらく不可能ではないかと思われます。
 ですから、「その訴え自体が不当である」と逆に訴えるコトも出来るコトにしているワケで、その制度をこの法案でも取り入れたという形なのでしょう。
 旧法案にはありませんでしたが、やえ的にはこれはこれでいいんじゃないかと思います。
 
 制度濫用を防止するための方策全てに言えるコトですが、これらを導入したからと言って、濫用が0になるコトはあり得ません。
 しかし、0にならないからといって制度がダメだと言ってしまうのも、あまり適切とは言えないでしょう。
 なぜなら、裁判制度だってそうですし、全ての制度においてそれは同様だからです。
 裁判だって、不当な訴えはあるでしょうし、冤罪だって残念ながら起きてしまいます。
 だけどだからといって、裁判制度そのものを廃止しようというコトにはなりませんよね。
 ここの問題というのは、そういう現実的な部分を勘案して、どう現実に対応していくかを考えなければなりません。
 理想論だけではなんともならないというコトは、常に頭の中に入れておかなければならないでしょう。
 
 
 4.その他特記事項
 
 その他の特記すべき事項として、以下の3つがあります。

 イ.「話し合い解決」等は委員会の責任で行い、随時民間ADRを活用する
 ロ.報道機関については特別な取扱いをせず法の下に平等な扱いとし、「話し合い解決」等の対象とするかについては、将来検討課題とする
 ハ.人権擁護委員については現行制度を維持する

 4−イ
 これについては、やえは反対です。
 この手の問題について、その決定に関わる場において民間が絡むというのは不適切だと思うからです。
 おそらく今の制度のままで民間ADRを活用するコトとなれば、大阪弁護士会が絡む可能性が非常に高く、しかし大阪弁護士会というのは人権という言葉をタテにしてトンデモナイ勧告を過去に出したコトのある曰く付きの団体でもあります。
 今はまだ勝手に大阪弁護士会が私的に勧告を出しているだけに過ぎませんが、もしこの法案が法律化されたあかつきには、それが権力を持って施行されるコトになってしまいます。
 詳しくはこちらを読んでいただくとして、よってやえは、ここに関しては大反対です。
 
 4−ロ
 ここも、旧法案から後退した部分と言えます。
 旧法案では、いわゆるメディアスクラムも人権侵害だと規定されていたのですが、太田私案ではさっぱり削除されてしまいました。
 旧法案でも17年当時では凍結という形を取っていたので、実質的にはあまり変わりませんが、しかし後退は後退です。
 残念な部分です。
 
 5−ニ
 結局、現行制度の維持というコトになり、このため、外国人は人権擁護委員にはなれないコトになりました。
 やえは別にどっちでもよかったので、これならこれでもいいと思います。
 
 
 太田私案の、いまのところのまとめは以上です。
 とりあえず今のところ法律としての形となっていませんので、法制化していく中で、また新たな議論しなければならない事項が出てくるかと思いますので、これだけで全体をどうこう言うコトは出来ないと思います。
 まずはこれらを踏まえて、また17年当時の議論も参考にしながら、丁寧に中身を見ていくコトが大切でしょう。
 

平成20年5月31日

 人権擁護法案の自民党議論U 5 〜太田私案1〜

 5月29日、自民党党本部におきまして、かなりひさしぶりに「人権問題等調査会」が開かれました。
 今回は、これまでの調査会の流れから大きく転換する内容だったと伺っています。
 その辺も含めて、とりあえず今回は事実だけを挙げてレポートしたいと思います。
 やえの感想等は、日を改めて更新いたします。
 
 ではいつものです。
 
 以下のレポートは、直接やえが部会を聞いてきたワケではなく、聞いた人にやえがお話を聞いたという伝聞です。
 よってその場の雰囲気などはやえには分からないワケで、100%やえのレポートが正しいレポートである保証はありませんし、レポートと銘打つので出来るだけやえの私情を消して書こうと努力していますが、それでも私情が入っている可能性も否定できませんので、その辺はご了承下さい。
 また、いわゆるソースも明らかにするつもりは当サイトにはありません。
 もし以下のレポートが信じられないと言うのであれば、それで結構です。
 当サイトはジャーナリズムをしているワケではありませんので、内容の正当性については、今までやえが行ってきた言論活動を鑑みていただき、また他のジャーナリスト機関が出している記事などを照らし合わせて、読んでいる方ひとりひとりがご自分の判断で断じていただければと思います。
 その結果については、当サイトが保証するモノではありません。
 こういう事情ですので、ちょっと不自然でも敢えて「なんだそうです」とか「とのことです」といった文体を多用しています。
 読みにくい部分もあるかとは思いますが、汲んでいただければ幸いです。
 
