☆やえニュース☆

旧仮名遣ひ当時の空気現代源氏物語捏造報道機関やえに望むモノあんけ〜と法律が出来るまで反米保守常識と非常識

平成15年5月1日

 旧仮名遣ひ

 某イベントでは某サークルにたくさんの方が来てくださいまして本当にありがとうございました。
 お陰様で昼過ぎには完売してしまって、買えなかった方もおられたんじゃないかと思います。
 ごめんなさいでした。
 そしてありがとうございました。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 やえの本が出ているワケじゃないんですけどね(笑)
 
 
 旧仮名遣いというものがあるじゃないですか。
 
《「正漢字と歴史的假名遣ひ」の表記をとる思ひは、殆ど此の言葉の中に盡きてゐます。此方では數多あるご批判の中、敢て此の表記方法に拘泥する私の心情をお傳する一助になればと、このレスポンスを差し上げました。》
 
 こういうものです。
 みなさんこれスラっと読めるでしょうか?
 文章の書き方というのもあるので一概には言えないですが、やえは普通の文章を読むよりはちょっとスピードを落として読まなければ、何が書いてあるかちょっと理解できません
 いわゆる「旧仮名遣い」の代表例として、「思ひ」とか「ゐます」とか、この手の仮名の使い方がまどろっこしいんですね。
 
 でもごく一部の方に旧仮名遣いを信奉しちゃっている人がいます
 旧仮名遣いこそが日本語としての本道であり、美しさであり、これを使うべきだ、と思っている人です。
 サイトにも時々そういうサイトがあったりします。
 さらに他のサイトさんの掲示板に書き込む時も、その旧仮名遣いで書き込んでいたりしていらっしゃいます、
 でもはたしてそれはどうなんでしょうか。
 
 そもそもいわゆる「旧仮名遣い」と言われているのは、コレも所詮明治あたりに使われていた文章でしかありません。
 たった百年前のことでしかありません。
 悠久の歴史をもつ日本の歴史からすれば百年など微々たる時間です。
 古い文章がいいというのであれば、どうして江戸時代やもっとさかのぼって平安時代に使われていた「日本語」を使わないのでしょうか
 それの方がよっぽど「本道」と言えるような気がするんですけど。
 
 そもそも時代によって言葉や文章というものは変わっていくモノです。
 平安時代に使われていた文章も、現代使われている日本語と流れは一緒でも今ではそう簡単に読めるモノではありません。
 というか「古文」という、勉強しなければ読めないような「日本語」になってしまっています。
 そうやって変わり変わって今の日本語というものがあります。
 そして現代では様々な諸事情で「常用語」というものが定められています。
 義務教育である小学校からこの「常用語」を習いますね。
 普段公的な場で使う場合にはこの常用語を使うことになっています。
 共通の言葉があってこそ意志の疎通が出来るワケですからね。
 
 ところで「旧仮名遣い」という言葉を見てください。
 「」なんです。
 つまり「旧仮名遣い」という言葉は「普段は使わない文字」という意味です。
 そしてその一方では「常用語」というものが定められています。
 つまり「旧仮名遣い」は不自然ということなんです。
 不自然だからこそ「旧」なんですね。
 だから旧仮名遣いを使う時は、それを教える時とか、当時の雰囲気を出すためとか、そういう特別な理由がない限りは使うべきではないんです。
 文字や文章というモノは、自分の意志を伝えるためにあるもので、日本という国の中に置いて意志の疎通を図れるようにしているものが「常用語」ですから、公の場で、特に相手に自分の意志を伝えようとしている場合においては常用語を使うべきなんです。
 
 今月の『わしズム』でも、高森明勅先生が書いておられる文章は旧仮名遣いで書かれておられていました。
 
《かの剣豪宮本武蔵が死を目前にして書いたといふ十九ヶ条の心得の中に、「神仏を尊み、神仏を頼まず」といふものがある。これはどういふ意味か。つね日頃から神や仏を大切にし、敬ふけれども、それらに頼り、依存する心はもたない、というふことだ。》
 
 「いふ」のオンパレードです。
 引用するためにキーボードを打ったんですが、「いふ」だと「畏怖」とか「異父」とかに変換されてめんどくさいことこの上なかったです。
 たったこれくらい、と思うかもしれませんが、これぐらいだからこそどうしてここまでして旧仮名遣いにこだわるのか分かりません。
 読み手にすんなりと自分の意志を伝えたいと思うのであれば常用語で書くべきではないのでしょうか。
 まだこれぐらいなら読めますが、例えば日本人向けの文章で英語を使う人はいないでしょう。
 それは日本語というものが日本人にとって常用語に他ならないからです。
 相手に自分の意志を伝えるために、わざわざ「旧」にこだわったり、「異」国語を使う必要など全くないはずなんです。
 
 冒頭にも言いましたが、やえには旧仮名遣いを使っている人というのはそれを信奉しているようにしか見えません。
 さっきの高森先生の文章にはこんな部分があります。
 
《受験シーズンに神社に行くと、「合格、お願ひ!」などと書いた絵馬がズラーッとかかつてゐたりする。》
 
 「合格、お願ひ!」の部分は絵馬からの引用であるので、もし本当に「お願ひ」と書いてあったのならそれでいいんですが、まず「お願い」と書いてあったと見るのが普通だと思います。
 だからいくら高森先生が普段旧仮名遣いを使っているのであったとしても、この場合まで旧仮名遣いを用いるのは間違っています
 引用とは引用元に書いてあるモノをそのままコピー&ペーストするようなものですから、そのまま書いてある通りを書き写すのが普通です。
 もし英語とか普通では読めないような状態であるなら、まず原文をそのまま書いて後から注釈として引用者なりが訳文を載せる、という手法をとります。
 引用の場合は原文を尊重しなければなりません。
 例え明らかに誤字だとしても、「ママ」とかつけて原文を載せるのが普通です。
 でも高森先生は「お願ひ」と書いてしまっているんです。
 つまり常用語で書いてあったとしてもそれをねじ曲げてでも旧仮名遣いが正しいんだと思っているんじゃないかと想像でき、やっぱりどうしても旧仮名遣いを信奉しているようにしか見えないんですね。
 ある種「旧仮名遣いを使わなければならないんだ」みたいな強迫観念に近いような、盲信をしているようにしか見えないんです。
 ここまでして文章を読みづらくしている意味というのがやえにはさっぱり分かりません。
 