 では行きましょう。
 
 まず大きな転換とは、人権問題等調査会の会長でおられる太田誠一先生が「私案」を出されたというところにあります。
 人権擁護法案の議論は平成17年からずっと続いているワケですが、その時からおとといまで、その議論の根本にあるのは、平成14年に衆議院に提出された法案でした。
 17年の自民党内の議論で法案は、一部修正され、手続きの面での変更はありましたが、基本的な内容は大きくその法案から変わらずに議論の的とされてきたワケですが、ついにここにきて内容についても大きく変更されると、そういう局面になったと言えるでしょう。
 
 法案名も一新されました。
 太田私案のタイトルは【「話し合い解決」等による人権救済法(案)】です。
 ただし、理由は後日触れる予定ですが、この太田私案も大まかな部分での変更点の列挙のようで、法律の形を成していませんので、正確には「法案」ではなさそうです。
 お話を詳しく聞きますと、おそらく今までの「旧法案」の上に太田私案を乗せて、法律(案)としての体裁を取るのではないかと、これはやえの推測ですが、そう感じています。
 
 では、今日はとりあえず、その太田私案の中身を、やえが伺った範囲で紹介させていただきます。
 
 一番大きな点は、この太田私案(以下法案。これまでの法案は「旧法案」と呼びます)で扱う人権侵害事件を明文化して限定しているところです。
 書き出しますと

 ・公務員及び事業者、雇用主が行う差別的取扱い
 ・公務員が行う虐待、児童虐待、施設内虐待他
 ・反復して行う差別的言動
 ・職務上の地位を利用して行う性的な言動のうち、被害者を畏怖困惑させるもの
 ・差別的取扱いを誘発する差別助長行為及び差別的取扱いの意思表示

 この以上です。
 これ以外ではこの法案では取り扱わないというコトになります。
 
 これらの条件というのは、旧法案では「特別救済手続き」に係る人権侵害事件の部分ですね。
 つまり旧法案では、もうちょっと範囲が広い人権侵害事件でも一般救済手続きとして法案の守備範囲内としていたワケですが、太田私案ではそこをすっぱり取り除いてしまったという形と言えるでしょう。
 また「差別的言動」も、「反復して行う」という条件が付きました。
 これは確か以前の調査会で有識者の方(お名前忘れてしまいましたごめんなさい)が指摘された形に合わせたというコトなのではないかと推測されます。
 
 またこれらの条件と共に、その前の前提として、この法案で扱う人権侵害事案を次のように定義しています。

 憲法14条が定める人種等による差別、障害疾病による差別、及び職務上の地位を利用して行う性的な言動、優越的な立場においてする虐待などの人権侵害、及び名誉毀損・プライバシー侵害に限定する。

 この条件というのは、人権の定義や人権侵害の定義を行わず、人権侵害の類型を列挙して、それらだけを救済の対象とする、という意図があるようです。
 つまり、「この法律に書いてあるコトをしたら救済手続きしちゃいますよ」というコトであり、逆を言えば「それは問題がある行為なのかもしれませんが、この法律には書いていませんから救済手続きは行いません」というコトでもあると言えるでしょう。
 さらにこの条件というのは、対等な立場同士の紛争は範囲に含まないという意図もあるようです。
 「近隣との紛争」のようにいずれか一方が優越的立場にあるとは言えない類型を除外した、とこのコトで、つまり簡単に言えばご近所間の紛争があったとしても、「先に訴えたもの勝ち」にはならないというコトなのでしょう。
 
 これらの条件の明示は、「定義があいまいだ」という反論に対しての答えでもあるでしょうし、大きな妥協案とも言えるでしょう。
 
 次に、「定義があいまいだ」という反論と共に、大きな批判の的となっていた「濫用の防止・訴えられた側の人権の保護」に対する私案です。
 まず旧法案から一番大きく変わっているのは、この法案で扱う事案を「不法行為」に限定したというところです。
 不法行為とは、これは法律用語でして、それなりに明確に定義が出来る事案のようで、正直やえもそこまで詳しくないのでここからここまでですとなかなか言いづらいのですが、例えばこちらとかでは詳しく説明していますし、法律家であればキチンと定義できる事案なのでしょう。
 また不法行為という言葉も、民法第709条で明記されている言葉でもあります。
 調査会での太田会長の説明によりますと、おおざっはに言えば「過去の判例によって導き出されている事案」というコトのようです。
 ですから例えばおそらく、「○○という行為は私の心を傷つけた、賠償しろ」とか主張しているだけで裁判では勝てなかったから人権委員会の方に訴えた、という場合は、相手にされないというコトなのでしょう。
 
 また、「特定の歴史観に基づく被害申し立て救済の対象から除外すべき類型を列挙する」という条件も付け加えるそうです。
 これは17年当時からから「不開始事由のアウトライン」として修正がなされていると当サイトが伝えてきたところであり、あまり大きな変更点はないかと思うのですが、おそらくこれをわざわざ明記しているというコトは、法律の方に不開始事由を列挙するというコトなのではないかと思われます。
 17年に提示されていた「アウトライン」は、これは委員会規則での内部規定で定めるというコトでしたから、より明確になると言えるでしょう。
 まぁ実質はあまり変わらないでしょうけどね。
 
 それからもう一点。
 ここもとても大きいのですが、申し立てられる側が、申し立て自体を不当として対抗措置をとれるコトとする制度を創設し、同一の救済手続きの中で処理するものとする、というシステムを新たに作るらしいのです。
 つまり「反訴」が出来るというコトでしょう。
 ここは大きいです。
 反訴が出来ないという点は、ずっとやえも問題だと指摘していたところですが、その不公平さが改善されるワケです。
 「不当に訴えられるコト自体が人権侵害じゃないか」という意見に対する、明確な答えがここに示されたと言えるでしょう。
 
 では最後に、その他として特に記されているコトを書き出します。

 1.「話し合い解決」等は、委員会の責任で行い、随時民間ADRを活用する
 2.差別的言動に対する調査については、科料の制裁を除く
 3.報道機関については特別な取扱いをせず法の下に平等な扱いとし、「話し合い解決」等の対象とするかについては、将来検討課題とする
 4.人権養護委員については現行制度を維持する

 色々と気になる部分もあるのですが、やえの感想はまた後日というコトで、説明の補足だけをします。
 
 1は、補足事項でかなり踏み込んでいまして、「調停仲裁については委員会の責任において民間弁護士に委託してもよいということ」だそうです。
 旧法案では、一般救済の際の調査について一部民間に嘱託できる制度はありましたが、決定にかかる部分においての嘱託や委託はありませんでしたから、この法案でそれを認めるというのは大きな変更点だと言えるでしょう。
 
 2も大きな変更点ですね。
 色々と大騒ぎになっていた過料に対し、「差別的言動」については無くしてしまうというコトです。
 これは「言論の自由を妨げるとする懸案に応えた」とのコトです。
 しかし全てにおいて過料を無くさないというのは、おそらく特に虐待などは間接強制をもってある程度の権限を与えないと解決に繋がらないから、という部分に配慮したというコトなのかと思われます。
 特に虐待などに対する権限の強化は、かなり多くの専門家から指摘されていたところですからね。
 
 3について、おそらく報道的にはここを大きな部分として報道しそうですが、太田会長の説明によれば、「マスコミだけを特別扱いしない」というコトなんだそうです。
 旧法案では、凍結部分ではありますが、いわゆるメディアスクラムなども人権侵害だと定義していたワケですが、この法案では、この法案で扱う事案というモノをかなり限定して定義してしまいましたので、その中にはメディアスクラムは入らないという解釈なのでしょう。
 それは、上で書き出しました「その前の前提として、この法案で扱う人権侵害事案の定義」を読み返して頂ければ、理解できるかと思います。
 ですから、マスコミと言えども、その立場を利用しての差別やセクハラなどを行えば、当然この法案の対象内となるでしょう。
 
 4については、特にありませんが、わざわざ「外国人は除外される」とされています。
 これは現行法(人権擁護委員法)では、その資格を「当該市町村の議会の議員の選挙権を有する住民」と定めているからです。
 これも、特定の思想に駆られた外国人が一方的に差別を断定するのではないか、というような批判に対する答えだと言えるでしょう。
 