 もちろん、旧仮名遣いは美しいとおっしゃるのであればそれは価値観の違いでありその考えは尊重したいと思います。
 しかし公の場で相手に自分の意志を伝えようとするのであれば常用語を使って頂きたいと思います。
 それでも「分かる人だけに分かればいいんだ」とおっしゃるのであれば、それ以上は何も言いません。
 しかし旧仮名遣いを使う必要性や理由など全くないですし、それは日本人に向かって英語が読めないヤツは読むな、と言っていることと全く同じであるということをよく理解して使ってくださいね。
 
 最近「保守ブーム」になって、なんでもかんでも古いモノが優れている、という風潮が流行っているので、それはちょっと違うんじゃないでしょうか、というお話でした。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、現代語も十分美しい言葉だと思っています。

平成15年5月2日

 当時の空気

 ゴールデンウィークは後半戦に突入ですね。
 といっても暦通りに働いていらっしゃる方も多いかと思います。
 明日からの三連休は思う存分羽を伸ばしましょう。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 各地で話題になっている白い集団「パナウェーブ研究所」
 昨日なんとか不法占拠していた道路から移動したということのようですが、またさらに違う場所で不法占拠をしているようで、地域住民の方の不安は募る一方のようです。
 目的先と言われている場所にはパナウェーブ研究所の施設もあるようですし。
 
 この件に関して警察庁の長官さんが次のようにコメントしておられました
 
《異様でオウム真理教の初期に似ている。違法行為があれば厳正に対処する》
 
 色々と考えさせられるコメントです。
 このコメントから、公安や警察はオウム真理教についても初期の段階から危険性を察知しマークしていたことが伺えます。
 でも、当時はこのように堂々と危険であるとは公言できませんでした。
 なぜでしょう。
 それはマスコミや“進歩的知識人”が、「宗教である」という理由だけで、宗教団体を敵視すると一斉に警察バッシングをはじめるからです。
 なんとサリン事件が起きて摘発されているという時期になっても、まだオウムを盲信して擁護し続けた進歩的知識人がいたぐらいです。
 当時は、「“国家権力”が聖域である“宗教団体”に介入する」事はタブーとされていたのです
 
 結局そんな空気がオウムをあそこまで暴走させる原因となったのです。
 しかし今回は、警察庁長官さんが悪魔の代名詞といってもいいぐらいの「オウム真理教」という名前を引き合いに出してまでの、ここまではっきりと異形団体の危険性を指摘し言えているワケです。
 つまり、一昔前の異常な空気ではなく、堂々と危険なモノは危険だと言えるような正常な空気になったということだということの証明でしょう。
 いかに当時のマスコミが変だったか、“進歩的知識人”が狂っていたか、今回の警察庁長官さんのコメントで分かるんじゃないかと思います。
 この件に関しては「あらゆる法令を適用して」この異形集団の危険性を排除してもらいたいと思います。
 
 ところで異常な空気といえば、最近イラク戦争で影が薄くなりがちの、北朝鮮による拉致問題があります。
 今日のテレビ朝日の朝のニュースで、拉致問題とよど号の問題を合わせて特集を組んでいたんですが、その中で「北朝鮮は地上の楽園と言われていた」というキーワードが何度も繰り返し流されていました。
 テレビ朝日は「当時北朝鮮は地上の楽園と言われ・・・」なんて全く他人事のように放送していたんですが、言うまでもなくそういう風に宣伝していたのは新聞やテレビをはじめとするマスコミに他なりません
 そして社会党や進歩的知識人がそれに輪をかけ、さらにそれらを支持する世論が確かにありました。
 
 もちろん拉致問題での一番の悪は北朝鮮そのものです。
 しかしその拉致を実行しやすくした環境というのは、完全にそのようなマスコミ等が作っていたのです。
 拉致被害者の中にはマンガのように無理矢理袋に詰め込まれて連れ去られた人もおられるようですが、中には「北朝鮮は地上の楽園」という甘い誘いに乗って半分自主的に北朝鮮に渡った人もおられます
 もちろん短期滞在と思って行ったら帰れなくさせられてしまったというパターンでの拉致ではあります。
 しかし暴力を使わずに、被害者自らの足で向かってもらった方が、それは拉致する側にとってはこんな簡単に拉致はないワケで、だからこそ海を隔てた日本でもこんなに多くの被害者が出てしまったのだと考えられます。
 
 もちろん今のこ状況では北朝鮮に行きたいと思う人はいないでしょう。
 しかしそんな空気は最近になってやっと生まれたモノです。
 過去のことが過去とくくられるような時期になってしまうと、今も昔も同じようにこの現在のような空気だったと多くの人は思ってしまいがちですが、しかし当時は完全に北朝鮮は「地上の楽園」であり、そして北朝鮮を非難することはイコール悪だとされていた時代があったのです。
 それなのにそれをつくった張本人であるマスコミや進歩的知識人や社会党=社民党は、その「昔も今と同じような空気だった」という間違った雰囲気を利用して、厚顔無恥にも他の勢力が「北朝鮮は地上の楽園」と宣伝していたと言っていた、とウソブキます。
 忘れてはいけません。
 拉致を実行しやすい環境を作った張本人がいるのです
 北朝鮮を非難することは絶対悪だとレッテルを貼っていた人が確実にこの日本にいるのです
 そんな時代があったのです。
 
 オウムの時も、拉致の問題も、それを今はなんとか教訓としてだんだん正常になってきてはいます。
 しかしその教訓は他の問題にもそれを応用できないのでしょうか。
 例えば、今はまだ「戦争絶対悪」という空気がとても多く支配してしまっていますが、はたしてそれは正常なのかよく考えてもらいたいと思います。
 特に拉致問題など、このような「戦争絶対悪」という空気が拉致問題を誘発した一翼を担っていると言っても過言ではないと思います。
 その時の空気というモノはそれを拭うことはかなり難しいことではありますが、しかし間違った事をした人に対してはきっちりと責任はとってもらいたいと思います。
 特にマスコミの無責任ぶりはなんとかならないものなのでしょうか。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、間違った雰囲気を応援しません。

平成15年5月6日

 現代源氏物語

 とうとう連休も終わってしまいましたね。
 とってもさみしいです。
 はかないですね。
 しかしどうにもこうにも、6月には一つも祭日が無いというのがいけないんだと思うんですよ。
 連休が終わってなんか調子が抜けちゃって、なんとか気合いを入れようと思うんですけど、カレンダーを見たら6月には真ん中には赤い日が全くなく左一列に普通に並んでるだけ。
 そんな6月のカレンダーを見たら入れる気合いも出てこないっていうモノです。
 「よし6月のこの日を目指してガンバロー」と思えないんですよね。
 よく五月病なんて言いますが、それも一番の原因は6月なんじゃないでしょうか。
 ということで6月に謝罪とばいしょ(略
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 とっても眠いです。
 
 
 ちくま文庫から出ている『カラダで感じる源氏物語』(大塚ひかり著)という本を買ったんですよ。
 源氏物語を視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚という五感というものを焦点にしての解説本です。
 特に男女の性愛に関してのことを重点に置いて書かれていまして、平安当時は女性は顔すら他人に見せないという文化の中、つまり顔を見せるということはそのままセックスであるという視点から、よって視点はもとより五感という感覚が男女の性愛にはおいては現代よりもはるかに大きなウェートを占めていた、というものを柱にこの本は書かれています。
 著者が女の人ということでちょっとフェミニズムな感想が入っていたりとその辺が気になるところではあるんですが、全体的にはかなり面白いです。
 
 ところでやえは『源氏物語』を読んだことがありません。
 というのも、やえはまだ古文を習っていませんので『源氏物語』の原文はちんぷんかんぷんですし、そもそも古文を習ったところで読めるようになるのかとても疑問です。
 ちょっとだけ独学でチャレンジしたことがあるんですが、ものの10分程度で挫折しました。
 いとあはれ
 となると多くの人がそうだと思いますが、現代語訳されている『源氏物語』の本を読もうということになります。
 当然やえも買ってみました。
 みたんですが、なんかちょっとどうも読みづらいんです。
 そういう本ってたしかに現代語にはなっているんですが、言ってみれば、現在使われているような自然な“現代語”ではないんですね。
 外国語をそのまま機械翻訳したようなそんな感じの文章なんです。
 そしてやえが探した限りでは、そんな「機械翻訳版源氏物語」しか本屋さんにはありませんでした。
 
 本でも映画でも、外国のものを日本語にして日本で売り出す時って、かなり訳者の力というモノは大きいじゃないですか。
 機械翻訳しか出来無い人というのは翻訳家なんて職業は出来ません。
 翻訳家は、原文の意味をできるだけ変えずにしかし文章全体としては自然な日本語として訳すのは当然のこと、さらに自分でも創作に近いような作業をし物語をさらに盛り上げるように文章を書いてこそ一流の翻訳者と言えます。
 いくら外国でその本が売れたとしても、日本で売る時に翻訳者がヘボい人だったら日本では全く売れなかったりします。
 やえはよく知らないんですが、洋書のツウの間では「この訳者はダメだ」とか「この訳者だからこの本は面白いだろう」とかいう会話がなされているんだそうです。
 今でも人気の衰えるところを知らない『ハリーポッター』ですが、ツウの間ではあまり翻訳者はよくないとか言っているんだそうです。
 
 とまぁ、翻訳者が大切なことは確かなんですが、しかしどうして古典文学においてはそんな感じの翻訳者さんがいらっしゃらないのでしょうか。
 やえは『源氏物語』を学問や勉強のためではなく、純粋に物語として読んでみたいだけなんです。
 何活用だとか二重尊敬語だとか、本書中にそういう解説はいらないですから、普通に現代語に訳した『源氏物語』を読んでみたいと思っているんです。
 だから例えば単語にしても、「検非違使」というのは現代で言えば「警察」みたいなもんなんだそうですけど、この際そのまま「警察」って置き換えて書いちゃえばいいんです。
 まぁ女房とか、身分である女御とか更衣とかそういうものは現代語ではなかなか訳しづらいモノもあるのはあるんですが、その辺は翻訳者の力量ということで。
 洋書を日本語訳するように古文を現代人が一般的に使っている自然な現代語訳した『源氏物語』というものはないのでしょうか?
 
 『あさきゆめみし』っていうマンガは知っているんですけど、ちょっと絵がつらいんですよね。
 
 と書いたら、ちょっとだけやえは邪推をしてしまいました。
 もしかして古典文学の世界には変な変な空気があって、仮にさっき書いたように「検非違使」を警察とか書いたり、原文からかなり感じが離れたような現代語に直したりするというのは、もしかして「タブー」になっているんじゃないかと思ってみました。
 原文が絶対であって、その独自に解釈した訳を載せると、「そんな訳は間違っている。そんなデタラメな訳を載せるんじゃない。訂正しる」とか血眼になって言ってくる人がいるんじゃないのかなぁと思ったりしてみました。
 
 ちょっと邪推しすぎかもしれませんけどね。
 だからもしそうじゃないのであれば『自然な現代語訳による源氏物語』を読んでみたいと思います。
 もしそんな本がすでに出ていてご存じの方がいらっしゃいましたら、是非やえに教えてください
 よろしくお願いいたします。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、古典文学の翻訳者さん達を応援しています。

平成15年5月7日

 捏造報道機関

 パナウェーブという電波集団なんかによってすっかりイラク問題とか拉致問題とかのニュースがふっとんでしまいましたね。
 近隣住民は不安がってるのに、連休中にはおもしろ見物気分の野次馬がたかったりと、まぁ所詮他人事とはこんなもんなのかなというところでしょうか。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 個人保護法案が衆議院を通りました
 野党の方にも特に大きな反対もなく、参議院でも問題なく可決される模様で、自民党をはじめとした与党は今月中の成立を目指しているとのことです。
 ここまでくると特になんの問題もない普通の法案であると言えるんですが、ただある方面だけは必死に抵抗しようとしています
 マスコミです。
 
 以前マスコミのアホのような世論操作によって廃案に追い込まれた「旧個人情報保護法案」は、新聞等の報道機関も規制対象内であったために、その部分を思わしく思わないマスコミがそれをつぶそうと大合唱をし反発されて廃案に追い込まれたという経緯があります。
 で、今回の法案ではそれをなんとか防ごうと新聞等は対象外、というか特別扱いしていると言った方が的確だと思うんですけど、新聞等だけはわざわざそうしてあげたんですが、それなのにマスコミはそれだけには飽きたらず、雑誌とかも特別扱いにしろと言いだし叫びはじめました
 久米宏さんをメインキャスターに添えているニュースステーションでも、雑誌は一般人の最も大切な情報源であるとか、雑誌こそが緩やかな規制の中で真実を映せるのだとか、雑誌で政治家のスキャンダルを書いてきたからそれを規制するのが本当の目的なんだろとか、そのままストレートに、政治に反対するような記事は全て規制するためにこの法案はあるんだとか、まぁパナウェーブも真っ青なぐらいの電波妄想で必死に反対をしていました。
 誤報や虚偽報道、それらによって名誉を毀損たれたり心に深く傷を負ったりしてきた人のことなど一切触れず、ただただ「この法案は世論操作のためだ」ということばかりを主張しつづけていました。
 