 
 太田私案の紹介は、とりあえず以上です。
 補足説明や、補足資料、また旧法案とのからみはどうなのか、という部分について、もうちょっと言いたいコトがあるのですが、とりあえず今日はこれだけでかなり長くなってしまいましたので、それは次回に回したいと思います。


 

平成20年6月2日

 人権擁護法案 〜太田私案〜 旧法案とのからみ

 今日はちょっと短めになるかもしれませんが、前回理由を書けなかった、太田私案と旧法案との関係について、やえの考えを書きたいと思います。
 
 前回にも言いましたように、おそらく太田私案は、旧法案の上に被さるように存在するモノになるんじゃないかと思われます。
 太田私案は法案・法律の形を成していませんから、まずベースとしては旧法案があって、その上から太田私案を被せ、もし太田私案と旧法案が重なる部分があれば太田私案を最優先させる、そういう形になるんだと思います。
 例えば太田私案には、「現在でも行っている援助などの任意の人権救済の対象を、憲法14条が定める人種等による差別、(中略)に限定する」という文言がありますので、旧法案で定められていた、一般救済手続きでも扱うような広い範囲での人権侵害問題は、この法案では取り扱わないというコトになります。
 逆に、太田私案で特に書かれていないような事柄は、旧法案のままであると思われます。
 例えば3条委員会で組織される人権委員会の存在ですとか、特別救済手続きそのものですとかです。
 そういう形で太田私案を優先させながらお互いを補完して法案・法律の形を作っていくコトになるんだと思います。
 
 なぜそう思うのかと言いますと、いくつか理由があるのですが、例えばペーパーで配られた太田私案に次の文言があります。

 差別的言動に対する調査については、過料の制裁を除く。

 これを逆に読めば、差別的言動以外の調査については過料が存在する、というコトに他ならないワケですが、しかし太田私案には「過料」に関する記述はありません。
 ですからこれは、旧法案にあった過料に関する部分が、太田私案の中でも存在すると読み取るのが一番自然だと言えるでしょう。
 すなわち、先日お伝えしました太田私案で定められた具体的な人権侵害に対しては、全て旧法案で言う特別救済手続きが存在し、一番重い措置である指名公開を含めた制裁があって、それを行うために調査が行われる場合もあり、その場合もし調査に非協力的であれば、差別的言動に関する人権侵害事件以外なら過料などの制裁も存在する、とこういうコトでしょう。
 ですからこの書き方では、旧法案が太田私案の中に含まれていると考えなければ、むしろ不自然だとも言えるわけです。
 
 また他にも、これはペーパーの中ではなく人権問題等調査会の議論の中で出てきた話なんだそうですが、「なぜ3条委員会なのか」という話もあったそうなので、これも同じように、それは旧法案で言う人権委員会のコトを指すモノだと解釈するのが自然でしょう。
 それから、引き続き人権養護委員を存続させるというコトを明記したコトも、旧法案がベースにあるというコトが伺えると思います。
 
 まぁ、これはもう完全のイメージの問題ですが、旧法案を引きずっていると言ってしまうと反発を受けるので、前回の調査会では、太田私案の話だけをしたのでしょう。
 ですから執行部の意識としては、太田私案がまずあり、それを補完する形で足りない部分を旧法案から借りて肉付けして、法案・法律の体裁をとると、そういうコトなのかと思われます。
 そもそも旧法案も、既存の法案、人権擁護法案の場合は、公正取引委員会の独占禁止法や公害等調整委員会の公害等調整委員会設置法を参考にして骨格となって人権問題に即した形にしていったのでしょうし、法案とはだいたいどれもそんなようなモノですから、これは決して間違ったやり方ではありません。
 
 というワケで、人権擁護法案・太田私案はこのような位置づけで今後議論が進んでいくモノと思われます。
 太田私案の登場で、もしかして17年からずっとやえがやってきたあれだけ膨大な文章が全部ムダになってしまうのかと一瞬びっくりしたのですが、そういうコトではないようでちょっとほっとしました(笑)
 まぁそれは冗談としましても、パリ原則を尊重させるためには「政府からある程度独立した人権関係の機関」が必要不可欠ですから、日本の法体系からしてある程度旧法案のような形になるのは当たり前であり、それが自然とも言えるワケです。
 中身こそが一番大切であるというのは言うまでもありませんから、しっかりと中身について、結果ありきではなく、検証していってほしいと思います。
 