 そもそもこの法案は個人のプライバシー等を守るのが目的であって、そんな目的の前には例外などあろうはずもありません
 マスコミがその対象外ということは、言い換えるなら「マスコミだけは個人のプライバシーを足蹴にしても問題ない」ということになっているのではないでしょうか。
 どうしてマスコミだけが特別扱いなのでしょうか。
 「崇高な報道という目的の前では、個人というモノはちっぽけな存在だけでしかなく、カメラやマイクというモノの前では個人はそれに黙って従うのが当然である」というのがマスコミの主張なのです。
 そしてマスコミだけが規制外というのは、それを黙認していることになっているのではないのでしょうか。
 マスコミは、国や国民や歴史の一大事である戦争という事件があったとしても個人の行動は自由であるべきで制限されるモノではないと主張しておきながら、しかしカメラの前では個人に対して絶対服従を要求、いや命令をしているのです
 いったい何様のつもりなんでしょうか。
 
 「報道の自由」という言葉の前では何をしてもいいというワケでは絶対にありません。
 もし報道することによって不当に個人の権利が蹂躙されるようであるのなら、それは当然罰せられるべきであり、防げるモノなら防ぐ、つまり規制できるものは規制されるべきであるのは当然のことです。
 そんなことは法律が無くても常識であったはずです。
 だからなんのことはない「常識通り報道や取材をしてください」というだけであって、全然普通のことを言っているだけです。
 でもそれすら反対するということは、逆に言えばマスコミは「個人の権利を蹂躙する」と宣言していることになっているんじゃないでしょうか。
 現に今までもマスコミによって傷つけられた人は多数おられますし、また問題になったことも幾度もあります。
 そしてだからこそ個人情報保護法案のような法律を作ろうという動きになったのです。
 それなのに過去を反省もせず体質を変えようともせず、未だに無責任からくる誤報やさらに恣意的な捏造報道といったものは一向に減りません。
 やったことといえば報道被害があった時にそれを報告するためのマスコミ主導の機関設立というほとんど誰も知らないような小手先の事ぐらいです。
 だから結局仕方なく法律で規制することにしたのです。
 自業自得なのです。
 つまり、マスコミがいつまでも無責任体質を改善しない限り、法によって規制するしか個人を守ることは出来ないのです。
 
 監督権限は関係大臣にありそれでは(その省庁に反対するような記事を書いた時に)冷静な判断を下せるのかとか、なぜ野党はもっと抵抗しなかったのかとか言っているヒマがあるのであれば、なぜそういう法案ができたのか、なぜ野党もあまり反対をしなかったのか、その辺の根本的原因をよく考えてみた方がいいんじゃないでしょうか。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、捏造系報道機関を応援しません。

平成15年5月8日

 やえに望むモノあんけ〜と

 ご、ご、ごめんなさーーーーーーい。
 あああああああああああ
 やってしまいましたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
 「やえに望むモノあんけ〜と」のログが見事にふっとんでしまってました。
 はじめはパスワードが漏れたのかと思ってあせったんですが、なんかいろんな人に話を聞くと、あのCGIは高い負荷がかかったりすると“よく”ログがふっとぶんだそうです。
 いやーん。
 誰かもっと早く教えておいてくださいよー(責任転嫁
 
 さらに醜態を晒してしまったのは、ログがふっとんだのはもう一週間ぐらい前のことなんだそうです。
 がーん。
 実のところやえもあまりあそこはチェックしてなかったので、気付くのにこんなに遅れてしまったんです。
 重ね重ね、いままでアンケートにご協力してくださった方々にお詫び申し上げます。
 これも全てCGIが悪いニダ(責任転嫁
 
 他のVNIさん達がこの手のアンケートをやっておられて、なんかどこでもすごい盛況をしていて楽しそうだなぁと思ってはじめたやえのアンケートですが、なんてゆーか、出来上がった項目数は多分VNI最少です。
 ほら、ほかのVNIさんは、「何気なくはじめたアンケートですが、こんなに項目が増えちゃってコメントを書くのが大変になっちゃいましたー」とかおっしゃってるじゃないですか。
 やえはとっても簡単です。
 だって一画面でスクロールしなくても全部見えちゃってましたもん。
 この項目の少なさがモチベーションの低下に繋がったニダ謝罪と賠償…(責任転嫁
 
 あううううううう。
 ホントごめんなさい。
 せっかく皆様の暖かいご声援をこのような形でダメにしてしまって、なんとお詫び申し上げたらよいか。
 改めて、深く深く謝罪いたしますと共に、アンケートにご協力下さった方に多大なる感謝を申し上げさせて頂きます。
 というわけで、やえが覚えている範囲、といっても数項目ぐらいなんですが、範囲にてちょっとだけコメントさせていただきます。
 えーと、確か・・トップだったのは・・・・「アマオチの恥ずかしい過去を暴露」・・・・。
 こんな項目がトップだったからログもイヤになって逃げたんじゃないでしょうか(笑)
 
 
 あと、この手のアンケートでは恒例の「脱げ」ですが、しかし当サイトではそれより「洋装を」というのが「脱げ」より上だったのが面白いなぁと思いました。
 えーと、やえはどうも洋装に抵抗があるんですが、前向きに検討させて頂きます(笑)
 それから、最後の方「誤字脱字を何とか汁」
 ごめんなさい_| ̄|○

平成15年5月9日

 法律が出来るまで

 サイトに新しいモノを設置したのにもかかわらず、その説明を次の日にアップするという変わったサイトのバーチャルネット思想アイドルのやえです。
 ああ、なんて懐かしいフレーズなんでしょう。
 多分ご存じない方の方が多いと思いますが。
 というワケで、「新web拍手」というものをモニターしてほしいとのメシアからの要請が来ましたので、テスト的に設置しています。
 テスト期間ということで今は一行ボードの下に置いてあります。
 従来のweb拍手はメールを使っての拍手でして、アドレスを知られたくないという方や、Outlook以外のメーラーを使われていてブラウザとの連携を設定しておられない方などは利用できなかったのですが、この新しい方のweb拍手はメールを使わずに拍手を送れるシステムになっていますので、アドレスを知られることもありませんし、そもそも管理人側からは何の手かがりも分からなくて、いくつ拍手があったのかという数値しか分からないシステムになっています。
 ですので、気兼ねなくバシバシ送ってください
 今までは拍手を送っても「送信しました」というメッセージが出るだけで味気なかったのですが、新しい方は色々と小細工仕掛けをしておりますので、まぁ軽い気持ちでポチっとなとでも押してみてください。
 また設置も簡単ですので、サイト持ちの方でご興味をもたれた方は公式サイトに行ってみてください。
 拍手が来るっていうのは、これはとってもうれしいんですよ。
 いつも励みになっていますv
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 あれ、二度名乗ったような・・・(笑)
 