 これから調査会もコンスタントに開かれるのでしょうし、太田私案について、今までにないコトでやえも言いたいコトがありますから、引き続きこの問題は追っていきたいと思います。


 

平成20年6月4日

 太田私案〜民間ADRと包括法の意義〜

  えー、連日この問題ばかり取り上げてしまいまして申し訳ないのですが、今日6月4日の朝にも、自民党の人権問題等調査会が開かれたようなので、その辺も含めて今日もお付き合いいただければと思います。
 
 まず最初に、太田私案に対するやえの考え方や疑問等を示しておきたいと思います。
 何度も伝えていますように、この太田私案は法律の体を成していませんので、最終的にどのような法案になるのか、まだこの段階ではなんとも言えないところなのですが、旧法案に比べて法律の中で扱う人権侵害問題の範囲が非常に狭くなったというコトについて、果たして本当にそれでいいのかという疑問はどうしても捨てきれません。
 結局太田私案で示された具体的な人権問題の範囲というのは、旧法案で言う「特別救済手続き」に係る人権問題とほぼ同じなワケで、それ以外の旧法案で取り扱うとされていた広範囲な人権侵害問題は、所詮一般救済手続きというほとんど啓蒙しかできないかなり軽いコトしかできないとされていたのですから、それをそこまで問題視して強固に反対するほどの理由にはなり得たと言えるのか疑問です。
 そもそもそれぐらいの処分というのは、現行法でも行われているようなコトですから、ではこの太田私案が法律として施行されたとき、今まで現場で努力して行われてきた人権啓蒙や、事前に防がれていたような問題はどうなってしまうのか、そこが心配でなりません。
 中身をじっくり見て検討して議論しなかった結果がこれだと言わざるを得ないのです。
 
 また同時に、結局削除されてしまったマスコミの人権侵害問題に対しても同じコトが言えます。
 凍結されていたとは言え、メディアスクラムは違法行為であるとせっかく法に明記されていたのに、太田私案によって、この問題が1歩も2歩も後退してしまったのです。
 この辺が整理できていない人がけっこういるようなのですが、マスコミと言えども、旧法案で言う(メディア条項を除く)特別救済手続きに係る人権問題や、太田私案で取り扱う人権問題を行えば、当然マスコミ(とその従事者)は処分されるワケですが、その上で旧法案というのは、メディアスクラムも『公務員の差別的取扱いや、虐待と同じように、同レベルで、甚大な人権侵害行為である』と謳っていたワケです。
 しかし太田私案では、結局このメディアスクラム自体は取り扱うべき人権問題には含まれなくなってしまったワケで、やえとしましては非常に残念でなりません。
 やはりこれは、法案の見た目だけの分かりやすさを重視した結果であり、実質はそんなに旧法案と扱うべき人権問題は変わらないと言えるハズなのですが、中身を見ずに、理解しないまま議論を進めてしまった結果と言わざるを得ないでしょう。
 
 もうひとつ太田私案の中でやえは大きな疑問があります。
 それは、民間のADRを活用する、というコトです。
 この問題は以前詳しく言いましたので、具体的にはこちらを読んでいただければと思いますが、反対論を強く唱えている人の中には「今ある制度を活用すればいいじゃないか、法テラスや民間ADRを活用すればいいじゃないかと」言ってますけど、それはかなりの矛盾と危険性を孕んでいます。
 なぜなら、過去にトンデモ勧告書を出した大阪弁護士会が、その民間ADRのひとつを担っているからです。
 これは平成17年の時の議論で大きく取り上げられましたよね。
 そして反対論を唱える人は、これをもって、「人権委員会が作られたら、このような判断が正式な形で下されてしまう」と危惧していたワケです。
 やえは、その危惧はその通りだと思います。
 やえも危惧しています。
 だからこそ、民間ADRなんかに頼っちゃダメなんです。
 反対論者の中には、大阪弁護士会は危険だと言いながら、同時に民間ADRを活用しろとも言うワ人がけっこういたりするのですが、これは明らかに矛盾しており、それこそ大変に危険な結果をもたらす発言だというコトに気付いてほしいと思います。
 