 
 さて。
 このような意見は、おそらく多くの人が何度か見かけたことがあると思います。
 
「法案というものは国会議員が作るのではなく官僚が作っており、議員は年に数回しかない本会議でそれを賛成か反対か選別するだけ。ごく少数の議員立法を除けば、結局官僚によって法律が出来ているに過ぎない。国会議員は楽だし無能だ。」
 
 そしてこのように思っている方もかなり多くおられると思います。
 では現実を見てみましょう。
 あ、それから、以下に述べることは特に記述がない限り自民党の議員さんの話ですのでご注意下さい。
 他の党の議員さんはよく分かりません。
 
 まず国会議員の仕事が年に数回しかない本会議だけとしている事からして間違っています
 法律や政策を話し合う会議というモノだけを見ても本会議以外にも数多くあります。
 その中での大きな機関を簡単に列挙しますと
 
●委員会(政府機関)
●部会(自民党)
●議員連盟(議員主催)
 
 主なモノはこれらがあります。
 また他にも、小委員会とか調査会とか役所主催のプロジェクトチームとかワーキングチームとかありますけど、とりあえず常設していて影響力が大きいのはこの3つですので、これだけを説明したいと思います。
 
 まず「議員連盟」です。
 多分これが一般的には一番なじみがない機関だと思います。
 議員さんが自主的に集まって作る私的な会だからでしょう。
 時には各党の議員さんが集まっての超党派の議意連盟もあったりします。
 議連は私的な会なので色々な内容の議連があります。
 外交の会があったり防衛の会があったり、また金利の専門の議連とか保険の議連とか、「日中友好議連」とか、有名なところでは「北朝鮮拉致問題議員連盟」というのを聞いたことがある方もおられると思います。
 今は防衛庁長官の石破先生が会長で平沢勝栄先生が事務局長をやっておられる議連ですね。
 これら議連は私的な会ですので一番フットワークが軽いです。
 様々な問題を取り上げて議論をしたり、時には役所の役人さんを招いて意見聴衆をしたり議論をしたり、また学者の方とか民間の企業の方とかマスコミの方とか、一般の方とかも招いて意見を聞くことだってあります。
 ただ私的な会ですので直接の影響力はありません。
 しかしそれでも議員さんが集まっている会ですのでそれを全く無視も出来ませんし、そもそも後述する「部会」や「委員会」に属している議員さんが近しい議連に入っていることが多いですから、それだけで影響力はかなりあると言えるでしょう。
 もちろん党内で反対するような議連や意見がある場合もありますが、それらの意見は部会等によってまとめられることになります。
 議連の大きなメリットは、私的な機関であるので形式にとらわれない自由な活動や議論が出来ると言うことです。
 
 次に「部会」です。
 これは自民党の機関です。
 他の党の議員さんが入ることはありません。
 この部会は「自民党の中の委員会」という性格の機関です。
 トップは部会長で、この部会長という役は自民党の中ではかなり重要なポストと言えるでしょう。
 「内閣部会」とか「厚生労働部会」とか、役所に即した部会があります。
 「議員連盟」の場合は完全に私的な機関ですので数を多く見せるためにあまり専門でない議員さんもかり出されていたりすることがあったりするんですが、この部会は自民党で規定された会ですので、定数も決まっており、その部会の内容に詳しい議員が選ばれることになります。
 また議連と同じように、役人さんや学者さん、マスコミや民間の方々にも集まって貰って意見を聞いたり議論をしたりします。
 この部会で各専門の議員や専門家が集まり、自民党内での意見が一つにまとまっていきます
 部会は、自民党という直接の国家機関ではない団体の機関ですので、その辺でのフットワークは軽く、ある程度自由な活動や議論が出来ます。
 また政権党である自民党での意見の調整の場でもありますので、かなり影響力は大きいです。
 
 最後に「委員会」です。
 委員会は衆議院と参議院と別々で置かれています。
 つまりこれは政府機関ということになります。
 トップに委員長、その下に理事がいて委員がいます。
 政府機関ですから各党からそれぞれ委員や理事を出しています
 有名なところでは「予算委員会」や「議院運営委員会」また「政治倫理審査会」というのも最近よく名前が出ますね。
 また各役所に対応した「外務委員会」とか「文部科学委員会(参議院はなぜか文教科学委員会)」とかがいろいろとあります。
 各議員さんの得意分野に即して党から適任な人材を委員会に送り込みます
 つまり各党からそれ専門の人が多く集まっていて、実はほとんど、与党野党の本格的な議論のツメはこの委員会で決まってしまっています
 カタチ上本会議でも議論はしていますが、実質的な具体的な議論というものはこの委員会にてほとんど終わっているワケで、各党の専門議員が集まっているワケですし、だから本会議だけ見て「本当の議論をしてない」と言っても、それはちょっと違うんですね。
 もちろんお役人さんをはじめ、各担当大臣・副大臣・政務官、時には総理も出席しています。
 
 各機関の説明は簡単ですがこんな感じです。
 では法律ができるまでの順を追ってみましょう。
 
 ある法律を作る際、どのような方向にするか大筋を決めなければなりません。
 法律とは「部会」や「委員会」を通さなければ通らない仕組みになっていますから、全く自民党の意向と反対の法案を作っても承認されるわけないですので、やはり役所は親しい議員さんや、近い「議員連盟」などの会合に呼ばれたりして、役所が打ち出したい方向と議員や党が持っていきたい方向とのすりあわせがなされます。
 議連のところで述べたように、その議連の内容と近い部会や委員会それぞれに所属している議員さんが入っていることが多いですから、役所の方としても法案が通りやすいように、その議連が出している方向と同じ方向を向けられるように法案を作ります。
 もしそれをせずに、議連が反対していることを役所が独断でしてしまうと、その議連のメンバーの議員さんが部会等で反対行動を起こしてしまい、廃案になってしまう可能性が高くなりますので、やはり議連との連携も大切になってきます。
 また議連は議員が主導で、さらに民間との意見交換もよく行われることから、この辺で民意がある程度くみ取られているとも言えます。
 
 これらによって方向付けが決定したら、今度は役所にて具体的な法案を作ります。
 ここでの役所の仕事というのは言ってみれば機械的なことで、法律は法律用語とか法律の規則に沿っての文言で書かなければならないので、そんな事務的な仕事を役所でするワケです。
 内容についてはそれまでの議論に即した内容で作られることになります。
 
 その出来た法案は、次に自民党の部会にかけられます。
 そこでまた議論がなされることになります。
 以前「自民党とは与党と野党の両方の役割ができる党である」と書きましたように、議連では基本的に一つの方向に向いている議員さんだけで集まっているのでそこまで反対意見を戦わせることはないのですが、ここの部会では時には反対意見同士の議論対決もあります
 時には関係する学者さんとか民間の方とかも呼んでの議論になります。
 国会の場では、議員さん以外の方を呼ぶためには色々とめんどくさい手続きが必要になりますが、しかし部会の場合は公的な機関ではないので比較的簡単に外部の方を呼ぶことが出来るんですね。
 そんな風に激しい議論の末、一つの法案がまとまります。
 そしてそのまとまったモノが「自民党案」そして「与党案」となるワケです。
 
 「与党案」としてまとめられた法案は次に委員会にかけられることになります。
 今度は「与党(&役所)vs野党」というカタチでの議論です。
 上でも述べましたように、委員会には各党からの生え抜きの専門家がここに集まっているわけですから、具体的実質的議論というのはここで行われます
 自民党の中だけ見れば、自民党自体ではもうこの前の段階の部会にて意見の統一がなされているわけですので、この委員会という場では法案を「通す」ことだけを目標とすればいいワケです。
 そして無事法案が通ったら、「本会議」という“儀式”にかけられるということになります。
 
 本会議では、委員会で通っている以上ほとんどの場合そのまま通る仕組みになっています。
 そもそも与党だけで議席の過半数を占めているワケですからいちいち委員会や本会議で議論しなくても法案は通ることは通るんですが、それでもたまに廃案になったりするワケで、そういう意味では自民党や与党は慎重なほど世論を考え出来るだけ汲み取ろうと努力していると言えるのではないでしょうか。
 で、衆議院の本会議で承認され、今度は参議院の委員会にかけられ参議院の本会議にかけられ、やっとこさ法案が法律として承認されるということになるのです。
 
 長くなりましたが、このように何度も何度も多くの議員の意見や意向を踏まえて法律というモノが出来るのです。
 その間には、もちろん役所の意向もありますし、また関係する全ての人間の意見もちゃんと聞けるようなシステムになっています。
 一応今のは一例であって、また別のやり方で法律が出来ていくこともありますが、それでも、表面しか見てないような「法案は役所だけが作って政治家はそれに追随するだけ」ということは決してありません。
 役所だけが役所の都合だけでの法律など、それは作れないようなシステムになっています。
 政治家の意見を聞かなければ絶対に法案が通ることはあり得ないでしょう
 冒頭に書いたような意見は全く筋違いなんです。
 それは本会議という“儀式”しか見ようとしなかったために、本質的な法案議論は本会議という儀式だけだと勘違いしてしまった結果なのでしょう。
 しかし実際には現実には、このように国会議員が主体となって時には民間の方の意見も採り入れながら何度も何度も繰り返し議論を行っているんですね。
 多くの人間が集まっていろんな意見を聞きながらそれなりの時間をかけて出来るのが法律というものなのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、一生懸命「公」のために働いている方々を応援しています。

平成15年5月12日

 反米保守

 新web拍手、こんなにいっぱいいただきまして本当にありがとうございました。
 もうびっくりするぐらいの拍手でした。
 旧web拍手に比べたら桁が全然違います。
 なんですか、そんなにやえにメールアドレスを知られたくないんですか?(笑)
 やっぱり気軽さにおいては旧よりも新の方が全然上ですし、メシアさんによれば最も気軽にサイト管理人を励ます方法がweb拍手だということなので、これが一番いいんだと思います。
 こちらの新しい方のweb拍手は、まだまだ常時参加サイトさんを募集中なんだそうで、もしご興味のある方は公式サイトをご覧になってみて下さい。
 楽しいですよv
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 そして20万ヒットありがとうございました。
 これからもさらなる躍進を目指して頑張っていきたいと思います。
 
 
 さて。
 少し前から、いえ、だいぶ前からでしょうか、保守系の論壇がまっぷたつに別れてしまっています。
 ご存じの方も多いとは思いますが、アメリカが議論の中心で、いわゆる「反米保守思想」と「親米保守思想」といった感じで両陣営が呼ばれることが多いです。
 さらに「親米」の方は「ポチ保守(犬のようにアメリカ追随するから)」なんて反米派からレッテルを貼られたりしています。
 
 やえはずっと前から言ってますが、イラク攻撃に関しての日本の立場はアメリカを支持せざるを得ないと思っています。
 でもアメリカは嫌いです。
 しかし支持せざるを得ないというのは、日本の、北朝鮮問題とかの様々な立場を総合的に見た時に致し方ないと判断するしかないからです。
 
 「反米保守」の方はこのアメリカ嫌い一直線です。
 アメリカの偽善的正義や暴力主義、また日本が過去にアメリカからやられた仕打ち等を考えると、それは当然分かります。
 多分、資料を紐解き過去を知れば知るほど嫌米感情というのが噴出するんだと思います。
 理解は出来ます
 しかしその言論の方法は果たしてどうなんでしょうか。
 
 いわゆる「ポチ保守」の、アメリカ追随一辺倒という姿勢にはもちろん賛成しかねます。
 「政治と思想」という問題もありますが、アメリカと無批判に手を結んでおけば日本は安泰だという考え方は、それは賛同できません。
 だから反米派が、その辺の思想を思いっきり批判しこき下ろしたいという気持ちも分からないでもないです。
 しかし最近の反米派のやり方には疑問を感じざるを得ません。
 最近の反米派はポチ保守バッシングとアメリカ攻撃ばかり目に付きます
 反米派の小林よしりん先生にしてみても、だいたいどっちかを攻撃するような論調ばかり目にします。
 果たして本当にそれで日本はよくなるのでしょうか
 