 やえは、もし太田私案が法律の体を為したときに、民間ADRが法律によってその決定にお墨付きを与えるような条文になっていたら、断じて反対をします。
 法律で人権問題を扱うのであれば、決定権や、決定に至るまでの中身についても、完全に官だけでやるべきだと思っています。
 最近の風潮で「官=悪」だと思われがちですが、しかし官というモノの根っこにあるモノは民主主義があり、国民があるワケですから、一番重要なのは、いかに民主主義を取り入れるか、民主主義を担保した形にするのか、というところに心血を注ぐべきなのです。
 民の場合には民主主義は必ずしも必要はありません。
 多くの中小企業においては、そのトップはだいたい世襲制で引き継がれるところが多いですよね。
 でみ官ではそうはいきません。
 なぜなら、官は民主主義の支配下にあるからです。
 
 民主主義というシステムは結果を担保する制度ではありません。
 結果が正しいかどうかなんていうのは誰にも分からないワケで、そうではなく、民主主義というシステムは主権が国民であるという入口の部分を形作るモノであり、変な言い方ですが「民主主義=正義」なのです。
 結果が失敗でも民主主義なら正義なのです。
 結果が成功でも独裁体制的な手法なら悪なのです。
 それが民主主義というシステムなのです。
 ですから、大阪弁護士会という一私団体に丸投げするのではなく、公的な機関でもって民主主義を出来るだけ担保するような制度にして、そこですべてを決めるような仕組みこそが、最も正しい民主主義国における機関の在り方だと言えるワケなのです。
 
 一時期、人権委員の選定条件の中に、いわゆる「団体条項」というモノがあって、これが大問題になりましたが、もし民間ADRが採用されたら、こっちの方がよっぽど簡単に「特定の政治信条を持っている人」が決定に関わりやすくなってしまうでしょう。
 弁護士なんて、○○系弁護士なんて言われ方がされますように、職業柄でも言えるかもしれませんが、わりと極端な考えを持っている人が少なくありません。
 法律が担保する形での民間ADRの活用という手法は、こういう人たちを野放しにし、なおかつ法律がお墨付きを与えてしまうという結果にとても繋がりやすくなるワケです。
 この辺の整合性をよくよく考えてもらいたいと思います。
 
 
 話を自民党の調査会の方に移します。
 太田私案の提示によって、反対論はだいたい次の3つに収束されつつあると言えます。
 
 ・個別法でいいじゃないか
 ・この制度が悪用されて逆差別が横行してしまうのではないか
 ・そもそもこの法律が必要であるという理由が理解できない
 
 それぞれ個別に言いたいコトもあるのですが、やえは、結局これからの人権侵害問題に対して政府と国会がどのような対応を取っていくかの考え方の違いでなのではないかと思っています。
 
 個別法でいいじゃないか等の反対論というのは、モグラ叩きのように問題が表面化して初めて対応する形になります。
 しかしこれではどうしても、問題が出てきてから対応するまでけっこうなタイムラグが生じてしまい、言ってみれば最初の方の被害者には我慢してもらうしかないというコトにならざるを得ません。
 後から立法化されて、なんらかの保証はされるかもしれませんが、予防防止という観点からは絶対に無理です。
 一方、旧法案や太田私案も含めて、新しい人権問題に係る法律を作る場合の基本的な考え方というのは、将来出てくるかもしれない未知なる人権侵害問題に対しても対応できるよう備えられる法律を作ろうという考え方です。
 例えば、DVとかいう問題は、過去においては人権問題とは取られずに、痴話喧嘩という認識で警察も公的機関もあまり動きませんでしたが、しかし今は人権問題として考えられ、取り扱われていますよね。
 これを今回の動きに当てはめて考えてみます。
 個別法での対応だと、DVはDVとして立法化されるまで公的機関は動けませんでした。
 そもそもDVが犯罪だという意識がない、痴話喧嘩だと思われるだけですので、暴力とさえ認識されないまま、配偶者間での暴力も暴力だと立法化されるまで警察も動きづらかったワケです。
 しかし包括的な旧法案のような法律があったのであれば、DVは犯罪だと一般的に認識されるだけで、立法化を待たずに、包括法を法的根拠として各機関は動けたコトでしょう。
 旧法案に関して「アメーバ的に」とか「広い網を掛ける」とよく形容されていましたが、それはまさにそういう意味なんですね。
 他にも、この前取り上げました学校裏サイトの問題も、まさに過去には想像もし得なかった問題、しかし一刻の猶予もない早く対処しなければならない問題と言えるでしょう。
 こういう「将来に対する備え」という意味が、包括的な法律のもっもと大きな意味であるワケなのです。
 