 なぜ日本はイラク戦争の時にアメリカ追随をせざるを得なかったのか、なぜ日本は国際の場においていつも主導権を持てずにオロオロするだけなのか、それは日本が一人前の国家になりきれてないからです。
 理由は色々あります。
 一番大きいのは軍事力を持てないからです。
 軍事力を持てないから結局金だけ出すという方法に頼らざるを得ず、金がなければ戦争も出来ないと主張したところで、やっぱり負い目が拭いきれるモノでもないですし暴力が支配する国際の場において金だけというのはやっぱりその程度ぐらいにしか思われないというのが現実です。
 
 また別の部分では、相手を出し抜いてでも自分が前に上に出てやろうという気概が日本人には薄いというのもあります。
 今回のイラク戦争でもそうですが、戦争という言葉の前には被害者と加害者という言葉の前に思考が停止してしまって、そういうものを利用してなんとか自国がイニシアティブをとれるように、もっと汚く言うと、そういうものを利用してなんとか儲けられないかというような、そんな考えをどうしても日本人は持てないんですね。
 「他人の不幸をそんな風に考えるな」と考えるのは日本人の美徳ですし、やえもそう思いますが、残念ながら外人はそうは考えないですし、日本国内においてはその美徳を大切にしたいとは思いますけど、国際の場においても同じように考えてしまうのは間違いですし、今日本がこんな立場に追いやられてしまっているのは日本人がそのように考えているからであって、残念ですがそれが現実なんです。
 フランスやドイツなんかを見ていたら、「出し抜いてやろう」という打算的な考えがアリアリと見えてきていますけど、でもそれが現実なんですね。
 それが国際の場ということなんですね。
 
 やえは以前からずっと主張していますが、日本が軍事力を持てないのはそれは日本の世論のせいです。
 戦争が始まると何も考えずに戦争はんたーいとか言いだし、それが絶対正義かのように芸能人も無思考のまま暴言を垂れ流し、果てはお子様が運動のための運動を始めネットにおいては祈ればなんとかなると妄想を爆発させてしまっています
 戦争が終わったかと思えば今度は「クラスター爆弾反対」とか「有事法制反対」とかに鞍替えしてしまっている始末。
 こんなではいつまでたっても軍事力を持てないでしょうし、核武装の有無についての議論をするだけでもままならないでしょう。
 
 「この機会に他国を出し抜こう」という気概を持つということについても、やっぱり現在の日本ではそう主張することすらかなり難しいのが現状でしょう。
 今でも脳内お花畑平和思想は生き続けていますし、そもそも国連というものを日本人は理想化しすぎてしまっています。
 現実には国連というモノは大国同士の綱引きの場でしか無いというのはほぼ世界においては常識になっているのに、日本人だけはそれを見ようとしません。
 日本人は「お互い引けば争いは起きない」という平和を最も愛する民族であるのはやえも誇らしい部分だと思いますし、だから有史以来日本は平和な時期が長く多く続いたことがある国でもあるというのも誇るべきところなんですけど、でも国際の場ではそんなキレイゴトは通用しないんですね。
 喰うか喰われるか、どう相手を出し抜いて自分の利益を作るか、こんな陰謀が渦巻いてるのが国際の場であり国連の場です。
 国連は世界平和を現実するための機関だ、というのは夢物語でしかないので早くそういう夢は捨てるべきでしょう。
 現実を見て現実的な方法を考えなければいつまでたっても日本の立場は変わらないと思います。
 
 反米保守にしろ親米保守にしろ「日本の自立」という目標は両者共に変わらないところだと思います。
 ただ、やえはその日本の自立を実現させるためにはまず日本国内こそを変えなければならないと考えています。
 しかし、特に反米保守などは冒頭にも書きましたが最近は「ポチ保守」攻撃やアメリカ批判ばかり繰り返してばかりいます。
 けどそんな事では全く持って日本はよい方向には行かないでしょう。
 なんでアメリカに舐められているのかと言えば、それは日本が対等の位置に立っていないからです。
 これは悲しいことですが動かしようのない事実であり真実です。
 だからいくら下にいる日本から上にいるアメリカに対してキャンキャン言ったところで、なんかよく聞こえないけどどっかで吠えてるなぁぐらいで、実質的には何の意味もないでしょう。
 今反米保守がやっていることは、負け犬が遠くからキャンキャン遠吠えしているだけに過ぎないのです。
 親米がポチなら、反米は負け犬です
 どっちの言論も日本のためにはなっていないでしょう。
 むしろアメリカとは対等ではないと現実を理解しているという部分では親米の方がマシであると言えるのかもしれません。
 もし、ただアメリカに恨み辛みを言うだけを目的としているのではなく、日本をもっと良くしたいと願って発言しているのであれば、反米保守言論人さんはもっと現実をよく理解して、そして日本国内に日本人に対しての言葉を発して欲しいと思います。
 
 もう一度言いますが、現状では日本はアメリカと対等ではありません。
 だからこそ日本は国際の場においてこの程度の扱いでしかないのであって、それをなんとかしようということで色々と議論されているのであるんですから、文句をアメリカにぶつけるという行為はちょっと矛盾しているんですよね。
 そして負け犬の遠吠えでしかないということです。
 日本をよくしたいのであれば、今は国内に向かって日本人に向かって呼びかけ、世論を変えるしか方法はないでしょう
 世論を変えてこそ日本は一人前の国家になり、そして国際の場においても発言力が増し、アメリカに対してもただ追随するだけではない日本独自の道が取れるようになることでしょう。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、よしりん先生もはじめは過激なことを言って世論を奮い立たせようという方法だったんだろうと思うんですが、最近は遠吠えにしかなっていないような気がしてなりません。

平成15年5月14日

 常識と非常識

 アナタのハートにクリティカル☆
 というキメ台詞は実は誰も使ってない非公式のモノで、本家は「今日もアナタの人生クリティカル」です
 どっちも可愛いと思うんですけどね。
 最近やえもいろんな所にリンクしていただけるようになってきましたけど、なんか思ったより「おはろーございます」がやえの挨拶として定着してしまっているようです。
 はじめはこんなの流行らないだろうなぁなんて思っていただけにちょっぴりうれしかったりしてます。
 みなさんも日常生活でも使ってみましょう。
 みんなで使えば怖くない。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 オウムの時にさすがに懲りたかと思っていたのですが、やっぱりいるもんです。
 人権派とやらが
 今朝ごろパナウェーブの施設に強制捜査が入ったみたいですけど、まぁその前から人権派とやらは「パナにも基本的人権はある」とか「自由はどこにいった」とか言っていました。
 はぁ、キホンテキジンケンとかジユウとか、便利な言葉ですね。
 
 そもそも法律というモノは常識を元に作られています
 特に日本では。
 人の物を盗ってはいけないというのも、法律があるからダメなのではなくて、常識的にダメだから法でもダメと定めているのです。
 だから本来なら常識と法律と相反するような場合が起きたとしたら常識の方を優先させるべきなんですね。
 
 で、今回のパナさん、常識に照らし合わせると明らかに異常としか言いようがないことをしでかしてくださっています。
 日本の常識から考えてあれはどう見ても異常ですし異形ですし不安を覚えるのに十分なことをしてくれてますし危険を感じるのも当然な集団です。
 非常識な集団です。
 仮に自分の家のすぐそばで、変なステッカー張った白い車が集団で止まり、その辺り一面に白い布を巻き巡らせて、上から下まで白一辺倒の変な格好をしている人間がその辺を集団でうろちょろしていたら、「なんでこいつらは」と誰でも思うことでしょう。
 そしてそんな中で安心して生活できるなんていう人はいないと言ってもいいでしょう。
 
 これは日本の常識を照らし合わせた結果です。
 悠久の歴史の中の日本人として今まで培われてきたものが、いわば本能のようにそういう結果を導き出します。
 もともと日本というクニは、一神教からくる神との契約というカタチでの法国家ではなく、和の精神を中心とした公倫理国家です。
 そして特に日本はその意識が優れていたために、今ではずいぶん崩れたとはいえ、まだまだ世界的に見てもかなり治安がいい国です。
 そんな治安の良さというものは、実は「非常識な物を排除する精神」というものに支えられてきたモノなんです。
 今はどうか分かりませんが、時代劇なんかでは「ヨソ者は出ていけ」みたいな排他的な村の様子がえがかれたりしますけど、実はあれこそが究極的な治安維持体制です。
 村に住んでいる者全員が顔見知りなので、犯罪が起きたとしても犯人はその中にしかおらず、犯行を目撃されたら背格好だけですぐばれてしまうので犯罪を起こそうという気は到底起こらない、ということですね。
 日本という国は極論すればそんな常識が支配している国なのです。
 
 もちろん今ではそんな一元的な「ヨソ者は出ていけ」なんて事を言うのはさすがにどうかなと思いますけど、でも「明らかに異常集団」を許すぐらいの公倫理の破滅までは行き着いてはいません
 そしてそれを壊してはいけません。
 なんでもかんでも法律だけが絶対的に支配してしまうような世界が出来てしまったら、それはアメリカ以上に人工的ロボット国家に成り下がって、犯罪率もドンドン増え、「裁く者と裁かれる者」という二種類の人種しか存在しない世界になってしまうでしょう。
 もはやそんなものは「日本」ではありません。
 異常なモノを排除しようという考えは、それは日本の伝統的な倫理意識であり、それこそが今でも日本の高い治安の良さを維持し続けているのです。
 
 たまに「法律原理主義者」がいらっしゃいますけど、そもそも法律というモノはそんなに厳密なモノではありません。
 簡単に言ってしまえば、法律とは「色々に解釈できるように作っている」んです
 もしガチガチに作ってしまえば、常識と相反した時に矛盾した存在になってしまうからです。
 また運営する方としてもやっぱり一定の解釈する余地を残しています。
 つまり法律とは、「法に反しているモノを全て罰する」ものではなく、「常識的に変なモノを罰するために法を適用する」というものなのです。
 
 例えば、現在ではヌード写真集もアソコの毛が写っていても全然普通になってしまいました。
 でも多くの方がご存じだと思いますが、一昔前にはこれはタブーでした。
 加納典明サンなんかはコレで捕まっていたりしますね。
 でも今同じ事をしても捕まることはないでしょう。
 ではどうしてこんな差が生まれているのかというと、決して国会において「アソコの毛も写してはダメ」という条文を「アソコの毛解禁だよ」というように法改正が行われたワケではなく、ただ常識が変わっただけにすぎないのです
 法の文章自体には「アソコの毛もダメよ」とは書いていませんでしたが、しかし昔はアソコの毛もダメというのが常識だったために、それを写すと条文に書いて無くても「猥褻物陳列罪」を適用して警察が動いて裁判所もそれを認めていました。
 でも今ではアソコの毛を写したところで警察が動くはずもないですし、仮に裁判になったとしても無罪となるでしょう。
 法律自体は何も変わってないのにも関わらずです
 これこそが「法解釈」であり、「常識から照らし合わせた上での法運用」です。
 
 つまり結局いくら「基本的人権」とか書いてあったとしても、それは無制限に適用されるワケではなく、常識の範囲内で適用されるかどうかでしかないのです。
 法に書いてあるからどんな集団でもどんな人間でも自由だ、というのはちょっと違うんじゃないでしょうか。
 「書いてあるかどうか」ではなくて「常識的にどうか」というのが最も重要なのです
 
 信条の自由というモノがありますが、もちろん考えるだけなら何考えても自由です。
 世界征服を想像するだけなら自由です。
 頭の中だけならどんどんやってください。
 それと同じような感じで、さすがにこの現代では変な集団といっても人知れずこっそりと活動するのであれば、それを排除しようとは思いません。
 それぐらいの自由はこの現代では享受されるべきだと思います。
 だからパナウェーブ研究所も、自分が異常ということをしっかりと認識して、人知れずこっそりとやればいいんです。
 オウムのように大犯罪を犯したわけではないんですから、ひっそりとやる分にはそれは自由だと思います。
 でも外の世界に出た瞬間から、それは常識が支配する公的な世界です
 その中では誰しも公に従わなければならないのです。
 異形の格好をして異形の集団を作り、話し合いをしようとしても取り合わず、主張することは電波掛かったモノばかり。
 そんなもの異常と見るのが普通であり常識であり、公的な場所で「迷惑」をかけつづけるのであれば、それは排除されて当然であるべきなのです。
 
 そんな中でまだ話し合いの余地を作ろうとした地元の議員さんとか役所の人とかは、まだ民主的だと言えるのかもしれません。
 それすら受け入れようとしない方が、もうこれはどうしようもないんですね。
 常識から逸脱し続けているのにそれすらも自由というのは、それは単なるエゴでしかないでしょう
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、治安の良い日本を応援しています。

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