 今日行われた自民党の人権問題等調査会では、ある議員さんが「会合で演説をしていたら、同和団体の人間から急に罵詈雑言を浴びせかけられ演説を妨害された。この法律が通るとそれが合法化される。家族の安全すら危うくなる」などというような主旨の話をされたと聞きましたが、そういう危惧は分からなくもないんですが、しかしそもそもそういう行為それ自体が社会的に許される行為ではなく、太田私案が立法化されたからと言って、その様な行為に太田私案法が反社会的行為にお墨付きを与えるようなモノになるとは言えないハズです。
 旧法案にも太田私案にも、一言も「既存団体が無条件に保護される」なんて書かれていない以上、法としては公正さを保っていると言うのが当然です。
 よく反対派は「公務員や業者が不当な取扱いをしているのであれば、それを是正させればいいだけの話である」と言っていますが、もし本当にご家族の身に危険が差し迫るようなコトが起きているのであれば、それこそ現行法下における当局の取り組みに問題があると言うのが筋なのではないでしょうか。
 それを人権法に責任を転嫁させるのは違うと思います。
 そして最も是正しなければならないのは、そういう特殊な団体の特殊な行為を黙認してしまっている社会風潮こそなのではないでしょうか。
 
 当然ですが、もし太田私案が法律として成立した場合、その太田私案にかかるような行為を解同等の人権団体が犯せば、それは粛々と法に照らして対処すべきです。
 しかし、過去を振り返れば、そういう団体だけなぜか特別扱いされていたようなコトがあったのは、確かに事実です。
 ですから、もしどうしてもそういう団体が気になるというのであれば、それを法に明記するのは適切ではないと思いますが、なんらかの形で「特定の団体のみに有利になるような運営はしない」などと明確に担保するぐらいのコトを、人権問題等調査会の執行部はとっていいのではないでしょうか。
 そうすれば、今まではこういう特殊な考え方を持っている人が、例えば大阪弁護士会に訴えて大阪弁護士会がトンデモな勧告を出して、マッチポンプのように一般人を抑圧してきたワケですが、今度からは訴えられても大阪弁護士会ではなく人権委員会に訴えろと言うコトが出来るようになりますし、そうなれば大阪弁護士会のような歪んだ勧告は出されないようになるのではないでしょうか。
 そういう視点も、冷静に考えればあるハズです。
 
 反対論を強固に唱えられる方は、冷静な視点が抜けていると言わざるを得ません。
 前回の人権問題等調査会では、ある議員さんの旧法案で言う差別的言動の発動条件である「特定の者」という文言が理解できていないコトが判明してしまいました。
 「在日の人を、在日だと言うだけで訴えられてしまう」と発言したそうですが、それは執行部の一員である塩崎元官房長官に、淡々と「特定の者」の意味について説明がされたそうです。
 熱を持って思想的な部分で将来の危険性や社会の問題として議論されるのはとても大切なコトだと思いますが、政治家という立場ではそれだけではなく、冷静な理の部分で現実論や技術論も考えなければならないと、やえは思います。
 
 そして、起こるかもしれない逆差別を危惧するコトももちろん大切ですが、今現在ある問題を考えるコトも大切です。
 逆差別が起こるかもしれないからといって、いま存在している問題を放置していいコトには絶対になりません。
 政治家であるならば、逆差別を危惧するならするでいいですけど、その代わり、今ある問題をどう対処するかの対案を出す義務があると言えるのではないのでしょうか。
 
 やえは、そういう今でも不当に圧力を行使するような団体を、どう社会から撲滅していくか、そういう方向にも政治家の先生方には考えてもらいたいと期待します。
 結局この法案に対する一番の障害はそこなのですし、やえも出来るならそこは、この法案を別にしても是非とも達成してもらいたいです。
 人権問題等調査会で、いつもいつも被害を訴えるだけではなく、そういう問題にも政治家として取り組んでもらいたいなと思います。